タシケントの年明け
ソ連があったころのウズベキスタンツアーから(9)
ヒヴァからウルゲンチに戻りホテルで昼食をとって、国内線でタシケントへ移動。まったくあわただしいツアーです。
<ホテル・ウズベキスタン>ME Supre/SMC50mm
宿泊するのはHotel Uzbekistanでした。2日目にハバロフスクから移動し、観劇後に夕食を取ったホテルです。ここは現在も存続するところのようです。
<ツアー一行>ME Super/SMC50mm
この日は大みそかで、夕食は観劇をした劇場のホールのような場所に招かれました。バンドも入り、ほかのツアーも一緒です。いつになく豪華な料理も用意され、通常の食事では用意されない豊富なアルコール類も大盤振る舞いされました。
<アルメニアコニャック>*イメージです
ソ連で酒というと現在のロシア時代になってもウォッカでしょうが、アルメニアコニャックの味を覚えてしまった我々は、こればっかりを狙っていました。
これをショットグラスに入れて、氷をひとかけら浮かべたものは最高でした。
<ダンスが始まる>ME Super/SMC50mm
そのうち、バンドがアップテンポの音を流し始め、自然とダンスの輪が出来上がりました。
冒頭でほかのツアーと書きましたが、日本からのツアーだけじゃないんですね。おそらく、この日タシケントに滞在していた外国人のツアー客はすべてここにやってきたものと思えます。ダンスの輪は当然、国籍不明の人も入り混じり、ふと気づくと同室のO氏が率先して踊っておりました。結構お調子者だったんだね。
<プロフ>*イメージです
このようなものも出たと記憶してますが、やがて記憶も薄れていきました。
さて、翌朝。頭痛がするほど飲んだらしいです。気づくと同室のO氏はいません。鍵を自らかけて外出したようです。
当時のホテルですが、2名の部屋でも鍵はひとつのみ。そして、ソ連式というか、鍵は各階にある詰所のようなところに預けることになってます。ま、O氏が鍵を預けたかは不明ですが、ワタクシは閉じ込められた形になりました。この形式は中国などでも見られました。
仕方がないのでシャワーでも浴びようとしましたが、錆びた色の水が流れるのみでした。
その後、O氏も戻ってきました。
さて、朝食ですが、この日(元旦)は用意ができないといいます。これも、新年のため従業員も少ないからではないでしょうか。しかし、「全食事つき」ツアーですから、交渉してスナックのようなところで軽食を食べることができました。
続きます。
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コメント
ホテル・ウズベキスタンはまだありますね。私も何度も泊まったことのある思い出深いホテルです。また行きたいです。
投稿: おりんぴあ | 2021年3月12日 (金) 23時52分
ソ連が存在した頃に旅に行かれたのですか?
相当に若いときですよね(笑)
私が1991年にトルコに行ったときは、消滅していたような気がしますね。
投稿: カルロス | 2021年3月13日 (土) 12時16分
おりんぴあさん。
コメントありがとうございます。
実はじっくりと部屋をチェックしてなかったんですよね。
今もホテルとして営業しているのであれば、割と快適なところなのかもしれません。
シャワーのお湯が出なかったのは、従業員が集まらなかったという特殊事情かもしれません。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年3月13日 (土) 20時24分
カルロスさん。
コメントありがとうございます。
当時、ゴルバチョフ時代でした。
徐々にペレストロイカが浸透していったような。
1991年にゴルバチョフが軟禁された8月クーデターの時は、スペインに滞在してました。
ソ連崩壊はその年末なので、まだあったんじゃないすかね。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年3月13日 (土) 20時28分