韮山反射炉
2022年6月6日(月)続き
<相変わらずの土砂降り>KP/DA18-50mm
この日最後に訪れたのは、韮山反射炉です。
「道の駅 伊豆ゲートウェイ函南」からはまたもや伊豆中央道へのアプローチを使うのですが、通行料がもったいないので、最初の分岐で農道のようなところに回避し、あとはカーナビ様の誘導で走っていきます。
狩野川と伊豆箱根鉄道駿豆線に沿って走ることとなります。伊豆長岡駅を過ぎて左折すると踏切が現れ、あとは道なりです。
韮山反射炉は2015年に「明治日本の産業革命遺産」を構成するひとつとして、世界遺産に登録されました。
<ガイダンスセンター>KP/DA18-50mm
さすがに世界遺産ですので、立派なガイダンスセンターなるものがあります。
さて、反射炉とはなんぞや。金属溶解炉のことで、韮山のこれは、幕末期に次々に訪れる諸外国の船団に対する海防のため、大砲を作ることを目的として作られました。しかし、幕府の肝いりで計画されたものではなく、当初は韮山の代官、江川英龍が着想したものです。ちなみに、この人、「お台場」も作っております。
さて、500円の入場料ですが、ようやく雨をしのいでも、反射炉のあるのはやはり屋外です。
<反射炉>KP/DA18-50mm
見学者は数名でした。広大な駐車場でしたが、やってきているのもわずかに数台。
<回り込んで>KP/DA18-50mm
江川英龍は幕臣でもあり、蘭学者に学び、渡辺崋山や高野長英などとの交流もあった人で、長崎に出向いて近代法術を学ぶという人でした。しかし、蛮社の獄で渡辺崋山や高野長英が捕らえられたものの、老中の水野忠邦が江川を高く評価し、その庇護にあったため捕らえられずに済んだとのことです。
しかし、この反射炉が完成したのはすでにペリーが来航した後でした。
<投入口>KP/DA18-50mm
左が鋳物鉄の投入口で、右が石炭の投入口です。
日本に現存する反射炉では、萩反射炉があります。高校の時に行ってますが、このような形では残っておらず、萩の反射炉は試験炉ではなかったかとのことです。韮山反射炉は実際に大砲が作られ、修復は加えられているものの完成した形では唯一残るものとのことですね。
<レプリカ>KP/DA18-50mm
24ポンドカノン砲でしょうか。このような野ざらしですので、レプリカのはずです。その他、18ポンド砲が4門、24ポンド砲が1門、80ポンド砲が4門作られております。
<古川>KP/DA18-50mm
当日の雨でものすごいことになってますが、この川の流れを反射炉側に近づける河川改修を行い、砲身を削ったりくり貫く作業はその水力を利用した水車の動力で行われたとのことです。
まさに、電気のない時代の産業革命です。
<2つの反射炉>KP/DA18-50mm
このように、2基が向き合い、煙突はそれぞれ2つあります。このように高くなっているのは効率よく天井部分からの熱反射も利用するためですね。したがって「反射炉」ということになります。
<ガイダンスセンターの展示>KP/DA18-50mm
ガイダンスセンターでは展示の他に、ジオラマや映像もありました。
こういう時代の産業、デフレと収入低下に悩む現代日本に何らかのヒントにならないでしょうかね。
この日の観光は天気もあって散々なものでしたが、出来事はさらに続くのでした。
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