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2023年2月14日 (火)

東急砧線跡を歩く

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<PENTAX KP/FA35mm>

2月のよく晴れた日、東急砧線の廃線跡を散歩してきました。

ここで、確認です。

東急砧線ですが、もともとは東急玉川線の支線でした。現存する東急多摩川線とは異なります。

さらには、東急玉川線ですが、渋谷駅ー二子玉川園駅(改称前の駅名、現二子玉川駅)の9.1kmを現在の国道246号線の路上(専用軌道あり)を走っていたものでした。その他の支線には、溝ノ口線、天現寺線、中目黒線、下高井戸線がありました。

このうちの下高井戸線が現在の東急世田谷線です。

1969年に国道246号上に首都高速を建設するためと、交通量の増加によって、下高井戸線を除き玉川線は廃線となりました。

オールドファンは「玉電」の愛称で親しんだといいます。玉川線の前身は玉川電気鉄道といい、1938年に東急が買収したのですね。そして、砧線は多摩川の砂利運搬が当初の目的だったそうです。その後、この一帯の砂利採取が禁止になり、旅客の運輸に業務がシフトしていくことになります。

散策開始

砧線は二子玉川園から砧本村(きぬたほんむら)までの2.2kmという短い支線でした。

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<KP/DA15mm>

スタートは二子玉川駅の高架下です。渋谷方面に向かう田園都市線が右側で、この下を歩きます。左は大井町線の高架ですね。

遺構その1

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<KP/DA15mm>

こちら、砧線の鉄道柵だそうです。撤去してもよさそうなものですが、土地は東急のものみたいなので、東京都や世田谷区は何もできないようです。

砧線が通っていたのはこの柵の内部ですね。もうしばらく行くと、左に急カーブ(ほぼ90度)し、国道246号(旧道)を横断することになります。世田谷線に踏切があるように、246にも踏切があったのでしょうか。その痕跡はみつかりませんでした。

遺構その2

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<KP/DA15mm>

246(玉川通り)を渡りますが、信号のない一方通行出口があります。どうやらその先が砧線が通っていた跡のようです。246の高架下を過ぎると、その先は自転車と歩行者だけの専用道となり、このような遺物がごろごろ出てきます。

遺構その3

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<KP/DA15mm>

この歩道のタイルに従えば、砧線は専用軌道であったようです。でも、このあたりだけかな。

遺構その4

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<KP/DA15mm>

もちろん、駅舎というか停留所は残っていませんが。

遺構その5

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<KP/FA35mm>

マンホールも玉電のデザインです。

遺構その6

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<KP/FA35mm>

ところで、玉電こと旧東急玉川線ですけど、ほとんど無縁の乗り物でした。

遺構その7

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<KP/DA15mm>

廃止となった1969年頃は京王沿線に住んでいて、もっぱら都心部に連れて行ってもらうのは、新宿でした。ですが、下高井戸でちらっと目に入る緑の小さな電車が気になっていました。

遺構その8

ガードレールは砧線のレールの再利用です。

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<KP/FA35mm>

たまに、渋谷に連れて行ってもらうと、井の頭線の改札を出たあたりに、あの緑の「青ガエル」が鎮座してたのにはちょっとびっくりしました。

結局は玉電というか東急世田谷線に乗ったのは、小田急沿線に越したあと、学生時代の同級生が住んでいた八幡山に行くとき、豪徳寺で降りて山下から下高井戸までというのが初めてでした。

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<KP/DA15mm>

やがて遊歩道が終わり、吉沢橋へ。吉沢橋交差点へはやや左にカーブしています。

こちらにはまた踏切があったのでしょうかね。

遺構その9

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<KP/FA35mm>

吉沢橋交差点を過ぎたあたりに吉沢橋駅(停留所)があったそうです。そこには何も残されていません。

そして、吉沢橋、川は「野川」です。

遺構その10

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<KP/FA35mm>

このような説明もありました。

現在の吉沢橋は新しく架け替えられたもののようですが、かつての吉沢橋は砧線廃線後は鉄道橋をそのまま利用したものだったようです。

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<KP/DA15mm>

ここに大蔵駅(停留所)があったそうです。この道はかなり狭いです。歩道も途切れるくらいです。途中から砧本村方面へはクルマは一方通行となります。

砧線は単線だったようです。このあたりは専用軌道ではないとすると、クルマと共用の道路であった可能性があります。当時はクルマも一通だったのかどうか。ともあれ、現在はバスが通ります。

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<KP/DA15mm>

砧本村到着です。今はバスの折り返し点です。この右手にある公園が砧線の終点、砧本村駅(停留所)だったようです。

実はこのバス停かつては砧本村のホームの屋根を流用して、日よけ兼雨よけにしていたようですが、撤去されてました。

東京に限らず、かつて鉄道が走っていた跡地って結構あるんですね。近々別の場所も探索してみようかと思ってます。

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コメント

砧線は免許が鉄道なので、全線専用敷でした。

投稿: 伊 謄 | 2023年3月15日 (水) 01時31分

伊 謄さん

こちらにもありがとうございます。

>砧線は免許が鉄道なので、全線専用敷でした。

ということは、主要道路に踏切があったということですね。
砂利採取ができなくなれば、自然と廃線という流れですかね。

投稿: ヒョウちゃん | 2023年3月15日 (水) 22時01分

砧線専用の車両基地が路線規模的に作れないので廃線になった感じでした。営業成績は悪くなかったように思います。

投稿: 伊 謄 | 2023年3月17日 (金) 19時19分

伊 謄さん

なるほど。
首都高の建設によって、玉川線自体の存続が危うくなったことも、その要因のひとつでしょうかね。

投稿: ヒョウちゃん | 2023年3月17日 (金) 22時25分

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