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2025年1月 4日 (土)

主導権争いののちグループ追放

かすてら音楽夜話Vol.202

A Happy New Year, 2025

例年ならば、本年の抱負などをつらつら述べておりましたが、音楽系ブログに本格移行いたしましたので、それはありません。少しでも、心地いい音楽をたくさん聴いて身も心もハッピーになる、そんなブログを目指したいでございます。

さて、今回のお題ですが、表題の通り、グループの主導権争いの話です。

Styxというアメリカのロックバンドがあります。

Ms0041

デビューは古く、1972年です。オリジナルメンバーはDennis DeYoung(デニス・デヤング、キーボード、ヴォーカル、画像の左上)、John Panozzo(ジョン・パノッツォ、ドラム、故人、画像の右下ヒゲなし)、Chuck Panozzo(チャック・パノッツォ、ベース、画像の右下ヒゲあり)、John Curulewski(ジョン・クルレフスキー、ギター、ヴォーカル、故人)、James "JY" Young(ジェームス・JY・ヤング、ギター、ヴォーカル、画像の右上)の5人でした。

元々はパノッツォ兄弟(二卵性双生児)と隣人のデニスが組んでいたバンドが母体で、そこに大学時代の知り合い、クルレフスキーが加わり、さらにJYが加わりました。当初はプログレッシブロックの色合いが強く、大きなヒットも生まれませんでしたが、「Lady」がリリースから2年たってチャートを上がり始め、大手のA&Mに移籍します。5枚のアルバムを出したところで、クルレフスキーが家庭事情により脱退することになり、急遽ギタリストのオーディションを行い、向かい入れられたのがTommy Shaw(トミー・ショウ、ギター、ヴォーカル、画像の左下)で、この5人体制がStyxの最盛期であったといえます。

トミーの加入後、アルバムはヒットを続けますが、音楽性は大きく変わってきてどちらかというと大衆が好むような曲が多くなります。評論家の渋谷陽一がいう、「産業ロック」とも揶揄されますね。

お断りすると、渋谷氏のお好みはLed Zeppelinであるので、Styxは真逆のバンドといえます。

そして、1979年にリリースした9枚目のアルバム『Cornerstone』がビルボード2位、デニスの歌う「Babe」が1位を獲得します。グループ唯一のナンバーワンヒットです。

 

映像はライヴのように見えますが、オリジナル音源に歓声をかぶせたものですね。オフィシャルビデオとなっていますので、プロモーション的に使われたものと思われます。

この頃のStyxは前に出ている3人(デニス、トミー、JY)のコーラスワークもなかなかのものでした。

 

一方、こちらはトミーの曲で「Boat On The River」ですが、なんとアメリカではシングルカットされていません。なお、ドイツではチャート5位を記録していて、ヨーロッパ圏では人気のある曲でした。

この頃のStyxのアルバムではデニスが書き、歌う曲が60%。40%はトミーやJYの書いた曲、あるいは二人以上の共作といった構成でした。あくまでも、バンドの顔はデニスでした。

そして、1981年にリリースした10枚目のアルバム『Paradise Theatre』がついにチャート1位を獲得し、彼らの人気は絶頂に達したと思います。

 

デニスの曲で「The Best Of Times」。ビルボードでは3位のヒット曲です。

一方、『Parasise Theatre』ではトミーの曲もシングルカットされ、Styx在籍時のトミーの最大のヒットとなったのがこちら。

 

「Too Much Time On My Hand」でした。ビルボードで9位を記録しています。

また、このアルバムからは4枚のシングルカットが生まれました。そして、アルバム『Paradise Theatre』はシカゴにあったとされる架空の劇場(パラダイス・シアター)の開館(1928年)から閉館(1958年)までという架空の期間に沿って作られたコンセプトアルバムでした。

いやー、ここで終わっておけばよかったんですけどね。

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1983年、11枚目のアルバムとして『Kilroy Was Here』(邦題『ミスター・ロボット』)がリリースされます。

アルバムはビルボード3位のプラチナ認定を受けています。ちなみに、前の2枚はトリプルプラチナ認定です。この期間、Styxがいかに売れたかがわかるでしょう。

アルバムからシングルが3枚リリースされますが、それぞれ3位、6位、48位を記録します。ですが、これらはすべてデニスの曲でした。

 

曲は「Mr. Roboto」でした。ビルボード3位です。

こちら、日本語も歌詞に出てきて、ロボットの表情もどこか大仏をほうふつとさせるデザインです。お辞儀もしたりしますし。

この『Kilroy Was Here』はプロモーション映像から想像できますが、前作『Paradise Theatre』以上のコンセプトアルバムなんです。いや、むしろ、オペラ仕立てといってもよいもの。

ロックの禁止された世界で投獄されたロックスター、キルロイをデニスが演じ、この世界に反発する若いミュージシャンをトミーが演じます。キルロイを投獄したのがJY演じる博士といった具合でした。キルロイはロボットに変装して脱獄、ロックの復権を目指すというものです。

なんと、このアルバムのツアーでは実際にステージでもこの演劇を行っていたそうで。いよいよ、デニスとトミー、JYとの対立が始まり、バンドは一時解散します。

Styxは1990年に再結成しますが、トミーがDamn Yankees(ダム・ヤンキース)に所属していて不参加となります。この活動は短期間に終わりました。1995年にトミーも復帰します。このころ、ドラムのジョンが過度の飲酒による不調で参加が難しくなり翌年亡くなります。また、ベースのチャックもHIVによる影響で活動が制限されツアーではほぼ演奏できなくなっていきます(ただし、現在もメンバーではあります)。そして、1999年に『Brave New World』というアルバムをリリースしますが、デニスがインフルエンザなどによる体調の不良でその後のツアーへ参加できなくなったことから、ついにバンドから解雇されます。

Styxの解散時にデニスは俳優業にも進出していたんですね。やはり、トミーとJYとの間の音楽性の溝はついに埋められませんでした。こうしてパノッツォ兄弟とデニスの作ったバンドからは後から来たメンバーが乗っ取るような形になったのです。

その後のStyxとデニスは相いれることはなく、それぞれ大きなヒットもなくなりますが、活動はそれぞれ継続しています。

Doobie Brothers(ドゥービーブラザース)なんかもオリジナルメンバーのTom Johnston(トム・ジョンストン)が病気で一時脱退後にMicheal McDonald(マイケル・マクドナルド)が加入して音楽性を変えて復活しましたが、ドゥービーはメンバーの移動が激しいバンドで、その後、マクドナルドがいなくなったり、ジョンストンが復帰したりで、一貫してバンドに残っているのはPatric Simons(パトリック・シモンズ)だけだったりします。でも、彼らもやりたい音楽をそのまま継続しているだけで、その後の大きなヒットはありませんね。

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コメント

新年にスティックスを取り上げて頂けるとは、嬉しいですね。ツインボーカルというイメージだったのですが。トミー・ショウは、見た目はベビーフェイスですが、実はヒールだったんですね(笑)スティックスというとなぜかイメージが重なる、クリスタルキング。こちらも内部騒動がありました。英雄並び立たず、でしょうか。

投稿: アニタツ | 2025年1月 7日 (火) 18時00分

アニタツさん

この記事はずっと以前から書きたかったものでした。
満を持して新年に持ってきました。

トミー・ショウというと来日時にBest Hit USAで三味線を弾いたという記憶があります。
いい人なんでしょうけどね。
近年の映像ではタトゥーまで入れてしまって、あの好青年という印象はなくなります。
これだから、ガイジンさんはよー、と思いますよ。

投稿: ヒョウちゃん | 2025年1月 7日 (火) 21時40分

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