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2023年1月15日 (日)

チャイナタウンのスイス+訃報、幸宏さん

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<PENTAX K-7/DA21mm>

クアラルンプール、チャイナタウン。

ワタクシがマレーシアを初めて訪れたのは、2007年のことですが、この時はシンガポールからマラッカに出たものの、首都クアラルンプールは未踏でありました。

そして、2010年の年の瀬になって初めてクアラルンプールを訪れたのです。この時から、クアラルンプールではなぜか宿泊先はチャイナタウンでした。

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<RICOH GR DIGITAL>

宿泊したのはSwiss Inn Kuala Lumpurというホテルでした。アクセスは、KLセントラルからLRTのパサールスニということは頭の中では理解していました。ですが、KLセントラルでLRTクラナジャヤラインをどういうわけか見つけられず、遅い時間だったのでタクシーでやってきました。

チェックインするとカードキーを渡されます。ただし、磁気を感知するタイプではなく、カードにいくつかの穴をあけた機械式のものです。とはいえ、外出のたびに鍵を受け渡しする必要がないのは便利でした。

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<GR DIGITAL>

部屋はダブルのシングルユースでした。当時のメモを見ると、「狭いビジネスホテル」とあります。確かに、ふたり利用であるとすると、狭いですが、ひとりでは全く問題ないですね。しかし、コンセントが1つしかないのにはまいりました。

よく見ると、機能的なんですよね。

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<GR DIGITAL>

ベッドルームは木のフローリング。ミネラル水は毎日2本配られます。

バスタブはなくシャワーでした。トイレには手動式の水の出るノズルは備わっていなかったと思います。これは、おそらく現在は付いていると思いますが。

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<GR DIGITAL>

家庭用のエアコンはよく効きました。天井にはメッカの方向を示す印(簡易的なミフラーブ)があるのが、ムスリム人口の多い国だなと思います。

ほぼ、見ておりませんが、薄型のテレビもありました。この時以降のホテルはランクを落としましたが、テレビはまだブラウン管のものでした。

困ったのは、WiFiが来ないことでした。PC(ネットブック)は近くのゲストハウスの電波は拾うのに、こちらは無反応。まあ、当時はタブレットやスマホを持っている人もごく少数。PCを持参する人もかなり少なかったですね。

その年の夏の旅では泊まった宿の部屋のWiFiの調子に波があり、最も電波の入りやすいプールサイドでPCを開いていたら、泳いでいたファランが「それってウィーフィー?(そのように発音されました)」ときかれたくらいです。全然おなじみのものではなく、インターネットに触れたい人はネットカフェに行くなんて状況でした。

スイスインのWiFiなんですが、きちんとフロントで確認すれば教えてくれたと思いますが。なお、ネット接続が有料という宿も結構ありました。

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<GR DIGITAL>

朝食が付いていました。ビュフェ形式です。

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<GR DIGITAL>

スイスインは複雑な作りでどうやら2つの建物をつなげたような感じでした。朝食を提供するレストランに行くのには、フロントを通るのはできずに、その上の階の廊下を進み、途中のドアを開けると下りの階段があって、その下にありました。

途中のドアも宿泊客であるのに鍵が必要という。これは、部屋のカードキーで開けられたと思います。

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<GR DIGITAL>

そのレストランは、夕方以降は屋台の出るアーケード街、プタリン通りに面していて、フロントのあるスルタン通りの間にある小路をまたぐようになっていました。おそらく、プタリン通りにもフロントはあったようです。

3泊して3食の朝食ですが、テーブルクロスがあったりなかったり。チャイナタウンとしては150室と結構規模の大きいホテルですから、朝食用のテーブルもかなりの数があったようです。

ここで気づいたのは、マレーシアなのに特にハラル食の明示がなかったことです。しかし、ハムとソーセージはチキンの表示があり、すなわちすべてがハラルであるとのちに思いました。

しかしまあ、代り映えのしない食事です。朝食をパスして、ちょっと歩けば安くて美味い朝食がいくらでも食べられたのですが。ワタクシも学習して、次のマレーシア以降はできるだけ朝食をつけないようにしました。例外はEastern & Orientalに泊まった時ですが。

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<K-7/DA21mm>

こちらは関帝廟。ちょっと出歩くだけで、おもろいスポットもあったんですけどね。

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と、ここまで書いたところで、高橋幸宏さんの訃報が飛び込んできました。

キャリアのスタートはあのガロのサポートバンドだったんですね。そこから、サディスティックミカバンド、YMOなどなど、関わったバンドやユニットは多数。

プロデュース業も行っていて、なんとキャリア後半の門あさ美も手掛けてました。

享年70歳。まだ若すぎる。この曲を聴きつつ、ご冥福を申し上げます。R.I.P.

 

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コメント

ご無沙汰しております。YMOの2人が相次いで亡くなるとは。この記事の時点でもすでに坂本氏もかなり衰弱しておられたんですね。こうしてみると矢沢やユーミンなんかは相当元気だということですね。前にも書きましたが、今年は訃報が多いですね。

投稿: ペンタのP | 2023年4月 8日 (土) 14時17分

ペンタのPさん

70オーバーといいますと、小田和正や財津和夫もおります。
ま、財津氏はほぼ引退確定で、同じく吉田拓郎は断然元気そうなのに、もう人前では歌わないらしいですよ。
あ、加山雄三を忘れてました。
この方もコンサート活動からの引退みたいですが、曲作りやレコーディングは継続するみたいです。

投稿: ヒョウちゃん | 2023年4月 8日 (土) 20時08分

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