フィンガー5とイアン・ギラン
かすてら音楽夜話Vol.113
突然でしたが、フィンガー5の「学園天国」(作詞:阿久悠 作編曲:井上忠夫)でした。
「学園天国」はのちにカバーされた小泉今日子ヴァージョンもありますが、冒頭の「♪ヘ~イ、ヘイ、ヘイ、ヘ~イ、ヘイ!」のぶっ飛び方は、とてもじゃありませんが、晃くんにはかないません。
フィンガー5というグループ名からわかるように、アメリカのJackson 5(ジャクソン5、のちのジャクソンズ)に倣った、元祖沖縄アイドルの兄弟グループです。
ま、晃くんと書きましたが、今年還暦でございます。それにしてもリリース時12歳で小学生。声変わり前なのか、それにしても異様なハイトーンでございます。そして、歌のうまさは天才的ですし、「ガキのくせしてサングラスかよ」っちゅうイメージなので、非常に鼻につく存在として見えた方も多いのではないでしょうか。ま、ジャクソンファイヴのMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)的な立ち位置の人です。
こちらの「学園天国」ですが、1974年のリリースで、オリコンシングルチャートは2位まで上がった曲です。それ以前にも、「個人授業」(阿久悠・都倉俊一作品)と「恋のダイヤル6700」(阿久悠・井上忠夫作品)が連続の1位を獲得していて、当時のトップスターですね。現在であれば妹の妙子さん(11歳で小学生)も含め、夜の番組には出演できないことになりますが。
で、印象的な冒頭の「♪ヘ~イ…」なんですが、もとになった曲があります。
Gary U.S. Bondsの「New Orleans」(Frank J. Guida-Joseph F. Royster)でした。
1960年のリリースでビルボードの6位を記録したヒット曲です。
この方、1961年にビルボード1位を獲得したことがあるのですが、それ以降はヒットに恵まれず、突如1981年に復活しビルボードのチャートにも顔を出すという復活を遂げたことがあります。
この曲の冒頭の「♪Hey~」を井上忠夫がいただいたのですね。リスペクトした表現ですと、Gary U.S. Bondsをオマージュして「学園天国」で使ったということになります。なにしろ、元ブルーコメッツですから、1960年の曲くらいコレクションしていたと思いますよ。
どちらの「ヘイ」も作詞じゃないのかという話も出てくるでしょう。ですが、職業作詞家の阿久悠さんはそんな下世話な言葉を書かないでしょう。まずは、阿久悠氏が詞先で井上忠夫氏にバトンタッチし、井上氏が曲を作りますが、アレンジも担当した井上氏が「そうだ、あれがあった!」と「New Orleans」を引っ張り出してきたのだと考えます。それを阿久悠氏がOKを出し、インパクトのある曲となったのですね。
この手法、筒美京平氏のやり方にも似ています。
で、「New Orleans」の冒頭の「♪Hey~」ですが、フィンガー5と比べるとやや控えめな感じがします。これは、井上氏が晃のハイトーンを生かして、Gary U.S. Bondsよりも強調した感じに仕上げたのでしょう。
さて、「学園天国」から7年後、イギリスで「New Orleans」をカバーしたバンドがいました。
Gillan(ギラン)の「New Orleans」でした。1981年のUKチャートで17位と、ハードロックとしては異例のシングルヒットを記録しています。
ヴォーカリストのIan Gillan(イアン・ギラン)はDeep Purple(ディープパープル)のヴォーカリストです。
この曲の冒頭の「♪Hey~」なんですが、フィンガー5の「学園天国」に近いものがあるように思えてなりません。ま、Gary U.S. Bondsのヴァージョンをハードロックやメタル寄りにアレンジすればこんな風になるという話もありそうですけど。
イアン・ギランはパープル時代も含めて何度も来日していて、その際にフィンガー5の演奏をテレビで見たとか、はたまた、レコード収集していた、中古レコード屋で偶然見つけたなどの可能性がなくはないですね。
ディープパープルの来日としては1973年で、「学園天国」リリース前です。ですが、Ian Gillan BandとGillanとしては1977年、1978年、1981年に来日してます。
その時にレコ屋を漁るイアン・ギランの図というのもなんか夢があるじゃないすか。
日本人アーティストというと洋楽のパクリという話も出ますけど、逆パターンがあってもいいんじゃね?
★この記事は、昨日facebookにアップされた元「知子のロック」のトーマスさん(すずき銀座さん)の記事からインスパイアされて書きました。トーマスさん、ありがとうございます。
★引き続き、リクエスト等ありましたらお願いいたします。高評価の「いいね」とコメントもいただけるととても嬉しいです。
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コメント
ヒョウさま
詳細な解説ありがとうございます😊
ギランのこのカバー
ラモーンズの匂いもあり
パンクとは別方向の
ハードロック無茶力が
そそります。
投稿: トーマス | 2021年5月 4日 (火) 08時19分
トーマスさん。
お約束通り、アップいたしました。
こちらこそ、ありがとうございます。
1981年というと、あのパンクムーブメントは跡形もなくなってましたね。
むしろ、メタルバンドが出始めた頃でしょうか。
ただ、ハードロックも世間ではフィルターかかった見られ方だったような。
さらに、トーマスさんのいいヒントお待ちしております。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年5月 4日 (火) 17時35分
ディープ・パープルは好きだけど、どっちかというとイアン・ギランよりもリッチーのギターの方に目が行く私です(笑)。
投稿: おりんぴあ | 2021年5月 4日 (火) 22時57分
おりんぴあさん。
ここではブラックモアは登場しないんですけど、なんとなくわかります。
イアン・ギランとリッチー・ブラックモアって仲悪いんですよね。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年5月 4日 (火) 23時31分
私はちょっと違う見方をしていて、フィンガー5の「学園天国」はオリジナルではなく、ウィルソンピケットのニューオリンズ(カバー)の方に影響されたんじゃないかと。で、ウィルソンピケットが当時ヒットしていた「ダンス天国」からちょっともじって「学園天国」。
年代的にも一致しそうな感じです。
オリジナルと違ってウィルソンピケットのそれはシャウトするハードな仕上がりで、彼の楽曲はのちのハードロックのシンガー達に影響を与えていて、イアンギランもその一人だと思います。
というのもスピードキングの最後の部分はウィルソンのダンス天国のオマージュとも取れますし。
リッチーとイアンの不仲も微妙な部分があって、リッチーはレインボーのボーカルにイアンを誘った話がありますし、ブラックサバスの顔だったオジーオズボーンが脱退した後、後釜にはいった元レインボーのロニー、そしてそのあとはイアンが後に続くところをもみると微妙につながっていて。
二人は相性は悪いんだけど、フリップとブルーフォードみたいな腐れ縁みたいな感じもしますね。
ヒョウちゃんの説が正しいのかもしれませんが、こんな見方のおっさんもいるということでご容赦を。(相変わらずの長話で失礼しました)
投稿: lastsmile | 2021年5月 8日 (土) 09時10分
lastsmileさん。
コメントありがとうございます。
ウィルソン・ピケット、オーティスとともに清志郎に影響を与えた人ですね。
補足も納得です。
ただ、「ダンス天国」のノリはむしろ「恋のダイヤル6700
」の冒頭の「♪リンリン、リリン、リンリンリリンリン」あたりに反映されていると思います。
また、フィンガー5の楽曲のタイトルは作詞家がつけると思いますが、阿久悠氏はそこまでアメリカのソウルミュージックには傾倒してないと思います。
おそらくは、プロデューサーが井上忠夫氏を介してつけていったのではないでしょうか。
個人的なことを申せば、UKのロックやハードロックはそれほど聴きこんでませんのでほとんど詳しくないんですよね。
それでもいわせていただければ、UKのロックはアメリカから、しかもブラックアフリカ系の音楽が入り込んで、当時のミュージシャンに影響を与えてますので、ウィルソン・ピケットやリトル・リチャード、古くはチャック・ベリーまで尊敬の念を持っていたことと思います。
なので、イアン・ギランをはじめ多くが何らかの影響を受けているわけですね。
ワタクシのディープパープル体験ですが、高校時代にパープル信者の同級生がいまして、奴が事あるごとにパープルの曲をシャウトしていたことに始まります。
これが、なかなか上手かったんですね。
つうことで、パープルの代表曲は何となく頭に今でも染みついていると。
いつか機会があったら、lastsmileさんのギターソロをしみじみ聴いてみたいですねえ。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年5月 8日 (土) 19時57分