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2024年3月23日 (土)

エレキ歌謡でゴーゥ!

かすてら音楽夜話Vol.185

ミケポスカフェでの音楽談義第4弾(最終回)。

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トーマスさんが持ち込まれた音源がこちら。

おお、知っている曲が6つしかない!

つうことで、トーマスさんのDJタイムです。

 

西郷輝彦、「恋のGT」(作詞作曲:米山正夫 編曲:重松岩雄)でした。

西郷さんの22枚目のシングル、「西銀座五番街」(米山/重松、クレジット同じ)のB面曲で1966年1月のリリース。それまで、西郷さんには「星娘」というヒットシングルがありましたが、こちら、代表曲である「星のフラメンコ」よりも早いリリースです。

1966年という年ですが、The Beatles(ビートルズ)が来日を果たしていますけど、「恋のGT」のほうがちょっと早いです。それ以前にロックの分野に革命を起こしたといってよい、ビートルズの影響はあると思いますが、「エレキ」を日本のお茶の間にまで知らしめたのはやはりThe Ventures(ベンチャーズ)でしょう。そして、寺内タケシや加山雄三らが出てきたわけで、その流れをいち早く歌謡界も取り入れたというものですね。

エレキを前面に押し出し、公道非公認レースっぽいHot Rodな歌詞なんですが、やはりどこかドメスティックでちょっとダサい。

では、この曲を書いた米山正夫という人は何者と調べてみました。クラウンレコード創設時に専属契約をしたレジェンドでもあり、なんと、美空ひばりの「リンゴ追分」の作曲者でした。米山氏の葬儀ではひばりさんが弔辞を読んだそうで。

まあ、戦前から活躍した人で、満州で働き、シベリア抑留も経験したとあります。B面ではありますが、そんなレジェンドが作詞までしているということは、西郷さんを売り出すには「わしがやったろ」ということなんではないかと。

西郷さん、比較的時の話題に乗らされちゃうタイプなのか、メキシコオリンピックの1年前にはやはり米山先生の「悲しいソンブレロ」(「この雨の中を」のB面)をリリースしてますし、1973年には「ローリングストーンズは来なかった」(作詞作曲編曲:藤本卓也、こちらはA面)なんて曲もリリースしてました。(注)ストーンズは来日が決定していたものの、イギリスでのミック・ジャガーの麻薬不法所持による逮捕を受け、来日が中止になりました。

まあ、これだけ色物っぽい曲を乱発すれば御三家といえども役者への路線変更も仕方ないのかと。

ちなみに、御三家の本格的歌手で2度のレコード大賞受賞者の橋幸夫にも「ゼッケンNo.1スタートだ」とか「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」などのリズム歌謡、「メキシカンロック」というメインストリームをちょっと外した楽曲があるのですが、そこはやはり抜群の歌唱力と安定感があるためか、西郷さんのようにはなりませんでした。

お次はこちらです。

 

美樹克彦「6番のロック」(作詞:星野哲郎 作曲編曲:北原じゅん)でした。

美樹さん、高校在学中の1965年、17歳時の曲です。当時はアイドル歌手的な位置づけだったようです。それにしては、もはやベテラン風な歌の上手さですね。

この方、本名の目方誠名義で子役として70本近い映画出演をしていて、すでに中学時代に歌のレッスンを受け、デビューしているのです。その後、改名して再デビューし、この曲が3枚目のシングルなのでした。

それでも「函館の女」の星野さんと「骨まで愛して」の北原さんですから、どことなく演歌チックになっていくのもわからないではないです。ちなみに、城卓也の「骨まで愛して」は学生の時に中古屋で格安で見つけて買いました。今なら、いくらかな?

3曲目はこちら。

 

ザ・トーイズで、「お宮さん」「じょんがらゴーゴー」のメドレーでした。

ザ・トーイズ、情報がとても少ないんですが、リードヴォーカルはなんとインドネシア人ということです。バックの演奏は日本人らしいのですが。後半の「じょんがらゴーゴー」ではあまり違和感がないんですが、「お宮さん」の日本語がちょっと癖があります。

ちなみに、「お宮さん」とは「貫一・お宮」の「金色夜叉」なんですが、インドネシア人にとっては「じょんがらゴーゴー」のほうが覚えやすかったと思われます。

グループの成立からして謎なんですが、当時のキャバレーなどでは箱バンと呼ばれる専属バンドが入り、ほぼ真剣に聴いている人がいない中、毎晩演奏を重ねていたと思います。その箱バンには少なからず外国人もいたようで、フィリピンあたりからの出稼ぎが主力だったようです。

まあ、そんな中にインドネシア人のシンガーもいて、芸能事務所の目に留まった可能性はありますね。

バンコクのタニヤの某カラオケ店になぜか1970年代から1980年代の日本の楽曲だけを、ギターとリズムボックスで担当する人がいましたが、この人も日本で箱バンのギター弾きだった可能性はありますね。

箱バン出身なのか不明なところはありますが、ジェイク・H・コンセプシオンというフィリピン人のサックスプレイヤーも長年日本で活躍し、松原みきの「真夜中のドア」をはじめとするあまたの楽曲で印象的なサックスソロを披露していました。

今回のYouTubeはお借りしたところがバラバラですが、GSiloveyouというアカウントの方で、トーマスさんご持参の『エレキ歌謡 ア・ゴーゴー』の楽曲ならばすべてアップされているような。ただし、他のサイトへの埋め込み不可となっていたため、別のものをお借りしました。ザ・トーイズもそろっているはずです。

さて、「恋のGT」と「6番のロック」は、かつてトーマスさんがやっていたバンド、「知子のロック」の結成に何かしらのインスピレーションをもたらしたようです。「ルートRockで待ってなよ」というデビュー曲がありますが、イントロ前のクルマの走行音は「恋のGT」から、サビの「1・2・3・4・5…6(Rock)!」というカウントは「6番のロック」から。グループ名もそうですよね。(間違っていたら、すいません。ご教示くださいませ)

その他、「キイハンター」のテーマ曲、野際陽子さんの「非情のライセンス」、実際に聴き返してみるとちょっと音程に難ありで、エンディングテーマとして5年も流れていたのがすごいです。

そして、ワタクシの推しはこちら。

 

沖山優司の「東京キケン野郎」(作詞作曲編曲:沖山優司、1981年)でした。

沖山氏はいうまでもなくJuicy Fruitesのオリジナルメンバーでベース担当です。先ほどのGSiloveyouさんのところにはオリジナル音源がアップされてますが、前述の理由によりこちらのライヴ映像をお借りしました。

演奏はジューシーフルーツでイリアさんがキーボードに回り、ベースは不在。この曲はザ・ぼんちに提供したセルフカバーなんだそうです。

惜しむらくは、おさむちゃんの「東京キケン野郎」も聴いてみたかったですが、アップされてませんでした。

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最後においしいいちごタルトとコーヒーをいただき、約4時間にわたる試聴タイムはお開きとなったのでした。また、やりましょう。レア盤探しときますね。

お題募集中です。コメントなどから何らかのヒントもいただけると思いますので、よろしゅうお願いします。また、下記のバナーもクリックしていただけると、「こりゃまた泣けてくる」でございますよ。んではまた。

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コメント

GSに比べて
エレキ歌謡のみオムニバスは
極端に少ないです

この1枚以外は選曲に
余裕のあるベスト盤や
レーベル別全集に
紛れ込んだ曲を楽しむ 

後はやはり
中古レコード屋での
思わぬ出会いを期待してます

今回オススメした
「明日も元気で走ろうよ」
村上進 コロムビア 
1965年9月発売
西荻の昨年できた
中古レコード屋で発見しました

エレキ歌謡は
女の子と一緒に
車でバイクで暴走する!
もしくは暴走したい!
歌詞が多いですが

村上さんのこの曲
意地でも交通ルールは守るぜ!
飲酒運転なんかもっての外!
と女の子に
交通安全を宣言して
モテようとする曲です

テケテケ☞クロマチックラン奏法が
なんと12回もでてくる
贅沢な傑作なのです


投稿: トーマス | 2024年3月24日 (日) 12時15分

トーマスさん

YouTubeで検索すると「村上進さん」は別人のカンツォーネ歌手がヒットしました。
「♪昨日彼女にいわれたよ 安全運転お願いね」
続く歌詞がまた染み入ります。

ここ最近の風潮として、粋がって、無理をしたがる輩が激減していますけど、いまだにハンドル握ると、バカなことをしたがる人間が年齢関係なくやたらといますから、「明日も元気に走ろうよ」を聴かせてやりたいです。

投稿: ヒョウちゃん | 2024年3月24日 (日) 20時15分

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