« ラサへ | トップページ | ジャイナ教の夜 »

2021年7月15日 (木)

退屈な1976年上半期

かすてら音楽夜話Vol.122

1976年といいますと、自分は何をしていたかというと受験の年です。

Shimonmasato

なので、音楽を聴くどころじゃなかったのですが、聴いている意識はなくともこの2曲はいやが上でも耳に入ってきたのですね。

まずは年明けの1月からオリコン1位を11週も維持し、とてつもないメガヒットとなった子門真人の「およげ!たいやきくん」があります。

シングルの売り上げ450万枚ともいわれ、シングルとしてはいまだに破られておりません。また、この曲はチャート初登場1位の最初のものですね。

音楽の媒体としてもはやCDは売れなくなり、ネット配信などに移行してますからこの記録はおそらく未来永劫に破られることはなさそうです。

そんな曲もシンガーには印税が一銭も支払いがないというのもすごいことです。一説によると、その売り上げ手でレコード会社であるポニーキャニオンの社屋が新しいものになったともいわれておりますが。

さて、1月から「およげ!たいやきくん」のヒットは続きまして、(一応)勉強の傍ら「どーせ、ガキの曲だろ」とか思っていたんです。この陰に泣いて「木綿のハンカチーフ」も2位どまりであったし。

そのヒットもそろそろ終わりが見えてきたころ、受験も終わりまして次はどうなるかと思っていたのですが。

Danielboone

珍しく洋楽の曲がチャート上位に顔を出します。

それが、Daniel Booneの「Beautiful Sunday」です。この曲は当初、ポニーキャニオンから発売されたのですが、まったく問題にならず、廃版扱いになりました。

それがTBSの朝の番組で使われると、問い合わせが殺到しTBS系のディスコメイトレコードから発売されるとたちまちヒットしました。

ダニエル・ブーンはイギリス人ですが1972年のUKチャートでは21位、アメリカのビルボードでも15位を記録し、100万枚は売れたといわれています。まあ、ヒットする要素はあったのですね。

 

ポニーキャニオンという会社はなかなかにビジネスライクで廃版にするのも早いのですが、この時ばかりは廃版にしたのを悔やむ幹部もいたことでしょう。でも、「およげ!たいやきくん」で十分に元は取ったと思いますがね。

この「ビューティフルサンデー」は「およげ!たいやきくん」と入れ替わるようにしてオリコン1位となり、なんと15週も1位の座を維持しました。なんと、3月後半から6月いっぱいまでです。

つまりはたった2曲が1976年の前半ずーっと1位であったわけです。

「ビューティフルサンデー」は聴き心地がよくて、英語であっても日本人の耳にすっと入り込むわかりやすさがあったと思います。

売り上げは200万枚ともいわれ、「およげ!たいやきくん」には及びませんが、洋楽史上の売り上げは断トツの1位です。ビートルズもマイケル・ジャクソンも及びません。

Seijitanaka

<田中星児>

これに乗じて田中星児という人が日本語版「ビューティフルサンデー」をリリースします。

この方は初代の「うたのおにいさん」だったのですが、「ビューティフルサンデー」はある曲のB面として発売されたのですが、ダニエル・ブーンのヒットにあやかり、A面とB面を入れ替えてリリースしたところ、案の定オリコン4位というヒットを記録しました。

 

アレンジはほぼ同じですね。

歌詞も韻を踏むあたりが工夫されてまして、サビのラスト、ダニエル・ブーンは「♪My My My It's A Beautiful Day」となっているところ、田中星児は「♪まー、まー、まー、おお、待ってる」と本家のノリを踏襲していますね。

ところで、1976年はメガヒット連発の年でして、オリコン1位獲得曲はたったの8つだけです。年の瀬に都はるみの「北の国から」が1位となりレコード大賞も獲得しているのですが、この曲は1975年リリースのロングヒットですので、「たいやき」と「ビューティフルサンデー」に阻まれながらも辛抱強くその時を待っていたともいえます。

まあ、子門真人がレコード大賞じゃ業界も立つ瀬がないんだろうけど。ちなみに、ダニエル・ブーンは外国曲のため受賞資格なしです。

★引き続き、リクエスト、ご要望、ご意見お待ちしています。また、記事が気に入りましたら「いいね」をください。コメントを頂けると飛び上がって喜びます。

| |

« ラサへ | トップページ | ジャイナ教の夜 »

Music Talk」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ラサへ | トップページ | ジャイナ教の夜 »