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2024年4月14日 (日)

イーグルスを追われた男たち

かすてら音楽夜話Vol.188

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1971年の結成以来、途中解散をしていた時期も含めても50年以上の歴史を持つのがアメリカのロックバンド、Eagles(イーグルス)です。

母体となったのはアメリカの女性シンガー、Linda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)のバックバンドですが、ツアーではオリジナルメンバー4人がすべてそろうことはなかったようです。

さて、オリジナルメンバーの4人とは。

Grenn Frey(グレン・フライ):Vocal、Guitar、Keyboard、Backing Vocal 故人
Don Henley(ドン・ヘンリー):Vocal、Drums、Backing Vocal
Bernie Leadon(バーニー・レドン):Vocal、Guitar、Steel Guitar、Banjo、Mandolin、Backing Vocal
Randy Meisner(ランディ・マイズナー):Vocal、Bass、Backing Vocal 故人

イーグルスの二大ヴォーカリストは、フライとヘンリーになりますが、基本的に全員が曲を作り、その作者がメインのヴォーカルを担当するという民主的なバンドでした。また、そういうスタイルなので、非常にコーラスワークに長けたところがあります。

そして、ギターのレドン(以前は「リードン」と紹介されていたこともありました)は元Flying Burrito Brothers(フライング・ブリトー・ブラザース)でもあり、カントリーロックには欠かせないバンジョーやペダルスティールなども弾きこなせるマルチプレイヤーでした。

フライとヘンリーの横暴

しかし、名作ともいわれる2作目のアルバム『Desperado』(邦題『ならず者』)が商業的に失敗に終わると、次作の『On The Boarder』からはよりロック色の強い方向へシフトします。そこで、ゲスト参加したのがレドンの高校の同窓でレドンとバンドを組んだこともある、Don Felder(ドン・フェルダー、Vocal、Guitar、Banjo、Keyboard、Backing Vocal)を呼び、そのままフェルダーはイーグルスに参加することになります。

4作目の『One Of These Night』(邦題『呪われた夜』)は成功をおさめ、アルバムはビルボードで初の1位を獲得し、タイトル曲はビルボード1位となり、他のシングル、「Lyin' Eyes」(邦題「いつわりの瞳」)は2位、「Take It To The Limit」は4位となり、アメリカを代表するバンドになったのです。

ところが、このあたりからバンドの主導権をフライとヘンリーが握り始め、ツアーへのストレスからバンド内ではドラッグの影響が漂い始めます。そして、ついに、バーニー・レドンが脱退。

後任にはJames Gang(ジェイムス・ギャング)というバンドにいたギタリスト、Joe Walsh(ジョー・ウォルシュ、Vocal、Guitar、Keyboard、Backing Vocal)が参加します。

そして、名作『Hotel California』が誕生することになりますが、今度はマイズナーがフライとヘンリーの圧力に耐えきれず、脱退。後任にはマイズナーが参加していたバンド、Pocoのベーシスト、Timothy B. Shcmit(ティモシー・B・シュミット)が参加することになります。

イーグルスの復活

時は流れ、1994年に14年ぶりのアルバム『Hell Freezes Over』をリリースし、イーグルスは復活します。ですが、このアルバムは新曲が4曲と残りはライヴレコーディングというものでした。

復活時のメンバーは1979年のアルバム『The Long Run』の時のメンバー、すなわち、フライ、ヘンリー、フェルダー、ウォルシュ、シュミットの5人でした。

そして、2000年、「バンドに対して貢献していない」との理由で、ドン・フェルダーが解雇されます。これは裁判沙汰となり、和解金が支払われたとのことですが、フェルダーがバンドに戻ることはありませんでした。

ちなみに、2004年にアニタツさんからのお誘いで、「Fairwell 1 Tour」(サヨナラツアー…一種の冗談みたいなタイトル)を東京ドームに見に行ったのですが、ドン・フェルダーの不参加はアナウンスされていたものの、このような解雇・裁判ということは日本では報道されていませんでした。

そして、2016年、グレン・フライが死去します。ついにオリジナルメンバーがドン・ヘンリーだけになったイーグルスですが、フライの息子や他のメンバーを補充し、昨年からもツアーをやっています。フライがメインヴォーカルの部分はどうするのかといったところですが。

まあ、半世紀以上のキャリアがあるので、説明が長くなりました。

それでは数は少ないですが、イーグルスを追われた3人のヴォーカル曲を取り上げてみたいと思います。

Bernie Leadon

 

つうことで、バーニー・レドンの「My Man」でした。

アルバム『On The Boarder』収録で、もちろん、作者はバーニーです。この、「My Man」とはフライング・ブリトー・ブラザース在籍時に一緒に活動していたGram Persons(グラム・パーソンズ)だといわれています。ちなみに、パーソンズはフライング・ブリトー・ブラザース脱退後の1973年に薬物の過剰摂取により死亡しています。

1998年に渋谷で萩原健太氏主宰の「カントリーロックの逆襲」というイベントを見に行った際、今や松たか子の旦那となった佐橋佳幸が「My Man」を演奏し、オリジナルよりも先に知ったものです。

さて、レドンですが、次作の『One Of These Night』で自作の「Hollywood Waltz」のヴォーカルをヘンリーに奪われるということがありました。公式のクレジットはヘンリー、フライ、バーニー、トム・レドン(バーニーの弟)ですが、ヘンリーが歌詞を作り、フライは補助的に曲のつなぎなどを担当したともいわれています。これはほとんど、「Hotel California」と一緒の手法ですね。

そして、ストレスをためていたバーニーはサーフィンに行くと称して3日間レコーディングに姿を現さなかったそうです。

さらにフライとヘンリーのねちねちとした攻撃はバーニーのギタープレイにも及び、ついに怒ったバーニーはフライの頭に飲んでいたバドワイザーをぶちまけて脱退を決めたといわれています。

Randy Meisner

 

ランディ・マイズナーの「Take It To The Limit」でした。

アルバム『One Of These Night』からの3曲目のシングルカットで、ビルボード4位。

この曲はフライとヘンリー以外のヴォーカル曲で初めてシングルのA面となった曲です作者は、マイズナー、ヘンリー、フライとなっていますが、どうしても疑問が残りますね。

彼もフライとヘンリーの横暴に泣いた人で『Hotel California』とその後のツアーには参加したものの、その直後に脱退しました。映像は1977年のもので、レコーディング時には在籍していなかったジョー・ウォルシュが映っています。

『Hotel California』では自作の「Try And Love Again」という曲はライヴでは演奏されたことはありませんでした。。そして、ウォルシュが参加したことで、さらにロック色を強めたことで、音楽性の違いを感じたことと、ツアーなどで多忙を極め、結婚生活も破綻したとのこと。

とはいえ、イーグルスの最もノリに乗っていた時代の映像が公式YouTubeチャンネルに上がっていたことが救いでしょうか。ちなみに、晩年は健康を害し、昨年お亡くなりになりました。

Don Felder

 

ドン・フェルダーの「Visions」でした。

アルバム『One Of These Night」収録で、作者はフェルダーとヘンリーです。

そして、ドン・フェルダー唯一のヴォーカル曲ですね。

彼にはイーグルスの代表曲となった「Hotel California」という曲があって、イントロからほとんどのフレーズ、そして、印象的な最終盤のギターソロの掛け合いなどを作曲し、ヘンリーが歌詞を書いたそうです。フライもクレジットには加わっていますが、曲の構成などでアイデアを出したくらいといわれています。

このクレジットですが、当初はフェルダーが最後になっていたそうで、このあたりから曲の権利などをめぐり二人と軋轢が生じていたと思われます。

フェルダーは脱退後に自伝を出すのですが、そこで明らかになったのが、ギャランティの取り分のことです。つまり、フライとヘンリーはほかのメンバーの倍額を受け取っていたとのこと。

わたしゃ、イーグルスの来日コンサートを見ているので、その時からグレン・フライは自分が前面に立たないとものすごく埋もれてしまう存在なんだなと感じておりました。ヘンリーはリード・ヴォーカルでなくてもドラムを演奏するという目立つ存在でした。歌もフライより上手いです。

特に「Hotel California」ではヘンリーの歌とフェルダーとウォルシュのギターバトルに目を奪われてしまい、フライの存在感がまるでないのです。そうしたことから主導権を握りたかったのではないか…なんてね。

音楽的キャリアも辞めた3人よりも経験が浅いのです。しかも、アメリカ流に9月入学としても1学年から2学年下の「後輩」なんですよね。まあ、あちらにはひとつやふたつは先輩も後輩もないだろうとは思いますが、リスペクトは欠けるものがあったといっていいでしょう。

昨年からイーグルスはツアーをやっていて、日本にも来るともいわれています。もはや、オリジナルメンバーはドン・ヘンリーひとり。フライも亡くなり、フライのヴォーカル曲は誰が歌うのか、それともやらないのか。ちなみに、2004年の来日時にはすでに脱退していたランディ・マイズナーの「Take It To The Limit」も演奏していたんですよね。誰が歌ったのか覚えてないのが残念ですけど。

賞味期限来ちゃってるんですかねえ。ま、そんなイーグルスですが、来日したらもう最後でしょうから、やっぱり見に行きたいです

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2024年4月 6日 (土)

浜田省吾 X 和田アキ子

かすてら音楽夜話Vol.187

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愛奴というグループを経て、ソロとしてデビューした浜省こと浜田省吾。

地道にライヴ活動を続けるものの、ヒット曲に恵まれず、ようやくオリコンチャートに入ってきたのが、この曲でした。

 

そう、日清カップヌードルのCM曲、「風を感じて」(作詞:三浦徳子 作曲:浜田省吾 編曲:水谷公生 *シングル盤のクレジット、1979年)でした。

これで、初のオリコンシングル25位を記録しております。

ただ、当時の浜省は、CMタイアップの話が持ち上がるものの、ことごとく話が没になるので、相当嫌気がさしていたみたいです。と、いうところに舞い込んだのが、カップヌードルであったとのこと。そのため、歌詞については自身で書くことを拒否し、あの三浦さんの出番となったわけです。しかし、実際には浜省自身が歌詞に手直しをして三浦さんの言葉はごくわずかであるという話も。

そればかりではないのですが、これ以外にヒット曲がなかったまま武道館ライヴを行いブレイクの兆しが表れるまでの時代をご本人は黒歴史みたいに感じることもあるようで、浜田省吾公式YouTubeチャンネルでよくぞ、この映像が取り上げられていたと思う次第です。わずか1分20秒という短さではありますが。

それでも、「風を感じて」は5枚目のアルバム『君が人生の時…』に収録されています。

さて、それ以前に収支の取れないライヴと売れないシングルという状態の浜省は、当時所属していたホリプロの歌手に曲を提供することで、生活を補っていました。と、いうか、実際にはホリプロからの給料支給で、著作権放棄という条件で曲を作っていたのだとワタクシは推測しますが、どうなんでしょうねえ。

1979年には歌手として致命的な欠陥を持つ能瀬慶子に5曲もの提供を行い、「裸足でヤングラブ」は作詞まで行うという無理を強いられました。こちらの記事は「ホリプロとハマショー」をご参照ください。

それ以前に曲を提供したのが、ゴッド姉ちゃん(当時の俗称)こと、和田アキ子でした。

 

和田アキ子、28枚目のシングル、「ダンス・ウィズ・ミー」(作詞:千家和也 作曲:浜田省吾 編曲:高田弘、1976年)でした。

おお、さすがは歌が上手い。これなら、歌唱指導もいらず、浜省はただ曲提供をするだけで、和田さんとも顔をあわす必要もありませんね。残念なことに、wikiには売り上げ枚数とかオリコン何位とかの表記がありません。でも、同タイトルのアルバムまでリリースされているので、これは浜省としてはホリプロからのかなりのプッシュがあったものを思われます。

ちなみに、和田アキ子は芸歴が長いですが、オリコン1位がなく、アルバムに至っては25位が最高なんだとか。代表曲は思い浮かびますが、その他のヒット曲となるとあまり思い浮かばないという感じですね。

こちら、アレンジがチープな感じがしますが、よーく聴くと浜田省吾のテイストが宿っております。

そして。

 

ドラマ「翔べ!必殺うらごろし」のテーマ、「愛して」(作詞作曲:浜田省吾 編曲:井上鑑、1978年)でした。

とはいえ、シングルとしてはB面で、A面は「ひとり酔い」という曲で、こちらは柳ジョージが手掛けています。和田さん、このドラマに出演していたようです。

この曲も浜田テイストが出ています。と、いうよりもタイトルを「愛を眠らせて」(1979年)と変更し、作詞も三浦徳子さんに依頼した6枚目のシングルなのですね。この時期、浜省は曲は作れるが歌詞が書けないという状況にあったとのこと。では、和田アキ子への提供は何だったんだということになりますが。まあ、提供はしたものの、納得はいってなかったんでしょうね。

ちなみに、この次のシングルが「風を感じて」となります。

和田アキ子の「愛して」ですが、いまひとつノリが悪いような。やはり、浜田省吾の曲は浜田省吾にしか歌えないのかも。

また、山口百恵や榊原郁恵にも曲を提供していますが、いずれもアルバム収録にとどまり、シングルは皆無でした。

かすてら音楽夜話では「お題」を募集しております。コメントからヒントを頂けることもありますので、よろしくお願いしますね。バナーのクリックもヨロシクでございますよ。

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