イーグルスを追われた男たち
かすてら音楽夜話Vol.188
1971年の結成以来、途中解散をしていた時期も含めても50年以上の歴史を持つのがアメリカのロックバンド、Eagles(イーグルス)です。
母体となったのはアメリカの女性シンガー、Linda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)のバックバンドですが、ツアーではオリジナルメンバー4人がすべてそろうことはなかったようです。
さて、オリジナルメンバーの4人とは。
Grenn Frey(グレン・フライ):Vocal、Guitar、Keyboard、Backing Vocal 故人
Don Henley(ドン・ヘンリー):Vocal、Drums、Backing Vocal
Bernie Leadon(バーニー・レドン):Vocal、Guitar、Steel Guitar、Banjo、Mandolin、Backing Vocal
Randy Meisner(ランディ・マイズナー):Vocal、Bass、Backing Vocal 故人
イーグルスの二大ヴォーカリストは、フライとヘンリーになりますが、基本的に全員が曲を作り、その作者がメインのヴォーカルを担当するという民主的なバンドでした。また、そういうスタイルなので、非常にコーラスワークに長けたところがあります。
そして、ギターのレドン(以前は「リードン」と紹介されていたこともありました)は元Flying Burrito Brothers(フライング・ブリトー・ブラザース)でもあり、カントリーロックには欠かせないバンジョーやペダルスティールなども弾きこなせるマルチプレイヤーでした。
フライとヘンリーの横暴
しかし、名作ともいわれる2作目のアルバム『Desperado』(邦題『ならず者』)が商業的に失敗に終わると、次作の『On The Boarder』からはよりロック色の強い方向へシフトします。そこで、ゲスト参加したのがレドンの高校の同窓でレドンとバンドを組んだこともある、Don Felder(ドン・フェルダー、Vocal、Guitar、Banjo、Keyboard、Backing Vocal)を呼び、そのままフェルダーはイーグルスに参加することになります。
4作目の『One Of These Night』(邦題『呪われた夜』)は成功をおさめ、アルバムはビルボードで初の1位を獲得し、タイトル曲はビルボード1位となり、他のシングル、「Lyin' Eyes」(邦題「いつわりの瞳」)は2位、「Take It To The Limit」は4位となり、アメリカを代表するバンドになったのです。
ところが、このあたりからバンドの主導権をフライとヘンリーが握り始め、ツアーへのストレスからバンド内ではドラッグの影響が漂い始めます。そして、ついに、バーニー・レドンが脱退。
後任にはJames Gang(ジェイムス・ギャング)というバンドにいたギタリスト、Joe Walsh(ジョー・ウォルシュ、Vocal、Guitar、Keyboard、Backing Vocal)が参加します。
そして、名作『Hotel California』が誕生することになりますが、今度はマイズナーがフライとヘンリーの圧力に耐えきれず、脱退。後任にはマイズナーが参加していたバンド、Pocoのベーシスト、Timothy B. Shcmit(ティモシー・B・シュミット)が参加することになります。
イーグルスの復活
時は流れ、1994年に14年ぶりのアルバム『Hell Freezes Over』をリリースし、イーグルスは復活します。ですが、このアルバムは新曲が4曲と残りはライヴレコーディングというものでした。
復活時のメンバーは1979年のアルバム『The Long Run』の時のメンバー、すなわち、フライ、ヘンリー、フェルダー、ウォルシュ、シュミットの5人でした。
そして、2000年、「バンドに対して貢献していない」との理由で、ドン・フェルダーが解雇されます。これは裁判沙汰となり、和解金が支払われたとのことですが、フェルダーがバンドに戻ることはありませんでした。
ちなみに、2004年にアニタツさんからのお誘いで、「Fairwell 1 Tour」(サヨナラツアー…一種の冗談みたいなタイトル)を東京ドームに見に行ったのですが、ドン・フェルダーの不参加はアナウンスされていたものの、このような解雇・裁判ということは日本では報道されていませんでした。
そして、2016年、グレン・フライが死去します。ついにオリジナルメンバーがドン・ヘンリーだけになったイーグルスですが、フライの息子や他のメンバーを補充し、昨年からもツアーをやっています。フライがメインヴォーカルの部分はどうするのかといったところですが。
まあ、半世紀以上のキャリアがあるので、説明が長くなりました。
それでは数は少ないですが、イーグルスを追われた3人のヴォーカル曲を取り上げてみたいと思います。
Bernie Leadon
つうことで、バーニー・レドンの「My Man」でした。
アルバム『On The Boarder』収録で、もちろん、作者はバーニーです。この、「My Man」とはフライング・ブリトー・ブラザース在籍時に一緒に活動していたGram Persons(グラム・パーソンズ)だといわれています。ちなみに、パーソンズはフライング・ブリトー・ブラザース脱退後の1973年に薬物の過剰摂取により死亡しています。
1998年に渋谷で萩原健太氏主宰の「カントリーロックの逆襲」というイベントを見に行った際、今や松たか子の旦那となった佐橋佳幸が「My Man」を演奏し、オリジナルよりも先に知ったものです。
さて、レドンですが、次作の『One Of These Night』で自作の「Hollywood Waltz」のヴォーカルをヘンリーに奪われるということがありました。公式のクレジットはヘンリー、フライ、バーニー、トム・レドン(バーニーの弟)ですが、ヘンリーが歌詞を作り、フライは補助的に曲のつなぎなどを担当したともいわれています。これはほとんど、「Hotel California」と一緒の手法ですね。
そして、ストレスをためていたバーニーはサーフィンに行くと称して3日間レコーディングに姿を現さなかったそうです。
さらにフライとヘンリーのねちねちとした攻撃はバーニーのギタープレイにも及び、ついに怒ったバーニーはフライの頭に飲んでいたバドワイザーをぶちまけて脱退を決めたといわれています。
Randy Meisner
ランディ・マイズナーの「Take It To The Limit」でした。
アルバム『One Of These Night』からの3曲目のシングルカットで、ビルボード4位。
この曲はフライとヘンリー以外のヴォーカル曲で初めてシングルのA面となった曲です作者は、マイズナー、ヘンリー、フライとなっていますが、どうしても疑問が残りますね。
彼もフライとヘンリーの横暴に泣いた人で『Hotel California』とその後のツアーには参加したものの、その直後に脱退しました。映像は1977年のもので、レコーディング時には在籍していなかったジョー・ウォルシュが映っています。
『Hotel California』では自作の「Try And Love Again」という曲はライヴでは演奏されたことはありませんでした。。そして、ウォルシュが参加したことで、さらにロック色を強めたことで、音楽性の違いを感じたことと、ツアーなどで多忙を極め、結婚生活も破綻したとのこと。
とはいえ、イーグルスの最もノリに乗っていた時代の映像が公式YouTubeチャンネルに上がっていたことが救いでしょうか。ちなみに、晩年は健康を害し、昨年お亡くなりになりました。
Don Felder
ドン・フェルダーの「Visions」でした。
アルバム『One Of These Night」収録で、作者はフェルダーとヘンリーです。
そして、ドン・フェルダー唯一のヴォーカル曲ですね。
彼にはイーグルスの代表曲となった「Hotel California」という曲があって、イントロからほとんどのフレーズ、そして、印象的な最終盤のギターソロの掛け合いなどを作曲し、ヘンリーが歌詞を書いたそうです。フライもクレジットには加わっていますが、曲の構成などでアイデアを出したくらいといわれています。
このクレジットですが、当初はフェルダーが最後になっていたそうで、このあたりから曲の権利などをめぐり二人と軋轢が生じていたと思われます。
フェルダーは脱退後に自伝を出すのですが、そこで明らかになったのが、ギャランティの取り分のことです。つまり、フライとヘンリーはほかのメンバーの倍額を受け取っていたとのこと。
わたしゃ、イーグルスの来日コンサートを見ているので、その時からグレン・フライは自分が前面に立たないとものすごく埋もれてしまう存在なんだなと感じておりました。ヘンリーはリード・ヴォーカルでなくてもドラムを演奏するという目立つ存在でした。歌もフライより上手いです。
特に「Hotel California」ではヘンリーの歌とフェルダーとウォルシュのギターバトルに目を奪われてしまい、フライの存在感がまるでないのです。そうしたことから主導権を握りたかったのではないか…なんてね。
音楽的キャリアも辞めた3人よりも経験が浅いのです。しかも、アメリカ流に9月入学としても1学年から2学年下の「後輩」なんですよね。まあ、あちらにはひとつやふたつは先輩も後輩もないだろうとは思いますが、リスペクトは欠けるものがあったといっていいでしょう。
昨年からイーグルスはツアーをやっていて、日本にも来るともいわれています。もはや、オリジナルメンバーはドン・ヘンリーひとり。フライも亡くなり、フライのヴォーカル曲は誰が歌うのか、それともやらないのか。ちなみに、2004年の来日時にはすでに脱退していたランディ・マイズナーの「Take It To The Limit」も演奏していたんですよね。誰が歌ったのか覚えてないのが残念ですけど。
賞味期限来ちゃってるんですかねえ。ま、そんなイーグルスですが、来日したらもう最後でしょうから、やっぱり見に行きたいです
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コメント
来日公演懐かしいですね。イーグルス、息の長いバンドですね。メンバーチェンジをしても、演奏やコーラスなどのクォリティを維持しているのはさすがです。息子のディーコン・フライが登場したときは、ちょっとびっくりしました。父親ゆずりの歌声で存在感を示していたのですが、脱退してしまったようです。残念です。来日公演、実現してもらいたいですね。
投稿: アニタツ | 2024年4月15日 (月) 17時21分
アニタツさん
その節はお世話になりました。
どういうことか、英語版のwikiではディーコン・フライは在籍になってます。
違法アップロードの今年のツアーのYouTubeではグレン・フライの位置にいるロン毛がディーコン・フライっぽいです。
来日すっかなあ?
投稿: ヒョウちゃん | 2024年4月15日 (月) 20時54分