日本のRAP事始め
かすてら音楽夜話Vol.145
ヒップホップ・カルチャーはニューヨークが発祥ともいわれます。それを象徴するものはクラブ、DJ、ブレイクダンスなどがありますが、クラブでDJもしくはMCが音楽にのせて韻を含ませつつ、喋るようにリズムと同調するようなものをラップといいます。
今でこそ、日本でもたくさんのラッパーが活躍するようになりましたが、残念ながら日本に導入された初期のラップは、ヒップホップ文化とはあまり関係ないところから始まったのです。
つうことで、1981年の山田邦子、「邦子のかわい子ぶりっこ(バスガイド篇)」(作詞:山田邦子 作編曲:渡辺直樹)でした。
半分がネタで半分がラップ。おそらくこれが、日本の音楽史で音源として初めて登場した、日本人による日本語のラップではないかと思います。
当然ながら、80年代初期、日本にはヒップホップなどもまるで出現しておらず、ストリートのカルチャーといえば、竹の子族でしたかね。なお、山田邦子は素人参加の物真似番組からフジテレビの「笑ってる場合ですよ!」のコーナーに抜擢され人気に火が付いたという時期で、ネタをもとについにレコードデビューしてしまったのですね。
ちなみに、作曲の渡辺直樹氏はSPECTRUMのベーシストであり、この時期ちょうどSUPECTRUMが解散したあたりですね。それ以前も渡辺プロ所属のシンガーたちのバックを担当していたり、スタジオミュージシャンとしても活躍していて、そのベースプレイには定評がありました。その後もAB'sに参加しております。
その関係もあるのか、バックのブラスはもしかしたら新田一郎が関係するHorn Spectrumあたりである可能性も考えられます。山田邦子はともかく、バックの演奏力はかなりレベルが高いです。山田と絡む男性の声はビートきよしです。このあたりは、当時山田の所属していた太田プロの関係もあるでしょう。
1983年5月、それまで地道にライヴ活動をやっていて、人気も絶頂に達するかと思われていた佐野元春が突然渡米します。
ニューヨークでアパート生活をし、現地のカルチャーに触れていくというもので、元春の現地報告はNHK FMの「Motoharu Radio Show」で本人のDJによって毎週伝えられました。そして、1年後に帰国。
次にリリースしたアルバム『Visitors』が衝撃の内容でした。
1984年リリースのアルバム『Visitors』収録の「Come Shining」(作詞作曲:佐野元春)でした。
なんと、ニューヨーク生活でヒップホップカルチャーを見事に吸収し、アルバム収録曲8曲中、「Complication Shakedown」、「Wild On The Street」、「Come Shiing」、「New Age」と4曲もがラップなのでした。
この方向転換ともとれるスタイルの変更に、デビュー以来の元春ファンの一部は確実に離れていったと思われます。ですが、このアルバム『Visitors』はオリコンアルバムチャートで2週連続1位を獲得。年間チャートでも24位を記録しました。
新しいスタイルの佐野元春の誕生ともいえます。とはいえ、もともと佐野元春の楽曲は「アンジェリーナ」にせよ、「Someday」にせよ、メロディに極端な抑揚が少ないのが特徴でもあります。
そして、早い段階からポエトリーリーディングなどにも取り組み、どうしたら短いメロディの合間にできるだけ多くの言葉を詰め込めるかということを試行錯誤してきた人でもあります。
そうしたことから、言葉をビートに乗せていくという取り組みがやりやすかったのではないでしょうか。
ちなみに、映像は1984年から1985年にかけての「Visitors Tour」でのものですが、打ち込みも使わず、DJも不在でスクラッチなどを利用せず、すべての音をバックバンドのThe Heartlandとともに、演奏するというレベルの高いものです。余談になりますが、1984年という段階で、元春の着こなし、シャツの裾を出しているとか、襟足にウィッグをつけているなど革命的であったと思います。あの時代、ジーンズでもベルトの位置がかなり高く、Tシャツ愛用者であっても決してシャツの裾を出すことはなく、いかに足を長く見せるかというような時代でしたから。
次のアルバム『Cafe Bohemia』では従来の佐野元春に少し回帰していますが、「Indivisualists」、「99 Blues」ではさらにヒップホップ色を強めた作品も収録しました。
日本のミュージシャンではおそらく初めてきっちりとしたヒップホップまたはラップを我々に伝えた功労者であると断言したいです。
さて、この直後の1984年11月に吉幾三が「俺ら東京さ行ぐだ」をリリースします。こちらも、日本語ラップの元祖ともいえますかね。こちら、作詞作曲が吉幾三本人、そして千昌夫プロデュースという組み合わせというのが、想像を超越してますね。
吉幾三も長らくヒットに恵まれず、アメリカのラップ音楽に着目してこれが生まれたそうで。
それでは最後に最も気に入っている元春のラップを。
「Wild On The Street」(作詞作曲:佐野元春 編曲:佐野元春)でした。公式のものではないので削除されてしまうかもしれませんが。
なお、バックのコーラスはアフリカ系アメリカ人女性で「Jungle People」というフレーズを歌ってもらうのにものすごくディスカッションしたそうです。
<まだやってるよ>
ロシアによるウクライナへの戦争です。
Billy Joelの「Goodnight Saigon」でした。
もちろん、ベトナム戦争を扱った曲です。ビリーによると、「あの曲は究極の反戦歌。隣のやつが死んでいく若者の地獄を歌った」(wikiより)とあります。
ロシアのヤングも無意味に死んでいくんですよね。もちろん、ウクライナ側も。
毎日伝えられる映像、一部はフェイクであるともいわれますが、ウクライナに仕掛けてきたのはあの独裁者であって、ゼレンスキーではないことだけははっきりしていますよね。
★今回の更新、めちゃくちゃ遅れました。来月の半ばくらいまでは面倒なことを抱えておりますので、下手すると週1くらいの更新になるかもしれません…ということだけお知らせしておきます。リクエスト、ご意見もお待ちしております。
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