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2021年3月31日 (水)

エビ天蕎麦を食べるなら…

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.24

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<サガミ>PowerShot

市内に2軒ほどある和食ファミレスです。入ったことはありませんでしたが、サガミホールディングスが展開してまして、「味の民芸」も同じ会社ですね。

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<大海老おろしそば>PowerShot

このところ、あまり出歩かないので昼食は自宅で取ることが多く、簡単にできるうどんばかりを食しております。たまには、蕎麦、それも温かい蕎麦を食べたくなりました。

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<リフトアップ>PowerShot

海老はかなり立派でした。蕎麦なので七味も適当に振りかけます。薬味のねぎは徐々に増やしていきましょう。

値段(1280円)の割には格別美味くないですね。これだったら、いつものあの店のほうがお得かも。

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<箱根そば>PowerShot

駅近くの店です。もう1店舗ありますが、そちらは本当に座席がなく、正真正銘の立ち食いです。

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<海老天そば>PowerShot

海老が2本。箱根そばの定番である「わかめ」が初めから入ってます。また、ねぎも初めから入っています。

この店、密を避ける意味でしょうか、出来上がったら食券番号で呼ぶように変わっていました。

Su165

<七味トッピング>PowerShot

同様の画像をインスタでアップしたら、「うまそうです」とかコメントが付きました。もっとも、インスタグラムの投稿はすべてfacebookに転送されるので、facebookでのコメントでしたが。

インスタグラムは画像に色の効果を加えることができるんですね。なので、立ち食い蕎麦とも気づかれない。

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<リフトアップ>PowerShot

箱根そばのそばつゆ、七味と相性がいいです。蕎麦の量もそう変わらないでしょう。

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<ふやけた海老>PowerShot

もっとも、海老天2本。コロモが厚めで、中の海老はとても細いシロモノです。

でも、550円とサガミの半額以下で味も負けないなら、こちらで十分な気がします。

サガミとか味の民芸はファミレスなので、ランチセットや定食類がお得なんでしょう。

サガミに行ったときは平日でしたが、このところは春休みと重なりファミレスなどはいつでも混んでいるような気がします。ひとりで入るのにはやや気後れするシーズンです。

3月終わっちゃうんですけど、今後どうなっていくんでしょうかね。

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2021年3月29日 (月)

西寧のモスクと道教寺院

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(3)

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<青海賓館>P-30/SMC A28mm

空港からのバスはそのまま西寧市内を進みました。空港の雰囲気からするととんでもない田舎という感じがしましたが、市の中心部に近づくと高層ビルもちらほら出現しました。

この日泊まる青海賓館に到着し、昼食を取ってそのままチェックインしました。このホテルはできてから間もないとのことですが、夕食後に部屋にいると、天井や壁がめくれあがっている個所もありました。すでにできてから10年は経ってますという雰囲気でした。

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<回族の女性>P-30/SMC A50mm

昼食後観光に向かいます。バスの車窓からは白い帽子を被った回族が目立ちました。

回族とは唐から元の時代に渡来したアラブ・ペルシャ系のムスリムと彼らと通婚した漢民族にあるといわれます。ムスリムと結婚する場合、非ムスリムは改宗する必要があります。長い年月の間に中東風の風貌は失われ、見た目は漢民族と変わりません。言語も中国語を話します。

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<東関清真大寺>P-30/SMC A28mm

最初に向かったのはこちら。中国語で「清真」というのはイスラムのことです。つまりはモスクですね。

建築は中華風ですね。これまで抱いていたモスクのイメージが覆されます。マラッカなどにある中国風のモスクと出会うのはずっと後になりますが。

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<内部の絨毯>P-30/SMC A28mm

こちらはモスク内の祈りのスペースです。建物内には入ることができないのですが、一部が開いていて覗くことができました。ひとつ前の画像の中庭にも白線で区切られたスペースが確認できますが、そちらも中に入ることができなかった人のための祈りのスペースです。

それにしてもこれほどの人が集まるのでしょうか。当時は旧ソ連ほど宗教に対する弾圧はあまり感じられませんでした。でも、社会主義国の宗教観は変化しますね。

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<回族と会話>P-30/SMC A28mm

こちらは中国語を学んでいるメンバーがモスクにいた回族と話し込んでいるところです。回族は男性ばかりでした。

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<北禅寺>P-30/SMC A28mm

続いて向かったのが北山にある道教寺院、北禅寺でした。

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<断崖の寺院>P-30/SMC A28mm

ひとつ前の画像で見えていたのはほんの入口で、目指すのはこのような断崖に建つところです。かなりの急勾配です。

これをひいひいいって登りきると、道士のおばさんがまちかまえていました。我々が写真を撮ろうとすると声を上げて注意するのでした。

しかし、ここで威力を発揮したのがポラロイド写真でした。メンバー中2名がポラロイドカメラを持参していました。その場で、おばさんを撮ってインスタント写真を進呈するとおばさんの表情が和み、その後の撮影についても問題なくなったほどです。

ポラロイドはその後もたびたび威力を発揮したものです。これは今でも外国人と仲良くなる手段のひとつですよね。

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<スパイス売り場>P-30/SMC A28mm

その後、水井巷市場で自由時間となりました。各自でぶらつきます。ですが、カメラで撮影をしまくる人物は怪しげに思われたのでしょうか。ワタクシには公安がやってきて質問をされそうになりましたが、唯一話せる文章の「我是日本人」とつぶやくと公安は離れていきました。

今なら、しっかりとパスポートチェックをしたはずです。

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<少年隊のポスター>P-30/SMC A28mm

市場の外れくらいに理髪店があり、窓にはポスターが貼られていました。よく見ると「少年隊」でした。すでに「仮面舞踏会」のデビューからはだいぶ経っていて、この時期はジャニーズのタレントがやや低調な時期でしたが。それにしても、香港経由あたりで流れてきたものでしょうかね。

続きます。

今日のナニコレ

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<ぽっぽ町田>PowerShot

先週ようやく確定申告を提出いたしました。我が管内は税務署じゃなくてここで行います。

郵送でもよかったんですが、直接行ってみましたよ。LINEアプリで予約を取りますが、それなしでも大丈夫みたいでした。来年はもっと早くやるかな。

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2021年3月27日 (土)

逆輸入モノで大成功

かすてら音楽夜話Vol.109

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<KC & The Sunshine Band>

1970年代後半から1980年代初頭にかけてのディスコブームについてはBee Geesの記事で触れました。チャート上ではビージーズの曲が最もヒットしたのですが、ディスコでかかる曲は必ずしも大ヒットした曲ではなく、踊るためにノリのいい曲であればチャート上位ではなくともガンガンとかかるものでございます。

ブラックミュージックのモータウンレーベルが最も知られていると思いますが、いわゆる白人系のミュージシャンにもディスコサウンドは影響を与えました。あの、Paul McCartney(ポール・マッカートニー)でさえ、「Good Night Tonight」なんていう曲も作ってしまうほどでした。

さて、そのような状況において、人種を超え、ディスコサウンドに特化したバンドがいました。それが、KC & The Sunshine Band(ケーシー&ザ・サンシャインバンド)でした。

 

曲は1975年のビルボード1位、「That's The Way(I Like It)」でした。

この曲はディスコの定番でして、映画「サタデーナイトフィーバー」登場以前に最もディスコでかかった曲なのではと思います。いまだに、この曲はテレビのBGM等に使用されるし、聴いたことのある方も多いのではないでしょうか。

さて、人種を超えたバンドと申しましたが、中心人物はヨーロッパ系アメリカ人のふたりです。ヴォーカル兼キーボードのKCこと、Hurry Wayne Casey(ハリー・ウェイン・ケーシー)とベースのRichard Finch(リチャード・フィンチ)です。

KC & The Sunshine Bandの5曲のビルボード1位獲得曲はすべて、KCとフィンチの共同作業によるものです。バンドの成り立ちはKCが半分バイトのような形でレコード会社とかかわりがあり、KCが誘う形でレコード会社のエンジニアであったフィンチを加え、ドラムとギターはスタジオミュージシャンで固めたものです。バンドに欠かせないホーンセクションは正式メンバーではないかもしれません。

彼らは当初アメリカでは全く売れませんでしたが、イギリスのR&B(リズムアンドブルース)チャートから火が付き、1975年に「Get Down Tonight」で初のビルボード1位を獲得してからは、1979年まで毎年のようにヒットを記録してきました。

 

こちら、1979年の最後となるビルボード1位獲得曲、「Please Don't Go」です。明らかに路線が違いますね。

この直後、KCはTerri De Sario(テリー・デサリオ)というイタリア系女性シンガーとデュエットソングをリリースします。ちなみに、テリーはKCの高校の同級生だそうです。

 

Terri De Sario with KCで「Yes, I'm Ready」でした。この曲はビルボード2位というヒットを記録しています。

KC、以前の弾けた様子がまるでありません。一転マジになってしまったかのようです。もっとも、「Yes, I'm Ready」はテリー用の曲で、KCは関わってないのですが。

その後、このようなKCの振る舞いに嫌気がさしたのか、リチャード・フィンチがバンドを去ります。

 

こちら、1983年のビルボード18位、「Give It Up」です。こちらは、フィンチが関わらない曲で、KC & The Sunshine Band最後のビルボード100位圏内に入った曲です。

当時のワタクシにはKCたちは「That's The Way(I Like It)」のイメージが強くて、この曲がリリースされたときは何ともずっこけたものです。

Kc

<KC>

こちら、全盛期のKCです。なんとなく、狩野英孝に似ているかな。

その後のKC & The Sunshine Bandですが、活動休止期間はあったものの、現在も活動しているようです。そして、YouTubeを検索すると、でっぷりと太ってしまい、髪の毛が後退し、髭面のKCが引っかかってきます。

なんか寂しいですけどね。

★引き続き、リクエスト、ご要望お待ちしております。いいねとコメントもよろしくお願いします。

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2021年3月26日 (金)

飛行機を見に来た人民たち

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(2)

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<北京首都空港再び>P-30/SMC A28mm

2日目。朝食後、西寧へ飛ぶため北京首都空港に移動しました。搭乗したのはこの機体で尾翼部分にエンジンのあるツポレフ(旧ソ連製)です。

これまで、中国国内は中国民航(正式には中国民用航空局、現在の中国国際航空)が中国国内外の航空業務を担ってきたのですが、民営分割化が行われました。wikiによれば、それは1987年ということになってますが、1987年と1988年に訪れた際にはすべての便がコードネーム「CA」のままでしたので、それ以降に運用されたと思われます。

今回西寧に向かう便は中国西北航空(コードネームWH)でした。なお、その後この会社は2002年に中国東方航空に統合されました。

中国も写真撮影の制限は旧ソ連同様あるはずですが、これまで空港内であっても咎められたことがありませんでした。しかし、この写真を撮っていると空港職員が声を荒らげます。幸いフィルム没収ということはありませんでしたが。

ま、それでも様々な規制はあるのかないのかといった感じで、とても緩やかに思いました。厳しくなってきたのは21世紀に入ってからでしょう。

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<黄河かも>P-30/SMC A50mm

今回飛ぶ西寧は青海省の省都になります。標高は2000メートルほど。最終的目的地のラサは富士山と同じくらいですが、途中のチベット高原では5000メートルを越す峠が2か所あり、宿泊地も4000メートル越えとなります。

アップダウンはあるものの、この西寧から徐々に高度に慣らしていくということになります。

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<西寧に近づく>P-30/SMC A50mm

北京を経ってからは見える景色は一面の雲海ばかりでしたが、西寧近くになり山が見え始めました。ちなみに左の窓側でしたので、撮ることができました。

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<西寧に到着>P-30/SMC A50mm

西寧に到着しました。すると空港に隣接するちょっとした丘に人民が鈴なりになってます。滑走路を飛行機が移動中も人民は飛行機の進行方向にぞろぞろと移動しました。

西寧の空港は改修が行われたばかりで、それまでは短い滑走路しかなかったためにプロペラ機しか発着できなかったそうです。改修によってジェット機もやってくるようになったので、こうして暇な人たちが見に来るようになったそうです。

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<現地ガイドと>P-30/SMC A28mm

我々は北京でスルーガイドの李さん(右から2人目)と一緒になりました。全行程一緒になります。

そして、西寧の空港で我々を待っていたのが呉さん(右)でした。呉さんはチベット族でなんと「地球の歩き方」を携帯していました。チベット族ではありますが民族衣装は着用していないので、一見田舎の中国人とあまり変わりません。

一番左の人物は中国国際旅行社(CITS)が派遣してきた監視役の陳さんです。監視役というのは、チベットという微妙なところを陸路で訪れるからでしょう。しかも、当時は外国人がこのルートを使うのは許可されていなかったためです。

陳さんは、空港到着時にはまだ来てなくて、この翌日から合流することになります。陳さんだけが日本語を話せず、本職は英語のガイドです。でも、しっかりとカメラを持ってきていました。彼も観光気分なのでした。

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2021年3月24日 (水)

御岳で蕎麦

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<藁ぶき屋根>PowerShot

緊急事態宣言下ではありましたが、県境を越えての移動ではありませんので。でも、不要不急の外出ってことになりますか。

ネットで調べて青梅市御岳に評判のいい蕎麦屋があることがわかりました。クルマの移動ですから、移動中誰とも接しません。2時間くらいかかりましたかね。

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<店内>PowerShot

案内されたのは座敷でした。客はそこそこいます。

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<下足札>PowerShot

靴を脱いで上がりますが、靴は下駄箱に預けます。昔ながらの木の札です。こういうのは昔ながらの銭湯にありましたかね。

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<おしながき>PowerShot

いろいろあるのですが、手打ち蕎麦を謳っている店です。ここはシンプルに「もりそば」にしましょうか。

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<もりそば>PowerShot

せいろではなく竹製のざるに蕎麦を盛り付けております。薬味とそばつゆのセット。このような感じで出てくる店も少なくなってきたような。七味も提供されますが、使いませんでした。

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<蕎麦>PowerShot

色は濃い目です。手打ちでしかも二八を売り物にしている店です。つなぎの小麦粉2割、そば粉8割ということです。

量は少なめに見えますが、ざるが籠みたいになってますので、他店と変わらないでしょう。

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<お約束のリフトアップ>PowerShot

一口目は薬味を入れずに味わいます。喉越しがいいです。

二口目からはねぎを少しとわさびを入れました。美味いです。

おかずにあたるものがないですから、そばをすすりにすすって終了です。

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<蕎麦湯>PowerShot

頃合いを見計らって店の人が蕎麦湯を持ってきてくれました。立ち食いそばでは蕎麦湯はほぼ出ないです。かなり久しぶりに味わう蕎麦湯ですね。

なんでも関西圏から西に行くと、蕎麦湯が存在しない店も多いんだとか。ま、あちらで味わうのは「うどん」が無難かと。

ごちそうさまでした。料金830円でございました。

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<玉川屋>PowerShot

なんと、この店創業106年ですね。台湾風にいうと、百年老店ということになります。

元祖手打ちそば 玉川屋

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<パンフレット>PowerShot

東京都で二八蕎麦を提供する店の協会があるみたいです。

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<奥多摩湖>PowerShot

食後はここまで足を延ばしました。人っ子ひとりとは申しませんが、ものすごく閑散としてました。

みんな我慢してたんだよな。

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2021年3月22日 (月)

陸路でチベット

西寧~ラサ、高山病と戦う旅からのエピソード(1)

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<様々な仏陀>K-7/FA35mm*イメージです

旅ネタが尽きておりますので、予告通りチベットについて連載いたします。

前提として

・前回の旧ソ連ウズベク共和国の旅から6年ほど経過しております。旅のテクニックはついてきましたが、相変わらず自分で手配して渡航するよりも、いかにして秘境を回るかということに主眼を置いておりました。したがって今回もツアーでございます。

・とはいえ、このツアーは大手旅行会社の主催によるものではなく、かつて参加した新疆ウイグル自治区のツアーで中国にはまってしまった参加者の企画を実現したものです。その方が旅行を重ねて人脈を築き、中国を専門とする添乗員を起用し、中国好きのメンバーに声をかけて実現したものでした。このツアー後も同様のツアーが数回組まれ、自分も4回ほど参加することになりました。

・またもや「昭和」に近い、1990年代初頭の時代ですので、当然ながらスマホはおろか携帯電話もデジカメもない時代のことです。

・また、カメラは一眼レフ1台にレンズ2本という体制です。幸いフィルムはフジのリバーサル10本とコダックのリバーサル6本、コダックのネガカラー1本(こちらは現地購入かもしれません)で、かなり枚数は増えました。今回も惜しんで撮りましたが、天気が良かったので使える写真は多いです。食事はほとんど撮ってませんが。また、カメラはオートフォーカスではなく、自分でピントを合わせる機種でした。この旅で、同室となった方がオートフォーカスのEOSを使用していて、それに触発されて帰国後オートフォーカス一眼レフを購入しました。

・知り合いも多いので登場人物は仮名にいたします。

・移動は北京-西寧とラサー成都、成都ー上海のみ航空機で、あとはすべてバスでした。

・ブログのカテゴリー上は「01d China」とさせていただきます。他意はありません。

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<北京首都空港>PENTAX P-30/SMC A50mm

強引に組み立てたツアーだからか、中国へのアクセスは、羽田から大阪国際空港に飛びます。当然ながら関空はできてませんでした。

国内線から国際線への乗り継ぎですが、名古屋から2名が参加ということで、羽田から伊丹まではオプションのような感じになり、預け荷物はスルーではなくいったん引き取ってから改めて預けなおすことになりました。

添乗員はNさんという女性で、中国語が堪能で中国人相手にも一歩も引かないという心強い方でした。また、新疆ウイグル自治区のツアーの時に参加していたHさんという男性もいまして、同室となります。

この、伊丹ー北京便に乗ってしまえば手続等は自分で行う必要がありません。

到着した北京首都空港ですが古びた感じです。空港の建物から飛行機へ直結のブリッジが付けられることもなく、タラップを降りてバスに乗ります。新空港はなんと、2019年に完成し運用が始まったそうで、まだまだ現役の空港です。

機体の表示でわかるでしょうが、時はバルセロナオリンピックの真っ最中でした。日本が獲得した金メダル3個(水泳の岩崎、柔道の古賀と吉田)はすでに取り終えた後でひどく盛り上がりに欠け、テレビの映るところでもオリンピック中継は見なかったと思います。

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<擁和宮>P-30/A50mm

我々が向かったのは北京に唯一あるラマ教寺院、擁和宮でした。このあと、メンバーの自己紹介を夕食時に行いましたが、いずれも中国好きで中国に複数回来ている人たちばかりでした。ちなみに、ワタクシは2回のみ。皆、旅慣れているというかツアー慣れしているものの、ひとりでは旅の手配もままならないとは思いますが、ツアーの日程とかホテルの状態などに関しては堂々とクレームを入れられるような人物が多かったです。

そういうメンツなので、ありきたりの天安門広場、故宮などは満足できないという配慮でしょう。

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<擁和宮>P-30/A50mm

チベット寺院ということでしたが、あまり建物の中には入らず、のちに気になるヤクバターの燈明の匂いは感じませんでした。

このあと、王府井(ワンフーチン)でフリータイムとなりますが、まだ両替をしていません。でも、用意のいいメンバーは使い残しの中国元の兌換券を用意して何やら購入していたようです。

ちなみに、兌換券(FEC、Foreign Exchange Certificate)とは、外国人旅行者に向けて両替時に渡される紙幣で、原則的には人民元と等価です。しかし、一般の商店などでは使用できず、ホテルや免税店などごく一部で使用できるシロモノです。このシステムは1995年まで継続されました。

とはいえ、FECは一般人民の一部には存在が知られていて、外国通貨に両替できることや、一般商店では手に入らない外国製品が手に入れられることから、闇両替がかなり前から行われていました。そのようなブラックマーケットにはどういうわけかウイグル人が多数かかわっていて、外国人が泊まるホテル前などでは「チェンジマネー?」といって近づいてくるウイグル男性が多数いたものです。

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<京倫飯店>P-30/A28mm

夕食後にホテルに移動します。翌日から過酷な旅が続くことになります。

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2021年3月20日 (土)

松屋のワンコインランチ

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<桜ではありません>PowerShot

暖かくなってきましたね。1都3県の緊急事態宣言も終わりになるようです。いい加減自粛生活飽きましたです。

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<松屋>PowerShot

用事ついでに立ち寄ってみました。市内の大学近くにある松屋ですね。

普通の生活であれば、この大学の学生や留学生が働いているはずですが。

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<キムカル丼>PowerShot

松屋は店舗限定でたまに特別なメニューを出します。シュクメルリ鍋定食とかビーフステーキ丼だったり。

それをちょっぴり期待してやってきましたが、この店はやってないようです。ということで、リーズナブルに見えるキムカル丼にしました。

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<キムチとカルビ>PowerShot

ごはんの上に豚肉とキムチがのり、刻んだ青のりもトッピングされております。

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<味噌汁>PowerShot

これも付きます。これで、500円という安さ。かつやのかつ丼、ほぼ同一価格ですが、味噌汁はつかないよな。

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<紅生姜トッピング>PowerShot

キムチはともかく、カルビって明確な定義が日本ではなされてないようです。「チコちゃんに叱られる」でやってました。だから、これで問題なし。

松屋は卓上に豊富な調味料を用意してます。特に焼肉関係でいろいろなタレがあります。今回は使いませんでしたが、そばの焼肉定食を食べている人は、一切れずつ違うタレをその都度使ってたな。小皿に取ればいいんじゃねとか思いました。

「昼ごはん」とはいうものの、最近昼は麺類が定着してまして、ごはんものは久しぶりでした。

松屋のキムカル丼、割と美味いです。ワンコインってのがいいですよね。

おまけ

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<道しるべ>PowerShot

町田の中心部に出てみました。

コロナの影響なんでしょうか、いろいろ変化があります。ここでも取り上げた「はなまるうどん」は店舗がなくなってました。

某百貨店内に45年近く店舗のあった市内の有名書店が撤退。空いたところには4月に紀伊国屋書店が入るんだとか。

もっと歩き回ってみたらさらに変化に気づくでしょうけど。

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2021年3月18日 (木)

追悼・村上ポンタ秀一

かすてら音楽夜話Vol.108

Ponta

村上ポンタ秀一氏が、お亡くなりになりました。まだ、70歳という若さでした。

若すぎる死はとても残念ですが、ポンタさんが関わった音楽でにぎやかに送り出そうと思います。

ポンタさんはドラマーで、音楽業界にかかわりだしたのは赤い鳥からです。ギターの大村憲司氏に惹かれ、赤い鳥のオーディションを受けてドラマーとしてデビューします。

 

赤い鳥で「翼をください」でした。

今や、音楽の教科書にも載る「翼をください」ですが、ロックのアレンジをされたヴァージョンです。このようなセッションができるのも大村氏とポンタさんが入っていたからですね。

オリジナルメンバーでは絶対に無理です。

ちなみに、この映像を初めて見たのは、2000年の元旦に放送されたTVK(テレビ神奈川)の「ライブ帝国」第二部でした。もっとも、ワタクシは当時香港に出かけていて、予約録画(もちろんビデオテープによる録画)いたしました。

後年、この番組をレコーダーのハードディスクにダビングし、現在ではDVDに焼き直して保存しております。この番組にはかなり古いライヴ映像が放送され、お宝物です。年に1度でいいので、またやってくれないでしょうかね。

さて、ワタクシが村上ポンタ秀一という名前を知るきっかけとなったのが、1989年に放送が始まったTBS「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称「イカ天」)でした。ポンタさんはここで審査員を務めていたんですね。

番組自体は10組のアマチュアバンドからその週のチャレンジャーを決め、前週の「イカ天キング」と対決するという、勝ち抜きの番組でした。当時の審査員には伊藤銀次、吉田健、中島啓江などの辛口審査員がいて、応募してきたGLAY(デビュー前)などもばっさりと切り捨てるという具合でした。

決して商業ベースに寄り添った番組ではないのですが、そんな中からもデビューが決まったバンドもかなり多かったです。

イカ天関連のイベントもあり、そんな中なら審査員による演奏というものもありました。

 

司会の三宅裕司と相原勇も参加してます。

メンバーはPANTA(Vocal)、田中一郎(甲斐バンド、Guitar)、鳴瀬喜博(カシオペア、Bass)、難波弘之(Keyboard)、森雪之丞(作詞家、Keyboard)、斎藤ノブ(Percussion)、今野多久郎(Kuwata Band、Percussion)。ドラムはもちろんポンタさんです。

楽しそうですね。天国でも大村さんとセッションしてくださいね。

★リクエストご意見お待ちしております。いいねとコメントもよろしくお願いします。

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2021年3月16日 (火)

元旦観光から帰国

ソ連があったころのウズベキスタンツアーから(10)

軽食を取ったのち、バスでタシケント市内観光です。

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<ナヴォイ劇場>ME Super/SMC50mm

ソ連自慢の劇場でタシケント大地震にも耐え、避難者を収容することができたというものです。でも、実際にはソ連に捕虜で連行された旧日本兵が建設したものです。

正確にいうと、強制労働ということになり国際法違反になりますが、旧日本軍も同じようなことを行っておりました。劇場の内部までは入ることができませんでしたが、日本語の碑文は読むことができました。

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<トラム>ME Super/SMC50mm

当時は交通機関の撮影も禁止になってましたが、ガイドが目を離しているときこっそりとトラムを撮影しました。

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<巨大広場>ME Super/SMC50mm

次に向かったのはとても広大な広場でした。全然観光名所ではありませんが、びっくりしました。

のちに訪れることになる北京の天安門広場も広大に感じましたが、ここは周囲にほとんど建築物がなく、一層広く感じました。わずかに建っているビルにはカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの肖像画が掲げられていました。その真向かいにはレーニンの像がありました。

さすがにレーニン像はウズベキスタン独立後に撤去されたと思いますが。

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<記念撮影>ME Super/SMC50mm

その広場の中心で記念撮影です。この日のガイドは朝鮮族のPさんでした。我々が初めてタシケントにやってきたとき、別のツアーの現地ガイドをやっていた人です。はっきりいって我がスルーガイドのG嬢よりも日本語は達者でした。

なんと、これでこの日の観光は終了。バスでホテルに向かいます。

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<タシケントのメドレッセ>ME Super/SMC50mm

あとは再びハバロフスク経由で帰るだけなのですが、だいぶ時間がありバーで一緒になるメンバーで先ほどの広場を再び目指すことにしました。まずは地下鉄に1駅乗ります。

ただし、場所は違うところでした。まず目に入るのは神学校です。

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<バザール>ME Super/SMC50mm

少し歩くとバザールに入りました。女性たちは花などを購入してました。ここも新年のにぎやかさを見せていましたが、道端には酔っぱらったのが倒れて動かなくなった男性もいたりしました。

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<交代式>ME Super/SMC50mm

またしばらく進むと、公園のようなところに入ります。すると、制服らしきものを着た少年と少女たちが行進してきて止まります。

そこには燃え盛る火がありました。よくはわかりませんが戦没者を祈念する炎なのではと思いました。その炎は数名で警備され、たった今交代式が行われるところでした。

今となっては場所が特定できないのですが、もしかすると当時のコムソモール公園、現在のナヴォイ公園になるのかもしれません。

ここから徒歩で戻り、夕食を取って、深夜便でハバロフスクへ。ハバロフスクでは朝食のためにまたもホテル・インツーリストへ。そして空港に戻り、G嬢とはお別れです。

ちなみに、空港男子トイレ(個室)の状況は全く改善されてませんでした。ワタクシは鍵もかかり便座もあるトイレを使ったのですが、使用後に水が流れないということに気づかされたのでした。

小さいながらも免税店がありアルメニアコニャックをゲットしたことはいうまでもありません。イミグレのKGB職員も来た時よりは穏やかそうでした。

その後のフライトは順調で新潟で解散です。東京方面へ向かう人たちとタクシーをシェアし、同じ新幹線で戻ったのでした。<完>

★しばらく経ったら、やっぱりプライベートツアーによるチベットをレポいたします。

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2021年3月13日 (土)

卒業ソング

かすてら音楽夜話Vol.107

3月は別れの季節ですかね。学校を卒業する、というケースが最もポピュラーかと思います。

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<チュラロンコン大学の卒業生>KP/DA18-50mm

卒業をテーマにした定番の曲というと、ユーミンの「卒業写真」ということになりますかね。この曲は1975年の荒井由実時代にアルバム『Cobalt Hour』に収録された曲で、シングルカットはされておりません。

ですが、フォークグループ「赤い鳥」から派生したハイ・ファイ・セットのデビューシングルとしてリリースされた曲でもあります。残念ながらチャート記録は不明ですけど、今や誰もが知る曲でございます。ちなみに、赤い鳥から分裂したもうひとつのグループは「紙ふうせん」です。

ハイ・ファイ・セットは男女3人組で、山本潤子、山本俊彦、大川茂というメンバーです。二人の山本さんは夫婦ですが、グループ解散後、夫の俊彦氏はお亡くなりになりました。大川氏については、wikiで調べてください。音楽活動からは離れているはずです。

 

現在ユーミンの公式YouTubeチャンネルに「卒業写真」は上がっておりませんで、ではハイ・ファイ・セットかとも思いましたが、すでに解散し音楽活動から離れた人たちですので、公式的な映像はありませんでした。

その中でも比較的コンディションのいいものが、山本潤子氏のソロ映像でした。ハイ・ファイ・セット時代も彼女がリードヴォーカルです。現在、無期限活動停止中といいますが、「赤い鳥」時代の「翼をください」では個人的には歌よりもその美貌にたまげたでございます。

ま、「卒業写真」はかなり前の曲なので、このブログの読者はともかく、一般的には次の曲が広く浸透してきたのではないでしょうか。

 

と、いうことで、レミオロメン「3月9日」(作詞作曲:藤巻亮太 編曲:レミオロメン)でした。

リリースは2004年とかなり前で、オリコンチャートでは11位となっております。ただし、この曲は翌年のテレビドラマで使用されたため、再びチャートインするというロングヒットになりました。

映像では卒業式と結婚式のシーンがあるのですが、レミオロメンの3人の友人の結婚式をテーマにした曲なんだそうです。

映像で出てくる女子高生は堀北真希です。それも、今となっては貴重ですね。

なんかもう、すっかりと「3月9日」が卒業ソングとして定着している感じですけど、自分の場合を振り返ると、3月初旬に卒業式やってたっけという思いはあります。もう1週間は遅かったような。

さて、あなたの卒業ソングは何ですか?

★引き続き曲のリクエストやテーマを募集しております。いいねとコメントもお願いしますね。

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2021年3月12日 (金)

タシケントの年明け

ソ連があったころのウズベキスタンツアーから(9)

ヒヴァからウルゲンチに戻りホテルで昼食をとって、国内線でタシケントへ移動。まったくあわただしいツアーです。

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<ホテル・ウズベキスタン>ME Supre/SMC50mm

宿泊するのはHotel Uzbekistanでした。2日目にハバロフスクから移動し、観劇後に夕食を取ったホテルです。ここは現在も存続するところのようです。

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<ツアー一行>ME Super/SMC50mm

この日は大みそかで、夕食は観劇をした劇場のホールのような場所に招かれました。バンドも入り、ほかのツアーも一緒です。いつになく豪華な料理も用意され、通常の食事では用意されない豊富なアルコール類も大盤振る舞いされました。

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<アルメニアコニャック>*イメージです

ソ連で酒というと現在のロシア時代になってもウォッカでしょうが、アルメニアコニャックの味を覚えてしまった我々は、こればっかりを狙っていました。

これをショットグラスに入れて、氷をひとかけら浮かべたものは最高でした。

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<ダンスが始まる>ME Super/SMC50mm

そのうち、バンドがアップテンポの音を流し始め、自然とダンスの輪が出来上がりました。

冒頭でほかのツアーと書きましたが、日本からのツアーだけじゃないんですね。おそらく、この日タシケントに滞在していた外国人のツアー客はすべてここにやってきたものと思えます。ダンスの輪は当然、国籍不明の人も入り混じり、ふと気づくと同室のO氏が率先して踊っておりました。結構お調子者だったんだね。

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<プロフ>*イメージです

このようなものも出たと記憶してますが、やがて記憶も薄れていきました。

さて、翌朝。頭痛がするほど飲んだらしいです。気づくと同室のO氏はいません。鍵を自らかけて外出したようです。

当時のホテルですが、2名の部屋でも鍵はひとつのみ。そして、ソ連式というか、鍵は各階にある詰所のようなところに預けることになってます。ま、O氏が鍵を預けたかは不明ですが、ワタクシは閉じ込められた形になりました。この形式は中国などでも見られました。

仕方がないのでシャワーでも浴びようとしましたが、錆びた色の水が流れるのみでした。

その後、O氏も戻ってきました。

さて、朝食ですが、この日(元旦)は用意ができないといいます。これも、新年のため従業員も少ないからではないでしょうか。しかし、「全食事つき」ツアーですから、交渉してスナックのようなところで軽食を食べることができました。

続きます。

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2021年3月 9日 (火)

歌うドラマー

かすてら音楽夜話Vol.106

ロックバンドの花形は何といってもリードヴォーカルですね。Led Zeppelinでいえば、Robert Plant(ロバート・プラント)です。日本のGS、ザ・タイガースでいえばジュリーこと沢田研二(たとえが古くてすいません)。

もうひとり目立つ人間は、リードギター。ツェッペリンでいえば、Jimmy Page(ジミー・ペイジ)。ザ・タイガースでいえば加橋かつみ。

残ったベースとドラムス、キーボード担当は淡々と演奏する人というイメージです。

ではあるのですが、ドラムスという存在、意外と目立つのです。なぜならバンドのリズムの中核であり、奥ではありますがバンドの中央にどっしりと構えております。また、演奏中はずーっと叩き続けているわけですよね。それも、力仕事ですから、汗を滴らせながら。ましてや、ドラマーがリードヴォーカルを担当すると、誰もがドラマーから目を離せなくなります。

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この、Don Henley(ドン・ヘンリー)、Eagles(イーグルス)のドラマーにして、Glenn Frey(グレン・フライ)と並ぶ二大ヴォーカリストです。最も有名なのが、「Hotel California」でございます。

イーグルスの公式YouTubeチャンネルは存在しないようで、数多くのライヴ映像が上がっているものの、やがて削除される運命。ここでは取り上げませんけど、全盛期の演奏はもう完璧です。

Grandfunk

こちらは、Grand Funk(グランド・ファンク)。かつては、Grand Funk Railroadとも名乗っておりました。彼らは2曲のビルボード1位曲を生み出しましたが、カバーの「Loco Motion」ではなく、初の1位に輝いた「We Are An American Band(邦題:アメリカンバンド)」では、ドラムがリードヴォーカルでした。

とはいえ、「ホテル・カリフォルニア」に匹敵する日本での知名度というと、この曲でしょう。

 

ということで、1975年の全米3位、jigsaw(ジグソー)で「Sky High」でした。

この曲は香港・オーストラリア合作のアクション映画「The Man From Hong Kong」の主題歌です。それよりも、日本では全日本プロレスに参戦していたメキシコ人覆面プロレスラー、ミル・マスカラスの入場曲で使用されて一気に有名になったと思います。

ジグソーのヒット曲はこれだけなんですが、40年以上たった現在でもイントロを聴けば「スカイハイ」とわかるくらいです。それだけインパクトがありますし、曲がいいですよね。プロレス以外でも野球選手の選手紹介時のBGMに使用されたりしております。

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一方、日本では、浜田省吾がドラマー出身として有名です。

浜省は愛奴(あいど)というグループでデビューしました。しかし、生粋のドラマーというよりは、愛奴のメンバーには青山徹、町支寛二などの上手なギタリストがいたため、泣く泣くドラムに回ったというのが真相です。彼らは吉田拓郎のバックバンドを一時期務め、後年のコンサートでは浜田がドラムを務め、「浜田、ドラムが上手くなったな」といわれています。

ですが、愛奴はメンバーチェンジでドラムに岡本あつおを起用し、浜田はパーカッションに転向後、愛奴を脱退し、ソロミュージシャンとなりました。

その他、山崎まさよしがアマチュア時代はドラマーだったり、鈴木祥子が原田真二のバンドでパーカッションを担当していましたが、1983年のヤマハのEastWest地区大会で女性最優秀ドラマー賞を受賞しています。

生粋のドラマーというと、ジャニーズ事務所に所属していてのちにCharのバックでドラムを叩いていた、辻野リューベンという人がいます。日英のハーフでそのルックスに目を付けた芸能事務所が彼をドラムス兼リードヴォーカルに起用した「リューベン&カンパニー」というバンドもあるのですが、ここでは割愛します。

おそらく、日本で歌うドラマーとして最も有名なのがこのバンドではないでしょうか。

 

1985年のオリコン2位、C-C-Bの「Romanticが止まらない」(作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀・C-C-B)でした。

この曲は作曲の筒美がドラムの笠浩二の透明感のある声を気に入って、バンド内であまり目立つ存在ではない笠を起用しました。また、本来のサビの部分を笠が歌いやすいように勝手に変えてしまったのですが、筒美は「それで行こう」とOKを出しました。

ピンクに染めた髪とピンクのメガネ、シンセドラムと、今にして思えばかなり際立った存在ですけど、このあたりくらいから「二枚目キャラ」が影を潜め、個性的な人物が台頭してきたように思います。

と、いうことで、洋の東西の「歌うドラマー」でした。

★取り上げてほしい曲やシンガー、グループなど洋楽・邦楽問わずリクエスト受け付けます。また、記事が心に残りましたら、イイねとコメントもお願いいたします。待ってます。

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2021年3月 8日 (月)

Welcome To Cafe de Castella

Cafe de Castellaにようこそおいでくださいました。

当ブログですが、旅に関するもろもろと、音楽話を中心に記事にしております。

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旅に関してですが、本来であれば海外に出た時の超マクロ的な観点から、人物や食べ物、交通機関など個人的に気になる様々なことをレポしたものとなっております。しかし、このコロナ禍においては、渡航もままなりませんので、ご近所グルメや国内ミニトリップなども取り上げつつあります。

音楽に関してですが、「かすてら音楽夜話」と題して、自分が聴いて大好きだったり、思い入れのある曲や演者・作者について好き放題に語っております。現在、過去ログを修正し、新たな映像を付け直しているところです。

もともと、旧Nifty Serveの某会議室(旅系のFworldと音楽系のFbeat)で夜な夜な投稿しておりました。

ブログはやや時代遅れの発信場所だとは思いますが、書き手と読者のやり取りに醍醐味を感じます。

非常に垣根の低いブログでございます。感じるところがありましたら、♡(イイね)をクリック。さらには、コメントを頂けると、筆者は飛び上がって喜ぶ所在でございます。

古い記事であっても、読者の方からの反応があると書き手にとってはやりがいが出ますので、よろしくお願いいたします。

↓最新記事はこの下から始まります。

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2021年3月 7日 (日)

大晦日のヒヴァ

ソ連があったころのウズベキスタンツアーから(8)

★今回は画像あります。

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<イチャンカラ入場>ME Super/SMC28mm

泊まったウルゲンチはホレズム州の州都で、かつてのヒヴァ汗国の拠点となったヒヴァまで35kmという近さです。ウズベキスタン独立から観光に力を入れ始め、ヒヴァの旧市街「イチャンカラ」にも数多くのホテルができたようですが、ソ連時代は外国人観光客を受け入れられる内容のホテルはなかったと思われます。

そのため、ウルゲンチに泊まることになったようです。

ウルゲンチからバスで移動します。いよいよ、ヒヴァの観光です。向かっているルートの近くにウズベキスタン内の大河であるアムダリアが流れているはずですが、まったく見えませんでした。

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<カルタ・ミノル>ME Super/SMC28mm

ヒヴァ内ではすべて徒歩で回りました。すぐに現れたのがカルタ・ミノルという未完成のミナレットでした。

しかしこのミナレットは未完成ながら色も形もいいため地元ではかなり親しまれているミナレットだそうです。

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<イスラム・ホジャのミナレット>ME Super/SMC28mm

ヒヴァの建築物の保存状態の良さは地の利にあったといえましょうか。ウズベキスタンの中でもかなり奥まったところにあり、ロシア帝国~ソ連の侵攻も容易ではないためでしょうか。夏は砂漠、冬はぐっと寒くなるため戦意をそがれることもあったでしょう。

ヒヴァ汗国は20世紀に入っても生き延び、君主は好き放題なことができたようです。美しい建築物を作っても、その設計士や建築家は他国でそれ以上のものを作らせないために、殺されたとか。近代になっても中世あたりの考え方が残っていたみたいです。

イスラム・ホジャの塔には登ることができました。この手の塔は螺旋階段となっていて、上部に行くほど狭くなり苦労して登りましたが、薄暗い電気が照らしているだけですぐに降りてきました。しかも、灯り取りようの煉瓦製の小窓はもろくなっているため寄りかかってはだめという注意も受けてました。

現在の基準では登ることができないはずですが、現在も公開中なので補強されたのでしょう。

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<メドレッセのタイル>ME Super/SMC28mm

建物部分はメドレッセであったところですが、博物館になっていました。その内部はイスラム文様のタイル造りでした。

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<記念撮影>ME Super/SMC28mm

ここを出る前に記念撮影です。右の毛皮の帽子の女性がヒヴァの現地ガイドです。

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<アラクリ・ハーン・メドレッセ>ME Super/SMC28mm

そのあとは、いくつかのメドレッセ巡りとなります。

この内部にはキャラバンサライもあり、この時は商店がいくつか入っていました。

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<クトゥル・ムラド・イナック・メドレッセ>ME Super/SMC28mm

東門のあたりのこの建物はかつて奴隷市場があったといわれています。

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<タシュ・ハウリ宮殿>ME Super/SMC28mm

こちらにはハレムがあったとのこと。

この日は天気がぐずりがちで寒くはなかったものの、説明をきき、写真を撮るというパターンの繰り返しでした。

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<若いカップル>ME Super/SMC28mm

バスに戻るとき、このような人に出会い、写真撮影も応じてくれました。現在もウズベキスタンの結婚式はウエディングドレスとスーツというのが定番のようです。

続きます。

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2021年3月 4日 (木)

移動エピソード

ソ連があったころのウズベキスタンツアーから(7)

★オリジナル画像がほぼありません。ほとんどをネットで拾いました。

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<サラダ>*イメージです

ブハラのホテルで昼食を取り、あわただしく飛行機移動です。

この日はブハラを経由して、ウルゲンチまで行きます。しかし、直行便がなく2度目のタシケント乗り継ぎです。

機内ではスルーガイドのG嬢と隣になりました。G嬢は日本語の日常会話には不足はありませんが、いかんせん日本のことを知らなすぎます。ということで、いらん会話を続けました。主にB級の日本映画のことです。

まるで宙を舞うような表情でききいっていたG嬢ですが、その後ほかのツアーメンバーにもその主人公のことをきいて回っていたそうで、悪いことをしたなと思いました。自分にとってはいい暇つぶしができましたが。

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<ベリョースカ>*イメージです

さて、再びのタシケントでしたが、乗り継ぎまで時間があります。ここで添乗員のH氏がインツーリストと交渉し、ベリョースカという外国人専用の土産物店に行くことになりました。

いわばかつて中国にもあった友誼商店、ミャンマーにあったとされるドルショップみたいなところです。外国人が自国の通貨で物品を購入できる、外貨稼ぎのためのショップですね。とはいえ、ここで購入できる商品はのちに日本でもフリークが出現するような西側のブランド物は全くなく、土産にもらっても困るようなものばかりです。いわば、ソ連側が「いいだろう」と思うものが日本人をはじめ外国人には受け入れられないギャップのある店なのでした。

さすがにこういう店は世界中で姿を消したかな。もしかすると、北朝鮮とキューバにはまだあるかもしれませんけど。

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<アイスクリーム>*イメージです

ここでは何も買わず、暇を持て余しましたが、またしてもアイスクリーム売りが登場し、いくばくかのカペイカ(ルーブルの下の単位)でひとつゲットできました。

添乗員のH氏ですが、ほかの国のツアーでは英語を使い活躍できるようですが、ソ連では英語自体が話されないため自身の仕事がなくかなり不満がたまっていたようです。日本人だけの時には「だから会社にはロシアは嫌だっていったんだよ!俺は飛ばされた!」と嘆いておりました。

さて、空港に戻りウルゲンチへ飛びます。今回は時間のロスもなくスムーズでした。

ホテルに移動し、ようやく休めます。事務手続きの間にトイレに行くと、見慣れない和式便器に似たものがありました。これが初めて対面するトルコ式トイレなのでしたが。ちなみに、部屋は割と広くトイレはもちろん洋式でしたが。

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<その時のホテルか?>*イメージです

宿泊したのはホテル・ホレズムといいました。現在確認できるのはホレズムパレスというホテルがあることです。おそらく、そこなんでしょうが、もっと古臭い外観でした。

ちなみに、サマルカンドで泊まったホテル・サマルカンドは確認できず、すっかり名前が変わってしまったようです。ハバロフスクのホテル・インツーリストはまだあるようです。

ここで夕食を取り、いつもの通りにホテルのバーに行くと、タシケントやサマルカンドほど都会ではないためか、半分民族衣装のような髭と帽子を被った男性陣がぎっしりといました。ソ連時代は宗教自体を圧迫していて、イスラムの戒律の一つ「飲酒」についても寛容だったみたいです。

現在でも下川裕治氏はウズベキスタンでラマダン中の昼間にビールをラッパ飲みし、足りなくなるとウォッカを注文するムスリムを何人も見たとのことです。

とはいえ、この状態では話もできず、H氏の部屋に各自アルコールを持参し集合ということになりました。彼は用意がよく、簡易燃料も持参して水道水を沸かし、水割り用の飲み水を作っていたのでした。

この時代、探せばあったでしょうが、誰もミネラルウォーターを買うということをしませんでした。自分自身もわざわざミネラルウォーターを買うようになったのはずいぶんと後のことです。

続きます。

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2021年3月 2日 (火)

夜行寝台でブハラ

ソ連があったころのウズベキスタンツアーから(6)

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<ラグマン>*イメージです

市場から戻ってホテルで夕食です。

ウズベキスタンの定番、ラグマンは毎回出たと記憶してます。この次のツアーで訪れた新疆ウイグル自治区ではラグマンの記憶があまりないのですが、あちらでは呼び名が変わるのでラグマンとしての記憶が曖昧なのかもしれません。どちらかというと、新疆ウイグル自治区では羊肉の料理が多くて、それに苦しめられたという印象が強すぎかも。

ウズベキスタンのラグマンですが、焼いたものやスープなしの麺に具をのせたものもあるようです。この時は冬場だったためか「汁ラグマン」がほとんどでした。

さて、普通ならこの後バーに行ってアルメニアコニャックを飲み、三々五々部屋に戻るのですが、この日は夜行列車でブハラに移動となります。

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<コンパートメント>*イメージです

ツアーなので自分で荷物を持つことなく、バスで駅に移動します。当然ながら駅も撮影禁止の対象ですので、画像なしです。

乗り込むときには自分で荷物を入れたのではないかと思います。4人1室のコンパートメントです。夫婦も2組いましたが、ここでは完全に男女別となりました。

今もそうかもしれませんが、ソ連の寝台車はかなり天井が高いです。荷物置き場は下段ベッドの下と、コンパートメント入口のすぐ上になります。特に上に重いスーツケースを持ち上げるのは無理があるので男性陣が行いました。

ようやく落ち着いて普通なら眠るところですが、バザールに行ったメンバーがひとつのコンパートメントに集合して酒盛りとなりました。6名くらいは楽に座るスペースがありますから、問題ありません。持ち込んだ酒はいずれも各自が新潟空港で購入してきた免税品です。ここで、コンパートメントの入口を閉めたのですが、誰かがフラッシュ撮影した光が漏れたためか、外からロシア語で注意らしきものがありました。車掌です。

一応、車内も撮影禁止なんですね。飲酒は大丈夫でしたが。とはいえ、フィルムを抜き取るということはなく、大目に見てもらえたようです。

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<ホテルに到着>ME Super/SMC50mm

きっちり眠ったのかどうか。ともかく無事に列車はブハラに到着し、バスでホテルに移動しました。しかし、このホテルには泊まらず朝食と昼食を取っただけでした。荷物はバスの中です。

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<カラーンのミナレット>ME Super/SMC28mm

ホテルから再びバスでブハラ歴史地区まで運ばれあとは徒歩で回る。ブハラはサマルカンド以上にコンパクトな都市のようですが、泊まらないのでほとんど駆け足で詳しく覚えていないというのが正直なところです。

カラーンモスクはチンギスハーンに破壊されその後再建されたとのことですが、ミナレット(尖塔)だけは破壊できずに残ったそうです。

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<ミルアラブメドレッセ>ME Super/SMC28mm

こちらは現役の神学校です。しかし、内部は覗くことはできませんでした。当時のソ連の政策により宗教に関しては制限を加えていたため、子の神学校も人気がないとのことでした。

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<タキザラルガン>ME Super/SMC28mm

このドーム状のものはタキと呼ばれる交易所です。もちろん内部は暗くここで宝石類の取引をしたそうです。この時は機能してなかったのですが、復活したかどうか。

このような建築物はイランをはじめ中東によくあります。

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<バラハウズモスク>ME Super/SMC28mm

バスに戻り少しだけ移動しました。

こちらは木製の列柱のあるモスクで非常に珍しいです。この前に池があり池を「ハウズ」と呼ぶそうです。その池は「リャビハウズ」と呼ばれているそうです。

そして、またバスでちょっとだけ移動します。

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<イスマエル・サマニ廟>ME Super/SMC28mm

ようやく陽が高くなってきました。公園の中にある、ペルシャ系のサマーン朝2代目君主の霊廟だそうです。

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<公園内のバザール>ME Super/SMC28mm

公園の中にはバザールがありましたが、舗装されてなく土がむき出しです。ここでペリメニでしょうか、餃子のような形の食べ物も売っていました。

記念撮影をしようとすると、入ってきたおじさんが。現在のインドなどにも通じますね。

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<アルク城塞>ME Supre/SMC28mm

こちらはソ連侵攻前までブハラ汗国の君主が居住していた城です。大半が破壊され、この部分が残っています。

駆け足の約3時間。せめて泊まっていればと思いますが、JTBとインツーリストが作った日程には逆らえません。このあと、ホテルに戻り昼食を食べ再びの移動です。

続きます。

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