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2021年5月31日 (月)

麹町アジャンタ

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<店の外観>GR DIGITAL

2015年の9月と6年前の話です。

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<ティルバンナマライ>K-7/DA16-50mm

この年の夏、タミルナドゥ州とケララ州を約3週間旅しました。その仕上げというわけではありませんが、ヤムの会として、麹町のインド料理レストラン、アジャンタで食事会がありました。

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<ヤムの会>GR DIGITAL

この日は9名が参加です。こうした大人数の集まりはタイフェスティバルくらいですかね。

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<キングフィッシャー>GR DIGITAL

日本のインド料理レストランですから、きっちりビールがあります。キングフィッシャー、日本でも美味いです。ですが、2本目からはプレミアムモルツにしました。

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<ケバブセット>GR DIGITAL

この日はコース料理と飲み物を別にオーダーするやり方だったのですかね。現在のアジャンタのコースを見ると結構値段が上がっております。それほど払ったという記憶がないので、内容は変わっていると思います。

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<パコラセット>GR DIGITAL

パコラとはインド版天ぷらです。アジャンタはインド料理でも特に菜食というわけではないので、肉と魚もあります。

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<チャトニ>GR DIGITAL

これがあると、インドという感じがしますね。

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<巨大ドーサ>GR DIGITAL

こんなにでかいドーサはインドでもないでしょう。人数分に合わせての特注でしょうか。

ほとんど記憶も薄れかけているのですが、中にはカレー味のジャガイモの入った、いわゆる「マサラドーサ」ですね。大きすぎて中の具の重みでひしゃげてしまってます。生地も薄く、「ペーパードーサ」という呼ばれ方もしますね。

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<カレー三種>GR DIGITAL

上から時計回りに野菜カレー、マトンカレー、チキンカレーです。

この時、ライスを頼むとかロティ類が出てきた記憶がないので、それぞれカレーを分け合って頂いたようです。

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<イドゥリ>GR DIGITAL

南インドのティファンの話になり、アジャンタで出しているイドゥリを頼むことにしました。

イドゥリとはウラッド豆と米を挽いて、水に浸しペースト状にしたものを固めて蒸しパン状にしたものです。ペーストにする段階で発酵が進むのでやや酸味があります。

南インドではなくてはならない朝食の定番ですが、ほとんどを未体験の人たちに味わってもらいました。評判はいまいちだったです。イドゥリ単体では酸味しか感じられないので仕方ないでしょうか。いくつかのチャトニとサンバルというカレーがあるとよかったのですが。

それにしても、このイドゥリ、3つで1600円って、高すぎでしょ。カレーもつけてね。でも、現在のアジャンタのネット上のメニューにはありませんね。

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<引っ張るチャイの実演>GR DIGITAL

店員さんの実演です。これを9名分作るので大変で、しかもほぼ全員ブロガーですからカメラが多方向から狙っているんですよね。緊張するわ。

ところで、この店員さん、南インドとは関係ないネパール出身でした。

 

ついでに映像も撮ってきたので、どうぞ。前に使っていたカメラなので、画角が狭いです。それに映像が荒いことをお断りしておきます。

この時以来、アジャンタには行ってないんですけどね。

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2021年5月27日 (木)

レノンの凶弾に隠れた曲

かすてら音楽夜話Vol.116

 

冒頭の曲はJohn Lennon(ジョン・レノン)の1980年の曲で「Starting Over」です。

1980年12月8日(日本時間で翌日)、ニューヨークのダコタハウス(ジョンの自宅)前で狂信的なファンであるMC(イニシャル)により、ジョンは銃撃され、その後亡くなりました。

「Starting Over」はアルバム『Double Fantasy』からの先行シングルで、10月にリリースされました。

しばらくの間ジョンはハウスワイフ、つまり主夫生活(息子のショーンを養育するため)をしていて、ミュージックシーンに復帰するのはほぼ5年ぶりでした。「Starting Over」もどちらかというとジョンの復帰ということのほうが話題になっていた曲です。

もともとビッグアーティストですからビルボードのシングルチャートが上昇するのはわかっていたことと思います。現在と違いたとえジョンでも初登場1位という勢いがあったわけではありません。

とりわけ、この曲の前に1位だった曲は、Kenny Rogers(ケニー・ロジャース)というカントリー系シンガーの「Lady」が6週連続の1位を保っていたのです。

ですが、ジョンの悲劇を受け、「Starting Over」は12月27日についに1位を獲得し、5週連続1位となりました。ジョンの生涯売り上げ(ビートルズを除く)でも「Starting Over」が最大となりました。

さて、その陰で5週間ビルボード2位のままだった曲があります。

 

Leo Sayer(レオ・セイヤー)の「More Than I Can Say」(邦題「星影のバラード」)でした。

レオ・セイヤーはイギリス人のシンガーソングライターですが、この曲は自作ではなくクリケッツというバンドのカバー曲です。でも、レオ・セイヤーのヴァージョンが最大のヒットとなりました。

アメリカ進出に際しても「The Show Must Go On」(こちらはレオの自作)という曲がアメリカのバンドThree Dog Nightに取り上げられたのがきっかけです。

1980年当時、ワタクシは週末になると深夜ラジオを流し、ビルボードのチャートをチェックしておりました。で、ケニー・ロジャースの「Lady」の次は「More Than I Can Say」が絶対次の1位になるだろうと思っていたんです。

この曲、直接ビルボードのチャートには影響しないんですが、日本人の心をちょっと揺さぶるような感じがありませんか?。邦題は「バラード」となっており、バラードには違いはありませんが、節の回し方などが演歌チックだったりします。

でも、ジョン・レノンの悲劇を耳にし、「ああ、これでレオ・セイヤーは1位になれないな」とも思いました。

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ところで、レオ・セイヤーはそれ以前に2曲のビルボードシングル1位を獲得しています。

ひとつは「You Make Me Feel Like Dancing」(邦題「恋の魔法使い」)で自作曲、もうひとつは「When I Need You」(邦題「はるかなる想い」)で、こちらは「カリフォルニアの青い空」のAlbert Hammond(アルバート・ハモンド、イギリス人)とCarol Bayer Sager(キャロル・べイヤー・セイガー)による曲です。しかも、この2曲は連続のものです。

余談ですが、キャロル・べイヤー・セイガーは竹内まりやの「Fly Away」という曲の作詞を担当しております。

ただのバラード歌手ではないレオ・セイヤーを堪能してください。

 

「You Make Me Feel Like Dancing」、1976年のビルボード1位でした。

1976年というとディスコブームの1年前。レオ・セイヤーはファルセットまで駆使し、ひとりビージーズ状態ですね。

と、いうことでレオ・セイヤーでした。現在オーストラリア在住でこのコロナ禍の世界についての曲を発表したとか。

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2021年5月25日 (火)

いすゞプラザに行ってみた

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<いすゞプラザ>KP/DA21mm

4月某日、神奈川県藤沢市にあるいすゞプラザに行ってきました。

その前は日野オートプラザに行ってきたのですが、いすゞプラザもまた、自動車博物館なのです。

しかも企業博物館ですから無料です。ただし、ここも予約制で数日前にメールで予約しました。2時間限定の自由見学です。

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<いすゞのトラック>KP/DA21mm

いすゞといいますとこれまた日野自動車同様にバス・トラックに特化したメーカーです。

2階は小中学校の社会科見学にも対応するような、工場のラインの仕組みの開設や、自動車の基本部品の解説、体験コーナーとなっています。

ま、そのあたりはスルーして、展示車にまいります。

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<いすゞベレル>KP/DA21mm

こちら、いすゞが初めて自社で開発し、生産した乗用車です。

こちらヘッドライトが丸目の二灯式ですので、前期型みたいですね。後期型は丸目の縦四灯式になります。生産開始は1962年と日野自動車のコンテッサよりもわずかに遅いです。

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<ベレルのリア>KP/DA21mm

コンテッサよりも1年遅れで登場したベレルですが、排気量1991cc(ガソリン・ディーゼル)と1491cc(ガソリン)の3車種構成でした。車格としては当時の大型車に相当します。

トヨタですとクラウン、日産ではセドリックあたりに相当するクルマですね。

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<ベレル>KP/DA21mm

2000ccクラスのディーゼルですが、なんとエルフ(小型トラック)のエンジンを強引に収めたというシロモノでした。

コンテッサと違いエンジンは前置きで後輪を駆動するFR方式です。ただし、あまりにもなデザインが影響してかかなりの不人気車でした。生産は1967年に打ち切られ、後継車種のフローリアンに受け継がれますが、このフローリアンも不人気でした。

そんなクルマですが幼少期に何回かは見かけたことがあります。

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<いすゞジェミニ>KP/DA21mm

どういうわけか、フローリアンも人気車のベレットも展示がなく、自社生産の乗用車はこちらが展示されていました。

ジェミニというと後年パリをアクロバティック走行するCMが話題となりましたが、そのクルマは二代目でこちらではありません。

この初代ジェミニは1974年に登場しました。そのころ、いすゞはアメリカのGM(ジェネラルモーターズ)と深い関係があり、大衆車部門で「同じシャシーから派生したクルマを世界中で展開する」Tカーという構想がありました。

その戦略に乗ったのが初代いすゞジェミニです。ベースは西ドイツ(当時)のオペル・カデット(Cタイプ)で、アメリカ、オーストラリア、韓国などで姉妹車が作られました。

いすゞというメーカーが乗用車部門で世界に名を知らしめたクルマともいえます。

こちらも後輪駆動のFRで、セダンとクーペが作られました。

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<ジェミニのリア>KP/DA21mm

エンジンは1600ccのガソリンで、のちに1800ccのガソリンとディーゼルが追加されました。

カテゴリー的には小型車ですが、他のメーカーを持ち出すとトヨタならコロナ、日産ならブルーバードよりやや小さい、カローラやサニーよりやや大きい位置づけでしょうか。

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<初代ジェミニ>KP/DA21mm

またのちに、ライトは角目に変更され、フロント部分も下部がややせり出すスラントノーズに変更されました。

後年、オペル・カデットの新世代モデルをベースとしたFFの二代目ジェミニが登場しますが、よほど人気があったのか初代のFRジェミニもしばらくは並行して販売されたほどです。

見た目は地味ですが、いすゞの誇る名車ともいえましょう。

続きます。

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2021年5月23日 (日)

チベット高原の遊牧民

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(11)

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<3つの塔>P-30/SMC A28mm

冬虫夏草売りとのやり取りのあと、しばらく進むと宗教的な意味合いのありそうな塔が現れました。

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<ヤクの角>P-30/SMC A28mm

塔の側に、おびただしいヤクの角が丸い形にまとめられていました。何か意味のあることでしょうが、わかりません。

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<石版>P-30/SMC A28mm

角の上にはチベット文字が刻まれた石板が置かれていました。

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<タルチョ>P-30/SMC A28mm

風雨にさらされたタルチョと呼ばれる布が渡されています。

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<遊牧民>P-30/SMC A28mm

近くのテントから遊牧民が近づいてきました。

冬虫夏草売りと違い、友好的です。表情を見ればわかりますね。

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<ヤクの糞>P-30/SMC A28mm

遊牧民のテントに近づくと、ヤクが放牧されていました。ヤクの糞が積み上げられていました。燃料にするのでしょう。

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<乾燥中>P-30/SMC A28mm

天日干しの糞です。

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<実演中>P-30/SMC A28mm

投石機をどのように扱うのかを見せてくれた女性です。観光慣れしているとは思えませんが、穏やかな人たちでした。

この後、バスはさらにラサに向かいます。

続く。

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2021年5月22日 (土)

白いポスト

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<太平洋>OMD10/ED14-42mm

銚子駅前に1泊しまして、早朝から犬吠埼にやってきました。

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<灯台前の広場>OMD10/ED14-42mm

灯台の前に連なる建物はお食事処や土産物屋です。その前に駐車スペースがあるのですが、週末や祝日は駐車スペースを確保できないでしょう。

お食事処や土産物屋の裏が正式な駐車場です。営業時間中はその中を抜けてアクセスできます。

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<犬吠埼灯台>OMD10/ED14-42mm

この周りは歩くことができます。

そのほかにも遊歩道がありますが、地盤の悪いところがあり、そこだけはロープで囲われていました。結構風が吹きすさぶ場所です。

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<犬吠埼>OMD10/ED14-42mm

確かに岩盤悪そうです。

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<白いポスト>OMD10/ED14-42mm

灯台の入口前にこんなものがありました。日本で唯一だとか。ま、そうでしょうねえ。

ここから投函するといいことがあるとも。

犬吠埼は東宝映画のオープニング映像の波が撮影されたところです。でも、そこは現在立ち入り禁止ですね。

また、富士山頂や離島のようなところを除いて初日の出の時間が最も早いそうです。元旦の朝はすごい人出でしょう。

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<おまけ>OMD10/ED14-42mm

銚子電鉄外川駅の赤いポストです。「ありがとう」の文字入り。

銚子電鉄、あくまでも謙虚です。

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2021年5月20日 (木)

文化庁長官はポップスの達人なのである

かすてら音楽夜話Vol.115

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察しのいい人はお気づきでしょうが、今回は先月文化庁長官に就任された、作編曲家の都倉俊一氏を取り上げます。

1948年生まれ。デビューは中山千夏の「あなたの心に」(作曲のみ)です。この時わずか21歳ですのでかなりの早熟であったといえます。

というのも、父親が外交官でひとりでドイツにわたり音楽の基礎を学んだ経験もあるのですね。

そのようにして徐々に歌謡界で名を広めていき、ほとんどの曲でアレンジも手掛けるようになりました。

さて、都倉氏というと山口百恵のキャリア前半とピンクレディのほとんどの曲を手掛けたことで知られています。トピックとなるような代表曲はこの中から出てくることでしょうが、ワタクシ的にはさらにインパクトのあるものを紹介しましょう。

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都倉俊一氏は山本リンダの本格的カムバックで作詞の阿久悠氏とともに一連の曲を提供しています。

「どうにもとまらない」、「狂わせたいの」、「じんじんさせて」、「狙いうち」…というお色気路線。どこか一本筋の通ったコンセプトではあるのですがね。これは、のちのピンクレディの時にも発揮されたものにも通じます。

 

つうことで、取り上げたのはカムバック第1弾、「どうにもとまらない」(作詞:阿久悠 作編曲:都倉俊一)でした。1972年リリースのオリコン3位です。

これほどインパクトのある曲はないでしょう。曲の構成から行くと、Aメロ、Bメロ、Aメロ、Bメロ、サビとなります。従来のAメロ、Bメロ、サビとは違いひとひねりしてます。

山本リンダも1966年の「こまっちゃうナ」以来の大ヒットで、曲以外にも「ヘソ出し」「パンタロン」「激しい振り付け」と必死のアピールなのであります。この時代、テレビも平気でお下劣なことをやっていたはずですが、歌謡番組で歌手がお腹を出して歌うなんてことは一切なかったわけです。

曲の購買層はティーンエイジャー以上の男性でしょうけど、オリコン3位止まりだったのは、中高生あたりがこのシングルを買ってくると、「おかんにどやされる」危険性があったからかもしれません。

山本リンダ、こう見えても都倉氏より2学年下のまだ21歳でした。めっちゃ大人に見えます。

都倉氏のアレンジは曲構成だけにとどまらず、曲の間のラテンパーカッションが秀逸です。

紅白出場時の映像もありますので、リンク張っておきます。こちらは曲間だけでなく、ダン池田とニューブリードのパーカッショニストが終始叩きまくりという。

「ヘソ出し」についてですが、うだるように暑い内陸部の中国とかバンコクの中華街などでは、ランニングシャツの裾をまくり上げたおっさんがいまして、これを秘かに「山本リンダ」と名付けていたのはワタクシでございます。

また、曲は変わりますが、「狙いうち」は自分の通っていた学校の野球部の試合でチャンスになると応援団が流していたのをよく覚えております。その後、高校野球でも使われるようになりました。これが当時のプロ野球でも導入されていたら、助っ人外人の元大リーガーなどが「Oh!リンダヤマモト!」などと感銘して本国にも多少の影響が出たかも…なんちゃって。

 

続いての曲はペドロ&カプリシャスの「ジョニィへの伝言」(作詞:阿久悠 作編曲:都倉俊一)でした。1973年リリースでオリコン24位。とはいえ、かなりのロングヒットとなり累計売上が50万枚ともいわれています。

ペドロ&カプリシャスとは、名前でも想像できるでしょうが、ラテンテイストのバンドです。デビュー曲「別れの朝」(外国曲のカバー)はオリコン1位を取りましたが、この曲からヴォーカルが前野曜子から髙橋まりに変わりました。

髙橋まりとは現在の髙橋真梨子のことです。

曲についてですが、アレンジ自体は平凡です。ですが、ラテンバンドにリズムを強調せず、髙橋まりのヴォーカルをじっくり聴かすつくりになってますね。

曲の構成も独特で、Aメロ、Bメロ、サビ。続けてそのリフレインから大サビとなります。特にAメロ、「♪ジョニィがきたなら教えてよ、二時間待ってたと」の部分ですね。1音ずつ上がっていき見事に「ドレミファソラシドレ」(Cまたはハ長調の場合)を実現させております。大胆ですよね。

そしてBメロではポップスの王道ともいえそうな弾むような展開でサビにもっていくのですね。それで終わりかと思ったら大サビの「♪今度のバスで行く…」ですから、都倉ワールド全開の独創的な作りになっております。

続くシングル「五番街のマリーへ」も阿久悠・都倉俊一コンビでこちらもロングヒットを記録しました。今度はさらに和風にまとめられ、ラテンテイストはどこへといった感じです。ペドロ&カプリシャスはしばらくはこの阿久悠・都倉俊一とのコラボで活動していましたが、髙橋まりとメンバーのヘンリー広瀬(髙橋真梨子ののちの旦那)の脱退により方向性も元に戻っていったようです。

 

3曲目は桑江知子の「私のハートはストップモーション」(作詞:竜真知子 作曲:都倉俊一 編曲:萩田光雄)でした。1979年リリースの曲でオリコン12位のスマッシュヒットです。

YouTubeの映像は桑江さんのライブなんですが、バックの演奏はシングルによるものでいわばカラオケ状態です。とはいえ、桑江さんの歌もシングルと遜色なく、貴重ですので採用しました。

アレンジを年長者の萩田氏に任せているのは、同時期に活動していたピンクレディの方に専念したい気持ちがあったからでしょうか。とはいえ、曲の構成は手を抜いておりません。

こちらは、いきなりサビから始まります。しかも、サビがかなり長い。歌唱力が求められます。これはインパクトありますね。そして、続くAメロ、Bメロは短く、しかしなかなか歌い辛そうなメロディです。そして、再びサビにもっていくという展開。もう全体的に歌唱力がなければ歌いこなせない曲ともいえましょう。

桑江さんですが、これがデビュー曲です。そして、年末のレコード大賞最優秀新人賞を獲得しています。この時のライバルには竹内まりやもいたのですが、桑江さんの圧勝ですね。

桑江さんの所属は渡辺プロで、ニューミュージック系のプロモーション活動をナベプロで行った先駆けです。そのナベプロ、桑江さんのデビューを1979年1月に設定し、年末に照準を合わせて賞を取らすという見事な戦略でした。ちなみに竹内まりやはいち早く1978年にデビューしサードシングルの「September」で賞レースに参加するという具合でしたので、新人というフレッシュさには欠ける部分もあったのかもしれません。

ナベプロではニューミュージック部門ということになっていましたが、その時はニューミュージック風に歌うシンガーでした。そういう意味では後輩(年齢は逆転しますが)の山下久美子と同じような立ち位置の人でした。吉川晃司も同様ですね。ですが、本格的なブレイクはしませんでしたねえ。この曲大好きだったけどね。

都倉氏の残念だったことはひとつあります。それは、ピンクレディのアメリカ進出時に都倉氏の曲が採用されなかったことです。都倉氏であれば、アメリカ人の言葉に曲を乗せるなど朝飯前だったろうに、くれぐれも残念です。

ということで、都倉俊一の3曲を自分なりに選んでみました。はたして、現在の文化庁長官という身分と作編曲家が両立するかどうか。微妙な立場ですね。曲をリリースしたところで、クレーム入ったりしますからね。「何やってんだ」とか。

早いところ、今の身分は解除してあげて、大衆に受け入れられるような曲を長く作っていただきたいところです。

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2021年5月17日 (月)

道の駅八王子の新メニュー

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.26

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<道の駅八王子滝山>PowerShot

4月某日。町田にまん延防止法が出る前の話です。

また来ちゃいました。まあ、ちょっとしたドライブには適度な距離にあります。

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<きのこそば>PowerShot

道の駅にある食事スポットの八農菜というところです。メニューを眺めると、新しいものが追加されていました。

きのこそばです。うどんもありますが、この日は蕎麦の気分でした。

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<具沢山>PowerShot

きのこをふんだんに使った蕎麦です。つけ汁ではないので、途中で冷めなくていいですね。

大根の千切りがのってます。しめじが太いです。なめことしいたけも入ってます。

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<天かす>PowerShot

これは自動的に付いてきます。これがあるのはありがたい。

温かい麺類を出す店であれば、丸亀みたいにトッピングし放題であればさらに嬉しいです。でも、適量ですかね。

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<全投入>PowerShot

すべてをぶち込むとこんな感じです。麺が見えません。

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<リフトアップ>PowerShot

頂きます。

これ、想像通りの味ですね。気に入りました。惜しむらくは季節限定のメニューみたいなんですね。通年やってくれたらいいのに。あと何回くらいかは食べてもいいなあ。

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<麩>PowerShot

変わった形の麩が入ってました。乾燥状態では別に何ともありませんが、そばつゆをたっぷりと含んでいると、何となく美味いです。

これで、750円でした。

6月1日を楽しみにしております。堂々と他県へ行けるし。道の駅巡りも再開したいですわ。ちなみに、東京には道の駅が今のところここしかないですからね。

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2021年5月15日 (土)

高原の冬虫夏草売り

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(10)

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<ナチュの朝>P-30/SMC A28mm

一夜が明けてさわやかな朝です。

よく眠り、頭痛はおさまりました。前夜あまり美味いと感じなかった食事も普通に食べられるようになりました。

といってもホテルは中国世界なので朝は味のついていない白粥が中心です。これに、塩漬け卵や野菜をおかずとするのですが、中国経験の豊富なメンバーは桃屋の「ごはんですよ」とか、「大人のふりかけ」を用意してきていて、これを分けてもらって満足です。

出発待ちのメンバーの顔つきも緩んでいて、高山病症状が治まったのか、それとも出なかったのか。それでもいまだに、絶食に近くただバスに身をゆだねているメンバーも数名いましたが。

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<バスは進む>P-30/SMC A28mm

この日はついにラサ入りの予定です。といっても、相変わらず、観光の予定はなし。でも、車窓の眺めは抜群です。

それに、もうこれ以上標高が上がることもないというのが、一筋の希望でもありますね。

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<突如現れた地元民>P-30/SMC A28mm

道に突如現れた集団がいました。

ガイドの尹さんによると、冬虫夏草を売り歩くチベット族だとのこと。バスは止まり、我々も降ります。

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<リーダーの男性>P-30/SMC A28mm

彼らが持っていたのは紛れもなく冬虫夏草で、漢方薬として市場では高価に販売されているものです。

彼らは冬虫夏草を探してこれを乾燥させて売り歩くようです。ここではほとんど外国人は来ないので、漢民族相手の商売でしょう。ということは、それほど高額ではないようでした。

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<一家のようです>P-30/SMC A28mm

このあと、テント生活をしているチベット族とも遭遇するのですが、この冬虫夏草売りの家族らしい一団は独特の風貌でした。

長らくシャワーも使っていないような頭髪に服装。とてつもなく日焼けしています。

彼らに、社長のSさんとHさんがポラロイド写真を進呈したのですが、にこりともしませんでした。

チベット族の中でもカム(康)と呼ばれる独特の集団なのかもしれません。

結局、冬虫夏草を買ったのはガイドの尹さんと我々のガイドのNさんだけでした。

続きます。

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2021年5月14日 (金)

銚子のたそがれ飯

銚子には1泊したのですが、ほぼ銚子電鉄に時間を費やし、ごく短時間銚子駅の北側を散歩したにすぎません。

とはいえ、気になるものをピックアップしてみました。

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<誰でもピアノ>OMD10/ED14-42mm

銚子駅にはピアノがありました。ヨーロッパの駅に置いてあるような、誰が弾いてもいいやつです。

日本では群馬の「道の駅かたしな」にありましたが、他にもあるのでしょうか。特に駅という場所にあるのは知りません。見た感じは戦前に国内のメーカーで作られたもののようです。周りのパネルが漆黒に塗装されてないですし。

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<果たして需要はあるのか>OMD10/ED14-42mm

これも駅前のお店。なぜかトゥクトゥク。

レンタカーということですが、これを自分で運転する人がいるのかどうか。おそらくは、店のオーナーがドライバーとなって時間契約で観光に使うのではないかと推測します。

それにしても、銚子でトゥクトゥクですが。違和感たっぷりです。我が家の近くにもこれで走っている人を見かけますが。この前、カラーリングの異なるトゥクトゥクも見かけましたが、オーナーが複数いるのか、一人のオーナーが複数台所有しているのか。

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<チーバくん>PowerShot

なんでも大平洋岸自転車道というものがあって、起点が銚子で和歌山市に至る1400kmの自転車道なのだとか。

こちら、千葉県のマスコットキャラクターとのことです。知らんけど。

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<醤油の町>PowerShot

でも、ここは見学できないようです。市内にいくつかの醤油醸造所があり、そちらでは見学もできるようです。

多分、今の時期は予約必至で見学も難しいかも。ま、いつかは再開されるでしょうけど。

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<利根川>PowerShot

奥の橋は「銚子大橋」です。かなり長く対向1車線でした。

ここまで1km足らずを歩いてみたのは、どこか情緒のありそうなところで夕食が取れるかのリサーチも兼ねてですね。外国に出て初めての都市でもそんなことをやってます。

しかし、店はあっても休業中とか昼間だけとか。地方都市に行くと夕方6時くらいに店じまいするようなところも多いです。

つうことで、不満は残りますが駅前の居酒屋風へ。

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<生ビー>PowerShot

ひとり客はカウンターって決まっているみたいでした。ガラガラだったのに。

マグロの山かけがお通しです。あとで、レシートを見たらこれにも課金されてました。

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<地魚盛り合わせ>PowerShot

真ん中のやつ違うんじゃね?

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<つみれ汁>PowerShot

これは地元産でしょう。

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<つみれ>PowerShot

イワシだったし。

白髪ねぎを細長く切ったものとショウガを長く切ったものが入ってました。それほど臭みはないけど。

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<雰囲気はある>PowerShot

普段の自分からはかなり小食で、これだけで終わりにしました。

まだ、緊急事態宣言は出ておらず、銚子はまん延防止法も適用されてませんでしたが、20時にはオーダーストップかかりそうで。

JRの駅のあるところにしては他に居酒屋が数軒やっているのみ。このあと、眠気が強くそのまま寝ました。

続きます。

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2021年5月12日 (水)

京平さん追悼番組に物申す

かすてら音楽夜話Vol.114

Tsushumi

昨年、「史上最強の職業作曲家」という記事を書きました。

まだその時は筒美京平さんはご存命でしたが、10月にお亡くなりになり、直後から追悼番組がいくつか放送されました。

NHKでは盟友ともいえる松本隆のインタビューなどを盛り込んだ内容でした。テレビ朝日の林修の番組では、どういうわけか爆笑問題の田中裕二がMCで彼の選んだベスト20という内容でした。

1960年代から昨年までという長いスパンでの活動でしたので、各年代をまんべんなく取り上げたものといえます。

ですがね、マスコミや芸能界全般にいえることなんですけど、某事務所所属のタレントの楽曲を異様に持ち上げすぎなんじゃないかとこの記事を書くことにしたのですね。

例えば、Kです。別に彼が不倫をした、事務所を辞める時の態度がどうこうは申しません。はっきり申し上げると、Kは歌が下手です。まあ、芸能界には能瀬慶子という致命的に音程の取れない人はいましたけど、Kの場合、そこらの素人とそれほど変わらないんじゃないかと思っております。

テレ朝のMCの田中裕二も1965年生まれで、Kと同級生。思い入れもあるといいますが。Top20の選曲では田中ひとりで独断的に選んだとは思えないですが、彼が高校から大学くらいの時の曲が盛り込まれていたんですね。

ちなみに、テレ朝の番組放送時点ではKの曲はTop20にもちろん入っていましたが、不倫発覚後の放送だったためか、曲の音声・映像とも流れませんでした。

また、1980年代に出現し始めたアイドルたちも曲の評価以上に取り上げられすぎだったような。京平さんはヒットメーカーで任せておけば大丈夫というところもありますが、この人を絶対売るという超プレッシャーのかかったところでは本来の京平さんの自由奔放さが制限されているとワタクシは感じます。そのような下心の感じられないところの曲を評価したいです。

長くなりました。つうことで、あれを外してこっちを評価しろという記事。

 

野口五郎で「青いリンゴ」(作詞:橋本淳 作曲:筒美京平 編曲:高田弘)でした。

この曲は野口五郎のセカンドシングル(1971年)なんですが、彼のデビュー曲は「博多みれん」というモロ演歌だったわけです。ですが、まったくヒットせず、ポップス路線に転向したのがこの曲だったというわけです。

オリコンチャートでは14位でしたが、この時わずか15歳(高1)。若い男性アイドルが不在であった芸能界ではものすごく注目された存在となったのですね。翌年の1972年に西城秀樹と郷ひろみがデビューするきっかけでもある曲ですので、これはひときわ評価したいです。

また、1974年の「甘い生活」(作詞:山上路夫 作編曲:筒美京平)で野口五郎は初のオリコン1位を獲得しています。野口五郎のポップスセンスを見事にくみ取った京平さんの能力が発揮されていると感じますね。

これがなかったら、「新御三家」は存在しなかったかもしれない曲です。

 

榊原郁恵で「ROBOT」(作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀)でした。

こちら、1980年のリリースで、オリコンチャートでは17位というスマッシュヒットです。

全面的にシンセサイザーのピコピコ音が耳につくところです。当時は海外ではクラフトワークなど、国内ではYellow Magic Orchestraの楽曲が「テクノポップ」として出てきた頃です。ちょうど、テクノロジーの世界でもまともなシンセサイザーが使い物になってきたところで、海外・国内の楽曲ウォッチャーでもある京平さんが、シンセを使ってみようという冒険作品でもあるのです。

例のTop20ではテクノ歌謡ということで、早見優の「夏色のナンシー」(作詞:三浦徳子 作曲:筒美京平 編曲:茂木由多加)を取り上げていましたが、「夏色のナンシー」は1983年。郁恵さんのほうが早いんです。

京平さん、実験好きですから。庄野真代の「飛んでイスタンブール」でヨーロッパとアジアの狭間を体現して、その後「魅せられて」でレコード大賞を取るという。

ま、こちらはいち早く「TOKIO」(沢田研二)という曲もありましたけど。

 

稲垣潤一の「ドラマティック・レイン」(作詞:秋元康 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀)でした。

1982年リリースのオリコン8位のスマッシュヒットです。

稲垣潤一もまた、歌うドラマーですね。彼の武器は独特の声で、ドラムは付け足しともいえます。スカウトされたのもドラムじゃなくてこの声なんです。ほとんど歌謡界の匂いのしない人物ですが、リリースするシングルはほとんどが提供曲です。ま、それだけ歌がうまいともいえます。

歌謡界とかけ離れた稲垣潤一ですが、シングル曲はアルバムからのシングルカットということになります。デビューアルバムはオリコン22位と、ポップス・ロック寄りの新人としては健闘の部類に入るでしょう。ですが、このアルバムからの2曲のシングルは見事にこけ、いよいよ、京平さんの出番が回ってきます。

こちら、曲先で作詞は3人の作詞家のコンペが行われ、秋元康のものが採用されました。アレンジは京平さんの弟子のような関係の船山氏が手がけました。イントロ部分に「セーラー服と機関銃」がかすかに感じられますが、ぼぼ完璧ですね。

こうして、稲垣潤一のアダルトなポップロックが誕生したというわけです。京平さんの曲でこの立ち位置のものは初めてではないでしょうか。ま、以前に桑名正博に提供した曲はありますけど。これほど、歌謡界と距離を置いたテイストの曲はないんじゃないかな。

さて、作詞の秋元氏ですが、これが初のヒットで実質2曲目ということになります。この曲がなければ秋元氏もただの放送作家で、その後のおニャン子クラブもAKB48も、「川の流れのように」もなかったわけで、意外に見落とせないエポックな「ドラマティック・レイン」なのでした。

さあ、どうだ某事務所に、爆笑の田中(および番組スタッフ)!

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2021年5月10日 (月)

本格に近いカルビ丼

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<気になる店>PowerShot

居住の町田市にファミレスなどが集中する通りがあります。郊外であることには違いはありませんが、片側1車線の対面通行の道路沿いです。

ファミレスがあった跡地に新しくできた店がありました。道路側に大きく値段が出ていて、気になってはいました。

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<店内>PowerShot

おお、意外に広いです。それに、かなりテーブルの間をあけてました。アクリル板もきっちりありまして、感染対策ばっちりな気がします。

これ、近くの中華屋で耳に入りましたけど、店の感染対策担当が研修を受けるのだそうです。そして、受講者にお墨付きが出て、店の対策もできていれば、百合子氏の「虹のステッカー」がいただけるのだとか。

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<呼び出しブザー>PowerShot

ちなみに、自販機で食券を購入し、ブザーと交換です。ブザーが鳴ったら出来上がりで、セルフで受け取り、テーブルまで運びます。

昼食時間を結構過ぎていました。感染対策ばっちりなんですが、客が見事に分散しておりました。ま、平日ならこんなもんでしょうか。緊急時ですし。

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<カルビ丼>PowerShot

この店で最も安い1品です。汁物は付きません。

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<肉~!>PowerShot

そういや、ずっと前に松屋で似たようなものを食べました。

ただし、あちらはキムカル丼ということで、こちらはキムチが入っておりません。肉が敷き詰められております。

青ネギは多めですが、除去はしやすいですよね。つーか、「抜き」の注文も可能でしょう。

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<七味投入>PowerShot

この店は松屋のように各種調味料はたくさんありません。テーブルの調味料で使えそうなのは七味唐辛子のみでした。

その後、ネギとカルビをよくなじませ、食すでございます。おお、なかなかです。

本格とまでは申しませんが、ファミレスや専門店の冷凍ものまたはレトルト感がなく、肉をきっちり焼いているなという味です。

卵のトッピングとか欲しい人もいるでしょうが、宗教上の理由(もちろんウソです)からなくてもいいんです。

これで550円です。安いですよね。

こちら、京都発のチェーン店です。しかも、東京ではここのみ。関東に限っても他に埼玉に2店舗あるのみ。ホームページを見ると、これからどんどんチェーン店を増やしていきそうな勢いも感じます。

韓丼

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<店の謎>PowerShot

でも、どういうわけか駐車場のど真ん中にお墓があるんですよねえ。

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2021年5月 8日 (土)

日野のバス・トラック

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<ボンネットバス>PowerShot

日野オートプラザの最終回です。

懐かしのバスですが、さすがにこれには乗ったこともないし、走っているところを見たこともないです。

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<運転席付近>PowerShot

中はなんとワンマン対応。料金箱などもあります。ということは、1970年代くらいまで日本のどこかではこのボンネットのあるバスが走っていた可能性はあるかもしれません。

床は木製で全席ベンチシートでしたが。

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<ボンネットトラック>PowerShot

こちらは屋外展示でした。とはいえ、雨ざらしではありませんでしたが。

よく見ると、屋内展示のボンネットバスとほぼ同じ形です。

このトラックは1990年代に中国で走っていました。よく見たのが、青海省とチベット自治区で、未舗装路にも強そう。現在はさすがに中国でも走ってないのではないでしょうか。

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<はしご車>PowerShot

また、ボンネット系の車両ではかつて沖縄市消防署で使用されたタイプも展示されていました。

以前は「コザ市」という名称だったのですが、改称されたのが1974年ですから、日本各地の消防署で見かけた車種ということになります。

隣のボンネットトラックとは形も違いますね。

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<日野レンジャー>PowerShot

現在日野のトラックの主流が「レンジャー」ですかね。

こちらの屋外展示車はパリ・ダカールラリーに出場したものです。

このラリーにはカミオン(トラック)部門というカテゴリーがあり、1991年の日野自動車50周年を機に参加をはじめ、現在まで連続で出場しています。

1997年には部門優勝をしています。

ちなみに、「♪日野の2トン」はデュトロという車種です。

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<トラックの運転席>PowerShot

すべての車種のコックピットが解放されているわけではありません。それは、コロナ対応ということで。

で、これを覗くと、ダイヤル式やボタン式のオートマチックトランスミッションだったり、クラッチがあるのにトランスミッションはオートマチックっぽい形のものがあったりしました。

たとえ、プロドライバーでも運転は手間を軽減したほうがいいですからね。

まだ展示車はありましたが、このくらいにしておきましょう。ちなみに、その後また別の自動車博物館を訪れております。

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2021年5月 6日 (木)

銚子電鉄に乗ってみた

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<JR銚子駅>OMD10/ED14-42mm

JR総武本線の終点、銚子駅です。JRとしてはどん詰まりの駅ですが、さらに私鉄の銚子電気鉄道が外川まで6.4kmを運行してます。

鹿島神宮の後にここまでやってきました。宿も銚子に取りまして、魚介料理の夕食を楽しみにしてますが、早めにやってきたのは、明るい時間に銚子電鉄に乗るという目的もありました。

では、切符を購入して終点の外川までを往復しようと思ったのですが、切符売り場が見つかりません。学生の時にサークル活動でここに来て、銚子電鉄にも乗ったはずですが、その時の記憶は全く残っておりません。

案内所のようなところで訊ねると、改札を入って銚子電鉄の車内で切符を買うのだということです。改札はそのまま通ってよいとのこと。でも、直前に電車が出たとのことで、30分以上の時間待ちです。

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<ホームのモニュメント>PowerShot

自動改札ではない有人の改札で銚子電鉄に乗るという旨を告げ、銚子電鉄のホームへ。しかし、この21世紀に改札をスルーできる駅があるとは。しかも、銚子電鉄はSUICAもPASMOも使えないんです。これは、相当経営が逼迫していますね。自動券売機もないのですから。

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<どこかで見たような>OMD10/ED14-42mm

銚子電鉄のホームは総武線・成田線の発着するホームのはずれに、切れ目を入れるような形でちょこんと存在しました。JRから(へ)の乗り換え客のために、非接触型のSUICAとPASMO用のタッチパネルが置かれています。でも、銚子電鉄は定期券を持つ客以外は車内でチケットを購入するんですね。

しばらくすると電車がやってきました。2両編成です。なんか見たことがある電車だなと思ったら、京王井の頭線の車両じゃないですか。懐かしすぎる。

…というのは、乗車時の感想で、実際は伊予鉄道から譲渡された車両だそうです。でも、その車両はもともと京王電鉄京王線のグリーンに塗装されていたもので、台車は1067mmに付け替えられたものだそうです。雰囲気と塗装が井の頭線を彷彿とさせたのでしょうか。でも、京王線の緑の各駅だったらちょくちょく利用していたので、もしかしたら乗ったことのある車両という可能性もありますね。

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<1日乗車券>OMD10/ED14-42mm

2両編成ですが、基本ワンマン運転です。車両の前後にバスのような料金箱があります。乗り込んで先頭車両の席を確保しようと歩いていると、女性の車掌に呼び止められ切符を購入しました。

銚子ー外川の料金が350円です。「外川まで往復で」と告げると、700円の1日乗車券を売ってくれました。一応乗り放題ということになります。実際には主要駅に観光的なものがないので、実質的な往復切符ということになりますか。

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<外川方面の先頭車両>OMD10/ED14-42mm

つり革もありますが、通勤時間帯でも満員になることはなさそうです。この時は適度に人が乗ってましたが、全員座れていました。

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<レトロ調>OMD10/ED14-42mm

このようなホーロー看板をどうやって見つけてきたのか。まあ、経営努力なんでしょう。

路線バスにあるような料金表示だけが現代とマッチします。

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<中吊り広告>OMD10/ED14-42mm

この「絶対にあきらめない」というのが銚子電鉄のキーワードみたいです。

そして、駅名には別に愛称がついてました。銚子駅が「絶対にあきらめない 銚子」で、終点の外川が「ありがとう 外川」でした。秀逸なのが本社のある本銚子駅が「上り調子 本調子 京葉東和薬品 本銚子」というのと、笠上黒生(かさがみくろはえ)駅が「髪毛黒生」でした。ダジャレ好きなのかもしれません。

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<レトロ看板>OMD10/ED14-42mm

それにしても、レトロな看板を掲げていますが、スポンサー料は頂いていないはず。逆にかつてカルピスで肝油を作っていたのかということを学習しますね。

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<外川駅>OMD10/ED14-42mm

終点です。銚子電鉄には乗り鉄以上に訳のわからない人が乗り込んでますし、この駅にも何をするわけでもないおじいさんが待合室にたたずんでました。

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<かつての車両>OMD10/ED14-42mm

外川駅の引き込み線に留置してある車両です。こちらも伊予鉄道からのもののようです。古色蒼然として見えますが、2010年まで現役だったようです。

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<銚子駅の掲示板>OMD10/ED14-42mm

「(非)電子掲示板」とは、ここでも遊び心が発揮されています。ちなみに、中央のポスターは銚子電鉄の制作した映画です。

 

動画も撮ってきたので見てください。

続きます。

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2021年5月 3日 (月)

フィンガー5とイアン・ギラン

かすてら音楽夜話Vol.113

 

突然でしたが、フィンガー5の「学園天国」(作詞:阿久悠 作編曲:井上忠夫)でした。

「学園天国」はのちにカバーされた小泉今日子ヴァージョンもありますが、冒頭の「♪ヘ~イ、ヘイ、ヘイ、ヘ~イ、ヘイ!」のぶっ飛び方は、とてもじゃありませんが、晃くんにはかないません。

フィンガー5というグループ名からわかるように、アメリカのJackson 5(ジャクソン5、のちのジャクソンズ)に倣った、元祖沖縄アイドルの兄弟グループです。

Finger5

ま、晃くんと書きましたが、今年還暦でございます。それにしてもリリース時12歳で小学生。声変わり前なのか、それにしても異様なハイトーンでございます。そして、歌のうまさは天才的ですし、「ガキのくせしてサングラスかよ」っちゅうイメージなので、非常に鼻につく存在として見えた方も多いのではないでしょうか。ま、ジャクソンファイヴのMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)的な立ち位置の人です。

こちらの「学園天国」ですが、1974年のリリースで、オリコンシングルチャートは2位まで上がった曲です。それ以前にも、「個人授業」(阿久悠・都倉俊一作品)と「恋のダイヤル6700」(阿久悠・井上忠夫作品)が連続の1位を獲得していて、当時のトップスターですね。現在であれば妹の妙子さん(11歳で小学生)も含め、夜の番組には出演できないことになりますが。

で、印象的な冒頭の「♪ヘ~イ…」なんですが、もとになった曲があります。

 

Gary U.S. Bondsの「New Orleans」(Frank J. Guida-Joseph F. Royster)でした。

1960年のリリースでビルボードの6位を記録したヒット曲です。

この方、1961年にビルボード1位を獲得したことがあるのですが、それ以降はヒットに恵まれず、突如1981年に復活しビルボードのチャートにも顔を出すという復活を遂げたことがあります。

この曲の冒頭の「♪Hey~」を井上忠夫がいただいたのですね。リスペクトした表現ですと、Gary U.S. Bondsをオマージュして「学園天国」で使ったということになります。なにしろ、元ブルーコメッツですから、1960年の曲くらいコレクションしていたと思いますよ。

どちらの「ヘイ」も作詞じゃないのかという話も出てくるでしょう。ですが、職業作詞家の阿久悠さんはそんな下世話な言葉を書かないでしょう。まずは、阿久悠氏が詞先で井上忠夫氏にバトンタッチし、井上氏が曲を作りますが、アレンジも担当した井上氏が「そうだ、あれがあった!」と「New Orleans」を引っ張り出してきたのだと考えます。それを阿久悠氏がOKを出し、インパクトのある曲となったのですね。

この手法、筒美京平氏のやり方にも似ています。

で、「New Orleans」の冒頭の「♪Hey~」ですが、フィンガー5と比べるとやや控えめな感じがします。これは、井上氏が晃のハイトーンを生かして、Gary U.S. Bondsよりも強調した感じに仕上げたのでしょう。

さて、「学園天国」から7年後、イギリスで「New Orleans」をカバーしたバンドがいました。

 

Gillan(ギラン)の「New Orleans」でした。1981年のUKチャートで17位と、ハードロックとしては異例のシングルヒットを記録しています。

ヴォーカリストのIan Gillan(イアン・ギラン)はDeep Purple(ディープパープル)のヴォーカリストです。

Iang

この曲の冒頭の「♪Hey~」なんですが、フィンガー5の「学園天国」に近いものがあるように思えてなりません。ま、Gary U.S. Bondsのヴァージョンをハードロックやメタル寄りにアレンジすればこんな風になるという話もありそうですけど。

イアン・ギランはパープル時代も含めて何度も来日していて、その際にフィンガー5の演奏をテレビで見たとか、はたまた、レコード収集していた、中古レコード屋で偶然見つけたなどの可能性がなくはないですね。

ディープパープルの来日としては1973年で、「学園天国」リリース前です。ですが、Ian Gillan BandとGillanとしては1977年、1978年、1981年に来日してます。

その時にレコ屋を漁るイアン・ギランの図というのもなんか夢があるじゃないすか。

日本人アーティストというと洋楽のパクリという話も出ますけど、逆パターンがあってもいいんじゃね?

★この記事は、昨日facebookにアップされた元「知子のロック」のトーマスさん(すずき銀座さん)の記事からインスパイアされて書きました。トーマスさん、ありがとうございます。

★引き続き、リクエスト等ありましたらお願いいたします。高評価の「いいね」とコメントもいただけるととても嬉しいです。

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2021年5月 2日 (日)

日野市民のアシ

日野オートプラザの続きです。

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<展示車両>PowerShot

大昔のことですが、日野市に住んでいたことがあります。

日野市には日野自動車の本社があります。かつては工場があり、ここでクルマを生産する工場がありました。前の記事で、日野自動車がルノー4CVという乗用車を生産していたことを書きました。

4CVによって、乗用車作りのノウハウを学んだ日野自動車は自社生産による乗用車も生産するようになったのです。

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<日野コンテッサ>*画像はネットで拾いました

それがこのクルマ、日野コンテッサ(Hino Contessa)です。

かつて、日野市に住んでいたことがあると書きましたが、当時の自宅周辺にはこのコンテッサが結構たくさんありました。

現在で例えれば、広島市民、県民のクルマはマツダが強いというようなものでしょうか。ともかく、1960年代の日野市では愛されたクルマといえます。

当然、日野オートプラザにもコンテッサは展示されております。

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<初期型コンテッサセダン>PowerShot

丸目二灯のコンテッサの面構えです。*正面からの画像はあるにはありますが、ボケがひどく割愛させてください。

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<リア>PowerShot

この初期型ですが、900ccという排気量です。そして、現在の乗用車ではトランクにあたる部分、後端部にスリットが入っているのがお判りでしょうか。

このクルマもまた、エンジンがリアに積まれていたのです。ルノー4CVから技術を導入したわけですので、リアエンジン・リアドライブ(RR)となるのは当然でしょう。

また、この時代、乗用車といえば箱形のセダンが当たり前で、ハッチバックとかワゴン、ひいてはSUVなんてものはないのです。

ハッチバックやワゴンの形のものは商用車で、SUVに近いものは三菱ジープ(これまたノックダウン生産)しか存在しませんでした。

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<コンテッサクーペ>PowerShot

その後、エンジンは1300ccに拡大されたようです。こちらの丸目四灯の面構えは、クーペタイプでドアは2枚です。

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<リア>PowerShot

ピカピカに磨き上げられた、やや丸みを帯びたスタイル。なかなかスタイリッシュだとは思いませんか。

ちなみに、セダンはコラムシフトで前席はベンチシートになってました。クーペはフロアシフトです。前席も運転席と助手席が分かれたシートです。

そして、コンテッサから5人が乗車できるようになりました。

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<日本GP出場車>PowerShot

こちらセダンタイプですが、日本グランプリに出場したクルマです。

当時は日本GPといっても、F1が日本に来たわけではなく、主に市販車の改造車が戦っていたのです。

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<リア>PowerShot

カーナンバー付きのこのクルマ、エンジンを大幅に拡大しているはずです。と、いっても現代のヤリスやノート、マツダ2、フィットの市販車のほうが早いとは思います。

改造車の証として、バックギアに入れたときに光る後退灯がありません。無駄なものは省くのがレースの常識です。でも、ハンドルとかの改造はなく、コラムシフトのままでしたけど。

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<これもコンテッサ>PowerShot

こちらは、コンテッサ900スプリントというクルマで、海外のモーターショーで参考出品されたものです。

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<リア>PowerShot

流線形に近いボディはイタリアのミケロッティのデザインです。もっとも、コンテッサクーペもミケロッティに依頼してますが。

海外の展示のため、左ハンドルでした。エンジンも改良を受け、150km/hを出したといわれてます。

ただし、このクルマはとうとう市販されることはありませんでした。当然ながら、日野市でも走ってなかったです。

今では武骨なトラックメーカー、堤真一とリリー・フランキーが「トントントントン、日野の2トン」などとかましてますけど、昔は素敵な時代があったんです。

しかし、その後はトヨタの傘下に入り1967年に乗用車生産は終了し、バス・トラックメーカーに特化しました。ただし、トヨタのパブリカとカリーナを作っていた時期もありました。

もうすこし、続きます。

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