沢田研二 X 佐野元春
かすてら音楽夜話Vol.133
さて、今回はジュリーこと、沢田研二の話です。
ジュリーというとGS時代からの長いキャリアがありますが、そのあたりの経歴は省略します。
ジュリーは昨年あたりでしたか、コンサートのキャンセルが相次ぎ、対応がひどいだの、近年の風貌がやれ変わり果てただの、さんざんな風評でしたが、全盛期の「危険な二人」~「時の過行くままに」~「勝手にしやがれ」あたりの勢いはさすがのものがありました。
テレビドラマで樹木希林(当時は悠木千帆)演ずるばあちゃんが「ジュリー!」と叫ぶシーンもあり、女性からの人気は絶対的だったと思います。
やや脱線しますが、男の容姿は年齢によって変化していくもの。芸能界においては改造人間になってしまった森進一は真逆ともいえますが、ジュリーがあの容貌をさらしているということは、自らはルックスにこだわっていない表れともいえます。
さて、そのようにヒットを飛ばしていたジュリーにも陰りが見えてきます。大きなヒットがこれまでのように出なくなり、ジュリー自身もメイクや衣装に工夫を凝らすようになります。
そして、「TOKIO」では電飾衣装にパラシュートを付けるというパフォーマンスを見せていましたが、このエスカレートぶりにバックバンドのリーダー井上堯之(井上堯之バンド)がついていけず、なんとバンドが解散してしまうという事態になってしまいました。
「TOKIO」のリリースは1980年の元旦ですが、この年の3月にデビューしたのが佐野元春です。そんなデビューしたての新人に沢田から提供曲のオファーが来ることになります。
オファーがあったのは3曲ですが、当時スタジオで準備していた佐野がジュリーのオファーを受けて、伊藤銀次にピアノで弾いてみせたのが、この「The Vanity Factory」(作詞作曲:佐野元春)でした。
それを弾いてみせた翌日、なんと伊藤銀次のもとへ、ジュリーからアレンジの依頼が舞い込みます。それも、アルバム丸ごと。
どのような経緯でそうなったのかはわかりませんが、ジュリーが元春に注目していたことだけは確かです。当時の元春はアルバム『Back To The Street』とシングル「アンジェリーナ」をリリースしていただけ。おそらくはジュリーとプロデューサーの加瀬邦彦がアルバムを聴いて、元春の可能性に賭けてみたのではないでしょうか。そして、そのアルバムの数曲のアレンジを担当していた銀次を大抜擢したのでしょう。
「The Vanity Factory」はジュリーのアルバム『G.S. I Love You』というアルバムに収録されることになりました。
井上堯之に去られ、加瀬は新たなバンド「Always」をバックにつけますが、ここにいたのが吉田建です。「The Vanity Factory」の映像ではジュリーの右側でベースを弾いているところが映っていますね。もしかしたら「Always」の発展的解消による後継バンド、「EXOTICS」のものかもしれませんが、こちらにも吉田は参加しています。
そして、吉田建と銀次はのちに「いかすバンド天国」の審査員として再び相まみえることになりますが。
「The Vanity Factory」は1982年の元春のサードアルバム『SOMEDAY』の中でセルフカバーされることになりますが、とてもインパクトのあるバックコーラスがつけられることになりました。それは、ジュリーが参加していて、ちょっと聴いただけでこれは沢田研二とわかる具合です。たとえるならばカーリー・サイモンの「You Are So Vain」でのミック・ジャガーのコーラスのように。
ジュリーの恩返しですね。
元春のカバーは逆にGSっぽいサウンドに仕上がっております。
提供された2曲目が、「彼女はデリケート」(作詞作曲:佐野元春)です。収録アルバム『G.S. I Love You』というタイトルが物語るように、ジュリーがGS時代に回帰する、そして、80年代の新しい沢田研二を目指すという意味でもあったようです。
銀次のアレンジはよりロック色の強いものに仕立て上げられました。こちらのアルバムヴァージョンでは元春がバックコーラスで参加しています。
仮歌の段階では元春の歌うものも用意されていたと思われ、そのパワフルさにジュリーも刺激を受けたのではないでしょうか。
こちらはコンピレーションアルバム、『Niagara Triangle Vol.2』に元春のセルフカバーが収録され、1982年に6枚目のシングルとしてリリースされています。
元春のデビュー時のエピソードがあります。当時の元春はレコーディング作業が楽しくてたまらず、自分のパートが終わってもスタジオに残っていたそうです。そこで、ほかの楽器のオーバーダビングなどの際にミキサー室で元春は思いっきり歌ってしまい、それが収録に入ってしまいそうになるので、止められていたというものです。いかにすごいものだったかですね。
そして最後は「I'm In Blue」(作詞作曲:佐野元春 編曲:伊藤銀次)でした。こちら、アルバム収録ヴァージョンになぜか藤竜也や尾崎紀世彦も登場する映像をかぶせたものですが。
元春は、ジュリーへの提供にあたりタイガース時代の代表曲などを聴きこんで、いかにもジュリーっぽい曲を作ったといわれています。そちらが「I'm In Blue」ですね。
こちらも元春がセルフカバーしていて、『SOMEDAY』に収録されています。「The Vanity Factory」と「彼女はデリケート」のセルフカバーは元春自身がアレンジしていてかなりジュリーヴァージョンとはテイストが異なりますが、この曲は割と同じような味わいでカバーしております。
後日談としてジュリーと同じナベプロ所属の吉川晃司が「I'm In Blue」をデビューアルバム『パラシュートが落ちた夏』(1984年)で収録されることになりますが、これは同年にジュリーに元春が提供した「すべてはこの夜に」を入れようとしたところ、元春側から待ったがかかり差し替えになったものです。
「すべてはこの夜に」はジュリーに提供したもので、それより先にこの世に出ることを許さなかったのですね。吉川盤「すべてはこの夜に」は2年後、ジュリー盤が出た後にシングルとしてようやくリリースされました(オリコン4位)。元春がジュリーを思う気持ちが表れているエピソードです。
ただし、こちらは元春はセルフカバーは行いませんでした。両者を立てる人なんですね、元春。
さて、ジュリーの元春提供曲をアルバム収録順に紹介いたしました。これら以外にもジュリーは元春がお気に入りになったようで、その後も「Why Oh Why」と「Bye Bye Handy Love」を提供しました。
この『G.S. I Love You』は数年たって購入いたしました。だって佐野元春の曲をどんなふうに歌ったか聴いてみたかったですからね。
ちなみに、伊藤銀次のブログ、「Sunday Ginji」の記事も参考にいたしました。
★ご意見・リクエスト等、コメントもお待ちしております。
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コメント
前にザ・タイガース、岸部さんのベース伝説について長々とコメント書いてしまい、反省でしたので、今回は違う切り口で。
朝ドラ「カーネーション」の後半で主人公・糸子(モデル:小篠綾子)の次女・直子(モデル:コシノジュンコ)絡みで糸子のところに入り浸っていた「ジョニー」。
これがGS時代のジュリーこと沢田研二がモデルでした。
オンタイムでは無理なので録画して観ていましたが、俳優が浅利陽介なのでどこかピンとこないキャスティングでした。
で。
タイガース時代はデビューしたころからずっとコシノジュンコの衣装をきて活動していたんですね。コシノジュンコもビートルズからの流れの詰襟とユニセックスなデザインを取り入れ、お互いに刺激しあい高めあう良い関係だったみたいです。
なんでもユニフォームにジュンコの地元の「だんじり」をイメージして作っていたとか。
ソロになって徐々にコシノジュンコの衣装から離れていってしまいましたが、離れていったのはジュンコだけではなかったという話ですね。
というか。また長くなった。しかも音楽話関係ないし。
投稿: lastsmile | 2021年11月 5日 (金) 13時51分
lastsmileさん。
朝ドラ、あまり見てないんです。
とはいえ、「カーネーション」のテーマソングを椎名林檎が歌っていたことは知ってます。
ざっとあらすじを見てみたんですが、「ジョニー」がシークレットブーツを履いていたなんて、ちょっと失礼ですよね。
でも、タイガースの衣装のことはここで初めて知りました。ありがとうございます。
佐野元春はああ見えてファッションブランドとは縁遠い人に思えます。
エレカシのミヤジでさえ、白シャツには特定のブランドにこだわっているというのに。
…と、強引に引き戻してみました。
元春提供曲以降のジュリーは頑張っていたと思うんですが、アイドル全盛時代と被り、世代交代したみたいな感じだったでしょうね。
でも、それ以降のほうが渋い味わいが出てきて、より魅力的だったかもしれません。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年11月 5日 (金) 21時52分