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2021年5月20日 (木)

文化庁長官はポップスの達人なのである

かすてら音楽夜話Vol.115

Tokura

察しのいい人はお気づきでしょうが、今回は先月文化庁長官に就任された、作編曲家の都倉俊一氏を取り上げます。

1948年生まれ。デビューは中山千夏の「あなたの心に」(作曲のみ)です。この時わずか21歳ですのでかなりの早熟であったといえます。

というのも、父親が外交官でひとりでドイツにわたり音楽の基礎を学んだ経験もあるのですね。

そのようにして徐々に歌謡界で名を広めていき、ほとんどの曲でアレンジも手掛けるようになりました。

さて、都倉氏というと山口百恵のキャリア前半とピンクレディのほとんどの曲を手掛けたことで知られています。トピックとなるような代表曲はこの中から出てくることでしょうが、ワタクシ的にはさらにインパクトのあるものを紹介しましょう。

Linday

都倉俊一氏は山本リンダの本格的カムバックで作詞の阿久悠氏とともに一連の曲を提供しています。

「どうにもとまらない」、「狂わせたいの」、「じんじんさせて」、「狙いうち」…というお色気路線。どこか一本筋の通ったコンセプトではあるのですがね。これは、のちのピンクレディの時にも発揮されたものにも通じます。

 

つうことで、取り上げたのはカムバック第1弾、「どうにもとまらない」(作詞:阿久悠 作編曲:都倉俊一)でした。1972年リリースのオリコン3位です。

これほどインパクトのある曲はないでしょう。曲の構成から行くと、Aメロ、Bメロ、Aメロ、Bメロ、サビとなります。従来のAメロ、Bメロ、サビとは違いひとひねりしてます。

山本リンダも1966年の「こまっちゃうナ」以来の大ヒットで、曲以外にも「ヘソ出し」「パンタロン」「激しい振り付け」と必死のアピールなのであります。この時代、テレビも平気でお下劣なことをやっていたはずですが、歌謡番組で歌手がお腹を出して歌うなんてことは一切なかったわけです。

曲の購買層はティーンエイジャー以上の男性でしょうけど、オリコン3位止まりだったのは、中高生あたりがこのシングルを買ってくると、「おかんにどやされる」危険性があったからかもしれません。

山本リンダ、こう見えても都倉氏より2学年下のまだ21歳でした。めっちゃ大人に見えます。

都倉氏のアレンジは曲構成だけにとどまらず、曲の間のラテンパーカッションが秀逸です。

紅白出場時の映像もありますので、リンク張っておきます。こちらは曲間だけでなく、ダン池田とニューブリードのパーカッショニストが終始叩きまくりという。

「ヘソ出し」についてですが、うだるように暑い内陸部の中国とかバンコクの中華街などでは、ランニングシャツの裾をまくり上げたおっさんがいまして、これを秘かに「山本リンダ」と名付けていたのはワタクシでございます。

また、曲は変わりますが、「狙いうち」は自分の通っていた学校の野球部の試合でチャンスになると応援団が流していたのをよく覚えております。その後、高校野球でも使われるようになりました。これが当時のプロ野球でも導入されていたら、助っ人外人の元大リーガーなどが「Oh!リンダヤマモト!」などと感銘して本国にも多少の影響が出たかも…なんちゃって。

 

続いての曲はペドロ&カプリシャスの「ジョニィへの伝言」(作詞:阿久悠 作編曲:都倉俊一)でした。1973年リリースでオリコン24位。とはいえ、かなりのロングヒットとなり累計売上が50万枚ともいわれています。

ペドロ&カプリシャスとは、名前でも想像できるでしょうが、ラテンテイストのバンドです。デビュー曲「別れの朝」(外国曲のカバー)はオリコン1位を取りましたが、この曲からヴォーカルが前野曜子から髙橋まりに変わりました。

髙橋まりとは現在の髙橋真梨子のことです。

曲についてですが、アレンジ自体は平凡です。ですが、ラテンバンドにリズムを強調せず、髙橋まりのヴォーカルをじっくり聴かすつくりになってますね。

曲の構成も独特で、Aメロ、Bメロ、サビ。続けてそのリフレインから大サビとなります。特にAメロ、「♪ジョニィがきたなら教えてよ、二時間待ってたと」の部分ですね。1音ずつ上がっていき見事に「ドレミファソラシドレ」(Cまたはハ長調の場合)を実現させております。大胆ですよね。

そしてBメロではポップスの王道ともいえそうな弾むような展開でサビにもっていくのですね。それで終わりかと思ったら大サビの「♪今度のバスで行く…」ですから、都倉ワールド全開の独創的な作りになっております。

続くシングル「五番街のマリーへ」も阿久悠・都倉俊一コンビでこちらもロングヒットを記録しました。今度はさらに和風にまとめられ、ラテンテイストはどこへといった感じです。ペドロ&カプリシャスはしばらくはこの阿久悠・都倉俊一とのコラボで活動していましたが、髙橋まりとメンバーのヘンリー広瀬(髙橋真梨子ののちの旦那)の脱退により方向性も元に戻っていったようです。

 

3曲目は桑江知子の「私のハートはストップモーション」(作詞:竜真知子 作曲:都倉俊一 編曲:萩田光雄)でした。1979年リリースの曲でオリコン12位のスマッシュヒットです。

YouTubeの映像は桑江さんのライブなんですが、バックの演奏はシングルによるものでいわばカラオケ状態です。とはいえ、桑江さんの歌もシングルと遜色なく、貴重ですので採用しました。

アレンジを年長者の萩田氏に任せているのは、同時期に活動していたピンクレディの方に専念したい気持ちがあったからでしょうか。とはいえ、曲の構成は手を抜いておりません。

こちらは、いきなりサビから始まります。しかも、サビがかなり長い。歌唱力が求められます。これはインパクトありますね。そして、続くAメロ、Bメロは短く、しかしなかなか歌い辛そうなメロディです。そして、再びサビにもっていくという展開。もう全体的に歌唱力がなければ歌いこなせない曲ともいえましょう。

桑江さんですが、これがデビュー曲です。そして、年末のレコード大賞最優秀新人賞を獲得しています。この時のライバルには竹内まりやもいたのですが、桑江さんの圧勝ですね。

桑江さんの所属は渡辺プロで、ニューミュージック系のプロモーション活動をナベプロで行った先駆けです。そのナベプロ、桑江さんのデビューを1979年1月に設定し、年末に照準を合わせて賞を取らすという見事な戦略でした。ちなみに竹内まりやはいち早く1978年にデビューしサードシングルの「September」で賞レースに参加するという具合でしたので、新人というフレッシュさには欠ける部分もあったのかもしれません。

ナベプロではニューミュージック部門ということになっていましたが、その時はニューミュージック風に歌うシンガーでした。そういう意味では後輩(年齢は逆転しますが)の山下久美子と同じような立ち位置の人でした。吉川晃司も同様ですね。ですが、本格的なブレイクはしませんでしたねえ。この曲大好きだったけどね。

都倉氏の残念だったことはひとつあります。それは、ピンクレディのアメリカ進出時に都倉氏の曲が採用されなかったことです。都倉氏であれば、アメリカ人の言葉に曲を乗せるなど朝飯前だったろうに、くれぐれも残念です。

ということで、都倉俊一の3曲を自分なりに選んでみました。はたして、現在の文化庁長官という身分と作編曲家が両立するかどうか。微妙な立場ですね。曲をリリースしたところで、クレーム入ったりしますからね。「何やってんだ」とか。

早いところ、今の身分は解除してあげて、大衆に受け入れられるような曲を長く作っていただきたいところです。

★引き続きリクエスト・ご要望受け入れております。記事が気に入られたら「いいね」をください。コメントもいただけるとさらに嬉しいでございます。

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コメント

ジャンルは違いますが作家、文化庁的に言えば著作権者の文化庁長官と言えば三浦朱門さん以来でしょうか。都倉さんは日本音楽著作権協会、いわゆるジャスラックの会長も経験されており父親が外交官で海外で育っていますから、いろいろな面で適任と判断されたのでしょう。ただ、芸術家と行政の責任者の立場というのは相入れない部分もあるのではないでしょうか。
それはともかく都倉さんと言えば阿久悠さんとのコンビで山本リンダを再生させ、フィンガー5とピンクレディをビッグスターにしたことが思い出されます。筒美京平さんとまた別の意味でアメリカンポップスをうまく消化して日本のものにしたのではないでしょうか。筒美さんの「ドクタードラゴンとオリエンタルエクスプレス」に対抗?して「サム・クラートオーケストラ」名義で「サンスー・ダンシング」を出したことは忘れられません。

投稿: ken | 2021年5月20日 (木) 21時05分

kenさん。
こちらでは初めまして。
コメントありがとうございます。
とても嬉しいです。

確かに、文化庁のトップがクリエイターであることはひとつの理想ではあるんですが、行政としてのバイアスがかかってしまうことに戸惑いを感じるのはご本人だったりしますよね。

少なくとも都倉さんが作った曲は、散漫なところがなくてレベルが高いですよね。
どうしても京平さんという存在がありますので、陰に隠れたところはあるのですが、もっともっと評価してほしい人です。

それにしても、kenさん、すごいところを突いてきますね。
わたしゃ、「ドクタードラゴン&オリエンタルエクスプレス」も「サム・クラート・オーケストラ」も知りませんでした。
wiki調べちゃいましたよ。
また、機会があれば都倉さんの曲を深堀してみたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: ヒョウちゃん | 2021年5月20日 (木) 22時14分

 そうか、桑江知子はナベプロなんですね。
 和田アキ子と浜田省吾のつながりとか、まだ商売にならないロックやポップスのアーティストをソングライターとして歌謡曲の歌手の書き手として使うというのは、この時期に至るまでけっこうあったように思います。
 「少しでも世に出してやろう」だったのか「金にならないからほかのことで使え」なのか。
 田辺エージェンシーでの「アルフィーが研ナオコ」とかでは、坂崎幸之助のトークネタだとどちらかというか後者的なニュアンスを強く感じますが、実際どうなんでしょう。

 というわけで「私のハートはストップモーション」好きなんですよねえ。なんで彼女はツルコーに「カメ」なんて呼ばれていたんだろう・・・。

投稿: 房之助 | 2021年5月21日 (金) 12時33分

房さん。
コメントありがとうございます。

ホリプロの場合は前者なんじゃないかと思います。
あの時期の浜省は能勢恵子にまで提供してるし。
ただ、逆鱗に触れるとRCみたいに干されちゃいますけど。
田辺エージェンシーも元々はホリプロから派生して、社長自ら元ミュージシャンですので、思いやりがあったんじゃないすかね。
坂崎幸之助の自嘲気味の話ということで。

ナベプロの場合、ニューミュージック部門を作ったはいいけど、当時はライターがいなかったんですよね。
なので、外部発注が多いんですけど。

鶴光との絡みは知らないんですけど。
いい曲ですよね。デビューアルバムの『Born Free』はまだ売ってますね。
買っちゃおうかな。

投稿: ヒョウちゃん | 2021年5月21日 (金) 23時38分

あ、桑江知子まだ売ってるんですね。探してみようかな。

たぶん、ツルコーさんはオールナイトニッポンでアイドルいじりするときには、軽いエロネタなので、たぶんカメは「亀頭」的なことだったんじゃないかと。
古い番組本とか見ると、竹内まりああたりまでこういう洗礼に遭遇していたようですし(笑)。

投稿: 房之助 | 2021年5月26日 (水) 13時25分

房さん。
コメントありがとうございます。

わたしゃ、一足早く桑江知子と稲垣潤一を楽天でゲットいたしました。
まだ聴いてないですけど。
この頃、確保しただけで満足してしまい、その後なかなか封を切らないという音源もあったりします。

あー、やっぱり鶴光、その手ですか。
竹内まりやは芸能人運動大会に出ていたみたいです。
走り高跳びという話です。
見た記憶がないんですが、YouTubeに上がったら即座に削除でしょうが、ものすごいヒット数を稼ぎそう。

投稿: ヒョウちゃん | 2021年5月26日 (水) 21時13分

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