歌う男優
かすてら音楽夜話Vol.178
さて、柳の下のドジョウ、3つ目どう出ますかね。
歌う男優、最初に名前を挙げるとしたら石原裕次郎ですかね。映画「太陽の季節」でデビューしたのが1956年。レコードデビューは翌年の「狂った果実」です。
デビューのきっかけは兄の石原慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」が映画化に伴うもので、主役ではありませんでした。ワタクシ的な評価はテレビドラマ「太陽にほえろ!」のボス、藤堂俊介役かなあ。ま、きっかけは兄の存在が大きいんですが、その後のスター街道は自らが切り開いたといえましょう。
でも、思いっきりゲーノーカイぽい人なんで、今回はパスです。
これに続くのが加山雄三ですね(「二世タレントの走り、加山雄三」参照)。
加山さんも映画デビュー後、劇中歌を歌い、なおかつ自作の曲を作り、バンド活動も行うなどのマルチタレントぶりです。
この方も父親の上原謙の存在が大きかったわけです。演技はともかく音楽的なことはベンチャーズの来日以前にエレキギターを購入できるほど金銭的に恵まれていたことが大きいですね。ま、そういう金持ちは他にもいたでしょうが、きちんとモノにできた…すでにデビュー前から演奏や曲作りを身につけていたことは特筆ものです。
俳優というと石原プロつながりで寺尾聰や舘ひろしがいますが、どちらも音楽活動のほうが先です。
寺尾さんは父親の宇野重吉に反発するような形で、音楽にのめりこみ、ザ・サベージというGS系のバンドでデビューしているんです。石原プロ加入はその直後なのでした。
余談ですが、寺尾さんの奥さん、高校の1学年下でした。当時でも相当の年の差カップルでしたけど。ちなみに、同じクラスだった後輩がいまして、きいてみると「??」でしたね。つまりほとんど登校していないということで。柳ジョージとレイニーウッドが歌う「微笑みの法則」という曲が使われた化粧品のモデルでしたねー。
舘ひろしはクールスという矢沢永吉の親衛隊(バイクチーム)出身で、クールスとしても「紫のハイウェイ」でレコードデビューしています。その後、映画に出るようになりました。
さて、前置きが長くなりました。これから紹介する人3人は1970年代の青春ドラマの俳優ながら曲もリリースしている人たちです。すべて、音源を持っていないので、画像は加山さんを持ってきましたが。
水谷豊
「カリフォルニア・コネクション」(作詞:阿木煬子 作曲:平尾昌晃 編曲:鈴木茂)でした。
この人の経歴は古いです。子役で「マグマ大使」(実写版)に江木俊夫の同級生役で出演し、その後またしても実写版「バンパイヤ」の主役をオーディションで勝ち取るというところからのスタートです。
その後、「傷だらけの天使」、「男たちの旅路」などに出演し、「熱中時代」にたどり着くのです。
さて、「カリフォルニア・コネクション」(1979年)ですが、「熱中時代・刑事編」の主題歌でオリコン3位を記録しています。でも、これは水谷さんの黒歴史なのかも。このドラマで共演したミッキー・マッケンジーと結婚したものの、のちに離婚していますからね。
でも、ずっと後になって紅白出演時には「カリフォルニア・コネクション」を歌ったそうですから、本人は気にしてないのかも。おまけに、ベストアルバムなどにも入れた曲です。作家陣がひとつ頭抜けてますね。
でも、「相棒」の右京さんのイメージないですよね。
石橋正次
wikiによりますと、19歳で上京し新国劇に入団し、舞台俳優を志す…とあります。新国劇は時代劇の舞台をやる劇団ですね。
それとは裏腹にテレビでは青春ドラマに起用されることが多く、出自とはかけ離れています。
石橋さんはデビューからすぐに舞台「あしたのジョー」(1970年)で主役の矢吹ジョーを演じ、これがすぐ映画化されここでも主演を務めます。その映画の主題歌が「あしたの俺は…」(1970年)という曲で、デビューシングルとなります。売れたという記述がないのですが、業界受けはよかったのかもしれません。通算で19枚ものシングルをリリースしています。ラストシングルは1978年ですので、それまではコンスタントにリリースを重ねてきたといえましょう。
そして、最大のヒット曲がこちら。
「夜明けの停車場」(作詞:丹古春己 作曲:叶弦大 編曲:小山恭弘)でした。1972年1月リリースの3枚目のシングルです。
まさに、テレビドラマ「おれは男だ!」放映中のリリースですが、曲自体は「おれは男だ!」を含むドラマや映画とは無関係でタイアップなしです。ま、「おれは男だ!」では主役でもなかったので、できたことかと思いましたが、この年の出演作はとんでもない数で、よくぞレコーディングできたと思います。
水谷さんの「カリフォルニア・コネクション」と比べ、思い切りドメスティックな感じで、曲調も暗いですね。これは、作詞者がシベリア抑留を経て闇屋や飯場暮らしを経験した人物であったことが大きく関係しているでしょう。
今から半世紀前の日本人には響いたんですかね。青春スターですが、当時の若者にも訴える何かがあったのでしょう。そして、オリコンでは3種連続の1位を獲得し、その年の紅白歌合戦にも出場しています。
また、同年6月には4曲目のシングル、「鉄橋をわたると涙がはじまる」(クレジットは「夜明けの停車場」と同じ)もヒット。1972年も映画とテレビにものすごく出ていたはずなんですが。これは、考えてみるとすごいことですわ。
森田健作
以前、ちょっとだけ取り上げましたが、やはり「青春の巨匠」はスルーできないでしょう。
国会議員ー千葉県知事時代も本名ではなく森田健作のまま通した人ですが、この芸名は初出演映画の「夕月」(1969年)の役名からです。主演の黛ジュンのヒット曲「夕月」から半ば強引に作られた映画みたいですね。
その後、主演の座をつかみ、「夕陽の恋人」(1969年)では同名タイトルの主題歌を歌い歌手デビューします。その後も映画にテレビに引っ張りだこ、そして、テレビドラマ初出演で主役を張った「おれは男だ!」(1971年)、あの曲が毎週お茶の間に流れたというわけですよ。
「さらば涙と言おう」(作詞:阿久悠 作編曲:鈴木邦彦)でした。森田健作6枚目のシングルです。wikiにはデータがなくオリコンの順位や販売数が定かではありませんが、売れたことは間違いないです。それも、超ロングヒットだったのではないかと思います。
「おれは男だ!」をはじめとする当時の日本テレビの日曜枠のドラマは1年というスパンでしたからね。
実はワタクシ、このドラマを1971ー1972年の放映中には見ていないんです。「おれは男だ!」はかなりの人気があったはずで、その後再放送が毎年のように繰り返されていました。ちょうど、平日の午後4時か5時くらいの枠で、月曜から金曜まで放送されていたんじゃないすかね。
この時間がちょうど学校から戻ってきた頃で、なんとなくだらだら見ていたと。
石橋正次(1948年生まれ)より1学年下の1949年生まれで、劇団上がりではなく、紹介によりサンミュージックに入ります。当時のサンミュージックはほとんど森田ひとりの所属であり、社名も森田のイメージから「太陽」、音楽事務所から「音楽」を取って、サンミュージックと命名されました。
森田はデビュー前には音楽レッスンを受けていたといわれています。そして、なんと今でもサンミュージックの所属で、ホリプロの和田アキ子と並んで半世紀以上も会社に貢献していることになりますね。
サンミュージックも森田健作がいなければその後の桜田淳子も松田聖子も存在してないわけで、この貢献度は和田アキ子以上ではないかと。
さて、他には中村雅俊なんかもいるんですが、今回はこのくらいで。ちなみに、中村雅俊にはあまり思い入れはありません。
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コメント
ついに男優も、来ましたね。この中では、やはり森田健作ですかね。あとは以前書かれている加山雄三、そしてクレージーキャッツですね。こうしてみると、歌と役者と両方できる人って、意外に少ないのかもしれません。(ミュージカル俳優などはのぞいて)海外だとプレスリーなどが、すぐに思いつきますが。あのマイケル・ジャクソンでも、映画はあまり印象に残っていません。やはり二足のわらじは難しいのでしょうか。
投稿: アニタツ | 2024年1月19日 (金) 09時32分
アニタツさん
やはり、同年代ですから青春の巨匠は来ますよね。
逆に歌から役者進出となると星野源とかいますけど、難しいかな。
ミック・ジャガーも映画やってましたけどね。
記事をアップしてから「これ」という大物を思い出しました。
近日中にまたアップいたします。
投稿: ヒョウちゃん | 2024年1月19日 (金) 21時41分