カテゴリー「Music Talk」の214件の記事

2025年10月24日 (金)

Dの人名曲はイーグルスとショーン・キャシディ

かすてら音楽夜話Vol.214

Donhenry

サボっていたわけではありませんが、個人的事情で記事を上げられませんでした。すんまへん。

さて、今回は「Dから始まる人名がタイトルの曲」を行ってみたいと思います。

まずは、こちらをお聴きください。

 

はい、Eagles(イーグルス)の「Doolin-Dalton」でした。

作者はDon Henley(ドン・ヘンリー)、Glenn Frey(グレン・フライ)、JD Souther(JD サウザー)、Jackson Browne(ジャクソン・ブラウン)で、ヴォーカルはヘンリーとフライになります。

こちら、シングルでも何でもないアルバム収録曲なんですが、イーグルスのセカンドアルバム『Desperado』(邦題『ならず者』、1973年)のオープニングナンバーであり、アルバムラストでも「Doolin-Dalton/Desperado」としてリプライズされております。

さて、アルバム『Desperado』ですが、コンセプトアルバムで、アメリカ西部開拓時代のギャング団をテーマにしています。

"Doolin-Dalton"とは、そのギャング団の代表者の名称です。Bill Doolin(ビル・ドゥーリン)とBill Dalton(ビル・ダルトン)のふたりですね。もちろん、その他にもメンバーはいた模様で、結局この人たちは、保安官との銃撃戦でなくなっています。ほかのメンバーも1人を除いて全員殺害されたという、悲惨な生涯でした。

さて、アルバム『Desperado』ですが、Bilboard Hot 200(週間アルバムチャート)で41位が最高位で、1973年の年間チャートで64位という、イーグルスにしてはほぼ売れなかったものといっていいでしょう。ただし、のちにダブルプラチナ(200万枚)認定されています。これは、のちの彼らの活躍で年月をかけて達成されたものだと思います。

シングルヒットも「Outlaw Man」のBilboard Hot 100で59位が最高で、もう1曲のシングル、「Tequila Sunrise」はチャート圏外でした。

ほぼ、イーグルスのコンサートでの定番、「Desperado」も「Tequila Sunrise」も含まれたアルバムながらこの有様です。ただし、名曲ぞろいということで、「Desperado」などは、多くのミュージシャンにカバーされています。そのカバーの中で、最も好きなのが、Linda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)のヴァージョンでして、テレビ版「深夜特急」(「劇的紀行 深夜特急」というタイトルで、大沢たかお主演)でテヘランへ向かう道の途中でヒッチしたクルマから降ろされた大沢たかおが、途方に暮れるシーンで流されたものです。

ともかく、この時代のイーグルスはよかったですよね。でも、現在もメンバーで生き残っているのはドン・ヘンリーひとりです(2名脱退、その後1名死亡。残ったフライも死亡。バーニーのみ生存)。

ところで、イーグルスは「Doolin-Dalton」のような、実在する人物をタイトルに持ってきた曲があと2つあります。時期不明ですが、こちらも取り上げる予定ですので、ご期待のほどを。

もう1曲はこちら。お聴きください。

 

Shaun Cassidy(ショーン・キャシディ)の「Hey Deanie」でした。

こちら、セカンドアルバム『Born Late』(1977年)からのシングルカットで、Bilboard Hot 100で7位を記録しています。年末のシングルにもかかわらず、翌1978年の年間チャートでも68位と健闘しています。アルバム『Born Late』もHot 200で6位、翌年の年間チャートでも58位でした。

この曲の作者はEric Carmen(エリック・カルメン)です。彼自身も1978年の3枚目のアルバム『Change Of Heart』でセルフカバーしていて、シングル「Change Of Heart」のB面になっています。

さて、ショーン・キャシディという人、当時のアメリカではアイドル的な扱いでした。1977年にデビューし、アルバム『Shaun Cassidy』はHot 200で3位を記録し、プラチナ認定(100万枚)されています。シングルでもPhil Spector(フィル・スペクター)らの「Da Doo Ron Ron」がHot 100で1位、やはりエリック・カルメンの「That's Rock'n' Roll」(邦題「すてきなロックンロール」。エリック・カルメンのほうが1976年にデビューアルバムで収録していて、キャシディがカバーしたことになります)が3位という人気ぶりでした。

また、1978年の第20回グラミー賞では最優秀新人賞にノミネートされています。ただし、この時は10週連続1位という当時の記録(「You Light Up My Life」)を持つDebby Boonにかっさわられております。

キャシディという名前、異母兄にDavid Cassidyという人がいて、彼もThe Partridge Familyとして、1970年に「I Think I Love You」(邦題「悲しき初恋」)が1位を獲得しています。

ほとんど、将来が約束されたようなショーン・キャシディでしたが、1980年代に入ると、人気が低迷し、舞台俳優などに転向しました。

 

エリック・カルメンのヴァージョンもどうぞ。

セルフカバーの定番として、提供したショーン・キャシディのものより、音に厚みを持たせてますね。

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この「Hey Deanie」という曲、エリック・カルメンが「草原の輝き」という映画を見て書いたそうです。主人公の女性が「ディニー」でナタリー・ウッドが演じております。

この記事に何かを感じた方は、ぜひともコメントくださいませ。次回からはできるだけ記事を上げるようにします。また、バナーのクリックもよろしくお願いします。

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2025年9月 9日 (火)

ボズさん、やばくね?

かすてら音楽夜話Vol.213

今回も、引き続き、ミケポスカフェでの音楽話より。

今回登場するのは、Boz Scaggs(ボズ・スキャッグス)です。二度目の登場で、「TOTOの生みの親」という記事を上げております。

ま、その時の焼き直し的な記事になりますが、ご容赦のほどを。

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ボズといえば、「We're All Alone」がどうしても出てきてしまい、AORの人みたいに思われがちですが、あちらではWhite Soul、あるいはBue-Eyed Soulにも分類されるほど、黒っぽいヴォーカリストとして評価されています。

また、ビルボード Hot 200(週間アルバムチャート)で最高位2位のヒットアルバム『Silk Degrees』で、のちのTOTOのメンバーをバックに起用し、洗練された音作りもしてきました。

さて、今回取り上げるのは上記の画像、9枚目のアルバム『Middle Man』(1980年)です。

やばいジャケット写真

女性の足に頭を乗せたボズがたばこの煙を吐き出すというジャケ写でございます。このアルバム、見開き状態になっていまして、もう半分を開くと、女性は足を開いていましてね、それが光る(テカる)ような素材のレオタードなんですよ。そして、網タイツも穿いていると。女性の顔などは写っていないのですが、どうやらバニースタイルのようです。そして、やけにほっそりしていて、大人体系ではなく、どうもローティーンではないか…なんてことが、一部では囁かれておりました。

ま、45年も前のことですから、当時はコンプライアンスもなく、そのまま通っちゃったんでしょう。ちなみに、『Middle Man』は現在もこのまんま発売されております。ちなみに、当時のボズは36歳(1944年生まれ)。Middle Manというからには「中年」という意味かと思ったら、「仲介人」という面白くもなんともない意味になるそうで。

こうしたちょいヤバジャケットですが、Scorpions(スコーピオンズ)の『Virgin Killer』(少女ヌード)は現在は差し替えになり、『Love Drive』(リムジンの後席で女性の胸についたガムを引きはがそうとしている男性の図)はそのままです。Nirvana(ニルヴァーナ)の『Nevermind』(泳ぐ生後4か月の男児の生殖器が写りこんでいる)はのちにモデル本人からの訴えがあったようで。

ま、いろいろありますわ。Queenの「Bicycle Race/Fat Bottmed Girl」(両A面シングル)のジャケ写もですし、プロモビデオはもっとすごくて、YouTubeでは年齢制限かけられてますね。

Eric Carmen(エリック・カルメン)の4枚目、『Tonight You Are Mine』も想像力を働かせれば…ちなみに、差し替えなしですが、現在市場に出回ってません。

ま、それはさておき、『Middle Man』もなかなかの出来です。

アルバム『Middle Man』より

 

さて、こちらは、「You Can Have Me Anytime」という曲です。作者はDavid Foster(デビッド・フォスター)とボズ。映像はプロモーションビデオですね。音源はアルバムのものです。

この曲、シングルにはなっていないのですが、日本限定のシングルになっているはずです。邦題が「トワイライト・ハイウェイ」といいまして、TOYOTA Cresta(トヨタ クレスタ)というクルマのCM曲でした。

なにしろ、世界のトヨタですからね、「ここはボズさん、ひとつアレみたいな曲でお願いします」なんてやり取りがあったのではないでしょうか。もちろん「アレ」とは、「We're All Alone」のことです。

プロモーションビデオではバックの演奏はうまく合わせてあって、実際に(音源で)演奏している人物とは違いますね。エレピはデビッド・フォスターではありませんし、ドラムもJeff Porcaro(ジェフ・ポーカロ)ではなく、もちろんベースもDavid Hungate(デビッド・ハンゲイト)ではありません。

そして、ギターを担当するのは「ゴーストバスターズ」のRay Parker Jr.(レイ・パーカーJr)と印象的なギターソロがCarlos Santana(カルロス・サンタナ)なんですね。これらの差し替え、おそらくは肖像権みたいなことも関係しているのかと。すでに、TOTOはスーパースターですし、レイ・パーカーjr.は自身のグループ、Raydio(レイディオ)でヒット連発でしたから。

また、このアルバムではやはり、TOTOのギター、Steve Lukather(スティーブ・ルカサー)もほとんどの曲を弾いていたのですが、「You Can Have Me Anytime」ではどうしてもサンタナのギターが必要だったのでしょう。

 

これまた、シングルにならなかった「Angel You」という曲です。作者は同じくフォスターとボズです。

こちら、印象的なバックコーラスが、Rosemary Butler(ローズマリー・バトラー)という人で、角川映画「汚れた英雄」の主題歌を歌った人です。オリコン洋楽チャートで11週間1位を続けたので、覚えている人も多いかと。

 

最後に紹介するのは、「Breakdown Dead Ahead」という曲で、ビルボード Hot 100(週間シングルチャート)最高位15位、キャッシュボックスで12位という、『Middle Man』からのシングルカットで一番ヒットした曲です。

こうしたノリが、AORとは一線を画していると思います。個人的にはアルバムで最も好きな曲です。

もちろん、映像はプロモビデオで、演奏は本人とは別の方が演じてますね。コーラスの女性はわからないですが。

ギターはルカサーとレイ・パーカーJr.で、ベースはハンゲイト、ピアノがフォスター、ドラムのみRick Marotta(リック・マロッタ)に変更されてます。

この後、ボズは長らく沈黙の時代に入ってしまうのですね。若かりし頃、ヨーロッパの街角でギターの弾き語りをしながら、日銭を稼いでいたくらいですから、バックパッカーでもやってたのか…でも、相当売れた人ですから、それはないか。

話は変わりまして。

御三家の一人であった橋幸夫さんがお亡くなりになりました。

これで、残された御三家は舟木一夫さんだけになりました。

 

もちろん、2度のレコード大賞受賞者で、追悼ニュースなどでは「いつでも夢を」、「霧氷」(以上レコード大賞受賞曲)やデビュー曲の「潮来傘」で報道されたりしました。

ワタクシ的にはこの世に「リズム歌謡」というものを大衆のレベルにまで知らしめた人として、評価したいと思います。

寺内タケシや加山雄三、その後のGSなどもありますが、茶の間のじいさんばあさんまで、エレキを親しみやすくしてくれた人なんですね。何しろ、クレージー映画でも植木等氏が「♪炎のように 燃えようよ」と鼻歌を口ずさんでいたくらいでして。

その後の「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」、「恋のメキシカンロック」など、ねちっこくリズム歌謡の曲をリリースします。このあたり、レコード大賞を二度も取れば「え、ちょっと勘弁してよ」などと拒否もされると思うんですが、いやな顔ひとつせずに、一介のシンガーであり続けた人です。

認知症を患いながらも、夢グループの一員として何度もマスコミに顔を出してくれたというのは、さすがのプロ根性だと思います。

謹んで、お悔やみを申し上げます。安らかに。

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次回も、音楽談義よりを予定しております。

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2025年8月22日 (金)

初期の馬場俊英は詰めが甘いがいい感じ

かすてら音楽夜話Vol.212

月1更新を目指すCafe de Castellaでございます。カメの歩みっすね。

さて、今回はミケポスカフェで行われた音楽談義の続きから。

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今回取り上げるのはこの人、馬場俊英でございます。

ざっと、彼の経歴をば。

1967年3月生まれ。と、いうことは同学年に宮本浩次、斉藤和義、トータス松本、スガシカオらがいますが、デビューはぐっと遅く、1996年になります。契約はフォーライフでした。

アルバム『もうすぐゴング』(1997年)、『Down The River』(1998年)、『Over The Mountain』(1998年)とシングル7枚をリリースしますが、そこでフォーライフとの契約終了。

その後、インディーズに転じ、自主製作アルバム3枚をリリース後、2005年にフォーライフと再契約し、2007年の紅白歌合戦に初出場。

2008年、ワーナーに移籍。

2016年、ドリーミュージック移籍。現在に至る。

補足させてもらいますと、デビュー前はSon's Train(サンズトレイン)というインディーズバンドに在籍し、1989年11月4日に「三宅裕司のいかすバンド天国」(イカ天)に出場し、「雨にうたれていることを」という曲を演奏し、完奏しております。この時の(仮)イカ天Kingがカブキロックスで、挑戦者がサイバーニュウニュウでした。Son's Trainに関しては、受賞はなし。ゲスト審査員のつみきみほのコメントで、「歌はうまいと思ったけど、そこまで個性はないみたい」と評されております。

この映像なんですけどね、数年前にはYouTubeに上がっていたんですがね。現在は削除されてしまいました。

ま、この時からデビューまで7年かかっているんです。同じようにスガシカオもサラリーマンをやりながらデビューの機会をうかがっていたんですけどね。スガシカオの場合、タワーレコードのレーベルでインディーズデビュー後、無事にKITTYと契約し、事務所もオフィスオーガスタに所属し、メジャーデビュー後はラジオのヘビーローテーションになったり、「夜空ノムコウ」がSMAPに取り上げられたりと、一気に「ヒットチャートを駆け抜けろ」だったのでございます。

一方、馬場俊英のデビュー前は、ソロで地道に活動しつつ、佐藤聖子という人のライターをやっていたようです。wikiによれば、森口博子の「HOME TOWN」という曲の作曲もやってますね。

さて、ここまで長くかかりましたが、今回取り上げるのはデビューから3作目までの馬場俊英についてです。なんと、アルバム3枚、シングル7枚ともオリコンチャート圏外です。

馬場俊英を紹介してもらったのは、すでに末期に入っていたNiftyserve(現在の@nifty)のパソコン通信、音楽フォーラム(FBEAT)で知り合った方から。いいと感じた楽曲をお互いにMDなどに録音して送り付けるなんてことをやっていたのですが、その中に馬場俊英の曲が入っていたのです。

ちなみに、その方もワタクシが松原みきの良さを力説するもので、みきさんの全アルバムを中古屋でゲットする羽目になりました。神戸のJuntyさん、元気ですかあ~?

アルバム『もうすぐゴング』より

 

曲は3枚目のシングル、「明日はどっちだ」(作詞作曲:馬場俊英 編曲:水島康貴・馬場俊英)でした。

このアルバムはどちらかというと、バラード曲が多いのですが、テンポ早いのややロック調の曲です。

ちなみに、アルバムでは馬場俊英はヴォーカルとバックヴォーカルのみに専念していて、楽器はスタジオミュージシャンに委ねていますが、その面々がかなりのもの。ギター、松原正樹(「恋をするなら~ムーンライト ランデブー」のみ馬場俊英も担当)。ベース、伊藤広規、長岡道夫(SHOGUNのミッチー長岡)、小松秀行(かつて古内東子のサウンドプロデューサー)。ドラムス、青山純、島村英二、佐野康夫。などなど。

ちなみに、イントロの印象的なギターソロは、今堀恒夫という人が担当しています。

 

こちらは、シングルになっていない、「”優しい雨のように”を覚えていますか?」(作詞作曲:馬場俊英 編曲:松原正樹)です。

印象的なスティールギターははちみつぱいの駒沢裕城で、コーラスに佐藤聖子も参加しています。この曲、馬場俊英の特徴というか、乗ってくると発音がややあいまいになるところがあって、サビの「♪鳴りやまぬ雨音~」の青い文字の部分、「アマボート」に聴こえますね。前半、イントロ直後の「♪ゆっくりと針を~」もそうかな。

ま、これくらいはいいすかね。個性だから。ちなみに正確なタイトル表記は…「優しい雨のように」を覚えてますか? と、なります。ちなみに、このアルバムにはセルフライナーノートのようなものが付いていて、「優しい雨のように」という曲はThe Bandのアルバム『Islands』の「Right As Rain」という曲ですね。このあたり、馬場俊英のルーツ的なものが見えるかも。

さて、デビューシングルから約1年を要してリリースされたアルバム。これを用意周到というのかどうか。アルバム発売までに3枚のシングルをリリースしているので、その中にアルバム未収録曲もひとつありますが、5曲がアルバムにも収録され、そのうち2曲をアルバム用にMixしなおしてます。また、セカンドシングルの「100倍の微笑み」は実質的に木原龍太郎がプロデュースしたものといえましょう。

例のセルフライナーノートによると、デビュー前に10曲入りのデモテープをせっせと作り、いろいろなところに送り付けていたそうですから、かなりの曲のストックがあったことでしょう。その中でも、フォーライフ側主導で、売れそうな曲を取りそろえたというのがこのアルバムでしょう。

ただ、馬場俊英が目指していた方向と一致していたものかは微妙にずれがあったと思います。

アルバム『Down The River』より

全8曲入りのセカンドアルバムです。作詞、作曲、編曲ともすべて馬場俊英によるものです。

 

「ティラノサウルスの恋」(Horn Arrangement:馬場俊英・金子サスケ)。5枚目のシングルです。

アルバム中唯一ブラスセクションを入れた曲で、アレンジャーのひとり、金子サスケ氏はサックスプレイヤーです。ブラスは、サックス、トランペット、トロンボーンの3人編成で、個人的にはどことなくChicagoの初期がフィードバックしてくるような曲調です。一応、馬場俊英は全曲アレンジになってはいるのですが、デビュー2年目で京平さんや林哲司氏のように緻密に譜面で指示するというわけでもなさそうです。

正直なところ、クレジットに名前が載っていても印税が発生するわけでもなく、とりあえずは名前を載せておこうといった感じなんじゃないかと推測しますが。実際のところ、Co-produceともクレジットされている浦田恵司氏(プログラマー)あたりが、まとめたものかと。彼が、共同アレンジに関わった曲については、「Sound Architect」というクレジットが記されています。

「♪パソコンも無い Handy Phoneも無い テレビは映像(いろ)を失(な)くす」という歌詞はかつての実生活であったことかもしれません。1998年という時点ではPCもケータイもないという人はかなりおりました。とはいえ、この歌詞、斉藤和義の「ジユウニナリタイ」(1997年)の中にある「♪携帯電話はだから欲しくない」に先んじられているのですね。

とはいえ、わたしゃ、この曲のノリがかなり好きです。

 

「高速道路」。こちらも、推測するに馬場俊英のかなり昔の曲だと思います。

歌詞の「♪カセットももうあきて」なんてところ、カセットプレイヤー搭載のクルマが1998年当時メインストリームであったか。すでにMDが登場している時代ですね。CDチェンジャーもあったよな。また、歌詞が出身の寄居あたりの方言なんでしょうか。「♪お前も俺もこうなんか また違う感じで」と続きます。

思うに、ギター1本での弾き語り、つまり馬場俊英がアマチュア時代にずっとやっていたことを発展させて、バックの音を足していったような仕上がりですね。ここでのアレンジは馬場俊英単独です。

スローバラードではありますが、ロードムービー的な佳曲であります。

後半のコーラス、馬場俊英一人の多重録音ですが、「Ooh Baby Baby」のリフレイン、これがモロThe Miracles(ミラクルズ、モータウンの看板グループで、作者のスモーキー・ロビンソンもメンバーの一人)の「Ooh Baby Baby」(1965年)あるいは1978年のLinda Ronstadtの同曲のカバーそのもの。

実はこのアルバムにはすべて英語の副題がついてまして、「高速道路」は「Ooh Baby Baby」なのでございました。ちょっとねえ、このあたりだけもうちょっと慎重に作れなかったのかなという気はします。

でも、わたしゃ好みの曲です。

 

「愛する」(編曲:馬場俊英・浦田恵司)。6枚目のシングルです。

パソ通で送ってもらったのがこの曲でした。ひとえに、名曲といえます。もう、カラオケで自己陶酔したいときに歌うような曲。あるいは、歌に自信がある人が結婚式で新郎新婦に送るような曲ですわ。

8曲中7曲目になりますが、その次の「ミセス・ユー」という曲が続きまして、ここで愛をぶちまけたものの、結局はお相手は誰かの「ミセス」になっちまったというのは勘ぐりすぎなんでしょうか。

ともあれ、約30分に凝縮された佳曲が並ぶアルバムです。個人的には初期の三部作の中では一番自宅で回っているアルバムであります。

アルバム『Over The Mountain』より

これまた、全9曲入り(うちボーナストラック1曲)で、全曲を馬場俊英が作詞、作曲、編曲を手掛けてます。うち、共同アレンジが2曲あります。

そして、前作『Down The River』を5月にリリースして、同年の12月にリリースしたのがこのアルバムになります。何をそんなに急いでいたのでしょうか。

 

「汗(ミチ改め)~あの事件(ヤマ)越えて」でした。シングルにはなっておりません。

おそらく、初期の三部作の中で最もスピード感のある曲です。そして、バンドサウンド。Son's Train時代にやりたかったような曲なのかも。

そして、バックコーラスが馬場俊英以外、ギターの首藤高広氏、ベースの金森佳朗氏、ドラムの石川英一氏に加え、柴草玲氏が加わってます。佐藤聖子以外の人物がコーラスに起用されるのも初めてですし、柴草玲氏(女性キーボーディスト)はこのアルバムでもかなり顔を出すことになります。

「♪肴ならあぶったイカでいい」というのはかなり安直ですよね。八代亜紀かよ。このあたりも詰めが甘いんだよな。

でも、ここで紹介しているということは、やっぱりワタクシの好みなんですね。

 

「イヌとフリスビー」でした。こちらも、シングルになっておりません。と、いうか、全2作のアルバムからは3作ずつのシングルがリリースされていますが、このアルバムからは「どんなときだって幸せをさがしていた」という曲の1枚のみなんです。

この曲はまったくスピード感とは無縁で、草むらに寝っ転がって様々な思いを巡らせているようなことが綴られています。ましてや、大衆音楽の常道、「恋愛」「恋人」とも無縁で、強い主張もありません。

でも、この力抜け具合がいいと思います。

『Over The Mountain』ですが、シングルが1枚のみ。ですが、馬場俊英が一番やりたい音楽を自分の主導権を持って表現したかったアルバムだったのではないでしょうか。

『もうすぐゴング』では、会社側に主導権を握られ、おそらく馬場俊英の個性がだいぶ抑えられたものを、『Down The River』ではかなり馬場俊英が主導権を握るようにはなったものの、まだまだと思って、短期間で思いっきりやりたいことをぶつけたのが『Over The Mountain』だったのではないでしょうか。

その後、2000年にフォーライフとの契約が終了してしまいます。また、フォーライフで復活を果たすのですが、「報われない大人を応援する」ヒトみたいな曲が多くなってしまいました。ま、それが売れたのですが。会社側からも売れる曲を作れと迫られたのでしょうね。

個人的には再デビュー後のアルバムを3枚続けて聴くのはかなり辛いです。ですが、デビユーシテから契約を切られるまでのアルバムを3枚続けて聴くのは、全然問題なく、むしろ心地よいのです。

馬場俊英にも公式YouTubeチャンネルがあるのですが、なぜか、1996~2000年までの活動についての映像が取り上げられてないんです。ま、当時売れてないし、ライヴ映像もほぼないと思いますが、音声だけでもあるとありがたいのに。

音楽談義ではトーマスさんもちょっと好みだったとかで。

このあたりは、馬場俊英にとっての黒歴史なんでしょうかね。フォーライフでは、『Down The River』と『Over The Mountain』のCDの在庫はあるみたいですが、もう廃盤寸前でしょう。見つけたら、ゲット必須の貴重盤だと、思います。

かすてら音楽夜話では「ネタ」募集中です。コメントなどからもヒントを頂けることがありますので、思うことがありましたら、どしどし突っ込んでくださいませ。また、下記のバナーもクリックしていただけると「ヒデキ還暦!」でございます。次回もたぶん、音楽談義より。

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2025年7月27日 (日)

B級アイドルのレア音源

かすてら音楽夜話Vol.211

先日、ミケポスカフェにお邪魔してまいりました。これで、5回目の音楽談義となります。

Img_20250719120044436

用意した音源はこれらです。大いに盛り上がりましたが、今回取り上げるのは、画像右下の『秘密じゃないけど秘密 おしえてアイドルー東芝EMI編』からでございます。

このCD、もちろんかつての東芝EMI(その後東芝が撤退し、EMIミュージック・ジャパン。現ユニバーサル)から発売されたものですが、企画はブルース・インターアクションズという会社で、レーベル名をP-Vine(Pヴァイン)といいます。

その仕事は『昭和レジデンス』(青盤・赤盤)をはじめとする様々なミュージシャンによるコンピレーションや、マイナー世界のミュージシャンをいち早く取り上げ、インディーズデビューさせるようなことをやっております。特筆すべきは「知子のロック」というバンドを「えびす温泉」(バンド勝ち抜き番組)からデビューさせたことでしょう。

その、知子のロックのMC兼ベーシスト、トーマスさんとともに評価するというものです。あ、評価といってもただの雑談・バカ話です。

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今回もオーナーさんにおもてなしされまして、おいしいフルーツ冷麺をふるまってもらいました。

もちろん、オーナーさんもどんな音楽に対しても鋭い意見をお持ちの方で、会話に加わっていただきましたが、カフェの来客が頻繁にございまして、今回はあまりディープに関われなかったかなと。ま、とりあえず、行ってみましょう。

沢口靖子「Follow Me」

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さて、初めは「科捜研の女」沢口靖子でございます。

彼女が音源を残していたとはびっくりなんですが、シングル4枚、アルバム2枚をリリースしてます。大半が映画やドラマのタイアップです。

それでは、彼女のラストシングルとなった「Follow Me」(1988年)を聴いてもらいましょう。

 

まあ、お世辞にも靖子さんの歌は褒められたものではありませんが、オリコンシングルチャートで75位にランクインしております。

この曲はTBSドラマ、「痛快!ロックンロール通り」の挿入歌でした。

そして、聴いていただければ、メロディの特徴、三連符の連続などからあの人が作者なのではと推測できます。その通りで、作曲は小室哲哉なのでした。どことなく、渡辺美里の「My Revolution」(1986年)を彷彿とさせますね。メロディには直接関係しませんが、作詞も川村真澄で、アレンジャーまでもが「My Revolution」と同じく、大村雅朗なのでした。いや、ホント、初期の小室サウンドですわ。

なお、ドラマ(見てないのでwikiで調べました)では靖子さんはロックンローラーを目指すバスガイドですが、音痴であったという設定です。ならば、納得です。

なお、TM Networkもこのドラマの主題歌を手掛けていて、「RESISTANCE」という曲がオリコン6位でした。この時代、まだTMはオリコン1位は獲得しておりません。それでも、ブレークした「Get Wild」(9位)よりも週間チャート上は上位にあった曲ですね。

KENJI & NAOKO「恋の滝のぼり」

ん?このユニット知らんなあ。ま、ジャケ写を見てもらいましょうか。

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はい、羽賀研二(当時は羽賀健二)と野沢直子でした。

こちらも、ドラマがらみ。テレビ東京系学園コメディ、「新・花の聖カトレア学園」からのシングルです。リリースは1986年で、ドラマの終盤になりますか。オリコンチャート入りは逃しているようです。ちなみに、羽賀は1985年3月までいいとも青年隊でした。

 

羽賀はドラマでは体育教師役だったらしく、野沢は授業をさぼって保健室に入り浸る女子高生役で、二人の保健室でのやりとりが人気コーナーだったようです。

ま、現在は羽賀元受刑者てなところですが、当時はそういうキャラじゃなくどうしちゃったんでしょうね。逆に当時からキワモノの役回りの野沢直子ですが、今なおブレずにキャラを貫き通して40年。さすがは舞台演出家の野沢那智の姪でありますね。

羽賀の当時のキャラだとモテ男といったところですが、歌は下手ですわ。

いいとも青年隊でもやや影の薄かった野々村真のほうが、今なお芸能界でやって行けてますからねー。羽賀さんwikiでも芸能活動についてはかなり省略された記述です。ちなみに、今回のCDは2000年にリリースされたものですので、まだ事件は起こしてないな。起こされた後だったら、未収録になっていたでしょう。

また、レーベル自体が消滅しているので、この音源はもう二度と世の中に現れることはないと思われます。まさに、レア音源。

坂上香織「グッドバイ・マイ・ラブ」

坂上香織、4枚目のシングルで、あのアン・ルイスのカバー曲になります。

 

もちろん、作家陣は作詞がなかにし礼、作曲が平尾昌晃です。演奏が打ち込みでやや単調なのですが、アレンジがSHOGUNにいた、大谷和夫になりますね。スタジオミュージシャンをもしかしたら一切使ってないので、製作費のかからない作品ともいえますね。

1989年のリリースで、彼女が中学3年、14歳(発売直後に15歳となる)の時のものです。歌はまあ、無難ですか。演奏と曲調がいまいちマッチしない中でわりと上手に歌い上げているのではないでしょうか。そして、最高位がオリコン22位で、本家のアン・ルイスがオリコン14位でしたので、大健闘だったのかも。

坂上香織という人、全部で5枚のシングルをリリースしているのですが、デビュー後3枚のシングルがすべてTop 10ヒットで、ラストシングルも50位だったという、B級にカテゴリーするには惜しい人でした。ですが、1990年にアイドル歌手としてのキャリアを終わらせ、女優に転向し、Vシネマ等のアダルト路線によく出演していたようです。

ま、曲はそれなりに売れたのかもしれませんが、本人も事務所としてもアイドル歌手としての限界を感じていたのかもしれません。

さて、このアルバムには秋元康&長渕剛が手掛けたつちやかおり「秘密じゃないけど秘密」とか、本田美奈子のモーニングコール「モーニング美奈子ール」(曲じゃないけど)、川島なお美「黄金海岸」なんてのも収録されています。

今回紹介したものはYouTubeにアップしてあったものでほぼ、違法アップロードでしょうから、そのうち削除されてしまうかも。

今回、音源はさらに持ち込みましたので、続編いくつかやります。

ご意見、リクエストお待ちしております。下記バナークリックで応援よろしくお願いします。

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2025年7月 4日 (金)

キャロラインとかキャンディとか

かすてら音楽夜話Vol.210

ほとんど月イチ状態となってきました、「かすてら音楽夜話」ですが、ブログ別館でこの3~4月に行ってきた旅レポを連載してますので、どうかご理解ください。

さて、今回は「Cから始まる人名の曲」です。候補はいっぱいあります。

1969年のNeil Diamond

 

こちら、Neil Diamond(ニール・ダイヤモンド)「Sweet Caroline」という曲です。1969年リリースで、ビルボード4位になった、ニール・ダイヤモンドの初のビッグヒットですね。

ニール・ダイヤモンド(1941年生まれ)はニューヨーク出身で、ユダヤ人の家庭に生まれ、1960年代から活動してきたシンガーソングライターです。

YouTubeの映像は2012年のもので、この時すでに70歳を超えております。この映像ではマイクを持って歌っているだけですが、もちろんギターを弾いて歌いますし、在米ユダヤ人をモチーフにした映画「The Jazz Singer」にも主演するという、いわばアメリカのスーパースターのひとりであります。11曲をTop10に送り込み、うち3曲がビルボード1位です。

さて、ニューヨークのユダヤ人ですが、音楽での成功者がかなり多いです。古くはキャロル・キング(彼女のことをモチーフにした「Oh! Carol」という曲もあり、作者はやはりユダヤ系であるニール・セダカでした)、サイモン&ガーファンクルの二人、ビリー・ジョエル、KISSのポール・スタンレーなどなど。

そして、「Sweet Caroline」のキャロラインさんですが、実在人物で、あのJFKの娘でオバマ政権下で駐日大使を務めたキャロライン・ケネディ氏なのだそうです。

アメリカとユダヤ人といいますと、現在の大統領がやたらとイスラエル寄りの姿勢を見せているのですが、ニューヨーク出身の音楽家たちはニール・ダイヤモンドのように、どちらかというと民主党寄りのリベラル派が多いのですね。そして、この曲は当時11歳であったキャロラインさんに触発されて作られましたが、2007年のキャロラインさんの50歳の誕生パーティでも、ニール・ダイヤモンドがこの曲を披露したとのこと。

ビルボードでは4位でしたが、ニール・ダイヤモンド自身初のTop10ヒットでもあり、映像では観客が曲に合わせて歌うなど、アメリカの高齢者にはかなり親しまれている曲なのだと思います。

ところで、この曲を探していると、なんと今でもニール・ダイヤモンドはツアーを行う予定だそうで、同じダイヤモンドでも田所豊さん(ダイヤモンド☆ユカイ)以上の活動を行っていますねえ。

1972年のGilbert O'Sullivan

 

こちら、Gilbert O'Sullivan(ギルバート・オサリバン)「Clair」という曲で、1972年のリリースで、ビルボード2位、イギリスのチャートでは1位になっています。

ギルバート・オサリバン(1946年生まれ)はアイルランド人で、のちにイギリスに移住し、シンガーソングライターになりました。本名はギルバートではありませんが、劇作家コンビであるギルバート&サリバンにちなんで名乗った芸名ということになります。

彼自身の活動は1967年から始まっていますが、アルバムリリースは1971年から。それまでの実績というものがほとんどありませんでしたが、ファーストアルバム『Himself』はアメリカでもリリースされ、いきなり9位になります。その後のアルバムは1972年の『Back To Front』が48位、1973年の『I'm A Writer, Not A Finger』が101位と低空飛行に沈みましたが、イギリスではそれぞれ5位、1位、2位という具合に売れました。

むしろ、1972年の「Alone Again(Naturally)」(アルバム未収録)が中断はあったもののビルボード1位を6週獲得し、この「Clair」につながっています。ちなみに、「Alone Again(Naturally)」はイギリスでは3位でした。1972年のビルボード年間チャートでは2位です。

さて、「Clair」ですが、曲の終わりに子供の笑い声が入っています。このことで、クレアという人が幼い少女であることがわかるのですが、オサリバン自身は曲の着想を友人のベビーシッターから受け取ったと話していて、笑い声の人物はプロデューサーであり、ハーモニカ演奏をしているゴードン・ミルズの当時3歳の娘だそうです。

どこか哀愁を感じさせる曲調、詞の内容から「Alone Again(Naturally)」を彷彿とさますね。

「Alone Again(Naturally)」もまた、”両親が亡くなってたったひとりになってしまった…”というものですので、非常に哀愁に満ちた曲であります。ただし、オサリバン自身に起こったことではなく、あくまでも曲の上のフィクションですが。それにしても、こうした曲を当時のアメリカ人が受け入れたというのもまた、面白いです。

1977年のBob Welch

Bobwelh

さて、今度はシングルにはなっていない曲から。

 

1977年リリースのBob Welch(ボブ・ウェルチ)のアルバム『French Kiss』収録の9曲目(B面3曲目)、「Carolene」です。

元々、このアルバムはボブ・ウェルチが活動していたParisというスリーピースバンドの3枚目となる予定でしたが、ウェルチ以外のメンバーがバンド活動を継続できなくなったため、急遽ウェルチのソロデビューアルバムとしてリリースされました。

アルバムは12位にチャートインし、プラチナム認定され、ウェルチのキャリアで最も成功したアルバムです。しかも、「Sentimental Lady」(ビルボード8位、Fleetwood Mac時代のリメイク)、「Ebony Eyes」(14位)、「Hot Love, Cold World」(31位)と3枚のシングルもヒットしました。

Fleetwood Mac(フリートウッドマック)のヴォーカリストでこれ以上の成功を収めたのは女性シンガーのSteivie Nicks(スティービー・ニックス)だけで、ウェルチの後任であり、マックの顔ともいえる、Lindsey Buckingham(リンジー・バッキンガム)でさえ、ソロではこれほどの成功を果たせませんでした。

ウェルチのマック時代、セールス的に売れなかったのはひとえに、ウェルチのオタク風な雰囲気がアメリカにそぐわなかったのでしょうかね。ちなみに、フリートウッドマックはイギリスのバンドで、ボブ・ウェルチは初めてのアメリカ人メンバーです。そして、ウェルチの加入により、それまでのブルースバンドからポップな方向にシフトし、現在のフリートウッドマックにつながっていくのですが、ウェルチの登場は早すぎたのでしょうか。ま、リンジーとスティービーの加入も大きかったわけですが、間違いなくウェルチがもたらしたものが現在のフリートウッドマックの基になっているのだと思います。

さて、フリートウッドマックとウェルチの関係性はウェルチの脱退後も良好で、ウェルチの公演にもドラムのMick Fleetwood(ミック・フリートウッド)、コーラスとしてスティービーが参加するというものでした。『French Kiss』や次の『Three Hearts』にも、マックのメンバーが参加しているほどでした。

そして、フリートウッドマックはロックの殿堂入りを果たすわけですが、ボブ・ウェルチは除外されてしまいました。そして、2012年に自ら命を絶ってしまいます。これは彼の脊椎の病気のためと伝えられています。

日本のCandy

まあ、有名なところでは原田真二の「キャンディ」があるのですが、個人的には杉ちゃま(スギちゃんではありません、杉真理)の「Oh Candy」(作詞作曲編曲:杉真理 ストリングスアレンジ:大谷和夫)を推したいです。

 

最後まで聴くとわかるのですが、アウトロがギルバート・オサリバンの「Clair」と同じで、杉さんが彼をオマージュあるいはリスペクトしていることがわかりますね。

この曲はアルバム『Stargazer』(1983年)収録で、シングルカットはされていません。杉さんも日本のロック・ポップスの男性シンガーとしてはかなり微妙な立ち位置の人で、結果的には売れませんでしたが、いい曲を書いていますし、B面扱いだったり、単なるアルバム収録の数合わせ的な曲提供も多いものの、光るものを見せていますね。例:竹内まりや(大学の後輩)「Hold On」、「磁気嵐」、石川さゆり「ウイスキーがお好きでしょ」、Hi Fi Set「素直になりたい」などなど。

さて、久しぶりということもあって今回は長文となりました。果たして、次の更新はいつになるでしょうか。予定では「Dから始まる人名の曲」でしょうかね。リクエストもお待ちしてます。バナークリックもよろしくお願いしますね。

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2025年6月 3日 (火)

燃える男

かすてら音楽夜話Vol.209

Mj0058

今朝、長嶋茂雄氏がお亡くなりになりました。

不肖わしも少年野球(軟式)をちょこっとやってまして、少年たちの憧れといえば、この人だったわけです。当時長嶋氏と並び立つ王貞治氏という存在があったわけですが、生涯成績で打率を除いて王氏が圧倒していたわけですけど、野球選手として魅力があったのはやっぱり長嶋茂雄でしたねえ。

後楽園球場(当時)に連れて行ってもらったこともあり、2試合くらいナイターを観戦したこともあります。その時、長嶋氏はホームランを打てず、ヒットはあったかな。

1974年、長嶋氏は引退することになりますが、最終戦、ダブルヘッダーのドラゴンズとの第一試合で、ホームランをかっ飛ばすという台本にはないことをやってのけます。そして、「巨人軍は永久に不滅です」の名文句が出るわけです。

そして、翌年からジャイアンツの監督となり、1975年はまさかの最下位。しかし、1976、1977年とセリーグを連覇。しかし、その後は低迷して1980年に監督解任となりました。

この時、わが大学(立教ではないです)の一般教養、法学の授業で担当教授が長嶋氏への思いを熱弁し、まともな授業にならず、長嶋論で終わってしまったということもありました。

ま、その後の長嶋氏の経歴は省略させてもらいます。

ちなみにわしの卒業後の話ですが、ゼミ仲間と大学ラグビーの観戦帰りに渋谷に近い某ビルにあるバーで飲んでいたら、隣のボックスでどこか見覚えのある声と顔が。当時、六大学野球で立教旋風が起きていたころのことで、その人物は長嶋一茂氏であったのでした。一応ドラフトの目玉だったんですね。余談でした。

長嶋語録、長嶋語など、独特の言い回しもあり、モノマネの対象にされるなど、なかなかに魅力的な人物であったことは間違いありません。

こういう人物、おそらく今後野球界には現れることはないでしょう。あの大谷だってこうはなれないよ。

つうことで、ちょっと長くなりましたが、このような人物であるからこそ、歌にもなるんです。これ以上はああだこうだいわず、2曲ほどを聴いていただきましょうか。

 

思いっきりベタではありますが、1959年9月リリースのシングル、石原裕次郎「男の友情・背番号3」(作詞:大高ひさを 作曲:上原賢六 編曲:塩瀬重雄)でした。

近年ではこのような曲も。

 

サザンの「栄光の男」でした。

他に、明らかに長嶋氏が出てくるわけではありませんが、馬場俊英に「人生という名の列車」という曲があり、「♪あこがれたのは帽子のYGマーク」という一節も。

 

テイストはずいぶんとバタ臭くなってはおりますが、浜田省吾の「Basball Kid's Rock」で故人を忍ぶことにしましょうかね。ちなみに、浜省はカープファンみたいですが、野球少年だったので長嶋氏のことはさんざん見ているはず。

またひとり、「昭和」を代表するひとりが星になられました。ご冥福をお祈りいたします。

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2025年5月11日 (日)

有名女優Bの曲+Aの追加

かすてら音楽夜話Vol.208

今回はBから始まる人名の曲をいってみます。

なんといっても有名どころではMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)の「Billie Jean」でしょうか。1983年リリースの曲でビルボード1位、年間シングルチャート2位です。

もう少しさかのぼると、Elton John(エルトン・ジョン)の「Benny And The Jets」があります。こちらは、1974年リリースの曲でやっぱりビルボード1位、年間シングルチャート9位でした。

個人的にはエルトン・ジョンは「Crocodile Rock」(1973年、ビルボード1位)をシングルで購入していたのですが、ジャケットを見て「なんだ、こいつは?」という印象を受け、その後はエルトンとは疎遠になりました。

この企画、人名が入るタイトルの曲ですが、作り手あるいは歌い手が男性ならば、女性のこと。女性ならば男性のことを歌ういわばラブソングとなるのが、当然なんですが、今回取り上げるのは、女性が女性のことを歌うという、ちょっと珍しい例なのかもしれません。

Ms0056

<ベティ・デイヴィス>

今回取り上げるのは、1981年のヒット曲、「Bette Davis Eyes」(邦題「ベティ・デイビスの瞳」)です。

シンガーはKim Carnen(キム・カーンズ)という人で、シンガーソングライターなのですが、この曲はJackie DeShannon(ジャッキー・デシャノン)という人が書いたカバー曲になります。

「ベティ・デイビスの瞳」ですが、ビルボードで5週1位を続けたのち、オランダの企画グループStars On 45の「Stars On 45(Medley)」に首位を明け渡し陥落しました。しかし、2週後に返り咲き、4週1位を保ちました。つまりは、9週1位を獲得し、1981年の年間チャート1位になったばかりか、その年のグラミー賞、のSong Of The Year(最優秀楽曲賞)とRecord Of The Year(最優秀レコード賞)との二冠に輝いたのです。

ここに登場する、ベティ・デイビスとは、上記の画像の人ですが、アカデミー賞、最優秀主演女優賞を2回獲得した人で、ジャッキー・デシャノンが彼女の映画を見て曲の着想を得たとのことです。

 

それにしても、時代ですかね。打ち込みの電子楽器を多用した構成ですね。電子ドラムの音に合わせての集団ビンタ。ま、実際にはぶったたいているわけではないので、何ら問題ないのですが、昨今の過剰なコンプライアンスでは多少引っかかることもありそうな。

そして、キム・カーンズの何ともいえないしゃがれ声が印象的です。歌詞にはグレタ・ガルボも登場したりしますね。

この頃、個人的には日本で唯一ビルボードのチャートが掲載されている雑誌、「FM fan」を毎週購入しておりました。それを知る前はラジオ関東の「American Top 40」(湯川れい子がパーソナリティで、複数いたアシスタントはその後音楽評論家になってます)を聴いて手書きでチャートをつけていたりしました。ま、眠ったら終わりだし、自宅にいないときはつけられないので、購入したようなものです。

ともかく、「また、キム・カーンズかよ」というくらい毎週流れていて、格別好きでもないのに脳に刷り込まれてしまった1曲です。

余談になりますが、この年、Diana Ross(ダイアナ・ロス)とLionel Richie(ライオネル・リッチー)の「Endless Love」も9週1位を続けましたし、年末に1位になったOlivia Newton-John(オリビア・ニュートンジョン)の「Physical」は年をまたいで10週1位を続けました。流行りの曲は売れ続け、メガヒットとなり1位獲得曲が1970年代より少なくなってきた時代でもありますね。

同じくしゃがれ声で印象的な曲としてはこんなものも。

 

1973年のStories、「Brother Louie」でした。こちら、彼らの唯一のビルボード1位獲得曲。

そして、こちらもカバーです。元々はイギリスのバンドHot Chocolateの曲ですが、アメリカのバンドがカバーしたもの。

「ルイ」という少年のガールフレンドがアフリカルーツにルーツを持つ人で、両親に紹介したところ、別れることになったという悲しい内容です。ちなみに、ホット・チョコレートは全員がアフリカルーツで、ストーリーズは全員ヨーロッパルーツのアメリカ人です。それにしても、ソウルフルです。

まあ、「L」から始まる人名…ともいえますが。

邦楽系では山下久美子の「一枚だけのビリィ・ジョエル」(作詞:康珍化 作曲:佐藤健 編曲:鈴木茂)という曲が、デビューアルバム『バスルームから愛をこめて』に収録されているのですが、残念なことにYouTubeには上がっておりません。個人的にはアナログのLPで所有しているのですが、レコードプレイヤーが壊れていて聴けないっす。ここのところ、中古屋やBook Offを覗いてはCD盤を探しまくっているのですが、なかなか見つけられません。コロムビアさん何とかしてよ。

ググってみたらSpotifyにはあるみたいです。聴ける方はぜひとも一聴を。

おまけ「Alison」

前回のAの人名の曲、アニタツさんからご指摘があった、「Alison」は個人的に思い入れがありますので、紹介してみます。

元々はElvis Costello(エルビス・コステロ)のデビューアルバム、『My Aim Is True』(1977年)に収録された曲です。

個人的には1978年リリースのLinda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)のアルバム『Living In The U.S.A.』(邦題『ミス・アメリカ』、ビルボードアルバムチャート1位)に収録され、シングルカットもされたヴァージョンの方を先に知ってしまったのですね。

大学に入学し、アルバイトでちょっとしたお金が入ることになり、一体型のステレオを購入しました。その余ったお金で、このアルバムを買ったのです。リリースから1年以上あとでしたけど。

 

さすがにリンダは歌がうまいです。アレンジも原曲を踏襲しているような感じです。

ただ、この曲の内容はアリスンというかつてのガールフレンドに対する嫉妬のようなことが歌われているわけで、歌詞も変えてないですから、リンダ側がいい曲であることを踏まえたうえでカバーしたものと思われます。ちょっと女性が歌うには無理があるのかも。

ま、カラオケなどではそういうことに関係なく歌ってしまうこともあります。バンコク、オンヌット在住の某氏などは、タイの女性シンガーの曲を平気で歌いますし、プロでも堀江淳の「メモリーグラス」とか、「ちょっと端っこ歩きなさいよ」のあのお方など、ジェンダーに関係なく女性側のことを女性の言葉でも歌いますからね。

さて、リンダのヴァージョンはシングルカットはされたものの、100位以内にはチャートインしませんでした。

また、アルバム『Living In The U.S.A.』はこれまで提供を受けていたウエストコースト系の周辺のミュージシャンの曲をできるだけ抑え、チャック・ベリーからプレスリー、モータウン系のミラクルズなどのカバー曲を散りばめた意欲作でもありました。ですが、リンダにとってこれが最後のアルバムチャート1位となったのでした。

それまで、エルビス・コステロという人は名前だけは知っていましたが、やっぱりオリジナルの「Alison」が聴きたくて、後年アルバムを入手いたしました。

 

コステロのオリジナルですが、こちらも英米でシングルカットされたのですが、共にチャート入りを逃しています。ただ、アメリカのラジオでは比較的よく流れていたそうで、コステロの代表曲となっていますね。

コステロ、味あるわー。おそらく、売れなかったのはデビュー直後でもあり、よくわからなかったからなのではと思います。アルバム『My Aim Is True』はそこそこ売れているので、大衆全般に知られているというよりも、わかっている深いリスナーは確実に買っていたということでしょうか。

リンダはよほど気に入ったのか、次のアルバム、『Mad Love』(邦題『激愛』)でも、コステロに3曲発注し、収録されています。

次回、「C」から始まる人名ということになりそうですが、別のネタ探しも行っておりますので、どうなりますことやら。

こんなものもあるよという方は、コメント等でお知らせください。バナークリックもよろしくお願いします。

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2025年4月21日 (月)

アンジーまたはアンジェリーナ

かすてら音楽夜話Vol.207

1か月以上もブランクを作ってしまいました。すんません。

ちょっと旅に出ていたもので、もうひとつのブログでそっちのレポートをやっておりまして、写真をものすごく撮ってくるので、画像のちょっとした加工にも結構時間が割かれるといった状態です。

さて、今回の記事、〇で始まる人名がタイトルの曲。おそらく、シリーズ化すると思いますが、いいネタを思いついたときはランダムにそちらを挟んでやっていくつもりですので、どちらも反応よろしくお願いします。

第1回目ということで、「A」から始まる人の名前。個人的には思い入れも深い、The Rolling Stonesの「Angie」(邦題「悲しみのアンジー」)でございます。

Ms0055

1973年1月、ストーンズはアルバム『Goats Head Soup』(邦題『山羊の頭のスープ』)の収録と並行しながらパシフィックツアーの一環として、初の日本公演が予定されていました。

ですが、Mick Jagger(ミック・ジャガー)らの過去の麻薬不法所持及び逮捕歴と、The Beatlesの来日時の混乱と同様の懸念を理由に、チケットが完売しているにもかかわらず、来日公演が中止に追い込まれたのです。

当時、ビートルズは解散していたにもかかわらず、FM、AMを問わず、特集が組まれ、洋楽覚えたてみたいな少年(不肖、筆者のことです)の頭に刷り込まれていたように思います。

一方のストーンズはビートルズを陽とすれば、陰のイメージ。ビートルズに対抗するバンドとしてはなかなかに不遇な扱いをされていたように思います。ビジュアルなんか全然わからないし。

特集は組まれないは、ラジオでは流れない、もちろんテレビでも報道されず、挙句の果てには来日中止ですからね。もっとも、その来日中止のニュースでストーンズという存在を知り始めたともいえますが。

さて、アルバム『Goats Head Soup』のリリースに先立ち、先行シングルとしてリリースされたのが「Angie」です。1973年10月20日付のビルボードHot 100で1位を獲得します。来日を中止に追い込んだ奴ら、ざまあみやがれといったところですが、残念ながら翌週には首位を明け渡しました。ストーンズは1週だけの1位という曲が多いんですよね。Eaglesもそうなんだけど。

 

つうことで、「Angie」聴いていただきました。

「アンジー」って、女性の名前なんだろうけど、英語の教科書にも出てこないようなどちらかというと少数派の名前なんだろうなあ…と当時の少年は思ったわけですよ。まあ、後に「Angie Dickinson(アンジー・ディキンソン)」なんて人も俳優にいるってことも知りましたが。

ちなみに、彼女はドイツ系で、アンジーは芸名です。ファーストネームはメルケルさんと同じじゃなかったかと。

さて、ストーンズの「アンジー」、シングル曲としては異例のバラードで、Kieth Richards(キース・リチャーズ)もMick Taylor(ミック・テイラー)もエレクトリックギターを一切弾かないという珍しい例ですね。そして、ジャガーさんのヴォーカルもいつになく明瞭な発音です。

もちろん、それまでのアルバム収録曲でバラードもカントリー調もありましたけど、どちらかというと地味な曲がシングルになって、世界中のストーンズフリークが期待していたであろうブルースを下敷きにしたロックではない曲で、1位を取ってしまうというのもすごいことです。ちなみに、イギリスのチャートでは1位にはなっておりません。

実はビジュアル面では「Angie」は2パターンあります。もちろん、サウンド面は同じテイク(というか、収録されたもの)を使っています。

 

ということで、2パターン目の「Angie」でした。

ギターのミック・テイラーがピアノに回っているというヴァージョン。ピアノを実際に弾いているのはNicky Hopkins(ニッキー・ホプキンス)という人です。

ニッキーさん、ストーンズのセッションには欠かせない人で、Billy Preston(ビリー・プレストン)、Ian Stewart(イアン・スチュワート)とともに、欠かせないキーボーディストなのでした。この3名、いずれもキーボードプレイヤーです。イアンさんは6人目のストーンズともいわれ、実はストーンズのオリジナルメンバーの一人でしたが、「容姿がバンドの雰囲気に合わない」という不当な理由でプロデューサーに辞めさせられましたが、マネージャー業務とキーボードプレイに関しては同行を許されたのでした。

「Angie」がこれまでのストーンズのシングルとちょっと違うと書きましたが、相変わらずベースのBill Wyman(ビル・ワイマン)の音が抑えられていることと、存在感の希薄さは変わらんな。

なお、アンジーは特定の人物ではないようです。

「Angie」と『Goats Head Soup』はダブルでビルボード1位とセールスはよかったのですが、これ以降アルバム1位はキープするものの、1978年の「Miss You」と『Some Girls』まで、シングル・アルバムのダブルの1位は獲得できませんでした。つまり、売り上げが落ちたということになります。キースのおクスリ問題もあったからですかね。

それにしても、ジャガーさん半世紀を過ぎても容姿を維持しているのがすごすぎ。81歳(1943年生まれ)にして、このたび婚約を発表したといいますからね。すでに子供もいるそうです。しかし、ひ孫もいるっていうからびっくりですわ。

1973年という年にいち早くプロモーションビデオを作っていたということが驚きであり、それも2パターン作っていたというのも凄いこと。

さて、アンジーつながりで、日本にも「アンジェリーナ」という曲でデビューしたのが、佐野元春です。

Mj0017

この曲が出てきたときはびっくりでした。メロディにできるだけたくさんの言葉を詰め込むというやり方で、最初のうちは何を歌っているのか聴きとれないほどでした。まあ、慣れてきましたけど。

「何を歌っているのかわからない」といえば、サザンの「勝手にシンドバッド」もそうなんですが、桑田氏の手法は日本語を癖のある英語のようにして歌うことであって、元春ほどたくさんの言葉を使っているわけではないのです。まあ、ある意味革命的でした。桑田氏も元春も。

ただ、こうしたものがデビューシングルであったということは全く売れずに、オリコンのチャート圏外に沈んだ曲です。

しかし、彼は地道にライヴ活動を継続したことも成功へたどり着いたひとつの手段だったのですが、デビュー直後からTVK(テレビ神奈川)の「Fighting 80's」という音楽番組のレギュラーに抜擢されたり、「サウンドストリート}(NHK FM)のパーソナリティになったりして、意外にメディアには登場していたのです。

また、元春自身は関係していませんが、TBSラジオの深夜放送「林美雄のパックインミュージック」の「ユア・ヒットしないパレード」にも取り上げられ、ここで1位となり、意外と知名度はあったと思います。

 

本来ならば、オリジナル音源の「アンジェリーナ」を聴いていただきたかったのですが、ストーンズと違い製作費はまるでなしの新人ですから、違法アップロードを除き、佐野元春の公式YouTubeチャンネルには上がっておりませんでした。

こちらの映像は横浜スタジアムでのもの。バックの演奏は気心の知れたThe Heartlandです。

ま、この数年後にAngelina Jolieという人が出てくるとは、思ってもいなかったです。ましてや、彼女の父親が「真夜中のカウボーイ」のJohn Voightであるとは、さらにびっくりなのでした。

さて、Aで始まる人名の曲、まだまだあるのですが、これくらいにしておきます。次の予定はBで始まる…ですが、いくつか候補はあるものの、あまり詳しくないので、ヒントください。

んでは、また~。

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2025年3月 9日 (日)

マイケルにも認められたパロディー音楽

かすてら音楽夜話Vol.206

 

いきなりのMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)の「Beat It」。本日はここから、話を展開していきたいと思います。

この曲は1983年リリースでもちろんながらビルボード1位。1983年の年間チャートでも5位で、その前のシングル、「Billy Jean」(同年リリース)の方が売り上げはよかったにもかかわらず、1984年のグラミー賞では年間最優秀レコードと最優秀男性ロックパフォーマンス賞との二冠に輝くものでありました。

おまけ情報としてはあの、Edward Van Halen(エドワード・ヴァンヘイレン)が無償でギターソロを弾くということも話題になりました。ちなみに、ギターパートはTOTOのSteve Lukather(スティーヴ・ルカサー)が担当しているのですが。

ギャングの対立を歌とダンスで仲裁するという、今見れば大変陳腐な感じのビデオなんですが、当時としてはここまで歌って踊れるパフォーマーはマイケルただ一人でして、やはり同年リリースの「Thriller」のミュージックビデオにつながっていき、マイケルの絶頂期に突入していくという当時のトレンドがわかると思います。なお、この曲が収録されたアルバム『Thriller』にはなんと、7枚ものシングルが収められています。

このヒットを受けて、ミュージックビデオまでそっくりに作り上げたのが、こちら。

 

Al Yankovic(アル・ヤンコビック)による、「Beat It」のパロディ、「Eat It」です。

当初、オリジナル版をアップしようと思っていたところ、動画の共有ができませんでして、このようなものでご勘弁を。右側がヤンコビック版です。

こちら、パロディ音楽としては異例のヒットで、ビルボードで12位を記録しております。その後、なんと来日までして、「ベストヒットUSA」にも、出演するということにもなりました。

Ms0049

アル・ヤンコビックの経歴としては学生の時にラジオパーソナリティに自作のテープ(もちろん、パロディ)を送っていたところ、番組で流してもらっていたそうです。

その後、The Knackの「My Sharona」のヒットを受け、若いころから習っていたアコーディオン演奏に合わせて、「My Bologna」(「マイ・ボローニャ」)を録音し、再びラジオパーソナリティに送ります。これが、番組では好評で、The Knackのヴォーカリストで「マイ・シャローナ」の作者であるDoug Fieger(ダグ・フィーガー)が気に入って、キャピタルの副社長にレコード化することを提案したそうです。

 

それにしても、ラジオパーソナリティ(ドクター・ディメント)とダグ・フィーガーがいなければアル・ヤンコビックはこの世に現れていなかったということになります。

ちなみに、「ボローニャ」とは、アメリカでよく食べられているボローニャ・ソーセージのことのようです。

たとえ、英語を理解している人でも、アメリカで生活していなければわからないという曲、それがこちら。

 

「I Love Rocky Road」でした。元歌は、こちら。

 

Joan Jett & The Blackheartsの「I Love Rock'n' Roll」でした。1983年のビルボード1位で年間シングルでも3位と、マイケルの「Beat It」より上位ですね。でも、やはりマイケルの「Billy Jean」が2位でしたが。

さて、ヤンコビックの「ロッキーロード」とは何だと、検索してみました。やたらと、アイスクリームが出てくるんで「サーティワン」のようなアメリカにあるチェーン店かなと思いましたが、マシュマロにナッツをまぶし、チョコレートでコーティングされたアイスクリームのことのようです。こら、わからんわ。

ちなみに、「I Love Rocky Road」はHot100圏外ですが、106位まで到達したそうです。後半ではアコーディオンソロを披露してますね。この曲はスマッシュヒットした「Eat It」の直前のシングルです。

元歌、「I Love Rock'n' Roll」もジョーン・ジェットのオリジナルではなくて、日本にゆかりのあるアラン・メリルが在籍していたバンド、The Arrowsの曲なのでした。ジョーン・ジェットはThe Runaways解散後に渡英して、この曲に出会ったらしいです。

さて、アル・ヤンコビックもパロディを作るには色々と大変だったようです。特に、名前が売れてくると、ご本人に許可を取ったりする必要も出てきたりするので。

その後の彼は、やはりマイケルの「Bad」のパロディ、「Fat」などもリリースしますが、オリジナル曲なども出しているようです。また、レーシック手術をし、髭を剃って、髪を切るイメージチェンジも果たしました。

その姿が、こういうものですが、1999年のシングル、「The Saga Bigins」です。モチーフにしているのは、「スターウォーズ・エピソード1」の世界観で、アル・ヤンコビックはオビ=ワン・ケノービに扮していますね。

そして、元歌はDon McLean(ドン・マクリーン)の1971年の「American Pie」です。ビルボード1位獲得曲であり、年間チャート2位。おそらく、アメリカ人ならだれもが知っていて歌える曲ですね。

この他、アル・ヤンコビックはHeuy Lewis & The Newsの「I Want A New Drug」のパロディ、「I Want A New Duck」、Queenの「Another One Bites The Dust」のパロディ、「Another One Ride Tne Bus」、Madonnaの「Like A Virgin」のパロディ、「Like A Surgeon」などもあります。

特に、「Like A Surgeon」などは、声も女性的に処理しています。

シングルとしては絶大なヒットがたくさんあるわけではありませんが、アルバムはコンスタントに売れていて、なんと、2014年の『Mandatory Fun』はビルボードのアルバムチャートで初の1位を獲得しています。

我が国内でもこうしたパロディが認められる日はあるのだろうかという気もしますが。コンプライアンス等で、うるさいんでしょうね。でも、ちょっと昔の「ものまね番組」は相当なものでしたけど。

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2025年2月23日 (日)

思わせぶりな男女のデュエット3選

かすてら音楽夜話Vol.205

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先日、またもやミケポスカフェにお邪魔いたしました。

そこで、このような音源を持ち込みました。なにがなんやらですが、一応テーマを絞ったものもあります。

今回はほぼ世間に知られていない、J Popのデュエット曲で、その声を聴いてもらって、デュエットの相手を当ててもらうというものでございました。

Jp1313

おいしゅうございます。オーナーさん、料理がお上手で、美味しいのでございます。なかなか寒い1日でしたが、身体が温まりますね。では、音源を聴いていただき、さらに温まっていただきましょう。

斎藤誠「曖昧な恋人」

 

サザンオールスターズの桑田夫妻と関口氏の後輩にあたるのが、斎藤誠です。サークルの後輩ですかね。

ソロデビュー後、サザンオールスターズのツアー等で、ギタリストとしてもサポートしていたりします。

この「曖昧な恋人」はアルバム『Number 9』(1998年6月20日リリース。文字通り9枚目のアルバム)に収録の曲で、シングルにはなっておりません。

デュエット相手の女性の声に特徴がありますが、ややヴォリュームを抑え気味ですかね。Curly Simon(カーリー・サイモン)の「You're So Vain」みたいに、誰でもわかるMick Jagger(ミック・ジャガー)ほどは目立っておりませんが、存在感はある声の持ち主です。

答えは、古内東子なのでした。

ちなみに、トップ画像の柄本明が9番のユニフォーム姿で写っているのがこのアルバム『Number 9』でございます。

ご丁寧なことに楽曲ごとに斎藤誠による一口コメントがあります。「曖昧な恋人」のコメントは次の通り。

「いけない恋。困った恋。こんなウェットなメロディー歌うのも10年以上振りかな。そしてこの歌詞。出来た時から古内さんが頭にありました。」
(斎藤誠『Number 9』の歌詞カードより引用しました。)

当時の斎藤誠はEpic/Sony所属であり、同じ社内レーベル(Sony)の古内東子に声をかけたというのが真相でしょう。ちなみに、アルバム1曲目の「沸点」という曲でもEpic/Sony所蔵のPuffyがバックコーラスを担当しています。

見事に男女のすれ違いをあらわしている曲ですねえ。トーマスさんも「これ、好きかも」と仰っていただきました。

オーナーさん、Puffyは即座に当てましたね。古内さんに関しては「いわれてみれば…」という感じで答えがわかって皆さん納得でございました。古内さん、当時は「恋愛の教祖」とも呼ばれ、個人的にはユーミンの後継者ではないかとも思っていたんですがねえ。ブームは過ぎ去っておりましたねえ。

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ひとまず、ブレイクタイム。

斎藤誠がサザンの後輩であるということから、脱退した大森隆志がらみで、某宗教団体の話に飛んだりして。

☆ちなみに、映像は音声だけですが、冒頭の音は楽曲とは関係ありません。

門あさ美 「Every Night & Day」

 

門あさ美は極度の人見知りらしく、音楽活動を続けながらも一度として観客を入れたライヴ活動をしたことのない人物です。そのため、メディアにもほとんど出たことがないのですが、なぜか写真集を出したことがあるという美貌の持ち主でした。それがゆえに、謎の多い人物なのでありますね。

これは、誰とデュエットをしているかを当てるのは難しいです。なぜなら、相手の男性もほとんどメディアに登場しない人ですので。

答えは岡本一生(おかもと・いっせい、現在は岡本朗名義で活動)なのでした。

そして、この「Every Night & Day」はふたりの共作です。作詞作曲:門あさ美・岡本一生 編曲:松岡直也となっています。

岡本一生氏はシンガーソングライターとして渡辺プロと契約し、シングル3枚、アルバム3枚を1978年から1982年にかけてリリースしたのみ。ですが、昨年、ファーストアルバム『Moonlight Singing』とセカンドアルバム『MOONLIGHT MYSTERY』が2 in 1の形で、タワーレコードから再発されました。なんと、これが、初のCD化です。

その後は楽曲提供者となり、松原みき「微熱が平熱」、山下久美子「雨の日は家にいて」などを作曲しています。岡本朗名義となってからは、西城秀樹「ミスティー・ブルー」(夏女ソニアのCM曲)、斉藤由貴「砂の城」(オリコン2位)などの曲も手掛けています。

門あさ美には「セ・シ・ボン」、「下りのない坂道」を提供しています。ここでは、曲提供のみ(作詞は門あさ美)で、直接顔を合わせるようなことはなかったと思われます。

さて、YouTubeのコメントによると、このデュエット、同時にスタジオに入り、ヴォーカルを同時に収録したそうですが、お互い背を向けるようにして歌っていたとのことです。

前述のように、極度の人見知りの門あさ美ですので、個人的には別々に収録していたのではないかと思っていました。

作曲も共作なんですが、これまた、ふたりでアイデアを出し合って同時に作っていったということはまず考えられません。おそらくは、どちらかが先にベースの音を作り、もう一方がアイデアを足していくような手法がとられたのではないかと思われます。これまた推測になりますが、「セ・シ・ボン」や「下りのない坂道」などの経緯からベースを手掛けたのは岡本氏ではないかと思われます。

「Every Night & Day」は門あさ美の名義ながら、歌いだしは男性が先です。この曲が収録されたアルバム『Hot Lips』(1982年7月5日リリース)は一昨年タワーレコードの協力の下、紙ジャケット仕様で再発されました。シティポップの仕掛人であり、あまたのシティポップの再発に取り組んできた金澤寿和氏が解説を手掛けております。その中で、岡本氏の声を「ちょっと谷村新司似のスケベ声(←褒めてます)が、男女の濃ゆいムードを盛り上げている」と書いております。

YouTubeの動かない固定画像が『Hot Lips』のジャケットそのものなんですが、バスローブを着た門あさ美がバスタブにもたれかかるという、思わせぶりなものになっています。つまりは、ホテルですかね。このあたり、ユーミンが再ブレイクした80年代後半に先駆け、恋愛どころか男女のドロドロした関係を思わせるイメージなんですね。

当時の門あさ美はまさに絶頂期に入っていて、メディアに出ないはずなのに、『Hot Lips』で初のオリコンアルバムチャート10位入りをするというところまで来ておりました。当時の社会人はこぞって門あさ美のアルバムを購入し、クルマでかけまくっていたという話もあります。

ちなみに、学生時代の友人に会社経営者の息子で、お屋敷に住み、クルマを複数台持つという人物がいて、やつのクルマでドライブに行ったことがあります。同時にやつは今でいうシティポップ(しかも女性限定かつほとんど知られていない人たち)が好きで、そういった曲をずっと聴かされていたという記憶も。その中に、門あさ美も入っていました。ま、そんな野郎ばかりのシチュエーションではなく、本来は男女のドライブデートのお供が門あさ美だったのではないでしょうか。

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ここでまたもやブレイクタイム。アルコールも出していただき、ノリノリであります。

スガシカオ 「イジメテミタイ」

 

そして、真打はこちら。「脱サラの星」(トーマスさん談)スガシカオです。

「イジメテミタイ」(作詞作曲編曲:スガシカオ)はデビューアルバム『Clover』(1997年9月3日リリース、オリコン10位)収録の曲です。

スガシカオは1966年生まれで、世代的には宮本浩次、斉藤和義、トータス松本と同い年です。ですが、この中では唯一、サラリーマン生活を送っており、会社勤めをしながら曲を書き溜めていったのですね(wikiでは長崎の造船所にいたことがあるとのこと)。

1995年にタワーレコードのインディーズレーベルからシングルをリリースし、1997年にKittyから正式にデビューします。すでに30歳と遅咲きのデビューです。まあ、そんな具合ですので、「♪ゴメンナサイ」といいつつも、変態的な歌詞をつづっていけるのですかね。

こちらの、女性ヴォーカルは杏子(ex バービーボーイズ)なんですが、聴いてもらった皆さん、「いわれてみれば…」という感じでした。

このふたりのつながりは所属事務所(当時、オフィスオーガスタ)が一緒であったことですね。

杏子姐さん、バービーボーイズ時代も男女の掛け合いでフロントに立つ人でした。ただ、いまみちともたかによる曲はほとんどが「痴話喧嘩」レベルのもので、ここまで生々しい表現ではありませんでした。

なお、杏子はバービーボーイズでデビューしたのですが、もともとはライヴハウスの人気バンド(喝!タルイバンド)にいた人で、対バンの男性だけの編成だったバービーに引き抜かれたのです。当時のバービーはそこまで突き抜けてなくて、杏子が入ることによって、曲のコンセプトも男女の痴話喧嘩に変え、人気が出たのです。バービーではフロントウーマンではあったものの、近藤敦やいまみちともたかの陰に隠れたような存在だったのですが、やはり何かを持っている実力者だったのですね。

 

こちら、杏子の5作目のアルバム『Blackthorn Cider』(1999年3月3日リリース)収録の「イジメテミタイ(DrugOn Mix)」でした。

スガシカオ盤から2年後のことで、一部、歌詞を変更し、女性側の視点から歌われています。そのため、作詞のクレジットはスガシカオ・杏子となっています。アレンジは間宮工です。また、この曲はマキシシングルとしてもリリースされましたが、チャート圏外に終わりました。

ちなみに、アルバム『Blackthorn Cider』もチャート圏外なんですが、名曲「星のかけらを探しに行こう」も収録されております。

そのマキシシングルの帯には同じ事務所の山崎まさよしが「はっきり言うて、杏子さん、シカオちゃん これメチャクチャ問題作ですわ。音楽がモラルを超えとるやないけ!」と書いていますね。

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といった具合で、音楽談義はまだ続くのでした。これで、4回目かな。

デュエット曲はまだまだあるんですけどね。オーナーさん、トーマスさん、うえださん、しょうもない話にお付き合いくださり、ありがとうございました。まだまだ、ネタはありますので、次回もお付き合いくださいませ。

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