カテゴリー「201312 Yangon & Mandalay」の25件の記事

2014年3月 3日 (月)

振り出しに戻る

マンダレー王宮から戻り、荷物整理してチェックアウト。そのまま荷物を預けます。昼食を食べに行きましたが、半端な時間しか残らないので、もう観光はせず、のんびり過ごしました。そして時間が来て迎えのクルマで空港へ。

空港の写真も撮っておきたいなと思いましたが、搭乗予定のエア・バガンの職員がなぜか焦っていて、チェックインカウンターまで急がされました。もちろん搭乗券は難なく発券。しかも、1便前に空席がありそちらに変更。ヤンゴン到着は1時間ほど早くなりますが、ディレイ表示。

ここは国際空港なのですが、なんと国内線でもイミグレーションがあって、チェックされました。もちろんパスポートにスタンプは押されませんが。

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<エア・バガン>K7/DA21

1時間待ちくらいでしたかね。ヤンゴン行きはいくつかの会社が運行していましたが、いずれもディレイです。搭乗待ちの人たちはそれぞれのシールを胸につけ、待っていますが、その中にいた、中国人男性と見事なシーク教徒の男性との英語でのやりとり。

「どこから来たんですか?パスポートを見せてください」
「ミッチーナですけど」

なんとインド在住者ではなく、ミャンマー国民のシーク教徒でした。中国人男性はおそらくシーク教徒を初めて見かけて、好奇心の塊だったんでしょうが、いきなりパスポートを見せろというのはかなり大胆です。それでも英語を操ることのできる中国人ですから、社会的地位はかなり高いかと。

と、ヤンゴン行きのコール。放送ではなく、肉声です。古い日本製のバスに乗り、ヤンゴン行きに。飛行機がやけに小さい。なんと、ATR 42です。初めてですが、ATR 72と基本的には同じ。ATR 42のストレッチバージョンがATR 72なんです。

なんと、座席は指定されずフリーシート。どこからかの経由便らしく、すぐさま飛び立ちます。

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<機内食>GR DIGITAL

こんなものが出ました。ロールケーキとパイのようなもの。これで腹がふくれてしまい、結局夕食は抜く羽目に。エア・バガンは7年前の旅でお勧めの航空会社だったのですが、サービスが低下したような気もしますね。ヤンゴン航空の方がよかった。もう、外は真っ暗で、旅の最後という感じがします。

ヤンゴン空港の国内線のプリペイドタクシー料金は国際線よりも高く、10000チャットしました。

今夜のお宿はMay Shan Hotel。agodaで最も安い水準のところですが、スーレー・パヤーの近くだし、1泊だけなので我慢しちゃいます。

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<客室>GR DIGITAL

比較的清潔です。そして窓がありません。いかにも安宿ですが、壁にはハイビジョン型のテレビがあり、WiFiもばっちり。泊まった中では一番電波が強かったです。

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<浴室>GR DIGITAL

カーテンがありませんが、バスタブです。お湯もよく出ました。そして…。

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<ライトアップされたスーレー・パヤー>K7/FA35

宿をちょっと出ると、この光景。いうことありませんです。まだ、ロンジーを購入できていませんが、翌朝アウンサウン市場で手に入るでしょう。問題なのは手持ちのチャットが足りなそうなことくらい。でも、USドルで何とかなりそう…。

ということで、駆け足でのレポート、これで終わります。次回より、季節を逆戻りして、昨年夏のレポを再開いたします。また、このあとのバンコクの数日間がありますが、夏のレポと交えながら報告していけたらと思います。

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2014年3月 1日 (土)

マンダレー王宮

マンダレー最終日にして、2013年の大晦日です。まだ行っていなかったマンダレー王宮に行くことにしました。宿はまだチェックアウトせず、戻ってきてから手続きしましょうか。ホテルを出ると、近寄ってきたのがミングォンに行ったときのドライバーでした。往復で4000チャット。妥当な値段です。

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<環濠>K7/DA21

マンダレー王宮はこのような壕に囲まれています。当然入口は4箇所あるのですが、外国人観光客が入ることのできる入口は東側だけで、市街に近い南側は利用できません。比較的近いのに回り道することになります。

バイクタクシーはこの壕を渡りきったところまでで、ここでチケットチェックがあります。ここからは歩きですが、20分近くかかります。まあチケットチェック後、待ちかまえている別のバイクもいるのですが。

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<王宮前の線路>K7/DA21

こんなものがありました。今では使われていない線路です。ゲージがやけに狭い。

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<ナローゲージ>K7/DA21

サンダルが28cmくらいでしょうか。おそらく610mm(2フィート)の軽便鉄道がここまで来ていたのでしょう。

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<王宮>K7/DA21

それほどの威圧感はありませんね。ここはコンバウン朝のミンドン王が作り、遷都されたもの。だが、日本とイギリスの戦闘により王宮は焼失。再建されたのは1990年代のことといわれます。

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<ミンドン王のジオラマ>K7/DA21

ミャンマーに進出してきた大英帝国と堂々と渡り合った優れた人物であったとききます。

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<ティーボー王のジオラマ>K7/DA21

一方こちらはコンバウン朝最後の国王、ティーボーとその王妃。なんと政治そっちのけで宗教に走り、国を傾かせたばかりでなく、マンダレーを大英帝国に占領され、インドのラトナギリに追放されてしまったという人物。それでも子孫が今でもインドに生き残っているそうです。

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<監視塔>K7/DA21

あれに登ってみましょうか。螺旋階段をぐるぐる登ります。王宮の建物内は下足禁止ですが、ここは大丈夫。ヨーロッパの塔も登ることができますが、暗く狭く、すれ違いも困難。ここは景色も見えるし、直接風に当たることができるので、圧迫感がありませんね。

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<王宮全容>K7/DA15

一番上からの眺めです。どことなく質素に見えますね。ここではマンダレーのちょっとイカれた兄ちゃんたちがスマホの音楽をかけ、だらしなくくつろいでいました。

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<真鍮か>K7/DA21

パヤーは本物の金箔を使用していますが、ここはどことなく輝きが鈍い感じがします。バンコクのワット・プラケーオ、いや、その他の寺院と比べても地味ですね。

このあと、東の壕まで戻ったのですが、バイクタクシーのドライバーの姿がなく、ちょっと焦りました。壕を渡って表の通りまで行くとそこにいました。このあたり、言葉の壁なんでしょうねえ。

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2014年2月25日 (火)

大混雑のウーベイン橋

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<ウーベイン橋>K7/FA35

インワをあとにし、アマラプラへ。すでに夕刻に近いです。これはアマラプラのタウンタマン湖にかけられたチーク材だけの橋です。そのチーク材はインワの旧王宮から運ばれたとのことです。

だからインワに王宮が残っていないんだね。納得です。で、「ウーベイン」ですが、「ウー」とは男性の敬称でベインさんが作った橋です。ベインさんはアマラプラの市長に当たる人物だそうで。ちなみに第三代国連事務総長にミャンマー出身のウ・タント氏がいましたが、これも敬称ですね。

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<橋の上の小坊主たち>K7/FA35

早速橋の上に移動します。ここから湖の対岸まで歩いて渡ります。夕刻に近いということで、夕陽を狙う観光客から、自分の僧院に戻る僧侶までかなりの混雑です。

この時期は乾季ということもあって、橋の下はすべて湖ということはありませんでしたが、雨季には地面が見えなくなるんでしょうね。湖面または地面からの高さは5mくらいでしょうか。雨季にはもっと湖面が迫ってくると思いますが。

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<僧侶>K7/FA35

で、ご覧の通り欄干というものがありません。なるべく中央付近を歩くようにしました。でも、これだけの人が渡ると、橋が悲鳴を上げるんです。ギシギシ、ミシミシという音がひっきりなしにしています。脳裏をかすめたのは、「ミャンマーで木造の橋、崩落」というニュースのヘッドラインでしたが、これは杞憂に終わりました。

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<本日の収穫>K7/FA35

全長1200mというウーベイン橋ですが、ただひたすら橋が続いているわけではありません。途中には休憩所のようなものも設置されています。

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<名物の揚げ物>K7/FA35

ここには屋根があってベンチもあります。そして、湖で取れた魚介類の揚げ物が販売されていたりします。ミャンマーの料理がだいぶ油が軽くなったという話を書きましたが、これはおそらく昔のままで、脂っこいと思われます。

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<全部売れたかな>K7/FA35

販売していた物品をすべて売り切ったかのような満足そうな表情のおばあさん。右側のファランはワタクシのライバルのような関係で、やはりこのおばあさんを撮ろうと必死でした。

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<夕暮れ>K7/DA21

そろそろ陽が暮れてきました。観光客は夕陽を撮ろうと誰もが躍起になっています。湖に浮かぶボートも観光客を乗せて、橋に向かって待機していますが、その数は尋常ではなく、扇形に広がってこちらを向いているというちょっと異様な光景も見られました。

まだ肉眼ではすれ違う人の表情もよくわかる程度ですが、カメラの絞りとシャッターを操作することでこんな写真も撮ることができます。まだ、大晦日ではありませんでしたが、2013年の最後の夕陽写真。

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<トワイライト>K7/DA21

こちらの方がナチュラルに近いです。もうかなり暗く、それではマンダレーに戻ることにしましょうか。ツアーの最後はよかったです。

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2014年2月23日 (日)

絶景の場所へ

御者の兄ちゃんが提案し、若干プラスして絶景のポイントに案内してもらうことにしました。承諾すると、兄ちゃんの機嫌がよくなりました。

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<外れにある建物>K7/DA21

このあと訪れるというバガヤー僧院を通り過ぎ、湿地帯の間を進んでいく。三基の建物が見えてきた。もはや誰も使っていないもので、これから行くという煉瓦造りのものは、焼け焦げたような跡もあった。

暗い内部で迷っていると、御者がやってきて上に上がるのだと角にある階段を指し示す。そこは絶景が開けていました。

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<誰もいない>K7/FA35

不安定な屋上部分ですが、堪能させてもらいました。誰もいないと書きましたが、降りると3名の僧侶がいてどこから来たのかきかれました。

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<仏塔>K7/FA35

隣はインドにあるような太めのストゥーパ。その向こうはタイ風のチェディ。太めのストゥーパにも登ることができました。

まったく手つかずで修復さえされていない。インワは観光地だから、 こうしたところも案内されますが、おそらくミャンマーにはこんなものは限りなくあるような気がします。

前回訪れたインレー湖ではその直前に外国人に開放されたという、インデインはかなりすごい遺跡でしたから。これから外国資本がどんどん入ってくるミャンマー、すごい観光資源が眠っているような気がします。

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<バガヤー僧院>K7/DA21

最後のポイント、バガヤー僧院に到着。先ほど購入したチケットを見せる。マンダレー入域料のチケットには、5箇所の入場が可能で、それぞれでスタンプを押されます。チケットを使ったのはこのほかマンダレー王宮だけで、2箇所回っていないのですが、損した感じはなかったですね。

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<すべて木造>K7/FA35

すべてが木を組み合わせて作られたというこの僧院は、未だに現役。とはいえ、遅い時間帯だったためか、ほとんど僧侶の姿は見かけませんでした。

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<木の装飾>K7/FA35

チーク材なんでしょうね。これに細かい装飾が施されています。木材にはおそらく漆が塗られ、長年の風雨と高温に耐えているようです。

未だに世界遺産登録物件のないミャンマー。なんでも登録物件は元のままの保存状態を保つ必要があるからで、ミャンマーではどんどん新しくしてしまい、仏像の背後に人工的に後光をつけてしまうような傾向があり、これが引っかかるからだとか。

でも、ヨーロッパの基準なので、あちらの世界遺産もこれはどうかなというようなものがありますがね。

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2014年2月22日 (土)

ようやくマンダレー入域料を支払う

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<マハーアウンミェ僧院>K7/DA21

馬車は最初のスポットへ。見事な石造りの僧院が見えています。だが、ここでマンダレー・アマラプラ・インワの入域料金の支払いブースが登場します。10000チャットが吹っ飛びました。

今や誰も使わなくなった僧院ですが、裸足で入場します。

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<仏塔>K7/DA21

すぐそばにはこんな感じの仏塔がありました。現役でないからか、黄金に輝くものではありませんが、バンコクのワット・アルンみたいな石に直接漆喰などの塗装を施したものです。右側のものは、あまりミャンマーでは見かけない様式です。

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<鐘と落書き>K7/DA21

仏塔と本堂の間にあった鐘。ツーリストの落書きでいっぱいです。台湾の鹿港にある、摸乳巷という狭い通りの入口にもびっしりとマーカーで書き込まれていました。それにしても、旅していて白いマーカーを持参するのか。

まあ、それでも許されてしまうような緩さがここにはあるんでしょうね。

最初に馬車に乗ったとき、2時間といわれ、急ぎ足にならざるを得ません。それになんか馬車の兄ちゃんは機嫌も今ひとつのように見えます。

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<監視塔>K7/DA21

次にやってきたのは、地震で傾いてしまったという監視塔。ちょっと前までは登れたとのことですが、今は階段も閉ざされていました。5分で見学終了ですね。

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<馬車のすれ違い>K7/DA21

畑の間の狭い道を馬車が行き交います。とてもすれ違えないので、どちらかが譲ることになります。非常にのどかな風景です。

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<ヤダナシンメー・パヤー>K7/DA21

なんと、ガイドブックに載っていない。兄ちゃん曰く、有名どころ(ローカタラピェ・パヤーのことか、聞き取れず)が修復中だとか。綺麗な仏塔は見えていたのですが。インワ、捨て去られた都のためか、こんな素朴な感じのところが多いです。

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2014年2月19日 (水)

インワの交通手段

ザガインからいったんアマラプラに戻り、インワへ。

ここで、マンダレーを中心とする地名を整理しておきましょう。
ミングォンを除き、インワ、ザガイン、アマラプラ、マンダレーのすべてがかつてミャンマーでの王朝の都が置かれた都市です。最終的にマンダレーに遷都されたものの、イギリスの植民地となり、ミャンマーの王朝は消滅しました。

王都は遷都を繰り返し、インワ→ザガイン→アマラプラ→インワ→アマラプラ→マンダレーという形で移り変わっていきました。

マンダレーの西側をエーヤワディー川が流れていて、エーヤワディー川右岸(西側)にあるのが、北からミングォン、ザガインということになります。エーヤワディー川左岸(東側)にあるのが、北からマンダレー、アマラプラ、インワです。

さて、インワに行くのですが、アマラプラとインワの間には小さな川が流れていて、船を使うことになります。これはツアー料金には含まれてなく、往復で800チャット。めんどくさいですねえ。

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<アマラプラの船着き場>K7/DA21

感じはちょっと違いますが、チャオプラヤー川の対岸とを往復する渡し船くらいの規模です。船は頻発しているので待たされることはありません。

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<インワ鉄橋>K7/DA21

中には舷側にベンチが作られ、10人も乗るといっぱいです。途中旧インワ鉄橋もよく見えます。ザガインの仏塔も見えますね。

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<インワの船着き場>K7/DA21

インワではちょうど洗濯中のお仕事を撮ることができました。

さて、ここから観光開始なのですが、それを待ち受けるのはあまたの馬車です。

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<馬車>K7/DA21

一頭立ての馬車。作りはバガンと同じですが、キャビンの部分はバガンの方がしっかりしています。何しろ、バガンでは途中昼寝しても大丈夫なくらいのスペースがありましたから。それに、インワはほとんどの道が未舗装で、乗り心地も悪いんです。

でも、それぞれのポイントが離れているので馬車がないと話になりません。料金は4箇所回って(あるいは2時間)4000チャットですが、自分の場合はエクストラ料金を払って別の場所にも行ってもらいました。

船着き場を出るとすぐに馬車が待機しています。その場で間違いなく釣り上げられてしまうのですが、食事をする場所もこのあたりかアマラプラ側の船着き場にしかないので、あわてて交渉しない方がいいかも。馬車がいなくなってしまうことはありません。

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<観光開始>K7/DA21

それじゃ、ちょっくら行ってきます。

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2014年2月17日 (月)

閑話休題、Beer King

ミャンマーというと、パヤー、僧侶、寺院みたいな流れで来ていますが、仕方ありませんね。12月30日の三都市巡りではどうしてもそんな展開になってしまいますので、ちょっと流れを変えてみます。

マンダレーで宿泊したヤダナボンというホテルですが、31st Streetと76th Streetあたりにあって、その周辺には今ひとつガイドブックに載っているようなレストランがないんです。思いっきりローカルな食堂はありましたが、夕食を食べるとなると照明が暗すぎたり、言葉の問題もあるので、別の店を見つけることにしました。

Dyamond Plazaを見て回ったあと、見つけました。看板には英字でBeer King、簡体字で啤王とあります。もうおわかりでしょう。ここはビールが売りの店です。こういう店で飲むことのできるビールは、生、ドラフト・ビールなんです。ミャンマーではなぜか瓶詰めのビールは割高ですが、生ビールは庶民の価格です。嬉しいですねえ。

では店内に突入です。ほとんどローカルの男性ばかりですが、わずかに欧米系ツーリスト男性の姿も見えます。やはり彼らも生ビールにつられてきたものと想像します。店の前のスペースに空きテーブルがあったのでここに座ります。やはり野外が気持ちいいですからね。

すると成人したばかりに見える男性店員がやってきました。まずはビールが生であることを確認しこれを注文。メニューをもらうと英語も併記されています。鶏肉入り炒飯、チキンスープ、フライドポークにします。店員は簡単な英語を話しますが、わかってもらえたかどうか。

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<生ビール>GR DIGITAL

生来ました。美味いです。ビールの種類をきいたら、やはりミャンマービールなんだそうで、ここはマンダレーなのに、マンダレービールは一体どうなっちゃったんでしょうか。まあ、美味いからいいか。

ちびちび飲んでいると、また店員がやってきて、日本が好きだとかいろいろ話しかけてきます。そのうちスープの話になり、量が多いとか言い出します。まあ、なくてもいいかなと思ったら、スープを持ってきました。

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<チキンスープ>GR DIGITAL

をを、ちょうどひとり分のサイズです。店員が気を利かせたのでしょうか。マンダレーのスープは「ラーショー・レイ」もそうだったのですが、高菜漬けのようなものを使わないので、酸味がなく、我々にとって馴染みのある味になっています。でも、スパイシーではありませんね。

このスープですが、途中でなくなると、お代わりを持ってきてくれました。ミャンマーの料理にはスープは欠かせないんでしょうね。

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<炒飯>GR DIGITAL

結構量はあります。食べてみるとそれほど油がきつくなく、そのあたりの中華料理屋の炒飯といった感じです。

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<付け合わせ>GR DIGITAL

タマネギです。かかっているソースがけっこうスパイシーです。なんだかミャンマー到着直後の食事みたいな感じです。これも、サラダのひとつとすれば、やはりミャンマーの食事はメインとスープ、サラダがセットなんでしょうかねえ。

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<スイカ>GR DIGITAL

最後にスイカを持ってきてくれました。サービスなんでしょうか…って、フライドポークはどうなった?どうも、ひとりでは食べきれないと見て、カットされたようです。東南アジアではこのような気遣いありますよね。でも、食べられたと思うぞ。

料金は激安の2100チャット。をを、ここで食事をすればかなりの節約になる。また来ることにしたのはいうまでもありません。

その2日後、また訪れました。ちょっと遅かったこともあり、店の前の席も、店内もいっぱいです。でも、店員が2階を指し示します。空いていましたが、蛍光灯がブルーになっていてちょっと異様な感じがします。ここでは食事をしている人はほとんどなく、本格的に飲んでいる人ばかりです。

すると、お馴染みの店員が現れ、メニューを持ってきました。今度は、ご飯とドライ・ブラウン・カレーというものにします。なんだ、カレーもあるじゃない。

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<ビールとパパイヤ>GR DIGITAL

もちろんビールを頼みます。今度は、すぐに果物が付きました。

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<スープ>GR DIGITAL

スープも来ました。頼んでないけど。やはりセットなんでしょうね。一体何を使ったのかわかりませんが、色合いからしてみそ汁みたいです。味わった感じも、塩気があり、なんかみそ汁っぽいです。具は、見えている野菜だけでした。

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<エビフライ>GR DIGITAL

ん?見た目エビフライ。味もカレーではなく、エビフライそのもの。何がどうなってしまったのかわからないんですが。せめてブルドッグの中濃ソースが欲しかった。

これに野菜が付いているからか、タマネギのスライスはありませんでした。料金はエビが高かったのか、5000チャットくらいしました。

なんかよくわからない店でしたが、やはりビール中心の店なんでしょうね。よく考えてみれば酒の肴みたいな料理がたくさんあったし。

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<気の利く店員>GR DIGITAL

タナカをおしゃれのようにしてちょこっと付けていますね。ここの制服なのかどうか、スーツみたいなものを着ていて、チェーンなんかもあしらっていたりします。でもここ、まったく女性の姿がないんですよねえ。

ちなみに、マンダレーには韓国料理の店が数軒あります。中国料理店はいうまでもありません。日本料理店はまだ進出してません。ヤンゴンに行けばあきれるほどありますが。

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2014年2月16日 (日)

ザガインヒル

アマラプラからザガインへ。途中エーヤワディー川を渡ります。鉄道との併用橋ではなく、新しいインワ鉄橋でした。そこからぐんぐん坂を上り、ザガインヒルに到着。

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<ザガインヒル>K7/DA21

駐車場からすぐに参道の上り坂に。かなり登ってきているのですぐに建物が現れます。ここがメインのものらしい。マンダレーヒルほどは観光客もいず、静かなものです。

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<仏像群>K7/DA15

床のタイルがひんやりしていてなかなか気持ちいいです。この上にも建造物はありますが、マンダレーヒルほどは見所はないかも。ただし、抜群の眺望です。

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<微妙に湾曲>K7/DA15

ザガインの入域料はミングォンと共通ですが、チェックされませんでした。マンダレーヒルが煌めくところだとすれば、ここはもっと素朴な感じです。

再びクルマに乗り込み、ちょっと走ります。着いたのはポンニャシン・パヤー。ここではカメラ撮影料、300チャットでした。

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<白面の大仏>K7/DA15

ザガインヒルの駐車場がクルマ数台でやっとなのに対して、こちらはかなりの規模です。観光客もかなりのもの。

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<日よけに絵画>K7/DA21

ここは中心に大きな仏塔があり、それを取り巻くように参道のようなものが設けられています。参道には日よけの屋根があり、おそらくブッダの物語が描かれた絵画が掛けられていました。

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<仏塔>K7/DA21

もう天気がよすぎですね。本当にまぶしいです。

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<エーヤワディー川>K7/FA35

ザガインヒルからの眺めはちょっと霞んでしまい、ここでは載せられませんでしたが、ポンニャシン・パヤーからは、エーヤワディー川がよく見えました。

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<インワ鉄橋>K7/FA35

戻りは鉄道との併用橋、旧インワ鉄橋を走行しました。中央に単線の鉄道が走り、車道はその左右に1車線のみ。立ち止まって撮影したいところですが、きっちりと監視の軍人がいるのでだめみたいでした。

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2014年2月12日 (水)

壮観、千人の食事

アマラプラのマハーガンダーヨン僧院、続編です。

前の記事に千人の食事と書きましたが、文字通りここでは千人を超す僧侶が暮らしているそうで、その食事というのが全員席について「いただきます」というスタイルではなく、各自が托鉢用の鉢を手に持ち、ご飯やおかずをよそってもらい、それから席に着き各自食べ始めるというものです。

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<僧侶登場>K7/DA21

それがどこで行われようとしているのか。まったくわかりませんが、徐々に鉢を持った僧侶たちが現れ始め、列を作り始めました。たまたま自分はラッキーな位置にいたようです。そのままカメラをスタンバイして待機します。

どこにいたのか、外国人旅行者もどんどん集まってきて、もう身動きが取れません。こういう状態になると、人がカメラを構えてスタンバイ状態になっているのに、その前に回り込んで撮影しようというデリカシーのない旅行者も現れてきます。だいたい想像は付くでしょうが、自分だけよければ何をやってもよしというのは、たいていあの国の人たちですね。

僧侶たちが勢揃いし、今にも食事開始となりそうです。ならば、ここでビデオを撮ってみようと、スタンバイします。はじめの動画は、開始前の様子で、外国人旅行者に対して、注意事項がリーダー的な僧侶から与えられているところ。

でも、まだ始まりません。しばらくスタンバイ状態にしていると、K-7のバッテリーがひとつ減ってしまいました。ピンチです。動画はバッテリーをかなり使うんですね。こんな数分の出来事でも、カメラの静止画ワンショットにすれば、数百カットも撮れるんじゃないでしょうか。

仕方ないので、コンデジのGR DIGITALに切り替えます。さあ、ようやく、準備ができたようです。

ざっとまあ、こんな感じです。2006年購入のGR DIGITALはハイビジョンの画角ではありませんね。それに、ビデオが荒くて不鮮明です。まあいいか。今後K-7でビデオとなると、予備バッテリーを常時携帯ですかね。

スマホでビデオという手もありですかね。まあそれほどはまらないとは思いますが。

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<僧侶見習い>K7/FA35

ビデオを撮っていても、まだまだ列は続きます。この間に、レンズを付け替え、僧侶たちをアップで撮るようにしました。臙脂の袈裟に混じり、白い袈裟の坊さんもいます。彼らは、僧侶見習いみたいです。

タイ語でメーチーという、尼さんもピンクや白い袈裟姿なんですが、ここには尼さんはいませんでした。ちなみに、上座部仏教では尼さんは僧侶にカウントされないそうです。でも、ミャンマーにはかなり尼さんがいます。

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<ご飯受け取り>K7/FA35

空の鉢を抱えた僧侶たちは、角を曲がるとこのようにご飯やおかずを受け取ります。なんか、簡単に撮影できたと思われそうですが、こちらに移動というのがまたやっかいで、人で身動きが取れません。じりじり動いてはいるのですが、これも、カメラを構えた旅行者たちの隙間からようやく撮れたものです。もう終わりに近いです。

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<腹減ったなあ>K7/FA35

大切な食べ物を抱え、これから食事に。嬉しそうですね。鉢の上にはデザートらしきお菓子も。

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<食事風景>K7/DA21

きちんとお皿に盛られています。きっと鉢の中はご飯・おかずがごちゃ混ぜではなくて、皿ごと入っていたのかも。

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<鉢を洗う>K7/DA21

そして、食事が終わったら愛用の鉢を洗い、それぞれの僧院に帰っていきます。

とにかく千人以上といわれる僧院ですから、後ろの列で食事を受け取る頃には、最初のグループはすでに食事を終えている可能性もありますね。

とまあ、こんな感じで面白かったですが、本当のことをいうと托鉢見ている方が楽しいですねえ。とはいえ、貴重な体験でした。

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2014年2月10日 (月)

高僧のお別れ

マハムニ・パヤーからしばらく走って、クルマはどうやらアマラプラに着いたようです。寺院らしき敷地の外には塀が巡らされていて、ここにたくさんのクルマやバスが止まっていました。「マハーガンダーヨン僧院」とドライバーが一言。ああ、ここが千人の僧侶が一斉に食事をするところかとわかりました。

食事の開始は10:00ときいていますが、まだ時間があるので人の集まっているところを目指しました。なにやらセレモニーっぽいものが行われているようです。入ってみましょう。

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<葬儀>K7/DA21

サンダルを脱いで中に入ります。すると、傍らにいた若い僧侶がパンフレットをくれました。独特の衣装を着た女性たちがいます。最初は彼女たちを少数民族なんだろうなと思っていましたが、さらに進んでみると花に囲まれたスペースに横たわって合掌する男性が。

もうお気づきでしょうが、葬儀だったのです。横たわるのは遺体で、その人物と同じと思われる肖像画や写真が掲げられていました。女性たちはよよと泣き崩れ、全員で同じ言葉を唱和しています。

ここで、カメラをビデオにしてこの様子を撮ろうかというとき、女性たちが退出していきました。なんか悪いなと思いましたが、この部屋でもビデオとカメラが回っているのです。でも、結局ビデオは撮れませんでした。

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<退出する女性たち>K7/DA21

をを、皆手にパンフレットを持っていますね。

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<パンフレット>GR DIGITAL

これがそのパンフレットです。上の写真にはきちんと写っていませんでしたが、この人物が亡くなったようです。ここの偉い僧侶なんでしょう。すべてビルマ文字でまったく読めませんが、パンフレットの中にも白い紙に業績などを記したと思われることが書き付けられていました。

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<一転晴れやかな表情>K7/DA21

葬儀はまだ続いているようですが、外に出た女性たちは解放されたからか、晴れやかです。記念撮影もしているようですね。彼女たちは葬式用の「泣き女」の役目でも務めていたのでしょうか。

そのあとしばらくここで佇んでいると、近くにいたおじさんがまたパンフレットをくれました。ここに来るのはほとんど外国人観光客だというのに、まるで屈託がありません。ワタクシも何がなんだかよくわからないまま、心の中で手を合わせたのでありました。

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