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2022年6月30日 (木)

韮山反射炉

2022年6月6日(月)続き

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<相変わらずの土砂降り>KP/DA18-50mm

この日最後に訪れたのは、韮山反射炉です。

「道の駅 伊豆ゲートウェイ函南」からはまたもや伊豆中央道へのアプローチを使うのですが、通行料がもったいないので、最初の分岐で農道のようなところに回避し、あとはカーナビ様の誘導で走っていきます。

狩野川と伊豆箱根鉄道駿豆線に沿って走ることとなります。伊豆長岡駅を過ぎて左折すると踏切が現れ、あとは道なりです。

韮山反射炉は2015年に「明治日本の産業革命遺産」を構成するひとつとして、世界遺産に登録されました。

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<ガイダンスセンター>KP/DA18-50mm

さすがに世界遺産ですので、立派なガイダンスセンターなるものがあります。

さて、反射炉とはなんぞや。金属溶解炉のことで、韮山のこれは、幕末期に次々に訪れる諸外国の船団に対する海防のため、大砲を作ることを目的として作られました。しかし、幕府の肝いりで計画されたものではなく、当初は韮山の代官、江川英龍が着想したものです。ちなみに、この人、「お台場」も作っております。

さて、500円の入場料ですが、ようやく雨をしのいでも、反射炉のあるのはやはり屋外です。

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<反射炉>KP/DA18-50mm

見学者は数名でした。広大な駐車場でしたが、やってきているのもわずかに数台。

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<回り込んで>KP/DA18-50mm

江川英龍は幕臣でもあり、蘭学者に学び、渡辺崋山や高野長英などとの交流もあった人で、長崎に出向いて近代法術を学ぶという人でした。しかし、蛮社の獄で渡辺崋山や高野長英が捕らえられたものの、老中の水野忠邦が江川を高く評価し、その庇護にあったため捕らえられずに済んだとのことです。

しかし、この反射炉が完成したのはすでにペリーが来航した後でした。

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<投入口>KP/DA18-50mm

左が鋳物鉄の投入口で、右が石炭の投入口です。

日本に現存する反射炉では、萩反射炉があります。高校の時に行ってますが、このような形では残っておらず、萩の反射炉は試験炉ではなかったかとのことです。韮山反射炉は実際に大砲が作られ、修復は加えられているものの完成した形では唯一残るものとのことですね。

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<レプリカ>KP/DA18-50mm

24ポンドカノン砲でしょうか。このような野ざらしですので、レプリカのはずです。その他、18ポンド砲が4門、24ポンド砲が1門、80ポンド砲が4門作られております。

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<古川>KP/DA18-50mm

当日の雨でものすごいことになってますが、この川の流れを反射炉側に近づける河川改修を行い、砲身を削ったりくり貫く作業はその水力を利用した水車の動力で行われたとのことです。

まさに、電気のない時代の産業革命です。

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<2つの反射炉>KP/DA18-50mm

このように、2基が向き合い、煙突はそれぞれ2つあります。このように高くなっているのは効率よく天井部分からの熱反射も利用するためですね。したがって「反射炉」ということになります。

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<ガイダンスセンターの展示>KP/DA18-50mm

ガイダンスセンターでは展示の他に、ジオラマや映像もありました。

こういう時代の産業、デフレと収入低下に悩む現代日本に何らかのヒントにならないでしょうかね。

この日の観光は天気もあって散々なものでしたが、出来事はさらに続くのでした。

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コメント

韮山反射炉は40年近く行ってませんね。懐かしいなぁ。
世界遺産になってガイダンスセンターなんて立派なものもできてたり。びっくりです。

私の幼少期は小学校やソロバン教室の遠足とかで子供の催し物の定番、と言っても反射炉が定番ではなくその同じ敷地内にある鳴沢っていうバーベキューが定番でした。反射炉はバーベキューの時間つなぎか暇つぶしのような存在だったという子供の記憶。柵とかなかったから反射炉も子供の遊び道具として粗雑に扱っていた記憶が・・(歴史的建造物に対する冒とく)

江川英龍は地元では太郎左衛門さんと呼ばれていて子供の時はそんな偉人とは思いもよりませんでした。大学生になって司馬遼さんの「竜馬が行く」とか「世に棲む日々」とかに登場してきて、そんな人だったんだと驚き見直しました。

明治になって最初に「韮山県」ができて英龍さんの子供が県知事になったのは知ってました。韮山県って静岡県と山梨甲府地区、そして神奈川県と東京23区そして埼玉比企あたりまでの広大なエリアが韮山県だったそうで。それだけ江川代官一族の力が強かったんですね。・・・でもすぐに廃藩置県の繰り返しで再編成されちゃいましたけど。
江川邸っていかれましたか?

投稿: lastsmile | 2022年6月30日 (木) 16時57分

lastsmileさん。

やっぱり、世界遺産に登録されるとあちこちからお金が回ってくるんでしょうね。
日本に限った話かもしれませんが。
富士山周辺、山梨県側もそう思いました。
諸外国の世界遺産、「世界遺産マーク」だけのところもありますから。
ワタクシには幼少期に触れていた物件はありません。
マカオに散らばる世界遺産なんぞ、ジモティが立ちション(失礼)をしてたであろうという壁も登録されていたり…。

土砂降りで反射炉とガイダンスセンター、駐車場くらいしか歩いてないんですが、もうちょっと歩くと江川英龍のブロンズ像や書き割りもあったらしいです。
江川邸は訪れていません。
あの時代、廃藩置県で最初は旧藩主が知事になったので、幕府の要人である江川氏が知事になったのも納得です。ま、知らなかったですけど。

この記事、作成が遅い時間帯だったので、今朝の予約投稿にしておきました。
んなもんで、かなりの個所の間違いがあって、今訂正しておきました。
ありがとうございました。

投稿: ヒョウちゃん | 2022年6月30日 (木) 20時13分

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