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2022年1月31日 (月)

トロッコ列車観察・足尾銅山

2021年10月31日(日)続き

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<抗道出口>KP/DA21mm

坑道内の展示が終わり、出口にたどり着きました。

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<またもやジオラマ>KP/DA21mm

こちらは銅鉱石の選鉱場ですね。採掘した銅鉱石が使えるものかどうかを女工が目視で選別したとのことです。

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<男性のジオラマ>KP/DA21mm

こちらは時代が江戸にさかのぼったものですね。

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<銅博物館>KP/DA21mm

寛永通宝は銅だけでなく鉄や真鍮製のものもあったようです。トロッコで降りてきた時も壁面寛永通宝を見かけました。この内部は銅山の歴史を展示したものです。

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<古河時代の道具類>PowerShot

こちらはトロッコの乗車口の展示物ですね。あまりじっくり見る時間がありませんでした。

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<道具も近代化>PowerShot

やはり明治以降は技術が進んでいきますね。

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<静態保存の車両群>KP/DA21mm

古河になってからはこのような車両で銅鉱石を運んでいたようです。すでに廃坑から半世紀、雨ざらしの割に保存状態はいいです。

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<型番>KP/DA21mm

「足尾銅山観光」という施設は通洞抗という坑口を利用したものです。他に坑口は二つありました。

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<鉄路>KP/DA21mm

線路の先に見えるものが坑口で、ここが通洞抗と呼ばれます。また、古河時代には坑口の近くに社員住宅もかなり作られていたようです。

今度は外から動くトロッコを動画で撮ってみました。

 

動画3本をひとつにまとめ、テロップも入れてみました。

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<トロッコ>KP/DA21mm

3両編成のトロッコ。前後に運転席があります。出口へは乗せてくれません。自力で階段を登り、たどり着くと土産コーナーと軽食のレストランとなってました。

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<神社>KP/DA21mm

前回のエントリーでは鉱毒はほぼなくなったと書きました。確かに、閉山され銅の採掘は終わったため渡良瀬川に流入する鉱毒はゼロに近いものになったのですが、なんと、東日本大震災の時、掘り返して発生した土砂を貯めていたところが崩壊して、鉱毒が流出してしまったのだそうです。

また、足尾銅山観光とは別に古河の銅山関連のミュージアムもこの近くにあるとのこと。徒歩圏内だと思います。

この最寄り駅はわたらせ渓谷鉄道の通洞駅です。駅前には「さんしょうナポリタン」というB級グルメもあるそうで。こちら、トーマスさん情報です。

おまけ

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<またかよ>KP/DA21mm

マイナー観光地で負の遺産のイメージがありますね。銅を製錬するとどうしても鉱毒が発生するとのことです。現在日本ではすべての銅山が閉鎖され銅はすべて輸入されているとのこと。

鉱毒を防ぐことをしなかった明治政府とその後の古河の対応に問題がおおありなんですが、佐渡金山とは別物の世界遺産登録までの困難な道が予想されます。

とはいえ、ここはなかなか貴重な体験ができるところで、個人的には東武ワールドスクエアよりもずっといいなと思いました。

別子銅山でも廃坑を公開しているとか。でも、四国なので果たして行く機会があるかどうか。

これにて、10月のミニトリップは終了です。

★次回からは11月のミニトリップを記事にします。


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2022年1月28日 (金)

坑道の内部・足尾銅山

2021年10月31日(日)続き

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<坑道>KP/DA21mm

足尾銅山観光のトロッコで坑道の奥に到着しました。列車はバックで引き返していきました。

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<さらに続く>KP/DA21mm

公開されているのは460メートルとほんの一部です。坑道の総延長は1234kmあるとのことで、東京・大阪を往復するより長いですね。掘りも掘ったりですな。

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<ジオラマ>KP/DA21mm

江戸時代以前の再現ですかね。この時期、外は薄手の上着がいるくらいの気温でした。坑道の天井からは染み出した地下水のしずくが断続的に落ちるため、坑道の路面は軽く濡れています。寒いということはなく、外と同じくらいかやや暖かいくらいでした。

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<負夫>KP/DA21mm

公開されている坑道はトロッコも入っていくくらいのところなので、十分な高さと幅もあります。しかし、坑道が延びるに従い、低く狭くなっていくはず。枝分かれしたところも同様でしょう。姿勢を低くし、かがまないと作業もできないと思います。

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<水管人夫>KP/DAmm

掘ると水脈に当たってしまい、水も湧き出ますね。いやあ、辛そうだ。

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<別館の展示>PowerShot

工夫たちの出入りには、マッパになってタイムカードに当たる鑑札を示して行ったそうです。全裸になるのは鉱石を持ち出したり、異物を持ち込むのを防ぐためですね。もちろん、江戸時代の話ですね。

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<作業用トロッコ>KP/DA21mm

江戸時代の足尾銅山は幕府直轄の鉱山でしたが、近代化以前の産出量は年間150トンにまで落ち込んでいたそうです。

1877年古河市兵衛が経営に着手し、有望な鉱脈を発見し、採掘技術の発達とともに続々と新しい鉱脈を発見していき、1905年に会社組織になったそうです。

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<動くジオラマ>KP/DA21mm

これらのジオラマの一部は見学者がボタンを押すと動いたり、音声が流れたりします。見学者が比較的少ないので、割と自由に操作できます。

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<鉱山メシ>KP/DA21mm

一日まったく太陽の光を浴びないということもあったでしょうね。食事もここで。労働基準法もあったもんじゃないでしょうが、少なくとも前世紀末くらいまでは休憩時間もないような働き方もざらではなかったかと。

ちなみに、足尾銅山は1973年に採掘を停止しています。坑道での作業はなくなったのですが、銅の精錬は輸入した銅を使って行っていたそうです。こちらも現在は行われていません。

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<電気鉄道式作業車>KP/DA21mm

ところで、足尾鉱毒事件ですが渡良瀬遊水地やいくつかのダムを渡良瀬川に作り、鉱毒を沈殿させるようにしました。

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<草木湖>PowerShot

渡良瀬川の下流部に草木ダムが作られ、鉱毒を下流に流さないための設備も導入されたようです。ただ、ダムの完成後はすでに足尾銅山は閉山されていて、流れ出る鉱毒自体が減っていたとのことです。現在は水質検査では異常な数値は出てないとのことです。

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<道の駅富弘美術館>PowerShot

ここに道の駅があり、スタンプゲットしました。

話が草木湖まで飛びましたが、足尾銅山の続編はまだあります。


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2022年1月26日 (水)

ラフマニノフに魅せられた男

かすてら音楽夜話Vol.141

Ericcarmen

今回はこの人、Eric Carmen(エリック・カルメン)についてです。

もう半世紀も前になりますが、洋楽で2枚目に買ったシングルがThe Raspberries(ラズベリーズ)の「I Wanna Be With You」(邦題「明日を生きよう」)でした。ビルボードのシングルチャートで16位というスマッシュヒットを記録しました。作者はエリック・カルメンでリードヴォーカルもエリックです。

それにしてもですね、当時英語に付き合う初めのころでしたが、「Wanna」ってなんだ?と思いましたよ。辞書には載ってないしね。笑い話ですが。

 

こちらの映像は、シングルの音源ではなくその時に収録されたいくつかのテイクのひとつだと思われます。ギターの鳴り方が違いますし、リズムが途中緩くなってしまうところがありますので。

この時の映像ですが、セカンドアルバム『Fresh』を収録したスタジオのものだと思われます。同アルバム収録の5枚目のシングル、「Let's Pretend」のヴォーカルとバックコーラスだけの収録映像も上がっていますので。

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<ラズベリーズ>

ラズベリーズの4人です。右下がエリック・カルメン。バンドではリードヴォーカルとリズムギター、キーボードを担当しました。結成当初はリズムギターではなく、ベースを担当していましたが、右上のDavid Smally(デヴィッド・スモーリー)とセカンドアルバムから担当をチェンジしました。

左上がWally Bryson(ウォリー・ブライソン)で、担当はリードギター。ラズベリーズのポップでありながらハードなサウンドはこの人のギターによるものですね。彼はジミー・ペイジやドン・フェルダー(イーグルス)のように12弦と6弦のダブルネックギターを「Go All The Way」では弾きこなすテクニシャンでもあります。

左下がドラムのJim Bonfanti(ジム・ボンファンティ)。

ラズベリーズのシングル曲A面はすべてのリードヴォーカルがエリック・カルメンですけど、ジム以外の3人が曲を書き、リードヴォーカルも担当するという多様性に富んだグループでした。アルバムの中では必ずデイヴとウォリーの曲とヴォーカルも入っています。リリースするシングルのB面はエリック以外の曲とヴォーカルでした。エリック・カルメン中心のように見えるグループですがなかなかに民主的ですね。そして、コーラスも全員が取れるので、声に厚みがあるのです。

とはいえ、エリックのリードヴォーカルはなかなかに強力でキャッチーです。実はエリックは幼少時からクラシックの教育を施され、ヴァイオリンからピアノも習得していたのですね。そして、ハイスクール時代にギターに目覚め、こちらは独学で習得したとのことです。それだけ、何でもできた器用な人なんですが、なぜ、デイヴと担当を入れ替えたのかがよくわかりませんでした。

ラズベリーズの母体となったオハイオのローカルバンドがThe Choir(クワイア)というものでしたが、エリック以外の3人が所属していた時期があり、そこではデイヴもギターであったことが理由のひとつでしょう。

そして、ラズベリーズ結成時(1970年)にはデイヴはベトナムに徴兵されており、別のメンバーがベースを担当していました。そのメンバーが辞め、そこにデイヴが帰還し(1971年)、デイヴがギターとしてメンバーに加わり、エリックがベースに回ったということになります。

理由のその2はこの曲をお聴きください。

 

デビューアルバム『Raspberries』収録のラストナンバー「I Can Remember」でした。

そう、エリックがピアノを担当するのでその間ベースが不在ということになり、そのたびにデイヴがベースに回るのではなにかと不便があるため、そのままデイヴをベースに回したということでしょう。それにしても、印象的なピアノソロです。エリックの憧れはラフマニノフでした。ちなみにエリックの一族はユダヤ系ロシア人の移民でした。

さて、ラズベリーズは1975年にあっけなく解散してしまいます。エリックはすぐにソロシンガーとして再出発します。

 

1975年のソロでのファーストシングル、「All By Myself」でした。全体で7分以上という長い曲でしたが、ビルボード2位というキャリア最高のヒットを記録した曲です。そして、ビルボードでは残念ながら1位に届きませんでしたが、アメリカでもうひとつの権威のあるチャート、Cash Boxでは1位を獲得しています。

そして、1997年にはセリーヌ・ディオンがカバーし、ビルボード4位。

メインの旋律は憧れのラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の第二楽章をオマージュしたものです。とはいえ、演奏はラズベリーズ時代には感じられなかった迫真のものがありますね。

また、セカンドシングル「Never Gonna Fall In Love Again」(邦題「恋にノータッチ」…なんて無粋な)もラフマニノフの第二交響曲を元にサビのフレーズを作ったものでした。こちらはビルボード11位でした。

 

こちら、アメリカのアイドル、Shaun Cassidy(ショーン・キャシディ)が1977年にリリースした「That's Rock'n Roll」(邦題「すてきなロックンロール」)で、ビルボード3位を記録しておりますが、作者はエリック・カルメンです。エリックも1976年にリリースしたカバーということになり、本家のほうはチャート圏外に沈んでおります。

1977年のショーン・キャシディの活躍は結構なもので他の曲でビルボード1位も獲得していて、同じくエリック提供の「Hey Deanie」もビルボード7位(エリックは1978年のアルバム『Change Of Heart』でセルフカバーしてます)。翌年のグラミー賞新人賞にノミネートされました。しかし、新人賞は当時最も強力なヒットを持つデビー・ブーンに持っていかれたものの、ノミネートだけでも大変な栄誉でして、これもエリックの貢献度が高いですね。

ソロ転向後のエリックはデビューシングルこそ好調でしたが、アルバムをリリースするごとにチャートの低下を見せ始めます。シングルも以前ほどは売れなくなりました。そのような中、映画音楽として提供したこちらがスマッシュヒットを記録します。

 

1984年の映画「Footloose」の劇中歌で「Almost Paradise」でした。デュエットしているのはAnn Wilson(アン・ウィルソン、Heartのヴォーカル)とMike Reno(マイク・レノ、Loverboyのヴォーカル)です。ビルボード7位を記録しています。

そして、エリック本人も映画に救われることになります。

1987年の「Dirty Dancing」という映画の劇中歌「Hungry Eyes」を担当することになり、ビルボード4位を記録します。しかし、この曲はエリックが書いたものではありませんでした。

実はこの映画の音楽担当のエグゼクティブ・プロデューサーはJimmy Ienner(ジミー・アイナー)という人で、かつてラズベリーズを手掛けた人だったのです。

 

そして、最後の曲は1988年の「Make Me Lose Control」でした。こちらは「Hungry Eyes」越えのビルボード3位。どうやら、「Hungry Eyes」のヒットを受けてすぐさま曲作りをしたようです。ただし、共作ですね。プロデュースは引き続きジミー・アイナーが担当しています。

冒頭でラジカセから「Hungry Eyes」がちょこっと流れ、スタジオのシーンに切り替わるところ、エリック・カルメンの隣にいるDJ役がジミー・アイナーではないかと思います。

また、このあとエリック自身はアルバムを本格的に作らなくなってきました。その代わりといっては何ですが、ラズベリーズを短期間再結成してアメリカでツアーを行ったのです。これが好評でオリジナルアルバムも期待されるところでしたが、それはかなわず、現在に至ります。

実はラズベリーズのファンは業界にもかなりいて、あのジョン・レノンがラズベリーズのTシャツを着ていたことがあるとか。英語版のwikiには影響を与えたミュージシャンも多く、エリックやラズベリーズの曲をカバーしたシンガーやグループも結構多かったりします。

今回は話が長くなったのは、昔から好きだったからでもありますね。真剣に英語版のwikiも読んだし。また、ラズベリーズとエリック・カルメンになると日本発売盤の解説に登場する音楽評論家、八木誠さんの文章も参考にいたしました。ちなみに、八木さん、2011年にお亡くなりになっていたんですね。

個人的にはラズベリーズの再々結成キボンヌ。


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★リクエスト、ご意見お待ちしております。イイねとコメントを下さると飛び上がって喜びますです。

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2022年1月23日 (日)

足尾銅山

2021年10月31日(日)

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<足尾銅山観光>KP/DA21mm

10月最終週の旅。日光の混雑を避けておもちゃのまちに泊まりましたが、前日までは奥日光に行く気でした。

しかし、いろは坂の大渋滞を考慮し、およそ混雑の考えられない足尾に行くことにしました。

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<そうですか>KP/DA21mm

足尾銅山というと足尾鉱毒事件という負のイメージがありますね。

さて、おもちゃのまちの壬生町から一般道と日光宇都宮道路(有料道)を使い、1時間半程度で到着しました。平成の大合併により旧足尾町は日光市に編入されました。しかし、日光とはバスでしかつながってません。かつての足尾町庁舎近くに「足尾銅山観光」という観光スポットがあります。

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<入口のジオラマ>KP/DA21mm

入場料830円。ここからトロッコ列車に乗って入場します。予想通り観光客は少なくて、同じ列車に乗ったのは全部で10名足らずでした。

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<トロッコ列車>KP/DA21mm

待つこと10分程度。列車が入ってきました。先頭車両の最前列を確保しました。

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<運転席>KP/DA21mm

トロッコというだけあって、窓のない素通しの車両です。とはいえ、このご時世、席にはビニールシートで仕切られておりました。

こちら、運転席ですが、この時点では誰もいません。この先が急坂になっていてトロッコだけでは自走できないためか、先頭に機関車が付いています。

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<坂下の駅>KP/DA21mm

こちらでいったん停車します。ここで降りるのかと思ったら、アナウンスがあり機関車を切り離してトロッコだけで坑道に入っていくのでした。トロッコはここから運転手が乗り込みます。

では、映像もお楽しみください。

 

動画2本をつないで、テロップも入れてみました。AdobeのPhotoshop Elementに付属の動画編集ソフトで作りました。まだ、慣れないのでイマイチな感じですけど、どうだったでしょうか。

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<到着>PowerShot

ここから坑道の展示物などを見ていきます。

足尾銅山観光

続きます。

 
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2022年1月20日 (木)

おもちゃのまちに泊まる

2021年10月30日(土)31日(日)

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<獨協医科大学>PowerShot

東武ワールドスクエアを後にし、宿泊地に向かいます。

ところで、10月の最終週の日光といえば紅葉です。前年の2020年も同時期に日光に行き泊まりましたが、今は昔の「Go to Travel」を行っていて、しかも平日を利用したということで、そこそこのところを日光市内に押さえることができたのです。

そして、2021年の時は予約で手が止まりました。いずれも高いし。そこで、日光からは離れますが、周辺を見てみると安いところがありました。都市名でいうと、栃木県下都賀郡壬生町ということになります。最寄り駅でいうと、東武宇都宮線おもちゃのまち駅ということになります。

「おもちゃのまち」とは玩具工場の工業団地があった名残で、きき覚えがあったんです。敬愛するミュージシャン、斉藤和義の出身地ということで。ま、どうでもいいことですが。ともかくは、宇都宮に近いなということで、ここでもいいかと予約しました。

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<ホスピタルイン獨協医科大学>PowerShot

それにしても、日光とこのあたりの位置関係をなめておりました。有料道路を使わず日光杉並木街道をひたすら南下します。杉並木は夕方ともなると真っ暗でしかも道路が狭く感じます。おもちゃのまちに到着したのは午後6時過ぎでした。

おもちゃのまちには獨協医科大学と獨協医科大学病院があります。泊まったホテルは病院と提携したところですね。入院者の付き添い向けだったり、受験生向けだったりしますが、ま、普通のビジネスホテルです。

予約の料金は4700円でしたが、Agodaのポイントを全部使ったので4000円を切りました。

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<ウエルカムメッセージ>PowerShot

平置きの駐車場が63台。先着順ということですが、なんとか空きはありました。あとちょっとで満車というくらい混んでました。先着順ということですが、事情を相談すれば大学や病院の職員用を使わせてくれそうな気もします。それだけ、空いた土地はたくさんありますので。

ホテルとしては高層の建物で、確か10階より上の客室だったと思いますが、エレベーターが3基くらいあったので不便は感じませんでした。また、このホテルはかなり新しく、設備が最新に近いです。

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<シングルルーム>PowerShot

ベッドとデスクとユニットバスから成るビジネス用の部屋ですが決して狭くありません。シングルルームではあるものの、ベッドはセミダブルの幅があり、クッションなどもいいものを使っているのではないでしょうか。決して病院のベッドと同じではないです。自宅以外での睡眠がここ数年で最も快適でしたので。

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<デスク>PowerShot

デスク回りも機能的です。冷蔵庫もあれば電気ポットもあります。設備が最新だと思ったのは、ベッドのすぐそばにコンセントがあり、なおかつスマホを置けるようなスペースがあることですね。

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<バスルーム>PowerShot

シミひとつない新しさです。

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<機能的>PowerShot

個人的には石鹸もシャンプーも持っていくのであまり関係ないんですが。洗面時に左側の「全身洗浄剤」で手を洗ったりしましたが、ブランド不明なものの安いものではなかったと思います、感触としては。

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<食堂>PowerShot

朝食が付きます。もっとも、このご時世、弁当でしたが。3種類くらいありました。いちいち、部屋番号をチェックしないというおおらかさでした。もしかしたら、2食いただく人もいるかもしれません。

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<弁当>PowerShot

カレーがあったような。パン類はあったかな。味噌汁もあります。コーヒーとお茶もセルフで好きなだけ。

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<眺め>KP/DA21mm

まっ平ですね。関東平野そのものです。日曜日の早朝ですが、安塚バイパスがら空き。

という具合で、ホテルとしてはかなりコスパがいいところですね。

しかし、最大の弱点は…まわりに何にもないということです。

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<COCO'S>PowerShot

夕食はすぐ近くにあったこのファミレスでした。

駅前まで歩いてみたのですが開いてる飲食店はほとんどありません。居酒屋みたいなところはあるみたいですが。もう1軒ファミレスはあったような。コンビニはあります。

宇都宮まで電車で往復するという手もありますけど。ただ、地方の飲食店は店じまいが早かったりします。

ともかく、バジェット派にはおすすめかもしれないホテルです。環境さえ我慢できれば。

おまけ

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<日光仮面>PowerShot

ホスピタルインに行く途中に道の駅日光街道に立ち寄ってきました。ここ、いくつかの施設と駐車場が共用のため、すんなり入れません。

とりあえず、初の栃木県のスタンプゲット。

続きます。


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2022年1月18日 (火)

東武ワールドスクエアで脳内トリップ・後編

2021年10月30日(土)続き

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<自由の女神>KP/DA15mm

アメリカゾーンということで。水上に浮かぶ自由の女神です。お台場の自由の女神のほうが見栄えはいいです。

ちなみに、フランスからの贈り物で、パリに元になった自由の女神があるということはあまり知られてません。

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<WTCツインタワーとエンパイアステートビル>KP/DA21mm

9.11で崩れ落ちてしまったツインタワーですが、あれから20年以上たってもここでは健在です。開業が1993年で、まさかその後テロにあって存在そのものが消え去るとは誰も思ってなかったはず。ちなみに、消失した建築物は首里城もここにはあります。

アメリカゾーンということですが、合衆国でもニューヨークとワシントンDC(ホワイトハウス)に限られました。西海岸のものはありませんし、中南米のものもありません。

西海岸、例えばシスコのゴールデンゲートブリッジなどはバンコクのターミナル21の方が臨場感ありますね。

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<サンピエトロ大聖堂>KP/DA21mm

背後にエッフェル塔が見えてる。

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<エッフェル塔>KP/DA21mm

こちらも別のものが映り込んでますけど。1/25スケールですけど、比率は同じなので写す角度を工夫すれば、パリに行ってきましたという写真は撮れますね。

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<ビッグベンとウエストミンスター宮殿>KP/DA15mm

よく紹介される姿と真逆で、テムズ川の対岸からの眺めではありません。

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<ミラノ大聖堂>KP/DA21mm

実物は屋根の上まで上がれます。

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<サグラダファミリア>KP/DA21mm

現在もっとたくさんの尖塔ができております。ワタクシがバルセロナに見に行った時、完成までにあと300年かかるともいわれていました。

建築技術が進んで高性能なクレーンができたからですね。2026年には完成するという見込みがあるようですけど。その際には見に行きたいです。

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<聖ワシリー寺院>KP/DA21mm

モスクワの赤の広場にあるそうです。

ついでに日本の他の建築物を。

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<宮島>KP/DA15mm

西日にさらされて鳥居の赤が飛んでます。

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<清水寺>KP/DA15mm

近年では「今年の一文字」を発表するお寺ですね。

まだあるんですけど、このくらいで。オセアニアの展示物・建築物はありませんでした。開園後、追加でできたのは東京スカイツリーだけかもしれません。

もう少しマニアックなものもあるといいかな。でも、アップデートは厳しそうですね。

続きます。


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2022年1月15日 (土)

東武ワールドスクエアで脳内トリップ・前編

2021年10月30日(土)続き

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<ギザのピラミッド>KP/DA21mm

エジプトは現在比較的入国が簡単らしいです。隔離がないということで、作家の下川裕治氏はエチオピア経由で夏頃に訪れていました。

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<スフィンクスも混在>KP/DA21mm

こちら、背後が砂丘風で割とよくできていると思います。ただし、スフィンクスのある場所とギザはかなり離れているので実際にはこういう眺め方はできません。

ちなみに、自分の場合エジプトには1日半という半端な滞在の仕方をしたことがあります。エジプト航空利用で、ヨルダンとシリアに行ったついでのもので、スフィンクスとギザのピラミッドのみ観光いたしました。大昔のことなのでデジタル画像はございません。

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<ギザの三大ピラミッド>KP/DA21mm

ただ、こうして引きの眺めでは背後にエッフェル塔とか、今は亡き世界貿易センターのツインタワーなども入っちゃうんですよね。ま、それは撮影者が工夫しろってことで。現実世界じゃないのでよしとしましょう。

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<アブシンベル神殿>KP/DA21mm

ここは是非とも行ってみたいですね。アスワンからバスで片道5時間。空港もあるそうですが。

以上、アフリカエリアですが、エジプト以外は展示物はございません。

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<ワットアルン>KP/DA21mm

ご存じバンコクのワットアルンです。この見下ろす感じは現地では不可能ですね。せいぜいチャオプラヤー川の船から眺めても水平レベルだし、近づくと見上げるようになるので、これほど天に突き刺さるようになっているとは思いませんでした。

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<アンコールワット>KP/DA21mm

これはよくできていると思います。ワットプラケーオにあるミニチュアとどちらがよくできているでしょうかね。

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<敦煌>KP/DA21mm

こちらもうまくできてますね。とはいえ、こういう眺めはテレビ番組などで紹介されますが、旅行者は見ないような。

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<万里の長城>KP/DA21mm

長城の感じは雰囲気出てます。北京郊外の八達嶺あたりをモデルにしていると思いますが、こんなに木々が生い茂るようなところだったかな。

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<故宮>KP/DA15mm

やはり中国の展示物は多いですね。国土が広く、名所もたくさんあるということで。

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<タージマハル>KP/DA21mm

建物はよくできていますが、秋の栃木の風景とマッチしないですよね。

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<王のモスク>KP/DA21mm

イスファハンですね。行ってみたいですが、もちろん未訪問。

アブシンベル神殿と王のモスク以外のアジアの展示物は実際訪れております。

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<左榮蓮池譚>KP/DA15mm

台湾の展示物。他にもありましたがイマイチだったです。

後半は欧米の建築物。

 
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2022年1月14日 (金)

サングラスの向こう側

かすてら音楽夜話Vol.140

サングラス、かっこいいですよね。僭越ながらワタクシもいくつか所有しております。

裸眼状態が「大人に成長」(つまりローガンでござる)してからは、コンタクトレンズから眼鏡に変えましたが、度の入ったサングラスもこれまたいくつか持っているほどでございます。

ま、そんなことはどうでもいいのですが、ミュージシャンにとってもサングラスは見栄えをよくする小道具ともいえます。サングラスと切っても切れないミュージシャンといえば、鈴木雅之、サンプラザ中野(最近は「くん」をつけているようです。めんどくせぇ、旧称でいきます)、桜井賢(アルフィー)、井上陽水などなど、男ばかりですが。

上記の人たち、デビュー前の画像や初期のころは素顔も結構出てきます。また、Ray Charles(レイ・チャールズ)やStevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)のように、視力に障害を持つ人はサングラスをつけたままです。日本のミュージシャンでも関ジャニの安田章大やcannaの周水のように、眼に多くの光を浴びると日常生活に支障をきたす人はサングラスを欠かせません。

ですが、ほぼ素顔をさらさない人がこの人ですね。

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そうです。浜田省吾のことを語りたいのですね。サングラスを絡めて。

浜省のデビューは1975年、愛奴(あいど)というグループでドラムスを担当しておりました。しかし、愛奴はのちに浜省のサポートギタリストとなる町支寛二らが高校生時代に結成していたバンドが母体となったもので、後から加わった浜省はじゃんけんにより慣れないドラムスを担当することになります。

愛奴時代はメインのソングライター兼ヴォーカルという立ち位置にいましたが、担当はドラムス。バンドの最も後ろに控える位置にいるため、どうしても目立ちたくてサングラスをかけるようになったとのことです。

しかし、ドラムとしての限界を感じていた浜省は同年、愛奴を脱退し、翌1976年にソロとしてデビューします。

 

デビューシングル「路地裏の少年」ですね。オリコン圏外に沈んでおります。

映像ですが、今から15年くらい前のものですが、オリジナルシングルの雰囲気に近いので採用しました。

この、「路地裏の少年」を含むデビューアルバム『生まれたところを遠く離れて』(オリコン圏外)のライナーノートにサングラスを外した浜省の写真が1カット使われているのですね。このアルバムは46年も経った現在でも発売されていますが、再発のCD仕様ではそのカットはなくなっているはずです。ま、それほど不自然ではないと思うし、ネットを検索すれば見ることはできますね。

また、この頃の浜省は小さなライブハウスでの活動をしていましたが、その時は一瞬サングラスを外してまたかけるということもやっていたと、後年のライヴで本人自ら語っております。

 

1987年リリースの「二人の夏」、オリコン25位です。

ホリプロ時代、なかなか自身の曲がセールスに結びつかず、ホリプロ所属のシンガーたちに曲提供を多数行うことで、食いつないでいた浜省ですが、セールスも安定してきて1985年にはアルバム『J.Boy』がオリコン1位を獲得します。

こちら、「二人の夏」は愛奴のデビューシングルですが浜省もリメイクしたのですね。

これを取り上げたというのは、この1987年、写真週刊誌「FRIDAY」に素顔の写真が載ってしまったのですね。もちろん、盗撮です。こちらはどうやらネットでは抹殺されているようですが、わたしゃ拝見しております。これはですね、はっきり申し上げてサングラスを外した浜省は、誰も気づかないのではないかと…という程度に留めておきます。

いやそれにしても、浜省もサングラスというイメージが定着しすぎてしまって外すに外せなくなってしまったのですかね。このフライデー事件で決定的にサングラスを外さないことが決められたのかどうか。すでに今年の年末には古希を迎える浜省ですからね。確実に老眼であろうし、ステージでのサングラスは辛いですよね。

レコーディングは素のままで行っていると思われます。人前ではサングラスを外さないと伝えられますが、もともとテレビ出演が極端に少なく、メディアに登場するのは音楽雑誌のインタビューや写真撮影などだけ。そういった一般大衆が目にするところではサングラスを付けるのでしょうけど。

ホリプロに同時期に所属して曲提供を受けていた和田アキ子や山口百恵は果たして素顔を見ているのか。ま、どうでもいいですけど。

さて、浜省になくてはならないサングラスですが、初期から愛用していたのはRay-Banのアヴィエイターというタイプです。ティアドロップ型のもの。映画「トップガン」でのトム・クルーズなどパイロットが使用しているものですね。確かこの型、昔はシューターという射撃用だったような気もしますけど。お笑い界でいえばたむけんがかけてますね。

そして、アルバム『J.Boy』ではクラシックなセルフレームのウェイファーラーという型に変わりました。とはいえ、ツアーなどでは元のアヴィエイターを使うことが多かったようです。

 

2000年リリースの32枚目のシングル「…to be "Kissin'you"」のプロモビデオでした。オリコン16位です。

この頃からサングラスも現代風になり、縦が薄く横に長いタイプに変わってきています。レイバンでいうと特にモデル名は付いておりません。型番はありますが。

この時期レイバンはイタリアの企業と協力してデザインがヨーロッパ化されたものも多く発売されてます。また、浜省の着用モデルはレイバンではなくなったという情報もあるんですが。

結論としてサングラスがあろうがなかろうが、浜省は浜省。これ以上は詮索するのはやめにしましょう。

浜田省吾は2015年以来アルバムはリリースしてません(シングルはあり)。限定的なライヴは行っているようなので、今再びその姿を見てみたいものです。もちろん、サングラス姿で。

それでは、最後に17年前の石田ゆり子の映像を眺めつつお別れいたしましょう。浜省、センスいいよね。

 

そういえば、Ronettsのロニー・スペクターさんがお亡くなりになりましたが、浜田省吾も「Be My Baby」をカバーしているんだった。合掌。

 
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2022年1月12日 (水)

栃木の成田空港

2021年10月30日(土)

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<成田国際空港>KP/DA21mm

あまりにも閉塞感が漂うので、クルマを走らせこちらにやってきました。

圏央道から東北道に入り途中羽生PAで休んだのですが。北に向かっていたはずですが、なぜか成田です。まあ、いいか。

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<1タミ>KP/DA21mm

展望台に上がって航空機を観察します。エールフランス、KLM、大韓航空、全日空が見えるので第1ターミナルですかね。

成田は比較的平坦なところにあるはずですが、見える風景がどこか変だ。

 

…って、まるわかりと思いますが、鬼怒川温泉に近い東武ワールドスクエアのミニチュア版成田国際空港でした。

動画も撮りましたが、音を消し、遠目で見れば成田っぽく見えるかもしれない。でも、おもちゃ感出まくりですね。

ま、海外に出れないってことで、脳内でも外国に浸ろうということで、しばし、思いを馳せます。

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<2タミ>KP/DA21mm

実物の1/25スケールでもろもろの展示を行っております。でも、置いてあるクルマなどはどうしてもミニチュア感でますね。いかにもジオラマ。

それに、「新東京国際空港」って名称が古いだろ。

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<モノはよくできているが>KP/DA21mm

航空機は結構よくできていますね。JAL Cargoの荷物格納場面など凝っていると思います。

背景が惜しいですよね。どうしても栃木の山々が入り込んでしまいます。

これ、関東平野のだだっ広い場所に作っていたら気になりませんね。東武動物公園あたりにできていればよかったかも。ま、東武もいろいろと戦略があるでしょうから。これ以上申しますまい。

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<入口のモニュメント>KP/DA21mm

午後に到着したのですが、なんともガラ空きで、ワタクシの嫌う、行列や混雑とは無縁でした。午前はイベントもあるのでもう少し混んでいるかもしれません。

入場者なんですが、国際色豊かでしたよ。インド人、中国人、タイ人…。もっとよく観察していれば、他にもいたでしょうけど。

10月に1泊で行ってきたミニトリップです。こちらしばらく続きます。

 
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2022年1月 9日 (日)

初詣

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<鳥居>PowerShot

ワタクシにとって正月というものは長らく長期の休みが取れる期間であるため、日本にいないのが普通のことで、20年近く初詣というものはしたことがなかったです。

2021年は不思議スポットの藤滝不動尊や富士宮焼きそばのついでに富士山本宮浅間大社に立ち寄りましたが。

つうことで、こちらに元旦の午後立ち寄ってみたんです。比較的小さな神社ですけど、拝殿にたどり着くまで何時間かかるかわからないくらいの長蛇の列ができており、その日はいったん引き返しました。

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<淡島神社>PowerShot

こちら、同じく町田市内にある別の神社です。たまたまこの近くを通りかかると、「初詣は淡島神社へ」という手書きの看板がいくつかあり、訪れてみました。市内ではあるものの、まったく土地勘はなく予備知識も何もなくやってきたも同然。

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<拝殿>PowerShot

先客がひとりいるだけでした。賽銭箱に小銭を投入し拝んではきましたが、まるで商売っ気のない神社で、社務所が開いてなく、したがって御守りなども売っておりません。

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<わずかな列>PowerShot

ということで、再び菅原神社に出向きました。この石段の先が拝殿です。

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<そろそろ>PowerShot

名前の通り、菅原道真にゆかりのある神社です。もうひとつ、町田の中心地に菅原道真にゆかりのある町田天満宮というところがあり、こちらも通称では菅原神社と呼んでいたと思いますが、住み分けはできているのだろうか。ちなみに、天満宮のほうは高校の先輩がそちらの跡取りであることが分かったのですが、ちゃんと継いでいるのだろうか。来年でも行ってみっか。

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<拝殿その2>PowerShot

無事に参拝を終え、撮影モードに入ってしまいます。ちなみにこの奥には「中を撮影しないでください」という貼り紙がありました。

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<社務所>PowerShot

こちらで御守り2種を購入。おお、きちんと巫女さんも写り込んでますわ。

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<寅年>PowerShot

虎は1日で千里を行き、千里を戻るということで強靭な生命力であらゆる厄災を振り払うと考えられていますが、中国の十二支では最低ランクに位置づけられるとのことです。最高ランクは龍ですね。ま、どうでもいいことですわ。みんな一緒なんだし。

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<帰り道>PowerShot

こちらが順路だそうです。この中にも小さな社が点在しております。

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<出口>PowerShot

この石段、降り口が2つあることはあるのですが、「おとこ坂」はどこだかわからなかったですね。

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<行事>PowerShot

自宅からは歩いて程よい場所ですね。あの、雪の降った直後でしたが難儀はしませんでした。

ここ、なんたって交番が入口にあるので何かあっても安全かもよ。

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<ゲット>PowerShot

あと数か月は旅行もできませんけど、これがあればどこにでも行けるんじゃないすか?

交通安全の御守りは某所でゲットしたので、そのうち返納して新しいものを手に入れますかね。これまた、なかなか行けませんけど。

 
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2022年1月 8日 (土)

チュニジアのクルマ

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<チュニジア国旗>MZ-3/FA35mm

チュニジアは自動車生産国ではないので、ぼぼヨーロッパのメーカーのクルマが走っております。といってもやはり多いのは旧宗主国のフランスのメーカーが多いですかね。

つうことで、なんとなく撮っていったのですが古ぼけたクルマばかりです。絵になるかなと思って。

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<ルノーだと思う>MZ-3/FA35mm

後ろに荷室のついたもの。今でいうとルノーのカングーという車種にでもなるのか。

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<モノクロ版>GR1s/GR28mm

こちらのほうが雰囲気出ますかね。

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<婚礼仕様>MZ-3/FA35mm

プジョーですね。当時としては比較的新しい車種ではないかと。

たすき掛けになっている花飾りのようなものは、新婚さんを乗せていくものと思われます。それにしても雑だね。

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<廃車ではありません>GR1s/GR28mm

いったいいつ洗ったのかというもの。前のバンパーも今にも取れそうですが。ワイパーを動かした形跡があるので、駐車中なんでしょう。ひし形のロゴはルノーですね。

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<縦列駐車>MZ-3/FA35mm

絶対くっついているでしょというパーキング方法。ヨーロッパ式とでもいうのですかね。出れないときはぶつけて前後の車を動かすともいわれますが。ホントかね?

平坦なところではギアをニュートラルに入れて、パーキングブレーキを入れない状態で、人が押して動かせるようにしておくというような話もききましたが。

某国では数メートルの移動にわざわざエンジンをかけずに、自分で押して移動するシーンを見たことがありますけど。

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<ライト欠落>GR1s/GR28mm

これも廃車ではないと思います。昼間走ればいいんだろみたいな。おそらく、当時撮影した中では最も古いクルマ。プジョーのピックアップトラックですね。

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<スース旧市街>GR1s/GR28mm

幅が2メートル半くらいのところで、当然すれ違い不可。1枚目と同じルノーですね。片側に寄せているのはこの家のクルマということなんでしょうけど。後ろから来たクルマは通り抜けできませんね。

そもそも、こんなところを通りたくないですけど。ヨーロッパの旧市街もこんなところが多いんじゃないかな。「水曜どうでしょう」でもそんなシーンがありました。

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<ナンバープレート>MZ-3/FA35mm

算用数字とアラビア文字が混在。数字もアラビア数字(こちらがオリジナル)で書いてあると何が何だか分からなくなりますが。

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<バス>MZ-3/FA35mm

路線バスだったか長距離バスだったか…。

気になるのは鶴のマークですが、もしかしてJALかな。どこかの空港で使っていたおさがりですかね。

いずれにせよ、日本航空はチュニジアには乗り入れてないですし、当時も現在もアフリカには飛んでないはず。でも、「沈まぬ太陽」にあるように60年代、70年代はアフリカに路線を持っていたんですよね。

果たして、電気と騒いでいるヨーロッパのメーカーはこのような国でその自動車を売るのでしょうかね。インフラは整ってないですが、砂漠でソーラー発電は十分にできそうだけど。

 
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2022年1月 6日 (木)

甲信越の道の駅+ラーメンなど

今日の立ち食い蕎麦・うどんVol.34

9月23日(祝・木)続き

諏訪の高島城をあとに、諏訪ICから1区間、諏訪南IC。裏道と国道20号を走って到着したのが「道の駅信州蔦木宿」でございました。

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<道の駅信州蔦木宿>PowerShot

信州ということですが、ほとんど山梨県境ギリギリです。

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<スタンプ>PowerShot

ハイ、ゲットです。

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<そろそろ昼食>PowerShot

温泉もあるのですが、んな悠長な時間はないのでメシにします。中に入ると「八ヶ岳丸抜き十割そば」というものに惹かれました。しかし、食数限定ですでに売り切れたと。

「十割」ではない盛りそばもあったんですよ。ですが、ドライブ疲れの目には「焼きそば」と見えてしまった。いちお、先日運転免許の更新に行ってまいりましたが、視力検査はばっちりよく見えたんすけど。

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<昼飯>PowerShot

普通の醤油ラーメンと鹿肉コロッケです。鹿肉にこだわってみました。

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<チェック表>PowerShot

チェックって?もちろん、コロナ対策です。連絡先を記入してここでウイルスが検出されたような場合に連絡を取るというものですね。8月の山梨県でも実施されておりました。首都圏の感染者は減少に転じていたと記憶してますが、まだ緊急事態宣言は継続中でした。

今は昔話だよなと書くつもりが、第6波って、シャレにならん。

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<リフトアップ>PowerShot

注文は食券を買いますが、確か運んでくれたと思います。出し渋っているうちに記憶が薄れてます。味はやっぱり道の駅クオリティ。美味くもまずくもないってやつ。

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<鹿肉コロッケ>PowerShot

熱々ではあるけれと、肉がよくわからんというこれまたダメな例でした。

ちなみに、ラーメン、750円。コロッケ、150円です。

さあ、先を急ぎます。

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<山梨に>PowerShot

小海線の駅ではございません。「道の駅こぶちざわ」に到着です。

道の駅信州蔦木宿からそれほど距離があるわけではございません。ですが、かなりの勾配のある道が続き、小1時間くらいかかったような。

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<スタンプ>PowerShot

ハイ、2つ目。ミニトリップでは4つ目です。

では、先を急ぎます。

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<八ヶ岳山麓>PowerShot

道の駅こぶちざわから道の駅南きよさとを目指したんですが、まっすぐ行く道もないので、清泉寮に立ち寄ってみました。名物のソフトでも食べようかと思いましたが、めっちゃ混んでました。道の駅もかなりの混み具合でした。

さ、次。

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<到着>PowerShot

道の駅南きよさとです。

清泉寮からは下るだけなので、割とスムーズでした。

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<ケーブルカー>PowerShot

何があるのか知りません。

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<スタンプ>PowerShot

アルコール消毒液と一緒ですかい。

ま、ともかく、合計5つ目。ミッション完了でございます。

緊急事態宣言がなかなか明けないので、首都圏の人々が押し寄せていたんでしょうね。正しい過ごし方とすれば、長野県内に夕方くらいまでいて高速がすいてくる頃戻るというものでしょうけど。

相模湖手前で渋滞が起こりましたが、相模湖ICで降りて、下道で戻りました。19:00くらいには戻れました。

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<戦利品>PowerShot

談合坂で交通機動隊が配布していたものです。秋の交通安全運動の一環でしょう。

記事をちびちび出していたので、ここまでかかってしまいました。まだ、10月、11月のトピックもあるので、ペースは上げますわ。


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2022年1月 4日 (火)

イーグルスを支えた男たち

かすてら音楽夜話Vol.139

今日からは通常更新です。

 

ご存じEaglesのデビューシングル、「Take It Easy」です。

1972年デビューのイーグルス、このシングルはビルボード12位と新人バンドとしてはまずまずの出来ですかね。

映像にはLinda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)とJackson Browne(ジャクソン・ブラウン)が加わっております。

リンダがギターを弾いている映像というのもなかなか珍しいと思います。実はイーグルスはリンダのバックバンドとしてメンバーが集められたところから、発展的にできたバンドでもあります。映像では、オリジナルメンバーの他にDon Felder(ドン・フェルダー)が加わっていますので、1974年のアルバム『On The Border』以降のものと思われます。

Jacksonbrowne

さて、もうひとりギターとコーラスに参加しているジャクソン・ブラウンですが、この曲の作者のひとりです。リード・ヴォーカルのGrenn Frey(グレン・フライ)との共作ですね。

「Take It Easy」収録のデビューアルバム『Eagles』では「Nightingale」という曲を単独で提供し、2作目のコンセプトアルバム『Desperado』ではオープニングの「Doolin-Dalton」をDon Henley(ドン・ヘンリー)、グレン・フライ、J.D.Souther(J.D.サウザー)と共作してます。同じく3作目の『On The Border』でも「James Dean」を同じメンツで作りました。

イーグルスへの曲提供や共作はここまでですが、ジャクソン・ブラウンも「Take It Easy」はセルフカバーしています。

では、ジャクソン・ブラウン自身の活動です。彼はグレン・フライと同じく、1948年生まれで、ソロデビュー前にNicoという、Velvet Undergroundに参加していた女性シンガーに1967年に曲を提供しています。これはニコもジャクソン・ブラウンもドイツにルーツがあるということと関係しているのではないでしょうか。あくまでも推測ですが(ジャクソン・ブラウンはハイデルベルク生まれでその後家族でロスに移住)。

他にも彼の曲を取り上げたバンドやミュージシャンはいました。特にNitty Gritty Dart Bandにはわずかな参加期間でしたが、のちにニッティ・グリッティ・ダートバンドも彼の曲をカバーしています。

ソロデビューはイーグルスと同じく1972年で同じレーベルのアサイラムでした。

ジャクソン・ブラウンは爆発的なシングルヒットには恵まれませんでしたがアルバムは着々とヒットを積み重ねます。1976年の『The Pretender』が5位、1978年の『Running On Empty』が3位、そして1980年の『Hold Out』がついに1位となります。

 

同年のシングルカットで「Boulevard」(ビルボード19位)でした。

 

同じく『Hold Out』収録曲でタイトルナンバーの「Hold Out」です。こちらはシングルカットされていませんが、ワタクシがアルバムの中で最も好きな曲です。

Jdsouther

さて、もうひとり、イーグルスを支えてきたのがこの、J.D.サウザーです。ジャクソン・ブラウンのところでもイーグルスとの共作に名前が出ました。

彼はジャクソン・ブラウンよりもイーグルスのヒットシングルに絡んだ人で、「Best Of My Love」、「New Kid In Town」、「Heartache Tonight」と3曲もナンバーワンヒットを送り出しています。いずれも、ドン・ヘンリー、グレン・フライとの共作で、「Heartache Tonight」にはBob Seager(ボブ・シーガー)という人も加わってますが。

彼はデトロイト出身ですが、ロスに移住し、グレン・フライとルームシェアをしていました。グレン・フライもデトロイト出身です。その階下に住んでいたのがジャクソン・ブラウンであったとのことです。

さて、彼もアサイラムから1972年にソロデビューしているのですが、長らく日本では知られず、1979年のこの曲で有名になりました。

 

ビルボード7位という曲で、いまだに日本ではテレ東などで曲が使われますね。映画音楽にも使用されているので、曲自体はジャクソン・ブラウンよりも知られているでしょう。

ですが、この曲はアサイラムからコロンビアに移籍した直後のものというのが皮肉ですね。

つうことで、2022年の音楽話はここからスタートです。

 
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2022年1月 1日 (土)

16回目のニューイヤー

Nenga2022

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

タイトルの16回目というのは、ブログ「Cafe de Castella」を2006年に立ち上げてからの数で今年の8月に16周年を迎えることになります。そーゆー意味でした。

さて、年が明けました。気分的には相変わらずのCovid-19に世界中が支配されるような閉塞感に満ちてはおりますが、正月くらいは楽しみましょうや。

昨年の年頭のあいさつでは「東北、北海道、沖縄あたりに足を延ばす…」などと述べておりましたが、実現しませんでした。これについては、現在のところ関わっているあることが支障になっております。この件については少なくとも5月くらいまでには解決の見込みで、そちらから解放されましたら、具体的に話せるようになるかもしれません。ま、見ている人も少ないブログですけど、秘守義務みたいなものもあるってことで…これ以上は勘弁のほどを。

Cido051

<4月の鹿島神宮>OMD10/ED14-42mm

つうことで、昨年はせいぜいが1泊で近県に出かける、あるいはミニオフ会をする程度になってしまいました。ですが、この中で20年来の再会や交流をすることができました。今年はこれらの活動をさらに活発化できるといいなと思っております。

パスポートも2年間使っておりません。こちらは、来るべき時が来たら是非とも渡航したいなと。

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<9月の清里>PowerShot

記事についてですが、1「旅のエピソード」、2「食レポ」、3「かすてら音楽夜話」の3本建てのローテーションで当分行くでしょう。1と2の合間に3を絡ませていきたいです。

ブログは自己満足な発信の場ではありますね。facebookもInstagramもやっているんですが、そちらが主流になってくると、ブログのコメントがなかなかつかないというジレンマを常に抱えています。作り手としてはやはり記事へのコメントを大事にしていきたいなと思っておりますので、その点よろしくお願いいたします。

とはいえ、アクセスカウンターを見ていると、この1年で見てくれている方は結構増えてきたようです。この調子を保っていきたいなと思います。

そして、昨年の反省。自分の記事更新だけは精一杯頑張ってきたのですが、人様のブログや投稿に積極的な反応ができなかったことへの反動が来ているんだなということがわかりました。我ながら冷たい奴だったと反省しております。そちらのほうも課題ですわ。頑張るっす。

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<タイフェスティバル>OMD10/ED14-42mm

とりあえず、これには行きたいですねえ。今年はやるよね?ヤムの会もよろしくお願いします。

この記事、当面はトップに表示いたします。

↓こちら、参加することにしました。

 
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