かすてら音楽夜話Vol.150
節目のキリ番です。どんなものを取り上げようと考えておりましたが、ここは超個人的な思い入れで行きたいと思います。
<大瀧詠一氏>
つうことで、ナイアガラーでもあるワタクシのセレクトは大瀧詠一さんです。ちなみに、彼は多数の変名を持っておりまして(詳細は長くなるので省略します)、ミュージシャンとしては「大滝詠一」。作家としては「大瀧詠一」になります。
また、ナイアガラの変遷となりますと、またまた長くなりますので、ご本人がプロデュースしたある曲について語ることにします。
その曲とは「夢で逢えたら」(作詞作曲:大瀧詠一)です。
「夢で逢えたら」がこの世に音源として登場したのは、吉田美奈子のアルバム『Flapper』の収録曲としてで、アルバムリリースは1976年3月のことです。その時点では「夢で逢えたら」はただの収録曲で、シングルカットもされておりません。
吉田美奈子さんというと山下達郎の初期の作品でのコーラスワークと作詞で有名です。また、歌も超絶上手く、女性のソウル系シンガーとしては間違いなくナンバーワンですね。テレビなどで「夢で逢えたら」が取り上げられる場合は、ほぼ吉田美奈子ヴァージョンが筆頭に来るでしょう。しかし、それは後年の評価なのであります。
とはいえ、美奈子版の「夢で逢えたら」のアレンジは大瀧詠一と山下達郎という豪華すぎる組み合わせです。ですが、この1976年の時点では二人ともよほどのマニアでない限り、豪華とは思われない無名の存在だったのですね。
そのような感じで大瀧さんも制作に深くかかわっていたのですが、『Flapper』のレーベルはRCAであり、大瀧さんとしてはひとつの頼まれ仕事であったともいえます。
ちなみに、美奈子さん自身は「夢で逢えたら」は自分が歌っただけなので、自身の曲であるとは思っていなかったようです。
さて、その1年後、ナイアガラレーベルから「夢で逢えたら」のシングルがリリースされます。
歌ったのはシリア・ポールという人です。こちらは、1977年6月に「夢で逢えたら/恋はメレンゲ」というカップリングで、リリースされました。アレンジは多羅尾坂内(大瀧さんの変名)。ストリングスアレンジが山下達郎です。
またまた、余談ですが、「多羅尾坂内」とは片岡千恵蔵主演の架空の探偵の名前ですね。なんと、大瀧さんが『A Long Vacation』や松田聖子などへの提供曲で有名になると、作者のご遺族からクレームが付き、その後使用できなくなったとのこと。
YouTubeの映像はよくわかりませんが、大瀧さん自身も入り込んでいるのでバックバンドは大滝詠一楽団ということになるでしょうか。ともあれ、当時ワタクシは父親とのドライブでカーラジオから流れてきたり、テレビ番組でもシリア・ポールヴァージョンを聴いたことがあります。
この当時のナイアガラレーベルですが、コロンビアから発売されております。それ以前はエレックレコードからの発売でしたが、エレックの倒産に伴って、16チャンネルテープレコーダーを無償で譲り受けることと引き換えに3年で12枚のアルバム制作をすることになっていました。ま、そんな経緯の中、そのちょっと前にはやはりクルマのカーラジオから「ナイアガラ音頭」(布谷文夫)が流れてきたりして、この大瀧詠一という人はどんな人なんだろうという興味はありましたね。もちろん、「はっぴいえんど」とかはまるで知りませんでした。
そのような感じで、次々に音源をリリースするナイアガラレーベルでしたが、シリア・ポール版「夢で逢えたら」はオリコン圏外という結果に沈んでおります。
さて、歌い手のシリア・ポールさんですが、なんと父親がインド人貿易商で母親が日本人という日印ハーフです。ということは、父親はジャイナ教徒あたりでしょうかね。シク教徒という可能性もありますが、シク教徒の名前ではありません。そして、子役からスタートし、ニッポン放送の「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」の初代DJ、「モコ・ビーバー・オリーブ」のオリーブとしても活動していました。モコ・ビーバー・オリーブについてはまるで知らないんですけどね。
かなり貴重なオリジナリティと経歴を持つ人です。シリア・ポール版「夢で逢えたら」は単に歌のうまさで比較すると吉田美奈子ヴァージョンには到底かないませんが、どこか独特のテイストがあって気になりますね。ちなみに、同名のアルバム『夢で逢えたら』もナイアガラレーベルでリリースされております。これがですね、なんと現在でも入手可能でタワレコの渋谷に置いてありました。これは是非手に入れたいです。
さらに、掘り下げると「夢で逢えたら」はアン・ルイスに提供される予定でしたが、没になって美奈子さんやシリア・ポールさんに回ってきたとのことです。その後、アン・ルイスにはほぼ同じ曲調の「Dream Boy」を提供しました。残念ですが、YouTubeには上がってません。また、その後、アン・ルイス自身も「夢で逢えたら」をカバーすることになります。
そして、あまり乗り気ではなかった吉田美奈子ヴァージョンもさらに1年遅れて1978年7月にシングルカットされるのでした。
さて、このシングルはオリコン圏外にもかかわらず、数多の人にカバーされております。その中で唯一オリコンチャートイン(8位)したのが、ラッツ&スターの「夢で逢えたら」(1996年)です。実はシャネルズ時代から大瀧さんが彼らを目にかけていて、デビュー以前からナイアガラレーベルの音源には参加していたりします。
YouTubeでラッツ&スターの「夢で逢えたら」は検索すると出てきます。なんと、セリフは田代まさしが語っているというレアものですが、ここでは割愛します。また、吉田美奈子の「夢で逢えたら」はたまに出てくるようですが、削除されまくりのようですので、リンクはつけません。
なお、大瀧さんは2013年12月にお亡くなりになっていたのですが、なんとご本人が歌うマスターテープが発見され、1年後の2014年12にベストアルバム『Best Always』の収録曲としてリリースされました。
それではお聴きください。
どうやら、ご家族にはこの存在を明かしていたようです。でも、ナイアガラーにとっては突然のサプライズでございました。本当に「夢で逢えあたら」になってしまいましたね。
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