移動エピソード
ソ連があったころのウズベキスタンツアーから(7)
★オリジナル画像がほぼありません。ほとんどをネットで拾いました。
<サラダ>*イメージです
ブハラのホテルで昼食を取り、あわただしく飛行機移動です。
この日はブハラを経由して、ウルゲンチまで行きます。しかし、直行便がなく2度目のタシケント乗り継ぎです。
機内ではスルーガイドのG嬢と隣になりました。G嬢は日本語の日常会話には不足はありませんが、いかんせん日本のことを知らなすぎます。ということで、いらん会話を続けました。主にB級の日本映画のことです。
まるで宙を舞うような表情でききいっていたG嬢ですが、その後ほかのツアーメンバーにもその主人公のことをきいて回っていたそうで、悪いことをしたなと思いました。自分にとってはいい暇つぶしができましたが。
<ベリョースカ>*イメージです
さて、再びのタシケントでしたが、乗り継ぎまで時間があります。ここで添乗員のH氏がインツーリストと交渉し、ベリョースカという外国人専用の土産物店に行くことになりました。
いわばかつて中国にもあった友誼商店、ミャンマーにあったとされるドルショップみたいなところです。外国人が自国の通貨で物品を購入できる、外貨稼ぎのためのショップですね。とはいえ、ここで購入できる商品はのちに日本でもフリークが出現するような西側のブランド物は全くなく、土産にもらっても困るようなものばかりです。いわば、ソ連側が「いいだろう」と思うものが日本人をはじめ外国人には受け入れられないギャップのある店なのでした。
さすがにこういう店は世界中で姿を消したかな。もしかすると、北朝鮮とキューバにはまだあるかもしれませんけど。
<アイスクリーム>*イメージです
ここでは何も買わず、暇を持て余しましたが、またしてもアイスクリーム売りが登場し、いくばくかのカペイカ(ルーブルの下の単位)でひとつゲットできました。
添乗員のH氏ですが、ほかの国のツアーでは英語を使い活躍できるようですが、ソ連では英語自体が話されないため自身の仕事がなくかなり不満がたまっていたようです。日本人だけの時には「だから会社にはロシアは嫌だっていったんだよ!俺は飛ばされた!」と嘆いておりました。
さて、空港に戻りウルゲンチへ飛びます。今回は時間のロスもなくスムーズでした。
ホテルに移動し、ようやく休めます。事務手続きの間にトイレに行くと、見慣れない和式便器に似たものがありました。これが初めて対面するトルコ式トイレなのでしたが。ちなみに、部屋は割と広くトイレはもちろん洋式でしたが。
<その時のホテルか?>*イメージです
宿泊したのはホテル・ホレズムといいました。現在確認できるのはホレズムパレスというホテルがあることです。おそらく、そこなんでしょうが、もっと古臭い外観でした。
ちなみに、サマルカンドで泊まったホテル・サマルカンドは確認できず、すっかり名前が変わってしまったようです。ハバロフスクのホテル・インツーリストはまだあるようです。
ここで夕食を取り、いつもの通りにホテルのバーに行くと、タシケントやサマルカンドほど都会ではないためか、半分民族衣装のような髭と帽子を被った男性陣がぎっしりといました。ソ連時代は宗教自体を圧迫していて、イスラムの戒律の一つ「飲酒」についても寛容だったみたいです。
現在でも下川裕治氏はウズベキスタンでラマダン中の昼間にビールをラッパ飲みし、足りなくなるとウォッカを注文するムスリムを何人も見たとのことです。
とはいえ、この状態では話もできず、H氏の部屋に各自アルコールを持参し集合ということになりました。彼は用意がよく、簡易燃料も持参して水道水を沸かし、水割り用の飲み水を作っていたのでした。
この時代、探せばあったでしょうが、誰もミネラルウォーターを買うということをしませんでした。自分自身もわざわざミネラルウォーターを買うようになったのはずいぶんと後のことです。
続きます。
| 固定リンク | 0
コメント