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2021年11月30日 (火)

アッシジの迷惑系カメラウーマン

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<サンフランチェスコ大聖堂>K-7/DA21mm

アッシジには1泊だけいたしましたが、それはまあいいところでした。

そのずっと以前、ペルージャの公園から「あれがアッシジ」といわれました。「でも、地震の被害が出てるんですよね」とも。確か、中田英寿がペルージャに加入した年です。その3年後、またしてもペルージャに泊まり日帰りでアッシジに行きました。地震の爪痕はわずかにありました。

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<ナターレのジオラマ>K-7/DA21mm

そして、2012年の冬にようやくアッシジに泊まることができたのでした。

2011年末のクリスマス(ナターレ)から2012年の新年にかけてこのような飾り物が大聖堂を見下ろせる坂道の脇に設置してありました。

結構精緻にできていて、聖フランチェスコや聖女キアーラの時代を再現しているのでしょうかね。

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<ヨハネ・パウロ2世>K-7/DA21mm

すでに2代替わっておりますが、この人は人気があります。

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<夕刻の聖フランチェスコ大聖堂>K-7/DA15mm

アッシジ到着時は雨が降っていましたが、晴れていなくてもこういう写真は撮れました。

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<先ほどのジオラマ>K-7/DA15mm

こちらもこういう具合ですね。冬でも撮れるんだ。寒かったけど。

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<翌朝>K-7/DA21mm

雨は上がりました。朝食を済ませ、このあたりを散歩します。

すると、遠くで一眼レフカメラを構えた女性が手を振って、「そこをどけ」というサインを送ってきました。なんちゅう自己中の奴だろうか。まあ、どいてやりましたけどね。

これでプロだったら失格ですね。人のいない時間を選んで撮るべきですし。まあ、アマチュアなんでしょうけど。態度が尊大すぎる。鼻持ちならん。

外見は東洋人でしたね。日本語を話すのだったら毒づきましたけどね。そのあたりは不明なので。今度そういうたぐいのやつに出会ったら意地でもどいてやらねえ。「アッシジはオメーのもんじゃねえぞ」と。

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2021年11月29日 (月)

道の駅最高レベルのうどん

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.33

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<道の駅くろほね・やまびこ>PowerShot

国内ミニトリップのネタがだいぶたまりまして、時系列あまり関係なく上げていきます。

10月の終盤に日光方面へ出かけたのですが、その帰り、国道122号線というルートを選びました。その途中道の駅がありスタンプ集めで立ち寄ります。

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<道の駅スタンプ>PowerShot

スタンプを無事にゲット。

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<おや?>PowerShot

こちら、群馬県桐生市に当たります。道の駅くろほね・やまびこというところで、「黒保根」という地名からきているようです。桐生は篠原涼子の出身地だったのか。

昼食時間でもあります。途中の適当な店でも発見できれば食べていくところですが、ここにも食堂があります。一応チェックします。

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<店内>PowerShot

結局は入っちゃいました。蕎麦の自家製粉手打ちみたいなのに惹かれたんですが限定100食とかで売り切れ。でも、同じく自家製粉のうどんもあるじゃないすか。それにしましょう。

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<天ざるうどん>PowerShot

券売機より食券を購入します。おばちゃんのキャストに食券を渡し、席に着きます。こちらは運んできてもらえました。見た目がいいですよね。

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<天ぷら>PowerShot

海に面していない群馬県ですので、野菜が中心です。シイタケ、カボチャ、ナス、マイタケだったでしょうか。

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<うどん>PowerShot

太いうどんです。水沢でたべたうどんとは見た目が違いますね。つやつやしてませんが、小麦粉がぎっちりと打たれている感があります。

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<いただきます>PowerShot

やはり、予想通りコシの強いうどんでした。最初の一口はネギもゴマもつけ汁には投入いたしません。

いかにも手打ちといううどんです。さらにいうと、製麺時に包丁ではなく機械で切っているようで、麺の太さは均一ですね。このあたり、田舎の家で自分たちで作ると、麺の太さが不揃いとなってローカル感が漂うのですが。とはいえ、機械で切っていても美味いです。

それに、見た目の量はそれほど多くないのですが、腹持ちも十分です。「吉田のうどん」ほど固くはありませんが、弾力性、固さ、歯ごたえ、申し分ありません。わたしゃ、桐生のうどんのほうが吉田のうどんよりも好きだな。

そして、天ぷらなんですが、なんと作り置きではなくて、揚げたてでした。これをつけ汁で味わうのもまたよし。

食べ終わると、そばに待機していた男性スタッフが片付けてくれます。

これで、900円。高めですが満足できる味です。

はっきりいって、道の駅のレベルの食べ物ではないですね。きちんと、一軒の店を出しても申し分ありませんです。おそらくですが、スタッフは雇われた人ではなくて、家族で経営しているのではないでしょうか。

道の駅くろほね・やまびこ

食事は10:00~15:00まで。小さい道の駅ですので、駐車台数も少なめですね。また、蕎麦とうどんは同じ釜で茹でているとのことで、蕎麦アレルギーのある方にはお勧めできません。

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<お持ち帰り>PowerShot

あまりにも美味かったので、桐生うどんとひもかわをひとつずつ購入いたしました。ちなみに、ひもかわはメニューにはありません。

どちらも食べてみましたが美味かったです。また、このエリアに行く時があったらゲットしたい1品ですね。

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2021年11月25日 (木)

ユーミンをしのいでいたかもしれない逸材

かすてら音楽夜話Vol.135

タイトル意味深ですが。

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本日紹介するのは古内東子です。

デビュー以来、恋愛をモチーフに曲を発表してきた人で、かつては「新・恋愛の教祖」とも呼ばれました。「新」という言葉がつくということは元祖がおりまして、それはユーミンこと、松任谷由実(荒井由実)であります。

わたしゃ、都内とはいえ、結構不便な場所に住んでいまして、職場も近くだったもので、音楽を聴くだけならいいのですが、絶対的にライヴに足を運ぶという経験がほとんどありませんでした。ところが、1997年に世田谷区の某所に転勤となり、その環境が一変するのでした。

つまり、平日仕事を定時に上がれば、渋谷や新宿の会場に間に合うということです。そこで、チケットを確保したのが古内東子でした。まあ、その前にアルバムは確保していたんですけどね。

 

映像は「誰より好きなのに」(作詞作曲:古内東子、1996年)でした。オリコン35位のシングルですが、彼女はシングルで稼ごうというタイプではないというか、ファン層がお金が自由に使えるOL(当時の言葉です)ですから、アルバムのほうが売れてます。

ただし、プロモーションがよく付いておりました。

ライヴの話に戻ります。会場は代々木公園にあるNHKホールでした。なんと、会場はほとんどが20代の女性ばかりで、男性客は女性に連れてこられたパートナーといった具合でした。圧倒的に若い女性が多かったです。まあ、ほとんどがOLだったでしょう。

ユーミンが恋愛の教祖といわれたのは、スキーやドライブなどのシチュエーションに女性の恋愛観を反映したものです。しかも、ユーミンはバリバリのお嬢さん(呉服店の二女)であるにもかかわらず、当時のOLたちが「ちょっと頑張ってお金を貯めれば手が届く」ような状況をうたっていたため、共感をよんだのだと思います。しかし、ユーミンの恋愛観は女性が「待ち」というどちらかというとやや消極的な…当時の日本では普通のことですかね。

一方の古内さんの恋愛観は思いっきり女性の主観を表に出したもので、積極的に男性に働きかける女性を歌ったものでした。すでに日本のOLはユーミンの時代には手に入らなかったものを身に着けていたり、所有しております。とはいえ、男性に対してまだまだ積極的なアプローチは表立ってやりにくい…ところを古内さんが代弁してくれた、ということではなかったでしょうか。

「誰より好きなのに」の歌詞を引用します。サビの部分です。

♪やさしくされると切なくなる/冷たくされると泣きたくなる/この心はざわめくばかりで
♪追いかけられると逃げたくなる/背を向けられると不安になる/誰より好きなのに

これですよね。ぐっと共感する言葉ですね、女性にとっては。

 

映像は1997年のシングル「宝物」のライヴ映像です。「宝物」はアルバム『恋』収録で、タイアップはあったもののオリコンのアルバムチャート2位を獲得しました。翌年のアルバム『魔法の手』ではついにチャート1位を獲得しています。絶頂期ですね。

ま、ワタクシもこの『恋』から古内ワールドに引き込まれていったわけです。ライヴ映像は1997年のツアーだそうですので、ワタクシが見に行った内容とほぼ同じです。

客席では男性客が極端に少なかったのですが、歌の内容はともかく、ブラスもフィーチャーした極上のセンスのポップスに仕上がってますね。ちなみにオリジナル音源ともあまり変わらす、かなりクオリティの高い演奏です。

このツアーではアルバムのプロデューサーであり、アレンジャーでもある小松秀行がベースで参加してます。サウンド面でもオリジナルと同じように聴かせるという苦労があったでしょう。こんなに素敵なサウンドなのに、男性が極端に少ないということがとても残念でした。

ま、そのような古内さんですが、当時は引っ張りだこで、斉藤誠の『Nonber 9』というアルバムでは「曖昧な恋人」という曲でデュエットに起用され、ともさかりえの『むらさき。』というアルバムでは「恋してる」と「はじめてのサヨナラ」の2曲を提供。わたしゃ、『むらさき。』をニフティのFBEATという音楽フォーラムで勧められて購入したのですが、どうせアイドルだろうという概念を吹き飛ばす出来でございました。あのときのMさん、ありがとうね。

20世紀末、わたしゃ、確実に古内さんがユーミンの後継者になる可能性があると思っていたのですが。

21世紀になり彼女は徐々に失速します。やはりというか、恋愛観だけを前面に押し出すものだけでは飽きられてしまったのでしょうかね。前世紀末の古内さんはもしかしたら120%くらいのすっ飛ばし方をしていたのかも。彼女の曲の恋愛をうたったものは自身の経験がもとになっているとか。とはいえ、彼女の世界がユーミンのように大衆には降りてこなかったということでしょうかね。

彼女も試行錯誤し、洋楽のカバーアルバムを出したりしました。

そういう中で見つけた映像がありまして、最も最近にリリースしたデュエットのアルバムからのトークと収録風景です。

 

斉藤和義とのデュエット、「Don't Cry Baby」でした。もちろん、斉藤和義の作品です。

こういう感じで人のバックアップもできますので、恋愛観だけではなく、もっと普通のこと(『フツウのこと』というアルバムもあります)や、力を抜いたゆったりした曲も並べていけば、古内さんの「情念」に絡めとられず、男性もファンが増えていくんじゃないすかね。

まだ、49歳ですからね、ユーミンや竹内まりやとまでは申しませんが、その次くらいに位置するポジションまで上り詰めることも可能なんじゃないかと思います。

ご参考までに
古内東子『恋』アルバムレビュー

古内東子NHKホールライブレポート

ともさかりえ『むらさき。』アルバムレビュー

僭越ながらワタクシが昔書いたものです。よろしかったらご覧ください。

★今回より通常更新に戻ります。コメント、リクエスト、ご意見お待ちしております。

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2021年11月23日 (火)

ビエンチャンで食したもの

2006年のビエンチャン。

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<タートルアン>MZ-3/FA35mm

2006年当時はフィルムを使用しておりました。これを今は亡きフィルムスキャナー(使用中に壊れる)でひとつひとつスキャンして取り込んだ画像です。やたらと時間がかかりました。でも、晴れた日のリバーサル画像は解像度は低いものの、いい感じに仕上がるんですよね。

ビエンチャン散歩中に食べたものを拾い上げていきます。

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<前菜のパテ>IXY digital500

ビエンチャンに到着したのが2006年の元旦でした。宿で夕食を取れるレストランをきくと、ラオス料理かフランス料理か選択を迫られました。

当然ラオス料理とつぶやいたのですが、「あ、ラオスレストランは休みでした」とのことで、フランス料理一択。

ラオスに移住したフランス人シェフのやっている店で、客は当然ながらファランばかりでした。

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<なぜかスパ>IXY digital500

メインにこちらを頼んだのはやはり金額のためです。フレンチのシェフといいながらもパスタもあり。

イタリア以外の諸外国でのパスタは茹ですぎのところが普通ですが、まあまあ行けたような。

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<グラスワイン>IXY digital500

飲み物もこれがせいぜい。グラスの縁ぎりぎりまで注いでくれたというのは親切なんでしょうね。

Le Silapaという店で、10USD払って少しおつりが来たと思います。ちなみに、この時の旅ではまったくラオスの通貨には両替してません。米ドルかタイバーツで払ってキープの釣銭をもらうという三重通貨生活でした。

この店今でもあるかどうか。少なくとも2014-2015版の歩き方には載ってました。

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<ミー>IXY digital500

翌日の昼食です。タイでいうならバミーナーム。スープが透明ですがタイと同様調味料をかけていただくとバミーの味になりました。

周華記飯店という中華系の店です。当時はこんな料理でもしっかりとビアラオを頼んでますね。

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<まさにうどん>IXY digital500

こちら、遼寧餃子館というところの麺です。牛肉麺なんでしょうかね。もろ、中国人がやっているところです。このスープもまた味が薄くて、調味料を効かせていただきました。

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<茹で餃子>IXY digital500

こちらが本命ですね。これはさすがの味です。この店は今もやっていると思われます。ただし、場所はメコンの近くに移転したみたいです。

この時はまだ中国人の影は薄いものでしたが、明らかに中国からやってきた人が経営している店でした。ただし、簡体字は使っていなかったようです。

この2年後、ルアンナムターに行くと、明らかに簡体字を使ったメニューだけの店ができていて、客は中国人労働者だけというところもありました。ルアンパバーンには中国人宿も登場しておりました。

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2021年11月21日 (日)

サルを避けてタイ版ファミレス

記憶も新しい、2019年の夏のタイより。

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<プラナコンキーリー>KP/DA18-50mm

ペッチャブリー(ペッブリー)に泊まった時の話です。

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<サル>KP/DA18-50mm*画像はロッブリーのものです

ペッチャブリーではプラナコンキーリーの麓に当たるところに宿を見つけました。それはいいのですが、あの聖なる山にはサルがたくさん生息していて、そのコロニーからはぐれたサルが麓にもたくさんいたのです。

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<ホテルの部屋表示>PowerShot

ここもこんな具合で。

まあ、気を付けていれば被害はないのですが、できるだけ近くで食事を取りたいものです。

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<メニュー>PowerShot

ということで入ったのがラックムアンのそばにあるCorner Cafeという店でした。ここにもサルのマークがありますね。

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<店内>PowerShot

カジュアルな作りですが、中身は完全にファミレスです。メニューには英語名表記で写真付きでした。

ウエイトレスも簡単な英語が話せまして、割と可愛い衣装を着ておりました。写真を撮ればよかったな。

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<プーケットビール>PowerShot

タイもグラスを凍らせるようになったところもありますね。氷は頼んでおりません。

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<ラベル>PowerShot

こちら、いつぞやのタイフェスでもう入ってこなくなるといわれていたビアプーケットなんです。お初です。

味はというとまあタイのビールの平均を行っているでしょう。お初なので頼みましたが、次からはこれがあってもリオーかチャーンがあったら頼まないと思いますね。

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<ソムタムタイ>PowerShot

おかずはこちら。辛くするかきかれたと思います。はっきり覚えていませんが、標準的な料理なので、「イエス、スパイシー」と答えたような。

激辛ではありませんでしたが、そこそこの辛さがありました。ペッチャブリーはもはやタイ南部ではなくフアヒンよりもバンコクに近いところなんですが。やっぱり地方は注意しましょう、辛さに。

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<スパゲッティカルボナーラ>PowerShot

メインはこちらです。なんでこんなものを頼んだかというと、昼をだいぶ過ぎた時間に太陽光ガイヤーンを食べていたからで、結構腹にたまっていたんですよね。

んー、これは調理というより、レンジで解凍して温めたものですね。

近くでは男女が楽器演奏をして歌を歌っているという、割と雰囲気のいいところでしたが。外に出ると、サルがおります。店のドアのところにもいるくらいで。

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<チアのお姉さんたち>KP/DA18-50mm

ラックムアン、こういうところです。結構楽しい。

なお、ペッチャブリーでもプラナコンキーリーを離れるとサルは見かけなくなります。そっちに泊まればよかったかな。

★自己都合ですが、「かすてら音楽夜話」は来週にアップ予定です。

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2021年11月19日 (金)

諏訪大社上社前宮

9月のミニトリップでございます。

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<駐車場より>KP/DA21mm

茅野市にあKP/DA上社前宮。

諏訪湖周辺は通り過ぎたことはあるものの、このエリアは未踏なのでした。長野県は広いですね。

諏訪大社が4つあるというので、まずはこれを制覇しようと。高速を諏訪南ICで降り、国道20号線を進みます。あまりにもあっけなく登場したので、通り過ぎてしまい、回り道をして戻ってきました。

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<大鳥居>KP/DA15mm

諏訪湖の南岸にある2つの神社が「上社」で北岸にある2つが「下社」となります。この4つはそれぞれ諏訪大社を名乗りますが別の神社ということになります。なお、上下の格の違いはないとのことです。

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<十間廊>KP/DA15mm

山の斜面に設けられた神社で、国道の横断歩道を渡ってからは登りになります。最初に現れたのがこちら。ここでは御頭祭が執り行われたそうで、ググっていくと生々しいものが出てきます。詳しくは、kimcafeさんの「諏訪大社上社参詣で2つの残念」をご参照ください。

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<公園っぽくなってきた>KP/DA21mm

奥に見える建物は観光案内所のような感じでしたが、係は不在。さらに上がっていきます。

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<本殿>KP/DA21mm

たどり着きました。参拝客はちらほら。社務所は十間廊の近くにあり、このあたりで神官や巫女さんの姿は見かけません。

お参りにつきものの、茶屋とか俗世界のものはまるでなく、商売っ気など微塵も感じさせないところですね。

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<水眼の清流>KP/DA15mm

こちら、本物の川です。水眼川(すいががわ)の支流でしょうか。きちんと飲めるようになっています。

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<一之御柱>KP/DA21mm

本殿を囲むようにして4本の御柱が立っています。もちろん、御柱祭で使われたもの…というかこれを立てるための御柱祭ですね。広角レンズで縦位置にして撮っても全体が収まりきらないくらいの高さがあります。

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<湧き水>KP/DA15mm

境内は広大ですが、ところどころ民家も点在しておりました。

また、カーナビでは境内にある駐車場に誘導しようとすることもあるので注意が必要です。駐車場は問題ないのですが、そこへたどり着く道が狭いです。駐車場は国道脇、JR中央線側にあるところがベストでしょう。

結構寄り道してきたのですが、次は上社本宮に行きましょうか。

続きます。

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2021年11月17日 (水)

マウントラヴィーニャのタイ料理

2018年のスリランカより。

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<コロンボフォート駅>PowerShot

スリランカ最終日、コロンボのホテルに滞在中でした。

スリランカ到着時もコロンボに滞在してましたが、ほぼ街歩きだけで終わってしまいました。つまり、まったくコロンボの観光というものをしてないわけですが、コロンボからちょっと離れた海辺のリゾート、マウントラヴィーニャに行ってみることにしました。

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<マウントラヴィーニャ駅>KP/DA18-50mm

鉄道に乗りたいということもありました。この前日、キャンディからやっと取れた優等列車でコロンボに戻ってきましたが、普通の列車にも乗ってみたかったです。

ということで、約30分。あっという間に到着です。

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<バニラコーンアイス>PowerShot

駅から海岸までは距離的にはちかいものの、徒歩で行くと広大な敷地のホテルが道を阻み、回り道をすることになります。

その途中でトイレに行きたくなり、KFCでお借りしました。ショバ代として、こんなものを買います。でも、割と美味かったです。

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<線路>KP/DA18-50mm

気を取り直して海岸に向かいます。踏切のない線路を突っ切ると到着です。

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<寂しいビーチ>KP/DA18-50mm

到着しましたが、かなりがっかりです。何しろ、8月だというのに、天気が良くないです。

人も少ない。赤道直下に近いのに全然暑くないという感じで、見た目はまるで秋の海岸です。

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<服のまま海へ>KP/DA18-50mm

遊びに来ているスリランカ人は少しだけいました。やっぱりインドと同じで決して肌をさらしません。

寂しいビーチにも物売りがいて、その男がいうには「今はシーズンじゃない」とのことでした。波は高そうなので、サーフィンにはいいのかもしれませんが。

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<アイスティ>PowerShot

ビーチにはレストランもあったのですが、ここで食べてもなという気になって引き返すことにしました。

駅への途中にどういうわけかタイ料理のレストランがあって、ここで食べていくことにしました。

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<山盛りカオパット>PowerShot

カオパットを頼みましたが、タイで頼むよりも少なくとも二倍という量です。

タイ人は少食だけど、スリランカ人はコメをやたらと食すということでしょうか。味は紛れもなくカオパットでしたが。

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<ナムチム>PowerShot

調味料もなんか違いますけど。

旅の終盤、もう現地の料理はどうでもよくなって、ただ腹を満たせばいいやということもあるんです。

まさに、この時がそんな感じでした。

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<帰りの車窓>KP/DA18-50mm

次に行くチャンスがあれば、もっと青い海を見てみたいですね。

★18日深夜よりココログのメンテナンスがあるので通常よりも早めにアップしてみました。

なお、この時期内陸部はものすごく暑かったです。

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2021年11月16日 (火)

実質1日だけのビエンチャン

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<ワットホーパケオ>MZ-3/FA35mm

2006年初頭のビエンチャンです。前夜ビエンチャンに到着し、本日が2泊目。翌日昼過ぎの便でバンコクに飛ぶので、残された時間は1日ほどでした。

回ったのは定番の観光コースですね。

ワットホーパケオはタイ語でいうなら「ワットプラケーオ」です。つまりエメラルド寺院。かつてはワットプラケーオに飾られているエメラルド仏をめぐって争奪戦となりました。エメラルド仏もかつてはここに安置されていたのです。

ですが、この緑の仏像をめぐっては結構各地を転々としています。単にラオスとタイとの争いごとだけではないようで。

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<本堂周りの仏像>MZ-3/FA35mm

この寺院は内部にも仏像が数多く展示されていますが、実は撮影禁止でした。

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<見せしめ>IXY digital500

当時デジタル一眼レフはありましたが、とてもじゃありませんが一般人が購入できる代物ではないし、撮った画像のバックアップを取ることが難しかったので、カメラが趣味という人でもフィルムを使っておりました。

そのため、撮影禁止が見つかるとこうなるぞという見せしめですね。明らかに左側に転がるパトローネはフジのリバーサル用です。ちなみにこの時代、タラートサオでリバーサルフィルムを売っていました。

ま、そんな風に夢中になっていると周りに人がいません。この寺院は昼休みがありまして、門を閉めてしまうのです。慌てて出口に向かいますが閉められていました。大声で人を呼ぶと開けてくれましたが、もう少し遅かったらここに午後の開門時間まで閉じ込められていたことでしょう。なんともラオスですわ。

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<タートダム>MZ-3/FA35mm

次にパトゥーサイ(アヌサワリー、凱旋門)に向かう途中、ほとんど住宅地というところに突如現れるのがこちら。

黒塔ともいわれますが、周囲に寺院のようなものがなく、遺跡同然です。この周りでは子供たちが遊んでおりました。

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<パトゥーサイ>MZ-3/Sigma20mm

はるばる歩いてきました。世界一有名な凱旋門、パリのそれとはあまり似ていませんが、ランドマークとなっていて凱旋門の周囲がランナバウト(ロータリー)になっているところは同じです。

パリの凱旋門は地上からたどり着くのは至難の業で、地下道を通っていきます。こちらの凱旋門は地下道はありません。信号もないので、車道を横切る必要があります。でも、この交通量なので全然危険なことはありません。

でも、今は相当交通量も増えたんじゃないでしょうか。

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<正面より>MZ-3/FA35mm

たどり着きました。パリの凱旋門よりも高さ半分くらいですかね。

屋上部分にスローガンのようなものが掲げられていますが、ラオスは一応社会主義の体制なんですよね、現在も。まあ、それを感じることはほとんどありませんが。

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<見上げてみた>MZ-3/FA35mm

かなり装飾が細かいです。この凱旋門はラオス内戦の終結とパテトラオの勝利を記念して作られたものだそうで、比較的新しいです。天井部はこんな感じですが、薄汚れた感はあるんです。犬も昼寝していたりしますし。

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<ビエンチャン市街を望む>MZ-3/Sigma20mm

登ってみました。ホントに交通量が少ないです。そして、これ以上に高そうな建造物がありません。見通しがいいですね。

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<タートルアン>MZ-3/FA35mm

パトゥーサイからさらに歩いて到着です。黄金の塔ともいえそうですが。夕刻の光を浴びてまぶしいです。

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<メコンの夕暮れ>MZ-3/Sigma20mm

タートルアンからはトゥクトゥクで戻りました。歩いてもよかったのですが、メコンの岸辺で夕陽を見るためです。

それには間に合い、ついでにビアラオも一緒に味わうことができたのでした。

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2021年11月14日 (日)

タイ王国、国歌が流れるとき

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<前国王肖像>KP/DA18-50mm

タイでは毎日、朝8時と夕方6時に、公共施設、公園や広場で国家が流れます。テレビとラジオも同様。その短い時間にはほぼすべての人が起立してじっとしています。

そういうしきたりがあることを知ったのは、前川健一氏の著書からです。もうだいぶ前のことになりますが。

しかし、これに初めて遭遇したのは、2012年のことで、早朝の列車でクルンテープ駅(フアラムポーン:これは通称です)からピッサヌロークへ移動するときでした。

まあ、それまでは朝8時くらいはまだ宿でうだうだしていたんだろうし、夕方6時にはそのような場所には立ち寄っていなかったといえますね。

 

こちら、画質が悪くてすいませんが、2016年、モーチットマイでの朝8時です。

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<モーチットマイ>K-7/DA50-200mm

この時はもう少し遅い時間のバスに乗る予定でやってきました。ここの食堂で朝メシを食べ、乗り場に向かおうかというところでした。8時という時間のことはすっかり忘れていたんですが、GR DIGITALのモードを動画にして撮影できました。とはいえ、さすがに設計が15年以上前のカメラなので粒子の粗さが見て取れます。

動画を見ますと、起立してもスマホを見ていたり、まったく立ち上がらない人もいます。

タイの国歌は絶対王政から立憲君主制に移行した後、1939年に制定されたとのことです。国歌が流れている間は「直立不動」でいることという決まりはなく、王室や国王を称える歌でもないので立ち上がらなくても罰則はありません。つまり不敬罪に問われないということです。

 

こちらは、ナコンラチャシマー(コラート)の市場で、朝8時に流れたものです。

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<市場の魚屋>KP/DA18-50mm

この時は市場の飯屋で朝食を食べた後、屋台のコーヒーを注文して待つ間ではなかったかと。

コラートの市場ですが、かなり広く、市民が食材を買い出しに来てます。そればかりでなく、お粥、ぶっかけ飯、麺とコスパのいい食事が可能なんです。これらの店は夕方までやっているので、飽きの来ないうちは使い出があります。

そんなところなんですが、バンコクのように人が密集しておりません。ここで国歌を流してもと思いますが、地方の人口密度は過密都市バンコクとは違うんでしょうね。

なおかつ、働いている人、市場に来ている人ともに、起立度は低そうですね。地方に行くと、国家あるいは国歌に対する敬意みたいなものは低めになるのかもしれません。とはいえ、国王への敬愛度は全国変わらないかな。あくまでも「前」国王に対するものですが。

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<タオスラナリ像>K-7/DA21mm

市場近くにこの像のあるタオスラナリ広場がありますが、ここでも同時刻に国歌が流れているものと思われます。確認はできていませんが。

 

そしてこちらは、2018年、夕方6時のクルンテープ駅での映像です。

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<ドーム内>OMD10/ED14-42mm

映像では、立ち上がらない人に「立って」と促すおせっかいなおばさんが登場しますが。

おそらく、タイ人はこの時立つことに罰則規定がないことはわかっているはずです。そして、立っている人のうちどのくらいかはわかりませんが、「仕方なく」立っている人も結構いるんじゃないでしょうかね。

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<ホーム>OMD10/ED14-42mm

もちろん、こちら側にも国歌は流れます。列車に乗り込もうとしている人も、ここでは立ち止まって、ほぼ不動の姿勢なんでしょうね。

ちなみに、SRTの職員は公務員なので全員起立でしょうね。ちなみに、国歌が流れているところに差し掛かった乗り物に乗っているときは、立たなくてもよいそうですが、鉄道となると運転手以外は立ち上がるのでしょうかね。バスだったら全員座っているでしょう。

 

こちらは、閑散としていますが、2019年、タイ南部ハジャイ駅での映像。

たまたま、朝食をとった後に、コーヒー屋台を探していて駅ならあるかなと立ち寄ったところ、この場面に遭遇しました。

やっぱり、地方ですので、人が少ないです。

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<ハジャイ駅ホーム>PowerShot

映像では軍人が多かったので、周囲の人もさぼれない感がありましたが。

こちらのホームではどうなんでしょうね。

タイ南部は反政府運動が盛んなところで、ハジャイでは爆破テロも起きております。そのため、軍人と警察官の数はかなり多いところです。

ハジャイの中心部にいるタイ人は中国系が多いようです。一方、ナイトマーケットなどで露店を営むのはムスリムが多いですね。ホームの物売りもムスリムあるいはマレー系の顔立ちの方が多いです。タイ南部はほかの地方とは国家や国歌に対する感情がかなり違うと思われます。

さて、昨年あたりから禁断の王室批判も行われるようになったタイですが、コロナ禍もあって、人々の不満もかなりたまっていると思われます。タイ国国歌に対する向き合い方、どんな具合になっているのか見てみたい気もしますね。

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2021年11月13日 (土)

私的フォーク史

かすてら音楽夜話Vol.134

今回、Naozoさんのリクエストにお応えいたします。

Ytakuro

日本のフォークといっても結構古くからあって、多種多様な人たちがいます。すべてを追い切るのは不可能ですので、自分の中に入ってきた人物やグループを取り上げてみたいと思います。

初めてフォークソングに接したと思うのは、The Folk Crusaders(フォーククルセイダーズ)ですかね。それも、「帰ってきたヨッパライ」(作詞:松山猛・北山修 作曲:加藤和彦、1967年)というテープを早回しにしたものなんですが。これはオリコン1位になり、最も売れたフォークグループのシングルともいえますね。

そこから数年。さらにビジュアル付きでインパクトをもらったのが次の曲です。

 

上條恒彦+六文銭の「出発の歌-失われた時を求めて-」(作詞:及川亘平 作曲:小室等、1971年)でした。「出発」は「たびだち」と読みます。

もともとは、第二回世界歌謡祭のための国内選考で、合歓の郷でのポピュラーフェスティバル(主催はヤマハでまだポプコンは行われてなかった)に上條恒彦も六文銭も別々にエントリーしていたそうですが、小室等に依頼していた曲がひとつしかできずに、両者がこの曲で急遽エントリーすることになったものです。

そして、「出発の歌」はポピュラーフェスティバルでグランプリを取り、その後の世界歌謡祭でもグランプリを取るなどし、シングルが発売されオリコン5位のヒットとなりました。

ワタクシが初めて聴いたのはその年の紅白歌合戦ではないかと思います。なんといっても、上條さんのひげ面にバックのメンバーの普段着みたいな恰好で、紅白出場歌手とはとても思えなかったです。こりゃ、芸能界の人と違うと。

そして、年が明けると毛髪量の多そうな長髪の男がギターをかき鳴らしながら「結婚しようよ」と歌いまくっていたのです。吉田拓郎(当時はよしだたくろう)でした。

 

映像はデビュー曲の「イメージの詩」(作詞作曲:吉田拓郎)です。

「結婚しようよ」(オリコン3位)から一転、旅の哀愁を漂わせる「旅の宿」はついにオリコン1位を取り、吉田拓郎は時代の寵児みたいな感もありましたね。ま、「旅の宿」は作詞を岡本おさみが担当していますが、これは岡本からの売り込みだったようです。

吉田拓郎の曲はこれまでのフォークのイメージ(反体制など)を一転させ、ヒットによって作曲の依頼も増えました。

また、この時期、「結婚しようよ」の通りに六文銭にいた四角佳子と最初の結婚をしております。

ワタクシは高校から国内旅行をするようになりますが、もっぱらユースホステルを使っていまして、ミーティングと称する1時間程度の会では、ヘルパーという人たちが必ずといっていいほどアコースティックギターでフォークソングを歌わせるんですね。その中では吉田拓郎の「落陽」という曲もありました。

吉田拓郎はその後フォーライフレコードを設立します。参加メンバーは小室等、泉谷しげる、井上陽水で初代社長は小室等でしたが、やがて吉田が社長となりワンマン体制に移行。ほかのメンバーは離れていき、1982年に吉田も社長を退いています。会社自体は2001年まで存続しました。

さて、その1972年あたりで、ワタクシの周囲でもギターを買ってもらうやつなどが登場してきました。また、ワタクシもいち早く芸能雑誌を少ない小遣いから捻出して買ったりしました。「明星」ですね。これには歌本が付いていたんですね。

当時のフォーク界はその後のニューミュージックのように、テレビなどのメディアにはなかなか登場しないという傾向がありました。と、いうより歌謡曲ほどのヒットがないため、なかなか出してもらえないというのが実態でしょうが。

それでも、明星の歌本にはフォークの人たちの楽譜(ギターのコード譜)と歌詞以外にモノクロの不鮮明なものではありましたが、写真も載っていたのですね。そうしたビジュアル面で確認できたのが、泉谷しげる、古井戸などですが、その後に売れ出す「ガロ」もいました。

 

映像は「地球はメリーゴーランド」(作詞:山上路夫 作曲:日高富明)です。

彼らはその後の「学生街の喫茶店」「君の誕生日」の連続オリコン1位で一躍有名になりますが、こちらは職業作家でもあるすぎやまこういちの曲提供なんですね。

メンバー3人がそれぞれに曲を作り、リードヴォーカルを担当できて楽器も演奏するという、可能性を秘めたトリオだったのですが、かなりの頻度でテレビ出演もし、周りのフォークの人たちとは異なった活動をしていました。

また、爆発的に売れたもののその後は人気も下火となり、音楽性の違いから短期間で解散することになります。「地球はメリーゴーランド」のリードヴォーカル、「トミー」はエリック・クラプトンに心酔していて、渡米してギターを集めるなど、ロック志向だったそうです。

サングラスの「マーク」こと堀内護はアコースティック志向でした。

「学生街の喫茶店」のリードヴォーカル、大野真澄の愛称は「ヴォーカル」ってそのまんま。彼は解散後裏方に回ったこともあったようです。残念なことにトミーとマークはすでにお亡くなりになっていて、大野だけが生存してますので、ガロの再結成はないですね。

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さて、古井戸ですが、「さなえちゃん」という曲がオリコン7位のヒットを記録してます。画像の右が加奈崎芳太郎、左が仲井戸麗市です。デビュー時はこの二人のデュオとなっていますが、もともとは4人組でした。

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明星の歌本を購入した時期が悪かったのか、RCサクセションは歌本には掲載されてませんでしたが、同時期のデビューです。

渋谷にあったライヴハウスに古井戸もRCサクセションも出ていて、メンバー間の交流もあったようです。古井戸の加奈崎はフォーク志向が強かったようですが、仲井戸(チャボ)はブルース志向が強く、RCの忌野清志郎と惹かれあうものがあったようです。

古井戸の解散後、チャボはRCに加入し、ついにRCはブレイクを果たすのですが、すでにフォークという色合いはありませんでした。

 

映像はすでにRCの解散後でしょうか。RCサクセションのデビュー曲、「宝くじは買わない」を清志郎&チャボでやっているものです。

まあ、フォークといっても人それぞれ。

アリスの二人は歌謡曲や演歌に流れていきましたし。RCのようにブルース、ロックにシフトした例もあります。あるいは長渕みたいにスピリチュアル系(?)って人もいるし。かなり後発になりますが、「ゆず」みたいにアコースティックギター2本で正統なフォークという例もありますし。

ま、音楽のジャンル分けはあまり意味のないことなのかも。

★ご意見、リクエスト、コメントをお待ちしております。

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2021年11月 9日 (火)

おや?キムタク?

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<道の駅とよとみ>PowerShot

9月のミニトリップ続き。

道の駅とよとみを後に。ここからまっすぐ走ると、中部横断自動車道の増穂ICにたどり着きます。そこから、双葉JCTで中央道に合流し、諏訪方面に向かうことになります。

ですが、その前に。

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<道の駅富士川>PowerShot

ここに立ち寄ります。もちろん、スタンプ集めです。

全国に道の駅は1200か所近くあります。地域ごとにスタンプラリーを年度ごとに実施しています。そのためのスタンプ帳を販売していますが、関東地方には山梨県と長野県の一部が含まれることになってます(長野のほかの部分は中部地方管轄)。その関東地方は今年180か所がスタンプラリーの対象となっているのですが。

ま、これを期間内(1年または2年)で制覇するのは無理ってもので、ワタクシの場合端からスタンプラリーに参加するつもりもなく、数年をかけてスタンプ帳にスタンプを集めるということが目的ですね。

その間に増減する道の駅もあるわけで、それはそれで構わないと思ってます。新しくできたところは余白のページがあるのでそこに押せばいいわけですね。関東以外の東北や中部に行った場合、その地域のスタンプ帳を購入すればいいとも思っております。

今はあるかどうか、JRが国鉄だった時代、旅先で駅のスタンプを集めていたこともあります。そちらのほうが大変でしょう。

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<キャラクター>PowerShot

タヌキに見えますが、ここでもマスクか。この奥に展望室に上がるエレベーターと階段があります。

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<展望台>PowerShot

名前の通り富士川沿いにありますが、展望台からはあまりよく見えません。

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<一応南アルプス>PowerShot

左側に橋がありますが、富士川に架かる橋です。トラック用のパーキングを突っ切っていけば河原には出られるようでした。

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<反対側>PowerShot

こちらの山並みのほうが高いですね。

手前の道路はこれから乗る、中部横断道です。実はこの道の駅は中部横断道増穂PA下り線(双葉JCT方面)のハイウェイオアシスの役目を果たしているのです。

わかりやすくいいますと、増穂PA下り線には駐車スペースしかなく、施設利用は道の駅富士川を利用するようになっています。その間、移動は徒歩のみでPAから道の駅には自動車での出入りはできません。

この展望台にはワタクシが滞在している間、誰もやってきませんでした。

さあ、スタンプもゲットしたし、諏訪に向かうか。

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<木村くん?>PowerShot

そのスタンプを設置しているところにあったモノ。

一瞬ジャニーズ事務所所属のタレントかと思いましたが、どうやらオリンピックの自転車ロードレースに出場した選手だったようです。このあたりの出身だったような。名前は忘れました。

全身写真を見れば、腰から下がキムタクではないなとわかるはずです。上下のバランスがね。

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2021年11月 7日 (日)

囚われのシエナ

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<Eurostar>K-7/DA21mm

2011年の年末から翌2012年の年始にかけて短期間トスカーナを旅しました。

この年、12月23日(金)が祝日で土日と合わせて三連休となるため、例年よりも早く出かけることができたのですが、その後のイタリアのカレンダーをよく確認しなかったのが災いしました。

ローマに到着し、翌日にシエナに向かう25日のバスチケットを購入しに行ったものの、クリスマスのため全休が判明。急遽テルミニに戻りフィレンツェ行きのエウロスターのチケットを抑え、25日にフィレンツェ・サンタマリア・ノヴェッラ駅に到着。ここで気づくべきだったのです。

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<カンポ広場>K-7/DA21mm

フィレンツェではSITA社がシエナ行きのプルマン(青い車体の長距離バス)を運行してます。フィレンツェにはすでに3回来ていて、このバスにはさんざんお世話になっていますので、乗り場も熟知していました。そして、バス乗り場に向かうと…。運休しておりました。

この時鉄道で向かうという発想が出てきませんで、タクシーに乗るという散財をしてしまいました。

さて、ホテルに落ち着き、遅い昼食です。しかし、ほとんどの店が閉まっていました。

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<ポモドーロ>GR DIGITAL

ようやく見つけた店はスパゲッテリアという、作り置きのスパゲッティを出す簡易なところしかありませんでした。

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<グラスワイン>GR DIGITAL

そういうところでもワインはありまして、一番安いものをもらいます。それでも、12ユーロもしてしまった。

この時まではクリスマス(Natale、国民の休日)休みは交通機関だけだと思っていたのですが、空いているのはタバッキという雑貨屋くらいで、飲食店までもが休むとは。

夕食もさんざん探し回ったのですが、結局見つけられず、エノテカという酒屋のようなところでパニーニという、イタリア風サンドイッチ2種とワインを買い込んで何とか凌いだ次第でした。

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<ドゥオーモ>K-7/DA21mm

翌26日。今日はプルマンも動くだろうと、バスターミナルに向かいます。シエナもフィレンツェからの日帰りではありますが、数回来てますので、近くのコムーネ(地域共同体のような意味で市町村に相当する)である、モンテプルチャーノかピエンツァに行くつもりでした。

というか、このふたつのコムーネは奥まったところにあり、なおかつシエナ以外からのアクセスが悪いため、シエナに宿を取ったのです。しかし、無情にもプルマンは全休でした。

なんと、12月26日は「聖ステファノの日」ということで、これまた休日なのでした。

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<ドゥオーモ内部>K-7/DA21mm

なんと、この日はシエナを出るすべがないことになります。唯一の手段は鉄道ですが、モンテプルチャーノやピエンツァには鉄道はありませんし、近くも通りません。

仕方がないので、シエナを観光することになりました。

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<プップリコ宮>K-7/DA21mm

この日は共通入場券と単独の入場券を組み合わせて数か所を回りました。シエナに泊まっていたのでこれまでの日帰りでは見ることのできないところも回ることができたのですが。

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<切り売りのピザ>GR DIGITAL

プルマンは休業でしたが、飲食店は開いていたようです。昼食は簡単に切り売りピザの「Spizzico」というチェーン店で、コーラとともに5.9ユーロ。見た目、チープですが割と美味かったです。

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<アンティパスト>GR DIGITAL

夕食もなんとかやっているリストランテを見つけ、ようやく人間らしい食事をすることができました。

実はこの時期イタリア経済は破綻寸前で、EUから援助してもらうかどうかというところまで行っておりました。イタリア料理というとフルコースは前菜、第一皿、第二皿というようになっているのですが、地元のイタリア人でも前菜抜きで料理1品という人たちが多かったような気がします。

また、ローマでエウロスターのチケットを購入しましたが、チケットは券売機でも買えます。ですが、テルミニの券売機付近には怪しげな人物が待ち構えていて、操作法を教えようというのですね。絶対怪しいので、現金もクレジットカードもその場では出さずに、窓口で買いました。こういう人物はかつてはナポリ中央駅あたりでしか見かけませんでしたが。

日本もこんな風になっていくかもしれませんぜ。イタリアはその後回復したみたいですが。

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2021年11月 5日 (金)

SUBWAYのめんどくさいサンドイッチ

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<レンヌ駅>K-7/DA16-50mm

こんな列車で、サンマロというところに日帰りしました。

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<漁師>K-7/DA16-50mm

そこは海辺の町で、旧市街が素敵らしい。らしいというのは、ほとんどガイドブックを開かずに散策してしまったから。

どうも、駅を出てから道をひとつ間違えたらしいです。

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<牡蠣>K-7/DA16-50mm

こういうものもあります。季節は夏の8月。あちらでは「牡蠣はRの付く月以外は食べてはいけない」といわれていますが、août(8月)でも水揚げされてますし、モンサンミッシェルでは生牡蠣を提供してました。各地でもオイスターバーはありましたね。

食べてみたいですが我慢だな。

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<陸揚げされたボート>K-7/DA16-50mm

彷徨っておりましたが、わからないなりにまあ、楽しめました。さあ、レンヌに戻ろうか。でも、昼食がまだだな。

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<SUBWAY>GR DIGITAL

駅前に戻り、レンヌ行きのチケットを購入したものの、1時間待ちです。ちょうど駅前にサンドイッチのSUBWAY(以下カタカナ表記です)があり、ここで軽く食べていくことにしました。

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<ハムチーズサンド>GR DIGITAL

あちらでは、飲み物を頼まないと人間じゃないような目で見られますので、PESCA(ぺスカ)と呼ばれるほのかに桃の味のするリプトンのお茶のペットを付けました。

でも、こんなので6.2ユーロします。

サブウェイですから、パンはバゲットではなく柔らかいです。果たして、これがフランス人に受け入れられるのでしょうか。

わたしゃ、近くにこの店がないので入ったこともありませんでしたが、名称のSUBWAYとはこのパンの形が潜水艦型(Submarine Sandwich)を客の好み(Your way)で提供することから付けられたとのことです。決して地下鉄ではなかったんですね。

従って、パンの種類とサイズ、ドレッシングと呼ばれる調味料を好きなように選べるのでした。

しかし、この店舗ではどれと選んだ記憶がないです。

なんでも、アメリカのサンドイッチは同じように客の選択肢がいろいろあって、注文が面倒らしいですけど。

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<ジョージタウン>KP/DA18-50mm

サブウェイは経営が苦しく店舗を縮小しているような話が数年前にありましたが。それは日本だけなのかな。

それでも、世界でサブウェイは結構見ております。

ジョージタウンではペナン通りにかつての市電の線路が残るところがあります。画像の右手の建物に、サブウェイが入っていました。写真がなくてすいません。

もちろん、ペナンですから、わざわざアメリカ生まれのサンドイッチを食べる必要がないので、店舗にすら足を踏み入れておりませんが。

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<カンタベリー大聖堂>K-7/DA16-50mm

この厳かな町にもサブウェイはありました。

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<イギリスのサンドイッチ>GR DIGITAL

本家イギリスのサンドイッチはいわゆる食パンの耳を落としたタイプですね。

あのサブマリンサンドイッチが受け入れられるのか。苦戦していると思いますね。

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<こりゃだめだ>K-7/DA16-50mm

だって、こんなことをやって集客しているくらいですから。

ちなみに、サンマロのサブウェイ、トイレを借りると4桁の暗証番号を教えられました。ワタクシがドアを開けると、それまで我慢していた人が数名立ち上がったでございます。

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2021年11月 3日 (水)

バンコクでフロント交渉のホテル

2003年の初タイ。

アユタヤからバスでバンコクに戻りました。当時の旅のスタイルとして、到着時はホテルを予約しているものの、あとはフロント飛び込みで交渉するというもの。それをタイの首都でやったわけです。

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<客室>Coolpix880

あたりをつけておいたのは、チットロムの付近ということでした。

短期の旅でしたが、到着時はスクムウィットSoi4、ナナホテルでした。その付近でも便利でしたが、より中心部に近いということで。また、ナナホテルが日本円で1泊、3000円くらい、当時のレートで約1000バーツ。そのあたりの値段からガイドブックに載っているところを目で追っていくと、「Siam Orchid Inn」というところが目に入ります。ここにしましょう。

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<バスタブありのバスルーム>Coolpix880

現在予約を持たずにホテルを探すとなるとカオサンとなります。当時もガイドブックにはカオサンの紹介ページはありましたが、いかんせんアクセスがバスだけで、タイ語も読めない、タイ語も単語レベルでわからないということで、安めのホテルを探してここになりました。

場所は現在のBIG Cの裏手のあたりでした。でも、BIG Cはまだできていなかったような気がします。あるいはあったのかもしれませんが、現在の大きな建物ではなかったのかもしれません。

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<電気式給湯器>Coolpix880

フロントで交渉すると、部屋はあって1泊1100バーツとのことで、2泊することにしました。

案の定フロントの男性はきれいな英語を話しました。かなり小さなホテルでしたが、これで簡単な朝食も付きました。

部屋はタブルベッドで清潔感ありました。ただし、最初に入った時には殺虫剤のような匂いがしたのですが、芳香剤だったのでしょうか。すぐに気にならなくなりましたが。

この時、初めて電気式の給湯システムに出会うことになりました。それでも、バスタブは付いていて、ここもかつて米軍向けに作られたところだったのかもしれません。

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<瓶のミネラルウォーター>Coolpix880

瓶入りのミネラルウォーターはそれまで泊まったナナホテルでもアユタヤでも置いてありました。でも、象のマークは初めて。ビアチャーンの水ですね。まだ、タイのビールというとビアシンだけという認識だったような。ま、当時は「ビアシン」ではなく「シンハービール」と覚えていましたけど。

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<エラワンプーム>MZ-3/FA28-105mm

ロケーションの良さは抜群で、ちょっと歩けばこちらに出ます。当時、この背後にデパートがありそれは「エラワンそごう」と名乗ってました。現在そごうは撤退してますが建物は別のデパートとして残っています。

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<ウィマンメーク宮殿>MZ-3/FA28-105mm

翌日はワットプラケーオの入場券の半券でこちらにも入場できたので、行ってみました。日本語ガイドはいるそうですがこの時は英語のガイドツアーとなり、非常に疲れた記憶があります。

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<高額カオソーイ>Coolpix880

そごうの近くにYou & Meeという麺の店があり、ここで初めて食べたのがカオソーイです。その他、バミーや各種クイッティアオもありましたが、まあ外国人観光客向けの店です。中は綺麗で、食べ終わった丼が放置されているようなことはありません。

まだ、どこに行けば屋台の麺が食べられるかもわかってませんでした。

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<後のセントラルワールド>K-7/DA50-200mm*画像は2016年のものです

こちらにも近かったです。とはいえ、当時の名称は「ワールドトレードセンター」WTCですけど。2回くらい改称しているのかな。

当時こちらのCDショップで、日本人アーティストのアルバムを購入してます。当時はネットでの音楽配信などなかったので、タイでもCDを普通に売ってました。そして、日本人のCDもほぼ日本仕様そのもので販売していたのですね。

そして、ここを出るとおばさんが話しかけてきて「靴を買わないか」と英語でいわれました。もちろん買わないのですが、後日もう1回くらい同じようなことがありました。ちょっとした外国人を狙った詐欺まがいのことなんでしょうね。

その後、この界隈は赤シャツの軍団が占拠し、放火もされたようです。BIG Cもしばらく休業になっていました。また、BIC C裏が再開発され、Siam Orchid Innも姿を消してしまったようです。

この旅ではノースウエストを利用していたので、早朝にドンムアンに向かう必要があったのですが、ホテルの送迎を利用しました。高速料金込みで400バーツだったかな。

このホテル、まだ残っていたら定宿になっていた可能性はありますね。

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2021年11月 2日 (火)

沢田研二 X 佐野元春

かすてら音楽夜話Vol.133

Sawadakenji

さて、今回はジュリーこと、沢田研二の話です。

ジュリーというとGS時代からの長いキャリアがありますが、そのあたりの経歴は省略します。

ジュリーは昨年あたりでしたか、コンサートのキャンセルが相次ぎ、対応がひどいだの、近年の風貌がやれ変わり果てただの、さんざんな風評でしたが、全盛期の「危険な二人」~「時の過行くままに」~「勝手にしやがれ」あたりの勢いはさすがのものがありました。

テレビドラマで樹木希林(当時は悠木千帆)演ずるばあちゃんが「ジュリー!」と叫ぶシーンもあり、女性からの人気は絶対的だったと思います。

やや脱線しますが、男の容姿は年齢によって変化していくもの。芸能界においては改造人間になってしまった森進一は真逆ともいえますが、ジュリーがあの容貌をさらしているということは、自らはルックスにこだわっていない表れともいえます。

Motoharu

さて、そのようにヒットを飛ばしていたジュリーにも陰りが見えてきます。大きなヒットがこれまでのように出なくなり、ジュリー自身もメイクや衣装に工夫を凝らすようになります。

そして、「TOKIO」では電飾衣装にパラシュートを付けるというパフォーマンスを見せていましたが、このエスカレートぶりにバックバンドのリーダー井上堯之(井上堯之バンド)がついていけず、なんとバンドが解散してしまうという事態になってしまいました。

「TOKIO」のリリースは1980年の元旦ですが、この年の3月にデビューしたのが佐野元春です。そんなデビューしたての新人に沢田から提供曲のオファーが来ることになります。

 

オファーがあったのは3曲ですが、当時スタジオで準備していた佐野がジュリーのオファーを受けて、伊藤銀次にピアノで弾いてみせたのが、この「The Vanity Factory」(作詞作曲:佐野元春)でした。

それを弾いてみせた翌日、なんと伊藤銀次のもとへ、ジュリーからアレンジの依頼が舞い込みます。それも、アルバム丸ごと。

どのような経緯でそうなったのかはわかりませんが、ジュリーが元春に注目していたことだけは確かです。当時の元春はアルバム『Back To The Street』とシングル「アンジェリーナ」をリリースしていただけ。おそらくはジュリーとプロデューサーの加瀬邦彦がアルバムを聴いて、元春の可能性に賭けてみたのではないでしょうか。そして、そのアルバムの数曲のアレンジを担当していた銀次を大抜擢したのでしょう。

「The Vanity Factory」はジュリーのアルバム『G.S. I Love You』というアルバムに収録されることになりました。

井上堯之に去られ、加瀬は新たなバンド「Always」をバックにつけますが、ここにいたのが吉田建です。「The Vanity Factory」の映像ではジュリーの右側でベースを弾いているところが映っていますね。もしかしたら「Always」の発展的解消による後継バンド、「EXOTICS」のものかもしれませんが、こちらにも吉田は参加しています。

そして、吉田建と銀次はのちに「いかすバンド天国」の審査員として再び相まみえることになりますが。

「The Vanity Factory」は1982年の元春のサードアルバム『SOMEDAY』の中でセルフカバーされることになりますが、とてもインパクトのあるバックコーラスがつけられることになりました。それは、ジュリーが参加していて、ちょっと聴いただけでこれは沢田研二とわかる具合です。たとえるならばカーリー・サイモンの「You Are So Vain」でのミック・ジャガーのコーラスのように。

ジュリーの恩返しですね。

元春のカバーは逆にGSっぽいサウンドに仕上がっております。

 

提供された2曲目が、「彼女はデリケート」(作詞作曲:佐野元春)です。収録アルバム『G.S. I Love You』というタイトルが物語るように、ジュリーがGS時代に回帰する、そして、80年代の新しい沢田研二を目指すという意味でもあったようです。

銀次のアレンジはよりロック色の強いものに仕立て上げられました。こちらのアルバムヴァージョンでは元春がバックコーラスで参加しています。

仮歌の段階では元春の歌うものも用意されていたと思われ、そのパワフルさにジュリーも刺激を受けたのではないでしょうか。

こちらはコンピレーションアルバム、『Niagara Triangle Vol.2』に元春のセルフカバーが収録され、1982年に6枚目のシングルとしてリリースされています。

元春のデビュー時のエピソードがあります。当時の元春はレコーディング作業が楽しくてたまらず、自分のパートが終わってもスタジオに残っていたそうです。そこで、ほかの楽器のオーバーダビングなどの際にミキサー室で元春は思いっきり歌ってしまい、それが収録に入ってしまいそうになるので、止められていたというものです。いかにすごいものだったかですね。

 

そして最後は「I'm In Blue」(作詞作曲:佐野元春 編曲:伊藤銀次)でした。こちら、アルバム収録ヴァージョンになぜか藤竜也や尾崎紀世彦も登場する映像をかぶせたものですが。

元春は、ジュリーへの提供にあたりタイガース時代の代表曲などを聴きこんで、いかにもジュリーっぽい曲を作ったといわれています。そちらが「I'm In Blue」ですね。

こちらも元春がセルフカバーしていて、『SOMEDAY』に収録されています。「The Vanity Factory」と「彼女はデリケート」のセルフカバーは元春自身がアレンジしていてかなりジュリーヴァージョンとはテイストが異なりますが、この曲は割と同じような味わいでカバーしております。

後日談としてジュリーと同じナベプロ所属の吉川晃司が「I'm In Blue」をデビューアルバム『パラシュートが落ちた夏』(1984年)で収録されることになりますが、これは同年にジュリーに元春が提供した「すべてはこの夜に」を入れようとしたところ、元春側から待ったがかかり差し替えになったものです。

「すべてはこの夜に」はジュリーに提供したもので、それより先にこの世に出ることを許さなかったのですね。吉川盤「すべてはこの夜に」は2年後、ジュリー盤が出た後にシングルとしてようやくリリースされました(オリコン4位)。元春がジュリーを思う気持ちが表れているエピソードです。

ただし、こちらは元春はセルフカバーは行いませんでした。両者を立てる人なんですね、元春。

さて、ジュリーの元春提供曲をアルバム収録順に紹介いたしました。これら以外にもジュリーは元春がお気に入りになったようで、その後も「Why Oh Why」と「Bye Bye Handy Love」を提供しました。

この『G.S. I Love You』は数年たって購入いたしました。だって佐野元春の曲をどんなふうに歌ったか聴いてみたかったですからね。

ちなみに、伊藤銀次のブログ、「Sunday Ginji」の記事も参考にいたしました。

★ご意見・リクエスト等、コメントもお待ちしております。

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