三つ巴のバトルー1980年春
かすてら音楽夜話Vol.148
前回に続いてコスメメーカーのタイアップ曲です。
今回は資生堂とカネボウという構図ではなく、ポーラ化粧品も参入したという例ですね。
紹介するのはリリース順としましょうか。
<渡辺真知子>
こちらは、渡辺真知子の「唇よ、熱く君を語れ」(作詞:東海林良 作曲:渡辺真知子 編曲:船山基紀)です。リリース日は1980年1月21日。オリコンチャートで4位を記録しています。
そして、この曲はカネボウの「Lady 80」の口紅のCMで使用されました。
渡辺真知子は音大出身(声楽科)でありながら、どことなく歌謡曲テイストを漂わせる、やや「ニューミュージック」とは乖離したような路線で売っていたように思われていました。この曲は7枚目のシングルですが、それまでの曲はマイナーコード中心で、内容も失恋のことを歌っていたものが多かったのです。そして、ニューミュージックの掟破りではありませんが、歌謡番組に積極的に出演するというスタイルでした。
「唇よ、熱く君を語れ」では、初めてともいえるメジャーコードで、あの真知子さんがこういう曲もやるんだというようなイメージの転換にも成功しましたね。歌謡曲テイスト、いわば思いっきりドメスティックなイメージで、テレビに出てくる演歌歌手やアイドルと何ら変わりないとも思われていたかもしれません。ですが、それまでの彼女の全シングルは、彼女が作曲しているのですね。
また、後述するふたりよりも年少でありながら、抜群の歌唱力、貫禄などからとてもそうは見えません。
「唇よ、熱く君を語れ」は船山氏がいい仕事をしていて、ドメスティックさを消し去り、都会的なアレンジを行ってます。
さて、この曲のCMヴァージョンを見つけましたので、お聴きください。
CMというと、15秒なり30秒なりの長短はありますが、それなりの長さに合わせたテイクが曲にも要求されます。こちらでは原曲よりもややスローテンポで、当然ながら「♪唇よ~」のフレーズを持ってきます。
モデルはおわかりかと思いますが、松原千明ですね。石田純一の元夫人です。ちなみに松原千明はこのCMが芸能界のデビューであったそうで。
<庄野真代>
こちら、庄野真代の「Hey Lady 優しくなれるかい」(作詞作曲:庄野真代 編曲:瀬尾一三)でした。リリース日は1980年2月1日。オリコンチャートでは6位を記録しています。
こちらも、ポーラのフェアレイジという口紅のCMに使用されました。
彼女は今回取り上げる3人の中では最もデビューが早かったです。当然ながら詩も曲も自分で作るシンガーソングライターでありながら、ユーミンの「中央フリーウェイ」をカバーしてシングルにしたり、思いっきり職業作曲家の筒美京平作品、「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」もスマッシュヒットし、渡辺真知子と同じくテレビに出るなど、ニューミュージックの掟とは一線を画していた人でした。
3人の中では一番年長で、大人の雰囲気を漂わせていた人でした。と、いうのもすでに「飛んでイスタンブール」の時点で職業作曲家の小泉まさみ氏と結婚していたということが大きいのかもしれません。
それにしても、彼女の自作曲、突き抜けた感じでいいですね。実はこの時点でワタクシは4枚目のアルバム『ルフラン』を購入していて、彼女の自作曲である「風の街角」「はんもっく」「ルフラン」などが適当な脱力感があり彼女の独特な世界があるなと思っていたのですね。
でも、「Hey Lady 優しくなれるかい」はこれまでにない力強さがあります。やはり、大きなスポンサーがつくと強いプレッシャーがかかるものですが、それをいい意味で力にして、これまでの作風と違う佳曲ができたのでしょうね。
こちらも、CMヴァージョンがありました。
これまた、15秒のヴァージョン。起用されたタレントは不明です。この曲はサビが冒頭から展開されるので、原曲が使用されているみたいです。
<竹内まりや>
1980年2月5日にリリースされたのが竹内まりやが歌う「不思議なピーチパイ」(作詞:安井和美 作曲:加藤和彦 編曲:加藤和彦・清水信之)です。
YouTubeにはこの曲は上がっておりません。というのも、著作権にシビアな山下達郎率いるスマイルカンパニーが関係してますから、一瞬YouTube上に現れたとしても、違法アップロードですので、見つけられ次第削除される運命にあるのですね。
さて、こちらはオリコン3位を記録しております。この曲は資生堂ベネフィークのやはり口紅のCMに使われました。
竹内まりやといいますと、現在では山下達郎プロデュース、同じく達郎のアレンジで本人自作の曲をリリースすれば、本人がほぼメディアに登場しないにもかかわらずメガヒットしてしまう、スーパーな存在であります。
ですが、1980年の時点で本人が曲作りに関わったシングルはありませんでした。せいぜいアルバム中2曲くらいが自作であり、あとは外部発注であることが多かったです。まあ、当時は曲作りに没頭するタイプではなかったといえましょう。
しかし、彼女はデビュー曲からタイアップ(伊勢丹)が付き、セカンドシングルもタイアップ(キリンレモン)に恵まれます。3枚目のシングルがタイアップのない「September」だったのですが、前の2曲よりも上位(39位)の売り上げを記録し、「不思議なピーチパイ」でメジャーになっていくことができました。
ただし、彼女も当時はテレビに出演しており、なんと芸能人運動会に出て走り高跳びに参加したらしいです。当時の生歌にも興味があるところですが、芸能人運動会の竹内まりやも見てみたいものですが。
さて、「不思議なピーチパイ」の加藤・安井夫妻の曲ですが、デビュー曲の「戻っておいで・私の時間」以来の付き合いです。その縁もあってか、松山猛の作詞した曲などもアルバムには入っていました。しかし、彼らとの縁もここまでで、以降のシングル、アルバム曲とも組むことはありませんでした。
当時の竹内まりやのスタンスですが、現在のように山下達郎が全面的に関わったスキのない作品ではないものの、「September」と「不思議なピーチパイ」を含むアルバム『Love Songs』、ロス録音の『Miss M』、独身時代最後のアルバム『Portrait』はなかなかにいいです。
そして、この「ピーチパイ」という言葉はコピーライターがCMのイメージにつけたもので、それがタイトルとなったおそらく初めての例ですね。この傾向はその後、ますます強まっていくことになるのですが。
さて、「不思議なピーチパイ」のフルヴァージョンは無理でしたが、CMヴァージョンをお聴きください。
以前、30秒のCMをまりやさんのところで取り上げたので、今度は15秒ヴァージョンです。
ちなみにモデルはメアリー岩本と名乗っていましたが、その後改名してマリアンと名乗った方ですね。
さて、この3つのCMはオリコンの順位で行くとほぼ同じようなもので、引き分けということになりますかね。ちなみに、年間チャートでは「唇よ、熱く君を語れ」が24位、「不思議なピーチパイ」が30位、「Hey Lady 優しくなれるかい」が51位でした。ちなみに、「不思議なピーチパイ」が収録された『Love Songs』はアルバムチャートで1位でしたので、最も聴かれた曲ということになりますかね。資生堂という大企業の力とも関係しそうですけど。
また、「Hey Lady 優しくなれるかい」のポーラ化粧品ですが資生堂とカネボウのように季節ごとにやりあっていたわけではないようです。むしろ、割って入ろうとしたのはコーセーのほうですかね。
また、ノエビアは外国の曲などをイメージソングに取り入れておりました。
ちなみに、渡辺真知子、庄野真代、竹内まりやがCMで競合したことから下の名前から取って「3M」と呼ばれたそうで。
プーさんよくきいてね
桑田佳祐、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎による、チャリティソングです。
同級生5人で、どうしてもメンバーの豪華さについ目が向いてしまうのですけど、なんでこの時期にこういう曲が発表されたのかということに目を向けてほしいですね。
本来であるならば、Neil Young(ニール・ヤング)とかBruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)など世界的に影響力のある人たちが声を上げてほしいのですけど。でも、そのうち彼らあるいは他の人たちが声を上げるかもしれません。
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