カテゴリー「Music Talk」の190件の記事

2024年5月16日 (木)

温故知新・Carole King

かすてら音楽夜話Vol.190

温故知新シリーズ、今回はこの人です。

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そう、Carole King(キャロル・キング)です。「King」という姓はライターネームで、出生名は異なります。

彼女は1942年生まれで、ニューヨークのブルックリンでユダヤ人の家系に誕生しました。大学でGerry Goffin(ジェリー・ゴーフィン)と出会い、妊娠しそのまま大学を中退します。ふたりは結婚し、それぞれ、社会人として働き始めますが、共同で曲を書き、夫婦のソングライターチームとしてヒット曲を提供し続けます。ちなみに、ゴーフィンもユダヤ系。エリック・カルメンもロシア移民のユダヤ系だそうで、前回のバリー・マンもそうだし、アメリカのユダヤ系、この業界には多そうですねえ。

曲作りのスタイルは、ジェリー・ゴーフィンが歌詞を書き、キャロル・キングが曲を作るというものでした。

最初の成功は1961年にThe Shirelles(シュレルズ)に提供した「Will You Love Me Tomorrow」とBobby Vee(ボビー・ヴィー)に提供した「Take Good Care Of My Baby」で、どちらもビルボードHot100(シングルチャート)の1位に輝いています。ちなみに、「Will You Love Me Tomorrow」はキング自身がセカンドアルバム『Tapestry』(邦題『つづれおり』)でセルフカバーしています。

しかし、ゴーフィン&キングの名前を世界的に知らしめたのは、この曲でしょう。

 

そう、Little Eva(リトル・エヴァ)に提供した「The Loco Motion」(1962年)ですね。この曲も当然、1位となり、そればかりか世界的にカバーされました。

同年にフランスではSylvie Vartan(シルヴィ・バルタン)、日本では伊東ゆかり。1963年にはあのThe Ventures(ベンチャーズ)までもがカバーしております。

リトル・エヴァですが、もともとはゴーフィンとキングの娘のベビーシッターだったそうで。当初、別のグループに提供するつもりで、子供をあやす歌がうまいリトル・エヴァにデモを歌わせたところ、これが抜群でそのままシングルになったとか。

映像はモノクロで不鮮明ですが、パンチの効いた歌声で、これは確実にヒットしますよね。ちなみに、この映像、あとで着色によるカラー化されたヴァージョンもYouTubeには上がっています。検索すれば、すぐに見つかります。

実は、のちにキャロル・キング自身もセルフカバーしているのですが、とてもリトル・エヴァにはかなわないという出来です。ちなみに、彼女はキャロル・キングより1歳若いのですが、2003年にお亡くなりになっています。

 

こちらは、1974年にアメリカのバンド、Grand Funk(グランドファンク)がカバーしたヴァージョンで、これまた1位を獲得しています。ビルボードによれば、Grand Funk Railroad時代を含めて、彼らの最大のヒットなんだそうです。

また、1973年には日本のゴールデンハーフが「ゴールデンハーフのロコモーション」名義でカバーしてます。こちらはかつて記事(カルトな王額カバーPart1)で取り上げてますので、気になる方はご参照ください。中古レコードでも持っております。

それにしても、同じ曲が異なるミュージシャンでそれぞれ1位を取るというのはほとんど例がないことと思います。

キングとゴーフィンは1968年に離婚し、ソングライターチームは消滅します。その直後、トリオのThe Cityをダニー・コーチマー、チャールズ・ラーキー(のち結婚)と結成しますが、アルバム1枚だけでグループは解散。

1970年にアルバム『Writer』でソロ活動を開始します(ほとんどの曲がゴーフィン・キング作)。そして、翌1971年の『Tapestry』がすごかった。このアルバムは15週連続ビルボードHot200(アルバムチャート)で1位を獲得し、約6年(306週)に渡って200位内にチャートインしたモンスター作品なんです。

先行シングル「It's Too Late」(作詞:Toni Stern)も5週、シングルチャート1位、カップリング曲の「I Feel The Earth Move」も両A面だったことから2曲がシングル1位として認定されています。

そして、James Taylor(ジェームス・テイラー)に提供した「You've Got A Friend」(邦題「きみの友達」)も『Tapestry』には収録され、テイラーのヴァージョンも1位を獲得しました。

翌年のグラミー賞では『Tapesty』が最優秀アルバム、「It's Too Late」が最優秀レコード(Record of the year、対象はアーティスト及びレコーディングにかかわった人物)、「You've Got A Friend」が最優秀楽曲(Song of the year、対象はソングライター)、キャロル・キングが最優秀女性ポップヴォーカルという4部門を受賞しました。

この4部門独占は前年のポール・サイモンの3部門(2部門はサイモン&ガーファンクル)を上回るもので、いまだにこの記録は破られておりません。ちなみに、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルもニューヨーク出身のユダヤ系です。

 

と、いうことで、「You've Got A Friend」でした。二人が共演しているという珍しいヴァージョンです。もっとも、ジェームスのアルバムでもキャロルのアルバムでもサポートし合っているのですが。

この曲も多くの人にカバーされ、日本ではピンクレディまでもがカバーしております。そして、松原みきもアルバム『Blue Eyes』(ジャズやスタンダード曲のカバーアルバム)に収録してます。

キャロル・キングのグラミー賞4部門受賞というのは自身のキャリアの最高潮なんでしょうねえ。こののち、1970年代にリリースされたアルバムはなんとか10位内をキープしていましたが、1980年代に入るとランク外も増えてきました。

とはいえ、まだまだ現役であり、1971年の奇跡のような出来事は忘れられません。

では、最後に彼女の歌声を聴いてお別れしましょう。

 

アルバム『Tapestry』収録の「(You Make Me Feel Like)A Natural Woman」、ビルボード8位でした。オリジナルはアレサ・フランクリンに提供した曲です。

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2024年5月 4日 (土)

温故知新・Barry Mann

かすてら音楽夜話Vol.189

お久しぶりでございます。

スランプとかネタ切れとかではなく、ちょっと旅に出ていたもので。ココログの容量が一杯になるまで、できれば月2回ペースで頑張っていこうと思いますので、今後とも宜しくお願いいたします。

さて、今回のネタはBarry Mann(バリー・マン)というお方。とはいえ、この方、日本語版のwikipedhiaにはページがございません。

簡単に紹介します。

1939年米国ニューヨーク生まれ。60年からプロのソングライターとして活動。同年ソロ歌手として『フー・プット・ザ・ボンプ』でデビュー。歌手では「シビレさせたのは誰」のヒットを放つが、ソングライターとして活躍する。ライチャス・ブラザーズの「ふられた気持」やアニマルズの「朝日のない街」など、60~80年代に多数のヒット曲をリンダ・ロンシュタットやドリー・パートンらに提供。代表アルバムはセルフ・リメイクの『ソウル&インスピレーション』。

2012/07/30 (2017/06/27更新) (CDジャーナル)

とのこと。

個人的にはほぼなじみがないのですが、知るきっかけになったのはこの曲でした。

 

そう、3月にお亡くなりになった、Eric Carmen(エリック・カルメン)の「On Broadway」だったのです。

こちら、1975年のソロデビューアルバム『Eric Carmen』(邦題『Sunrise』)に収録されています。

あのエリック・カルメンにしてはずいぶんと地味な曲だなと思っていたら、カバーだったのです。原曲はアメリカのアフリカ系コーラスグループ、The Drifters(ドリフターズ)の1963年のヒット曲でビルボード9位を記録しています。

作者はバリー・マンと奥さんのCynthia Weil(シンシア・ワイル)、ソングライターチームのJerry Leiber & Mike Stoller(ジェリー・レイバー&マイク・ストーラー)となっています。

エリックのカバーは比較的原曲に忠実で、持ち味であるポップな部分を敢えて抑えているような感じです。よほど、ドリフターズ、あるいはバリー・マンが好きだったと思われます。考えてみれば、1949年生まれのエリックにとっては14歳くらいの時で、クラッシックを勉強しながらも通俗的なこの曲にも惹かれつつあったことが想像できます。

その他、エリックにはFour Tops(フォートップス)がリリースした「Baby I Need Your Loving」という曲のカバーもあるので、多感な時代に影響を受けたものに、リスペクトがあるのだと思いますね。

さて、「On Broadway」ですが、さらにはNeil Young(ニール・ヤング)もアルバム『Freedom』(1989年)でカバーしてます。

 

より、ロック色の強いヴァージョンですね。

さすがは、ニール・ヤング、クラシックなアメリカの定番曲を見事に自分のものにしております。ちなみに、彼はカナダ人ですけど。

個人的に『Eric Carmen』と『Freedom』のふたつのアルバムを持っていたので、「On Broadway」はちょっと気になっていたのです。

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「On Broadway」を最も商業的に成功させたのは、この人、George Benson(ジョージ・ベンソン)でしょうか。

ベンソンはもともとはジャズ・フュージョン系のギタリストでしたが、ヴォーカルもイケるということで、70年代後半のフュージョンブームに乗って続々とアルバム・シングルをリリースします。

 

1978年のライヴアルバム『Weekend In L.A.』からのシングルカットで、ビルボード7位。リズム&ブルースのチャートでは2位を記録しました。ライヴのテイクがヒットしたというのはPeter Frampton(ピーター・フランプトン)の「Show Me The Way」(1976年、6位)以来でしょうかね。

ちなみに、現在のベンソンは顔も身体も2倍くらいに膨れ上がってます。フランプトンも髪の毛が後退してしまって…。ま、半世紀近く前の出来事ですから、仕方ないことなのかも。ま、エリック以外、みなさんご健在なのは何よりです。もちろん、バリー・マンも。

様々な「On Broadway」。これは、曲の素材が良いということで、どうにでも料理できるということでしょう。

「On Broadway」は『Eric Carmen』も『Freedom』も、リリースからだいぶ経ってから購入したのですが、すでにワタクシの琴線に触れていたバリー・マンの曲がありました。こちらです。

 

Daryl Hall & John Oates(ダリル・ホール&ジョン・オーツ)の「You've Lost That Lovin' Feeling」(邦題「ふられた気持ち」)でした。

こちら、1980年のアルバム『Voices』(邦題『モダン・ヴォイス』)収録で、アルバムからの2曲目のシングルカットで、ビルボード12位を記録しております。

ちょうどこの頃、ホール&オーツにはまっておりまして、当然ながらヴァイナルのLPを購入いたしました。

曲の作者はバリー・マンとシンシア・ワイル、そしてPhil Spector(フィル・スペクター)となっています。オリジナルはThe Righteous Brothers(ライチャス・ブラザース)の1964年のシングルで、見事にビルボード1位を獲得しています。

クレジット関連ではフィル・スペクターの名前が加わってますが、彼がプロデュースした作品にはほぼ名前が載るので、本当にソングライティングの力があるのかはやや疑問が残ります。

さて、バリー・マンですが、1939年生まれで、今もご健在。ニューヨーク生まれで、ユダヤ系だそうです。奥さんのシンシア・ワイルは昨年お亡くなりになったそうです。

このように思わぬ形で曲が見つかることもあり、今後もクレジット関連はきちんと見ていくことと思います。

さて、温故知新シリーズ、主にカバー曲が多くなると思いますが、続編も考えております。

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2024年4月14日 (日)

イーグルスを追われた男たち

かすてら音楽夜話Vol.188

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1971年の結成以来、途中解散をしていた時期も含めても50年以上の歴史を持つのがアメリカのロックバンド、Eagles(イーグルス)です。

母体となったのはアメリカの女性シンガー、Linda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)のバックバンドですが、ツアーではオリジナルメンバー4人がすべてそろうことはなかったようです。

さて、オリジナルメンバーの4人とは。

Grenn Frey(グレン・フライ):Vocal、Guitar、Keyboard、Backing Vocal 故人
Don Henley(ドン・ヘンリー):Vocal、Drums、Backing Vocal
Bernie Leadon(バーニー・レドン):Vocal、Guitar、Steel Guitar、Banjo、Mandolin、Backing Vocal
Randy Meisner(ランディ・マイズナー):Vocal、Bass、Backing Vocal 故人

イーグルスの二大ヴォーカリストは、フライとヘンリーになりますが、基本的に全員が曲を作り、その作者がメインのヴォーカルを担当するという民主的なバンドでした。また、そういうスタイルなので、非常にコーラスワークに長けたところがあります。

そして、ギターのレドン(以前は「リードン」と紹介されていたこともありました)は元Flying Burrito Brothers(フライング・ブリトー・ブラザース)でもあり、カントリーロックには欠かせないバンジョーやペダルスティールなども弾きこなせるマルチプレイヤーでした。

フライとヘンリーの横暴

しかし、名作ともいわれる2作目のアルバム『Desperado』(邦題『ならず者』)が商業的に失敗に終わると、次作の『On The Boarder』からはよりロック色の強い方向へシフトします。そこで、ゲスト参加したのがレドンの高校の同窓でレドンとバンドを組んだこともある、Don Felder(ドン・フェルダー、Vocal、Guitar、Banjo、Keyboard、Backing Vocal)を呼び、そのままフェルダーはイーグルスに参加することになります。

4作目の『One Of These Night』(邦題『呪われた夜』)は成功をおさめ、アルバムはビルボードで初の1位を獲得し、タイトル曲はビルボード1位となり、他のシングル、「Lyin' Eyes」(邦題「いつわりの瞳」)は2位、「Take It To The Limit」は4位となり、アメリカを代表するバンドになったのです。

ところが、このあたりからバンドの主導権をフライとヘンリーが握り始め、ツアーへのストレスからバンド内ではドラッグの影響が漂い始めます。そして、ついに、バーニー・レドンが脱退。

後任にはJames Gang(ジェイムス・ギャング)というバンドにいたギタリスト、Joe Walsh(ジョー・ウォルシュ、Vocal、Guitar、Keyboard、Backing Vocal)が参加します。

そして、名作『Hotel California』が誕生することになりますが、今度はマイズナーがフライとヘンリーの圧力に耐えきれず、脱退。後任にはマイズナーが参加していたバンド、Pocoのベーシスト、Timothy B. Shcmit(ティモシー・B・シュミット)が参加することになります。

イーグルスの復活

時は流れ、1994年に14年ぶりのアルバム『Hell Freezes Over』をリリースし、イーグルスは復活します。ですが、このアルバムは新曲が4曲と残りはライヴレコーディングというものでした。

復活時のメンバーは1979年のアルバム『The Long Run』の時のメンバー、すなわち、フライ、ヘンリー、フェルダー、ウォルシュ、シュミットの5人でした。

そして、2000年、「バンドに対して貢献していない」との理由で、ドン・フェルダーが解雇されます。これは裁判沙汰となり、和解金が支払われたとのことですが、フェルダーがバンドに戻ることはありませんでした。

ちなみに、2004年にアニタツさんからのお誘いで、「Fairwell 1 Tour」(サヨナラツアー…一種の冗談みたいなタイトル)を東京ドームに見に行ったのですが、ドン・フェルダーの不参加はアナウンスされていたものの、このような解雇・裁判ということは日本では報道されていませんでした。

そして、2016年、グレン・フライが死去します。ついにオリジナルメンバーがドン・ヘンリーだけになったイーグルスですが、フライの息子や他のメンバーを補充し、昨年からもツアーをやっています。フライがメインヴォーカルの部分はどうするのかといったところですが。

まあ、半世紀以上のキャリアがあるので、説明が長くなりました。

それでは数は少ないですが、イーグルスを追われた3人のヴォーカル曲を取り上げてみたいと思います。

Bernie Leadon

 

つうことで、バーニー・レドンの「My Man」でした。

アルバム『On The Boarder』収録で、もちろん、作者はバーニーです。この、「My Man」とはフライング・ブリトー・ブラザース在籍時に一緒に活動していたGram Persons(グラム・パーソンズ)だといわれています。ちなみに、パーソンズはフライング・ブリトー・ブラザース脱退後の1973年に薬物の過剰摂取により死亡しています。

1998年に渋谷で萩原健太氏主宰の「カントリーロックの逆襲」というイベントを見に行った際、今や松たか子の旦那となった佐橋佳幸が「My Man」を演奏し、オリジナルよりも先に知ったものです。

さて、レドンですが、次作の『One Of These Night』で自作の「Hollywood Waltz」のヴォーカルをヘンリーに奪われるということがありました。公式のクレジットはヘンリー、フライ、バーニー、トム・レドン(バーニーの弟)ですが、ヘンリーが歌詞を作り、フライは補助的に曲のつなぎなどを担当したともいわれています。これはほとんど、「Hotel California」と一緒の手法ですね。

そして、ストレスをためていたバーニーはサーフィンに行くと称して3日間レコーディングに姿を現さなかったそうです。

さらにフライとヘンリーのねちねちとした攻撃はバーニーのギタープレイにも及び、ついに怒ったバーニーはフライの頭に飲んでいたバドワイザーをぶちまけて脱退を決めたといわれています。

Randy Meisner

 

ランディ・マイズナーの「Take It To The Limit」でした。

アルバム『One Of These Night』からの3曲目のシングルカットで、ビルボード4位。

この曲はフライとヘンリー以外のヴォーカル曲で初めてシングルのA面となった曲です作者は、マイズナー、ヘンリー、フライとなっていますが、どうしても疑問が残りますね。

彼もフライとヘンリーの横暴に泣いた人で『Hotel California』とその後のツアーには参加したものの、その直後に脱退しました。映像は1977年のもので、レコーディング時には在籍していなかったジョー・ウォルシュが映っています。

『Hotel California』では自作の「Try And Love Again」という曲はライヴでは演奏されたことはありませんでした。。そして、ウォルシュが参加したことで、さらにロック色を強めたことで、音楽性の違いを感じたことと、ツアーなどで多忙を極め、結婚生活も破綻したとのこと。

とはいえ、イーグルスの最もノリに乗っていた時代の映像が公式YouTubeチャンネルに上がっていたことが救いでしょうか。ちなみに、晩年は健康を害し、昨年お亡くなりになりました。

Don Felder

 

ドン・フェルダーの「Visions」でした。

アルバム『One Of These Night」収録で、作者はフェルダーとヘンリーです。

そして、ドン・フェルダー唯一のヴォーカル曲ですね。

彼にはイーグルスの代表曲となった「Hotel California」という曲があって、イントロからほとんどのフレーズ、そして、印象的な最終盤のギターソロの掛け合いなどを作曲し、ヘンリーが歌詞を書いたそうです。フライもクレジットには加わっていますが、曲の構成などでアイデアを出したくらいといわれています。

このクレジットですが、当初はフェルダーが最後になっていたそうで、このあたりから曲の権利などをめぐり二人と軋轢が生じていたと思われます。

フェルダーは脱退後に自伝を出すのですが、そこで明らかになったのが、ギャランティの取り分のことです。つまり、フライとヘンリーはほかのメンバーの倍額を受け取っていたとのこと。

わたしゃ、イーグルスの来日コンサートを見ているので、その時からグレン・フライは自分が前面に立たないとものすごく埋もれてしまう存在なんだなと感じておりました。ヘンリーはリード・ヴォーカルでなくてもドラムを演奏するという目立つ存在でした。歌もフライより上手いです。

特に「Hotel California」ではヘンリーの歌とフェルダーとウォルシュのギターバトルに目を奪われてしまい、フライの存在感がまるでないのです。そうしたことから主導権を握りたかったのではないか…なんてね。

音楽的キャリアも辞めた3人よりも経験が浅いのです。しかも、アメリカ流に9月入学としても1学年から2学年下の「後輩」なんですよね。まあ、あちらにはひとつやふたつは先輩も後輩もないだろうとは思いますが、リスペクトは欠けるものがあったといっていいでしょう。

昨年からイーグルスはツアーをやっていて、日本にも来るともいわれています。もはや、オリジナルメンバーはドン・ヘンリーひとり。フライも亡くなり、フライのヴォーカル曲は誰が歌うのか、それともやらないのか。ちなみに、2004年の来日時にはすでに脱退していたランディ・マイズナーの「Take It To The Limit」も演奏していたんですよね。誰が歌ったのか覚えてないのが残念ですけど。

賞味期限来ちゃってるんですかねえ。ま、そんなイーグルスですが、来日したらもう最後でしょうから、やっぱり見に行きたいです

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2024年4月 6日 (土)

浜田省吾 X 和田アキ子

かすてら音楽夜話Vol.187

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愛奴というグループを経て、ソロとしてデビューした浜省こと浜田省吾。

地道にライヴ活動を続けるものの、ヒット曲に恵まれず、ようやくオリコンチャートに入ってきたのが、この曲でした。

 

そう、日清カップヌードルのCM曲、「風を感じて」(作詞:三浦徳子 作曲:浜田省吾 編曲:水谷公生 *シングル盤のクレジット、1979年)でした。

これで、初のオリコンシングル25位を記録しております。

ただ、当時の浜省は、CMタイアップの話が持ち上がるものの、ことごとく話が没になるので、相当嫌気がさしていたみたいです。と、いうところに舞い込んだのが、カップヌードルであったとのこと。そのため、歌詞については自身で書くことを拒否し、あの三浦さんの出番となったわけです。しかし、実際には浜省自身が歌詞に手直しをして三浦さんの言葉はごくわずかであるという話も。

そればかりではないのですが、これ以外にヒット曲がなかったまま武道館ライヴを行いブレイクの兆しが表れるまでの時代をご本人は黒歴史みたいに感じることもあるようで、浜田省吾公式YouTubeチャンネルでよくぞ、この映像が取り上げられていたと思う次第です。わずか1分20秒という短さではありますが。

それでも、「風を感じて」は5枚目のアルバム『君が人生の時…』に収録されています。

さて、それ以前に収支の取れないライヴと売れないシングルという状態の浜省は、当時所属していたホリプロの歌手に曲を提供することで、生活を補っていました。と、いうか、実際にはホリプロからの給料支給で、著作権放棄という条件で曲を作っていたのだとワタクシは推測しますが、どうなんでしょうねえ。

1979年には歌手として致命的な欠陥を持つ能瀬慶子に5曲もの提供を行い、「裸足でヤングラブ」は作詞まで行うという無理を強いられました。こちらの記事は「ホリプロとハマショー」をご参照ください。

それ以前に曲を提供したのが、ゴッド姉ちゃん(当時の俗称)こと、和田アキ子でした。

 

和田アキ子、28枚目のシングル、「ダンス・ウィズ・ミー」(作詞:千家和也 作曲:浜田省吾 編曲:高田弘、1976年)でした。

おお、さすがは歌が上手い。これなら、歌唱指導もいらず、浜省はただ曲提供をするだけで、和田さんとも顔をあわす必要もありませんね。残念なことに、wikiには売り上げ枚数とかオリコン何位とかの表記がありません。でも、同タイトルのアルバムまでリリースされているので、これは浜省としてはホリプロからのかなりのプッシュがあったものを思われます。

ちなみに、和田アキ子は芸歴が長いですが、オリコン1位がなく、アルバムに至っては25位が最高なんだとか。代表曲は思い浮かびますが、その他のヒット曲となるとあまり思い浮かばないという感じですね。

こちら、アレンジがチープな感じがしますが、よーく聴くと浜田省吾のテイストが宿っております。

そして。

 

ドラマ「翔べ!必殺うらごろし」のテーマ、「愛して」(作詞作曲:浜田省吾 編曲:井上鑑、1978年)でした。

とはいえ、シングルとしてはB面で、A面は「ひとり酔い」という曲で、こちらは柳ジョージが手掛けています。和田さん、このドラマに出演していたようです。

この曲も浜田テイストが出ています。と、いうよりもタイトルを「愛を眠らせて」(1979年)と変更し、作詞も三浦徳子さんに依頼した6枚目のシングルなのですね。この時期、浜省は曲は作れるが歌詞が書けないという状況にあったとのこと。では、和田アキ子への提供は何だったんだということになりますが。まあ、提供はしたものの、納得はいってなかったんでしょうね。

ちなみに、この次のシングルが「風を感じて」となります。

和田アキ子の「愛して」ですが、いまひとつノリが悪いような。やはり、浜田省吾の曲は浜田省吾にしか歌えないのかも。

また、山口百恵や榊原郁恵にも曲を提供していますが、いずれもアルバム収録にとどまり、シングルは皆無でした。

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2024年3月30日 (土)

日本限定ヒットの洋楽

かすてら音楽夜話Vol.186

日本は昔からタイでいうファラン(欧米系の外国人で非アフリカ系の人々)に憧れる傾向があるようです。

まあ、彼らは日本と異質な文化と価値観を持った人たちです。ですが、「尊王攘夷」「生麦事件」や「鬼畜米英何するものぞ」の時代から1945年8月15日を境に、憧れがどーんと反動のように広がりました。「ギブミーチョコレート」から「ビートルズ」、そして現在までそれが延々と繰り返されてきたわけです。

と、前置きはここまで。

音楽の世界ではエルビスからビートルズなどの典型的な欧米のヒット曲も日本に紹介されてきたわけですが、今回紹介するのはアメリカのビルボードやイギリスのNME誌、ミュージックウィーク誌等のチャートにはまったくチャートインもせずに、なぜかオリコンシングルチャートやオリコン洋楽チャートに入ってきた、いわば日本限定のスマッシュヒット曲をふたつほど紹介したいと思います。

年代ごとに。まずはこちら。

 

Tanya Tucker(タニヤ・タッカーの「Hello, Mr. Sunshine」(「ハロー・ミスター・サンシャイン」)でした。

おそらくですが、50代後半以上の方ならどこかで聴いたことのある曲なのではないでしょうか。

こちら、味の素AGFのインスタントコーヒー、「マキシム」のCM曲なのでした。このCMにはアメリカの俳優、カーク・ダグラス(マイケル・ダグラスの親父さん)を起用し、1975年から1983年までCM出演していたとのことです。曲自体はそれほど長くは使われなかったと思われますが、少なくとも1975年には放送されていたものと思われます。

余談ですが、カーク・ダグラスって出演当時59歳で、なんと103歳でお亡くなりになるという長寿の人でした。

さて、これを歌ったタニヤ・タッカーですが、1958年生まれのカントリー歌手です。そして、現在も活動中みたいで、アメリカではかなり知名度がある人ですね。それにしても、17歳でカントリーですよ。アメリカ中南部あたりはカントリーの人気がかなりあって、おそらくですが、当時はカントリー界のアイドル的な存在だったんでしょうね。

そして、この曲がアメリカでヒットもしなかった理由ですが、シングルとしてリリースされたのは日本だけだったからです

タニヤ・タッカーのデビューは1972年のシングル「Delta Dawn」(邦題「デルタの夜明け」)ですが、ビルボードHot100(シングルチャート)で72位、カントリーチャートで6位というものでした。ですが、翌年同曲を競作でリリースしたHelen Reddy(ヘレン・レディ)がシングルチャートで1位を獲得しています。

とはいえ、タニヤさんも「Hello, Mr. Sunshine」までに6曲をカントリーチャートの1位に送り込んでいます。また、1976年リリースの『Here's Some Love』というアルバムでもついにカントリーチャートの1位を獲得しました。

このアルバムは全10曲が収録されているのですが、なんと日本盤だけに「Hello, Mr. Sunshine」がB面の1曲目として入っているのですね。もちろん、あちら盤にはなしです。おそらくは「Hello, Mr. Sunshine」だけがカントリーっぽくないという理由で、アメリカ盤には入ってないんでしょう。

クレジットを見てみると、作詞がVeto Galati Jr.、作曲がMick Stewartとなっています。おそらく、この人物を検索してもwikiでは出てこないはずです。そして、この人物はあのかまやつひろし(当時の名称)なのでした。

 

つうことで、ムッシュのライヴ音声(のみ)ですが貴重な「Hello, Mr. Sunshine」も付け加えておきます。もしかしたら、こちら削除の可能性があるので、聴くならば今のうちですよ。

さて、次はこちらのデュオです。

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…といってもわからないでしょうねえ。

双子のデュオ、Alessi(アレッシーまたはAlessi Brothers)です。1953年生まれのBillyとBobbyのデュオなんですが、違いがよくわかりません。ま、分かったところで、どうでもいいことなんですが。

ちなみに、アメリカのチャートでは1977年の「Oh, Lori」がキャッシュボックス84位、1982年の「Put Away Your Love」がビルボード71位、キャッシュボックス79位という寂しいものです。ただし、「Oh, Lori」だけはなぜかイギリスのチャートで8位を記録しております。

ですが、1976年にあのカーペンターズのいたA&Mからデビューし、一時はクインシー・ジョーンズの傘下にもあり、期待度は大きかったのですね。まあ、実際に聴いてみるとかなりのクオリティで、なんかもったいないような気もします。

さて、日本でちょっとだけヒットしたのはこちらの曲です。

 

1977年のシングル、「All For A Reason」(邦題「ただ愛のために」)でした。

結構AORの要素が入っていて、個人的にはいい曲だなと思うんですが、本国アメリカではチャートインせず。オーストラリアで69位、オランダで22位、南アフリカで17位という結果に沈んでおります。

さて、日本ではこの曲は「Janzen」というアパレルメーカーのCM曲に採用されました。それは、タニヤ・タッカーとも被る年代。私事ですが、ジャンセンのサマージャケットなんぞを購入した覚えがありますが、ひとえに、この曲とCMの影響があったと思います。

さて、そんなアレッシーですが、英語版wikiによりますと、ポール・マッカートニー、デビー・ギブソン、フランキー・ヴァリ、オリビア・ニュートン・ジョン、クリストファー・クロスらの面々に曲を提供したり、編曲、プロデュースをしたとあります。

また、映画「ゴーストバスターズ」、「メインイヴェント」などの劇中歌にヴォーカルで参加したとの記述も。ピーター・フランプトンやリック・スプリングフィールドが曲をカバーしたそうです。

途中20年ほどのブランクがありますが、これまで11枚のアルバムもリリースしてました。まあ、売れないんですが。

それでも評価してくれる同業者は結構いるということで、なんとか生き残ってますね。

近年の映像がこちら。

 

一応近年といっても13年前のものだそうです。ここからわかることは、兄弟、担当楽器がキーボードとギターであるということ。

曲は二人で作っていて、別の曲の映像ではメインのヴォーカルが入れ替わっているものもあります。そのあたりの担当はどうやって決めているんだろうと思ったりして。

つうことで、今回は本国でヒットしない日本限定のヒット曲でした。

こういうのまだありますかね。ちなみに、ダニエル・ブーンの「Beautiful Sunday」は英米どちらもチャートインしてます。他に情報モトム!

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2024年3月23日 (土)

エレキ歌謡でゴーゥ!

かすてら音楽夜話Vol.185

ミケポスカフェでの音楽談義第4弾(最終回)。

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トーマスさんが持ち込まれた音源がこちら。

おお、知っている曲が6つしかない!

つうことで、トーマスさんのDJタイムです。

 

西郷輝彦、「恋のGT」(作詞作曲:米山正夫 編曲:重松岩雄)でした。

西郷さんの22枚目のシングル、「西銀座五番街」(米山/重松、クレジット同じ)のB面曲で1966年1月のリリース。それまで、西郷さんには「星娘」というヒットシングルがありましたが、こちら、代表曲である「星のフラメンコ」よりも早いリリースです。

1966年という年ですが、The Beatles(ビートルズ)が来日を果たしていますけど、「恋のGT」のほうがちょっと早いです。それ以前にロックの分野に革命を起こしたといってよい、ビートルズの影響はあると思いますが、「エレキ」を日本のお茶の間にまで知らしめたのはやはりThe Ventures(ベンチャーズ)でしょう。そして、寺内タケシや加山雄三らが出てきたわけで、その流れをいち早く歌謡界も取り入れたというものですね。

エレキを前面に押し出し、公道非公認レースっぽいHot Rodな歌詞なんですが、やはりどこかドメスティックでちょっとダサい。

では、この曲を書いた米山正夫という人は何者と調べてみました。クラウンレコード創設時に専属契約をしたレジェンドでもあり、なんと、美空ひばりの「リンゴ追分」の作曲者でした。米山氏の葬儀ではひばりさんが弔辞を読んだそうで。

まあ、戦前から活躍した人で、満州で働き、シベリア抑留も経験したとあります。B面ではありますが、そんなレジェンドが作詞までしているということは、西郷さんを売り出すには「わしがやったろ」ということなんではないかと。

西郷さん、比較的時の話題に乗らされちゃうタイプなのか、メキシコオリンピックの1年前にはやはり米山先生の「悲しいソンブレロ」(「この雨の中を」のB面)をリリースしてますし、1973年には「ローリングストーンズは来なかった」(作詞作曲編曲:藤本卓也、こちらはA面)なんて曲もリリースしてました。(注)ストーンズは来日が決定していたものの、イギリスでのミック・ジャガーの麻薬不法所持による逮捕を受け、来日が中止になりました。

まあ、これだけ色物っぽい曲を乱発すれば御三家といえども役者への路線変更も仕方ないのかと。

ちなみに、御三家の本格的歌手で2度のレコード大賞受賞者の橋幸夫にも「ゼッケンNo.1スタートだ」とか「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」などのリズム歌謡、「メキシカンロック」というメインストリームをちょっと外した楽曲があるのですが、そこはやはり抜群の歌唱力と安定感があるためか、西郷さんのようにはなりませんでした。

お次はこちらです。

 

美樹克彦「6番のロック」(作詞:星野哲郎 作曲編曲:北原じゅん)でした。

美樹さん、高校在学中の1965年、17歳時の曲です。当時はアイドル歌手的な位置づけだったようです。それにしては、もはやベテラン風な歌の上手さですね。

この方、本名の目方誠名義で子役として70本近い映画出演をしていて、すでに中学時代に歌のレッスンを受け、デビューしているのです。その後、改名して再デビューし、この曲が3枚目のシングルなのでした。

それでも「函館の女」の星野さんと「骨まで愛して」の北原さんですから、どことなく演歌チックになっていくのもわからないではないです。ちなみに、城卓也の「骨まで愛して」は学生の時に中古屋で格安で見つけて買いました。今なら、いくらかな?

3曲目はこちら。

 

ザ・トーイズで、「お宮さん」「じょんがらゴーゴー」のメドレーでした。

ザ・トーイズ、情報がとても少ないんですが、リードヴォーカルはなんとインドネシア人ということです。バックの演奏は日本人らしいのですが。後半の「じょんがらゴーゴー」ではあまり違和感がないんですが、「お宮さん」の日本語がちょっと癖があります。

ちなみに、「お宮さん」とは「貫一・お宮」の「金色夜叉」なんですが、インドネシア人にとっては「じょんがらゴーゴー」のほうが覚えやすかったと思われます。

グループの成立からして謎なんですが、当時のキャバレーなどでは箱バンと呼ばれる専属バンドが入り、ほぼ真剣に聴いている人がいない中、毎晩演奏を重ねていたと思います。その箱バンには少なからず外国人もいたようで、フィリピンあたりからの出稼ぎが主力だったようです。

まあ、そんな中にインドネシア人のシンガーもいて、芸能事務所の目に留まった可能性はありますね。

バンコクのタニヤの某カラオケ店になぜか1970年代から1980年代の日本の楽曲だけを、ギターとリズムボックスで担当する人がいましたが、この人も日本で箱バンのギター弾きだった可能性はありますね。

箱バン出身なのか不明なところはありますが、ジェイク・H・コンセプシオンというフィリピン人のサックスプレイヤーも長年日本で活躍し、松原みきの「真夜中のドア」をはじめとするあまたの楽曲で印象的なサックスソロを披露していました。

今回のYouTubeはお借りしたところがバラバラですが、GSiloveyouというアカウントの方で、トーマスさんご持参の『エレキ歌謡 ア・ゴーゴー』の楽曲ならばすべてアップされているような。ただし、他のサイトへの埋め込み不可となっていたため、別のものをお借りしました。ザ・トーイズもそろっているはずです。

さて、「恋のGT」と「6番のロック」は、かつてトーマスさんがやっていたバンド、「知子のロック」の結成に何かしらのインスピレーションをもたらしたようです。「ルートRockで待ってなよ」というデビュー曲がありますが、イントロ前のクルマの走行音は「恋のGT」から、サビの「1・2・3・4・5…6(Rock)!」というカウントは「6番のロック」から。グループ名もそうですよね。(間違っていたら、すいません。ご教示くださいませ)

その他、「キイハンター」のテーマ曲、野際陽子さんの「非情のライセンス」、実際に聴き返してみるとちょっと音程に難ありで、エンディングテーマとして5年も流れていたのがすごいです。

そして、ワタクシの推しはこちら。

 

沖山優司の「東京キケン野郎」(作詞作曲編曲:沖山優司、1981年)でした。

沖山氏はいうまでもなくJuicy Fruitesのオリジナルメンバーでベース担当です。先ほどのGSiloveyouさんのところにはオリジナル音源がアップされてますが、前述の理由によりこちらのライヴ映像をお借りしました。

演奏はジューシーフルーツでイリアさんがキーボードに回り、ベースは不在。この曲はザ・ぼんちに提供したセルフカバーなんだそうです。

惜しむらくは、おさむちゃんの「東京キケン野郎」も聴いてみたかったですが、アップされてませんでした。

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最後においしいいちごタルトとコーヒーをいただき、約4時間にわたる試聴タイムはお開きとなったのでした。また、やりましょう。レア盤探しときますね。

お題募集中です。コメントなどから何らかのヒントもいただけると思いますので、よろしゅうお願いします。また、下記のバナーもクリックしていただけると、「こりゃまた泣けてくる」でございますよ。んではまた。

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2024年3月14日 (木)

追悼、Eric Carmen~「さよならはいわないで」

かすてら音楽夜話Vol.184

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月曜日、facebookのRaspberris(ラズベリーズ)のページに奥さんの名義で発表になったEric Carmen(エリック・カルメン)の訃報には、少なからずショックを受けました。

もう半世紀以上前のことですが、「TBS今週のベストテン」(TBSラジオ)から「I Wanna Be With You」(邦題「明日を生きよう」1972年、サードシングル)のイントロが流れた瞬間から、ラズベリーズのファンになっていました。

初めて購入したシングル盤(もちろんレコードです。EPの45回転)は当然「I Wanna Be With You」でした。A面はもちろん、B面の「Goin’ Nowhere Tonight」(こちらはベースのDavid Smallyの曲)も繰り返し聴いたものです。

その後、「Let's Pretend」(1973年、5枚目のシングル)は友人が購入し、続く6枚目のシングル「Tonight」(1973年)はワタクシが購入しました。

 

映像は再結成時のもの。2004年か2005年のものだと思います。風貌は30年以上経ってますが、歌と演奏はいうことなしです。

何しろ、メディアへの登場はラジオに限られ、それもレコード媒体だけという時代。演奏の映像などもなく、レコードを買ってジャケット写真にまたシビレるという時代です。

もちろん、テレビに海外のミュージシャンの映像が流れるなんてことは、すでに解散していたビートルズやエルビス、そしてなぜかトム・ジョーンズくらいだった時代。写真を見かけるのも「明星」や「平凡」、あるいは学習雑誌にちらっとあるかどうかでしたね。「明星」や「平凡」は今になってみればなんてことないんですが、対象となる読者は高校生以上みたいなところもあり、たまに外国映画の女優の「パイオツカイデー」な写真も載っていたりで、買うのも結構勇気がいりました。もちろん、立ち読みなんて無理です。

さて、そんなラズベリーズも「Tonight」のあとは不発が続き、そんなワタクシも受験勉強に突入していくわけです。その間に、ラズベリーズはメンバーチェンジをしたものの、ついに解散の憂き目にあいます。

さて、受験も終わり、無事に高校に入学した直後にリリースされたのが、エリックのソロデビューシングル「All By Myself」(1975年)でした。ラズベリーズのころのパワーポップ(ちなみにそのころこの言葉はありませんでした)は影を潜め、若き頃より教育を受けたピアノにラフマニノフのメロディをオマージュして作り上げた曲です。ラズベリーズを含め自身最高位となるビルボード2位、キャッシュボックス1位を獲得した7分にもわたる大作です。

<2024/03/22追記>
何を勘違いしていたのか1年ずれていました。1975年は長嶋ジャイアンツの1年目で、もうひとりのアイドルである長嶋茂雄の動向が気になっていたのです。負け続けるジャイアンツ。それでも、机に向かうふりをしてラジオのナイター中継を聴いてましたね。結果はセリーグ6位。かつ、まさかの赤ヘル旋風に気が気でなく、洋楽ははるか彼方へ。
それでも、エリック・カルメンがソロになってヒット曲を出したということは頭に入っていたと思います。

 

これはなかなかのレア映像。「All By Myself」はオリジナルが7分ですので、短いシングルversionとラジオで流すRadio Edit版も制作されました。

ですが、ラフマニノフの著作権がアメリカでは切れていたものの、アメリカ以外ではまだ生きていたことが判明しため、ラフマニノフ財団に印税の12%を支払ったとのことです。

さて、そのころ、まだワタクシは邦楽・洋楽を問わず音源の情報は相変わらずラジオでした。小学生の時に購入した簡易型のレコードプレイヤー(外部出力端子なし)はすでに壊れ、カセットテープのモノラル録音ができるラジカセを持っているだけ(これまた外部入力端子なし)でした。

そして、エリック・カルメンは徐々に売れなくなっていくのですが、チェックだけはしていました。

アルバイトしてようやく購入した一番安い一体型のステレオをようやく手にし、エリック・カルメンの3枚目のアルバム『Change Of Heart』(1978年)を1年以上遅れて購入。やがて就職し、時代はCDの時代に突入すると、お金が比較的自由に使えるにもかかわらず、旧作の再発はCDではなかなかしてくれません。

しかし、何とか紙ジャケット仕様のCDが再発され、まだ手に入れていないものもあります。が、ラズベリーズはなんとかすべて手に入れ、あとはエリック・カルメンのソロ作を徐々に集めていこうかというところの訃報でありました。

さて、エリックを見送るのにふさわしい曲はこれでしょう。

 

ラズベリーズのデビューシングル(おそらく日本未発売)「Don't Want To Say Goodbye」(ビルボード86位)でした。作者はエリックとリードギターのWally Bryson(ウォリー・ブライソン)で、ふたりのツインヴォーカルです。

ソロとなってからはこんな曲も。

アルバム『Change Of Heart』の収録曲、「Heaven Can Wait」(1978年)でした。

<2024/03/22追記>
音楽評論家であり、いか天審査委員長でもあった萩原健太氏は、「なんか、こう、自称“硬派な”ロック・ファンとか、エリック・カルメンみたいな音楽をクサすよねー。先日も、とあるSNSでそういう書き込み見てものすごいムカつきました(笑)。まあ、その辺はもう個人的な考え方というか素養の問題なので、特にリアクションはしませんでしたが。ぼくの視点からすると、むしろエリック・カルメンが体現しているような音楽性をきちんと評価できなければ、特に英米の音楽地図を受け止められないと思います。」と書いております。(「」内は萩原氏の「Kenta's Nothing But Pop」より引用しました )

健太さんの個人的セレクト
(Raspberries編)

  1. Go All the Way / The Raspberries (1972 US #5)
  2. Waiting / The Raspberries (1972, from album “Raspberries”)
  3. Don't Want to Say Goodbye / The Raspberries (1972 US #86)
  4. I Wanna Be With You / The Raspberries (1972 US #16)
  5. Nobody Knows / The Raspberries (1972, from album “Fresh”)
  6. If You Change Your Mind / The Raspberries (1972, from album “Fresh”)
  7. Tonight / The Raspberries (1973 US #69)
  8. On the Beach / The Raspberries (1973, from album “Side 3”)
  9. Ecstasy / The Raspberries (1973, from album “Side 3”)
  10. Overnight Sensation / The Raspberries (1974 US #18)
  11. Cruisin Music / The Raspberries (1974, from album “Starting Over”)
  12. Starting Over / The Raspberries (1974, from album “Starting Over”)

(Eric Carmenソロ編)

  1. Haven't We Come a Long Way / Eric Carmen (1978)
  2. She Did It / Eric Carmen (1977)
  3. Last Night / Eric Carmen (1975)
  4. End of the World / Eric Carmen (1978)
  5. My Girl / Eric Carmen (1975)
  6. I Wanna Hear It from Your Lips / Eric Carmen (1985)
  7. Never Gonna Fall in Love Again / Eric Carmen (1975)
  8. Sleep with Me / Eric Carmen (1980)
  9. Hey Deanie / Eric Carmen (1978)
  10. Great Expectations / Eric Carmen (1975)
  11. Change of Heart / Eric Carmen (1978)
  12. All By Myself (Single Edit) / Eric Carmen (1975)

これまで、たくさんの曲を届けてくれてありがとう、エリック。安らかに。

また、過去にこんな記事も書いております。

「パワー・ポップの時代」
「ラフマニノフに魅せられた男」

併せて読んでいただけると幸いです。

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2024年3月 8日 (金)

天才・難波弘之のSense Of Wonder

かすてら音楽夜話Vol.183

ミケポスカフェでの音楽談義第3弾。

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今回ご本人の画像がなくて申し訳ありませんが、日本を代表するキーボーディスト、難波弘之氏のお話です。

難波さんというと山下達郎のバックアップメンバーで、おそらくずっとツアーには帯同しているのではないでしょうか。もちろん、達郎のキャリア中盤くらいまでは収録にも参加していました。

余談ですが、最近の達郎はコンピューターなどの機械を多用していて、難波さんが曲の収録に関わることは減ってますね。ほかのツアーメンバーもそうだけど。でも、ライヴには欠かせない人です。

さて、カフェには難波さんのソロデビューアルバム、『Sense Of Wonder』(1979年)を持参いたしました。まあ、これをお聴きください。

 

あれ?どこかで聴いたような。

そう、山下達郎が初めてマスメディアに登場した(MaxelカセットテープのCM)アルバム『Ride On Tine』(1980年)にも収録された「夏への扉」(作詞:吉田美奈子 作曲:山下達郎 編曲:難波弘之)です。

ちなみに、難波さんの「夏への扉」のほうがわずかながらこの世に先に出たのです。したがって、達郎版はセルフカバーということになります。達郎は提供曲を自分で歌ってしまうということをしない人で、「ハイティーンブギ」も「硝子の少年」も自らのアルバムには収録しておりません。ま、もしそれらが入っていたら、アルバムのトータル性が崩壊するような気もしますが。ただし、「サンデーソングブック」では達郎版の「硝子の少年」をひそかに流したことがあります。

つまり、唯一のセルフカバーということで、達郎自ら認めるいい曲であるとともに、お互いを認め合う難波さんとの関係性もあるのでしょう。

そして、いうまでもなく、難波versionのヴォーカルは難波さんなのですね。なんとも素朴な声ですよね。「演奏はいうことなし。ヴォーカルはアマチュアレベル、でもほっこり」なんですが、生粋のヴォーカリストではないので、そこは目をつぶりましょう。

ところで、このアルバムは全10曲入りで、すべてにSF小説のタイトルが付いているのです。

「夏への扉」はロバート・ハインラインのSF。物語には冷凍睡眠とタイムマシンが登場します。そして、歌詞に登場するピートは主人公の飼い猫で、リッキーは共同経営者の義理の娘なんです。小説の概要はこちらをご参照ください。無機質に見えるSFの世界ですが、かなり情感の入った作品ですね。なんと、曲中に猫の鳴き声も入ります。

この作詞をした吉田美奈子氏は難波さんの意図をよく理解して書き下ろしたものだと思います。難波さんのクレジットはアレンジとヴォーカル、各種キーボードなんですが、間違いなくプロデュースもしています。達郎は美奈子さんの言葉にメロディをつけただけ。間違いなく「詞先」の曲です。

さて、難波さん、実は演奏活動以前に母校学習院の中学3年にしてSF短編「青銅色の死」で安倍能成文学賞(初等科から大学までのすべての学習院生対象の文学賞)を受賞し、音楽活動と並行してSF作品も書いているSF作家でもあるのですね。ハヤカワ文庫、コバルト文庫にも著作があるようです。

そして、アルバムタイトル、の"sense of wonder"とは、SF用語で、「作品に触れることで受ける、ある種の不思議な感動、不思議な心理的感覚の概念」なんだそうです。

こうしたことを理解したうえで、もう一度「夏への扉」を聴くと、難波さんのハインラインへの思いとリスペクトも感じられ、ヴォーカルがどうしたなどとは、気にならなくなります。

残念ながら今のところ、YouTubeには『Sense Of Wonder』の収録曲は「夏への扉」以外は上がっておりません。難波さんがのちに組むバンド、「センス・オブ・ワンダー」の楽曲はありますが、このアルバムとは関係ありません。

もし、このアルバムを手にすることがあれば、「虎よ!虎よ!」(作詞:亜蘭知子 作曲:長戸大幸 編曲:難波弘之)という曲も特筆ものです。打って変わっての力強いヴォーカルはゲストの織田哲郎でして、ちょこっと、Led Zeppelinの「Whole Lotta Love」(邦題「胸いっぱいの愛を」)が入ってます。

そして、トップ画像はアルバム『Sense Of Wonder』のジャケットの一部なんですが、これは手塚治虫の手によるもので、ライナーノートを中島梓(SF作家名は栗本薫)が書いてます。ワタクシの所有しているアルバムは廉価版なので、ライナーノートは省略されてました。

こんなものを見つけました。

 

娘さんとのコラボです。

音楽一家なんですね。難波さんの父はアコーディオン奏者で母は声楽家です。残念ながら、母親のDNAは難波さんには受け継がれなかったようですが、娘の玲里さんにはしっかりと受け継がれていますね。隔世遺伝。

難波さんの時代ですとヤマハが青田買いしてネム音楽院あたりにスカウトされそうなものですが、どうやらこの方にはその必要はなかったようです。それだけ、若くして天才的だったということですかね。

☆音楽談義はもうひとつやります!

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2024年2月28日 (水)

フレンチポップス

かすてら音楽夜話Vol.182

引き続きのミケポスカフェでの音楽談義第二弾です。

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カフェにお邪魔しますと、みつけちゃいましたよ、このようなCD。

トップから右回りにジム・クロウチ、トム・ウェイツ、そしてミッシェル・ポルナレフです。

今回はミッシェル・ポルナレフをはじめとするフランスのポップスの話です。シャンソンではございません。

Michel Polnareff

ワタクシが洋楽を聴くようになったのは小学校高学年の頃です。少ないお小遣いの中から今は亡きメーカー、AIWAのポケットサイズのAMラジオを買い、NHK以外で受信状態のいい(954KHz)TBSをよく聴くようになりました。

土曜の夜には「ヤングタウンTOKYO」という公開収録番組があり、主に生ライヴとトークで構成される番組でした。当時デビューしたての小林麻美(現在は田辺エージェンシー社長夫人)が人気があり、若手女性アイドルとまだ二人組だったオフコースなどがよく出演していました。司会は桂三枝(現在の桂文枝)でしたねえ。

そして、日曜の午前には「TBS今週のベストテン」という番組があり、洋楽vs邦楽のベストテン対決をサイコロを振って勝ったほうが長く流れるというちょっと変わった番組でした。洋楽担当が宮内鎮雄で邦楽担当が久米宏でした。

邦楽ではチューリップの「心の旅」が強く、洋楽では何といってもカーペンターズが強かったですね。

さて、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、ウィングス、エルトン・ジョンなどに交じって異色の存在だったのがミッシェル・ポルナレフなのでした。

 

ミッシェル・ポルナレフの「Tout, tout pour ma chérie」(邦題「シェリーに口づけ」1969年)でした。

この曲は今でもテレビ番組でよく使われております。特にTOKYO MX「5時に夢中」では毎回最初のCM前に流れております。

当初はB面曲でしたが、1971年にA面として再発され、日本国内で40万枚の売り上げがあったといいます。そして、オリコンのシングルチャートで6位を記録しています。ところが、この曲は本国フランスでもチャートインしておりません。なぜか日本では売れたのでした。

それにしてもインパクトのあるカーリーヘアにでかいサングラス。こりゃ、一目ですぐにミッシェル・ポルナレフとわかりますね。そして、彼は公演のポスターに自らの生尻をさらすということをやってのけます。その後さらにエスカレートし、股間を帽子だけで隠したポスターも作られました。まさに「アキラ100%を半世紀早くやっていた」(by トーマスさん)ことになります。

ちなみにThe Runawaysのヴォーカル、シェリー・カリーが下着姿で歌うのはもう少し後のこと。

ところで、邦題なんですが「シェリー」は人名ではなく「口づけ」も関係ないんですね。原題を英語訳すると「All, all for my darling」となるそうで、「すべてを僕の愛しい人に」といったところだそうで。

 

こちら、「Holidays」(邦題「愛の休日」1972年)でした。

「TBS今週のベストテン」では「シェリーに口づけ」は直接聴いていませんでしたが、この曲はよく流れました。フランスで4位、日本でまたもオリコン6位というヒットです。

ポルナレフの曲はタイトルだけはなぜか英語のままというものが結構あることをミケポスカフェのオーナーさんのCDで知りました。

ポルナレフのでかいサングラスは、白内障を患っていたからともいわれております。また、父親がウクライナ系ユダヤ人でのちにフランスに移住したという人でした。そんなポルナレフも1944年生まれですので、今年で80歳ですよ。こういうインパクトのある人は今後出てくるでしょうかね。

Danièle Vidal

 

ダニエル・ビダルという人、1952年生まれでシャルル・アズナブールにスカウトされ1969年にデビュー。生まれは旧フランス領のモロッコだそうですが、アラブやベルベルの血は入ってないようです。

かなり日本とかかわりの深い人で、デビューシングルの「天使の落書き」から日本でもリリースされオリコン12位のヒットを記録しています。

個人的には曲よりもサンスターの歯磨きだったかのCM「♪透き通ってるってホントかな」のフレーズが印象的でした。残念ながらYouTubeにはこれが見当たらず、定番ともいえる「Les Champs-Élysées」(邦題「オー・シャンゼリゼ」1971年)を持ってきましたが、こちらもオリコン78位です。

オリジナルはイギリスのサイケバンドJason Crestの「Waterloo Road」にフランス語の詞を付けたものです。

日本とのかかわりが深い彼女ですが、なんと「チャコとヘルスエンジェル」のメンバーと結婚していて(のちに離婚)、日本在住経験もあり、かなり日本語が堪能になったようです。

こんな映像を貼っておきます。

 

何度も来日しているようです。ちなみに、2019年のもの。異様に若くないすか?

ま、日本でもユーミンやまりやはカメラが入るとこんな感じだよね。

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ここでブレイク。ダニエル・ビダルがモロッコ生まれと関係しているわけではないのですが、ミケポスカフェのオーナさんお手製のタジンでございます。

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これまた美味しゅうございました。

「マダマダツヅクヨー」(Rolling Stones日本公演時のMic JaggerのMCより)

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2024年2月19日 (月)

あの大先生の歌声ー林哲司の若かりし頃

かすてら音楽夜話Vol.181

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2月某日、トーマスさんとミケポスカフェを再訪いたしました。

昨年もこの時期、ふたりしてお邪魔しまして、音楽談義というか、ワタクシが一方的に好みの音楽をかけてそれについて語りまくるという、独善的なDJっぽいことを行いました。それの第2弾をやろうというわけです。

ちなみに、画像のCDはその時持参したものです。

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その前に腹ごしらえです。オーナーさん特製の酸辣湯素麺でございます。とても美味しゅうございました。

さて、今回かけた曲のうち、ちょっとしたレア盤を持参いたしました。その中から、今回はこの人を紹介してみたいと思います。

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「誰?」って感じですよね。アルバムジャケットの一部を撮影したもので、名前も出てますのでバレバレですが。

そう、松原みき「真夜中のドア」を作曲(編曲も)し、昨年デビュー50周年を迎えた林哲司大先生です。うたコンにも出ましたね。

林さんというとみきさん以外にも数々の提供曲があり、筒美京平、都倉俊一というやはり大御所みたいに表立って顔は出さない仕事がメインですが、業界デビューは1973年、『Bruges』というベルギーの都市(ちなみに、スペリングはフランス語でベルギー語では「Brugge」となります)と同名のソロアルバムを引っ提げてのものでした。

ところで、わたしゃ松原みきのファンですので、1979年に竹内まりやの「September」と「真夜中のドア」というタイプの異なる曲を作編曲した林哲司という人物がとても気になっていたのです。なので、林さんのCDがあると中古でもその都度ゲットしてきたのです。この、デビューアルバム『Bruges』を見つけたのはなんと、香港島のTower Recordsでございました。2000年の1月のことです。

当時はですね、バブル崩壊後とはいえ、日本もなかなか勢いがあったんです。それは音楽業界も同じで、香港で安室やTRFのコンサートが行われた直後で、街角ではそのポスターもよく見かけましたし、日本のCDもきちんとコーナーがあって売られていたのですね。そんな中、果たして需要があったのかどうか、『Bruges』もひっそりと置かれており、すかさずゲットいたしました。ちなみに、タワレコのポイントカードはもちろん適用外でしたが。

さて、このアルバム、全曲を林氏が手掛けていて編曲はもちろん、なんと作詞まで行っています。そして、増尾元章(ギター)、佐藤健(ベース、ハモンドオルガン)、見砂和照(ドラムス)が演奏し、林氏はヴォーカルとピアノ、アコースティックギターを担当。基本、この4人で収録を行いました。実はこのメンバーはヤマハつながりで、直後に「オレンジ」というバンドを結成することになります。

ただ、このバンドは結局音源を残すことはありませんでした。なんでもビートルズのアップルレコードに対するオマージュ的なものとして「オレンジ」と名付けたらしいです。4人それぞれがソロアルバムを出し、その4人が戻ってくるところがオレンジであるという位置づけでもあったようです。

バックのメンバーを見てみると、増尾氏はジャズギタリストで兄の増尾好秋もジャズ/フュージョン系のギタリスト。佐藤氏は松原みきのアルバムでも曲を提供していて、奥さんの大橋純子氏をバックで支える美乃家セントラルステイションのバンドリーダーです。見砂氏は父親の跡を継ぎ東京キューバンボーイズのバンドマスターであり、美乃家セントラルステイションやSHŌGUNにも在籍していたことのある人です。結構すごいメンバーですよね。

 

つうことで、オープニングの「僕の隣りの孤独」(作詞作曲編曲:林哲司、タイトルはアルバムの表記のままです)でした。

音的にはブラスも入ってます。が、クレジットなしです。コーラスは佐藤健氏と葉山じゅんという人が担当してますね。ギターが2つ入ってますが、増尾氏がどちらも担当しているんでしょう。なんとも低予算で製作された感があります。

どことなくビートルズの「Here Comes The Sun」っぽいフレーズもあったりするのは若気の至りですかねぇ。

そして、林さんの歌ですが、「天は二物を与えず」といったところでしょうか。決して下手とか音程が取れない能瀬慶子状態ではありませんが、大江千里のように味があるというわけでもなく、中途半端ですよね。やはり、プロのシンガーには負けてますわ。

このアルバム、実際に聴くと各楽器の音が大きくなったり小さくなったりで、非常に気持ち悪いです。また、全体的にリバーブ効かせ気味で、林さん、大浴場で歌っているようにも感じてしまいますね。ま、低予算で絶対に売ってやろうという作品じゃないんでしょうね。はっきりいってこれで大ヒットを狙っていたのであれば、業界ナメすぎです。

ま、そんな林さんですが、その後の活躍はご存じの通り。あまたの提供曲があることはいうまでもありませんが、こんな提供曲もありました。

 

イギリスのバンドJigsaw(ジグソー)に提供した「If I Have To Go Away」(1977年)です。

なんと、イギリスとアメリカでチャートインしております。イギリスで36位、アメリカで93位。邦題は「君にさようなら」。その後、Pink Ladyの「Kiss In The Dark」(1979年)がチャートインしているのですが、こちらは日本人がかかわっておらず、日本の職業作曲家が関わった曲としては坂本九の「上を向いて歩こう」以来となりますか。ひとつの偉業です。

余談ですが、オノ・ヨーコがPlastic Ono Band名義で「Give Peace A Chance」(1969年)をチャートインさせてます。曲はレノン=マッカートニー名義になってますが、実際にはジョンとヨーコによるものだそうです。

さて、林さんその後も地味ながらソロアルバムをリリースしてまして、一時期はC.C.ガールズとコラボしてましたけど、結構本心は出たがりなのかも。

つうことで、シティポップの元祖ともいえる林哲司の若かりし頃でした。これ、暗黒面、黒歴史なのかも。でも、素朴な感じでいいですよね。

かすてら音楽夜話Vol.4:林哲司

ミケポスカフェでの音楽談義はまだありますので、いくつか続編が続きます。また、誰かの黒歴史をやっちゃうかも。

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