裏方に徹していてもやっぱりスポットライトを浴びたい
かすてら音楽夜話Vol.136
いきなりTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」(作詞:亜蘭知子 作曲:織田哲郎)でお届けしております。
1986年のスマッシュヒット(オリコン6位)で、TUBEの出世作です。
ま、わたしゃビーイング系の音にはやや距離をとっているわけですが、これだけ売れたらいやが上でも耳に入ってきますね。
前置きが長くなりましたが、今回はビーイングという音楽事務所のミュージシャンに多数の楽曲を提供した織田哲郎氏を取り上げたいと思います。
織田さんは都立大付属高校出身ですが、同学年にギタリストとなる北島健二、1学年上にうじきつよしがいました。20歳でスピニッヂパワーというバンドに所属し、ここからビーイングという音楽事務所と長いかかわりを持つことになります。
その後、自身のバンド織田哲郎 & The 9th IMAGEを結成しますが、不発に終わり活動は短期にとどまります。その後はソロに転じますが、これまたあまり売れず、必然的に楽曲提供の仕事が多くなっていきました。
そして、1990年、アニメ「ちびまる子ちゃん」のテーマソング「おどるポンポコリン」(作詞:さくらももこ 作曲:織田哲郎)がメガヒットを記録します。演奏を担当したB.B.クィーンズは子供向けのキャラクターを演じていましたが、全員がビーイング所属の裏方(バックコーラスやスタジオミュージシャン)で構成されていました。
そしてオリコンシングルチャートで5週1位、年間チャート1位を獲得、レコード大賞(ポップス・ロック部門)まで受賞するといういわば社会現象ともなったわけです。
そして、ここから織田さんの曲が快進撃を続けることになります。
ZARDの1993年のオリコン1位、「負けないで」(作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎)でした。2011年の武道館ライヴですが、ヴォーカルの坂井泉水がリモート出演みたいになっているのは、この時すでに彼女が亡くなっていたからです。
この年の織田さんの楽曲はZARDの「揺れる想い」、中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」などを含め、作曲家として年間1000万枚以上の売り上げという偉業を成し遂げたわけです。もちろん、史上初のことです。ちなみに、小室哲哉が楽曲提供者として台頭する以前のことでした。
その後も相川七瀬をプロデュースするなど、活動は多岐にわたりました。
さて、織田さんのソロ活動ですが、楽曲提供者としてはかなり活発に行っておりました。その中でも、ワタクシがいいなと思ったのは、2000年の元旦に放送されたTVKの「ライブ帝国」で1980年代に出演した映像にありました。それがこちら。
織田哲郎で「Wildlife」(作詞作曲:織田哲郎)でした。
クレジットによれば1987年のミニアルバム『WILDLIFE』に収録のタイトル曲です。ま、ワタクシが拝見した映像はライヴハウスからの中継で結構臨場感があったのですが。
ちなみに、後ろのギターは盟友ともいえる北島健二です。織田さんは彼のギターを聴いて、とてもギターではかなわないと思ったそうで。それが曲作りや自身がフロントマンになるという動機になっていったのかもしれません。
この頃の織田さんは30歳で、エネルギッシュでかっこいいですねえ。この時期にスペシャルユニットである渚のオールスターズも結成しているので、実は自身が表に立っていたいという欲求は結構あったんじゃないすかね。
そして、1992年、織田さんのシングルがついにオリコン1位を記録します。
織田哲郎で「いつまでも変わらぬ愛を」(作詞作曲:織田哲郎)でした。こちらはポカリスエットのCMに使われています。それにしても、楽曲提供がメインの仕事の人が自らオリコン1位を取るというのはかなりレアなケースです。
映像は2018年の中国武漢でのものだそうです。
実は織田さん、マドリッドでの観光旅行中に首絞め強盗の被害にあい、声帯をつぶされ、その周りの軟骨も変形してしまい、以前のような声が出なくなってしまったそうです。それを克服し、以前のような声ではないものの再び活動を続けている63歳の織田哲郎でした。
さらにこれも入れときます。アルバム『Ships』からの「愛をさがして」です。上記の「Wildlife」と同じスタジオライヴですね。これ、すごくいいですよね。
あー、若い頃のアルバム、中古屋で見つからないかな。
★コメント、ご意見受け付けております。なお、リクエストですが、ワタクシはすべての楽曲を聴いているわけではないので、聴いている範囲であれば快く対応いたします。よろしくです。
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コメント
今回は知らない記事で新鮮でした。「ビーイング系」の意味がわからず検索しちゃいました。
織田哲郎さんって今まで職業作曲家だと思っていました。自身の音楽活動もしていたんですね。で初めて聴いた織田さんご本人の歌声のワイルドさにちょっとびっくりです。
あらためてこの時期の音楽シーンへの自身の知識の弱さを実感です。記事ありがとうございました。
自身の曲が売れないのに提供曲がミリオンって・・本人にとって微妙な感じなんでしょうか。そういうミュージシャンも多いんですかね。
投稿: lastsmile | 2021年12月 7日 (火) 10時24分
lastsmileさん。
ワタクシも恥ずかしながら、「ライブ帝国」の映像を見るまでは織田さんがソロ活動をしていることさえ知りませんでした。
なので、凄くいいなと思い続けてかれこれ20年でございます。
本日Book Offなどを覗きましたが、織田さんのアルバムは割と見つかります。
でも、若いころのものはなかったです。
浜田省吾がソロで成功しているわけですが、もしそうなっていなかったら、今の織田哲郎みたいな立ち位置にいたかもしれませんね。
>自身の曲が売れないのに提供曲がミリオンって・・本人にとって微妙な感じなんでしょうか。そういうミュージシャンも多いんですかね。
小室哲哉とか。
かなり裏方がメインですけど、伊秩弘将なんかもそうでしょう。
でも、織田さんくらい熱い歌を聴かせる人はそういないでしょうね。
投稿: ヒョウちゃん | 2021年12月 7日 (火) 20時05分