カテゴリー「Book」の7件の記事

2014年6月19日 (木)

わしらの「深夜特急」(3)

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<ジョージタウン、インド人街>K7/DA16-50mm

旅のルートと沢木耕太郎のルートが一致した話をしました。

文庫版「深夜特急2 マレー半島・シンガポール」での実際のルートは次の通りです。

バンコク-(鉄道)-チュムポーン-(鉄道)-スラタニー-(鉄道)-ハジャイ-(乗り合いタクシー)-ソンクラー
ソンクラー-(バス)-ハジャイ-(鉄道)-バタン・ブザール-(鉄道)-バタワース-(フェリー)-ジョージタウン
ジョージタウン-(フェリー)-バタワース-(鉄道)-クアラルンプール-(乗り合いタクシー)-マラッカ-(乗り合いタクシー)-シンガポール
シンガポール-(鉄道)-バンコク

まあ、バンコク-シンガポール間のルートが一致したといっても、鉄道を利用したのはジョホールバルとシンガポール、クアラルンプールとイポーの間だけですし、バタン・ブザールとスラタニーには立ち寄ってさえいないのですが、陸路でつなぐという行為だけはほぼ一致していますし、沢木氏の旅した空気は何となく一致したということで。

厳密にいってしまうと、ペシャワールからアフガニスタン経由でイランに到達するルートは今のところ危険が伴い、不可能と思われますので、「雰囲気を感じ取れることができれば」よしとしましょう。

こうしたルート作りも、一発で済ませたわけではなく、2回に分け、足かけ3年近く費やしています。今までの旅で訪れた地点を結びつけてみたら、ルートが重なっていた箇所がいくつもあって、今はその穴埋めをしているような状況です。

例でいうと、「深夜特急3 インド・ネパール」でのカルカッタ(現コルカタ)からアムリトサルというルートがありますが、コルカタ-デリーはつながってます。パキスタンはペシャワールだけですし、その先はトルコのドゥバヤジットまで行かないとつながりません。

ヨーロッパはかなりつながっていて、沢木氏がギリシアから上陸したブリンディシからパリまではすでに到達してます。その先を今度の旅でつなげてしまうのですが、効率悪いですね。

そうした旅の中で、「深夜特急」に登場した現存する建物や、場所を訪れて自分が何かを感じ取れば「深夜特急の足跡を追う」シリーズで取り上げることになります。

3回にわたって取り上げてきましたが、ちょっと固いのでこれでやめにします。

ああ、それにしてもネタがないです。やはり、旅に出ないと、だめですねえ。

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2014年6月12日 (木)

わしらの「深夜特急」(2)

個人旅行をするきっかけになったのは、1998年の暮れから1999年の年頭にかけてのネパール旅行でした。

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<ボダナート>K7/DA21mm

この時は勤め先の同僚を誘い、終始馬鹿話で盛り上がるという楽しい旅でした。まあ、経由地の香港でRA機が到着しないというアクシデントがあり、空港のベンチで毛布を借りて1泊という体験もあったのですが。

この旅がきっかけとなり、翌年やはり別の同僚を誘い、香港とマカオを回りました。誘った同僚というのが、なんと海外が初めてという人で、自分が添乗員的な役割を買って出たのですが、同時にそれは自分の「旅のキャリアアップ」でもあったのです。

そして、その数ヶ月後、初めて一人きりでポルトガルを旅し、宿の見つけ方や航空機のストップオーバーや乗り継ぎなどを体験し、2001年のイタリア26日間で完全に仕上げたという感じです。

沢木氏はひとり旅について、「自分自身と向き合う」、「自分と対話する」、「旅を通して自分の心の中をのぞき込む」という表現をしています。同時に、二人以上の旅は楽しいが自分と向き合うことができず、旅が深いものにならないともいっています。その通りですね。

自分の旅がヨーロッパ中心から、アジア、特に東南アジアにシフトしていったのは、2008年のタイ・ラオス・雲南の旅からといえます。雨季でも無理をしなければ、のんびりではあるけれど面白いルートを回ることができることに気づいたのです。

そうしているうちに、バンコクから中国の景洪までとシンガポールとバンコクまでを陸路で結んでいることになりました。もろ、深夜特急のルートです。

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2014年6月 7日 (土)

わしらの「深夜特急」(1)

もう、幾度となく、ここで沢木耕太郎の「深夜特急」(あるいは「劇的紀行・深夜特急」)を取り上げているんですが、なんで?という声も聞こえてきそうなので、これからシリーズで自分との関わりなどを述べていきたいと思います。

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<ヴァラナシの路地>K7/DA21mm

主人公の私(沢木氏自身)が「若き実力者たち」の印税をもとにインド航空のチケットを手に入れ、デリーからロンドンまでをバスで駆け抜けるというのがコンセプト。そのチケットは、東京(羽田)-香港(啓徳)-バンコク(ドンムアン)-デリーというものでした。

「深夜特急」が刊行されて、新潮文庫より文庫化されたのが20年前の1994年。その頃、自分ではたまに旅に出ていましたが、あくまでも秘境ツアー専門で、個人旅行をするまでには至らなかったのです。

とはいえ、興味は大いにあって、蔵前仁一の「ゴーゴーインド」を始めにバックパッカーものの旅本は根こそぎ読み倒していたのです。

なので、「深夜特急」は文庫ではあったものの全巻購入していました。その年に訪れたのが、雲南だったのですが、啓徳時代の香港国際空港で乗り継ぎ、香港もちょっと滞在しました。

その後も旅は続け、物足りなくなってきて、個人旅行を始め、ひとりで訪れた初めての地が、ポルトガルでした。そして、空路ではなく陸路と海路、つまり、地に足をつけた状態で巡ったところが、かなり沢木耕太郎のルートと被っていることに気づき、ならば、同じルートを沢木氏よりも拡大解釈して、鉄道なども使ってつなげてしまってはどうかとなった次第です。

これは旅ができなくなるまでには、なんとかやり遂げたいです。

次に行く、フランスとイングランドもこれに乗っかった感じですね。2年前にも、計画したことがあったのですが、ロンドンオリンピックと丸かぶりで、やめました。ああいうときには警戒がきついと思いまして。

ネタがなくなってきたら、続きを書きます。

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2013年3月20日 (水)

下川裕治の著作が送られてきた

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<「生きづらい日本人」を捨てる>GR DIGITAL

旅行作家のブログをよくチェックしている。その中に、下川裕治氏のブログもあって、読者プレゼントというものに応募してみたら、先日本が送られてきた。条件としては読後にレビューを書くというものである。

この中には9編の海外で暮らす日本人のドキュメンタリーが収められている。もっとも最初の1編は沖縄那覇の人の話なのだが。海外で暮らすといっても、企業の駐在員とかではなく、派遣切り、リストラ、その他の理由で日本で暮らせなくなった人たちの物語である。

現在の首相が景気のいい話をぶち揚げても、バブル崩壊によって、ここに登場する人たちが現れたのだといってよい。衝撃的だったのは、今や日本の企業がコールセンターまで海外に拠点を移し、わずかなサラリーで日本人を求人していることや、心の病で海外に暮らす人、果ては、チェンマイでホームレス生活をする人などまで登場していることだろうか。

いずれの登場人物も何らかの理由で日本で暮らせなくなってしまっているが、時代や条件がちょっとでもずれていたら、誰もがそうなりうる話でもある。日本で暮らし、日本でサラリーをもらい、たまに海外に遊びに行くことが、なんてラッキーなことなのか。

登場人物たちは、現地人並みのサラリーで、現地人レベルの生活をすることの難しさも見えてくる。それでも明るく生きて現地の生活を楽しんでいるようにも思えてしまうたくましさがある。これはなかなかできるものではない。

ともあれ、こうした面もあるんだなと考えさせられた一冊でした。下川さん、すいません。ワタクシの筆力ではこのあたりが限界です。

最後に下川裕治氏について。

旅の本が好きなもので、書店でこうした本を見つけるとすぐに買って読んでしまうようになって、20年くらい経つだろうか。最初に蔵前仁一の「ゴー・ゴー・インド」に始まり、沢木耕太郎までたどり着くのだが、その中に下川裕治の名前もあった。現在は絶版なのかもしれないが、徳間文庫から一連の貧乏旅シリーズが出ていて、ほとんど持っている。

でも、切なすぎて下川裕治は好きになれなかった。ある日、朝日文庫から出ていた、デビュー作の「12万円で世界を歩く」を読み、面白いなと思った。それからである。講談社文庫の書き下ろし、「週末アジアに行ってきます」や、新潮文庫の「5万4千円でアジア大横断」「格安エアラインで世界一周」などの企画もの、「日本を降りる若者たち」などのドキュメンタリーで確実に自分の中に入ってきたのだ。

とりわけ、昨年夏の旅では、上記の著作の中からインスピレーションを受けて、ピサヌロークからウドンタニーまで行くことができたし、メークロン線も視野に入ったのである。蔵前仁一が雑誌旅行人を長期休刊にし、著作も思うように出ない昨今では、下川さんのこのところの活躍ぶりが楽しみなのである。次には何を書いてくれるのか。あ、最新作の「週末バンコクでちょっと脱力」は書店で購入させて頂きます。

プレゼント記事にトラックバックさせて頂きます。

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2008年10月25日 (土)

照葉樹林文化と市場

ルアンナムターの市場の続き。

話はずっと昔に飛ぶ。1994年仲間内の企画ツアーで雲南省を旅している。昆明~景洪~大理という旅である。その前年、日本は国内の米栽培が不作で、タイ米をはじめとする外米を緊急輸入することになり、そこから一連の米騒動に発展していったことも思い出される。

そのツアーではシーサンパンナを訪れるということで、照葉樹林文化がクローズアップされていた。これを強引に要約すると、日本の生活基盤をなす主な要素が中国雲南省を中心にする、東アジア半月孤に集中していて、日本にもたらされた文化はここを元にしていたのではないかというものである。

照葉樹林とはつやのある葉のことで、椿や椎、樫などである。共通する要素とは、焼き畑農業、陸稲栽培、餅米、麹菌を使った酒、納豆などに及ぶ。また、漆器やお歯黒、入れ墨、歌垣なども上げられている。現在の日本は、杉や檜などの人工林が山林に植えられてしまっているが、縄文時代の文化はこれにぴったりと符合するらしい。

話は多少旅とかけ離れてしまったが、右サイドバーのBooksに照葉樹林文化の著作を取り上げてみたので、雲南やラオスに興味のある方は、書店などで参照してみてもいいかも。

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<豆腐>GR DIGITAL

…ということで、ルアンナムターの市場に戻ります。ここにはラオスの加工食品も売られている。まずは、豆腐。豆腐や豆乳のたぐいは中国に近いので当然あります。ミャンマーの市場でも豆腐があったから、いまやアジアの至る所で見られるものかもしれない。豆腐を使ったラオス料理は遭遇できなかったものの、タイ料理で食べたことがあるな。厚揚げの入った麺とかもあるし。たらいが二つあるのは、固さの違いかも。

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<味噌>GR DIGITAL

いかにも南国の味噌という感じでしょ。色が濃い。ラオス料理には茹で野菜に味噌を付けて食べたり、茹でた魚に味噌を付けるものもありますね。さすがに味噌汁はないと思うけど。手前のビニールに小分けにしたもの、東南アジア独特の感覚ですね。彼らは、コーヒーなどもビニールに入れて、ストローを挿してテイクアウトしてしまうくらいだし。

この時は納豆は見つけられませんでしたが、いずれシーサンパンナに入れば、あるだろうという予兆のようなものが感じられました。

市場の食関係はあと少し続けさせてください。

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2008年3月11日 (火)

石と鑿-バトゥ・パハ

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<マレー蘭印紀行>GRD

放浪の詩人、金子光晴。日本を離れた彼が巡った紀行文を綴っているのが、「マレー蘭印紀行」である。もちろん、この旅にも持参し、たまに読み返したりした。金子がとりわけ愛着を持ったのが、バトゥ・パハ(文中の表記はバトパハ)であることは一目瞭然。

バトゥ・パハとは石と鑿(ノミ)の意味だという。かつてはスリ・メダンの鉱石の積み出しで人口がふくれあがったという。が、今はその栄光の時代とはまるで違うと聞くが、ここには金子も滞在した日本人倶楽部の建物が残り、やはりミーハーな日本人はバトゥ・パハに行ってみようと考える。

マラッカ・セントラルからOrkid Malaysia(またはOrchid Malaysia、両方の表記あり)社のバスに乗る。料金6.9RM、約2時間でバトゥ・パハ。高速道路を使わないバスで、途中ムアルという町に立ち寄ったあとがバトゥ・パハ。バスは最終的にはマレー鉄道の駅のあるクルアンまで走るようだ。

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2006年11月22日 (水)

旅先購入の日本語本

このところ旅行には文庫本を3冊持参している。たいていは寝付くまでに読むことにしているが、たいがいは旅行中に読み切ってしまう。本のカテゴリーは、推理小説やミステリー、紀行もの、ノンフィクションが多く、小説は滅多にない。

まあ、読み切ってしまってもたいていは再読に耐えうるものなので、困ることはないが、たまには別のものを読みたくなってしまうことがある。そうした場合、日本語の貸本屋がある都市もあるが、利用したことはない。ちなみに、カトマンズやウブドにはこれがあった。また、ちゃんとした日本語の本を販売している都市もある。経験があるのは、台北とバンコク。

台湾には、新光三越というデパートがあり、もちろん日本の三越と関係がある。この中に書店があり覗いてみると、日本語の書籍も置いてあった。そこで見つけたのが宮脇俊三の「台湾鉄路1000公里」という角川書店の文庫本であった。署名からして台湾の鉄道を扱ったもので、思わず購入。202元(ニュー台湾ドル:当時1元およそ3.8円)もしたので、日本で同じものを買うより倍近い値付けということになる。しかし、これは日本でほとんど見つけることのできない希少本であったので、購入して良かったと思っている。データはかなり古い。何しろ、狭軌の鉄道が花蓮と台東の間を走っていた記録になっている。しかし、阿里山森林鉄道の部分を読んで、実際に乗りたくなり、また台湾を訪れたくらいだから。

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