燃える男
かすてら音楽夜話Vol.209
今朝、長嶋茂雄氏がお亡くなりになりました。
不肖わしも少年野球(軟式)をちょこっとやってまして、少年たちの憧れといえば、この人だったわけです。当時長嶋氏と並び立つ王貞治氏という存在があったわけですが、生涯成績で打率を除いて王氏が圧倒していたわけですけど、野球選手として魅力があったのはやっぱり長嶋茂雄でしたねえ。
後楽園球場(当時)に連れて行ってもらったこともあり、2試合くらいナイターを観戦したこともあります。その時、長嶋氏はホームランを打てず、ヒットはあったかな。
1974年、長嶋氏は引退することになりますが、最終戦、ダブルヘッダーのドラゴンズとの第一試合で、ホームランをかっ飛ばすという台本にはないことをやってのけます。そして、「巨人軍は永久に不滅です」の名文句が出るわけです。
そして、翌年からジャイアンツの監督となり、1975年はまさかの最下位。しかし、1976、1977年とセリーグを連覇。しかし、その後は低迷して1980年に監督解任となりました。
この時、わが大学(立教ではないです)の一般教養、法学の授業で担当教授が長嶋氏への思いを熱弁し、まともな授業にならず、長嶋論で終わってしまったということもありました。
ま、その後の長嶋氏の経歴は省略させてもらいます。
ちなみにわしの卒業後の話ですが、ゼミ仲間と大学ラグビーの観戦帰りに渋谷に近い某ビルにあるバーで飲んでいたら、隣のボックスでどこか見覚えのある声と顔が。当時、六大学野球で立教旋風が起きていたころのことで、その人物は長嶋一茂氏であったのでした。一応ドラフトの目玉だったんですね。余談でした。
長嶋語録、長嶋語など、独特の言い回しもあり、モノマネの対象にされるなど、なかなかに魅力的な人物であったことは間違いありません。
こういう人物、おそらく今後野球界には現れることはないでしょう。あの大谷だってこうはなれないよ。
つうことで、ちょっと長くなりましたが、このような人物であるからこそ、歌にもなるんです。これ以上はああだこうだいわず、2曲ほどを聴いていただきましょうか。
思いっきりベタではありますが、1959年9月リリースのシングル、石原裕次郎「男の友情・背番号3」(作詞:大高ひさを 作曲:上原賢六 編曲:塩瀬重雄)でした。
近年ではこのような曲も。
サザンの「栄光の男」でした。
他に、明らかに長嶋氏が出てくるわけではありませんが、馬場俊英に「人生という名の列車」という曲があり、「♪あこがれたのは帽子のYGマーク」という一節も。
テイストはずいぶんとバタ臭くなってはおりますが、浜田省吾の「Basball Kid's Rock」で故人を忍ぶことにしましょうかね。ちなみに、浜省はカープファンみたいですが、野球少年だったので長嶋氏のことはさんざん見ているはず。
またひとり、「昭和」を代表するひとりが星になられました。ご冥福をお祈りいたします。
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