京平さん追悼番組に物申す
かすてら音楽夜話Vol.114
昨年、「史上最強の職業作曲家」という記事を書きました。
まだその時は筒美京平さんはご存命でしたが、10月にお亡くなりになり、直後から追悼番組がいくつか放送されました。
NHKでは盟友ともいえる松本隆のインタビューなどを盛り込んだ内容でした。テレビ朝日の林修の番組では、どういうわけか爆笑問題の田中裕二がMCで彼の選んだベスト20という内容でした。
1960年代から昨年までという長いスパンでの活動でしたので、各年代をまんべんなく取り上げたものといえます。
ですがね、マスコミや芸能界全般にいえることなんですけど、某事務所所属のタレントの楽曲を異様に持ち上げすぎなんじゃないかとこの記事を書くことにしたのですね。
例えば、Kです。別に彼が不倫をした、事務所を辞める時の態度がどうこうは申しません。はっきり申し上げると、Kは歌が下手です。まあ、芸能界には能瀬慶子という致命的に音程の取れない人はいましたけど、Kの場合、そこらの素人とそれほど変わらないんじゃないかと思っております。
テレ朝のMCの田中裕二も1965年生まれで、Kと同級生。思い入れもあるといいますが。Top20の選曲では田中ひとりで独断的に選んだとは思えないですが、彼が高校から大学くらいの時の曲が盛り込まれていたんですね。
ちなみに、テレ朝の番組放送時点ではKの曲はTop20にもちろん入っていましたが、不倫発覚後の放送だったためか、曲の音声・映像とも流れませんでした。
また、1980年代に出現し始めたアイドルたちも曲の評価以上に取り上げられすぎだったような。京平さんはヒットメーカーで任せておけば大丈夫というところもありますが、この人を絶対売るという超プレッシャーのかかったところでは本来の京平さんの自由奔放さが制限されているとワタクシは感じます。そのような下心の感じられないところの曲を評価したいです。
長くなりました。つうことで、あれを外してこっちを評価しろという記事。
野口五郎で「青いリンゴ」(作詞:橋本淳 作曲:筒美京平 編曲:高田弘)でした。
この曲は野口五郎のセカンドシングル(1971年)なんですが、彼のデビュー曲は「博多みれん」というモロ演歌だったわけです。ですが、まったくヒットせず、ポップス路線に転向したのがこの曲だったというわけです。
オリコンチャートでは14位でしたが、この時わずか15歳(高1)。若い男性アイドルが不在であった芸能界ではものすごく注目された存在となったのですね。翌年の1972年に西城秀樹と郷ひろみがデビューするきっかけでもある曲ですので、これはひときわ評価したいです。
また、1974年の「甘い生活」(作詞:山上路夫 作編曲:筒美京平)で野口五郎は初のオリコン1位を獲得しています。野口五郎のポップスセンスを見事にくみ取った京平さんの能力が発揮されていると感じますね。
これがなかったら、「新御三家」は存在しなかったかもしれない曲です。
榊原郁恵で「ROBOT」(作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀)でした。
こちら、1980年のリリースで、オリコンチャートでは17位というスマッシュヒットです。
全面的にシンセサイザーのピコピコ音が耳につくところです。当時は海外ではクラフトワークなど、国内ではYellow Magic Orchestraの楽曲が「テクノポップ」として出てきた頃です。ちょうど、テクノロジーの世界でもまともなシンセサイザーが使い物になってきたところで、海外・国内の楽曲ウォッチャーでもある京平さんが、シンセを使ってみようという冒険作品でもあるのです。
例のTop20ではテクノ歌謡ということで、早見優の「夏色のナンシー」(作詞:三浦徳子 作曲:筒美京平 編曲:茂木由多加)を取り上げていましたが、「夏色のナンシー」は1983年。郁恵さんのほうが早いんです。
京平さん、実験好きですから。庄野真代の「飛んでイスタンブール」でヨーロッパとアジアの狭間を体現して、その後「魅せられて」でレコード大賞を取るという。
ま、こちらはいち早く「TOKIO」(沢田研二)という曲もありましたけど。
稲垣潤一の「ドラマティック・レイン」(作詞:秋元康 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀)でした。
1982年リリースのオリコン8位のスマッシュヒットです。
稲垣潤一もまた、歌うドラマーですね。彼の武器は独特の声で、ドラムは付け足しともいえます。スカウトされたのもドラムじゃなくてこの声なんです。ほとんど歌謡界の匂いのしない人物ですが、リリースするシングルはほとんどが提供曲です。ま、それだけ歌がうまいともいえます。
歌謡界とかけ離れた稲垣潤一ですが、シングル曲はアルバムからのシングルカットということになります。デビューアルバムはオリコン22位と、ポップス・ロック寄りの新人としては健闘の部類に入るでしょう。ですが、このアルバムからの2曲のシングルは見事にこけ、いよいよ、京平さんの出番が回ってきます。
こちら、曲先で作詞は3人の作詞家のコンペが行われ、秋元康のものが採用されました。アレンジは京平さんの弟子のような関係の船山氏が手がけました。イントロ部分に「セーラー服と機関銃」がかすかに感じられますが、ぼぼ完璧ですね。
こうして、稲垣潤一のアダルトなポップロックが誕生したというわけです。京平さんの曲でこの立ち位置のものは初めてではないでしょうか。ま、以前に桑名正博に提供した曲はありますけど。これほど、歌謡界と距離を置いたテイストの曲はないんじゃないかな。
さて、作詞の秋元氏ですが、これが初のヒットで実質2曲目ということになります。この曲がなければ秋元氏もただの放送作家で、その後のおニャン子クラブもAKB48も、「川の流れのように」もなかったわけで、意外に見落とせないエポックな「ドラマティック・レイン」なのでした。
さあ、どうだ某事務所に、爆笑の田中(および番組スタッフ)!
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コメント
稲垣潤一は、この曲ですこし雰囲気がかわったそのあと、J.I.からパーソナリーくらいまでの雰囲気がかなり好きでした。
この曲のことについては、秋元康が「さらばメルセデス」という、一度精算してニューヨークに行く頃に書いた自伝的小説で書いていたのは印象的。自分がすごくよいと思っていた「瞳にワイン」という詞がボツになり、こちらが採用されて、なにがいいのかよくわからなかったと述懐していたなあ。
ハガキ職人がラジオの構成作家になって、なんだかばたばたしているうちにそれなりに仕事になるようになったけれど、僕はまだなにも成し遂げていないから成功の証であるメルセデスを手放してNYにいくのだという小説で見せた青臭さ、計算ずくのものなのかもしれないけれど自分はなんだかとても「!」を感じたのを思い出します。
んで。
ドラマティックレイン。オケだけ聞くと、けっこうジャストジャストでサクサク進む感じなんですよね。あの彼のもちゃっとしたヴォーカルでちょうどバランスが取れてる感じ。やりすぎると演歌になっちゃう声とスタイルなだけに、あの頃がちょうどいい感じがします。
結局の所、悪ぶってても、オヤジになっても、どこか「青い」部分がちらりと見える。そういう人じゃないと、僕は「!」しないのかもしれません。
投稿: 房之助 | 2021年5月13日 (木) 15時07分
房之介さん。
コメントありがとうございます。
この曲が出たあたりは、まだお金に不自由する環境でしたので、リアルタイムに聴く感じではありませんでした。
CDプレイヤーを導入するようになってから、ダビングしてクルマで聴いてました。
割と気に入っていて、『246:3AM』のオープニングナンバー、「ジンで朝まで」が好きでした(作曲が杉真理というのもツボ)。
秋元康を知るようになったのはおニャン子クラブを仕掛けているやつくらいの認識でしたね。
「なんや、コイツ?」てなもので、AKB48が出てきた時も「またやってるよ」みたいな感じでした。
ま、当時のワタクシにはそんな映り方しかしませんでしたけど、時間が経ってみると、無名の人物がこっちの世界に入っていこうという必死の手段だったのだなと思えるようになりました。
初期の稲垣潤一はなんかいいですよね。
じっくり聴くというより、バックで流していると気持ちいい。
もう一度きちんと音源を手に入れて…なんて考えていると、レコ屋に行っても絶版だったり、注文だったりするんですよね。
ま、通販で簡単にわかることですけど。
最近、昔のあれ聴きたいななんてことが多くて、どうやって手に入れようか悩むことの多いこの頃です。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年5月13日 (木) 23時14分
最近、すっかりコレクター気質が薄れてしまって、あたらしいのをほとんど聞いていません。だから、買うのは古い曲の再発ばかり。このくらいの時期だと「小遣いがなくて買えなかった」みたいな怨念籠もった盤がいっぱいあるんですよね。
ただ、買うけど買うだけで開くことがなかったりなんてこともあって、もったいないなあ、と(笑)。
さて。
まじまじと見てみると、246:3AMは松尾一彦の曲なんですね。そういえば、稲垣潤一の初期は、彼の曲がけっこうあった覚えがあります。
このアルバムでは、青い追憶とか、雨のリグレットとか、そんな曲が当時好きだった覚えがあります。「月曜日にはバラを」は、とんぼちゃんの曲の別の詞なのか。たまに振り返ってみるのはおもしろいですね。ひと世代上のひとの印象が強いとんぼちゃんと、絡んでいたりするのだなあ。
ソングライターの面々を見ていると、あらためて僕はこの頃の松尾一彦の書く曲は、好きなのが多いなとしみじみ思います。
投稿: 房之助 | 2021年5月21日 (金) 12時42分
房さん。
コメントありがとうございます。
自分も同様に買えなくて悔しい思いをした音源はまだまだあります。
この年齢になるとあえて新しいアーティストや音源はよほどのことがないと欲しくないので、YOASOBIとか髭男とかどうでもいいんですね。
松尾一彦なんですけどね、ググっていくと宮城伸一郎とかとんぼちゃんとかとリンクしてくるんですよね。高校の1学年下だったみたいで。
懐かしのFBEATで対話していたら、斉藤和義が宮城伸一郎だったか松尾一彦のボーヤだったという話がありました。
これ、ネットを見てもどこにも情報がないんですよね。
でも、斉藤和義のデビューアルバムでは松尾がプロデュースしていて、宮城も演奏しているんです。
ま、斉藤和義にボーヤ時代があったことにびっくりなんですが。
松尾一彦、提供曲を見ていくと、やっぱり稲垣潤一が多いですね。
プロデューサー的な立ち位置だったのか、それとも波長が合っていたのかが気になります。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年5月21日 (金) 23時58分
最近だと伊藤アキラさんの訃報で驚いたりしたのですが、僕にとっての「歴史上の人物」と「一緒に過ごした音楽」が、実はけっこうかぶっていることがあるのだなあ、と。
もちろん、時間は続いているので、キャリアがかぶっているのは当たり前のことなんですけどね。
伊藤アキラさんのニュースでも、たとえば「この木なんの木~」とか三木トリローさんとのつながりなんて話をすると「歴史上の人物」なのだけれど、若い頃よく聞いていたアーティストのアルバムでも名前を時々見ていたので今回は「え、そんなに古い方なの?」とかあらためて思ったりも。
それにしても。
稲垣潤一は、なんで垢抜けてしまった(少なくとも垢抜けて見せようと思った)のだろう。あの、なにか伝えたいことが伝わらなくて、一人で傷ついているような感じが好きだったのに。そんなことを今でも思ってしまうワタクシなのです。松尾一彦楽曲も、サウンド的には垢抜けていても、どこか世界観として内省的な、「9番」の匂いのする雰囲気があったのがよかったのかもしれません。
投稿: 房之助 | 2021年5月26日 (水) 13時36分
房さん。
こちらでもありがとうございます。
伊藤アキラ氏ですが、「カメハメハ」をみんなのうたでリアルタイムに体験した世代ですよ。
小川ローザの「オー!モーレツ」もそうだったんだと。
房さんの生まれる前でしょうけど。
年齢的には京平さんと同い年ですね。
稲垣潤一みたいな人がブレイクするというのはこの時代だとほぼ考えられない感じですかね。
誰とも交わらない感を醸し出しているし。
今はいじられてナンボ、自分から発信してナンボですから。
そう思うと、20~30年前はああいうキャラでも十分需要があったということですかね。
それこそ、甲斐よしひろが初めて歌番組に出た50年近く前(これは見ていました)、誰も受け付けないような尖った部分がありました。
でも、甲斐さんついこの前まで「バイキング」のレギュラーだったわけで、MC坂上の不快さを通り越して見ていたんですけど、世間から見たら「この若作りのおじさん何者?」的な見方をされていたのかなあ。
時間が経ってみると稲垣潤一ももっと世間の人たちに近いような存在になっているかも。
「SONGS」とかに出ないでしょうかね。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年5月26日 (水) 21時27分