カテゴリー「Music Talk」の157件の記事

2023年1月22日 (日)

時代遅れって素晴らしい

かすてら音楽夜話Vol.157

もはや旬の話題ではないんですが、皆さん大晦日の「紅白歌合戦」ご覧になりましたでしょうか。

わたしゃ、コロナ禍以前は毎年海外に行ってましたので、ほぼ見ておりませんでした。唯一、2007年の第58回は、マラッカに滞在しておりまして、そのホテルでは衛星放送でNHKが映るということがわかり、「推し」である馬場俊英というシンガーソングライターが出るので、時間を見計らって拝見いたしました。ちょっと感動しました。記事

その他、エレファントカシマシや宮本浩次が出るときは予約録画をしました。機種の問題で番組ごとの録画となるので5時間分ありますから、削りに削って3分にする作業もやや面倒なんすけどね。

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さて、2022年の第73回紅白歌合戦ですが、出場歌手が発表された時点ではどうでもよかったんです。しかし、当日になってこの人が企画した5人の同級生たちによる楽曲も特別企画として出るということがわかりました。事前にタイムテーブルも判明したので、23:00頃、録画を始め、生でも見ましたよ。

そう、「時代遅れのRock'n'Roll Band」ですね。メンバーは桑田佳祐、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎。五十音順なんすね。

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とりわけ、わたしゃ佐野元春のデビュー以来のディープなファンですから、見逃すわけにはまいりません。いずれも業界歴の長い人たちではありますが、元春とCharは紅白初出場です。

 

以前、ちょっとだけ取り上げたものは、音声のみでしたが、今回はきちんと映像付き。バッキングの大友康平、ハマオカモト、原由子も入ってますし、小学生時代のエピソード(もちろんフィクション)がラストにあります。

「♪燃えろ、いいバンド」という楽屋落ちも。わかりますよね。

さて、NHKの放送では、通常の出場者は楽曲が3分を切るというタイトなスケジュールであるため、イントロからアウトロまでのフルヴァージョンはまず無理で、途中を省略するのが慣例です。まあ、これは他の放送局でも同じで、ミュージックフェアであっても、カウントダウンTVであっても、ミュージックステーションであっても同様。

しかし、今回NHKはいい意味でやってくれました。楽曲がフルヴァージョンであるばかりでなく、登場シーンから教室で昔の同級生(元春を除く)とブルース調の「朝起きたら」とアコースティックヴァージョンの「夜空の星」のセッションもありまして、かなり長いものでした。スタジオ中継だったので、大泉洋と長友の「ブラボー!」が被らなくてよかったです。

「いつも素敵なトラックに乗っている、大友君のカウントで…」という桑田のMCもツボでした。

さて、この曲はさりげなくではあるのですが、「No More No War」という歌詞以外にも争いごとや平和について歌われています。間違いなく、ロシアのウクライナ侵攻がきっかけとなって、この曲は誕生したのだと思いますね。そして、チャリティシングルでもあります。

2020年代、成人年齢が18歳からとなっても、若年層の投票率が上がらず、政権与党が妙な動きをしても、時の政府に異を唱えるのはあたかも悪いことといい切るような若年層が多くなりました。

ですが、今回のロシアの動きはどう考えてもロシアに非があるでしょ。クリミアやウクライナ東部が限りなくロシア色が強いといっても、首都のキーウにミサイル撃ち込まないでしょ。

当たり前のことを楽曲ではありますが、形にした桑田佳祐、あんたは偉い。清志郎が生きていたら、さらに強く行動に出たと思いますがねえ。

はっきりいうと、「時代遅れのRock'n'Roll Band」という曲は、英語ヴァージョンがあるわけでもなく、世界に配信されているわけでもありません。でも、ミュージシャンとしてはっきりと抗議という形を表したということに意義がありますね。

なんか、最後は堅くなってしまいましたが、2022年の締めくくりに、いいものを見せてもらったことに感謝です。元春の紅白初出場がこういう形で実現するというのもよかったです。最近追悼記事ばっかりだったし。

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2023年1月12日 (木)

追悼、Jeff Beck

かすてら音楽夜話Vol.156

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今回、緊急の記事です。

今月10日、イギリス人で3大ギタリストのひとり、Jeff Beck(ジェフ・ベック)氏がお亡くなりになりました。死因は細菌性髄膜炎とのことです。享年78歳。

長寿の国となった日本ではまだまだ若い年齢だと思いますが、世界的な基準ではそうでもないんすかね。ちなみに、ジミー・ペイジは誕生日が来たばっかりで、79歳。エリック・クラプトンは77歳で3月に誕生日が来ます。

ワタクシが敬愛するGlimmer Twins、ミック・ジャガーとキース・リチャーズは1943年生まれで、今年80歳になりますが。

さて、ベックの功績については、2020年の「3人のギタリスト」という記事に書かせていただきましたので、ここでは割愛させていただきます。

に、しても早すぎだよな。残念の一言です。若く見えたんですけどね。

では、アルバム『Blow By Blow』(ビルボードアルバムチャート、4位。インストアルバムとしては異例のヒット。)より、「She's A Woman」を聴きつつ、お別れいたしましょう。

オリジナルはレノン=マッカートニーのビートルズの曲で、ビルボードシングルチャート奇しくも4位です。ほとんど原曲のテイストは失われていて、ベックの色がとっても濃ゆい仕上がりになってます。映像はBBCのLive Versionです。

 

引き続き、リクエストご意見をお待ちしております。

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2022年12月 7日 (水)

マックの「完全」

かすてら音楽夜話Vol.155

またもや、タイトル意味不明です。

「マック?マクドじゃないんかい?」ここでいう、「マック」とは、Fleetwood Mac(フリートウッドマック)のことです。

そして…「完全」とは、この方。

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Christine McVie(クリスティン・マクヴィー)のことです。11月30日に死去が報じられました。死因は発表されておりません。1943年生まれ。享年79歳。合掌。

彼女の出生名は"Christine Perfect"なんすね。

クリスティンはイギリスのブルースバンド、Chicken Shack(チキンシャック)にキーボード兼ヴォーカルとして参加します。そして、同じイギリスのブルースバンドであったPeter Green's Fleetwood Macのベーシスト、John McVie(ジョン・マクヴィー)と結婚し、フリートウッドマックに参加します。この時、ユーミンのように夫の姓を名乗ることになりました。

フリートウッドマックは何とも長い歴史があり、メンバーも変遷があるので詳しいことは省きます。

ですが、ワタクシが彼らを知るようになったのは、1979年のアルバム『Tusk』からとなります。

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<全盛期のマック>

 

音声だけですいません。一応、2015年のリマスター盤です。

この、「Over and Over」は2枚組アルバム『Tusk』のオープニング曲ですが、シングルカットはされておりません。ですが、クリスティンの温かみのあるヴォーカルがバンドに安定感を与え、約70分という当時としてはずいぶんと長いアルバム(LPリリース時は2枚組)では、リスナーを落ち着かせるような歌声ですね。作者はもちろん、クリスティンです(これから紹介する曲はすべてクリスティンの曲です)。

さて、当時のマックのラインナップです。画像の中央がクリスティンですね。

Mic Fleetwood(ミック・フリートウッド):ドラムス、パーカッション、画像の左から2人目
John McVie(ジョン・マクヴィー):ベース、画像の一番右
Christine McVie(クリスティン・マクヴィー):キーボード、ヴォーカル、バックコーラス、画像中央
Lindsey Buckingham(リンジー・バッキンガム):ギター、キーボード、ヴォーカル、バックコーラス、画像の右から2人目
Stevie Nicks(スティーヴィー・ニックス):キーボード、ヴォーカル、バックコーラス、画像の一番左

これが全盛期のフリートウッドマックといわれ、クリスティンの他にリンジーとスティーヴィーもそれぞれ曲を書き、それぞれがリードヴォーカルを取り、時には3人のシンガーがコラボレーションをするという、多彩なポップバンドに変身していたのでした。

冒頭でマックをブルースバンドと書きましたが、当時のリーダー、Peter Green(ピーター・グリーン)がLSDの影響でグループを去り、クリスティンとほぼ同時期にバンドに加わったBob Welch(ボブ・ウェルチ、アメリカ人)が入ったことで、ブルース色が徐々に薄まり、なおかつ以前のメンバーがグループを去ることによって、ポップなバンドへと変わっていったのです。とはいえ、クリスティン自身もマックのファンであり加入した時代のクリスティンの曲なども、意外にブルージィだったりします。

そして、1974年にボブ・ウェルチが脱退し、バンドはアメリカ人のリンジーとスティーヴィーをスカウトすることになります。当時この二人はBuckingham Nicksというデュオを組んでいたのですが、バンドは白羽の矢を立てたのはリンジーだけだったといいます。しかし、リンジーがスティーヴィーも一緒にバンドに加わってはどうかという提案をし、それが受け入れられ、最強のフリートウッドマックが誕生したのでした。これを機に、マックはアメリカに拠点を移しました。

 

この曲は1977年のアルバム、『Rumours』収録の「Don't Stop」です。ビルボードHot100では3位を記録しました。クリスティンの曲ですが、リンジーとクリスティンがリードを交代しながら歌います。スティーヴィーはコーラスですね。

このように、全盛期のマックは演奏だけでなく歌にも広がりがあって、非常にポップなことがわかりますね。

ちなみに、この曲は1992年のアメリカ大統領選挙で、ビル・クリントン陣営がキャンペーンソングに選び、大統領就任式ではフリートウッドマックが全盛期のメンバーで演奏をし、再結成ライヴも行われました。そちらのほうが有名かもしれません。

そして、このアルバム『Rumours』は、なんとアルバムチャートであるビルボードHot200で31週に渡って1位を獲得するというお化けアルバムでした。当然ながら、年間アルバムも1位に輝き、1978年のグラミー賞の最優秀アルバム賞を獲得しています。また、スティーヴィーの曲「Dreams」がグループ唯一のHot100で1位を獲得しています。

とはいえ、ワタクシの個人的な好みは『Rumours』の前作『Fleetwood Mac』(邦題は『ファンタスティックマック』というしょうもないものでした)だったりします。

 

その『Fleetwood Mac』から、「Warm Ways」でした。リンジーの歌う「Blue Letter」との両A面でしたが、チャートインはしていません。

この曲も温かみのある、クリスティンの声が安らぎのようなものを与えてくれますね。アルトの声はアルファ波をもたらすともいわれています。

この、『Fleetwood Mac』から、リンジーとスティーヴィーが加わったわけですが、マックとして初めて商業的に成功したアルバムで、ビルボードHot200でチャートインから58週目に1位になりました。じっくりと売れたわけですね。『Rumours』には及びませんが、500万枚を売り上げました。

いわば、マックがアメリカに認められたアルバムとなります。

さて、クリスティンにはジョン・マクヴィーという夫がいて、リンジーとスティーヴィー(本名の一部がStephanie)も私生活ではパートナーであったわけですが、『Rumours』制作の頃は、すでに関係が悪化し亀裂が入っていたようです。

それでも、涼しい顔をして(メンバーチェンジもせず)『Tusk』、『Mirage』、『Tango In The Night』というアルバムを出し続けました。ある意味、ものすごいプロフェッショナルであると思います。

では、最後にこの曲を流しつつお別れしましょう。

 

アルバム『Tango In The Night』から、「Little Lies」でした。ビルボードHot100では4位でした。映像は最盛期のメンバーが登場するプロモーションビデオです。

さよなら、クリスティン。

ありがとう。ブラボーだったぜ!

2022FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦、日本vsクロアチアは1-1のドローでしたが、PK戦の結果、ここで敗退となりました。

2010年の南アフリカ大会でもPKでベスト8に進めず、PKを外した駒野選手への批判があったりしましたが、今回そういうのはなしにしましょうや。夢は2026年に持ち越しだ。

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2022年11月29日 (火)

自称セクシー

かすてら音楽夜話Vol.154

 

いきなりのRod Stewart(ロッド・スチュワート)、「Da Ya Think I'm Sexy?」(邦題「アイム・セクシー」)での始まりです。

この曲は1979年2月にビルボードHot100で4週連続の1位。そればかりではなく、母国イギリスのチャートでも1位となり、世界中でこの怪しげなロッドのしわがれ声が響き渡ったのですね。

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さて、今回唐突にロッド・スチュワートを取り上げたかというと。現在進行中の2022FIFAワールドカップが理由ですね。

つまりですね、ロッドはかつてサッカー選手、もとい、フットボーラーだったのです(お忙しいと思いますが、おりんぴあさんフォローよろしくです)。

さて、この1979年、世の中ではまだまだディスコブームで、この曲もディスコ調です。それまでのロッドの経歴、Jeff Beck Group(ジェフ・ベック・グループ)~Faces(フェイセズ)という正統派ロックバンドのヴォーカルとしては、この曲はどうなんだという論調もあったようです。

しかし、すでにビッグな存在となっていたThe Rolling Stones(ローリングストーンズ)が「Miss You」をリリースし、Paul McCartney(ポール・マッカートニー)もWings名義で「Goodnight Tonight」をリリースしておりました。よりディスコサウンドを意識した曲ですよね。だったら、まあ、いいかくらいのものですかね。

これが、もしツェッペリンがディスコサウンドものを出していたら、大バッシング間違いなしでしたけど。

ところで、この1979年は国際児童年でもあったわけで、この年、ユニセフのコンサートが行われ、なんと、ロッドもこの曲で参加しているんですね。なんちゅう違和感やねん!

ちなみに、ほかの参加者はオリビアとかビージーズで、子供に害のなさそうな「Too Much Heaven」(邦題「失われた愛の世界」)などを演奏していたわけです。また、日本ではゴダイゴが「ビューティフル・ネーム」を協賛曲としてリリースしています。

 

ロッドはこれまで4曲をビルボードHot100の1位に送り込んでいまして、こちら、「Maggie May」が1971年にリリースした初の1位となった曲です。イギリスでも1位を獲得してます。

この時はフェイセズは活動中でしたが、当時からソロ志向はあったようで、フェイセズと並行してソロアルバムも数枚リリースしてます。このYouTubeの映像ではフェイセズ時代のギタリスト(ジェフ・ベック・グループでもベーシストのちギタリスト)、Ronnie Wood(ロニー・ウッド、ロン・ウッド、現ローリングストーンズ)を起用したアンプラグドのライヴですね。1993年の映像のようです。

ともかく、この「マギー・メイ」でロッドの知名度はぐっと上がったといえますね。

 

こちらは、1976年リリースの「Tonight's The Night(Gonna Be Alrihgt)」(邦題「今夜決めよう」)のプロモーションビデオです。この曲で2回目のビルボード1位を獲得しています。しかも、8週連続という。ただし、活動拠点をアメリカに移したため、イギリスでは5位止まりでした。

この音源は基本シングルと一緒ですが、最終盤の女性の声はこのビデオ用に入れられたものですね。いやー、ホントいやらしく映ってますよね、ロッド。

「Da Ya Think I'm Sexy」収録のアルバムは『Blondes Have More Fun』といい、邦題は『スーパースターはブロンドがお好き』というベタなものでした。アルバムジャケットは後ろ姿のブロンド女性の背中に手を回すロッドというものです。しかも、女性の服が大阪のおばちゃんじゃありませんが、ヒョウ柄です。

実際、ロッドは女性遍歴も派手で、4人の女性との間に8人の子供がいるそうです。こりゃ、ミック・ジャガーも顔負けですね。ちなみに、ロッドもミックも「Sir」の称号を受けております。

え?フットボールの話はどうしたって?

ロッドは父親がスコットランド系、母親がロンドン育ちで、ロンドンで生まれました。家業は新聞配達業だったそうですが、父親がいくつかのアマチュアのフットボールチームにかかわっていたそうです。当然ながら、幼少時からロッドもフットボールに親しみ、学校では中心選手であったようです。英語版のwikiではポジションがセンターハーフとなっていますので、今でいうミッドフィルダーですかね。ただ、当時の1950年代のフォーメーションと現代ではポジショニングなどはかなり違うと思いますので、何ともいえません。

さて、ロッドは学校を卒業後にロンドンのチーム、ブレントフォードFCのテストを受けます。日本版のwikiでは3週間ほどで退団とあるのですが。英語版ではテスト後にクラブからの連絡がなく、これを機に本格的に音楽の道に進んだという記述でした。

ちなみに、ブレントフォードFCは今でこそプレミアリーグに参加していますが、ロッドがテストを受けた時代は3部や4部にくすぶっていたようです。

なあんだ、といわれそうですが、日本でもJ3やJFLという下部のチームはあるわけで、そこにも当然プロがおります。もちろんイングランドはフットボール先進国ですからテストを受けただけでも、結構なレベルにあるのかも。

ロッドに限らずイギリスのミュージシャンはそれなりにフットボールの心得がありそうで、前述のロニー・ウッドはストーンズのライヴで降り注ぐ風船に対してヘディングをするシーンもあります(ツンツンヘアで風船を割るとか、くわえたばこの火で風船を割る)。ロッドもパフォーマンス中にキックを入れたりしますね。

また、FIFAワールドカップのイングランドの試合で、ミック・ジャガーが見に来たなんてこともありますよね。

ミュージシャンの才能と競技を伴う運動は相反する傾向がありそうですけど、ブラジル人は別かも。サンバの人とかリフティングが上手そうです。もしかしたら、マルシアとかサンバのお姉さんとかボールの扱いがとんでもなく上手かったり…なんてね。

さて、日本にとっては残念な結果に終わってしまったコスタリカ戦。でも、これがワールドカップですよ。

負けたからといってSNSに手のひら返しの投稿をしちゃったり、wikiのページを書き換えちゃったり。そのエネルギーをプラス方向に向けましょうや。最後まで楽しめばいいじゃない。どの国も通ってきた道なんだから。

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2022年11月 5日 (土)

スペクトラムとアミューズ

かすてら音楽夜話Vol.153

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久しぶりの音楽話。今回は新田一郎率いるスペクトラムと今や巨大事務所となったアミューズのお話です。

スペクトラムについては昨年「ブラスロック!」という記事で取り上げました。ですが、それはいわば十把一絡げの話でありまして。

その後、タワーレコードからリリースされているスペクトラムのオリジナルアルバムと、ラストのライヴアルバムを大人買いいたしまして、彼らについては結構詳しくなりました。もちろん、彼らが活動中であった1979年から1981年にかけては、ワタクシもテレビなどで拝見していましたし、ベストアルバムも購入しておりましたが。要するに解散後40年を経てはまったということです。

スペクトラムというと、思い浮かぶイメージは「トランぺッターがリードヴォーカルでしかもファルセット」。「トランペット回し」。「かつてのローマ戦士のような派手な衣装」。…といった、奇抜な、意表を突いた、さらに悪くいえば「イロモノ」的な見方をされていたようにも思います。しかし、実力派であることは間違いなく、それは次の曲でご確認ください。

 

1980年のセカンドアルバム『Optical Sunrise』収録のインストゥルメンタル、「侍S」でした。

凄まじいテクニックです。ここで、メンバーの確認をしておきましょう。

スペクター1号:新田一郎(トランペット/ヴォーカル)
スペクター2号:兼崎純一(トランペット)
スペクター3号:吉田俊之(トロンボーン)
スペクター4号:渡辺直樹(ベース/ヴォーカル)
スペクター5号:西慎嗣(ギター/ヴォーカル)
スペクター6号:奥慶一(キーボード)
スペクター7号:岡本敦男(ドラムス)
スペクター8号:今野拓郎(パーカッション)*現在は今野多久郎

奥慶一は東京藝大の大学院まで進んだ人ですが、その在学中に郷ひろみのバックバンドに参加したのち、スペクトラムに加入しました。解散後はスタジオミュージシャンとなり、多数の作曲、編曲を手掛けています。

岡本敦男はヤマハネム音楽院(現在はヤマハ音楽院)に在学していましたが、浜田省吾のいた愛奴に浜田の担当していたドラムスの後任として参加しました。ヤマハ音楽院は民間の音楽学校ですが、相当な人材を輩出していることから、岡本もエリートであるといえます。スペクトラム解散後はベースの渡辺とともにAB'Sに参加しました。

今野拓郎は解散後、桑田佳祐や原由子のサポート、およびKUWATA BANDに参加しリーダーを務めました。また、「いかすバンド天国」のプロデューサーとしても知られています。

以上は裏方というか、ステージでは後ろに控えるメンバーですね。いずれも名うてのテクニシャン。特に、今野多久郎はそれまでの認識では「イカ天」の「ロックロックこんにちは」なんてコーナーで、元ジューシーフルーツのイリアと軽いノリでやり取りしていたくらいでしたが、スペクトラムのスタジオ録音の音源、いやライヴ盤も含めてものすごく乾いた音で鮮やかに打楽器類を叩きまくっているのがわかりました。風貌はエセサーファー風ではあるんですが、やっていることはとんでもなく凄いんですね。

さて、フロントマンのブラスセクションとギター、ベースですが、母体となっているのが、キャンディーズのバックバンドであったMMP(ミュージックメイツプレイヤーズ)です。

 

キャンディーズとMMPの貴重な映像です。

キャンディーズの田中好子サイドにベースとギターがおりまして、これはそっくりそのまま渡辺直樹と西真嗣です。そして、藤村美樹サイドにブラスセクションがおります。ここではサックス奏者がいますが、当時はMMPに所属していた中村哲氏です。中央のトランペットが兼崎順一で、新田一郎は珍しくトロンボーンを演奏しています。間奏中にはこの3人とキャンディーズが相対するように振り付けで踊っていますね。のちのスペクトラムの原点を見たような気もします。

さて、キャンディーズは「全員集合」にも出演していたように、渡辺プロ所属です。MMPも渡辺プロ所属の専属のプレイヤー集団でした。キャンディーズを担当していたマネージャー、大里洋吉氏が独立してアミューズを設立します。MMPからホーンセクション3人は、大里氏についていき、「ホーンスペクトラム」として活動することになりました。

アミューズの設立は1977年。一説によると、原田真二の個人事務所的な側面もあったとか。そして、キャンディーズの解散は1978年ですが、キャンディーズの解散コンサートでは大里氏が総合演出を手掛け、ホーンスペクトラムも引き続きMMPとキャンディーズのサポートを行っていました。

話は長くなってしまいますが、新田一郎に関してはMMP以前に、伊丹幸雄のバックバンド、「ロックンロールサーカス」、あいざき進也のバックバンド、「ビート・オブ・パワー」に所属していました。

伊丹幸雄とは同学年になるので、高校在学中から活動していたことになります。新田一郎は奈良県出身ですから、青田買いされてナベプロの寮住まいだったのではと推測します。同様にギターの西慎嗣も長崎の五島列島の出身で、キャンディーズの解散時にはわずかに17歳です。さすがはナベプロでアイドル以外のプレイヤーもこうして育てていったのですね。これは、社長だった渡辺晋がジャズミュージシャンであったことも影響しているでしょう。

 

さて、アミューズ所属となったホーン・スペクトラムですが、原田真二ほど騒がれていなかったサザンオールスターズの編曲(管弦編曲)や、ライヴおよびレコーディングに関わっていました。

そんな中、サックスの中村哲氏が脱退。MMP時代の仲間、渡辺直樹に声をかけ、メンバーが集まり正式にデビューすることになります。ちなみに、パーカッションにはまだ今野拓郎は参加しておらず、MMP時代のメンバー、菅原由紀がサポートしていました。

なお、映像は切れているみたいに見えますが、Victor Entertainmentのものですので、きちっと見れます。

なお、大里氏は中学高校時にブラスバンドに所属していたらしく、アミューズでもまたスペクトラムを大事にしていたのではないでしょうか。もっとも、人柄としてはぶっきらぼうであるとの証言もあるようですけど。

 

そんな大里氏とスペクトラムの関係を表したような曲が、こちら。「ミーチャン Going To The Hoikuen」(作編曲:スペクトラム)です。

1980年3月発売の3枚目のシングル(「F・L・Y」と両A面)になります。途中の会話に出てくる子供(ミーチャン)は大里氏の娘さんです。当時未就学児であるため、会話を何度も録音し、つなぎ合わせて編集したと、ライナーには書いてありました。

コーラス部分はテープの回転を早めてますね。これは「帰ってきたヨッパライ」以来の伝統的な手法ですね。

このような曲でライヴができるのかというと、スペクトラムはやってしまうんです。もちろん、会話の部分はバックで録音したものを流すのですが。当時は現在のようにプレイヤーはイヤホンなど使用せずモニターで聴き取っていたわけで、これは8人全員の息が合っていないとできないことと思いますね。

その会話ですが、スペクトラムの解散ライヴ(なんと、前座がサザンオールスターズ)ではミーチャンが小学生になっていて「ミーチャン、保育園面白い?」(新田一郎)に対して、「ミーチャンは保育園を卒業して小学生になったんだよ」(ミーチャン)、「おじさん、知らなかったなあ」(新田一郎)という風に変更されていました。また、後年のリミックス盤ではミーチャンは高校生になっていた旨が収録されています。

また、「面白い子いる?」(新田一郎)に対してミーチャンは「ようきちくん」と答えているように聴こえます。これ、新田一郎並びにスペクトラムからの大里氏に対するリスペクトですよね。ローマ戦士風の衣装に身を固め、一見無機質にも見える彼らの人柄も伺えます。

スペクトラムのようにCDが導入される前に解散したバンドや消えていったシンガーは、音源がCD化されなかったり、されたとしてもすぐに市場からなくなってしまうことが多いのです。しかし、幸いなことにスペクトラムのすべてのアルバムはタワーレコード限定ではありますが、売っているんです。Spotifyでも聴けるんじゃないかな、知らんけど。

もう、こんなバンド、出てこないですよ。現在も活動していたら、昨年のオリンピックでメイン張ってたかも…。

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2022年9月14日 (水)

化妝品廣告曲

かすてら音楽夜話Vol.152

タイトル、またしてもなんのこっちゃですが、中国語の繁体字でコスメのCM曲と、Google先生に訳してもらったものです。

ともあれ、ワタクシの香港ポップスのおさらいをしておきます。

1994年、香港、尖沙咀のCDショップを覗いていたら、たまたまかかったのが王菲(フェイ・ウォン)の「夢中人」(クランベリーズの「Dreams」のカバーで映画「重慶森林」(邦題「恋する惑星」)の主題歌)が流れてきて、本人の顔写真の一切使われていないCDながら、王菲にはまり、情報を集め、CDを探し出しては買いあさるというところから始まります。

とはいえ、その後王菲以外にドはまりすることもなく、月日が流れていきました。そんな時にたまたま耳にしたのがこちらでした。

 

Karen Mok(カレン・モク:莫文)という香港の女優の「Love Yourself」でした。現地の読みではモック・マンワイとなります。

本名、Karen Joy Morris(カレン・ジョイ・モリス)。1970年生まれの中英ハーフですね(実際は父も母もかなり複雑な血が混じりあっているようです)。1969年生まれの王菲とほぼ同世代となります。

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この「Love Yourself」が1997年にリリースしたデビューシングルとなります。

この英語詞はカレン・モク自身によるもので、作曲がなんと日本人である伊秩弘将になります。あの、SPEEDを手掛け、「GO! GO! Heaven」(作詞作曲とも伊秩による)がSPEED初のオリコン1位な~んて頃に、海外発注のこちらまで手掛けていたんですね。

彼女は俳優もやっていますが、音楽的キャリアもなかなかのもので、現在までコンスタントにアルバムをリリースしています。香港で育ち、イタリアとイギリスに学び、北京語、広東語、英語、日本語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語を話すといいます。このようなところから、英語の歌詞を任せられるようになったのではないでしょうか。

ロンドン留学(ロンドン大学、Mick Jaggerと同じ)の時に音楽ユニットを組み、これが歌手デビューにつながったともいえますね。とはいえ、「Love Yourself」を含むアルバム『做自己 To Be』のリリース時がすでに27歳です。映画デビューのほうが1993年と早いです。香港といいますと、俳優イコールシンガーという面も少なからずあります。カレン・モクはハーフとはいえ、かなり独特な容姿ですので、王菲のように主役級の役が回ってくることはなく、映画でもかなり個性的な役回りであるようです。

さて、この「Love Yourself」ですが、当時資生堂のブランドであったZA(ジーエー)のCM曲でした。wikiの中国語版によれば、この曲は「903」というチャートでしょうか、それでは1位になっています。アルバムのチャートは不明でした。

そして、彼女の拠点は香港です。ZAも香港はおろか中国本土にもぐっと食い込みたいということで、この曲には國語版(北京語)と粤語版(広東語)があるんですね。

 

北京語versionの「Love Yourself 愛自己」でした。なんと、映像は英語versionと同じ。こちらの作詞はカレン・モクではなく周燿輝という人に代わっています。

残念ながら広東語versionの「Love Yourself 譲我美」も同じ映像ですので、割愛させていただきます。こちら、作詞は同じく周燿輝さんです。

その代わりといっては何ですが、ライヴ映像をお楽しみください。英中混在です。

 

この映像、熱気がすごいですね。カレン・モク、足長~い。

香港人相手に北京語を歌い、後半では「謝謝!」とまで叫んでいると思いましたが、この公演は台北でのものだったんですね。さすがに、マルチリンガルの彼女でも台湾語は使わないのでした。

それにしても、香港がおかしくなってから香港のミュージシャンはどうしているんでしょうね。いや、香港の一般市民の明るい声がききたいですわ。

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2022年9月 5日 (月)

プーさんからTop Gunまで

かすてら音楽夜話Vol.151

タイトル、なんのこっちゃなんですが。今回はKenny Loggins(ケニー・ロギンス、1948年生まれ)を取り上げます。

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画像はLoggins & Messina(ロギンス&メッシーナ)時代のもので、左の髭面がケニー・ロギンスです。右は相方、Jim Messina(ジム・メッシーナ)ですよん。

 

このたび、36年ぶりに続編の作られた映画「Top Gun Marveric」ですが、1986年公開の「Top Gun」の主題歌「Danger Zone」を歌っているのが、ケニー・ロギンスですね。曲もヒットし、ビルボード2位を獲得しております。

とはいえ、この曲はケニー・ロギンスの手によるものではなく、作曲はGiorgio Moroder(ジョルジオ・モロダー)、作詞がTom Whitlockという人です。特にジョルジオ・モロダーは映画音楽で頭角を現した人といえます。代表曲としては「Flashdance…What A Feeling」があり、こちらはビルボード1位を獲得しているし、1983年の年間チャートでは3位になっています。また、日本ではなぜか「スチュワーデス物語」で麻倉未稀によるカバーでオリコン1位という具合です。

ま、そんな具合でケニー・ロギンスといえばこの「Danger Zone」の印象が強いということになりますが、あくまでも彼はシンガーソングライターです。

さらに、ケニー・ロギンスを掘り進めてまいりましょうか。

彼の音楽キャリアはNitty Gritty Dirt Band(ニッティグリッティ・ダートバンド)へ4曲提供したところから始まります。その後、1971年に(日本の学年でいえば)同級生で友人のジム・メッシーナ(1947年生まれ)とロギンス&メッシーナを結成することになります。

ここで蘊蓄を傾けると、彼らのファーストアルバムは『Sittin' In』ということになってますが、アーティスト名の表記は「Kenny Loggins With Jim Messina」とあります。

これは、当初ケニー・ロギンスのソロアルバムをメッシーナがプロデュースするということで制作が始まりましたが、そのままメッシーナも加わってデュオで行こうとなったものなのですね。ちなみに、セカンドアルバムからはアルバム名も『Loggins & Messina』になり、アーティスト名も同じになりました。

さて、ワタクシは1973年に彼らのシングル「Thinking Of You」(邦題「愛する人」ビルボード18位)を購入していました。

 

ですがね、この曲はジム・メッシーナの曲でリードヴォーカルもメッシーナ。ま、当時は映像もありませんでしたのでそんなことはわかりません。ですが、デュオとして70年代から現在まで最も売れたDaryl Hall & John Oates(ホール&オーツ)よりもしっかり二人が共同作業をしているようにワタクシは感じますね。

このあたり、ジム・メッシーナが元Poco(ポコ)のメンバーだったこともありますかね。PocoのメンバーであったRandy Meisner(ランディ・マイズナー)もTimothy B. Schmit(ティモシー・B・シュミット)もEagles(イーグルス)に加わることになり、そうしたテイストを個人的にも好むことから、ロギンス&メッシーナも早くから好んでいたのだと思います。

さて、ロギンス&メッシーナとはその後縁が切れまして、再び出会うことになるのはある程度自分のお金を好きな音楽に費やすことができるようになってからでした。つまりは数10年後のことです。

すでに、彼らは解散していたのですけど。

 

曲は「House At Pooh Corner」(邦題「プー横丁の家」)でした。こちら、アルバム『Sittin' In』収録です。シングルカットはされておりませんが、かつてケニー・ロギンスがニッティグリッティ・ダートバンドに提供した曲のひとつです。

わたしゃ、外国童話などにはまるで縁のない幼少時代を送っていましたので、「プー横丁ってなんだ?」となったわけです。それが、「水曜どうでしょう」を見ていたらイングランドのハートフィールドに「くまのプーさん」(原題「Winnie-the-Pooh」原作者はA.A.ミルン)の世界を再現したところがあることがわかりました。しかも、「くまのプーさん」の続編は「プー横丁にたった家」(原題「The House At Pooh Corner」)というのですね。

というわけで、イギリス人の童話でありますが、アメリカでもほぼ誰でも知っている話を歌にしたわけで、ライヴでも観客が一緒に歌うし、おそらくはケニー・ロギンスやロギンス&メッシーナのファンでなくとも超絶有名な曲であるともいえますね。

ちなみに、映像は2005年頃のロギンス&メッシーナ再結成ライヴです。全盛期からほぼ30年後ですから、メッシーナの風貌はかなり変化してますし、ケニー・ロギンスも髭と髪の毛をだいぶ刈り込んでおります。

これまたシングルカットはされていないものの、『Sittin' In』収録の「Danny's Song」という曲はカナダ人シンガーのアン・マレーがカバーし、ビルボード7位を記録しました(カナダでは1位)。もちろん、ケニー・ロギンスの曲です。

その後、ロギンス&メッシーナは1976年に解散し、ケニー・ロギンスはソロとなります。地道にアルバムをリリースしていましたが、トップ10ヒットには恵まれず、中堅どころという立ち位置でした。

 

曲は1979年のDoobie Brothers(ドゥービー・ブラザース)の「What A Fool Believes」(1979年)でした。ビルボード1位を獲得し、第22回グラミー賞では最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞のダブル受賞となった曲です。ドゥービー自身2度目のビルボード1位がとんでもないことをやらかしたのです。

この曲はケニー・ロギンスとMichael McDonald(マイケル・マクドナルド、ドゥービーのリードヴォーカル兼キーボーディスト)との共作です。ケニー・ロギンスも自身のセカンドアルバム『Nightwatch』に収録していますが、シングルカットはされていません。

映像は無観客ライヴみたいな感じですけど、オリジナル音源とはちょっと異なりますね。マイケル・マクドナルドのキーボード前で座ってギターを弾く男性はJeff Baxter(ジェフ・バクスター)といい、ドゥービーのオリジナルメンバーではありませんが、Steely Dan(スティーリーダン)時代にセッションメンバーだったマクドナルドをドゥービーに誘い込んだ張本人です。

この曲が収録されたアルバム『Minute By Minute』リリース後、自らが誘ったにもかかわらずマクドナルド中心の新しいドゥービーの音楽性に違和感を感じ脱退した人です。その後、セッションギタリストとして浜田省吾のアルバム『Homebound』でもギターを弾いております。そしてなんと現在は軍事アナリストということですから、もしかしたらアメリカでウクライナ問題について何かやっているかも。小泉悠氏のような人かな。

余談が長くなりました。ともかく、この1曲でケニー・ロギンスは知名度が上がったといえます。

 

1984年の映画「Footloose」の主題歌で同名タイトルの「Footloose」でした。ケニー・ロギンス自身初のビルボード1位(3週連続)獲得曲で年間チャートでも4位という最も売れた曲ですね。

こちら、「Danger Zone」と異なり、ケニー自身も曲作りに参加しています。共作者はDean Pitchford(ディーン・ピッチフォード)という人で、これまでのケニーの作風と違ってかなりポップに仕上がっているので、ピッチフォードさんのアイデアがかなり強めに出ていると思われますね。

ただし、ケニーの伸びのあるハイトーンを買われて起用されたことは間違いないです。これは、「Danger Zone」にもいえることです。

 

そして、1985年、USA For Africaの一員として「We Are The World」にも参加。いわば、アメリカの顔ともなったわけですね。中盤のBruce Springsteenのあとにケニー・ロギンスが登場します。

これだけのメンバーを集め、リードヴォーカルが回ってくるのですからこれはすごいと思いますね。コーラスだけの人もいますからね。

つうことで、今回はケニー・ロギンスでございました。

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2022年8月17日 (水)

夢で逢えたら…

かすてら音楽夜話Vol.150

節目のキリ番です。どんなものを取り上げようと考えておりましたが、ここは超個人的な思い入れで行きたいと思います。

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<大瀧詠一氏>

つうことで、ナイアガラーでもあるワタクシのセレクトは大瀧詠一さんです。ちなみに、彼は多数の変名を持っておりまして(詳細は長くなるので省略します)、ミュージシャンとしては「大滝詠一」。作家としては「大瀧詠一」になります。

また、ナイアガラの変遷となりますと、またまた長くなりますので、ご本人がプロデュースしたある曲について語ることにします。

その曲とは「夢で逢えたら」(作詞作曲:大瀧詠一)です。

「夢で逢えたら」がこの世に音源として登場したのは、吉田美奈子のアルバム『Flapper』の収録曲としてで、アルバムリリースは1976年3月のことです。その時点では「夢で逢えたら」はただの収録曲で、シングルカットもされておりません。

吉田美奈子さんというと山下達郎の初期の作品でのコーラスワークと作詞で有名です。また、歌も超絶上手く、女性のソウル系シンガーとしては間違いなくナンバーワンですね。テレビなどで「夢で逢えたら」が取り上げられる場合は、ほぼ吉田美奈子ヴァージョンが筆頭に来るでしょう。しかし、それは後年の評価なのであります。

とはいえ、美奈子版の「夢で逢えたら」のアレンジは大瀧詠一と山下達郎という豪華すぎる組み合わせです。ですが、この1976年の時点では二人ともよほどのマニアでない限り、豪華とは思われない無名の存在だったのですね。

そのような感じで大瀧さんも制作に深くかかわっていたのですが、『Flapper』のレーベルはRCAであり、大瀧さんとしてはひとつの頼まれ仕事であったともいえます。

ちなみに、美奈子さん自身は「夢で逢えたら」は自分が歌っただけなので、自身の曲であるとは思っていなかったようです。

さて、その1年後、ナイアガラレーベルから「夢で逢えたら」のシングルがリリースされます。

 

歌ったのはシリア・ポールという人です。こちらは、1977年6月に「夢で逢えたら/恋はメレンゲ」というカップリングで、リリースされました。アレンジは多羅尾坂内(大瀧さんの変名)。ストリングスアレンジが山下達郎です。

またまた、余談ですが、「多羅尾坂内」とは片岡千恵蔵主演の架空の探偵の名前ですね。なんと、大瀧さんが『A Long Vacation』や松田聖子などへの提供曲で有名になると、作者のご遺族からクレームが付き、その後使用できなくなったとのこと。

YouTubeの映像はよくわかりませんが、大瀧さん自身も入り込んでいるのでバックバンドは大滝詠一楽団ということになるでしょうか。ともあれ、当時ワタクシは父親とのドライブでカーラジオから流れてきたり、テレビ番組でもシリア・ポールヴァージョンを聴いたことがあります。

この当時のナイアガラレーベルですが、コロンビアから発売されております。それ以前はエレックレコードからの発売でしたが、エレックの倒産に伴って、16チャンネルテープレコーダーを無償で譲り受けることと引き換えに3年で12枚のアルバム制作をすることになっていました。ま、そんな経緯の中、そのちょっと前にはやはりクルマのカーラジオから「ナイアガラ音頭」(布谷文夫)が流れてきたりして、この大瀧詠一という人はどんな人なんだろうという興味はありましたね。もちろん、「はっぴいえんど」とかはまるで知りませんでした。

そのような感じで、次々に音源をリリースするナイアガラレーベルでしたが、シリア・ポール版「夢で逢えたら」はオリコン圏外という結果に沈んでおります。

さて、歌い手のシリア・ポールさんですが、なんと父親がインド人貿易商で母親が日本人という日印ハーフです。ということは、父親はジャイナ教徒あたりでしょうかね。シク教徒という可能性もありますが、シク教徒の名前ではありません。そして、子役からスタートし、ニッポン放送の「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」の初代DJ、「モコ・ビーバー・オリーブ」のオリーブとしても活動していました。モコ・ビーバー・オリーブについてはまるで知らないんですけどね。

かなり貴重なオリジナリティと経歴を持つ人です。シリア・ポール版「夢で逢えたら」は単に歌のうまさで比較すると吉田美奈子ヴァージョンには到底かないませんが、どこか独特のテイストがあって気になりますね。ちなみに、同名のアルバム『夢で逢えたら』もナイアガラレーベルでリリースされております。これがですね、なんと現在でも入手可能でタワレコの渋谷に置いてありました。これは是非手に入れたいです。

さらに、掘り下げると「夢で逢えたら」はアン・ルイスに提供される予定でしたが、没になって美奈子さんやシリア・ポールさんに回ってきたとのことです。その後、アン・ルイスにはほぼ同じ曲調の「Dream Boy」を提供しました。残念ですが、YouTubeには上がってません。また、その後、アン・ルイス自身も「夢で逢えたら」をカバーすることになります。

そして、あまり乗り気ではなかった吉田美奈子ヴァージョンもさらに1年遅れて1978年7月にシングルカットされるのでした。

さて、このシングルはオリコン圏外にもかかわらず、数多の人にカバーされております。その中で唯一オリコンチャートイン(8位)したのが、ラッツ&スターの「夢で逢えたら」(1996年)です。実はシャネルズ時代から大瀧さんが彼らを目にかけていて、デビュー以前からナイアガラレーベルの音源には参加していたりします。

YouTubeでラッツ&スターの「夢で逢えたら」は検索すると出てきます。なんと、セリフは田代まさしが語っているというレアものですが、ここでは割愛します。また、吉田美奈子の「夢で逢えたら」はたまに出てくるようですが、削除されまくりのようですので、リンクはつけません。

なお、大瀧さんは2013年12月にお亡くなりになっていたのですが、なんとご本人が歌うマスターテープが発見され、1年後の2014年12にベストアルバム『Best Always』の収録曲としてリリースされました。

それではお聴きください。

 

どうやら、ご家族にはこの存在を明かしていたようです。でも、ナイアガラーにとっては突然のサプライズでございました。本当に「夢で逢えあたら」になってしまいましたね。

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2022年6月18日 (土)

助手席から見た風景

かすてら音楽夜話Vol.149

Yam865

*イメージです

昔から流れゆく風景を見るのが好きです。つまりは、移動していく列車やバスに乗っていることが好きです。

ですが、これらの乗り物から見える景色は座る位置にもよりますが、ほぼ左から右、あるいは右から左へと移り変わるもの。例外は、その乗り物の最前列、つまりドライバーとその横に座る人だけは、「流れゆく」風景ではなく、「迫りくる」風景を見ることになります。ちょっとばかり特別な眺めなのかもしれません。いい例が「乗り鉄」の人たちで、運転席の後ろにどう陣取るかが乗り鉄界の最も高いヒエラルキーだったりしますかね。

前置きが長くなりました。今回はクルマの助手席から、いわばロードムービー的な曲をいくつか取り上げたいなと。

 

当たり前ながら定番、松任谷由実の「中央フリーウェイ」(作詞作曲:荒井由実)でした。

映像は1996年の「Yumi Arai The Concert with old friends」からです。正隆さん(ダンナ、key)も鈴木茂(g)も、斎藤ノブ(per)も、ジェイクさん(sax)もみんな若いですね。

一応提供曲ということで、ハイファイセットも庄野真代もそれぞれあるんですが、やっぱりユーミンのライヴはメンバーが豪華。

とはいえ、これは前振りのようなものです。曲も1970年代のものですし。

 

こちらは、EPOの「うわさになりたい」(作詞作曲:EPO 編曲:大村憲司)です。1982年の4枚目のシングル「土曜の夜はパラダイス」(「オレ達ひょうきん族」エンディングテーマ)のカップリングですね。同年の3枚目のアルバム『う・わ・さ・に・な・り・た・い』のタイトルチューンでもあります。

こちらは、「中央フリーウェイ」と違って、思い切り女子の内面が語られています。ここからは歌詞の引用になりますがご容赦を。(註:@niftyで歌詞の丸写しはダメよとお達しがありました)

「♪すさんでた頃と 仲間も彼も 違うけど 私だけの 助手席見つけた」
「♪誰かが あなたに そう 告げ口するまで 昔の私を 隠していたい 愛を守るため つくろう偽りは ウソには ならないと言って」
1番のオープニング直後からサビまで。作品リリース時に二十歳そこそこ。もともと、歌唱力があって、コーラスワークにも長けているという評判の彼女でしたが、歌詞もなかなかですよね。

また、続く2番のサビ、「♪あの角に来たら わざとドリフトさせて あなたに体を傾けるから」も秀逸。

「♪つきあう男で 変わるというけれど タイプじゃないのに 不思議ね」という落ちもあります。

当時のEPOの本音であるのかどうか、ともかく、松本隆を含めた職業作詞家には書けないようなフレーズが飛び出してくるのですね。ま、逆にハンドルを握るであろう男子のことはほとんど出てこないのですが、それでも「うわさになりたい」はおそらくそれまでになかった女子の内面をさらけ出した名曲だと思います。

☆ユーミンにはドライビングミュージックではありませんが、「Destiny」の「♪安いサンダル履いてた」などの内面をさらけ出した曲もあることをお断りしておきます。

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<須藤薫>

 

須藤薫の「フロントガラス越しに」(作詞:田口俊 作曲:杉真理 編曲:松任谷正隆)でした。こちらはシングルカットされてませんで、1983年の4枚目のアルバム『Planetarium』に収録された曲です。

こちらも、助手席から眺めた風景ではあるのですが、彼と別れ、女友達とドライブするという展開になってますね。

そして、彼の忘れていった「カセット」。もちろん、志らくの落語や伯山の講談が入っているのではなく、ミュージックテープですね。おそらくですが、単純にアルバムを入れたのではなくて、彼と彼女が好んだような曲をちりばめた、オリジナルのコンピレーションであると想像いたします。

1980年代というと、MP3プレイヤーもブルートゥースもなくて、全部CDなどから(あるいはLPか)ダビングしたカセットテープがカーオーディオの「当たり前」でしたからね。

なんでも、現在でもアメリカとか一部の国では相変わらずカセットプレイヤー搭載というクルマが多いともききましたが。ま、日本では絶滅しましたね。

この「フロントガラス越しに」を生み出したのは、男性の田口俊という人なのでした。須藤薫という人は自作がほぼなく、ほとんどが外部発注なのです。中でも杉真理とは長くコンビを組み、晩年には須藤薫&杉真理というユニットを組んでいた時期もあります。

また、須藤薫はユーミンの『Surf & Snow』(1980年)でコーラスを担当して、注目を浴びたのですね。「サーフ天国、スキー天国」も「恋人がサンタクロース」も須藤薫の声が入っているのです。そのあたりの絡みもあり、松任谷正隆にアレンジをお願いしたのではと思います。

ちなみに、須藤薫さん、2013年にお亡くなりになっております。素晴らしい人材であっただけに残念です。

さて、男性側の目で見たドライビングミュージックは?ここでは映像を持ってきませんが、浜田省吾の「サイドシートの影」でしょうね。こちらは、聴けばわかりますが助手席には誰もいず、話しかけているというちょっと悲しい物語です。

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2022年5月30日 (月)

三つ巴のバトルー1980年春

かすてら音楽夜話Vol.148

前回に続いてコスメメーカーのタイアップ曲です。

今回は資生堂とカネボウという構図ではなく、ポーラ化粧品も参入したという例ですね。

紹介するのはリリース順としましょうか。

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<渡辺真知子>

 

こちらは、渡辺真知子の「唇よ、熱く君を語れ」(作詞:東海林良 作曲:渡辺真知子 編曲:船山基紀)です。リリース日は1980年1月21日。オリコンチャートで4位を記録しています。

そして、この曲はカネボウの「Lady 80」の口紅のCMで使用されました。

渡辺真知子は音大出身(声楽科)でありながら、どことなく歌謡曲テイストを漂わせる、やや「ニューミュージック」とは乖離したような路線で売っていたように思われていました。この曲は7枚目のシングルですが、それまでの曲はマイナーコード中心で、内容も失恋のことを歌っていたものが多かったのです。そして、ニューミュージックの掟破りではありませんが、歌謡番組に積極的に出演するというスタイルでした。

「唇よ、熱く君を語れ」では、初めてともいえるメジャーコードで、あの真知子さんがこういう曲もやるんだというようなイメージの転換にも成功しましたね。歌謡曲テイスト、いわば思いっきりドメスティックなイメージで、テレビに出てくる演歌歌手やアイドルと何ら変わりないとも思われていたかもしれません。ですが、それまでの彼女の全シングルは、彼女が作曲しているのですね。

また、後述するふたりよりも年少でありながら、抜群の歌唱力、貫禄などからとてもそうは見えません。

「唇よ、熱く君を語れ」は船山氏がいい仕事をしていて、ドメスティックさを消し去り、都会的なアレンジを行ってます。

さて、この曲のCMヴァージョンを見つけましたので、お聴きください。

 

CMというと、15秒なり30秒なりの長短はありますが、それなりの長さに合わせたテイクが曲にも要求されます。こちらでは原曲よりもややスローテンポで、当然ながら「♪唇よ~」のフレーズを持ってきます。

モデルはおわかりかと思いますが、松原千明ですね。石田純一の元夫人です。ちなみに松原千明はこのCMが芸能界のデビューであったそうで。

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<庄野真代>

 

こちら、庄野真代の「Hey Lady 優しくなれるかい」(作詞作曲:庄野真代 編曲:瀬尾一三)でした。リリース日は1980年2月1日。オリコンチャートでは6位を記録しています。

こちらも、ポーラのフェアレイジという口紅のCMに使用されました。

彼女は今回取り上げる3人の中では最もデビューが早かったです。当然ながら詩も曲も自分で作るシンガーソングライターでありながら、ユーミンの「中央フリーウェイ」をカバーしてシングルにしたり、思いっきり職業作曲家の筒美京平作品、「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」もスマッシュヒットし、渡辺真知子と同じくテレビに出るなど、ニューミュージックの掟とは一線を画していた人でした。

3人の中では一番年長で、大人の雰囲気を漂わせていた人でした。と、いうのもすでに「飛んでイスタンブール」の時点で職業作曲家の小泉まさみ氏と結婚していたということが大きいのかもしれません。

それにしても、彼女の自作曲、突き抜けた感じでいいですね。実はこの時点でワタクシは4枚目のアルバム『ルフラン』を購入していて、彼女の自作曲である「風の街角」「はんもっく」「ルフラン」などが適当な脱力感があり彼女の独特な世界があるなと思っていたのですね。

でも、「Hey Lady 優しくなれるかい」はこれまでにない力強さがあります。やはり、大きなスポンサーがつくと強いプレッシャーがかかるものですが、それをいい意味で力にして、これまでの作風と違う佳曲ができたのでしょうね。

こちらも、CMヴァージョンがありました。

 

これまた、15秒のヴァージョン。起用されたタレントは不明です。この曲はサビが冒頭から展開されるので、原曲が使用されているみたいです。

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<竹内まりや>

1980年2月5日にリリースされたのが竹内まりやが歌う「不思議なピーチパイ」(作詞:安井和美 作曲:加藤和彦 編曲:加藤和彦・清水信之)です。

YouTubeにはこの曲は上がっておりません。というのも、著作権にシビアな山下達郎率いるスマイルカンパニーが関係してますから、一瞬YouTube上に現れたとしても、違法アップロードですので、見つけられ次第削除される運命にあるのですね。

さて、こちらはオリコン3位を記録しております。この曲は資生堂ベネフィークのやはり口紅のCMに使われました。

竹内まりやといいますと、現在では山下達郎プロデュース、同じく達郎のアレンジで本人自作の曲をリリースすれば、本人がほぼメディアに登場しないにもかかわらずメガヒットしてしまう、スーパーな存在であります。

ですが、1980年の時点で本人が曲作りに関わったシングルはありませんでした。せいぜいアルバム中2曲くらいが自作であり、あとは外部発注であることが多かったです。まあ、当時は曲作りに没頭するタイプではなかったといえましょう。

しかし、彼女はデビュー曲からタイアップ(伊勢丹)が付き、セカンドシングルもタイアップ(キリンレモン)に恵まれます。3枚目のシングルがタイアップのない「September」だったのですが、前の2曲よりも上位(39位)の売り上げを記録し、「不思議なピーチパイ」でメジャーになっていくことができました。

ただし、彼女も当時はテレビに出演しており、なんと芸能人運動会に出て走り高跳びに参加したらしいです。当時の生歌にも興味があるところですが、芸能人運動会の竹内まりやも見てみたいものですが。

さて、「不思議なピーチパイ」の加藤・安井夫妻の曲ですが、デビュー曲の「戻っておいで・私の時間」以来の付き合いです。その縁もあってか、松山猛の作詞した曲などもアルバムには入っていました。しかし、彼らとの縁もここまでで、以降のシングル、アルバム曲とも組むことはありませんでした。

当時の竹内まりやのスタンスですが、現在のように山下達郎が全面的に関わったスキのない作品ではないものの、「September」と「不思議なピーチパイ」を含むアルバム『Love Songs』、ロス録音の『Miss M』、独身時代最後のアルバム『Portrait』はなかなかにいいです。

そして、この「ピーチパイ」という言葉はコピーライターがCMのイメージにつけたもので、それがタイトルとなったおそらく初めての例ですね。この傾向はその後、ますます強まっていくことになるのですが。

さて、「不思議なピーチパイ」のフルヴァージョンは無理でしたが、CMヴァージョンをお聴きください。

 

以前、30秒のCMをまりやさんのところで取り上げたので、今度は15秒ヴァージョンです。

ちなみにモデルはメアリー岩本と名乗っていましたが、その後改名してマリアンと名乗った方ですね。

さて、この3つのCMはオリコンの順位で行くとほぼ同じようなもので、引き分けということになりますかね。ちなみに、年間チャートでは「唇よ、熱く君を語れ」が24位、「不思議なピーチパイ」が30位、「Hey Lady 優しくなれるかい」が51位でした。ちなみに、「不思議なピーチパイ」が収録された『Love Songs』はアルバムチャートで1位でしたので、最も聴かれた曲ということになりますかね。資生堂という大企業の力とも関係しそうですけど。

また、「Hey Lady 優しくなれるかい」のポーラ化粧品ですが資生堂とカネボウのように季節ごとにやりあっていたわけではないようです。むしろ、割って入ろうとしたのはコーセーのほうですかね。

また、ノエビアは外国の曲などをイメージソングに取り入れておりました。

ちなみに、渡辺真知子、庄野真代、竹内まりやがCMで競合したことから下の名前から取って「3M」と呼ばれたそうで。

プーさんよくきいてね

 

桑田佳祐、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎による、チャリティソングです。

同級生5人で、どうしてもメンバーの豪華さについ目が向いてしまうのですけど、なんでこの時期にこういう曲が発表されたのかということに目を向けてほしいですね。

本来であるならば、Neil Young(ニール・ヤング)とかBruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)など世界的に影響力のある人たちが声を上げてほしいのですけど。でも、そのうち彼らあるいは他の人たちが声を上げるかもしれません。

 
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