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2021年12月31日 (金)

諏訪湖のほとりの小城

2021年9月23日続き

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<諏訪湖>KP/DA21mm*画像は前日のものです

諏訪大社下社春宮から再びの諏訪湖畔へ。カーナビによると前日と負ったルートを引き返すだけですね。朝、チェックアウトしたホテルと片倉館の間を抜けていきます。

前日ホテル入りする直前にも気になっていた眺めがありました。それが…。

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<天守閣>KP/DA15mm

高島城です。

下調べでちょっとだけ気になっていたんですよね。ただ、駐車場がほとんどないとも。一応、導くほうへ行ってみましたが、やはりというか、公園と一緒になったところで、駐車スペースが空いてませんでした。

たまたま、近くにスーパーがあったのでちょっとだけ止めさせてもらいました。

ちなみに、諏訪市には諏訪湖畔をはじめいくつかの無料駐車場があるんですが、このあたりだけは充実しておりません。

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<高島城>KP/DA15mm

公園の階段を上がっていきます。公園全体が石垣の中にあります。もちろん、高島城の外郭をなす石垣ですね。現在の高島城は天守閣以外の建物は残っていないので、公園内に入るといやが上でも天守閣が目につきます。

公園内の階段を上がると天守閣です。

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<天守閣>KP/DA15mm

かつては諏訪湖に突き出した水城でしたが、江戸時代に干拓が行われ、「諏訪の浮き城」と呼ばれた景観はなくなりました。

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<堀と天守閣>KP/DA15mm

公園内では今にも撮影会が行われようとしていました。園内からの眺めがイマイチであったので、別の門から外に出ました

すると、こちらの区画のみに、お堀が残っていたのですね。この眺めだけでも何となく名城に見えます。

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<縦位置>KP/DA15mm

そういや、日本の城を訪れたのはいつ以来だろう。コロナ前はほとんど日本の観光スポットに出向かない人間でしたので、日本の城を訪ねたのは数えるほどでしょう。

寺院や神社も同様です。

年を挟みますが続きます。


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★今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。

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<格安DVD>StarWarsMobile←スマホ名です

さて、これが2021年最後の更新となります。大晦日はミヤジの出る紅白は録画予約したので、これでも見ますかね。浜省やエレカシ、元春のDVDもあるし。

でも、混雑しないところに出かけようとは思ってます。

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2021年12月29日 (水)

世界遺産を眺めながらのメシ

2009年のチュニジアより。

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<エルジェムの闘技場>MZ-3/FA35mm

チュニジアのスースとスファックスの間の内陸部にエルジェムという小さな都市があります。ツワモノはチュニスから日帰りしてしまうようですが、わたしゃ、スファックスからルアージュという乗り合いのワゴンで日帰りしました。ま、タイでいうロットゥみたいなものです<ルアージュ。

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<闘技場内部>MZ-3/Sigma20mm

闘技場ということはもちろんローマ時代のもので、ローマにあるコロッセオ同様、剣闘士(グラディエイター)同士の戦い、あるいは剣闘士と猛獣との戦いが見世物として行われたところです。

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<モノクロヴァージョン>GR1s/GR28mm

ここが世界遺産となっています。

当時はフィルムカメラをメインで使っていましたが、コンパクトカメラとしてレンズが優れているRICOHのGR1sというカメラにモノクロフィルムを詰めて持っていきました。

今では大したことはない性能だと思いますが、コンパクトカメラなんだけど、初心者向けの一眼レフのレンズセットと同じくらいの価格はしましたね。

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<なかなかに暑い>MZ-3/FA35mm

闘技場のグラウンドレベルや観客席は日を遮るものがなく、真夏のアフリカなのでかなり堪えます。

では、そろそろ昼めしにしますか。

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<昼食>GR DIGITAL

エルジェムは小さなところで、闘技場以外これといったものがありません。闘技場を出ると一番最初に見つけたレストランに入りました。

結構絶好のロケーションなのであえて店内ではなくわずかに日よけが設けられたテラス席に座りました。水だけは注文したものです。パンとオリーブは自動的に付いてくるものですね。中央にある皿は「ハリサ」というもので、チュニジアでは最もスパイシーなペーストです。これをパンにつけたりします。食事にはなくてはならないものですね。

オレンジは初めからテーブルにあったもので、食べると料金が発生しますね。

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<プロシュット>GR DIGITAL

頼んだのはこれだけ。羊肉の串焼きで、トルコではケバブになりますね。モロッコでも同じマグレブの国なので「プロシュット」で通じますね。

串1本では少なそうですが、暑いのでこれで十分でした。

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<食事中の眺め>MZ-3/Sigma20mm

座席からはこんな具合。闘技場はあるし、ラクダ(もちろん観光用)もいるし、ムスリムの伝統的な服装をした女性も通りかかる。

これ以上のシチュエーションはないでしょう。この1枚がこの年のベストショットだと思います<自画自賛。

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<落書き>GR DIGITAL

さて、闘技場ですが剣闘士や猛獣の待機する地下のスペースに行くと、こんなものを見つけました。しっかりと彫られてしまったアラビア文字のイタズラです。この他にアルファベットのものもありました。

他の国でも見かけましたね。さすがに当時は緩かったようです。今このような行為をしたら逮捕ですよ。それに、係員が見逃してもSNSで上げられちゃいますので、そのうちだれがやったかわかるでしょう。

 
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2021年12月28日 (火)

諏訪大社下社春宮

9月のミニトリップの続きです。

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<春宮二之鳥居>KP/DA15mm

秋宮からクルマで10分もかからない移動ですね。

この鳥居の前に郵便局があり公衆トイレの間を抜けていくと、専用駐車場となります。入ってすぐは郵便局の駐車場と、大型バス駐車場、タクシー乗り場ですので、注意が必要です。

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<幣拝殿>KP/DA21mm

ここが一番奥になります。秋宮もそうなんですが幣拝殿とは「幣殿」と「拝殿」がひとつになったものだそうで。これを二重楼門造りというそうです。

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<角度を変えて>KP/DA15mm

もちろんここも4本の御柱に囲まれております。

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<神楽殿>KP/DA15mm

御神前にお神楽を奉納するための建物とのこと。江戸前期に落成したとありますが、建て替えられているのかは不明です。

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<下馬橋>KP/DA15mm

二之鳥居を出て、参道を下るとこのようなものがあります。

現在は一般道があるためわかりにくいですが、御手洗川にかけられた屋根付きの太鼓橋で、ここを渡るときは馬から降りて歩かなくてはならなかったそうです。

現在クルマでやってくると一般道のど真ん中にこちらがありまして、この右側だけすれ違いができません。対向車があった場合はどちらかが待つことになります。

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<大鳥居>KP/DA15mm

参道をさらに下ればこちらの鳥居に出ます。左に行けば秋宮方面。直進で諏訪湖方面ですね。信号待ちのスナップ。

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<ガラクタ市場>KP/DA15mm

下馬橋から戻り、郵便局のむかいにあったここが気になっていて、Google Mapで調べたら「ガラクタ市場」とのこと。

時間があったらじっくりと見ていったかも。

かなり駆け足でしたが、4社見て回りました。ここから再び、諏訪湖畔へ。

続きます。


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2021年12月25日 (土)

「せっちゃん」のおっさん力

かすてら音楽夜話Vol.138

2021年も押し詰まってきました。かすてら音楽夜話も年内ラストになるかあるいはラスイチかといったところです。

今回取り上げる「せっちゃん」とはこの人。

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斉藤和義です。

彼がなぜ「せっちゃん」と呼ばれているのか。それは山梨学院大学(中退)時代にさかのぼり、ことあるごとに「あー、セ〇〇スやりてぇ」と呟いていたからだといわれております。

せっちゃんは1966年生まれで、今年55歳。節目(でもないけど)の35歳、45歳の時それぞれ『35 Stones』、『45 Stones』というアルバムをリリースしてます。当然今年も『55 Stones』をリリースしました。これがなかなか入手困難で地元のタワレコ(Tower Record)でも置いてなくて、結局通販を利用したと。

27歳の1993年のことで、シングル「僕の見たビートルズはTVの中」でデビューしました。かなりの遅咲きなんですが、デビュー前は東京に出てきて、アマチュアの身でライヴハウスに出演していたともいわれてます。デビューのきっかけとなったのは三宅裕司のやっていた「天下御免ね」という番組内のオーディションで5週勝ち抜いたためともいわれています。

そのあたりの活動ではWikiなどには載っていないのですが宮城伸一郎(チューリップ)のボーヤ(付き人あるいはローディ)をやっていたという話をニフティ時代のFBEATという音楽フォーラムつながりのオフ会などで伺ったことがあります。あるいは宮城ではなく初期のアルバムに相当関わっている松尾一彦だったか。

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デビュー時、こんな長髪だったんですね。

そして、1994年に子供番組である「ポンキッキーズ」のオープニング曲に「歩いて帰ろう」が使用され徐々に名前が知られるようになってきました。

その頃の映像がこちら。

 

1994年の3枚目のシングル、「君の顔が好きだ」でした。「歩いて帰ろう」はこの次のシングルですね。今はなき、日清Power Stationのライヴ映像です。

後半、歌詞に「♪君の顔」以外、「尻」などが登場しますが、このあたりはアドリブで、せっちゃんのライヴのお約束みたいになっています。さらに過激な放送禁止用語を使うこともありました。さらに詳しく解説しますと、結婚後奥さんがいるにもかかわらず自宅で「XXXX」(自主規制)を行うことが趣味であると公言したり、ミュージックフェアでは「親父のエッチな本を隠す場所が自分と同じ」という発言もありまして、なかなかにエロな人間なんですね。

さて、ワタクシが斉藤和義を知るきっかけとなったのは1997年のことで、前述のFBEATの会議室で当時リリースされた『Because』というニューアルバムを紹介されたためです。すぐさま気に入りましたね。この時すでに31歳になっていたせっちゃんですが、いたく気に入りまして、すべてのアルバムを購入いたしました。

そればかりでなく、ライヴにも足を運び、これまた打ちのめされたわけです。

「君の顔が好きだ」の映像ではキーボードを演奏していますが、せっちゃんのメインとする演奏はギターです。そのギターも、アコースティックからエレキまで、ギターソロもできるし、もちろんリズムだけに徹することもでき、バックのメンバーをつけない弾き語りだけのライヴも行ったりしています。それだけ、ギターの演奏は上手です。

また、楽器演奏自体が好きということで、キーボードだけでなく、ドラムもベースも演奏でき、後にはせっちゃんひとりでほとんどのパートを収録するアルバムを作ることが当たり前になってきています。また、ユニット「カーリングシトーンズ」(奥田民生、浜崎貴司、トータス松本、Yo-King、寺岡呼人:年齢順)ではドラムスも担当しています。

さて、20代、30代の斉藤和義なんですが、アルバム、シングル収録曲やライヴパフォーマンスは抜群であったものの、それがなかなかセールスには結び付かず、特に30代後半あたりはファンであるワタクシから見ても、なんとなくマンネリ化してきたかなという感じがしてきました。

しかし、40代に入ってから、シングルもオリコン10位台をキープするようになり、アルバムはTop10入りが当たり前みたいになってきました。セールスが安定してきたんですね。きっかけはゼクシィで使われた「ウェディング・ソング」からタイアップが急増したこともあったでしょう。

しかし、NHK「Songs」での本人の語りから、「40歳になって世の中から中年ってことの太鼓判押されて、そうか’おっさん’だなと思ったとき、変に格好つけてもしょうがないし、自由になれたなという感じですよね」という発言がありました。

 

2010年の38枚目のシングル、「ずっと好きだった」でした。この曲でオリコン8位を獲得してます。こちら資生堂とのタイアップが付いていますが、めちゃくちゃ大掛かりなものではなく、曲自体が持つ力が大きいと思います。

映像はわかる人にはわかると思いますが、The Beatlesの「Get Back」のルーフトップコンサートをモチーフにしたものです。せっちゃんはポール役で、リリー・フランキーがジョン、濱田岳がリンゴを演じてます。

そして、50代。

 

2020年配信のデジタルシングル、「純風」です。テレビ朝日系列で放送されている「じゅん散歩」オープニング曲ですね。

映像からして「せっちゃん」らしさが溢れ出てます。

この力の抜けた感じで次の60代でも何かやってくれそうな期待を持たせてくれますね。

世の中、若い奴が年配者を見てオワコンだなんだといってますけど、それは次にアンタに返ってくるんだぜ。こんな感じでワタクシも力を抜いて世の中漂って行きたいものです。

ちなみに、1966年生まれ、丙午(ひのえうま)ということで、出生率が著しく低いんですよね。そんな中でも音楽業界では、宮本浩次とトータス松本など頑張っている人も多数おります。

★リクエスト、ご意見、コメントで募集しております。

 
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2021年12月23日 (木)

タバルカのHôtel Novelty

2009年のチュニジア。

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<ヨットハーバー>MZ-3/FA35mm

チュニスからタバルカに移動しました。タバルカはアルジェリア近くにある海沿いの都市で、結構な数のヨットも停泊しているような、リゾートでもあります。

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<ビーチ>MZ-3/Sigma20mm

少し離れたところには砂浜もあって、イスラム圏としては珍しく海水浴客もいるほどです。ま、さすがに肌をあらわにしているのは男性ばかりでしたが。

ジャスミン革命後、イスラム原理主義者が台頭してきてチュニスではテロもあったくらいなので、現在こうした光景が見ることができるかは不明ですが。

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<シングルベッド>GR DIGITAL

ここで2泊したのがHôtel Noveltyでした。もちろん、飛び込みです。旧フランス領ですからフランス語が通じます。もっとも、わたしゃ話せませんけど。ホテルではなく「オテル」という発音になりますね。

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<客室>GR DIGITAL

ガイドブックによると、1泊42ディナール。当時のレートで、1ディナールが73円くらい。1泊3000円くらいのところですね。

ちなみに、空港やホテル、銀行で両替してもほとんど変わりがありませんでした。今は暴落していて1ディナールが40円くらいですね。

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<洗面室>GR DIGITAL

通されたのは2階の部屋でした。タバルカは小さな都市でバスターミナルから一番近いところ。特に決め手はありませんでした。なお、周辺には同ランクのホテルが数か所あったようです。

ベッドは狭かったですが、部屋は適度に広く、ノンエアコンでしたが日光も直射しないので過ごしやすかったですね。

バスタブはなく、カーテンで仕切られたところにシャワーがありました。トイレは洋式です。モロッコではアラブ式というところもありましたが、チュニジアで泊まったホテルはすべて洋式トイレでした。

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<レストラン>GR DIGITAL

朝食も付きます。食べるのは食堂というにはもったいなさすぎるほどの気分が豊かになるような場所でした。

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<朝食>GR DIGITAL

提供されるのはカフェオレとパンだけなんですけどね。コーヒーとミルクもたっぷりと用意されるので、申し分ありません。

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<屋上のテラス>GR DIGITAL

こうしたところもあって、すぐさま洗濯物をここに干します。

昼過ぎに干して、結構暑いので夕方に取り込もうと思っておりました。ですが、ここの鍵を閉められてしまったんです。

フロントのマネージャーに伝えますが、「ボスが鍵を持っているけど、外出している」とのことで、取り込みは翌朝となりました。しっかりと乾いていたので、まあよかったのですが。

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<二重窓>GR1s*モノクロームです

このホテルの唯一の欠点がこれ。

部屋の窓はこれだけ。暑い国特有の日よけ用の扉付きです。日光が直射しないので、そのまま開けておきたいところなんですが、向かいが民家でした。向かいの洗濯物を干しているあたりに、人の出入りがあるんだよな。子供もいるみたいだし。

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<結局>GR DIGITAL

昼間から扉だけ閉めることとなりました。これだと、あまり外気が入ってこなくなって、涼しくありません。かといって、汗だくになるようなこともなかったのですが。

タバルカ、小さなところで他に何があるわけでもありませんが、なんとなくまた行ってみてもいいかな。

★神田沙也加さんの突然死にはかなりショックを受けました。合掌。

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2021年12月21日 (火)

デプン寺でおっさん軍団と戦う

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(16)

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<集まる犬>P-30/A28mm

ラサ3日目。郊外にあるデプン寺へ足をのばしました。

当時は市内から結構離れたところにあると思っていましたが、wikiの記述によればラサ西郊5kmとのことです。

バスが到着するとともに犬が群れをなして集まってきました。昔作っていたHPの記述では「野良犬」としていましたが、寺院で餌をあげていることは間違いないでしょう。チベット仏教は日本と同じく大乗仏教の一派であると思いますが、上座部仏教と同じく殺生の禁を守っていますね。

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<斜面の建物>P-30/A28mm

山の麓にある寺院ですが、決して平坦ということもなく、坂を上っていきます。

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<ようやく到着>P-30/A28mm

本殿に到着です。しかし、かなりの距離を登ってきました。心拍数が高くなり息も切れるので、一休みですね。

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<岩絵>P-30/A50mm

ここにも岩絵があることが確認できました。鳥葬場であるのかは未確認ですが、まあそうでしょうね。

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<記念撮影>P-30/A28mm

ちなみに左端の人物は監視役のガイド、陳さんです。監視役といっても名目上のことであり、彼もしっかりとカメラを抱えてきてました。観光気分ということは表情に出しませんが、楽しんでいたはずです。また、陳さんは3人のガイドの中でも一番あか抜けていたので、ラサ市内のチベット人からの土産攻撃でも、外国人(日本人)と思われて、英語で話しかけられておりました。

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<建物内部の仏画>P-30/A28mm

珍しく内部の写真が残ってました。例によって、社長とHさんが袖の下を渡し、それに乗ったのです。

残りのフィルムを計算して大丈夫と判断したのですね。また、この時点でデプン寺にいる外国人観光客が我々だけだったので、余計な気遣いなしとも判断したのでしょう。

ここ、デプン寺も文化大革命の影響によって、内部もかなり破壊されていたとのことです。修復中ということで、足場が組まれていました。

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<大工仕事>P-30/A28mm

その通りで、修復作業の木材を加工する人がいました。作務衣のようなものを着てますが、ちらりとその下に特徴ある色の袈裟を着ているのが見えました。修復作業も僧侶が行うのでした。

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<こちらもお仕事中>P-30/A28mm

さらに奥の部屋でもっと細かい修復作業を行っていた僧侶が手招きしました。すかさず社長が撮っていたビデオを送料に見せて歓迎されます。

いい雰囲気になっていたと思っていたら、いつの間にかやってきていた年配者の男性ばかりの日本人観光客集団がぞろぞろと入ってきては、部屋があふれかえってしまいました。「お前らは呼んでいない」ということなのか、さきほど手招きをしていた僧侶の機嫌が豹変してしまい、我々もあおりを食って追い出されてしまいました。なんとも残念です。

実はこの集団は同じ拉薩飯店に泊まっていたのです。その日の朝、ロビーが人であふれ、座るところもあまりなかったのですが、席を譲ってあげても(相手は年上ですからね)、一切の礼はなく仲間内で好き勝手をやっているというのが見て取れたのでした。

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<厨房のドンモ>P-30/A50mm

デプン寺を出る前に厨房を通りかかり、撮らせてもらったものです。バター茶を作る撹拌機ですね。

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<絨毯づくり>P-30/A50mm

観光が終わり、尹さんの土産攻撃の一環で寺の下にある絨毯工場に立ち寄ります。

すると、デプン寺にいたあの集団がまたしても現れたのでした。

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<糸紡ぎ>P-30/A28mm

おっさんたちは時間があまり取れなかったのか、リーダーらしき男性が働く女性に飴玉をひとつずつ渡すと、さっさと出て行ったのでした。

まったく、同胞としても気分が悪いです。この集団にも中国側のガイドがいると思われますが、こういうことをやっているとガイドにリベートも入らず、相当印象が悪くなるはずですね。ともかく、不快をまき散らす連中でした。

続きます。

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2021年12月20日 (月)

諏訪大社下社秋宮

2021年9月23日(祝)

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<一の鳥居>KP/DA21mm

ホテルをチェックアウトし、朝一番で向かいました。

こちら、長野県諏訪郡下諏訪町となり、上諏訪のある諏訪市の隣になります。諏訪湖沿いを走ってきますが、下諏訪に入り中央本線を横切り結構標高の上がったところになります。途中大鳥居がありまっすぐ行くと「春宮」方面で、右折してこちらへ。

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<石段>KP/DA21mm

しかし、カーナビ様は狭そうな道を選びそうになるので、いったんぐるっと回りもう一度大鳥居から右折しました。駐車場は境内の中にありますが、わかりづらく観光案内所のようなところに止めます。参拝客が少なくて助かりました。

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<神楽殿>kP/DA21mm

この日は休日でしたが、さすがにこの辺りまで来ると渋滞もなく、早朝だったこともあり人でごった返すこともありませんでした。

山がちな地形のところですが石段を上った先は平坦に整えられております。

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<大しめ縄>KP/DA21mm

天気も良く、散策気分で撮影して回ります。

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<御柱>KP/DA21mm

ここにも4つの御柱が社殿を囲むように配置されていました。

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<幣拝殿>KP/DA15mm

こちらが一番奥にあります。レンズを交換しました。横に広い建物でもあります。

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<諏訪の銘酒>KP/DA15mm

味わう余裕もないし、購入したわけでもありませんが。神社に供えられた樽酒がずらっと並べられてるのを見るのが好きですね。

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<龍の手水>KP/DA21mm

木々に囲まれた境内にはさざれ石などもあり、じっくり回ると結構な時間がかかりそうなんですが、先を急ぎました。

一応休日でもあるので、帰りの渋滞はどうしても嫌だったもので。

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<秋宮前からの俯瞰>KP/DA15mm

店舗は少なめでしたが、門前町の趣は出ています。

さ、坂を下って春宮に急ぎましょう。続きます。

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2021年12月18日 (土)

指導者の肖像画のある国

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<チュニス旧市街>MZ-3/Sigma20mm

チュニジアを旅したのは2019年のこと。当時の周辺諸国の政治体制を振り返ってみると、エジプトはムバラク大統領の長期政権。リビアはカダフィの体制。アルジェリアは謎に包まれた国で確か外務省から注意喚起が出ていたように思います。

モロッコの立憲君主制と並んで、チュニジアは比較的民主的な国と思われておりました。

ま、その後ジャスミン革命が起きてベン・アリは国を追われる身となるのですが。

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<チュニスのバスターミナル>GR DIGITAL

バスでタバルカというチュニジア西部かつアルジェリア国境近くの都市に出かけるため、バスターミナルに出向くとこのようなものが掲げられていました。

チュニジア国旗とともに写っている人物の巨大ポスターです。この人物こそ、ベン・アリ大統領なのでした。

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<タバルカ>MZ-3/FA35mm

1987年の大統領就任以来、4選を果たしていた人物です。

ワタクシが帰国後、またしても大統領選挙を控えていたためにこうしたものがあったのかと思ったくらいです。

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<ケロアン>MZ-3/Sigma20mm

チュニスにいるときはほとんど気にしてなかったんですよね。でも、地方都市に行くほど、巨大な肖像画が多くなっていったような気がしました。

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<ケロアンその2>MZ-3/FA35mm

結局次の大統領選挙ではベン・アリは5選を果たしました。なんと得票率89.62%とのこと。このあたりから眉唾ものだということがわかるような気がします。

でも、旅の途中では人々も穏やかだし、警察官に不当な目にあったこともないし、安定したいい国だとは思っていたんですけどね。

このような人物像が街の至る所にある国は、シリアがそうでした。1996年のことで、まだ親父のほうのアサド大統領が健在だったころ。

かつてのソ連、社会主義体制でしたが、マルクスとレーニンの肖像画はたくさんあったものの、ゴルバチョフのものは皆無でした。中国でも指導者のものは見かけてないです。毛沢東はあったけどね。

タイやカンボジアでは国王(または前国王)の肖像はたくさんありますけど、直接の指導者じゃないからな。タイのプミポン前国王はやや指導者っぽい一面もあったけどね。

そのうち大陸では首をやや傾けた指導者の顔だらけになっていくのかもしれませんぜ。わたしゃ、2015年に深圳に行ってきましたが、そういうものは見かけなかったです。でも、近いうちに香港やマカオでも登場しちゃうんじゃないかと。

結局、こういうものはロクでもないことだということですね。

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2021年12月16日 (木)

ブラスロック!

かすてら音楽夜話Vol.137

今回取り上げるのはブラスロック。つまりトランペットやトロンボーン、サックスのパーマネントメンバーがいて、かつロックをやっているバンドを紹介します。

Chicago

Chicago

代表的なバンドとしてChicago(シカゴ)を紹介します。キャリアが長いので、初期に限りますが、ギター、ベース、ドラムス、キーボードにトロンボーン、トランペット、サックスのホーンセクションを加えた7人組でした。

名前の通りシカゴのあるイリノイ州の大学出身者が中心となり結成されますが、最初のバンド名はChicago Transit Authority(シカゴ交通局)という長いものでした。しかし、これはシカゴ交通局からクレームがついて、単純にChicagoとバンド名を改めたのでした。

 

シカゴの「25 or 6 to 4」(邦題「長い夜」)でした。1970年のシングルでビルボード4位となる初期の代表作です。

邦題は松山千春もどきです(当然ながら松山千春のほうが後発)が、オリジナルの曲名の意味がわかりにくいですよね。機械的に訳すと、午前4時の25~6分前という意味です。作者はキーボードのRobert Ramm(ロバート・ラム)で、リードヴォーカルはベースのPeter Cetera(ピーター・セテラ)です。印象的なギターソロを弾いているのはTerry Kath(テリー・キャス)です。

この3人、それぞれがソングライターであり、ヴォーカリストでもあるので、シカゴの音楽性は奥行きが深いです。

「25 or 6 to 4」はラムが曲作りの時にふと時計を見ると3時35分あたりだったということで、深い意味はないといわれておりますが、ファンの間ではドラッグについてのことを歌っているのではないかともいわれておりました。歌われている英語詞は抽象的な情景描写ですが。

ま、時代が1960年代後半から70年代初期ですので、ミュージシャンとドラッグはどうしてもついて回ることだったのかもしれません。とはいえ、シカゴは1972年の大統領選挙で反戦派の民主党候補を応援していたり(結果は現職のニクソンの勝利)、政治的なメッセージも発していました。

その後、彼らは徐々に政治色を薄めていきます。それが1972年のビルボード3位、「Saturday In The Park」で、ロバート・ラムがセントラルパークで見た光景を歌ったものです。こちらは、ラムのリードヴォーカルで、ピーター・セテラがバッキングコーラスに回ってます。

その後、シカゴは1978年に、拳銃の暴発事故でテリー・キャスを失ってしまいます。そして、長い低迷後にDavid Fosterによるプロデュースで復活するのですが、このあたりになると、ホーンセクションはどうなってるみたいなAOR寄りのリリースが続きます。そして、決定的だったのはピーター・セテラの脱退ですね。ピーター・セテラはソロでの成功で脱退を決めたのでした。

んー、やっぱりシカゴはテリー・キャスが在籍していた時までがいいんじゃないすかね。

この時代アメリカにはいくつかのブラスロック系バンドがおりました。Chase(チェイス)というグループは1971年にデビューし、デビューシングル「Get It On」(邦題「黒い炎」)はビルボード24位を記録してます。彼らの特徴はホーンセクションがトランペット(4人)だけ。特にトランペットは技術的に難しいとされているそうです。

彼らは筒美京平にも影響を与え「恋の追跡(チェイス)」というブラスをフィーチャーした曲を書かせたほどでした。そして、残念なことですがチェイスの大半のメンバーは1974年の飛行機事故で亡くなっております。その時、飛行機に乗らなかったという生き残りが映画ロッキーのテーマでもある「Eye Of The Tiger」を演奏したSurvivorを結成しております。文字通り、生き残りですね。

チェイスの映像は取り上げないのですが、あとで関連動画を上げます。

Earth Wind & Fire

チェイスと同じく1971年デビューなのが、Earth Wind & Fire(アース・ウィンド・アンド・ファイア、以下長いのでEW&F表記で)ですね。全員がアフリカ系アメリカ人ですので、ロックというよりはファンク系でもあるのかな。

リーダー、Maurice White(モーリス・ホワイト)はジャズドラマーだったそうで。そして彼らはスティーヴィー・ワンダーもマイケルも所属したモータウンとは関わりがなく、独自の世界を展開していきました。

 

1978年のビルボード8位、「September」でした。

当初、モーリス・ホワイトが占星術に凝っていてグループ名も風林火山ではありませんが、自らの占星図に土・空気・火があることから付けられたとのことです。当初は曲に宇宙観を反映していたのですが、「September」の頃はヒットも連発し、ファンクというよりディスコ路線ですかね。まあ、あの時代ですからディスコにすり寄っていくのも仕方ないですよね。

こちら、リードヴォーカルはモーリスで、ファルセットのヴォーカルはPhilip Bailey(フィリップ・ベイリー)です。

EW&Fのノンブラック系としてはKC & The Sunshine Bandがありますが、EW&Fよりもさらにディスコに特化したグループともいえます。

SPECTRUM

そして、日本でもブラスをフィーチャーしたバンドはあるものでして、EW&Fに影響を受けたともいわれるのが次のこの方たち。

Spectrum

SPECTRUM(スペクトラム)です。

彼らはトランペット奏者の新田一郎をリーダーとするバンドで、もともとは渡辺プロ所属のアイドルのバックバンドから発展的にできたバンドでした。

 

1979年のシングル、「In The Space」でした。

衣装がローマ時代の戦士風。アイドルでもないいいおっさんたちが曲の合間に振り付けで動く。そして、トランペット奏者(新田一郎)がまさかのファルセットヴォーカルという、かな~りインパクトのあるバンドだと思いますね。

映像では映っていないのですが、トランペットに仕掛けがあって、持ち手を中心にトランペット本体を回転することができます。さすがに、トロンボーンは無理なんですが、トランペットふたりに合わせてトロンボーンを左右に揺らして回転させるような動きも見せてくれました。

それだけじゃないんですよ。なんと、ギターとベースもベルトのあたりで身体の前面で楽器が回転するように改造してありました。

ま、衣装は大変だったようで、キャリア後期には被り物はなくなっていましたが。

彼らの活動期間はかなり短かったのですが、エンタメ性に関してはEW&Fよりも優れていたと思いますね。今でも活動していてくれたらなとも思います。

なお、彼らは渡辺プロを離れたマネージャーの元、アミューズで活躍しました。

TOPS

新田一郎はスペクトラム解散後、アミューズから独立し代官山プロダクションを設立します。所属ミュージシャンには爆風スランプがいました。

その新田一郎のプロデュースにより1986年にデビューしたのがTOPSという10人編成のバンドでした。

 

そして、翌1987年にサードシングルとしてリリースしたのがチェイスの「黒い炎」でした。

新田一郎、やっぱりこういうのがやりたかったんだろうなと思います。TOPSも活動期間は短かったんですよね。なお、初期のメンバーにはのちに爆風スランプでベースを担当する和佐田達彦(バーべQ和佐田)がいました。

現役ではスカパラとかオレスカバンドとかありますが、やはりブラスまたはホーンセクションがメインのバンドは希少価値があります。個人的にはシカゴやアースよりもスペクトラムだな。

★リクエスト募集しております。

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2021年12月14日 (火)

諏訪の桃源郷

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<ネット検索でたどり着く>PowerShot

事前の調べが甘く、駅前の蕎麦屋が休業日だし、その周辺もイマイチということで、部屋で夕食にふさわしそうな店を検索しました。

Google Mapによればホテルのほぼ真裏ということでやってきました。シャングリラー香港ダイニングというお店です。

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<スーパードライ生>PowerShot

首都圏では緊急事態宣言中。こちらでは酒類未提供も時短営業も関係なしです。

青島やサンミゲルもあったと思いましたが、やはり輸入物はやや高いので、国産で。2杯行っちゃいました。

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<お通し>PowerShot

湯通ししたジャガイモを千切りにしてネギとゴマを散らしたもの。シャキシャキしてます。

でも、つまみにしたいものは次のこれでした。

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<砂肝炒め>PowerShot

何はなくともモツが大好きです。ビールと合う合う。

特に豆板醤でしょうか、中国系の調味料で炒めてあるので、より旨味が増している気がします。これさえあれば、いくらでもビールが飲めますぜ。

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<お焦げの野菜あんかけ>PowerShot

メインはこちらにしました。

ご飯もの、麺、あるいは別個に包子や白飯を頼むという方法もありましたが、メニューの片隅に「お焦げ」の文字を見つけてしまったのですね。

お焦げは、はるか昔に西寧で出会って以来です。本来は鍋でコメを調理した際にできていたお焦げを利用していたといいますが、現代ではコメを乾燥させた「おこわ」のようなものを使っております。

ここに熱々のあんかけを注ぎ入れると、ジュワーっという音とともに、お焦げが柔らかくなり食べやすくなります。この店でもテーブルであんかけを注ぎ入れてくれました。ビデオも撮ればよかったですが。

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<程よい具合に>PowerShot

注ぎたては火傷の危険性があります。適度に待って頂きます。それでも熱々だ~。

とはいえ、待ちすぎはいかんです。この料理も堪能いたしました。

ところで、砂肝もお焦げも小さめですよね。

これは店がケチっているわけではなく、こちらがひとりということを汲んで、「ハーフポーション」にしてくれたんです。痒い所に手が届く、配慮のできるいい店ですよ。

お値段、ビール2杯を含めて2800円。街中華じゃなくてきちんとしたレストランですからね。また、砂肝もお焦げも本来のメニューにはなくて、本日のおすすめみたいなところにあったものです。

シャングリラー香港ダイニング

上諏訪では訪れるべき店かもしれません。

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2021年12月11日 (土)

ノルブリンカとパルコル散策

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(15)

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<ノルブリンカ入口>P-30/A28mm

セラ寺の後は、市内に戻りダライラマの離宮であったノルブリンカへ。

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<ノルブリンカ>P-30/A28mm

ここも内部は撮影禁止でした。寺院と違い、係が監視しているので、袖の下は通用しません。

しかし、立派な寝室やバスルームがあり、チベット動乱以前の時代にしてはかなり豪華なつくりであったと思えました。やはり、当時のダライラマの権威や力は絶対的なものであったと思われました。

ということで、建物の写真はこれくらいです。しかも、このあと、現地ガイドの尹さんは2軒も土産物店に案内する始末です。

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<パルコル>P-30/A28mm

夕食をホテルではなく、外で取ることになりました。場所は八角街とも呼ばれるパルコルというところです。

ラサの中心街でここにはジョカン寺があり、巡礼や物売りなども多くにぎわったところです。なお、パルコルは中心の環状巡礼路という意味を持つとのことです。

バスは店の前に付けてくれましたが、食後にパルコルを散策しようということになりました。これが結構大変でしたが。

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<喜捨を受けるラマ僧>P-30/A28mm

ジョカン寺が中心にあり、巡礼路は一方通行です。それも、マニ車を回すときと同じくの右回りでした。

ラサにこれだけ人がいたのかというくらいです。なにしろ、1週間くらい人口希薄なところを回ってきたわけで、人混みというものに遠ざかっておりました。でも、このような散策ができたのも西寧以来ですからありがたかったです。

とはいえ、はぐれるのが恐いので皆つかず離れずでした。個人旅行でしたらそんな心配はいらないのですが。

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<皆さん同じ方向へ>P-30/A28mm

やはり逆行する人はいませんね。

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<五体投地>P-30/A28mm

こちら、ジョカン寺の入口です。これが人生初の五体投地を目撃した瞬間ですね。

大部分の人はここで五体投地を始めますが、巡礼の中には五体投地をしながらやってきた人もいるわけで、画像の左端にいる二人は着ているものがボロボロに擦り切れていました

ジョカン寺にはまた改めて来ることになります。

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<康のパフォーマンス>P-30/A28mm

バスに戻るように回っていくと、康(カム)と呼ばれる一般のチベット人とは異なるやや異形の人たちが何やらやろうとしていました。結局それは謎なのですが、これを取り巻くように見ているのは普通のチベット人です。

Wikiで調べると、カムというのはチベット東部から四川省と雲南省にまたがる地域の名称ですね。そして、カム地方の人々は長年中国政府ともかつてのチベット政府ともちょっとしたいざこざを起こしていたようです。独自の文化を貫き通そうとする人たちなのでしょうかね。

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<土産攻撃>P-30/A50mm

バスに戻るとチベットのおばさんたちがバスを取り巻いておりました。ハンドメイドの土産を買わそうという試みです。やっぱり現金収入は大事なんすね。

続きます。

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2021年12月10日 (金)

北に地中海を望む

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<チュニス>MZ-3/Sigma20mm

地中海沿岸というと、イタリア、南フランス、スペインあたりを思い浮かべるでしょうか。タイトルの「北に…」ということはアフリカ大陸の地中海ということになります。このうち、実際に訪れたことのある地中海に面した国は、(古い順で)エジプト、モロッコ、チュニジアとなります。

とはいえ、エジプトの地中海沿いには行ってないし、モロッコはせいぜいがタンジェくらい。最も多く地中海に接したのはチュニジアということになります。

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<カルタゴ遺跡近くの地中海>MZ-3/Sigma20mm

首都チュニスからTGMと呼ばれる近郊電車で30分くらいのところに、世界遺産にも指定されたカルタゴ遺跡があります。最寄り駅のカルタージュ・ハンニバル駅から遺跡へ歩いていく途中にこのような海が広がります。

ナポリやモナコから見る地中海ほど超絶きれいとはいえませんが、それでも十分きれいだと思いませんか?

このあたり、遺跡といいましたが、実際には住宅地で普通の人々が生活するところで、沢木耕太郎がモナコのカジノで一勝負もできず(貸衣装代をケチった)モナコを長距離バスで去る時にちらりと眺めた地中海について「これはずるいじゃありませんか」と心の中で発した言葉が重なりました。

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<住宅地>MZ-3/FA35mm

これ、特別なリゾートというわけでもなく、普通の人が住む住宅です。環境がうらやましすぎる。

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<カルタゴ遺跡より>MZ-3/FA35mm

遺跡からもこのような具合で。

なお、遠くを船が通っていますが、もしかしたらイタリアやフランスに向かうフェリーなのかもしれません。

アフリカといってもヨーロッパは対岸で、古くから交流はあったはず。

★古い画像を整理していたら、チュニジアの未掲載画像がどっさりと出てきました。2009年夏の旅レポでチュニジアは紹介しているのですが、当時使っていたリバーサルフィルムの画像が解像度は低いものの、魅力的なものが多かったので(自画自賛ですが)、これまた不定期で記事を書いていくことにします。

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2021年12月 7日 (火)

諏訪湖のほとり

9月のミニトリップ続き。

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<片倉館>KP/DA21mm

この時は上諏訪に宿を取りました。なんと、宿泊したホテルのすぐ前が片倉館。千人風呂ともいわれる大浴場のあるところです。

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<夜の片倉館>PowerShot

ここは片倉製糸紡績工場で働く女工の福利厚生施設でした。片倉製糸の女工というと時代はやや錯綜するものの、「あ野麦峠」とも関係することになります。さすがは財閥の施設ですわ。

とまあ、夕方と夜に外観を眺めたわけですが、ここでの入浴は致しませんでした。と、いうのも、宿泊したホテルには大浴場があり、当然ながら上諏訪温泉のお湯を引いてきておりますので。ま、またいつかですね。

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<諏訪湖>KP/DA21mm

片倉館から徒歩わずかで諏訪湖畔に出ます。この辺りは藻が多く、あまり元気のない蚊も発生しておりました。

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<D51>KP/DA21mm

同じく湖畔にSLの展示です。これが中央本線を走っていたようで。

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<上諏訪駅>KP/DA21mm

このあたりまでは比較的近いです。

とはいえ、近くにあった蕎麦屋が本日休業であったのはやや痛い。ま、そういうこともあって、飲食店を探しながらの散策ではあったのですが。

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<駅前の飲食街>KP/DA21mm

駅前とは書いたものの、実際には駅の裏手っぽいです。

このあと、反対側に行ってみて回り道しながら戻りましたが、かなり時間がかかってしまいました。

やはりというか、地方都市で県庁所在地でもなく、店舗の密度は低めですね。結局夕食はさらに部屋でネット検索いたしました。そちらはまたあとで。

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2021年12月 6日 (月)

裏方に徹していてもやっぱりスポットライトを浴びたい

かすてら音楽夜話Vol.136

 

いきなりTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」(作詞:亜蘭知子 作曲:織田哲郎)でお届けしております。

1986年のスマッシュヒット(オリコン6位)で、TUBEの出世作です。

ま、わたしゃビーイング系の音にはやや距離をとっているわけですが、これだけ売れたらいやが上でも耳に入ってきますね。

前置きが長くなりましたが、今回はビーイングという音楽事務所のミュージシャンに多数の楽曲を提供した織田哲郎氏を取り上げたいと思います。

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織田さんは都立大付属高校出身ですが、同学年にギタリストとなる北島健二、1学年上にうじきつよしがいました。20歳でスピニッヂパワーというバンドに所属し、ここからビーイングという音楽事務所と長いかかわりを持つことになります。

その後、自身のバンド織田哲郎 & The 9th IMAGEを結成しますが、不発に終わり活動は短期にとどまります。その後はソロに転じますが、これまたあまり売れず、必然的に楽曲提供の仕事が多くなっていきました。

そして、1990年、アニメ「ちびまる子ちゃん」のテーマソング「おどるポンポコリン」(作詞:さくらももこ 作曲:織田哲郎)がメガヒットを記録します。演奏を担当したB.B.クィーンズは子供向けのキャラクターを演じていましたが、全員がビーイング所属の裏方(バックコーラスやスタジオミュージシャン)で構成されていました。

そしてオリコンシングルチャートで5週1位、年間チャート1位を獲得、レコード大賞(ポップス・ロック部門)まで受賞するといういわば社会現象ともなったわけです。

そして、ここから織田さんの曲が快進撃を続けることになります。

 

ZARDの1993年のオリコン1位、「負けないで」(作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎)でした。2011年の武道館ライヴですが、ヴォーカルの坂井泉水がリモート出演みたいになっているのは、この時すでに彼女が亡くなっていたからです。

この年の織田さんの楽曲はZARDの「揺れる想い」、中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」などを含め、作曲家として年間1000万枚以上の売り上げという偉業を成し遂げたわけです。もちろん、史上初のことです。ちなみに、小室哲哉が楽曲提供者として台頭する以前のことでした。

その後も相川七瀬をプロデュースするなど、活動は多岐にわたりました。

さて、織田さんのソロ活動ですが、楽曲提供者としてはかなり活発に行っておりました。その中でも、ワタクシがいいなと思ったのは、2000年の元旦に放送されたTVKの「ライブ帝国」で1980年代に出演した映像にありました。それがこちら。

 

織田哲郎で「Wildlife」(作詞作曲:織田哲郎)でした。

クレジットによれば1987年のミニアルバム『WILDLIFE』に収録のタイトル曲です。ま、ワタクシが拝見した映像はライヴハウスからの中継で結構臨場感があったのですが。

ちなみに、後ろのギターは盟友ともいえる北島健二です。織田さんは彼のギターを聴いて、とてもギターではかなわないと思ったそうで。それが曲作りや自身がフロントマンになるという動機になっていったのかもしれません。

この頃の織田さんは30歳で、エネルギッシュでかっこいいですねえ。この時期にスペシャルユニットである渚のオールスターズも結成しているので、実は自身が表に立っていたいという欲求は結構あったんじゃないすかね。

そして、1992年、織田さんのシングルがついにオリコン1位を記録します。

 

織田哲郎で「いつまでも変わらぬ愛を」(作詞作曲:織田哲郎)でした。こちらはポカリスエットのCMに使われています。それにしても、楽曲提供がメインの仕事の人が自らオリコン1位を取るというのはかなりレアなケースです。

映像は2018年の中国武漢でのものだそうです。

実は織田さん、マドリッドでの観光旅行中に首絞め強盗の被害にあい、声帯をつぶされ、その周りの軟骨も変形してしまい、以前のような声が出なくなってしまったそうです。それを克服し、以前のような声ではないものの再び活動を続けている63歳の織田哲郎でした。

 

さらにこれも入れときます。アルバム『Ships』からの「愛をさがして」です。上記の「Wildlife」と同じスタジオライヴですね。これ、すごくいいですよね。

あー、若い頃のアルバム、中古屋で見つからないかな。

★コメント、ご意見受け付けております。なお、リクエストですが、ワタクシはすべての楽曲を聴いているわけではないので、聴いている範囲であれば快く対応いたします。よろしくです。

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2021年12月 4日 (土)

セラ寺と鳥葬

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(14)

不定期更新。

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<セラ寺>P-30/A28mm

ラサ到着2日目(実質初日)午前はポタラ宮殿を見学しました。せいぜい2時間という短さでしたが、ある程度高地順化していたとはいえ、今となってはこのくらいが妥当だったかもしれません。

だいぶ降りてきたといっても、ラサは富士山頂と同じくらいの標高があります。ポタラ宮殿の階段を上るだけでも、平地では考えられないくらい息が切れました。

そのため、いったんホテルに引き上げ、昼食を取り、休養してからこちらにやってきたのですね。

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<門の装飾>P-30/A28mm

この内部でも袖の下をラマ僧に渡して、社長はビデオを撮りまくり、Hさんは写真を撮りまくりました。ワタクシはフィルムの節約もありほとんど撮っておりません。ストロボも持参していたんですけどね。今思えばもったいないことをしました。

現代ではど素人でも高感度写真は撮れるし、残りの枚数など気にする人もいないでしょう。大いに袖の下を渡してチベット人のために使ってもらいたいものです。

内部は様々な仏像が並んでいて、ヤクのバターの灯明の匂いが鼻を刺激します。また、こっそりとダライラマ14世の写真も飾られているところもありました。当時も今も、禁止されたことですが、この当時はおおらかで僧も公安や党の幹部などが見えていないところでは隠そうともしませんでした。

なお、この写真はガイドの李さんによると、「インドからの密輸品」ということでした。ヒマラヤを超えてやってきたものですね。

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<この屋上へ>P-30/A28mm

いったん外に出てこの建物の屋上に上がります。この程度であれば息が切れることはありません。

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<屋上より>P-30/A28mm

こうしてみるとセラ寺もいろいろな建物があります。我々が見学できたのはそのごく一部ということになります。

実はこの時代、文化大革命時の宗教への迫害行為により、寺院もかなり破壊され、僧もようやく戻ってきたというところでした。一部の見学というのもある程度仕方がないことだったのかもしれません。

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<タンカのような壁画>P-30/A28mm

チベットの寺院は屋根などが正面から見た姿と違って見えます。真鍮製だと思いますが、黄金色に輝く装飾もきれいです。

そして、屋上に上ることによって未公開部分であった曼荼羅風の装飾がなされた寺院内部の壁も確認できたのですね。

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<屋上からでしか見れない眺め>P-30/A28mm

ツアーの形式ではあるものの、他の団体は来ておらず、比較的自由に回ることができました。

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<岩絵>P-30/A50mm

屋上からはこのようなものも目に入ります。

曼荼羅風の岩絵が描かれています。この右側は鳥葬場になっています。当然ながらこの日は葬儀は行われていません。

ゾロアスター教も鳥葬を行いますが、異教徒には鳥葬場(沈黙の党)の場所すら明らかにしておりません。おそらくですが、チベット仏教でも鳥葬がある場合は見せてくれないと思われます。

この日はラッキーだったのかもしれません。

★前回の記事より2か月経ってしまいました。あと数回ですので、以降コンスタントに出していきます。

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2021年12月 2日 (木)

諏訪大社上社本宮

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<大鳥居>KP/DA21mm

9月のミニトリップの続きです。

諏訪大社上社前宮から松本方面に少しだけ走ったところにあります。ここは大駐車場があり、クルマのアクセスには便利ですね。

ただし、最寄駅はJR上諏訪駅となります。そこからはコミュニティバスがあるくらいでしょうか。上諏訪駅もこちらも諏訪市ということになりますが、ずいぶんと離れてますので、ご注意のほどを。

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<門前町風>KP/DA21mm

寂しげだった上社前宮と異なり、手前にはお店が並びます。帰りに立ち寄ろうと思ったらにわか雨になってしまい、クルマに逃げ込みました。残念です。

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<気になる>KP/DA21mm

むしろこちらのほうに惹かれますね。時間があったら探してでも訪れたと思います。ちなみに、ここじゃありませんよ。

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<拝殿>KP/DA21mm

こちらも背後は山が迫ってますが前宮ほどではありません。拝殿には大鳥居のある所から一段上がるような感じです。

この写真は拝所の脇から撮ったもので、拝殿側には進むことはできません。

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<手水>KP/DA15mm

竹を模したものから水が流れます。前宮のものは水が流れてなかったです。思えば昨年くらいはどこもことごとくコロナ対策とやらで、水が流れてなかったですね。

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<明神湯>KP/DA15mm

こちらは、なんと温泉の湯が引かれてました。

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<雷電為右衛門像>KP/DA21mm

諏訪の出身ではないようです。現在の東御市(上田の辺り)出身なので、郷土の英雄ってわけでもないようですが。これを制作した方が茅野市の出身でした。

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<土俵>KP/DA21mm

相撲は神事とはいいますが、果たして雷電と関係があるのか。

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<神楽殿>KP/DA21mm

これを挟んで雷電像と土俵があります。このあたりで雨が結構激しく降ってきました。

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<御柱>KP/DA21mm

ここにも4本立っていました。一応確認はしましたが全てを撮っては来ませんでしたね。

4本の御柱、拝殿を囲むように立っているのは、囲いの役目を果たしているのではないかと考える方に先日お会いしてきました。ということは4社で4つの何かを封印しているということですかね。日本の神社や寺院はそれぞれに独特のいわれや伝承もあるわけで、このあたりの謎を解明していくというのも面白そうです。

とはいえ、わたしゃこの20年来目を海外に向けておりましたので、ホントに日本のことは知らんのです。これから学習していくかな。

続きます。ちなみに不定期です。

 

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