元旦観光から帰国
ソ連があったころのウズベキスタンツアーから(10)
軽食を取ったのち、バスでタシケント市内観光です。
<ナヴォイ劇場>ME Super/SMC50mm
ソ連自慢の劇場でタシケント大地震にも耐え、避難者を収容することができたというものです。でも、実際にはソ連に捕虜で連行された旧日本兵が建設したものです。
正確にいうと、強制労働ということになり国際法違反になりますが、旧日本軍も同じようなことを行っておりました。劇場の内部までは入ることができませんでしたが、日本語の碑文は読むことができました。
<トラム>ME Super/SMC50mm
当時は交通機関の撮影も禁止になってましたが、ガイドが目を離しているときこっそりとトラムを撮影しました。
<巨大広場>ME Super/SMC50mm
次に向かったのはとても広大な広場でした。全然観光名所ではありませんが、びっくりしました。
のちに訪れることになる北京の天安門広場も広大に感じましたが、ここは周囲にほとんど建築物がなく、一層広く感じました。わずかに建っているビルにはカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの肖像画が掲げられていました。その真向かいにはレーニンの像がありました。
さすがにレーニン像はウズベキスタン独立後に撤去されたと思いますが。
<記念撮影>ME Super/SMC50mm
その広場の中心で記念撮影です。この日のガイドは朝鮮族のPさんでした。我々が初めてタシケントにやってきたとき、別のツアーの現地ガイドをやっていた人です。はっきりいって我がスルーガイドのG嬢よりも日本語は達者でした。
なんと、これでこの日の観光は終了。バスでホテルに向かいます。
<タシケントのメドレッセ>ME Super/SMC50mm
あとは再びハバロフスク経由で帰るだけなのですが、だいぶ時間がありバーで一緒になるメンバーで先ほどの広場を再び目指すことにしました。まずは地下鉄に1駅乗ります。
ただし、場所は違うところでした。まず目に入るのは神学校です。
<バザール>ME Super/SMC50mm
少し歩くとバザールに入りました。女性たちは花などを購入してました。ここも新年のにぎやかさを見せていましたが、道端には酔っぱらったのが倒れて動かなくなった男性もいたりしました。
<交代式>ME Super/SMC50mm
またしばらく進むと、公園のようなところに入ります。すると、制服らしきものを着た少年と少女たちが行進してきて止まります。
そこには燃え盛る火がありました。よくはわかりませんが戦没者を祈念する炎なのではと思いました。その炎は数名で警備され、たった今交代式が行われるところでした。
今となっては場所が特定できないのですが、もしかすると当時のコムソモール公園、現在のナヴォイ公園になるのかもしれません。
ここから徒歩で戻り、夕食を取って、深夜便でハバロフスクへ。ハバロフスクでは朝食のためにまたもホテル・インツーリストへ。そして空港に戻り、G嬢とはお別れです。
ちなみに、空港男子トイレ(個室)の状況は全く改善されてませんでした。ワタクシは鍵もかかり便座もあるトイレを使ったのですが、使用後に水が流れないということに気づかされたのでした。
小さいながらも免税店がありアルメニアコニャックをゲットしたことはいうまでもありません。イミグレのKGB職員も来た時よりは穏やかそうでした。
その後のフライトは順調で新潟で解散です。東京方面へ向かう人たちとタクシーをシェアし、同じ新幹線で戻ったのでした。<完>
★しばらく経ったら、やっぱりプライベートツアーによるチベットをレポいたします。
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