青海湖
西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(5)
<日月山>P-30/SMC A50mm
湟中から湟源に立ち寄り、スイカを仕入れます。この道中はミネラルウォーターを販売しているようなところがないので、水分補給用も兼ねての買い物です。
さらに進むと次第に標高が上がってきます。ちなみに、この旅に備えたものではありませんでしたが高度計付きの腕時計をしていました。のちに、それでは計測できない高さにも到達することになるのですが。こちらの標高は約3500メートル。日月山というところです。
<日亭>P-30/SMC A50mm
ここは2つの丘にそれぞれ祠のようなものがあり、唐の時代、文成公主という唐の皇女が吐蕃(当時チベットにあった統一王国)のソンツェン・ガンポ王に嫁ぐためにこの道を通り、ここで中国風の風俗を改め持っていた鏡を割ったという伝説のある場所でした。
ともかく、ここ以降は伝統的な中国風の建物はなくなっていきました。
<ヤクの群れ>P-30/SMC A50mm
途中放牧されたヤクが道をふさいでいてしばらく立ち往生です。ただし、野生種ではなく家畜として飼われているものです。いよいよ、チベット世界に入ってきた感じです。
標高は徐々に下がります。このツアーでは、高山病を防ぐためアップダウンのあるルートを選んでいるとのことでした。
<青海湖>P-30/SMC A50mm
道はアップダウンのない平坦なところになりました。道沿いに見えるのは中国最大の塩湖である清海湖です。
<この日の宿>P-30/SMC A28mm
到着したのは共和という町でした。清海湖帳房賓館というところです。「帳房」とはチベット族のテントのことですが、さすがに客室はテントの形を真似たコテージになってました。
<チベット族のショー>P-30/SMC A50mm
夕食後、チベット族の踊りを見ないかとホテル側から提案を受けました。個人的には前日からの腹痛などで腹具合が悪く、できるだけ消化のいいものを食べてさっさと休みたかったのですが、交渉の結果15元のところ10元でいいことになったのでお付き合いしました。
なお、このショーが用意されたのは我々以外にEC(当時まだEUは成立してませんでした)からの視察団とそれを案内する中国共産党の下級幹部がここに泊まっていたからです。ショーの踊り手は全員ホテルの従業員でした。
それが終わり部屋に引き上げましたが、ドアの内鍵がなく(鍵は従業員によって開けられます)、ランプ類も玉切れしていました。バスルームもあるのですが、お湯は出ませんでした。
これは、お湯の供給をEC視察団にすべて回したことが考えられます。ランプ類もそちらに回したのでしょう。
<清海湖畔>P-30/SMC A28mm
翌朝、清海湖畔へ。さすがに波もたつ大きな湖です。
<鳥島>P-30/SMC A50mm
清海湖にはインドあたりから渡り鳥が飛来していてその鳥のコロニーが「鳥島」と名付けられています。もっとも、この時期はほとんど鳥がいませんでしたが。
<傍若無人な連中>P-30/SMC A50mm
その鳥島付近は鉄柵と有刺鉄線で奥に入っていけないようにしてあるのですが、我々がおとなしくその前で鳥のいない鳥島を眺めていると、無人のはずの湖岸方面からがやがやとやってくる一団がありました。
よく見ると、前夜一緒だったEC視察団と付き添いの共産党諸氏だったのです。うーん、なんだかな。
ちなみに、現在は電動バスが湖畔まで往復し、清海湖には遊覧船があるそうです。さすがは中国。
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