初期の馬場俊英は詰めが甘いがいい感じ
かすてら音楽夜話Vol.212
月1更新を目指すCafe de Castellaでございます。カメの歩みっすね。
さて、今回はミケポスカフェで行われた音楽談義の続きから。
今回取り上げるのはこの人、馬場俊英でございます。
ざっと、彼の経歴をば。
1967年3月生まれ。と、いうことは同学年に宮本浩次、斉藤和義、トータス松本、スガシカオらがいますが、デビューはぐっと遅く、1996年になります。契約はフォーライフでした。
アルバム『もうすぐゴング』(1997年)、『Down The River』(1998年)、『Over The Mountain』(1998年)とシングル7枚をリリースしますが、そこでフォーライフとの契約終了。
その後、インディーズに転じ、自主製作アルバム3枚をリリース後、2005年にフォーライフと再契約し、2007年の紅白歌合戦に初出場。
2008年、ワーナーに移籍。
2016年、ドリーミュージック移籍。現在に至る。
補足させてもらいますと、デビュー前はSon's Train(サンズトレイン)というインディーズバンドに在籍し、1989年11月4日に「三宅裕司のいかすバンド天国」(イカ天)に出場し、「雨にうたれていることを」という曲を演奏し、完奏しております。この時の(仮)イカ天Kingがカブキロックスで、挑戦者がサイバーニュウニュウでした。Son's Trainに関しては、受賞はなし。ゲスト審査員のつみきみほのコメントで、「歌はうまいと思ったけど、そこまで個性はないみたい」と評されております。
この映像なんですけどね、数年前にはYouTubeに上がっていたんですがね。現在は削除されてしまいました。
ま、この時からデビューまで7年かかっているんです。同じようにスガシカオもサラリーマンをやりながらデビューの機会をうかがっていたんですけどね。スガシカオの場合、タワーレコードのレーベルでインディーズデビュー後、無事にKITTYと契約し、事務所もオフィスオーガスタに所属し、メジャーデビュー後はラジオのヘビーローテーションになったり、「夜空ノムコウ」がSMAPに取り上げられたりと、一気に「ヒットチャートを駆け抜けろ」だったのでございます。
一方、馬場俊英のデビュー前は、ソロで地道に活動しつつ、佐藤聖子という人のライターをやっていたようです。wikiによれば、森口博子の「HOME TOWN」という曲の作曲もやってますね。
さて、ここまで長くかかりましたが、今回取り上げるのはデビューから3作目までの馬場俊英についてです。なんと、アルバム3枚、シングル7枚ともオリコンチャート圏外です。
馬場俊英を紹介してもらったのは、すでに末期に入っていたNiftyserve(現在の@nifty)のパソコン通信、音楽フォーラム(FBEAT)で知り合った方から。いいと感じた楽曲をお互いにMDなどに録音して送り付けるなんてことをやっていたのですが、その中に馬場俊英の曲が入っていたのです。
ちなみに、その方もワタクシが松原みきの良さを力説するもので、みきさんの全アルバムを中古屋でゲットする羽目になりました。神戸のJuntyさん、元気ですかあ~?
アルバム『もうすぐゴング』より
曲は3枚目のシングル、「明日はどっちだ」(作詞作曲:馬場俊英 編曲:水島康貴・馬場俊英)でした。
このアルバムはどちらかというと、バラード曲が多いのですが、テンポ早いのややロック調の曲です。
ちなみに、アルバムでは馬場俊英はヴォーカルとバックヴォーカルのみに専念していて、楽器はスタジオミュージシャンに委ねていますが、その面々がかなりのもの。ギター、松原正樹(「恋をするなら~ムーンライト ランデブー」のみ馬場俊英も担当)。ベース、伊藤広規、長岡道夫(SHOGUNのミッチー長岡)、小松秀行(かつて古内東子のサウンドプロデューサー)。ドラムス、青山純、島村英二、佐野康夫。などなど。
ちなみに、イントロの印象的なギターソロは、今堀恒夫という人が担当しています。
こちらは、シングルになっていない、「”優しい雨のように”を覚えていますか?」(作詞作曲:馬場俊英 編曲:松原正樹)です。
印象的なスティールギターははちみつぱいの駒沢裕城で、コーラスに佐藤聖子も参加しています。この曲、馬場俊英の特徴というか、乗ってくると発音がややあいまいになるところがあって、サビの「♪鳴りやまぬ雨音~」の青い文字の部分、「アマボート」に聴こえますね。前半、イントロ直後の「♪ゆっくりと針を~」もそうかな。
ま、これくらいはいいすかね。個性だから。ちなみに正確なタイトル表記は…「優しい雨のように」を覚えてますか? と、なります。ちなみに、このアルバムにはセルフライナーノートのようなものが付いていて、「優しい雨のように」という曲はThe Bandのアルバム『Islands』の「Right As Rain」という曲ですね。このあたり、馬場俊英のルーツ的なものが見えるかも。
さて、デビューシングルから約1年を要してリリースされたアルバム。これを用意周到というのかどうか。アルバム発売までに3枚のシングルをリリースしているので、その中にアルバム未収録曲もひとつありますが、5曲がアルバムにも収録され、そのうち2曲をアルバム用にMixしなおしてます。また、セカンドシングルの「100倍の微笑み」は実質的に木原龍太郎がプロデュースしたものといえましょう。
例のセルフライナーノートによると、デビュー前に10曲入りのデモテープをせっせと作り、いろいろなところに送り付けていたそうですから、かなりの曲のストックがあったことでしょう。その中でも、フォーライフ側主導で、売れそうな曲を取りそろえたというのがこのアルバムでしょう。
ただ、馬場俊英が目指していた方向と一致していたものかは微妙にずれがあったと思います。
アルバム『Down The River』より
全8曲入りのセカンドアルバムです。作詞、作曲、編曲ともすべて馬場俊英によるものです。
「ティラノサウルスの恋」(Horn Arrangement:馬場俊英・金子サスケ)。5枚目のシングルです。
アルバム中唯一ブラスセクションを入れた曲で、アレンジャーのひとり、金子サスケ氏はサックスプレイヤーです。ブラスは、サックス、トランペット、トロンボーンの3人編成で、個人的にはどことなくChicagoの初期がフィードバックしてくるような曲調です。一応、馬場俊英は全曲アレンジになってはいるのですが、デビュー2年目で京平さんや林哲司氏のように緻密に譜面で指示するというわけでもなさそうです。
正直なところ、クレジットに名前が載っていても印税が発生するわけでもなく、とりあえずは名前を載せておこうといった感じなんじゃないかと推測しますが。実際のところ、Co-produceともクレジットされている浦田恵司氏(プログラマー)あたりが、まとめたものかと。彼が、共同アレンジに関わった曲については、「Sound Architect」というクレジットが記されています。
「♪パソコンも無い Handy Phoneも無い テレビは映像(いろ)を失(な)くす」という歌詞はかつての実生活であったことかもしれません。1998年という時点ではPCもケータイもないという人はかなりおりました。とはいえ、この歌詞、斉藤和義の「ジユウニナリタイ」(1997年)の中にある「♪携帯電話はだから欲しくない」に先んじられているのですね。
とはいえ、わたしゃ、この曲のノリがかなり好きです。
「高速道路」。こちらも、推測するに馬場俊英のかなり昔の曲だと思います。
歌詞の「♪カセットももうあきてよ」なんてところ、カセットプレイヤー搭載のクルマが1998年当時メインストリームであったか。すでにMDが登場している時代ですね。CDチェンジャーもあったよな。また、歌詞が出身の寄居あたりの方言なんでしょうか。「♪お前も俺もこうなんか また違う感じでよ」と続きます。
思うに、ギター1本での弾き語り、つまり馬場俊英がアマチュア時代にずっとやっていたことを発展させて、バックの音を足していったような仕上がりですね。ここでのアレンジは馬場俊英単独です。
スローバラードではありますが、ロードムービー的な佳曲であります。
後半のコーラス、馬場俊英一人の多重録音ですが、「Ooh Baby Baby」のリフレイン、これがモロThe Miracles(ミラクルズ、モータウンの看板グループで、作者のスモーキー・ロビンソンもメンバーの一人)の「Ooh Baby Baby」(1965年)あるいは1978年のLinda Ronstadtの同曲のカバーそのもの。
実はこのアルバムにはすべて英語の副題がついてまして、「高速道路」は「Ooh Baby Baby」なのでございました。ちょっとねえ、このあたりだけもうちょっと慎重に作れなかったのかなという気はします。
でも、わたしゃ好みの曲です。
「愛する」(編曲:馬場俊英・浦田恵司)。6枚目のシングルです。
パソ通で送ってもらったのがこの曲でした。ひとえに、名曲といえます。もう、カラオケで自己陶酔したいときに歌うような曲。あるいは、歌に自信がある人が結婚式で新郎新婦に送るような曲ですわ。
8曲中7曲目になりますが、その次の「ミセス・ユー」という曲が続きまして、ここで愛をぶちまけたものの、結局はお相手は誰かの「ミセス」になっちまったというのは勘ぐりすぎなんでしょうか。
ともあれ、約30分に凝縮された佳曲が並ぶアルバムです。個人的には初期の三部作の中では一番自宅で回っているアルバムであります。
アルバム『Over The Mountain』より
これまた、全9曲入り(うちボーナストラック1曲)で、全曲を馬場俊英が作詞、作曲、編曲を手掛けてます。うち、共同アレンジが2曲あります。
そして、前作『Down The River』を5月にリリースして、同年の12月にリリースしたのがこのアルバムになります。何をそんなに急いでいたのでしょうか。
「汗(ミチ改め)~あの事件(ヤマ)越えて」でした。シングルにはなっておりません。
おそらく、初期の三部作の中で最もスピード感のある曲です。そして、バンドサウンド。Son's Train時代にやりたかったような曲なのかも。
そして、バックコーラスが馬場俊英以外、ギターの首藤高広氏、ベースの金森佳朗氏、ドラムの石川英一氏に加え、柴草玲氏が加わってます。佐藤聖子以外の人物がコーラスに起用されるのも初めてですし、柴草玲氏(女性キーボーディスト)はこのアルバムでもかなり顔を出すことになります。
「♪肴ならあぶったイカでいい」というのはかなり安直ですよね。八代亜紀かよ。このあたりも詰めが甘いんだよな。
でも、ここで紹介しているということは、やっぱりワタクシの好みなんですね。
「イヌとフリスビー」でした。こちらも、シングルになっておりません。と、いうか、全2作のアルバムからは3作ずつのシングルがリリースされていますが、このアルバムからは「どんなときだって幸せをさがしていた」という曲の1枚のみなんです。
この曲はまったくスピード感とは無縁で、草むらに寝っ転がって様々な思いを巡らせているようなことが綴られています。ましてや、大衆音楽の常道、「恋愛」「恋人」とも無縁で、強い主張もありません。
でも、この力抜け具合がいいと思います。
『Over The Mountain』ですが、シングルが1枚のみ。ですが、馬場俊英が一番やりたい音楽を自分の主導権を持って表現したかったアルバムだったのではないでしょうか。
『もうすぐゴング』では、会社側に主導権を握られ、おそらく馬場俊英の個性がだいぶ抑えられたものを、『Down The River』ではかなり馬場俊英が主導権を握るようにはなったものの、まだまだと思って、短期間で思いっきりやりたいことをぶつけたのが『Over The Mountain』だったのではないでしょうか。
その後、2000年にフォーライフとの契約が終了してしまいます。また、フォーライフで復活を果たすのですが、「報われない大人を応援する」ヒトみたいな曲が多くなってしまいました。ま、それが売れたのですが。会社側からも売れる曲を作れと迫られたのでしょうね。
個人的には再デビュー後のアルバムを3枚続けて聴くのはかなり辛いです。ですが、デビユーシテから契約を切られるまでのアルバムを3枚続けて聴くのは、全然問題なく、むしろ心地よいのです。
馬場俊英にも公式YouTubeチャンネルがあるのですが、なぜか、1996~2000年までの活動についての映像が取り上げられてないんです。ま、当時売れてないし、ライヴ映像もほぼないと思いますが、音声だけでもあるとありがたいのに。
音楽談義ではトーマスさんもちょっと好みだったとかで。
このあたりは、馬場俊英にとっての黒歴史なんでしょうかね。フォーライフでは、『Down The River』と『Over The Mountain』のCDの在庫はあるみたいですが、もう廃盤寸前でしょう。見つけたら、ゲット必須の貴重盤だと、思います。
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