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2024年2月19日 (月)

あの大先生の歌声ー林哲司の若かりし頃

かすてら音楽夜話Vol.181

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2月某日、トーマスさんとミケポスカフェを再訪いたしました。

昨年もこの時期、ふたりしてお邪魔しまして、音楽談義というか、ワタクシが一方的に好みの音楽をかけてそれについて語りまくるという、独善的なDJっぽいことを行いました。それの第2弾をやろうというわけです。

ちなみに、画像のCDはその時持参したものです。

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その前に腹ごしらえです。オーナーさん特製の酸辣湯素麺でございます。とても美味しゅうございました。

さて、今回かけた曲のうち、ちょっとしたレア盤を持参いたしました。その中から、今回はこの人を紹介してみたいと思います。

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「誰?」って感じですよね。アルバムジャケットの一部を撮影したもので、名前も出てますのでバレバレですが。

そう、松原みき「真夜中のドア」を作曲(編曲も)し、昨年デビュー50周年を迎えた林哲司大先生です。うたコンにも出ましたね。

林さんというとみきさん以外にも数々の提供曲があり、筒美京平、都倉俊一というやはり大御所みたいに表立って顔は出さない仕事がメインですが、業界デビューは1973年、『Bruges』というベルギーの都市(ちなみに、スペリングはフランス語でベルギー語では「Brugge」となります)と同名のソロアルバムを引っ提げてのものでした。

ところで、わたしゃ松原みきのファンですので、1979年に竹内まりやの「September」と「真夜中のドア」というタイプの異なる曲を作編曲した林哲司という人物がとても気になっていたのです。なので、林さんのCDがあると中古でもその都度ゲットしてきたのです。この、デビューアルバム『Bruges』を見つけたのはなんと、香港島のTower Recordsでございました。2000年の1月のことです。

当時はですね、バブル崩壊後とはいえ、日本もなかなか勢いがあったんです。それは音楽業界も同じで、香港で安室やTRFのコンサートが行われた直後で、街角ではそのポスターもよく見かけましたし、日本のCDもきちんとコーナーがあって売られていたのですね。そんな中、果たして需要があったのかどうか、『Bruges』もひっそりと置かれており、すかさずゲットいたしました。ちなみに、タワレコのポイントカードはもちろん適用外でしたが。

さて、このアルバム、全曲を林氏が手掛けていて編曲はもちろん、なんと作詞まで行っています。そして、増尾元章(ギター)、佐藤健(ベース、ハモンドオルガン)、見砂和照(ドラムス)が演奏し、林氏はヴォーカルとピアノ、アコースティックギターを担当。基本、この4人で収録を行いました。実はこのメンバーはヤマハつながりで、直後に「オレンジ」というバンドを結成することになります。

ただ、このバンドは結局音源を残すことはありませんでした。なんでもビートルズのアップルレコードに対するオマージュ的なものとして「オレンジ」と名付けたらしいです。4人それぞれがソロアルバムを出し、その4人が戻ってくるところがオレンジであるという位置づけでもあったようです。

バックのメンバーを見てみると、増尾氏はジャズギタリストで兄の増尾好秋もジャズ/フュージョン系のギタリスト。佐藤氏は松原みきのアルバムでも曲を提供していて、奥さんの大橋純子氏をバックで支える美乃家セントラルステイションのバンドリーダーです。見砂氏は父親の跡を継ぎ東京キューバンボーイズのバンドマスターであり、美乃家セントラルステイションやSHŌGUNにも在籍していたことのある人です。結構すごいメンバーですよね。

 

つうことで、オープニングの「僕の隣りの孤独」(作詞作曲編曲:林哲司、タイトルはアルバムの表記のままです)でした。

音的にはブラスも入ってます。が、クレジットなしです。コーラスは佐藤健氏と葉山じゅんという人が担当してますね。ギターが2つ入ってますが、増尾氏がどちらも担当しているんでしょう。なんとも低予算で製作された感があります。

どことなくビートルズの「Here Comes The Sun」っぽいフレーズもあったりするのは若気の至りですかねぇ。

そして、林さんの歌ですが、「天は二物を与えず」といったところでしょうか。決して下手とか音程が取れない能瀬慶子状態ではありませんが、大江千里のように味があるというわけでもなく、中途半端ですよね。やはり、プロのシンガーには負けてますわ。

このアルバム、実際に聴くと各楽器の音が大きくなったり小さくなったりで、非常に気持ち悪いです。また、全体的にリバーブ効かせ気味で、林さん、大浴場で歌っているようにも感じてしまいますね。ま、低予算で絶対に売ってやろうという作品じゃないんでしょうね。はっきりいってこれで大ヒットを狙っていたのであれば、業界ナメすぎです。

ま、そんな林さんですが、その後の活躍はご存じの通り。あまたの提供曲があることはいうまでもありませんが、こんな提供曲もありました。

 

イギリスのバンドJigsaw(ジグソー)に提供した「If I Have To Go Away」(1977年)です。

なんと、イギリスとアメリカでチャートインしております。イギリスで36位、アメリカで93位。邦題は「君にさようなら」。その後、Pink Ladyの「Kiss In The Dark」(1979年)がチャートインしているのですが、こちらは日本人がかかわっておらず、日本の職業作曲家が関わった曲としては坂本九の「上を向いて歩こう」以来となりますか。ひとつの偉業です。

余談ですが、オノ・ヨーコがPlastic Ono Band名義で「Give Peace A Chance」(1969年)をチャートインさせてます。曲はレノン=マッカートニー名義になってますが、実際にはジョンとヨーコによるものだそうです。

さて、林さんその後も地味ながらソロアルバムをリリースしてまして、一時期はC.C.ガールズとコラボしてましたけど、結構本心は出たがりなのかも。

つうことで、シティポップの元祖ともいえる林哲司の若かりし頃でした。これ、暗黒面、黒歴史なのかも。でも、素朴な感じでいいですよね。

かすてら音楽夜話Vol.4:林哲司

ミケポスカフェでの音楽談義はまだありますので、いくつか続編が続きます。また、誰かの黒歴史をやっちゃうかも。

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