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2021年4月30日 (金)

ついに高山病の症状が出た

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(9)

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<沱沱河沿の食堂>P-30/SMC A28mm

悪夢のような一夜が明けました。眠れるのかと思いましたが、疲れていて適度な睡眠は取れたようです。前日の夕食もこの建物で済ませましたが、ツアー一行が入ると、キャパシティが足りないようで、ガイドの李さんと陳さんが手伝うような状態です。

味がどうこうの問題ではなく、栄養補給といった状態です。それでも、ここには卵がありました。

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<長江第一橋>P-30/SMC A28mm

この、沱沱河沿は長江の最上流部にあたり、ここより上流には橋がないことから「長江第一橋」がかかってました。

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<この日のバス>P-30/SMC A28mm

ゴルムドからのガイドは昨日で終わり、この日からは尹さんという漢民族の男性がガイドとなります。この人が結構な曲者だったのですが。

そして、バスも交代です。三菱製ではありますがいつ製造されたのかわからないオンボロぶりです。そして、暖房が入らず、車内でもモコモコに着込むことになりましたが、馬力はあるので距離は稼げました。

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<雁石坪の住人>P-30/SMC A28mm

バスが最初に止まったのは雁石坪というところで、チベット族のテントがありました。近くにはヤクの糞が乾かされていました。

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<長江>P-30/SMC A28mm

このあたりは標高4500メートルあたりをキープしてました。チベット高原のちょうど真ん中くらいで、平原状態です。長江の最上流部もこの程度の幅がありました。

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<絶景>P-30/SMC A28mm

この日は太陽が昇ってからは天気が良く、車窓も飽きません。

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<事故現場>P-30/SMC A28mm

しかし、こういう場面は結構目撃しました。

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<唐古拉山口>P-30/SMC A28mm

それほどの山道を登ってきた感じはなかったのですが、なだらかな上り坂がずっと続いていたのでしょうか。唐古拉山口に到着しました。標高5231メートルと、この旅での最高地点となります。あとは下るのみ。山を越したかもしれません。

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<唐古拉山>P-30/SMC A50mm

この山も軽く7000メートルくらいあるのかもしれません。

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<アムドの食堂>P-30/SMC A28mm

バスは一気に高度を下げてアムド(安多)の町に入りました。ここで昼食です。

店は尹さんが「衛生状態のいい店をわたしが選びます」といい、見つけたのが四川料理の店です。ということは彼の嗜好が反映されるということで、この後一切、ムスリムの店には寄り付かなかったのでした。

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<昼食>P-30/SMC A28mm

ここは標高3900メートルということで、普段とあまり変わらない内容の麺料理とヤク肉のおかずですが、火の通りもよくなったのか味は良かったです。

標高も下がったということで、社長がビールを注文しました。しかしこの後再び、4000メートル台に復帰し、社長の体調は悪化しました。彼はこの後、チベット自治区を離れるまで一切のアルコール類を口にしませんでした。

メンバーの中にはすっかり体調が悪くなり、食事にも出てこずにバスで休む人も出始めました。

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<チベットの空>P-30/SMC A28mm

この後は快調に飛ばし、ナチュ(那曲)には18:00という明るい時間に到着しました。これも、オンボロだがエンジンの調子のいいバスのおかげかも。

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<今夜の宿>P-30/SMC A28mm

同室のHさんとほとんど何もないナチュの町歩きをしたところ、今度はこちらが体調悪化です。軽い頭痛が続きました。Hさんも同じだといいます。

夕食は食べに行ったものの、明らかに不味く体調も関係するのかもしれません。

近くのテーブルに西洋人のグループがいましたが、彼らは盛大に飲み食いし、生ぬるいビールもがぶ飲みしておりました。これは体格の差なのか、奴らが鈍感なのか。

部屋ではHさんともどもゴロゴロと横になったままで、カロリーメイトなどを齧りながら、そのまま眠ることとなりました。このホテルもお湯が出ず、入浴はしませんでした。

続きます。

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2021年4月28日 (水)

タータンチェックの来襲

かすてら音楽夜話Vol.112

Baycityrollers

<Bay City Rollers>

ここのところ、わたしらより上の年代のミュージシャンがお亡くなりになるたび、記事に取り上げているんですが、元Bay City Rollersのリードヴォーカル、Leslie Mckeown(レスリー・マッコーエン、実際の発音はものすごく難しいと思われます)が亡くなりました。

とはいえ、ここではただの追悼記事にはなりません。

Lesliem

この方でございます。享年65歳。

ベイシティローラーズの結成は結構古く、ベースとドラムのロングミュア兄弟によって1965年に結成されたバンドが元になってます。その後、1968年にベイシティローラーズと改名し、メンバーチェンジを重ねながら1971年にデビューします。

 

彼らの代表的なヒットソング、「Saturday Night」(Bill Martin-Phil Coulter)でした。

1975年のリリース作品で、1976年の年明けにビルボード1位を獲得します。

ベイシティローラーズがアメリカ進出を始め、日本にもその噂が届くとともに日本でもシングルやアルバムが発売されました。特にティーン層の女子、すなわち、中高生あたりには絶大な人気が出たものです。当時は「ビートルズの再来」などといわれたものです。

同時期にQueenも日本で紹介されたころで、ビジュアル面などから同じように人気が出たのですが、ベイシティローラーズにはかなわなかったですね。音楽的な評価は別にしてですが。

さて、この映像は1976年ものもので、冒頭、アメリカの狩野英孝ことKCが紹介してます。また、この映像では最年長であったベースのAlan Longmuir(アラン・ロングミュア)が脱退し、その後釜としてわずか17歳のIan Mitchell(イアン・ミッチェル)がリズムギターとして参加してます。レスリーの右側の小柄な人です。

さて、この曲の特徴として、イントロと曲間で「S・A・T・U・R・D・A・Y、Night!」とメンバーで入れるチャントがあります。おそらく、英語圏の楽曲でこのような形を取るものはそれまでになかったものかと思います。いわば、ベイシティローラーズとプロデューサーの発明です。サビの最後もレスリーが「サ・サ・サ、サタデナァ~ィト」と歌ってます。これも画期的です。

と、褒めたところなんですが、実はレスリーは二代目のリードヴォーカルでして、その前任者はNobby Clark(ノビー・クラーク)といいます。

Nobbiec

実は「Saturday Night」は、ノビー在籍時に制作されたテイクのヴォーカル部分をそっくり入れ替えたものなんですね。

 

ノビーのヴォーカルヴァージョンでした。演奏は全く同じです。

違いはレスリーとノビーの声だけ。リリースは1973年でイギリスのみ。UKチャートにも全く入らなかったそうです。

強いていえばレスリーのほうが甘い感じが出ている程度ですかね。

ベイシティローラーズはスコットランドのローカルグループでしたが、UKチャートの常連になるまでは相当な戦略があったと思われます。ノビー在籍時にもUKチャートのトップ10に入る楽曲もありましたが、5歳若いレスリーを起用し、1975年に「Bye Bye Baby」(Four Seasonsのカバー)と「Give A Little Love」の2曲をUKチャートの1位に送り込み、アメリカに進出したのです。

ノビー在籍時の「Saturday Night」のジャケットを見ても、ロングミュア兄弟とノビーは確認できますが、あとの二人もEric Faulkner(エリック・フォークナー、リードギター)とStuart Woody Wood(スチュアート・ウッディ・ウッド、リズムギターのちベース)ではありませんし。

このように、アメリカ進出ということを狙う意味ですが、それはマーケットの違いです。特にベイシティローラーズはマーケットを意識し、若いメンバーを揃え、「売れる」ことを目指したのですね。ビジネスですから。

これを置き換えて説明すると、K Popの面々がいい例です。彼らが日本にやってきて、日本語の歌詞の曲までリリースするのはやっぱり韓国と日本の人口規模の違いがあります。いくら韓国で売れてもたかが知れてます。

スコットランドで売れるより、イギリス全土、果てはアメリカと。ABBAなんかもそうじゃないですか。スウェーデンの人口規模とアメリカでは段違いですしね。

さて、ベイシティローラーズはその後そこそこのヒットを飛ばしますが、やがてレスリーが脱退し、バンドは崩壊状態となります。その後、メンバーが新しいグループ(例としてロゼッタストーンなど)を結成したり、残ったメンバーが「Rollers」と改名してバンドを続けますが、1981年に活動が終わります。

それでもかつての栄光を諦められないのでしょうか、特に日本でベイシティローラーズ名義のライヴを行ったりしました。また、レスリー名義のベイシティローラーズ、イアン名義のベイシティローラーズなども活動していたようです。

そんな彼らにぴったりな曲がこちら。

 

1976年リリースの「Yesterday's Hero」(Harry Vanda-George Young)でした。ビルボードのチャートでは54位です。

元々はオーストラリアのJohn Paul Youngという人の曲です。その後のベイシティローラーズのことを予言しているような曲ですけど。これ、レスリーのヴォーカルもこれまでと違い、大人っぽいんですけどね。

そして、このテレビ用ライヴではイアン脱退後に参加したギタリスト、Pat McGlynn(パット・マッグリン)が画面の一番左で演奏してます。

ベイシティローラーズで残念だったのはバンド内にエリックとウッディの二人のソングライターがいたにもかかわらず、外注の曲やカバー曲がほとんどであったことですかね。売れるがために方向性が右往左往したともいえます。

それでも、ビルボード1位と数曲のTop10があるのだから、成功者であることには違いありません。

★引き続き、リクエストやご要望をお待ちしております。いいねとコメントもいただけるととても嬉しいです。

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2021年4月26日 (月)

時空を超えて日野ルノーに会いに行く

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<日野オートプラザ>PowerShot

ある日、JAF(日本自動車連盟)の会報誌を眺めていたら、自動車博物館の記事がありました。それに載っていたのが、日野オートプラザです。

博物館でありながら企業がやっているということで、入場料はありません。ただし、昨今の事情で予約を入れて、1時間限定の見学となります。場所も自宅から比較的近いので、前日でしたが電話予約し、オープンの10時から一番乗りでした。

ほかの見学者はいなくて、博物館独占です。

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<日野ルノー>*こちらはネットから拾いました

日野自動車というと今やバス・トラックのメーカーですが、かつては乗用車も生産していたんですね。

とりわけ、日野ルノーと呼ばれるかつてのルノー公団(フランスの国営企業)の「4CV」という車種を日野自動車はノックダウン生産(部品を輸入し組み立てること)していたんです。4CVが世に出たのは1950年代のことで、日野自動車はその後ノックダウンではなく完全に部品から4CVを作ることができるようになったのです(これをライセンス生産といいます)。

それから十余年、この日野ルノーが我が家にやってきたんです。そう、父親が中古車を買ったんですね。もっとも、相当なオンボロだったようで、それはごく短い期間でしたけど。

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<フロント>PowerShot

画像がぼけていてすいませんね。コンデジは室内であってもファインダーがないのでピントの確認が甘くなります。逆光だと見づらいし。

このボンネット部分が膨らんだ形状ですが、この下にはエンジンがありません。

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<リア>PowerShot

エンジンはこの部分にあります。現代のクルマでいうとトランクにあたる部分。つまりはエンジンを背中に背負って走っているようなものです。

今や日本の乗用車では絶滅したリアエンジン車ですが、フォルクスワーゲンのビートル(カブトムシ)、ポルシェなどがこの形をかたくなに守っています。ま、60年以上前の設計ですから、昔は相対的にエンジンが大きかったともいえますね。

それに、この時代は後輪駆動、つまり「RR」レイアウトが採用されております。この点もビートルやポルシェと同様です。RRですと、全長の割には室内を広くレイアウトできたそうです。その代わり、ボンネット下のトランク部分が狭いという欠点もありました。

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<サイド>PowerShot

ドアの形状が独特です。観音開きならぬ、逆観音開き。つまり、中央のドアヒンジを共用して前後のドアが合わさるように開きます。

そして、前のドアウィンドウの三角窓。家庭にもエアコンのない時代ですから、クルマにエアコンがないのは当たり前。三角窓を少し開けると、ベンチレーターの役目を果たします。

現代のクルマですが、開かない小さな三角窓があることをご存じでしょうか。ドアミラーの死角をなくすために設けられたものです。

後ろのドアウィンドウですが、前後にスライドさせるやり方です。前のサイドウィンドウは懐かしのくるくる回すタイプです。

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<タイヤ>PowerShot

日野オートプラザに展示してあるクルマはドアが開かずウィンドウも閉まったままなので、内部の画像が撮りにくいです。撮るには撮りましたが、お見せできません。偏光フィルターがあるといいのですが。

トランスミッションは床から延びるいわゆるフロアシフト式で、3速(3MT)。この時代、ステアリングコラムから延びるコラムシフトがほとんどでしたから、先進的ではあったのかもしれません。もともとフランスのクルマだし。

主要諸元
全長:3663mm 全幅:1430mm 全高:1440mm 車両重量:640kg
エンジン形式:水冷直列4気筒 総排気量:748cc 最高出力:21PS

現代なら軽自動車並みのサイズです。でも、存在感があって大きく見えます。出力は昔の表示で、今に換算すれば「全然走らねー」ことになりますが、日本の高速道路の当時の最高時速、100km/hには対応していたそうで。

また、形式はわかりませんがクラシックな外観にもかかわらず、四輪独立懸架のサスペンションだそうです。

ヤフオクなどを見ると、価格も載ってますから現在でもオーナーは数名いるみたいですね。

また、日野ルノーを見ることのできる場所は、日野オートサロンだけかと思いましたが、なんとトヨタ博物館に展示されているみたいです。愛知県だけど。

日野オートプラザ

まだまだいろいろな展示がありましたので、あと数回記事にします。不定期ですが。

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2021年4月23日 (金)

最高地点更新中

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(8)

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<新しいバス>P-30/SMC A28mm

ゴルムドでは食事はホテルではなく近くの食堂で出されました。食事を終えてホテルに戻ると、大型のバスが止まっていました。

チベット族のローカルガイド、呉さんは前日で終了し、この日からは童(トン)さんというローカルガイドが同行することになります。ガイドとドライバー、バスはセットなので、乗り物も変わりました。

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<荒涼とした風景は続く>P-30/SMC A50mm

バスは大型化しましたが、いかんせん中国製のバスで、座席の間が狭くシートも小さめでした。とはいえ、マイクロバスのようにすし詰めではなくなり、ひとりがワンボックスを使えるようになりました。正しい姿勢で座るというよりも、かなり崩したような格好で座れば、少しはリラックスできる感じです。

そして、このバスには窓に黒いフィルムが貼ってありました。当時日本では高級車を中心にして、ウィンドウに黒いフィルムを貼って乗員のプライバシーを守るという「流行り」があったのですが、これをそっくりオンボロバスでも真似たのです。

ちょっとした余談です。窓のフィルムや濃い色のガラスはサングラスと一緒で、夜は安全を保障できないというものでした。すなわち危険なのです。それに、フィルムを貼ると、プロにでも任せない限り気泡ができてしまい、非常にイケてないのです。

現在の安全基準では濃い色のガラスは乗用車の場合、後部ドアのウィンドウとリアガラスのみとされています。それに、色は濃く見えるものの、ドライバーからは夜でも見える程度に濃さが抑えられているのです。

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<長江上流部>P-30/SMC A50mm

この日は青海省とチベット自治区の省境あたりまで行く予定です。つまり、ようやくチベット高原に入っていくわけです。

ゴルムドからはしばらく、なだらかな登り道が続きます。

中国製バスは窓にフィルムも貼ってあって見た目は新しそうなのですが、勾配のきつい坂に差し掛かると、めっきりとスピードを落とし、平坦な道で追い抜いて行った何十年も前に生産されたいすゞ製ボンネットトラックに、どんどん抜かれていくという次第でした。

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<泉>P-30/SMC A28mm

1時間おきくらいに休憩を取りました。このあたりになると町はずれも何もなく、滅多に人家などはないので、どこでもよかったのですが。

何度目かの休憩では工場のようなところにバスが止まりました。そこは、水の湧くところで、その水をボトル詰めしてミネラルウォーターを生産しているのでした。ここで、我々はミネラルウォーターのペットボトルを分けてもらいました。

バスには助手が同乗していましたが、ドライバーともどもいかにも昔の典型的な中国人でした。すなわち、ヒマワリの種などを食べ散らかし、そのゴミやペットボトルを窓から平気で捨てたりしてました。そして、大声の会話。

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<崑崙山の麓>P-30/SMC A28mm

やがて、崑崙山が見えてきてその手前で昼食タイムとなりました。

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<定番の昼食>P-30/SMC A28mm

またしてもイスラム食堂に入ります。出てきたものは、前日同様の三泡台と乾麺らしきものを茹でたものです。すでに標高は富士山を超え、高度計によると3950メートルになります。このくらいになると、水の沸点も低くなり乾麺が完璧に煮込まれていないような状態になります。それでも、米を炊くよりはいいのではないでしょうか。

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<調理場>P-30/SMC A28mm

調理場をのぞくと特殊なものを使用していました。ここではガスではなく灯油のコンロが使用されていました。都市ガスはもちろんプロパンガスのボンベも配達できないようなところだからでしょう。

灯油のコンロから中華料理を作るような高い熱量を引き出すために、ふいごのようなものを使って灯油を噴出させる道具が使われていたのです。それ自体は問題ありませんが、厨房だけでなく食事をするテーブル付近まで灯油の匂いが充満しているのです。気分も悪くなってくるので、お茶と丼を持ち外で食べるという始末でした。

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<かすかに見える氷河>P-30/SMC A50mm

このあたりから天気はめまぐるしく変化します。崑崙山を観察すると小さな氷河の末端が見えました。ただし、見えたのはこのあたりだけでした。

これから通っていくルートは「青蔵公路」と呼ばれます。中国が国の威信をかけて通したルートですね。

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<崑崙山口>P-30/SMC A28mm

先ほどの食堂から上り詰めたところが崑崙山口になります。「山口」というのが「峠」の意味になります。ここは標高4676メートル。風が吹きすさび、目も開けられないような具合です。

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<道班の集団>P-30/SMC A28mm

この青蔵公路には道路補修をする労働者が働いています。道沿いに飯場のような仮住まいを建て、そこで生活しながら道路を直していくのです。ここで、我々の中では「社長」と呼ばれるSさんがポラロイド写真をあげたようです。

その後、走っていくところどころで道班の労働者に出会うのですが、我々のバスには当時30代の女性が乗っていて、その姿をウィンドウ越しに見た彼らは「ヒューッ」という歓声をあげていました。まるで強制労働のようですがもしかしたら実際に罪を犯し、ここで働かされている集団なのかもしれません。

青蔵公路は陸路でチベットに物資を運ぶ唯一のルートで、荷物満載のトラックが通ることと、雪や道路凍結などで一般の道よりも痛みが激しいはずです。

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<風火山口>P-30/SMC A28mm

天気はめまぐるしく変化し、雪までちらつく始末です。ちなみに、この日の服装は下着もシャツも長袖で、さらにセーターを着こんで、一番上にスキー用のジャケットを用意しました。

さすがに上着は必要ないだろうと思いましたが、風が冷たくバスから出るときには羽織りました。

崑崙山口から数時間。風火山口に到着しました。標高5010メートルと一気に5000メートル越えです。実はこの峠はツアーの概要には記載がなく、びっくりしました。やはり風が強く、少々頭痛もしました。

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<青いケシ>P-30/SMC A28mm

しかし、こんなところにも植物が咲くのでした。さすがに、まばらでしたけど。

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<同室のHさん>P-30/SMC A28mm

それから数時間。すでに外は真っ暗です。絶望感がバスを支配するころ、町明かりが見えました。

本日の滞在場所である、沱沱河沿(トートーホーヤン)でした。到着したのは、交通旅社と呼ばれる簡易型の宿舎です。建物内にトイレはなく、外のトイレを使うことになります。もちろん、バスタブもシャワーもなしです。洗面所さえないというところで、部屋にはホーロー製の洗面器が置いてありました。

床はたたきの土間で、ベッドは鉄パイプ製で薄っぺらな布団と夏掛けのみ。机は物置と化しました。

部屋の電気を消すところがわからず、つけたまま眠ります。さらに、ありったけの服を着たまま眠りました。

さらには夜中に怒鳴りあう中国語とガラスの割れる音がきこえてきた次第です。

ここがこれまでで泊まった最悪の場所ですね。

続きます。

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2021年4月20日 (火)

鹿島神宮の謎人形

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<鹿島神宮>OMD10/ED14-42mm

道の駅いたこから走ること15分程度。無事、鹿島神宮に到着いたしました。

本来ならば昨年9月末にこのエリアに来た時に回る予定だったんですが、勢いで大洗まで行ってしまったもので。

また、1月に来る予定だったんですが、緊急事態宣言の絡みで、ホテルが勝手にキャンセルされたため、4月になりました。

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<鳥居と幟>OMD10/ED14-42mm

こういうのは好きなんですね。重なる鳥居と幟。いかにして遠近感を出すかですが、まあ適当な写真でございます。

やっぱりカメラはしょっちゅういじってないと、撮り方も適当になるってことで。

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<楼門>OMD10/ED14-42mm

ここを抜けると境内になります。

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<アントラーズの必勝祈願>OMD10/ED14-42mm

こちら、サッカーJ1、鹿島アントラーズの必勝祈願です。ま、ワタクシの場合、地元にJ2、FC町田ゼルビアという、強いんだか弱いんだか年中浮き沈みの激しいチームがありますので、結果はチェックしております。試合も生で見たことがありますが。

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<絵馬>OMD10/ED14-42mm

無名の人々の願いがさらされる木片。ひとつひとつ見ていくと人生感じるようなものもありますけど。

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<藁人形>OMD10/ED14-42mm

ん?なんだこれは?

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<顔もあり>OMD10/ED14-42mm

紙で顔が描かれております。藁人形は10体ありまして、それぞれに表情も異なります。

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<別角度より>OMD10/ED14-42mm

人形に立ち居振る舞いもないのですが、姿がそれぞれ異なります。

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<何を想うのか>OMD10/ED14-42mm

人形には脇差を思わせるものが腰の部分に挟まれていました。

これは大助人形(おおすけにんぎょう)というもので、昨年6月に設置されたものだそうです。かれこれ10か月ほど経過してますから、一部修復されたりしているのかも。

鹿島神宮の行事もコロナの影響で、中止や内容の変更が続いています。ということで、コロナ終息を願い設置されたものだそうです。

もともとは鹿島の神と香取の神が東北を平定したとき加勢した兵の姿を表すそうで、今でも茨城県北部でこれを飾る風習があるとのことです。

以上は某新聞の記事の要約で、それによると8月18日にこれを燃やし、その灰を御手洗川に流すとありました。でも、コロナが終わらないので、燃やされたあと、二代目が設置されているのかも。

ともかく、大助人形が見られるのはコロナのあるうち…というのも、なんだかなあという気がします。

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2021年4月16日 (金)

潮来のフォー

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.25

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<道の駅いたこ>PowerShot

通称「マンボウ」が我が居住の都市に発令されたその日に出かけてきました。当然狙ってやったことではなく、こちらが計画した後に勝手に発令されたものです。

どうせ、ひとりで行動するし、移動も他人と接触しないマイカーですから問題あるめえ。

つーことで、はるばる茨城県です。ま、今回は2か所のスポットをメインにするつもりでしたが、「道の駅」のスタンプも集めることにしたので、最寄りのルートで道の駅があるところは立ち寄っていくつもりでした。

東関東自動車道の終点、潮来ICを降りるとすぐです。

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<レストランおふくろ亭>PowerShot

ちょうど昼時に到着しました。なんとも馬鹿でかい道の駅です。駐車場は普通車281台という規模です。そんなに収容できてこのレストランで十分なのかというと、まあ何とかなりました。

カフェテリア形式で各自が総菜を選んでレジで精算するのですが、ワタクシが目を奪われたのがベトナムの麺、フォーでした。

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<牛肉フォー>PowerShot

麺類はレジで改めて注文します。すると、呼び出し用の機械を渡されます。席はレジで精算後に各自で確保するとなってます。

地方に行くと、このような簡易的な店でもアクリル板が立ち、ソーシャルディスタンスに躍起になってますので、ひとりでも席は確保しやすいです。

呼び出しがあって「お好みでこれらをお使いください」とのことでしたが、ライムやトウガラシは用意されておりませんでした。その代わり、別皿のパクチーは結構な量があります。

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<拡大>PowerShot

デフォルト状態ではもやしと青ネギで表面が埋め尽くされ、麺が見えません。

メニュー上は「牛肉フォー」となっておりましたが、せめて「フォーボー」としてほしかったです。ちなみに、フォーガーもありました。

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<パクチー>PowerShot

これだけ大量にあるんですが、あの独特の香りはなかったですね。地元の農家で品種改良したものでも作っているんだろうか。

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<リフトアップ>PowerShot

麺はなんちゃってフォーではなく、きちんと米粉の平打ち麺です。

もっとも、ベトナムでは巨大ライスペーパーを半分乾燥させたものを切って、それをさっと茹でて出来上がりなんですが、そのあたりは大丈夫なんでしょうか。味はフォーそのものでしたから問題ないんでしょうね。

スープも透明感があって薄味で合格。

牛肉はハノイ式だとフォーボータイといって、半生の牛肉なんですがそうなるとクレームが来そうです。ということできっちりと火の入ったフォーボーチンでした。

これで500円です。道の駅クオリティとしては結構いいほうではないかと思います。

ちなみに、道の駅とか高速道のサービスエリアなどでは、無理くり名物料理を仕立て上げて意外なくらいの料金を取るところも少なくありません。そういう意味での「道の駅クオリティ」、まあ、自己判断ですけど、このフォーはいいんじゃないすかね。

道の駅いたこ

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2021年4月15日 (木)

清真食堂

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(7)

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<閑散としたホテル周辺>P-30/SMC A28mm

チャカは塩湖があるだけの町でまさに泊まるだけ。人口も少なそうでした。

この日はゴルムド(格爾木)まで行きます。ゴルムドは内陸にありますが、石油が出るため近年発展してきた新興都市となります。しかし、その道中は半砂漠のステップの中をひたすら移動するのみでした。

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<ラクダ>P-30/SMC A28mm

出発してすぐに道をラクダがふさいでました。これでも、飼育されたものだそうです。ラクダというとアラビアのイメージがありますが、こちらのフタコブラクダは中央アジアに多く生息しているそうです。

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<典型的なステップ>P-30/SMC A28mm

マイクロバスは淡々と進んでいきます。すると、バスの後方から「トイレ」の声が上がりました。

参加者の一人が高山病に効くという利尿剤を服用してしまったようで、ものすごくトイレに行きたかったようです。

これ以降、我々のトイレ休憩は町はずれの場所を選び、男女に分かれてバスからかなり離れたり、ちょっとした物陰のあるような地形の場所をトイレとすることになりました。

なんといってもまだ人民トイレの時代です。青海省のこの辺りではいまだにそんなトイレが健在なのではないでしょうか。

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<川も出現>P-30/SMC A28mm

ただひたすら走っているだけでしたが、車窓は変化があって飽きませんでした。

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<イスラム食堂>P-30/SMC A50mm

昼食時間になりました。到着したのはツーラン(都蘭)という町です。

世界共通の三日月のマークはムスリムのためのハラル食を出す食堂の意味になります。文字では中国では「清真」となりますね。

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<三泡台>P-30/SMC A28mm

このような小さな食堂なので、いきなり10数名の集団が現れると大変です。果たしてローカルガイドの呉さんが予約を取っていたかは不明ですが、携帯電話さえない時代で、この後も店を選んで適当に昼食とすることが当たり前だったので、行き当たりばったりだったと思われます。

我々の前に置かれたのは蓋つきの茶碗で、三泡台というお茶でした。お茶のほかに木の実や氷砂糖が入るもので、蓋をずらしてその隙間から飲むことになります。お茶がなくなると湯を継ぎ足してもらえます。そのたびに味が変わっていきます。

お茶というよりは梅干しのような木の実の味がしました。決して不味くはありません。

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<調理中>P-30/SMC A28mm

暇なので厨房を覗きます。うどんのような麺を指ではじいて湯に投入するタイプの麺料理です。

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<従業員>P-30/SMC A28mm

従業員総出で調理中のようでした。従業員は見たところ漢族と変わりなく、回族のようです。

思えばこのころの中国はかなり素朴で、日本人だからどうこうわだかまりもなく、非常に友好的でした。

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<ヤク肉の麺>P-30/SMC A28mm

麺が出来上がりました。ヤクの肉が使われていました。味はそれほど牛肉と変わりません。それにしても素朴な味です。

おかずは野菜のみ。軽く下味をつけて炒めたもののようです。非常に簡素な食事ですが、ハードな道のりではこれで十分です。

また、割り箸が使われていました。現在地球環境のことがなにかと話題になりますが、中国は肝炎が多いので、使い捨ての箸というものはそれを防ぐ上で有効なのです。

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<砂漠>P-30/SMC A50mm

昼食後は再び移動するのみです。今度は荒涼とした砂漠も現れました。

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<水が氾濫>P-30/SMC A28mm

と思えば、川が道路まで迫り、水のあふれているような箇所も現れます。実に変化に富んでいます。

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<中国将棋>P-30/SMC A28mm

こういうことを繰り返し、次のオアシスの村で休憩しました。ま、休憩といっても店などないので、そのあたりを歩いたりするくらいですが。また、長時間バスに乗っていてバスの振動から解放されることをありがたく思う程度ですかね。

そこでは中国将棋が行われていました。見入るガイドたちですが、現地のプレイヤーは見事に人民服姿です。

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<格爾木賓館>P-30/SMC A28mm

こんなことを繰り返しつつ、ゴルムドに到着しました。この日の宿です。ここはお湯が出た(それでも時間制)ので、2日ぶりとなる入浴ができました。

今なら、水でもシャワーを浴びちゃうと思いますが。

続きます。

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2021年4月13日 (火)

コメダで世界に思いを巡らす

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<コメダ珈琲店>PowerShot

とある日、用事を片付けつつ飯をくいっぱぐれたと思ってください。

すでに昼をかなり過ぎております。

そんな時に頭に浮かんだのがここでした。

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<とりあえずコーヒー>PowerShot

市内に何店舗あるのか。自分が知っているは3つ。ただ、アクセスが良すぎると、常に混んでることになります。

こちら、幹線から外れた小田急の急行の止まらない駅から程よく離れた場所にあります。ま、客が多いとか少ないとかは駐車場のクルマの数で見分けるんだけど。

案内されると、隣はPCを広げた女子でした。

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<ホットドッグ>PowerShot

半分に切ってありますけど、それなりにボリュームがあります。

パンに太くて長いソーセージをキャベツの千切りと挟み、濃厚なケチャップをかけたもの。客にマスタードを入れるか入れないかをきいてくれます。わたしゃ大丈夫なので、辛子も入りますよ。

昔はこれくらいどうということもなかったです。

現在は確実に腹にたまり、結局は夕食時間をずらすことに。

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<ピーナッツ>PowerShot

これ、必ず付くんですよね。

コメダとかスタバとかってWiFiがあるし、店員が「まだいるの?」みたいなオーラを出してきませんから、テレワークとかリモートの授業などでも使えるんですよね。

そのため、時短とか関係なく流行っている…ように見えます。でも、実際どうなんでしょう。

テレワークの利用客が増えると、客の回転が悪くなりますよね。

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<入口>PowerShot

ま、自分のようにテレワークと関係ない立場だからちょっぴり迷惑な見方もできますけど。

コーヒーくらいゆっくり飲みたいですわ。ま、実際コメダのコーヒーよりはスタバのほうが一瞬、一瞬ですよ、美味いとは感じますけど。

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<エスプレッソ>GR DIGITAL

パリなどのカフェではテラス席はカウンターよりも料金は高いですが、客の気のすむまでいていいことになってます。でも、コロナの影響でカフェもやっているんだかやっていないんだか。彼らにとってもこれは真剣に「ふざけんなよ!」って状態ですかね。

ベトナムの路上カフェなどではベトナムコーヒーとお茶が出ます。これまた、お茶だけは好きなだけ飲んでいいことになっているので、暇つぶしにもってこいの場所ですね。これも、今はどうなんだろうか。

ともかく、できるだけ早い「日常」を取り戻したいです。って、ワクチンいつ打てんの?

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2021年4月10日 (土)

白い世界

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(6)

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<象皮山>P-30/SMC A28mm

青海湖や鳥島から本来のルートに戻り、昼食。ローカルガイドの呉さんだけは白酒(パイジュー、蒸留酒)をみんなに振舞おうとしていましたが、ほぼひとりで小瓶を飲んでおりました。平坦に見えるルートですが、標高は平均で3000メートルくらいになるので、酒に強そうな男性も自粛しているような状態でした。

食後、マイクロバスは象皮山というちょっとした峠に差し掛かります。「象皮」とはプラスティックのことだそうですが。

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<工事中>P-30/SMC A28mm

しかし、道は工事中でした。しばらくの立ち往生。時に通りかかるトラックはボンネットのある日本のISUZU製でした。当時もすごく懐かしいトラックだと思ってましたが、さらに20数年たっても、タイではこのタイプが現役なのでした。

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<少数民族と>P-30/SMC A28mm

ようやく道が通れるようになり、象皮山の頂上付近で民族衣装の親子が道端に立っておりました。なんでも、ヒッチハイクでどこかに出ようとしているようです。近くにはテントもあり、ここで放牧でもしているようです。

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<茶卡賓館>P-30/SMC A28mm

下り道になり、現れたのが茶卡(チャカ)という町でした。ここの茶卡賓館がこの日の宿です(*機種依存文字が入ってますので、以降は「チャカ」と表記いたします)。

やれやれ、終わったねと、同室のHさんと話していると、まだ観光があると呼びに来ます。お互いひどく疲れていたようです。

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<採塩所>P-30/SMC A28mm

マイクロバスが向かったのはチャカ塩湖でした。

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<トロッコで移動>P-30/SMC A28mm

この塩湖は塩分濃度が非常に強く、水中に生物がいません。青海湖も塩湖でしたが、湟魚という魚が生息していて、その料理は名物になるほどでしたが。

それでも塩湖まではやや距離があり、採塩用のトロッコに乗って移動します。我々と違う団体が前の車両に乗ります。きいてみると、香港から来たとのことでした。

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<チャカ塩湖>P-30/SMC A28mm

空気が奇麗なせいもあり、水が青く見えます。しかし、風はあるのに、波立たない感じです。

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<塩の結晶>P-30/SMC A28mm

トロッコの線路は湖の中央付近まで伸びていました。岸に近いところでは水が白く見えます。このあたりで早くも結晶になっているようでした。

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<水没した線路>P-30/SMC A28mm

線路の先端部はすでに水没していました。まあ、そんなに頑張らなくとも岸の部分で十分な塩が採れるはずです。

このあと、トロッコで戻りました。香港の団体とは手を振って別れましたが、そのあとは見かけることがありませんでした。いったいどこに泊まっていたのでしょうかね。

続きます。

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2021年4月 9日 (金)

史上最高のスタジオミュージシャンたち

かすてら音楽夜話Vol.111

Shogun

<SHOGUN>

スタジオミュージシャンというと皆さんどのようなイメージをお持ちでしょう。

楽曲の収録で演奏をこなし、決して表には表れない人たちみたいな存在でしょうか。ま、現在はそのようなスタジオミュージシャンは数少なくなったと思いますが、1970年代まではそんなイメージでした。

メンバー全員が10年以上の経験を持つスタジオミュージシャンで構成されたSHOGUN(本来は「O」ではなく、長音記号のついた「Ō」となりますが、ここでは「SHOGUN」という表記にいたします。 )は、1979年にデビューします。

SHOGUNには前身のバンドがあり、ギターの芳野藤丸を中心に活動を行っていたOne Line Bandです。そのOne Line Bandに日本テレビの音楽プロデューサーが目を付け、ドラマ「俺たちは天使だ!」のサウンドトラックを任せることにしました。しかし、日本で音楽活動を行っていたCasey Rankin(ケーシー・ランキン)を加え、当時アメリカで一大ブームを起こしていた小説・ドラマ「将軍」からインスパイアされ、バンド名を改めたのです。

 

SHOGUNの「男たちのメロディ」(作詞:喜多条忠 作曲:ケーシー・ランキン 編曲:大谷和夫)でした。「夜のヒットスタジオ」からのライヴです。

ドラマ「俺たちは天使だ!」は沖雅也主演で、主題歌となったこの曲は50万枚のヒットとなりました。

当時のSHOGUNのラインナップですが、芳野藤丸(G & Vo)、ケーシー・ランキン(G & Vo)、ミッチー長岡(B & Vo)、大谷和夫(Key)、中島御(Per)、山木秀夫(D)。この曲だけは職業作詞家が担当しましたが、主な作詞はケーシーが行い、通常は英語で歌われました。

普通新人バンドですと、ヴォーカルも熱量の高いシャウト型でしょうし、ギターもギンギンに鳴るようなイメージですよね。しかし、藤丸もケーシーも力の抜けたいい感じですし、藤丸のギターもカッティング中心でギターソロも前に出すぎない控えめなものです。いわば、大人の味わい。

ベースのミッチー氏は曲によってはチョッパーも使うテクニシャンで、セカンドアルバムからは1曲はメインのヴォーカルを任されています。これがなんとも味わい深いです。

キーボードの大谷氏は火曜サスペンス劇場などの音楽を担当していました。バンドでもアレンジを任されました。

パーカッションの中島氏はフュージョンぽさやラテンの味付けをSHOGUNにもたらしました。

ドラムの山木氏は当時最年少で最も期待されたドラマーでした。

このヒットにより、スタジオミュージシャンとしてよりバンドとしての活動がメインになってきます。スタジオミュージシャンでありながら、ヴォーカルもなかなかのもので、藤丸とケーシーの味わい深い声が、歌謡曲などのザ・芸能界やアイドルを超越して支持されたのでしょう。

続くセカンドアルバム『Rotation』は全面が松田優作主演のドラマ「探偵物語」のサウンドトラックとして製作されています。

 

SHOGUNの「Bad City」(作詞作曲:ケーシー・ランキン 編曲:大谷和夫)でした。

こちら、オリジナル音源で、「探偵物語」のオープニング曲です。

 

SHOGUNの「Lonely Man」(作詞:ケーシー・ランキン 作曲:大谷和夫、芳野藤丸 編曲:大谷和夫)でした。

こちらは1998年の再結成時のメンバーによるライヴです。この曲は「探偵物語」のエンディングテーマとなります。シングルとしては「Lonely Man」をA面、「Bad City」をB面とするものをリリースしてます。なんとも豪華なカップリングですね。

ちなみに、冒頭の画像はアルバム『Rotation』のものですが、中心に映っているのは「探偵物語」に出演していたナンシー・チェニーという女優です。

この2曲ですが、松田優作の死後も缶コーヒーのCMとして当時の映像と新録音の両曲が使われ、SHOGUNを知らなくともこの曲は聴いたことがあるという人も多いんじゃないでしょうか。

ところで、SHOGUNは1980年のサードアルバムリリース後に解散してしまいます。それは、メンバー間の大人の事情等(詳しく書きませんが近年でいうと槇原氏のような事例)もありました。

そして、松田優作の缶コーヒーのCMが流れるころ、ひっそりと17年ぶりのスタジオアルバム『New Album』をリリースします。

メンバーは中島御と山木秀夫が抜けドラムスにケーシーの息子、Eric Zay(エリック・ゼイ)を抜擢。翌年の1998年には復活ライヴも予定されていたのですが、突然のケーシーの脱退により再び解散することになります。これは行きたかったです。

 

アルバム『New Album』から唯一シングルカットされた「Starting All Over Again」(作詞:ケーシー・ランキン 作曲:芳野藤丸 編曲:SHOGUN)でした。

このパフォーマンスは以前と全く変わらないですね。なんとも残念です。

この後、SHOGUNは何回か結成されています。しかし、2008年にバンドの核であった大谷和夫が亡くなり、翌2009年にもケーシーが亡くなってしまい、かつての存在感とは違っていると思います。

ですが、芳野藤丸のギターはあなたもどこかで聴いているかもしれません。「木綿のハンカチーフ」のイントロのカッティングによるギターソロは藤丸のものです。「天城越え」とかもそうらしいですよ。スタジオミュージシャンとして1万曲は演奏してきたといいますから。また、彼は西城秀樹バンドのバンマスでもありました。沢田研二に井上堯之のような。

大人も聴けるロックバンド、いつか出ないですかね。

★リクエスト、ご意見、お待ちしております。いいねとコメントも頂けるととてもうれしいです。

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2021年4月 6日 (火)

青海湖

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(5)

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<日月山>P-30/SMC A50mm

湟中から湟源に立ち寄り、スイカを仕入れます。この道中はミネラルウォーターを販売しているようなところがないので、水分補給用も兼ねての買い物です。

さらに進むと次第に標高が上がってきます。ちなみに、このたびに備えたものではありませんでしたが高度計付きの腕時計をしていました。のちに、それでは計測できない高さにも到達することになるのですが。こちらの標高は約3500メートル。日月山というところです。

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<日亭>P-30/SMC A50mm

ここは2つの丘にそれぞれ祠のようなものがあり、唐の時代、文成公主という唐の皇女が吐蕃(当時チベットにあった統一王国)のソンツェン・ガンポ王に嫁ぐためにこの道を通り、ここで中国風の風俗を改め持っていた鏡を割ったという伝説のある場所でした。

ともかく、ここ以降は伝統的な中国風の建物はなくなっていきました。

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<ヤクの群れ>P-30/SMC A50mm

途中放牧されたヤクが道をふさいでいてしばらく立ち往生です。ただし、野生種ではなく家畜として飼われているものです。いよいよ、チベット世界に入ってきた感じです。

標高は徐々に下がります。このツアーでは、高山病を防ぐためアップダウンのあるルートを選んでいるとのことでした。

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<青海湖>P-30/SMC A50mm

道はアップダウンのない平坦なところになりました。道沿いに見えるのは中国最大の塩湖である清海湖です。

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<この日の宿>P-30/SMC A28mm

到着したのは共和という町でした。清海湖帳房賓館というところです。「帳房」とはチベット族のテントのことですが、さすがに客室はテントの形をしたコテージになってました。

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<チベット族のショー>P-30/SMC A50mm

夕食後、チベット族の踊りを見ないかとホテル側から提案を受けました。個人的には前日からの腹痛と腹具合が悪く、できるだけ消化のいいものを食べてさっさと休みたかったのですが、交渉の結果15元のところ10元でいいことになったのでお付き合いしました。

なお、このショーが用意されたのは我々以外にEC(当時まだEUは成立してませんでした)からの視察団とそれを案内する中国共産党の下級幹部がここに泊まっていたからです。ショーの踊り手は全員ホテルの従業員でした。

それが終わり部屋に引き上げましたが、ドアの内鍵がなく(鍵は従業員によって開けられます)、ランプ類も玉切れしていました。バスルームもあるのですが、お湯は出ませんでした。

これは、お湯の供給をEC視察団にすべて回したことが考えられます。ランプ類もそちらに回したのでしょう。

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<清海湖畔>P-30/SMC A28mm

翌朝、清海湖畔へ。さすがに波もたつ大きな湖です。

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<鳥島>P-30/SMC A50mm

清海湖にはインドあたりから渡り鳥が飛来していてその鳥のコロニーが「鳥島」と名付けられています。もっとも、この時期はほとんど鳥がいませんでしたが。

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<傍若無人な連中>P-30/SMC A50mm

その鳥島付近は鉄柵と有刺鉄線で奥に入っていけないようにしてあるのですが、我々がおとなしくその前で鳥のいない鳥島を眺めていると、無人のはずの湖岸方面からがやがやとやってくる一団がありました。

よく見ると、前夜一緒だったEC視察団と付き添いの共産党諸氏だったのです。うーん、なんだかな。

続きます。

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2021年4月 4日 (日)

復活のおしどり夫婦デュオの結末

かすてら音楽夜話Vol.110

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本日はアメリカの男女デュオ、Captain & Tennille(キャプテン&テニール)を取り上げます。

男女「デュオ」と書きましたが、キャプテンことDaryl Dragon(ダリル・ドラゴン)がキーボード。ヴォーカルは女性のToni Tennille(トニ・テニール)が担当するという形を取っています。

ダリル・ドラゴンがキャプテンと呼ばれるようになったのはいつも船長のような帽子をかぶっていたからだそうです。彼らは1975年のデビューですが、デビューが数年遅かったらキャプテンには「ゲイ疑惑」が付きまとったかもしれません。

ワタクシが彼らの写真を初めて見たとき、キャプテンの目玉の大きさにびっくりしたものです。単に眼球が大きいだけじゃなくて人の2倍はある瞳にびっくりでございます。

さて、彼らの出会いはBeach Boys(ビーチボーイズ)のツアーにサポートメンバーとして参加したことによります。その後、デュオとしてA&Mと契約し、1975年にリリースした初めてのシングル「Love Will Keep Us Together」(邦題:愛ある限り)がビルボードのシングルチャートで4週1位を獲得しました。

 

この曲はソングライターであるトニ・テニールの作品ではなく、作詞がHoward Greenfield(ハワード・グリーンフィールド)、作曲がNeil Sedaka(ニール・セダカ)によるものです。

セダカとグリーンフィールドのコンビはそれ以前にもヒット作品を生み出しております。「Love Will Keep Us Together」はセダカもリリースしましたが、全米的なヒットはキャプテン&テニールによるものが最初です。

この曲は1975年のビルボード年間シングル1位にもなり、18回グラミー賞のRecord Of The Yearにも輝きました。この「最優秀レコード賞」は曲の作り手ではなく、演奏者とプロデューサーに贈られますので、キャプテン&テニールとプロデュースのダリル・ドラゴンが受賞したことになります。

こうしてデビュー曲で大ブレークした彼らは同年に結婚します。

しかし、その後はトップ10シングルが続いた後、低迷してしまいます。

雌伏の4年。レーベルもA&Mからカサブランカに移籍し、13枚目のシングルがじわじわと売れていきます。

 

「Do That To Me One More Time」でした。曲はトニ・テニールによるものです。

リリースされたのは1979年ですが、1980年2月にビルボード1位を獲得。これはMichal Jackson(マイケル・ジャクソン)の「Rock With You」を追い落としてのものです。1位の座はわずか1週のみで、Queenの「Crazy Little Thing Called Love」(邦題:愛という名の欲望)にその座を譲ります。

しかし、ビルボードの100位圏内に27週チャートインし、1980年の年間シングルでは5位を記録しました。

残念ながらその後のヒットには恵まれませんでしたが、マイケルとクイーンに立ち向かったのですから、大したものですよね。

さて、おしどり夫婦に見えたキャプテンとトニ・テニールですが2014年に離婚し、夫であったダリル・ドラゴンは2019年に死去してます。うーん、何があったのでしょう。ともあれ、短期間に2曲もビルボード1位を出し、下積みからトップへとなれたのですから、幸せな人生だったのかもしれません。なお、ダリル・ドラゴンが亡くなるときにはトニ・テニールも付き添っていたそうです。

若く見えるトニ・テニールですが、誕生日が来れば81歳になるんですよね。いやー、月日が経つのは早いよ。

★ご意見・リクエスト、その他もろもろ受け付けております。いいねとコメントもいただけるとすごく嬉しいでございます。

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2021年4月 1日 (木)

チベット世界の入口

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(4)

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<マイクロバス>P-30/SMC A28mm

ツアー3日目。この日から陸路でラサを目指すことになります。移動はすべてバスです。

この場合、現地ガイド(日本語ガイド)とドライバー、バスがセットになります。西寧からはTOYOTA COASTERというマイクロバスで、最終的にゴルムド(格爾木)まで行くことになります。この日は青海湖の共和という町まで行きます。

10名ちょっとという小規模なツアーでしたが、マイクロバスは荷物の収容場所がバスの後部座席を使い、なおかつ中国側の人間も加わるため、補助席も使用することになりました。

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<クンプム寺>P-30/SMC A50mm

西寧はものすごい豪雨でその中をチベット寺院のある湟中に向かいます。ここはチベット仏教最大の宗派、ゲルク派の宗祖、ツォンパカの出身地です。ここにあるクンプム寺(中国名、塔爾寺<タール寺>)は面積では中国最大のチベット仏教寺院なのでした。

雨は小やみになりかけていて、ぬかるみの道を徒歩で寺院に向かいました。

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<マニ車>P-30/SMC A50mm

内部は撮影禁止といわれ、建物を中心に撮っていきますが雨のため枚数は少なくなります。ここで人生初めてマニ車に遭遇することになりました。

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<お経の印刷>P-30/SMC A28mm

唯一屋内で撮れた写真ですが、これはポラロイド写真を進呈したので可能になりました。そこで刷られたお経もいただくことができました。まあ、印刷といっても版木に墨をつけてという版画のような感じです。これをずっと繰り返す単純作業ですね。

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<馬に乗る現地の人民>P-30/SMC A28mm

戻りは雨がやみました。それほど観光に時間をかけたわけではないのですが、この湟中で昼食となります。

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<手作業の鍋づくり>P-30/SMC P28mm

寺院の門前町になりますかね。いろいろな店がありました。カメラを向けるとこの有様です。

中国人というと写真好きというのが定番ですが、田舎に行くと赤の他人に写真なんか撮られたくないという人は結構います。

続きます。

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