キャロラインとかキャンディとか
かすてら音楽夜話Vol.210
ほとんど月イチ状態となってきました、「かすてら音楽夜話」ですが、ブログ別館でこの3~4月に行ってきた旅レポを連載してますので、どうかご理解ください。
さて、今回は「Cから始まる人名の曲」です。候補はいっぱいあります。
1969年のNeil Diamond
こちら、Neil Diamond(ニール・ダイヤモンド)の「Sweet Caroline」という曲です。1969年リリースで、ビルボード4位になった、ニール・ダイヤモンドの初のビッグヒットですね。
ニール・ダイヤモンド(1941年生まれ)はニューヨーク出身で、ユダヤ人の家庭に生まれ、1960年代から活動してきたシンガーソングライターです。
YouTubeの映像は2012年のもので、この時すでに70歳を超えております。この映像ではマイクを持って歌っているだけですが、もちろんギターを弾いて歌いますし、在米ユダヤ人をモチーフにした映画「The Jazz Singer」にも主演するという、いわばアメリカのスーパースターのひとりであります。11曲をTop10に送り込み、うち3曲がビルボード1位です。
さて、ニューヨークのユダヤ人ですが、音楽での成功者がかなり多いです。古くはキャロル・キング(彼女のことをモチーフにした「Oh! Carol」という曲もあり、作者はやはりユダヤ系であるニール・セダカでした)、サイモン&ガーファンクルの二人、ビリー・ジョエル、KISSのポール・スタンレーなどなど。
そして、「Sweet Caroline」のキャロラインさんですが、実在人物で、あのJFKの娘でオバマ政権下で駐日大使を務めたキャロライン・ケネディ氏なのだそうです。
アメリカとユダヤ人といいますと、現在の大統領がやたらとイスラエル寄りの姿勢を見せているのですが、ニューヨーク出身の音楽家たちはニール・ダイヤモンドのように、どちらかというと民主党寄りのリベラル派が多いのですね。そして、この曲は当時11歳であったキャロラインさんに触発されて作られましたが、2007年のキャロラインさんの50歳の誕生パーティでも、ニール・ダイヤモンドがこの曲を披露したとのこと。
ビルボードでは4位でしたが、ニール・ダイヤモンド自身初のTop10ヒットでもあり、映像では観客が曲に合わせて歌うなど、アメリカの高齢者にはかなり親しまれている曲なのだと思います。
ところで、この曲を探していると、なんと今でもニール・ダイヤモンドはツアーを行う予定だそうで、同じダイヤモンドでも田所豊さん(ダイヤモンド☆ユカイ)以上の活動を行っていますねえ。
1972年のGilbert O'Sullivan
こちら、Gilbert O'Sullivan(ギルバート・オサリバン)の「Clair」という曲で、1972年のリリースで、ビルボード2位、イギリスのチャートでは1位になっています。
ギルバート・オサリバン(1946年生まれ)はアイルランド人で、のちにイギリスに移住し、シンガーソングライターになりました。本名はギルバートではありませんが、劇作家コンビであるギルバート&サリバンにちなんで名乗った芸名ということになります。
彼自身の活動は1967年から始まっていますが、アルバムリリースは1971年から。それまでの実績というものがほとんどありませんでしたが、ファーストアルバム『Himself』はアメリカでもリリースされ、いきなり9位になります。その後のアルバムは1972年の『Back To Front』が48位、1973年の『I'm A Writer, Not A Finger』が101位と低空飛行に沈みましたが、イギリスではそれぞれ5位、1位、2位という具合に売れました。
むしろ、1972年の「Alone Again(Naturally)」(アルバム未収録)が中断はあったもののビルボード1位を6週獲得し、この「Clair」につながっています。ちなみに、「Alone Again(Naturally)」はイギリスでは3位でした。1972年のビルボード年間チャートでは2位です。
さて、「Clair」ですが、曲の終わりに子供の笑い声が入っています。このことで、クレアという人が幼い少女であることがわかるのですが、オサリバン自身は曲の着想を友人のベビーシッターから受け取ったと話していて、笑い声の人物はプロデューサーであり、ハーモニカ演奏をしているゴードン・ミルズの当時3歳の娘だそうです。
どこか哀愁を感じさせる曲調、詞の内容から「Alone Again(Naturally)」を彷彿とさますね。
「Alone Again(Naturally)」もまた、”両親が亡くなってたったひとりになってしまった…”というものですので、非常に哀愁に満ちた曲であります。ただし、オサリバン自身に起こったことではなく、あくまでも曲の上のフィクションですが。それにしても、こうした曲を当時のアメリカ人が受け入れたというのもまた、面白いです。
1977年のBob Welch
さて、今度はシングルにはなっていない曲から。
1977年リリースのBob Welch(ボブ・ウェルチ)のアルバム『French Kiss』収録の9曲目(B面3曲目)、「Carolene」です。
元々、このアルバムはボブ・ウェルチが活動していたParisというスリーピースバンドの3枚目となる予定でしたが、ウェルチ以外のメンバーがバンド活動を継続できなくなったため、急遽ウェルチのソロデビューアルバムとしてリリースされました。
アルバムは12位にチャートインし、プラチナム認定され、ウェルチのキャリアで最も成功したアルバムです。しかも、「Sentimental Lady」(ビルボード8位、Fleetwood Mac時代のリメイク)、「Ebony Eyes」(14位)、「Hot Love, Cold World」(31位)と3枚のシングルもヒットしました。
Fleetwood Mac(フリートウッドマック)のヴォーカリストでこれ以上の成功を収めたのは女性シンガーのSteivie Nicks(スティービー・ニックス)だけで、ウェルチの後任であり、マックの顔ともいえる、Lindsey Buckingham(リンジー・バッキンガム)でさえ、ソロではこれほどの成功を果たせませんでした。
ウェルチのマック時代、セールス的に売れなかったのはひとえに、ウェルチのオタク風な雰囲気がアメリカにそぐわなかったのでしょうかね。ちなみに、フリートウッドマックはイギリスのバンドで、ボブ・ウェルチは初めてのアメリカ人メンバーです。そして、ウェルチの加入により、それまでのブルースバンドからポップな方向にシフトし、現在のフリートウッドマックにつながっていくのですが、ウェルチの登場は早すぎたのでしょうか。ま、リンジーとスティービーの加入も大きかったわけですが、間違いなくウェルチがもたらしたものが現在のフリートウッドマックの基になっているのだと思います。
さて、フリートウッドマックとウェルチの関係性はウェルチの脱退後も良好で、ウェルチの公演にもドラムのMick Fleetwood(ミック・フリートウッド)、コーラスとしてスティービーが参加するというものでした。『French Kiss』や次の『Three Hearts』にも、マックのメンバーが参加しているほどでした。
そして、フリートウッドマックはロックの殿堂入りを果たすわけですが、ボブ・ウェルチは除外されてしまいました。そして、2012年に自ら命を絶ってしまいます。これは彼の脊椎の病気のためと伝えられています。
日本のCandy
まあ、有名なところでは原田真二の「キャンディ」があるのですが、個人的には杉ちゃま(スギちゃんではありません、杉真理)の「Oh Candy」(作詞作曲編曲:杉真理 ストリングスアレンジ:大谷和夫)を推したいです。
最後まで聴くとわかるのですが、アウトロがギルバート・オサリバンの「Clair」と同じで、杉さんが彼をオマージュあるいはリスペクトしていることがわかりますね。
この曲はアルバム『Stargazer』(1983年)収録で、シングルカットはされていません。杉さんも日本のロック・ポップスの男性シンガーとしてはかなり微妙な立ち位置の人で、結果的には売れませんでしたが、いい曲を書いていますし、B面扱いだったり、単なるアルバム収録の数合わせ的な曲提供も多いものの、光るものを見せていますね。例:竹内まりや(大学の後輩)「Hold On」、「磁気嵐」、石川さゆり「ウイスキーがお好きでしょ」、Hi Fi Set「素直になりたい」などなど。
さて、久しぶりということもあって今回は長文となりました。果たして、次の更新はいつになるでしょうか。予定では「Dから始まる人名の曲」でしょうかね。リクエストもお待ちしてます。バナークリックもよろしくお願いしますね。
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