テクノポップとテクノ派生の音楽
かすてら音楽夜話Vol.132
いきなりの「Rydeen」(作曲:高橋幸宏)でございました。終盤がカットされていますが、一応SONY MUSICの公式チャンネルからのアップです。
いうまでもないことですが、Yellow Magic Orchestra(イエローマジックオーケストラ、YMO)は、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏からなるテクノを主体とするグループです。
YMOの結成は1978年で同年にアルバムデビューするとともに、翌年にはワールドツアーを行っていて世界的な評価を受けたグループでもあります。
YMOのすごいところは、やろうと思えば打ち込みやサンプリングで演奏できそうなところを、しっかりと高橋幸宏のドラムを据え、細野晴臣のベースとでリズムを作り、その周りで坂本龍一のシンセやサポートメンバーのギターなどを絡ませた、ライヴも凄い「バンド」であったことですね。
この「テクノ」という概念ですが、電子音を主体とする無機質なサウンドともいえますが、やや曖昧です。
1970年代後半になり、自由に音色を変化できるシンセサイザーが安価(それでも相当高額)に普及してきたことと、音をコンピューター処理できるサンプラーなどが登場してきたことで、日本ではYMOが、ドイツではクラフトワークが登場してきたのです。
YMOのワールドツアーの成功も大きな影響を生み、テクノのテイストを取り込んだバンドやグループも続々と登場します。ま、それ以前もシンセサイザーを使用した電子音楽はあり、その下地はすでに作られていたと思います。
いうまでもない、「Star Wars Theme」(作曲:John Williams)ですが、Mecoというグループのディスコヴァージョンです。1977年と映画と同じ年にリリースされ、インストゥルメンタルとしては異例のビルボード1位獲得曲でもあります。
個人的には、映画やジョン・ウィリアムズのオリジナルよりもインパクトあったかもしれません。
また、1979年にはこんな大物までが影響を受けております。
Wingsの「Goodnight Tonight」(作詞作曲:Paul McCartney)でした。英米ともに5位のシングルで、なぜかアルバム未収録ですね。
イントロはもろフラメンコですけど、ディスコシーンを意識していたような気もしますね。そして、これまでのポールにない電子音やヴォコーダーで声を加工するなど、明らかにテクノを取り入れた曲です。
でも、わたしゃ、この曲が好きですね。そのため、普段は購入しないポールのベストなども手に入れたほどです。
まあ、影響を受けたのは日本も同様です。
ここからは日本の派生曲ということになりますが、イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」です。1981年のリリースでオリコンシングル7週連続1位を獲得。年間4位ですね。
イントロがもろ「ライディーン」なんですが、それもそのはずで作曲は細野氏。作詞は松本隆というはっぴいえんどでおなじみのコンビですね。細野氏は松本隆の詞をもらって30分で作ったとのことですが、長江健司の歌はともかく、ユーミンや坂本龍一からかなりの評価を受けたとのことです。
細野氏がその後さまざまな歌手へ曲を提供するようになったのは「ハイスクールララバイ」以降のことでした。
そして、テクノはひとりのフォーク歌手を変貌させてしまいます。
ヴァージンVS(ヴァージンヴィズ)の1981年のデビュー曲、「ロンリーローラー」(作詞作曲:A児)でした。映像はTVKのFighting 80より。
A児こと、あがた森魚(あがたもりお)は1972年に「赤色エレジー」という自作曲でデビューし、オリコン7位のヒットを記録しています。ですが、当時の印象は曲の印象もあり、とても暗いものでした。
それが長髪を切って、サングラスをかけてのイメージチェンジです。
とはいえ、このグループ、「ロンリーローラー」がフジテレビ系のドラマのテーマソングでもあり、その後もフジのタイアップが続き、さらに有名にしたのが「うる星やつら」の挿入歌やエンディングテーマなどに起用されたことですかね。
「ロンリーローラー」は中古シングルで購入しました。
そして最後はこちら。
1979年のPlasticsのデビューシングル、「Copy」(作詞:中西俊夫 作詞:立花ハジメ)でした。
彼らは最初はドラムもベースもいるバンドで仕事つながりのアマチュアバンドでしたが、ヴォーカル兼ギターの中西、ギターの立花、女性ヴォーカルの佐藤チカだけがバンドに残り、元四人囃子の佐久間正英(ベース)と作詞家でもあった島武実(高田みずえ「硝子坂」など)が加わり、ニューウェイヴ、テクノへとシフトしていきました。
佐久間は伝説のバンドのベーシストではあったものの、メンバーの演奏テクニックではほかのバンドとは太刀打ちできないと考え、自らがシンセサイザーに転向し、島さんはリズムボックス(ドラムの代わり)へ配置しました。このあたりからテクノ的な要素が加わっていったと思われます。
この、「Copy」はイギリスのインディーズレーベルからのシングルで、ファーストアルバム発表後にはアメリカツアーを行うという、海外での評価を受けるバンドでした。
しかし、1981年に突如の解散です。これは佐久間氏が期間限定の参加を事務所から申し渡されていたからともいわれています。
さて、この後は日本の楽曲ではあからさまなテクノは姿を消していくのですが、シンセサイザーはもはや欠かせないものとなり、打ち込みやサンプラーもどんどんと取り入れられていくことになります。
それでも電気グルーブとかPerfume、きゃりーぱみゅぱみゅなどに受け継がれていったことになりますかね。
★ご意見、リクエスト等、コメントでお願いします。高評価もお願いします。
| 固定リンク | 2
「Music Talk」カテゴリの記事
- アウトテイクだらけで全米1位ゲット(2023.09.09)
- ムード歌謡じゃありません(2023.08.20)
- 達郎発言についての私的見解(2023.07.25)
- 代々木にGUEENを見に行った(2023.06.14)
- Queenのターニングポイント(2023.05.22)
コメント
残念なことにRydeenは「この動画は、お住まいの国では
公開されていません」って見ることができませんが、
リアルタイムで見ていました。
兄のような存在の叔父(亡き親父の弟)の影響で小学生の頃に
聞かされていたフォークソング特集をやって欲しいです♪
投稿: Naozo | 2021年10月24日 (日) 18時02分
Naozoさん。
ここに上げている映像は「削除されないこと」を第一としていますので、最後に音符のついたYouTubeに認定されたものを第一に使わせていただいております。
それがタイでは見れないというのは残念ですが。
それにしても40年前のYMOの出現はすごいものでした。
リクエストありがとうございます。
フォークソング、手元には購入したアルバムはほとんどないんですが、リアルタイムンで聴いていたし、歌っておりました。
次回は無理ですが、必ずやります。
ありがとうございました。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年10月24日 (日) 23時47分
ヒョウさん
私は
GSにはまるまでは
テクノポップとニューウェーブ漫才に
どっぷりな高校時代でした。
NHKテクノ御三家番組で
ヒカシューを初めて観た衝撃❣️
巻上公一の唄^_^かわいい海琳正道ギター
歌詞も最高
さえなかった日本語ロックを
ひっくり返したのが
RCサクセションとヒカシューだったと
今でも思います。
上京し、池袋東武デパート屋上
真昼間の
サードアルバム「うわさの人類」
発売記念ライブ&サイン会
いやまあ、面白かった、凄かった。
日向ぼっこしていたお爺さんが
すごすごと逃げていき
サイン会なのに1人もでてこない
メンバーもらいしなーと微笑ましい
思い出の池袋の昼テクノ生体験でした。
投稿: トーマス | 2021年10月25日 (月) 08時00分
私にとっては大好物なお話ですね。
シンセサイザーの登場はPOP・ROCKに大きな多様性を生みましたね。
シンセサイザーとミニモーグ(シーケンサー)によってプログレッシブロックとテクノ音楽が確立しました
そういう意味ではプログレとテクノは兄弟なのかもしれません。
テクノは特にミニモーグを多用し、またファッションも特徴的でした。
私的には日本のテクノといえば近田春夫氏が思い浮かびます(その音楽性はあまり受け付けませんでしたが)=テクノ歌謡?テクノを商業化した。
でも音楽自体はやはりプラスティックス、ヒカシュー、P-MODELですね。
ヒカシューは今でも解散という形ではなく不定期活動してますし、P-MODELも同様、核の平沢進さんは独自の音楽路線を進んでいます。特にタイ文化、タイ音楽に深く傾倒した「シムシティー」からの音楽はその特徴がでていて、ヒョウちゃんにもぜひ聴いてほしいです。
現在ではテクノ王道のディーヴォの流れを汲んだポリシックスは和製テクノの一つの完成形です。(個人的に大好きです)
亡くなられた佐久間正英さんについても書きたいですし、ヴァージンVSについても書きたいところではありますが。あまり書きすぎると・・ですのでこのあたりで。
投稿: lastsmile | 2021年10月25日 (月) 19時33分
トーマスさん。
GS前はテクノだったんすね。
テクノGSというもの見てみたい気がします。
今回ヒカシューも引っかかるものがあったんです。
ヴァージンVSとPlasticsは取り上げたいなと優先しましたが。
東武デパート屋上の話、なんとなく頷けますね。
あの時代ですから、クールを装ったニューウェイブもパンクバンドも事務所が行けといえば、どこでも行くって感じですか。
日本人は律儀ですからね。
また、トーマスさんがはまるような記事書きますね。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年10月25日 (月) 21時20分
lastsmileさん。
やっぱりシンセサイザーの登場はある種、革命だったですね。
冨田勲、喜太郎からPerfumeまで…。
つーか、今やどんなジャンルにも使われていますし。
ほかの楽器でシンセとつなげて音を出せるようになったのも大きな影響を生み出しましたよね。
わたしゃ、P-MODELについてはあまり詳しくないんですけど、テクノ御三家であったことは存じております。
あのイカ天にP-MODELの元メンバーが加わっていたバンドが出たことがあるんですが、評価は低く、例によって吉田健あたりに辛口コメントをもらっていた記憶があります。
佐久間正英はこの後プロデューサー的な仕事もされてますね。
ワタクシにとってはエレファントカシマシのポニーキャニオン時代のプロデューサーという認識が強いです。
これで、エレファントカシマシが見事に再生したし、佳曲が途切れなくリリースされた時代でございました。
くれぐれもお亡くなりになったのが残念です。
記事には書きませんでしたが、Plasticsでは中西俊夫と島さんもお亡くなりになっているんですね。
それも残念で、ぜひとももう一度見てみたかったバンドでした。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年10月25日 (月) 21時40分