影のホリコシ
かすてら音楽夜話Vol.142
「ホリコシ」ってなんだ?ですよね。
もちろん、東京都中野区にある私立堀越高等学校のことです。この学校には芸能コースというものがありました(現在はトレイトコースという名称です)。当然ながら芸能人も多く、タレントやシンガーも数多く輩出しています。
さて、ここで紹介する「影の」ホリコシですが、東京都世田谷区にある東京都立松原高等学校のことです。当然ながら普通科しかないごく普通の高校ですが、1975年から1982年にかけて現在も活躍するミュージシャンが相次いで入学しているんです。
ちょっと年表にしてみます。
1975年 清水信之入学(1959年生まれ)
1976年 佐藤栄子入学(1960年生まれ)
1977年 佐橋佳幸入学(1961年生まれ)
1982年 渡辺美里入学(1966年生まれ)
清水信之は在学中からプロのバンドに参加するものの、バンドとしては売れずにスタジオミュージシャン(キーボード)をやっていたり、他のミュージシャンのサポートに回る仕事から、アレンジャーなども行う裏方の仕事が多い人です。
佐藤栄子は後にEPOとしてデビューするシンガーソングライターですね。
佐橋佳幸は松たか子の旦那ですが、日本を代表するトップギタリストで、曲作りとアレンジも行います。
ちょっと遅れての入学となった渡辺美里はいうまでもなく、この中では最も有名なJ-Pop系の大物シンガーですね。
<EPO>
松原高校時代、清水、EPO、佐橋の3人は1学年ずつ違いはあるもののバンドを組んでいたことがあるといいます。それは1977年ということになりますね。
EPOはRCAレーベルから1980年、まだ19歳の時にSugar Babeの「Down Town」(作詞:伊藤銀次 作曲:山下達郎 編曲:林哲司、清水信之)のカバーでデビューします。この曲は2か月後に「オレたちひょうきん族」のテーマソングとして使われ、知名度がアップします。
しかし、彼女の名前は1979年に竹内まりやのシングル「September」(作詞:松本隆 作曲:林哲司 編曲:林哲司)のコーラスをプロデューサーの宮田茂樹とともに参加し、コーラスアレンジも担当したことが知られています。ワタクシは大学の生協でこの曲が収録された『Love Songs』(1980年)のLPを購入し、印象的なコーラスワークが気になっていたものです。当時のRCAが偉いのは、きっちりとクレジットが記されていたことです。EPOって誰だ?と、なったのですが、その後、ひょうきん族とともにEPOが前面に出てきたことで、ちょっと嬉しくなりました。
ただ、コーラスアレンジについては宮田茂樹の配慮で、実際は宮田氏自身が行ったとのことです。EPOは竹内まりやに続くRCAの秘蔵っ子ということで、デビュー前から大事にされていたのですね。
先輩の清水信之とはデビューアルバムからしばらくはアレンジを任せるという関係を続けていました。
では、EPOの曲を。
アルバム『う・わ・さ・に・な・り・た・い』(1982年)収録曲の「雨のめぐり逢い」(作詞作曲:EPO 編曲:清水信之)でした。
シングルカットにはなっていない珠玉のバラードです。
ちなみに、同期の堀越に在籍していた有名人として浅野ゆう子がおります。神戸から単身上京してきて梅ヶ丘中学校出身なんだそうで。
<UGUISS>
佐橋佳幸のデビューは1983年にバンド、UGUISSのギタリストとしてですが、中学生くらいからバンドを組み、ポプコンの予選で入賞して大学生が主催するアマチュアコンサートなどに出入りしていたといいます。その大学生の中に佐野元春がいたといいます。
UGUISSは基本的に佐橋の曲に友人などが詞をつけて、それを発表するバンドが母体になったものですが、わずか1年でプロ活動を停止することになります。画像の左下が佐橋佳幸です。
その後はセッションギタリストとしてレコーディングやツアーに同行するという生活を送っていましたが、清水信之の紹介で渡辺美里の楽曲政策のサポートを経て、彼女のバックバンドのバンドマスターを務めるようになります。
これと並行して様々なミュージシャンからギタリストとしてバンドに起用されることになります。また、数は少ないものの楽曲提供(ほとんど作曲)とアレンジも引く手あまたという業界人気ぶりでした。とりわけ、ワタクシが傾倒していた佐野元春と1996年のアルバム『Fruit』から2004年の『The Sun』までThe Hobo King Bandとして長く活動を共にしていたことで、佐橋のことを知るようになりました。
この間に小倉博和とのギターデュオ、山弦を結成したり、山弦にヴォーカル(平松八千代)を入れたSOY(佐橋、小倉、八千代の頭文字を並べたもの)を結成していました。
スタジオミュージシャンというよりはセッションギタリストとして露出することの多い人ですが、あくまで控えめでありながら、すごいギターを弾く人ですね。
それでは、幻のバンドUGUISSをお聴きください。
UGUISSで「Cause Of Love(夢を抱きしめて)」(作詞:福島浩・山根栄子 作曲:佐橋佳幸)でした。ちなみに、ヴォーカルは山根栄子といい、山根麻衣の妹です。若き日の佐橋のギターソロもなかなか。つのだひろはいらんな。
<渡辺美里>
さて、最後は渡辺美里です。彼女も高校時代はアマチュアバンドを組んでいたといいますが、ミスセブンディーンコンテストに出場するなど、芸能的な志向が強いタイプではないかと思います。
それでも、デビュー後はコンスタントにシングル・アルバムをリリースし、頻繁にライヴを行い、楽曲(主に作詞)にも携わるようになります。これを繰り返しているうちに、ただのシンガーからアーティスト色の強い日本を代表するシンガーへと変貌していきます。
前述の清水信之や佐橋佳幸がかかわってきたのは、さすがに先輩・後輩の間柄とはいえ、直接の知り合いということはなかったでしょうが、そこは可愛い後輩であるからやはり放っておけないということが、あるでしょうね。
また、実際に彼女に接してみるとずっと若いのに全身をぶつけてくるような歌に才能を感じ、サポートしたいシンガーと感じたのでしょうね。「俺たちの妹分、みさっちゃん」つうことで。
渡辺美里で「10 Years」(作詞:渡辺美里 作曲:大江千里)でした。
1988年の夏の恒例、西武球場でのライヴ映像です。当時は22歳でステージ衣装も可愛い風に振ってます。ですが、すでに貫禄ありますね。
現在はもっと貫禄あるはず。友近っぽいけど、友近のほうが若いのでした。
ちなみに、この時の演奏ではギターは佐橋佳幸です。まあ、ソロシンガーのライヴ映像なので、全然映ってないんですけど。なお、UGUISSにいたドラムの松本淳とキーボードの柴田俊文もバンドに加わってのものでした。
影のホリコシ、なかなか奥が深いですね。ちなみに、同校でとある研修があってわたしゃ迷わず参加したことがあります。せめて、雰囲気でも感じてみたくて。でも、ごく普通でしたけどね。
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