陸路でチベット
西寧~ラサ、高山病と戦う旅からのエピソード(1)
<様々な仏陀>K-7/FA35mm*イメージです
旅ネタが尽きておりますので、予告通りチベットについて連載いたします。
前提として
・前回の旧ソ連ウズベク共和国の旅から6年ほど経過しております。旅のテクニックはついてきましたが、相変わらず自分で手配して渡航するよりも、いかにして秘境を回るかということに主眼を置いておりました。したがって今回もツアーでございます。
・とはいえ、このツアーは大手旅行会社の主催によるものではなく、かつて参加した新疆ウイグル自治区のツアーで中国にはまってしまった参加者の企画を実現したものです。その方が旅行を重ねて人脈を築き、中国を専門とする添乗員を起用し、中国好きのメンバーに声をかけて実現したものでした。このツアー後も同様のツアーが数回組まれ、自分も4回ほど参加することになりました。
・またもや「昭和」に近い、1990年代初頭の時代ですので、当然ながらスマホはおろか携帯電話もデジカメもない時代のことです。
・また、カメラは一眼レフ1台にレンズ2本という体制です。幸いフィルムはフジのリバーサル10本とコダックのリバーサル6本、コダックのネガカラー1本(こちらは現地購入かもしれません)で、かなり枚数は増えました。今回も惜しんで撮りましたが、天気が良かったので使える写真は多いです。食事はほとんど撮ってませんが。また、カメラはオートフォーカスではなく、自分でピントを合わせる機種でした。この旅で、同室となった方がオートフォーカスのEOSを使用していて、それに触発されて帰国後オートフォーカス一眼レフを購入しました。
・知り合いも多いので登場人物は仮名にいたします。
・移動は北京-西寧とラサー成都、成都ー上海のみ航空機で、あとはすべてバスでした。
・ブログのカテゴリー上は「01d China」とさせていただきます。他意はありません。
<北京首都空港>PENTAX P-30/SMC A50mm
強引に組み立てたツアーだからか、中国へのアクセスは、羽田から大阪国際空港に飛びます。当然ながら関空はできてませんでした。
国内線から国際線への乗り継ぎですが、名古屋から2名が参加ということで、羽田から伊丹まではオプションのような感じになり、預け荷物はスルーではなくいったん引き取ってから改めて預けなおすことになりました。
添乗員はNさんという女性で、中国語が堪能で中国人相手にも一歩も引かないという心強い方でした。また、新疆ウイグル自治区のツアーの時に参加していたHさんという男性もいまして、同室となります。
この、伊丹ー北京便に乗ってしまえば手続等は自分で行う必要がありません。
到着した北京首都空港ですが古びた感じです。空港の建物から飛行機へ直結のブリッジが付けられることもなく、タラップを降りてバスに乗ります。新空港はなんと、2019年に完成し運用が始まったそうで、まだまだ現役の空港です。
機体の表示でわかるでしょうが、時はバルセロナオリンピックの真っ最中でした。日本が獲得した金メダル3個(水泳の岩崎、柔道の古賀と吉田)はすでに取り終えた後でひどく盛り上がりに欠け、テレビの映るところでもオリンピック中継は見なかったと思います。
<擁和宮>P-30/A50mm
我々が向かったのは北京に唯一あるラマ教寺院、擁和宮でした。このあと、メンバーの自己紹介を夕食時に行いましたが、いずれも中国好きで中国に複数回来ている人たちばかりでした。ちなみに、ワタクシは2回のみ。皆、旅慣れているというかツアー慣れしているものの、ひとりでは旅の手配もままならないとは思いますが、ツアーの日程とかホテルの状態などに関しては堂々とクレームを入れられるような人物が多かったです。
そういうメンツなので、ありきたりの天安門広場、故宮などは満足できないという配慮でしょう。
<擁和宮>P-30/A50mm
チベット寺院ということでしたが、あまり建物の中には入らず、のちに気になるヤクバターの燈明の匂いは感じませんでした。
このあと、王府井(ワンフーチン)でフリータイムとなりますが、まだ両替をしていません。でも、用意のいいメンバーは使い残しの中国元の兌換券を用意して何やら購入していたようです。
ちなみに、兌換券(FEC、Foreign Exchange Certificate)とは、外国人旅行者に向けて両替時に渡される紙幣で、原則的には人民元と等価です。しかし、一般の商店などでは使用できず、ホテルや免税店などごく一部で使用できるシロモノです。このシステムは1995年まで継続されました。
とはいえ、FECは一般人民の一部には存在が知られていて、外国通貨に両替できることや、一般商店では手に入らない外国製品が手に入れられることから、闇両替がかなり前から行われていました。そのようなブラックマーケットにはどういうわけかウイグル人が多数かかわっていて、外国人が泊まるホテル前などでは「チェンジマネー?」といって近づいてくるウイグル男性が多数いたものです。
<京倫飯店>P-30/A28mm
夕食後にホテルに移動します。翌日から過酷な旅が続くことになります。
| 固定リンク | 1
「01d China」カテゴリの記事
- ラサ最終日、ジョカン寺など(2022.06.12)
- ラサ最終日、ジャマリンカ(2022.05.19)
- デプン寺でおっさん軍団と戦う(2021.12.21)
- ノルブリンカとパルコル散策(2021.12.11)
- セラ寺と鳥葬(2021.12.04)
コメント
私は海外にパッケージツアーで行った事が1度もないんですね(^^;。かなり稀有な事例かもしれませんが(^^ゞ。
だって、一番最初に海外で行きたかった場所ばミュンヘン→ミラノ→ドルトムントとフットボールの観戦だったので(笑)。絶対ツアーは無かったです(^^;。特にドルトムントは(^^;)。
>旅慣れているというかツアー慣れしていてひとりでは旅の手配もままならないとは思いますが
こういう方々って言葉の問題なんですかね?
それとも、手配するのが面倒くさいからパッケージツアーなんですかね?どちらが多いのかな(・・?
投稿: おりんぴあ | 2021年3月22日 (月) 22時29分
おりんぴあさん。
コメントありがとうございます。
やはり昔はパッケージツアーを使うのも多かったでしょうね。
でも、最近はほぼ使ったことのない人のほうが大半でしょうね。
ツアーを使うのはめんどくさくなくていいとか、手配する時間がないとか、いろいろ理由はあると思います。
使ってしまえば便利なのでそれに慣れきってしまい、そのくせ満喫したいからどんどん、クレームを入れるという構図が出てきますね。
言葉の問題ではないと思いますよ。
この旅でも中国語が堪能な参加者はいましたし。
自分の場合は「見たいところを自分のペースで見たい」とか「食事の時くらい知らないあんたにプライベートな話をきかされたり、質問されたくない」というあたりから、個人旅行となりました。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年3月22日 (月) 23時12分