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2022年1月26日 (水)

ラフマニノフに魅せられた男

かすてら音楽夜話Vol.141

Ericcarmen

今回はこの人、Eric Carmen(エリック・カルメン)についてです。

もう半世紀も前になりますが、洋楽で2枚目に買ったシングルがThe Raspberries(ラズベリーズ)の「I Wanna Be With You」(邦題「明日を生きよう」)でした。ビルボードのシングルチャートで16位というスマッシュヒットを記録しました。作者はエリック・カルメンでリードヴォーカルもエリックです。

それにしてもですね、当時英語に付き合う初めのころでしたが、「Wanna」ってなんだ?と思いましたよ。辞書には載ってないしね。笑い話ですが。

 

こちらの映像は、シングルの音源ではなくその時に収録されたいくつかのテイクのひとつだと思われます。ギターの鳴り方が違いますし、リズムが途中緩くなってしまうところがありますので。

この時の映像ですが、セカンドアルバム『Fresh』を収録したスタジオのものだと思われます。同アルバム収録の5枚目のシングル、「Let's Pretend」のヴォーカルとバックコーラスだけの収録映像も上がっていますので。

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<ラズベリーズ>

ラズベリーズの4人です。右下がエリック・カルメン。バンドではリードヴォーカルとリズムギター、キーボードを担当しました。結成当初はリズムギターではなく、ベースを担当していましたが、右上のDavid Smally(デヴィッド・スモーリー)とセカンドアルバムから担当をチェンジしました。

左上がWally Bryson(ウォリー・ブライソン)で、担当はリードギター。ラズベリーズのポップでありながらハードなサウンドはこの人のギターによるものですね。彼はジミー・ペイジやドン・フェルダー(イーグルス)のように12弦と6弦のダブルネックギターを「Go All The Way」では弾きこなすテクニシャンでもあります。

左下がドラムのJim Bonfanti(ジム・ボンファンティ)。

ラズベリーズのシングル曲A面はすべてのリードヴォーカルがエリック・カルメンですけど、ジム以外の3人が曲を書き、リードヴォーカルも担当するという多様性に富んだグループでした。アルバムの中では必ずデイヴとウォリーの曲とヴォーカルも入っています。リリースするシングルのB面はエリック以外の曲とヴォーカルでした。エリック・カルメン中心のように見えるグループですがなかなかに民主的ですね。そして、コーラスも全員が取れるので、声に厚みがあるのです。

とはいえ、エリックのリードヴォーカルはなかなかに強力でキャッチーです。実はエリックは幼少時からクラシックの教育を施され、ヴァイオリンからピアノも習得していたのですね。そして、ハイスクール時代にギターに目覚め、こちらは独学で習得したとのことです。それだけ、何でもできた器用な人なんですが、なぜ、デイヴと担当を入れ替えたのかがよくわかりませんでした。

ラズベリーズの母体となったオハイオのローカルバンドがThe Choir(クワイア)というものでしたが、エリック以外の3人が所属していた時期があり、そこではデイヴもギターであったことが理由のひとつでしょう。

そして、ラズベリーズ結成時(1970年)にはデイヴはベトナムに徴兵されており、別のメンバーがベースを担当していました。そのメンバーが辞め、そこにデイヴが帰還し(1971年)、デイヴがギターとしてメンバーに加わり、エリックがベースに回ったということになります。

理由のその2はこの曲をお聴きください。

 

デビューアルバム『Raspberries』収録のラストナンバー「I Can Remember」でした。

そう、エリックがピアノを担当するのでその間ベースが不在ということになり、そのたびにデイヴがベースに回るのではなにかと不便があるため、そのままデイヴをベースに回したということでしょう。それにしても、印象的なピアノソロです。エリックの憧れはラフマニノフでした。ちなみにエリックの一族はユダヤ系ロシア人の移民でした。

さて、ラズベリーズは1975年にあっけなく解散してしまいます。エリックはすぐにソロシンガーとして再出発します。

 

1975年のソロでのファーストシングル、「All By Myself」でした。全体で7分以上という長い曲でしたが、ビルボード2位というキャリア最高のヒットを記録した曲です。そして、ビルボードでは残念ながら1位に届きませんでしたが、アメリカでもうひとつの権威のあるチャート、Cash Boxでは1位を獲得しています。

そして、1997年にはセリーヌ・ディオンがカバーし、ビルボード4位。

メインの旋律は憧れのラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の第二楽章をオマージュしたものです。とはいえ、演奏はラズベリーズ時代には感じられなかった迫真のものがありますね。

また、セカンドシングル「Never Gonna Fall In Love Again」(邦題「恋にノータッチ」…なんて無粋な)もラフマニノフの第二交響曲を元にサビのフレーズを作ったものでした。こちらはビルボード11位でした。

 

こちら、アメリカのアイドル、Shaun Cassidy(ショーン・キャシディ)が1977年にリリースした「That's Rock'n Roll」(邦題「すてきなロックンロール」)で、ビルボード3位を記録しておりますが、作者はエリック・カルメンです。エリックも1976年にリリースしたカバーということになり、本家のほうはチャート圏外に沈んでおります。

1977年のショーン・キャシディの活躍は結構なもので他の曲でビルボード1位も獲得していて、同じくエリック提供の「Hey Deanie」もビルボード7位(エリックは1978年のアルバム『Change Of Heart』でセルフカバーしてます)。翌年のグラミー賞新人賞にノミネートされました。しかし、新人賞は当時最も強力なヒットを持つデビー・ブーンに持っていかれたものの、ノミネートだけでも大変な栄誉でして、これもエリックの貢献度が高いですね。

ソロ転向後のエリックはデビューシングルこそ好調でしたが、アルバムをリリースするごとにチャートの低下を見せ始めます。シングルも以前ほどは売れなくなりました。そのような中、映画音楽として提供したこちらがスマッシュヒットを記録します。

 

1984年の映画「Footloose」の劇中歌で「Almost Paradise」でした。デュエットしているのはAnn Wilson(アン・ウィルソン、Heartのヴォーカル)とMike Reno(マイク・レノ、Loverboyのヴォーカル)です。ビルボード7位を記録しています。

そして、エリック本人も映画に救われることになります。

1987年の「Dirty Dancing」という映画の劇中歌「Hungry Eyes」を担当することになり、ビルボード4位を記録します。しかし、この曲はエリックが書いたものではありませんでした。

実はこの映画の音楽担当のエグゼクティブ・プロデューサーはJimmy Ienner(ジミー・アイナー)という人で、かつてラズベリーズを手掛けた人だったのです。

 

そして、最後の曲は1988年の「Make Me Lose Control」でした。こちらは「Hungry Eyes」越えのビルボード3位。どうやら、「Hungry Eyes」のヒットを受けてすぐさま曲作りをしたようです。ただし、共作ですね。プロデュースは引き続きジミー・アイナーが担当しています。

冒頭でラジカセから「Hungry Eyes」がちょこっと流れ、スタジオのシーンに切り替わるところ、エリック・カルメンの隣にいるDJ役がジミー・アイナーではないかと思います。

また、このあとエリック自身はアルバムを本格的に作らなくなってきました。その代わりといっては何ですが、ラズベリーズを短期間再結成してアメリカでツアーを行ったのです。これが好評でオリジナルアルバムも期待されるところでしたが、それはかなわず、現在に至ります。

実はラズベリーズのファンは業界にもかなりいて、あのジョン・レノンがラズベリーズのTシャツを着ていたことがあるとか。英語版のwikiには影響を与えたミュージシャンも多く、エリックやラズベリーズの曲をカバーしたシンガーやグループも結構多かったりします。

今回は話が長くなったのは、昔から好きだったからでもありますね。真剣に英語版のwikiも読んだし。また、ラズベリーズとエリック・カルメンになると日本発売盤の解説に登場する音楽評論家、八木誠さんの文章も参考にいたしました。ちなみに、八木さん、2011年にお亡くなりになっていたんですね。

個人的にはラズベリーズの再々結成キボンヌ。


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