浜田省吾 X 和田アキ子
かすてら音楽夜話Vol.187
愛奴というグループを経て、ソロとしてデビューした浜省こと浜田省吾。
地道にライヴ活動を続けるものの、ヒット曲に恵まれず、ようやくオリコンチャートに入ってきたのが、この曲でした。
そう、日清カップヌードルのCM曲、「風を感じて」(作詞:三浦徳子 作曲:浜田省吾 編曲:水谷公生 *シングル盤のクレジット、1979年)でした。
これで、初のオリコンシングル25位を記録しております。
ただ、当時の浜省は、CMタイアップの話が持ち上がるものの、ことごとく話が没になるので、相当嫌気がさしていたみたいです。と、いうところに舞い込んだのが、カップヌードルであったとのこと。そのため、歌詞については自身で書くことを拒否し、あの三浦さんの出番となったわけです。しかし、実際には浜省自身が歌詞に手直しをして三浦さんの言葉はごくわずかであるという話も。
そればかりではないのですが、これ以外にヒット曲がなかったまま武道館ライヴを行いブレイクの兆しが表れるまでの時代をご本人は黒歴史みたいに感じることもあるようで、浜田省吾公式YouTubeチャンネルでよくぞ、この映像が取り上げられていたと思う次第です。わずか1分20秒という短さではありますが。
それでも、「風を感じて」は5枚目のアルバム『君が人生の時…』に収録されています。
さて、それ以前に収支の取れないライヴと売れないシングルという状態の浜省は、当時所属していたホリプロの歌手に曲を提供することで、生活を補っていました。と、いうか、実際にはホリプロからの給料支給で、著作権放棄という条件で曲を作っていたのだとワタクシは推測しますが、どうなんでしょうねえ。
1979年には歌手として致命的な欠陥を持つ能瀬慶子に5曲もの提供を行い、「裸足でヤングラブ」は作詞まで行うという無理を強いられました。こちらの記事は「ホリプロとハマショー」をご参照ください。
それ以前に曲を提供したのが、ゴッド姉ちゃん(当時の俗称)こと、和田アキ子でした。
和田アキ子、28枚目のシングル、「ダンス・ウィズ・ミー」(作詞:千家和也 作曲:浜田省吾 編曲:高田弘、1976年)でした。
おお、さすがは歌が上手い。これなら、歌唱指導もいらず、浜省はただ曲提供をするだけで、和田さんとも顔をあわす必要もありませんね。残念なことに、wikiには売り上げ枚数とかオリコン何位とかの表記がありません。でも、同タイトルのアルバムまでリリースされているので、これは浜省としてはホリプロからのかなりのプッシュがあったものを思われます。
ちなみに、和田アキ子は芸歴が長いですが、オリコン1位がなく、アルバムに至っては25位が最高なんだとか。代表曲は思い浮かびますが、その他のヒット曲となるとあまり思い浮かばないという感じですね。
こちら、アレンジがチープな感じがしますが、よーく聴くと浜田省吾のテイストが宿っております。
そして。
ドラマ「翔べ!必殺うらごろし」のテーマ、「愛して」(作詞作曲:浜田省吾 編曲:井上鑑、1978年)でした。
とはいえ、シングルとしてはB面で、A面は「ひとり酔い」という曲で、こちらは柳ジョージが手掛けています。和田さん、このドラマに出演していたようです。
この曲も浜田テイストが出ています。と、いうよりもタイトルを「愛を眠らせて」(1979年)と変更し、作詞も三浦徳子さんに依頼した6枚目のシングルなのですね。この時期、浜省は曲は作れるが歌詞が書けないという状況にあったとのこと。では、和田アキ子への提供は何だったんだということになりますが。まあ、提供はしたものの、納得はいってなかったんでしょうね。
ちなみに、この次のシングルが「風を感じて」となります。
和田アキ子の「愛して」ですが、いまひとつノリが悪いような。やはり、浜田省吾の曲は浜田省吾にしか歌えないのかも。
また、山口百恵や榊原郁恵にも曲を提供していますが、いずれもアルバム収録にとどまり、シングルは皆無でした。
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