カテゴリー「1992 Tibet」の21件の記事

2022年11月 2日 (水)

上海、そして帰国

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(21)

翌日の成都は雨になりました。その合間をついて観光に出ます。とはいえ、お決まりの土産店に寄るのですが。

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<土産攻勢>P-30/SMC A28mm

すでに手持ちの兌換券とわずかな人民元はほとんどなくなっていたし、これ以上荷物を増やす気もないので、ぶらぶらしておりました。

しかし、陳麻婆豆腐店の大量の唐辛子と山椒が腹具合を悪くします。トイレを借りましたが、ここは珍しく奇麗なところで助かりました。

続いて、武侯祠へ。三国志の英霊たちを祀るところです。

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<武侯祠>P-30/SMC A28mm

三国志というと、日本では劉備、関羽、張飛の三義兄弟に焦点が当てられますが、ここで一番大きな扱いを受けているのは、諸葛孔明でした。

その孔明の碑のようなものの前で現地の人民はポーズを変えて何回もシャッターを押す光景。この十数年後に世界中で中国人が同じようなことをするとは、想像もできませんでした。

なお、ここにはNHKの人形劇で使われた辻村ジュサブロー氏の人形も展示されていました。

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<雨の中歩いて飛行機へ>P-30/SMC A28mm

昼の便で上海に向かうため、早めの昼食後空港へ。ここで、知り合いというか同じ職場にいた人物に遭遇してしまった。それも2名。

それはともかく、バスで搭乗機に向かいますが、タラップまでは傘をさしてはいたものの濡れてしまいました。

ここまで同行してきた一応お目付け役の陳さんはここでお別れ。お疲れさまでした。お目付け役とはいえ、カメラも持参するなど、ものすごく楽しんでいたように思いますが。

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<上海虹橋空港>P-30/SMC A28mm

当時はまだ上海浦東国際空港はありませんでした。古い空港でやっぱりバスで移動。宿は結構いいところでしたが、空港の近くで上海市が今では遠いところでした。

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<格段に良くなったバス>P-30/SMC A28mm

そして翌日。この日は帰るだけですが、昼までは時間があり、豫園近くにみんなで行くことに。移動のバスは少人数のためかこのタイプでしたが、チベットや成都と比べると良くなりました。

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<都会だ>P-30/SMC A28mm

上海を流れる黄浦江沿いには高いビルがすでにできていましたが、まだ現在のような光景ではありませんでした。それでも、あまり高い建物のない北京やそれ以降の地方を回ってきた身としては、新宿みたいだなと思いました。ま、その後新宿どころか、ニューヨークもしのいでしまうのですが。

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<豫園商場>P-30/SMC A28mm

まさに上海の下町です。この中を歩いて豫園に向かいます。

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<茶室>P-30/SMC A28mm

しかし、我々が楽しんだのは豫園ではなく、豫園の中にある茶室で中国茶を嗜んだのでした。

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<軽い食事並み>P-30/SMC A28mm

このように点心のようなものまで付きました。お茶はなくなると、お湯を継ぎ足してくれて、好きなだけいられます。

とはいえ、そうもしてられず、レストランに移動し、あまり入らないおなかを満たして帰国したのでありました。スルーガイドの李さんとはここでお別れです。

これにて、終了いたします。

<追記>
カテゴリーに「1992 Tibet」を新設し、すべての記事をそちらに移しました。時系列で読めますので、是非ともご活用ください。記事もある程度修正を加えました。

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2022年10月30日 (日)

四川省成都

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(20)

青海省とチベットで手持ちのリバーサルフィルムをほとんど撮り切ったため、成都以降は散発的な写真しかありません。旅のメインはすでに終わっているので、この時点ではほとんど漫然と過ごしていたことになります。当時、サブカメラも持ってこなかったし(当然ながら、デジカメは出現しておりません)。

てなことで、散発的な紹介となります。

四川盆地の真っただ中にある成都はラサから下ってきた身としては暑かったです。思わず、バスの中で半袖に着替えたほどでした。当然ながらバスにはエアコンが効いていたのですが。

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<四川料理レストラン>P-30/SMC A28mm

空港から四川料理の店に直行。どんなに辛いのかと思ったものの、ツーリスト向けの味でした。

とっちゃん坊や風の成都のガイドによると、四川は蒸し暑いので汗が出にくく、辛い物を食べて汗を出して体調を維持する旨のことを説明していたのですが。

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<陳真麻婆豆腐店>P-30/SMC A28mm

そのかわり、夕食は強烈でした。かの有名なこちらです。

入口は多少体を成していたのですが、内部ははっきりいって貧弱な内装でした。そして、ここには人民が集い、麻婆豆腐だけでご飯をかきこんでおりました。

さて、その麻婆豆腐ですが、一口味わうと、口の中がじゃりじゃりしました。使っている山椒の量が半端じゃありません。そして、舌がしびれてきました。冷えていない常温のビールで洗い流すのですが収まりません。そして、汗がだらだらと出てきます。

ここは人民のように麻婆豆腐をご飯にのせてガーッと書き込むのが正解なのでありました。

これは「味」云々の世界ではなく、本当の意味の発汗のための食事でしたね。

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<屋外席>P-30/SMC A28mm

こちらは席を外して涼んでいるときに見かけたもの。

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<ワイルドに食らう少女>P-30/SMC A28mm

夕食までの間に、杜甫草堂とか川の近くの公園などを案内されましたが、刺繍を作るところなども見学。なんともまとまりのない観光です。公園には屋台なども出ていて、様々な店がありました。

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<光臨少姐>P-30/SMC A28mm

こちらは、初めて見た中国式の歓迎をする女性たちですね。コロナ前のマカオのフェリーターミナルなどに、カジノの送迎バスの案内にこうした人たちがいます。

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<岷山飯店>P-30/SMC A28mm

こちらに泊まりました。

翌年、同じ添乗員による仲間内のツアーで、長江下りを行いましたが、やはり泊まったのはここでした。

その時は、朝食時にゆで卵が用意されていて、同じく同室になったH氏が卵を数個持ち帰ろうとしたら、服務員に注意を受け持ち帰れなかったことがありました。ビュフェ形式の朝食でしたが、卵が貴重品だったのでしょうかね。

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2022年10月12日 (水)

30年前の中国的飛行事情

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(19)

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<ラサ・クンガ空港>P-30/SMC A28mm

ようやくチベットから脱出できる日がやってきました。とはいえ、かなり高地にも馴化し、富士山を超える標高であっても、夕食時にはビールなんぞを飲める身体になっておりましたが。

ラサからは成都に飛ぶことになります。しかし、その数日前から天候が安定しなかったらしく、ホテルでは空港から引き返してきたツアー団があふれていたこともあって、我々の座席はまだ確保されていないという状態でした。

この空港はラサ市内から100kmも離れていて、とにかく早めに行って座席を確保するということで、まだ真っ暗な中例のおんぼろバスに乗ってやってきたのでありました。

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<不安そうに待つ一団>P-30/SMC A28mm

また、チケットの確保は出稼ぎガイドの尹さんの力量にゆだねられているわけで、中国通で凄腕添乗員の鳴沢さんであっても手出しのできない世界なのですね。それに、必ずしも我々の尹さんに対する態度は友好的なものではなく、せいぜい社長(画像の左の人)がしこたまタンカや曼荼羅を購入したくらいでした。あとは、CITS(中國国際旅行社)の二人がいかに尹さんを立てるかにかかわってきます。

さあ、どうなるか。なんとか、確保はできたようです。以前別のツアーで、蘭州から北京へのフライトで、ツアー全員分のチケットの確保ができずに、添乗員と参加者2名が別経路で移動するという経験もしています。今回は全員一緒でした。

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<バスで滑走路へ>P-30/SMC A28mm

空港の小さなバスに乗り込み、いよいよ搭乗です。航空会社は中国西南航空(SZ)。一時期、中国国際航空から分割された時代の航空会社です。現在は再び中国国際航空に併合されました。

さて、バスから降りると少々待たされます。その時、ジープが乗り付けられ、数名が降り立ち、そのまま飛行機に吸い込まれるように消えていきました。お偉いさんですよね。

そして、その待っている間、飛行機の翼に人が現れ、何やら修理をやっている様子。これまた不安ですね。

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<ようやくの機内>P-30/SMC A28mm

何とか落ち着けました。やけに足元が広いのは、非常口があるためでした。しかし、外を見ると、先ほどまで修理をしていた翼のすぐそばでした。また、前日尊大な態度であったオヤジばかりの一団がすぐそばに陣取っていて、めちゃくちゃ酒臭かったですね。

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<チベットの山>P-30/SMC A50mm

眺めはよかったです。特に説明がありませんでしたが、ミニヤコンガなどでしょうか。フライト時間は2時間ほど。

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<タラップから>P-30/SMC A28mm

成都空港には昼前に到着。ようやく平地に戻ってきました。

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2022年6月12日 (日)

ラサ最終日、ジョカン寺など

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(18)

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<ポタラ宮殿>P-30/SMC A28mm

ジャマリンカから文化宮へと移動しました。ラサ市民の憩いの場のようなところでしたが、ポタラ宮が目の前に見えます。

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<観光的記念撮影>P-30/SMC A28mm

市民の憩いの場と書きましたが、ほぼ漢民族向けのところであろうと思いました。このようなチベットの民族衣装は外国人観光客向けかもしれませんが、他の省からやってきた漢民族向けでもあるでしょう。

それにしても、お上りさん状態。ちなみに、ここで写っている人の中には体調を崩していた人も含まれますが、状態は回復しているようでした。

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<キオスクの売り子>P-30/SMC A28mm

売店の売り子も漢民族です。ここで社長とHさんがポラロイドを取り出し、彼女らを写して写真を進呈しているシーン。

もう30年経っていますが、「チェキ」などを使って現在も使える手段だなと思いました。ま、荷物になるので個人的にはやらないと思いますが。

この後、新華書店を見つけ、チベット自治区と青海省の地形図を購入することができました。これまた、現代では「スパイ行為」として摘発されちゃうかもしれません。でも、Google Mapでもラサの詳細は分かりますけど。ただし、中国国内ではGoogle Mapは通常の手段では閲覧不可です。

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<ジョカン寺>P-30/SMC A28mm

このあと、ジョカン寺に移動しました。これがラサでの最後の観光です。

こちらも寺院の破壊が目立ち、修復の大工仕事を僧侶が行っていたりしました。

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<少年僧>P-30/SMC A28mm

通りかかりの少年僧にモデルになってもらいました。

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<屋上より>P-30/SMC A28mm

ラサの寺院は個人的には内部よりも屋上の装飾が素晴らしく、当時のカメラではどうしても屋内よりも外を撮るようになります。

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<バルコルの眺め>P-30/SMC A28mm

夕刻ながらも人通りは多いです。ジョカン寺はバルコルの中心ですし。文化宮などとは違う、チベット人の世界ですね。

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<チベット音楽演奏者たち>P-30/SMC A28mm

このあと、バルコルを散歩してホテルに戻ることになります。

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<五体投地>P-30/SMC A28mm

こんな人物もいました。

五体投地と書きましたが、一方通行のバルコルで、人の進む方向とはなぜか逆を向いていました。


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2022年5月19日 (木)

ラサ最終日、ジャマリンカ

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(17)

ラサ最終日の午後、ホテルで休憩をはさんで出かけたのがこちら。休憩というのは、やっぱり高地であるため、ある程度高度順化してきたとはいえ、中国サイドが必要と判断したのだと思います。

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<吊り橋>P-30/SMC A50mm

ラサに流れるキチュ川。中国名はラサ川になります。ここにはジャマリンカという中州があり、この吊り橋を渡っていきます。これがなかなかスリリングでした。

もっとも観光名所ではなく、もっぱら市民の憩いの場のようでした。

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<タルチョ>P-30/SMC A50mm

チベット文字で何やら書かれております。色も青・白・赤・緑・黄と定められているそうです。

こちらに来たのは単にこの橋を渡ってもらいたいためらしく、次に向かいます。ちなみに通行料1元でした。

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<キチュ川>P-30/SMC A28mm

標高3000メートルを超えるところながら、川幅は結構ありました。

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<ポタラ宮殿>P-30/SMC A50mm

ポタラ宮も結構近いです。この日は晴れていてよかったです。


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2021年12月21日 (火)

デプン寺でおっさん軍団と戦う

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(16)

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<集まる犬>P-30/SMC A28mm

ラサ3日目。郊外にあるデプン寺へ足をのばしました。

当時は市内から結構離れたところにあると思っていましたが、wikiの記述によればラサ西郊5kmとのことです。

バスが到着するとともに犬が群れをなして集まってきました。昔作っていたHPの記述では「野良犬」としていましたが、寺院で餌をあげていることは間違いないでしょう。チベット仏教は日本と同じく大乗仏教の一派であると思いますが、上座部仏教と同じく殺生の禁を守っていますね。

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<斜面の建物>P-30/SMC A28mm

山の麓にある寺院ですが、決して平坦ということもなく、坂を上っていきます。

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<ようやく到着>P-30/SMC A28mm

本殿に到着です。しかし、かなりの距離を登ってきました。心拍数が高くなり息も切れるので、一休みですね。

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<岩絵>P-30/SMC A50mm

ここにも岩絵があることが確認できました。鳥葬場であるのかは未確認ですが、まあそうでしょうね。

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<記念撮影>P-30/SMC A28mm

ちなみに左端の人物は監視役のガイド、陳さんです。監視役といっても名目上のことであり、彼もしっかりとカメラを抱えてきてました。観光気分ということは表情に出しませんが、楽しんでいたはずです。また、陳さんは3人のガイドの中でも一番あか抜けていたので、ラサ市内のチベット人からの土産攻撃でも、外国人(日本人)と思われて、英語で話しかけられておりました。

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<建物内部の仏画>P-30/SMC A28mm

珍しく内部の写真が残ってました。例によって、社長とHさんが袖の下を渡し、それに乗ったのです。

残りのフィルムを計算して大丈夫と判断したのですね。また、この時点でデプン寺にいる外国人観光客が我々だけだったので、余計な気遣いなしとも判断したのでしょう。

ここ、デプン寺も文化大革命の影響によって、内部もかなり破壊されていたとのことです。修復中ということで、足場が組まれていました。

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<大工仕事>P-30/SMC A28mm

その通りで、修復作業の木材を加工する人がいました。作務衣のようなものを着てますが、ちらりとその下に特徴ある色の袈裟を着ているのが見えました。修復作業も僧侶が行うのでした。

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<こちらもお仕事中>P-30/SMC A28mm

さらに奥の部屋でもっと細かい修復作業を行っていた僧侶が手招きしました。すかさず社長が撮っていたビデオを送料に見せて歓迎されます。

いい雰囲気になっていたと思っていたら、いつの間にかやってきていた年配者の男性ばかりの日本人観光客集団がぞろぞろと入ってきては、部屋があふれかえってしまいました。「お前らは呼んでいない」ということなのか、さきほど手招きをしていた僧侶の機嫌が豹変してしまい、我々もあおりを食って追い出されてしまいました。なんとも残念です。

実はこの集団は同じ拉薩飯店(Holiday Inn)に泊まっていたのです。その日の朝、ロビーが人であふれ、座るところもあまりなかったのですが、席を譲ってあげても(相手は年上ですからね)、一切の礼はなく仲間内で好き勝手をやっているというのが見て取れたのでした。

ちなみに、ロビーに人があふれかえっていたのは、飛行機が飛ばなかったためのようです。

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<厨房のドンモ>P-30/SMC A50mm

デプン寺を出る前に厨房を通りかかり、撮らせてもらったものです。バター茶を作る撹拌機ですね。

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<絨毯づくり>P-30/SMC A50mm

観光が終わり、尹さんの土産攻撃の一環で寺の下にある絨毯工場に立ち寄ります。

すると、デプン寺にいたあの集団がまたしても現れたのでした。

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<糸紡ぎ>P-30/SMC A28mm

おっさんたちは時間があまり取れなかったのか、リーダーらしき男性が働く女性に飴玉をひとつずつ渡すと、さっさと出て行ったのでした。

まったく、同胞としても気分が悪いです。この集団にも中国側のガイドがいると思われますが、こういうことをやっているとガイドにリベートも入らず、相当印象が悪くなるはずですね。ともかく、不快をまき散らす連中でした。

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2021年12月11日 (土)

ノルブリンカとパルコル散策

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(15)

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<ノルブリンカ入口>P-30/SMC A28mm

セラ寺の後は、市内に戻りダライラマの離宮であったノルブリンカへ。

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<ノルブリンカ>P-30/SMC A28mm

ここも内部は撮影禁止でした。寺院と違い、係が監視しているので、袖の下は通用しません。

しかし、立派な寝室やバスルームがあり、チベット動乱以前の時代にしてはかなり豪華なつくりであったと思えました。やはり、当時のダライラマの権威や力は絶対的なものであったと思われました。

ということで、建物の写真はこれくらいです。しかも、このあと、現地ガイドの尹さんは2軒も土産物店に案内する始末です。

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<パルコル>P-30/SMC A28mm

夕食をホテルではなく、外で取ることになりました。場所は八角街とも呼ばれるパルコルというところです。

ラサの中心街でここにはジョカン寺があり、巡礼や物売りなども多くにぎわったところです。なお、パルコルは中心の環状巡礼路という意味を持つとのことです。

バスは店の前に付けてくれましたが、食後にパルコルを散策しようということになりました。これが結構大変でしたが。

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<喜捨を受けるラマ僧>P-30/SMC A28mm

ジョカン寺が中心にあり、巡礼路は一方通行です。それも、マニ車を回すときと同じくの右回りでした。

ラサにこれだけ人がいたのかというくらいです。なにしろ、1週間くらい人口希薄なところを回ってきたわけで、人混みというものに遠ざかっておりました。でも、このような散策ができたのも西寧以来ですからありがたかったです。

とはいえ、はぐれるのが恐いので皆つかず離れずでした。個人旅行でしたらそんな心配はいらないのですが。

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<皆さん同じ方向へ>P-30/SMC A28mm

やはり逆行する人はいませんね。

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<五体投地>P-30/SMC A28mm

こちら、ジョカン寺の入口です。これが人生初の五体投地を目撃した瞬間ですね。

大部分の人はここで五体投地を始めますが、巡礼の中には五体投地をしながらやってきた人もいるわけで、画像の左端にいる二人は着ているものがボロボロに擦り切れていました

ジョカン寺にはまた改めて来ることになります。

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<康のパフォーマンス>P-30/SMC A28mm

バスに戻るように回っていくと、康(カム)と呼ばれる一般のチベット人とは異なるやや異形の人たちが何やらやろうとしていました。結局それは謎なのですが、これを取り巻くように見ているのは普通のチベット人です。

Wikiで調べると、カムというのはチベット東部から四川省と雲南省にまたがる地域の名称ですね。そして、カム地方の人々は長年中国政府ともかつてのチベット政府ともちょっとしたいざこざを起こしていたようです。独自の文化を貫き通そうとする人たちなのでしょうかね。

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<土産攻撃>P-30/SMC A50mm

バスに戻るとチベットのおばさんたちがバスを取り巻いておりました。ハンドメイドの土産を買わそうという試みです。やっぱり現金収入は大事なんすね。

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2021年12月 4日 (土)

セラ寺と鳥葬

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(14)

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<セラ寺>P-30/SMC A28mm

ラサ到着2日目(実質初日)午前はポタラ宮殿を見学しました。せいぜい2時間という短さでしたが、ある程度高地順化していたとはいえ、今となってはこのくらいが妥当だったかもしれません。

だいぶ降りてきたといっても、ラサは富士山頂と同じくらいの標高があります。ポタラ宮殿の階段を上るだけでも、平地では考えられないくらい息が切れました。

そのため、いったんホテルに引き上げ、昼食を取り、休養してからこちらにやってきたのですね。

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<門の装飾>P-30/SMC A28mm

この内部でも袖の下をラマ僧に渡して、社長はビデオを撮りまくり、Hさんは写真を撮りまくりました。ワタクシはフィルムの節約もありほとんど撮っておりません。ストロボも持参していたんですけどね。今思えばもったいないことをしました。

現代ではど素人でも高感度写真は撮れるし、残りの枚数など気にする人もいないでしょう。大いに袖の下を渡してチベット人のために使ってもらいたいものです。

内部は様々な仏像が並んでいて、ヤクのバターの灯明の匂いが鼻を刺激します。また、こっそりとダライラマ14世の写真も飾られているところもありました。当時も今も、禁止されたことですが、この当時はおおらかで僧も公安や党の幹部などが見えていないところでは隠そうともしませんでした。

なお、この写真はガイドの李さんによると、「インドからの密輸品」ということでした。ヒマラヤを超えてやってきたものですね。

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<この屋上へ>P-30/SMC A28mm

いったん外に出てこの建物の屋上に上がります。この程度であれば息が切れることはありません。

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<屋上より>P-30/SMC A28mm

こうしてみるとセラ寺もいろいろな建物があります。我々が見学できたのはそのごく一部ということになります。

実はこの時代、文化大革命時の宗教への迫害行為により、寺院もかなり破壊され、僧もようやく戻ってきたというところでした。一部の見学というのもある程度仕方がないことだったのかもしれません。

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<タンカのような壁画>P-30/SMC A28mm

チベットの寺院は屋根などが正面から見た姿と違って見えます。真鍮製だと思いますが、黄金色に輝く装飾もきれいです。

そして、屋上に上ることによって未公開部分であった曼荼羅風の装飾がなされた寺院内部の壁も確認できたのですね。

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<屋上からでしか見れない眺め>P-30/SMC A28mm

ツアーの形式ではあるものの、他の団体は来ておらず、比較的自由に回ることができました。

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<岩絵>P-30/SMC A50mm

屋上からはこのようなものも目に入ります。

曼荼羅風の岩絵が描かれています。この右側は鳥葬場になっています。当然ながらこの日は葬儀は行われていません。

ゾロアスター教も鳥葬を行いますが、異教徒には鳥葬場(沈黙の党)の場所すら明らかにしておりません。おそらくですが、チベット仏教でも鳥葬がある場合は見せてくれないと思われます。

この日はラッキーだったのかもしれません。

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2021年10月 9日 (土)

ポタラ宮殿

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(13)

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<ポタラ宮殿>P-30/SMC A28mm

青蔵公路を走破し8日目にしてチベット自治区の区都、ラサ入りしました。その翌日いよいよラサの観光になりました。

ようやく低地に降りてきたといっても、富士山頂並みの標高です。宿泊していた拉薩飯店は当時Holiday Innと提携していましたが、部屋には酸素吸入器がありました。

道中具合の悪そうなメンバーもいましたが、結局酸素を補給する人はいませんでした。今ならちょっぴりでも吸って試してみるところです。

さて、画像はポタラ宮の正面ですが、我々が入ったのは裏からでした。

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<修復中の裏側>P-30/SMC A28mm

ラサに入ったものの、ツアー一行の移動は陀陀河沿からはるばる乗ってきた暖房もない、三菱ふそうのおんぼろバスのままでした。とはいえ、もう寒さに震えることもないのでそれほど問題はないのでした。

バスは裏につくと、チベット人労働者が働く脇を進みます。平らな土地ではそれほど問題ありませんが、この程度の坂道でも標高のため息が切れるのでした。

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<漢字表記>P-30/SMC A28mm

さて、ポタラ宮の内部は赤宮と白宮に分かれてます。これは外壁の色合いの違いで、建設時期が異なっています。

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<赤宮とラサ市街>P-30/SMC A28mm

ポタラ宮の内部には数えきれないくらいの部屋がありますが、公開されているのはごく一部でした。

そして、内部は撮影禁止でした。それでも、いかにも中国といったところですが、監視の僧侶に撮影料を渡すと撮影許可が出ました。ま、そこまでして撮りたくないというか、当時の撮影感度はとても低く、外付けのストロボを使用してもあまりよく写らないだろうと自主的に判断して撮りませんでした。

現在のようにデジカメになるとばっちり写せるでしょう。とはいえ、このやり方が現在でも通用するかは不明です。おそらくダメでしょう。

ちなみに、当時の中国は公安なども意外な緩さがあり、一線を越えなければかなり自由な撮影ができました。絶対現在のほうが厳しいでしょう。

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<白宮>P-30/SMC A28mm

また、撮影料を渡して内部を撮る方法ですが、ほかの見学者がいると収拾がつかなくなる場合もありますね。

ラサにある別のスポットでもこの方法をよく使いましたが、ポタラ宮に比べ圧倒的に観光客が少ないので、そっちのほうが有効でした。

そして、内部にはヤクのバターから作った灯明が燃え盛り、異様な匂いに満ちてます。慣れの問題でしょうが、いささか気分はダウンしました。

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<空中トイレ>P-30/SMC A50mm

有名な空中トイレがあるので覗いてみました。その時も使用可能なトイレでしたが、しゃがんだ下には遮るものがなく、そのまま排泄物が落下していくというものでした。

絶対写真を撮りたかったのですが、中国人観光客が使用中で、撮影ははばかられるのでした。

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<土産攻勢>P-30/SMC A28mm

裏から入って正面から出るという不思議なルートで退出します。

なんか、観光は短時間で終わってしまった気もしますが、結構な時間をかけていたようです。

バスまでの道すがら、康(カム)と呼ばれるチベットの行商女性たちから土産を買わないかとしきりに誘われます。

当時、日本人は世界中に出て行ったはずですが、ここでは日本語では声をかけられずに、もっぱら英語でした。ツアーの監視役である陳さんは英語ガイドですが、「Where are you from?」と声を掛けられ、「From Tokyo」などと返していました。ま、陳さんが最もあか抜けていることもあります。ちなみに、日本語は全く理解できない人です。

しかし、最もしぶとい商売人は現地ガイドの尹さんでした。高額なタンカを欲しいという社長などを知り合いの店に案内し、そのリベートをしっかりと稼いでいるのでした。

チベットでガイドを数年やるだけでひと財産作れるとも言われていました。

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2021年7月12日 (月)

ラサへ

西寧~ラサ・高山病と戦う旅からのエピソード(12)

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<ダムシュン>P-30/SMC A28mm

ダムシュン(当雄)という町に着きました。ここで昼食となります。

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<調理中>P-30/SMC A28mm

例によってガイドの尹さんが選んだ店です。当雄達県飯店という素朴な店です。しかし、ここも灯油の匂いが充満するため、料理ができるまでは外で待ったりします。

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<外で待つ>P-30/SMC A28mm

現地の人も外で待っております。

この時の料理は写真は残っていませんが、メモによると「茄子の炒め物」、「ピーマンと肉の炒め物」、「冬瓜とキャベツの炒め物」、「きゅうりと卵の炒め物」、「いんげんと肉の炒め物」、「ジャガイモの煮物」、「乾麺の煮込み」でした。味はかなりいいです。さすがは味に貪欲な中国人ガイドです。

炒め物ばっかりですがひとつの鍋で短時間にできるものはどうしてもこうなりますね。料理はたくさんあるように感じられそうですが、小皿にちょっこっとずつです。大半の人が食欲もかなり落ちているのでこれでも十分でした。

また、どうしても高山病の症状が抜けない人はバスで横になっている始末です。

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<ニエンチェンタングラ山>P-30/SMC A28mm

バスは南下し最後の給油をしました。ここで見えてきたのがニエンチェンタングラ山でした。こう見えても7162メートルあるそうです。

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<民家>P-30/SMC A50mm

近くの民家にはおそらく魔除けらしいマークの入ったドアがありました。この辺りまで来ると遊牧ではなく農業を営んでいて定住生活をしています。

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<馬を引く男性>P-30/SMC A50mm

前日宿泊した那曲飯店にいたヨーロッパからの団体客はこのあたりで行われていた馬の祭りを見に来ていたそうです。すでに通りかかったときにはイベントは終わりかけのようでしたが、馬を引いて家に帰る人たちを何度も見かけました。

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<仕事帰り>P-30/SMC A50mm

畑仕事帰りでしょうか。彼女たちはこちらに気づくとカメラのシャッターを押す仕草をして笑っていました。

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<畑>P-30/SMC A50mm

標高はかなり下がってきています。ラサまでも100kmを切る表示が出ました。

畑が見えてきたということは山間部ではなく平坦なところまでやってきたということです。

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<ヤルツァンポ川>P-30/SMC A50mm

もうほとんどラサという地点。この直前には軍用トラックの隊列を抜いていきました。トラックには兵士がたくさん乗っていましたが、ほとんどが漢民族でした。

やがてバスはラサ市内に入り、遠くにはポタラ宮殿も見えてきます。体調を崩してほとんど横になっていた夫婦は感極まって万歳するほど。

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<本日のお宿>P-30/SMC A28mm

ここに泊まりました。実は中心から離れていてチベット感の希薄なホテルです。拉薩飯店といい、当時はHoliday Innと提携していたところです。

当時としてはラサで一番いいホテルといわれていることもあり、、部屋には酸素吸入器などもあるのでした。

なお、移動中のバスにも「酸素袋」なるものがいくつも積まれており、こんなものが効くのかと思ったほどでした。結局使用した人はいなかったのですが。

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