大晦日のヒヴァ
ソ連があったころのウズベキスタンツアーから(8)
★今回は画像あります。
<イチャンカラ入場>ME Super/SMC28mm
泊まったウルゲンチはホレズム州の州都で、かつてのヒヴァ汗国の拠点となったヒヴァまで35kmという近さです。ウズベキスタン独立から観光に力を入れ始め、ヒヴァの旧市街「イチャンカラ」にも数多くのホテルができたようですが、ソ連時代は外国人観光客を受け入れられる内容のホテルはなかったと思われます。
そのため、ウルゲンチに泊まることになったようです。
ウルゲンチからバスで移動します。いよいよ、ヒヴァの観光です。向かっているルートの近くにウズベキスタン内の大河であるアムダリアが流れているはずですが、まったく見えませんでした。
<カルタ・ミノル>ME Super/SMC28mm
ヒヴァ内ではすべて徒歩で回りました。すぐに現れたのがカルタ・ミノルという未完成のミナレットでした。
しかしこのミナレットは未完成ながら色も形もいいため地元ではかなり親しまれているミナレットだそうです。
<イスラム・ホジャのミナレット>ME Super/SMC28mm
ヒヴァの建築物の保存状態の良さは地の利にあったといえましょうか。ウズベキスタンの中でもかなり奥まったところにあり、ロシア帝国~ソ連の侵攻も容易ではないためでしょうか。夏は砂漠、冬はぐっと寒くなるため戦意をそがれることもあったでしょう。
ヒヴァ汗国は20世紀に入っても生き延び、君主は好き放題なことができたようです。美しい建築物を作っても、その設計士や建築家は他国でそれ以上のものを作らせないために、殺されたとか。近代になっても中世あたりの考え方が残っていたみたいです。
イスラム・ホジャの塔には登ることができました。この手の塔は螺旋階段となっていて、上部に行くほど狭くなり苦労して登りましたが、薄暗い電気が照らしているだけですぐに降りてきました。しかも、灯り取りようの煉瓦製の小窓はもろくなっているため寄りかかってはだめという注意も受けてました。
現在の基準では登ることができないはずですが、現在も公開中なので補強されたのでしょう。
<メドレッセのタイル>ME Super/SMC28mm
建物部分はメドレッセであったところですが、博物館になっていました。その内部はイスラム文様のタイル造りでした。
<記念撮影>ME Super/SMC28mm
ここを出る前に記念撮影です。右の毛皮の帽子の女性がヒヴァの現地ガイドです。
<アラクリ・ハーン・メドレッセ>ME Super/SMC28mm
そのあとは、いくつかのメドレッセ巡りとなります。
この内部にはキャラバンサライもあり、この時は商店がいくつか入っていました。
<クトゥル・ムラド・イナック・メドレッセ>ME Super/SMC28mm
東門のあたりのこの建物はかつて奴隷市場があったといわれています。
<タシュ・ハウリ宮殿>ME Super/SMC28mm
こちらにはハレムがあったとのこと。
この日は天気がぐずりがちで寒くはなかったものの、説明をきき、写真を撮るというパターンの繰り返しでした。
<若いカップル>ME Super/SMC28mm
バスに戻るとき、このような人に出会い、写真撮影も応じてくれました。現在もウズベキスタンの結婚式はウエディングドレスとスーツというのが定番のようです。
続きます。
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