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2021年12月16日 (木)

ブラスロック!

かすてら音楽夜話Vol.137

今回取り上げるのはブラスロック。つまりトランペットやトロンボーン、サックスのパーマネントメンバーがいて、かつロックをやっているバンドを紹介します。

Chicago

Chicago

代表的なバンドとしてChicago(シカゴ)を紹介します。キャリアが長いので、初期に限りますが、ギター、ベース、ドラムス、キーボードにトロンボーン、トランペット、サックスのホーンセクションを加えた7人組でした。

名前の通りシカゴのあるイリノイ州の大学出身者が中心となり結成されますが、最初のバンド名はChicago Transit Authority(シカゴ交通局)という長いものでした。しかし、これはシカゴ交通局からクレームがついて、単純にChicagoとバンド名を改めたのでした。

 

シカゴの「25 or 6 to 4」(邦題「長い夜」)でした。1970年のシングルでビルボード4位となる初期の代表作です。

邦題は松山千春もどきです(当然ながら松山千春のほうが後発)が、オリジナルの曲名の意味がわかりにくいですよね。機械的に訳すと、午前4時の25~6分前という意味です。作者はキーボードのRobert Ramm(ロバート・ラム)で、リードヴォーカルはベースのPeter Cetera(ピーター・セテラ)です。印象的なギターソロを弾いているのはTerry Kath(テリー・キャス)です。

この3人、それぞれがソングライターであり、ヴォーカリストでもあるので、シカゴの音楽性は奥行きが深いです。

「25 or 6 to 4」はラムが曲作りの時にふと時計を見ると3時35分あたりだったということで、深い意味はないといわれておりますが、ファンの間ではドラッグについてのことを歌っているのではないかともいわれておりました。歌われている英語詞は抽象的な情景描写ですが。

ま、時代が1960年代後半から70年代初期ですので、ミュージシャンとドラッグはどうしてもついて回ることだったのかもしれません。とはいえ、シカゴは1972年の大統領選挙で反戦派の民主党候補を応援していたり(結果は現職のニクソンの勝利)、政治的なメッセージも発していました。

その後、彼らは徐々に政治色を薄めていきます。それが1972年のビルボード3位、「Saturday In The Park」で、ロバート・ラムがセントラルパークで見た光景を歌ったものです。こちらは、ラムのリードヴォーカルで、ピーター・セテラがバッキングコーラスに回ってます。

その後、シカゴは1978年に、拳銃の暴発事故でテリー・キャスを失ってしまいます。そして、長い低迷後にDavid Fosterによるプロデュースで復活するのですが、このあたりになると、ホーンセクションはどうなってるみたいなAOR寄りのリリースが続きます。そして、決定的だったのはピーター・セテラの脱退ですね。ピーター・セテラはソロでの成功で脱退を決めたのでした。

んー、やっぱりシカゴはテリー・キャスが在籍していた時までがいいんじゃないすかね。

この時代アメリカにはいくつかのブラスロック系バンドがおりました。Chase(チェイス)というグループは1971年にデビューし、デビューシングル「Get It On」(邦題「黒い炎」)はビルボード24位を記録してます。彼らの特徴はホーンセクションがトランペット(4人)だけ。特にトランペットは技術的に難しいとされているそうです。

彼らは筒美京平にも影響を与え「恋の追跡(チェイス)」というブラスをフィーチャーした曲を書かせたほどでした。そして、残念なことですがチェイスの大半のメンバーは1974年の飛行機事故で亡くなっております。その時、飛行機に乗らなかったという生き残りが映画ロッキーのテーマでもある「Eye Of The Tiger」を演奏したSurvivorを結成しております。文字通り、生き残りですね。

チェイスの映像は取り上げないのですが、あとで関連動画を上げます。

Earth Wind & Fire

チェイスと同じく1971年デビューなのが、Earth Wind & Fire(アース・ウィンド・アンド・ファイア、以下長いのでEW&F表記で)ですね。全員がアフリカ系アメリカ人ですので、ロックというよりはファンク系でもあるのかな。

リーダー、Maurice White(モーリス・ホワイト)はジャズドラマーだったそうで。そして彼らはスティーヴィー・ワンダーもマイケルも所属したモータウンとは関わりがなく、独自の世界を展開していきました。

 

1978年のビルボード8位、「September」でした。

当初、モーリス・ホワイトが占星術に凝っていてグループ名も風林火山ではありませんが、自らの占星図に土・空気・火があることから付けられたとのことです。当初は曲に宇宙観を反映していたのですが、「September」の頃はヒットも連発し、ファンクというよりディスコ路線ですかね。まあ、あの時代ですからディスコにすり寄っていくのも仕方ないですよね。

こちら、リードヴォーカルはモーリスで、ファルセットのヴォーカルはPhilip Bailey(フィリップ・ベイリー)です。

EW&Fのノンブラック系としてはKC & The Sunshine Bandがありますが、EW&Fよりもさらにディスコに特化したグループともいえます。

SPECTRUM

そして、日本でもブラスをフィーチャーしたバンドはあるものでして、EW&Fに影響を受けたともいわれるのが次のこの方たち。

Spectrum

SPECTRUM(スペクトラム)です。

彼らはトランペット奏者の新田一郎をリーダーとするバンドで、もともとは渡辺プロ所属のアイドルのバックバンドから発展的にできたバンドでした。

 

1979年のシングル、「In The Space」でした。

衣装がローマ時代の戦士風。アイドルでもないいいおっさんたちが曲の合間に振り付けで動く。そして、トランペット奏者(新田一郎)がまさかのファルセットヴォーカルという、かな~りインパクトのあるバンドだと思いますね。

映像では映っていないのですが、トランペットに仕掛けがあって、持ち手を中心にトランペット本体を回転することができます。さすがに、トロンボーンは無理なんですが、トランペットふたりに合わせてトロンボーンを左右に揺らして回転させるような動きも見せてくれました。

それだけじゃないんですよ。なんと、ギターとベースもベルトのあたりで身体の前面で楽器が回転するように改造してありました。

ま、衣装は大変だったようで、キャリア後期には被り物はなくなっていましたが。

彼らの活動期間はかなり短かったのですが、エンタメ性に関してはEW&Fよりも優れていたと思いますね。今でも活動していてくれたらなとも思います。

なお、彼らは渡辺プロを離れたマネージャーの元、アミューズで活躍しました。

TOPS

新田一郎はスペクトラム解散後、アミューズから独立し代官山プロダクションを設立します。所属ミュージシャンには爆風スランプがいました。

その新田一郎のプロデュースにより1986年にデビューしたのがTOPSという10人編成のバンドでした。

 

そして、翌1987年にサードシングルとしてリリースしたのがチェイスの「黒い炎」でした。

新田一郎、やっぱりこういうのがやりたかったんだろうなと思います。TOPSも活動期間は短かったんですよね。なお、初期のメンバーにはのちに爆風スランプでベースを担当する和佐田達彦(バーべQ和佐田)がいました。

現役ではスカパラとかオレスカバンドとかありますが、やはりブラスまたはホーンセクションがメインのバンドは希少価値があります。個人的にはシカゴやアースよりもスペクトラムだな。

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