カテゴリー「Music Talk」の152件の記事

2022年9月14日 (水)

化妝品廣告曲

かすてら音楽夜話Vol.152

タイトル、またしてもなんのこっちゃですが、中国語の繁体字でコスメのCM曲と、Google先生に訳してもらったものです。

ともあれ、ワタクシの香港ポップスのおさらいをしておきます。

1994年、香港、尖沙咀のCDショップを覗いていたら、たまたまかかったのが王菲(フェイ・ウォン)の「夢中人」(クランベリーズの「Dreams」のカバーで映画「重慶森林」(邦題「恋する惑星」)の主題歌)が流れてきて、本人の顔写真の一切使われていないCDながら、王菲にはまり、情報を集め、CDを探し出しては買いあさるというところから始まります。

とはいえ、その後王菲以外にドはまりすることもなく、月日が流れていきました。そんな時にたまたま耳にしたのがこちらでした。

 

Karen Mok(カレン・モク:莫文)という香港の女優の「Love Yourself」でした。現地の読みではモック・マンワイとなります。

本名、Karen Joy Morris(カレン・ジョイ・モリス)。1970年生まれの中英ハーフですね(実際は父も母もかなり複雑な血が混じりあっているようです)。1969年生まれの王菲とほぼ同世代となります。

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この「Love Yourself」が1997年にリリースしたデビューシングルとなります。

この英語詞はカレン・モク自身によるもので、作曲がなんと日本人である伊秩弘将になります。あの、SPEEDを手掛け、「GO! GO! Heaven」(作詞作曲とも伊秩による)がSPEED初のオリコン1位な~んて頃に、海外発注のこちらまで手掛けていたんですね。

彼女は俳優もやっていますが、音楽的キャリアもなかなかのもので、現在までコンスタントにアルバムをリリースしています。香港で育ち、イタリアとイギリスに学び、北京語、広東語、英語、日本語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語を話すといいます。このようなところから、英語の歌詞を任せられるようになったのではないでしょうか。

ロンドン留学(ロンドン大学、Mick Jaggerと同じ)の時に音楽ユニットを組み、これが歌手デビューにつながったともいえますね。とはいえ、「Love Yourself」を含むアルバム『做自己 To Be』のリリース時がすでに27歳です。映画デビューのほうが1993年と早いです。香港といいますと、俳優イコールシンガーという面も少なからずあります。カレン・モクはハーフとはいえ、かなり独特な容姿ですので、王菲のように主役級の役が回ってくることはなく、映画でもかなり個性的な役回りであるようです。

さて、この「Love Yourself」ですが、当時資生堂のブランドであったZA(ジーエー)のCM曲でした。wikiの中国語版によれば、この曲は「903」というチャートでしょうか、それでは1位になっています。アルバムのチャートは不明でした。

そして、彼女の拠点は香港です。ZAも香港はおろか中国本土にもぐっと食い込みたいということで、この曲には國語版(北京語)と粤語版(広東語)があるんですね。

 

北京語versionの「Love Yourself 愛自己」でした。なんと、映像は英語versionと同じ。こちらの作詞はカレン・モクではなく周燿輝という人に代わっています。

残念ながら広東語versionの「Love Yourself 譲我美」も同じ映像ですので、割愛させていただきます。こちら、作詞は同じく周燿輝さんです。

その代わりといっては何ですが、ライヴ映像をお楽しみください。英中混在です。

 

この映像、熱気がすごいですね。カレン・モク、足長~い。

香港人相手に北京語を歌い、後半では「謝謝!」とまで叫んでいると思いましたが、この公演は台北でのものだったんですね。さすがに、マルチリンガルの彼女でも台湾語は使わないのでした。

それにしても、香港がおかしくなってから香港のミュージシャンはどうしているんでしょうね。いや、香港の一般市民の明るい声がききたいですわ。

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2022年9月 5日 (月)

プーさんからTop Gunまで

かすてら音楽夜話Vol.151

タイトル、なんのこっちゃなんですが。今回はKenny Loggins(ケニー・ロギンス、1948年生まれ)を取り上げます。

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画像はLoggins & Messina(ロギンス&メッシーナ)時代のもので、左の髭面がケニー・ロギンスです。右は相方、Jim Messina(ジム・メッシーナ)ですよん。

 

このたび、36年ぶりに続編の作られた映画「Top Gun Marveric」ですが、1986年公開の「Top Gun」の主題歌「Danger Zone」を歌っているのが、ケニー・ロギンスですね。曲もヒットし、ビルボード2位を獲得しております。

とはいえ、この曲はケニー・ロギンスの手によるものではなく、作曲はGiorgio Moroder(ジョルジオ・モロダー)、作詞がTom Whitlockという人です。特にジョルジオ・モロダーは映画音楽で頭角を現した人といえます。代表曲としては「Flashdance…What A Feeling」があり、こちらはビルボード1位を獲得しているし、1983年の年間チャートでは3位になっています。また、日本ではなぜか「スチュワーデス物語」で麻倉未稀によるカバーでオリコン1位という具合です。

ま、そんな具合でケニー・ロギンスといえばこの「Danger Zone」の印象が強いということになりますが、あくまでも彼はシンガーソングライターです。

さらに、ケニー・ロギンスを掘り進めてまいりましょうか。

彼の音楽キャリアはNitty Gritty Dirt Band(ニッティグリッティ・ダートバンド)へ4曲提供したところから始まります。その後、1971年に(日本の学年でいえば)同級生で友人のジム・メッシーナ(1947年生まれ)とロギンス&メッシーナを結成することになります。

ここで蘊蓄を傾けると、彼らのファーストアルバムは『Sittin' In』ということになってますが、アーティスト名の表記は「Kenny Loggins With Jim Messina」とあります。

これは、当初ケニー・ロギンスのソロアルバムをメッシーナがプロデュースするということで制作が始まりましたが、そのままメッシーナも加わってデュオで行こうとなったものなのですね。ちなみに、セカンドアルバムからはアルバム名も『Loggins & Messina』になり、アーティスト名も同じになりました。

さて、ワタクシは1973年に彼らのシングル「Thinking Of You」(邦題「愛する人」ビルボード18位)を購入していました。

 

ですがね、この曲はジム・メッシーナの曲でリードヴォーカルもメッシーナ。ま、当時は映像もありませんでしたのでそんなことはわかりません。ですが、デュオとして70年代から現在まで最も売れたDaryl Hall & John Oates(ホール&オーツ)よりもしっかり二人が共同作業をしているようにワタクシは感じますね。

このあたり、ジム・メッシーナが元Poco(ポコ)のメンバーだったこともありますかね。PocoのメンバーであったRandy Meisner(ランディ・マイズナー)もTimothy B. Schmit(ティモシー・B・シュミット)もEagles(イーグルス)に加わることになり、そうしたテイストを個人的にも好むことから、ロギンス&メッシーナも早くから好んでいたのだと思います。

さて、ロギンス&メッシーナとはその後縁が切れまして、再び出会うことになるのはある程度自分のお金を好きな音楽に費やすことができるようになってからでした。つまりは数10年後のことです。

すでに、彼らは解散していたのですけど。

 

曲は「House At Pooh Corner」(邦題「プー横丁の家」)でした。こちら、アルバム『Sittin' In』収録です。シングルカットはされておりませんが、かつてケニー・ロギンスがニッティグリッティ・ダートバンドに提供した曲のひとつです。

わたしゃ、外国童話などにはまるで縁のない幼少時代を送っていましたので、「プー横丁ってなんだ?」となったわけです。それが、「水曜どうでしょう」を見ていたらイングランドのハートフィールドに「くまのプーさん」(原題「Winnie-the-Pooh」原作者はA.A.ミルン)の世界を再現したところがあることがわかりました。しかも、「くまのプーさん」の続編は「プー横丁にたった家」(原題「The House At Pooh Corner」)というのですね。

というわけで、イギリス人の童話でありますが、アメリカでもほぼ誰でも知っている話を歌にしたわけで、ライヴでも観客が一緒に歌うし、おそらくはケニー・ロギンスやロギンス&メッシーナのファンでなくとも超絶有名な曲であるともいえますね。

ちなみに、映像は2005年頃のロギンス&メッシーナ再結成ライヴです。全盛期からほぼ30年後ですから、メッシーナの風貌はかなり変化してますし、ケニー・ロギンスも髭と髪の毛をだいぶ刈り込んでおります。

これまたシングルカットはされていないものの、『Sittin' In』収録の「Danny's Song」という曲はカナダ人シンガーのアン・マレーがカバーし、ビルボード7位を記録しました(カナダでは1位)。もちろん、ケニー・ロギンスの曲です。

その後、ロギンス&メッシーナは1976年に解散し、ケニー・ロギンスはソロとなります。地道にアルバムをリリースしていましたが、トップ10ヒットには恵まれず、中堅どころという立ち位置でした。

 

曲は1979年のDoobie Brothers(ドゥービー・ブラザース)の「What A Fool Believes」(1979年)でした。ビルボード1位を獲得し、第22回グラミー賞では最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞のダブル受賞となった曲です。ドゥービー自身2度目のビルボード1位がとんでもないことをやらかしたのです。

この曲はケニー・ロギンスとMichael McDonald(マイケル・マクドナルド、ドゥービーのリードヴォーカル兼キーボーディスト)との共作です。ケニー・ロギンスも自身のセカンドアルバム『Nightwatch』に収録していますが、シングルカットはされていません。

映像は無観客ライヴみたいな感じですけど、オリジナル音源とはちょっと異なりますね。マイケル・マクドナルドのキーボード前で座ってギターを弾く男性はJeff Baxter(ジェフ・バクスター)といい、ドゥービーのオリジナルメンバーではありませんが、Steely Dan(スティーリーダン)時代にセッションメンバーだったマクドナルドをドゥービーに誘い込んだ張本人です。

この曲が収録されたアルバム『Minute By Minute』リリース後、自らが誘ったにもかかわらずマクドナルド中心の新しいドゥービーの音楽性に違和感を感じ脱退した人です。その後、セッションギタリストとして浜田省吾のアルバム『Homebound』でもギターを弾いております。そしてなんと現在は軍事アナリストということですから、もしかしたらアメリカでウクライナ問題について何かやっているかも。小泉悠氏のような人かな。

余談が長くなりました。ともかく、この1曲でケニー・ロギンスは知名度が上がったといえます。

 

1984年の映画「Footloose」の主題歌で同名タイトルの「Footloose」でした。ケニー・ロギンス自身初のビルボード1位(3週連続)獲得曲で年間チャートでも4位という最も売れた曲ですね。

こちら、「Danger Zone」と異なり、ケニー自身も曲作りに参加しています。共作者はDean Pitchford(ディーン・ピッチフォード)という人で、これまでのケニーの作風と違ってかなりポップに仕上がっているので、ピッチフォードさんのアイデアがかなり強めに出ていると思われますね。

ただし、ケニーの伸びのあるハイトーンを買われて起用されたことは間違いないです。これは、「Danger Zone」にもいえることです。

 

そして、1985年、USA For Africaの一員として「We Are The World」にも参加。いわば、アメリカの顔ともなったわけですね。中盤のBruce Springsteenのあとにケニー・ロギンスが登場します。

これだけのメンバーを集め、リードヴォーカルが回ってくるのですからこれはすごいと思いますね。コーラスだけの人もいますからね。

つうことで、今回はケニー・ロギンスでございました。

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2022年8月17日 (水)

夢で逢えたら…

かすてら音楽夜話Vol.150

節目のキリ番です。どんなものを取り上げようと考えておりましたが、ここは超個人的な思い入れで行きたいと思います。

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<大瀧詠一氏>

つうことで、ナイアガラーでもあるワタクシのセレクトは大瀧詠一さんです。ちなみに、彼は多数の変名を持っておりまして(詳細は長くなるので省略します)、ミュージシャンとしては「大滝詠一」。作家としては「大瀧詠一」になります。

また、ナイアガラの変遷となりますと、またまた長くなりますので、ご本人がプロデュースしたある曲について語ることにします。

その曲とは「夢で逢えたら」(作詞作曲:大瀧詠一)です。

「夢で逢えたら」がこの世に音源として登場したのは、吉田美奈子のアルバム『Flapper』の収録曲としてで、アルバムリリースは1976年3月のことです。その時点では「夢で逢えたら」はただの収録曲で、シングルカットもされておりません。

吉田美奈子さんというと山下達郎の初期の作品でのコーラスワークと作詞で有名です。また、歌も超絶上手く、女性のソウル系シンガーとしては間違いなくナンバーワンですね。テレビなどで「夢で逢えたら」が取り上げられる場合は、ほぼ吉田美奈子ヴァージョンが筆頭に来るでしょう。しかし、それは後年の評価なのであります。

とはいえ、美奈子版の「夢で逢えたら」のアレンジは大瀧詠一と山下達郎という豪華すぎる組み合わせです。ですが、この1976年の時点では二人ともよほどのマニアでない限り、豪華とは思われない無名の存在だったのですね。

そのような感じで大瀧さんも制作に深くかかわっていたのですが、『Flapper』のレーベルはRCAであり、大瀧さんとしてはひとつの頼まれ仕事であったともいえます。

ちなみに、美奈子さん自身は「夢で逢えたら」は自分が歌っただけなので、自身の曲であるとは思っていなかったようです。

さて、その1年後、ナイアガラレーベルから「夢で逢えたら」のシングルがリリースされます。

 

歌ったのはシリア・ポールという人です。こちらは、1977年6月に「夢で逢えたら/恋はメレンゲ」というカップリングで、リリースされました。アレンジは多羅尾坂内(大瀧さんの変名)。ストリングスアレンジが山下達郎です。

またまた、余談ですが、「多羅尾坂内」とは片岡千恵蔵主演の架空の探偵の名前ですね。なんと、大瀧さんが『A Long Vacation』や松田聖子などへの提供曲で有名になると、作者のご遺族からクレームが付き、その後使用できなくなったとのこと。

YouTubeの映像はよくわかりませんが、大瀧さん自身も入り込んでいるのでバックバンドは大滝詠一楽団ということになるでしょうか。ともあれ、当時ワタクシは父親とのドライブでカーラジオから流れてきたり、テレビ番組でもシリア・ポールヴァージョンを聴いたことがあります。

この当時のナイアガラレーベルですが、コロンビアから発売されております。それ以前はエレックレコードからの発売でしたが、エレックの倒産に伴って、16チャンネルテープレコーダーを無償で譲り受けることと引き換えに3年で12枚のアルバム制作をすることになっていました。ま、そんな経緯の中、そのちょっと前にはやはりクルマのカーラジオから「ナイアガラ音頭」(布谷文夫)が流れてきたりして、この大瀧詠一という人はどんな人なんだろうという興味はありましたね。もちろん、「はっぴいえんど」とかはまるで知りませんでした。

そのような感じで、次々に音源をリリースするナイアガラレーベルでしたが、シリア・ポール版「夢で逢えたら」はオリコン圏外という結果に沈んでおります。

さて、歌い手のシリア・ポールさんですが、なんと父親がインド人貿易商で母親が日本人という日印ハーフです。ということは、父親はジャイナ教徒あたりでしょうかね。シク教徒という可能性もありますが、シク教徒の名前ではありません。そして、子役からスタートし、ニッポン放送の「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」の初代DJ、「モコ・ビーバー・オリーブ」のオリーブとしても活動していました。モコ・ビーバー・オリーブについてはまるで知らないんですけどね。

かなり貴重なオリジナリティと経歴を持つ人です。シリア・ポール版「夢で逢えたら」は単に歌のうまさで比較すると吉田美奈子ヴァージョンには到底かないませんが、どこか独特のテイストがあって気になりますね。ちなみに、同名のアルバム『夢で逢えたら』もナイアガラレーベルでリリースされております。これがですね、なんと現在でも入手可能でタワレコの渋谷に置いてありました。これは是非手に入れたいです。

さらに、掘り下げると「夢で逢えたら」はアン・ルイスに提供される予定でしたが、没になって美奈子さんやシリア・ポールさんに回ってきたとのことです。その後、アン・ルイスにはほぼ同じ曲調の「Dream Boy」を提供しました。残念ですが、YouTubeには上がってません。また、その後、アン・ルイス自身も「夢で逢えたら」をカバーすることになります。

そして、あまり乗り気ではなかった吉田美奈子ヴァージョンもさらに1年遅れて1978年7月にシングルカットされるのでした。

さて、このシングルはオリコン圏外にもかかわらず、数多の人にカバーされております。その中で唯一オリコンチャートイン(8位)したのが、ラッツ&スターの「夢で逢えたら」(1996年)です。実はシャネルズ時代から大瀧さんが彼らを目にかけていて、デビュー以前からナイアガラレーベルの音源には参加していたりします。

YouTubeでラッツ&スターの「夢で逢えたら」は検索すると出てきます。なんと、セリフは田代まさしが語っているというレアものですが、ここでは割愛します。また、吉田美奈子の「夢で逢えたら」はたまに出てくるようですが、削除されまくりのようですので、リンクはつけません。

なお、大瀧さんは2013年12月にお亡くなりになっていたのですが、なんとご本人が歌うマスターテープが発見され、1年後の2014年12にベストアルバム『Best Always』の収録曲としてリリースされました。

それではお聴きください。

 

どうやら、ご家族にはこの存在を明かしていたようです。でも、ナイアガラーにとっては突然のサプライズでございました。本当に「夢で逢えあたら」になってしまいましたね。

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2022年6月18日 (土)

助手席から見た風景

かすてら音楽夜話Vol.149

Yam865

*イメージです

昔から流れゆく風景を見るのが好きです。つまりは、移動していく列車やバスに乗っていることが好きです。

ですが、これらの乗り物から見える景色は座る位置にもよりますが、ほぼ左から右、あるいは右から左へと移り変わるもの。例外は、その乗り物の最前列、つまりドライバーとその横に座る人だけは、「流れゆく」風景ではなく、「迫りくる」風景を見ることになります。ちょっとばかり特別な眺めなのかもしれません。いい例が「乗り鉄」の人たちで、運転席の後ろにどう陣取るかが乗り鉄界の最も高いヒエラルキーだったりしますかね。

前置きが長くなりました。今回はクルマの助手席から、いわばロードムービー的な曲をいくつか取り上げたいなと。

 

当たり前ながら定番、松任谷由実の「中央フリーウェイ」(作詞作曲:荒井由実)でした。

映像は1996年の「Yumi Arai The Concert with old friends」からです。正隆さん(ダンナ、key)も鈴木茂(g)も、斎藤ノブ(per)も、ジェイクさん(sax)もみんな若いですね。

一応提供曲ということで、ハイファイセットも庄野真代もそれぞれあるんですが、やっぱりユーミンのライヴはメンバーが豪華。

とはいえ、これは前振りのようなものです。曲も1970年代のものですし。

 

こちらは、EPOの「うわさになりたい」(作詞作曲:EPO 編曲:大村憲司)です。1982年の4枚目のシングル「土曜の夜はパラダイス」(「オレ達ひょうきん族」エンディングテーマ)のカップリングですね。同年の3枚目のアルバム『う・わ・さ・に・な・り・た・い』のタイトルチューンでもあります。

こちらは、「中央フリーウェイ」と違って、思い切り女子の内面が語られています。ここからは歌詞の引用になりますがご容赦を。(註:@niftyで歌詞の丸写しはダメよとお達しがありました)

「♪すさんでた頃と 仲間も彼も 違うけど 私だけの 助手席見つけた」
「♪誰かが あなたに そう 告げ口するまで 昔の私を 隠していたい 愛を守るため つくろう偽りは ウソには ならないと言って」
1番のオープニング直後からサビまで。作品リリース時に二十歳そこそこ。もともと、歌唱力があって、コーラスワークにも長けているという評判の彼女でしたが、歌詞もなかなかですよね。

また、続く2番のサビ、「♪あの角に来たら わざとドリフトさせて あなたに体を傾けるから」も秀逸。

「♪つきあう男で 変わるというけれど タイプじゃないのに 不思議ね」という落ちもあります。

当時のEPOの本音であるのかどうか、ともかく、松本隆を含めた職業作詞家には書けないようなフレーズが飛び出してくるのですね。ま、逆にハンドルを握るであろう男子のことはほとんど出てこないのですが、それでも「うわさになりたい」はおそらくそれまでになかった女子の内面をさらけ出した名曲だと思います。

☆ユーミンにはドライビングミュージックではありませんが、「Destiny」の「♪安いサンダル履いてた」などの内面をさらけ出した曲もあることをお断りしておきます。

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<須藤薫>

 

須藤薫の「フロントガラス越しに」(作詞:田口俊 作曲:杉真理 編曲:松任谷正隆)でした。こちらはシングルカットされてませんで、1983年の4枚目のアルバム『Planetarium』に収録された曲です。

こちらも、助手席から眺めた風景ではあるのですが、彼と別れ、女友達とドライブするという展開になってますね。

そして、彼の忘れていった「カセット」。もちろん、志らくの落語や伯山の講談が入っているのではなく、ミュージックテープですね。おそらくですが、単純にアルバムを入れたのではなくて、彼と彼女が好んだような曲をちりばめた、オリジナルのコンピレーションであると想像いたします。

1980年代というと、MP3プレイヤーもブルートゥースもなくて、全部CDなどから(あるいはLPか)ダビングしたカセットテープがカーオーディオの「当たり前」でしたからね。

なんでも、現在でもアメリカとか一部の国では相変わらずカセットプレイヤー搭載というクルマが多いともききましたが。ま、日本では絶滅しましたね。

この「フロントガラス越しに」を生み出したのは、男性の田口俊という人なのでした。須藤薫という人は自作がほぼなく、ほとんどが外部発注なのです。中でも杉真理とは長くコンビを組み、晩年には須藤薫&杉真理というユニットを組んでいた時期もあります。

また、須藤薫はユーミンの『Surf & Snow』(1980年)でコーラスを担当して、注目を浴びたのですね。「サーフ天国、スキー天国」も「恋人がサンタクロース」も須藤薫の声が入っているのです。そのあたりの絡みもあり、松任谷正隆にアレンジをお願いしたのではと思います。

ちなみに、須藤薫さん、2013年にお亡くなりになっております。素晴らしい人材であっただけに残念です。

さて、男性側の目で見たドライビングミュージックは?ここでは映像を持ってきませんが、浜田省吾の「サイドシートの影」でしょうね。こちらは、聴けばわかりますが助手席には誰もいず、話しかけているというちょっと悲しい物語です。

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2022年5月30日 (月)

三つ巴のバトルー1980年春

かすてら音楽夜話Vol.148

前回に続いてコスメメーカーのタイアップ曲です。

今回は資生堂とカネボウという構図ではなく、ポーラ化粧品も参入したという例ですね。

紹介するのはリリース順としましょうか。

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<渡辺真知子>

 

こちらは、渡辺真知子の「唇よ、熱く君を語れ」(作詞:東海林良 作曲:渡辺真知子 編曲:船山基紀)です。リリース日は1980年1月21日。オリコンチャートで4位を記録しています。

そして、この曲はカネボウの「Lady 80」の口紅のCMで使用されました。

渡辺真知子は音大出身(声楽科)でありながら、どことなく歌謡曲テイストを漂わせる、やや「ニューミュージック」とは乖離したような路線で売っていたように思われていました。この曲は7枚目のシングルですが、それまでの曲はマイナーコード中心で、内容も失恋のことを歌っていたものが多かったのです。そして、ニューミュージックの掟破りではありませんが、歌謡番組に積極的に出演するというスタイルでした。

「唇よ、熱く君を語れ」では、初めてともいえるメジャーコードで、あの真知子さんがこういう曲もやるんだというようなイメージの転換にも成功しましたね。歌謡曲テイスト、いわば思いっきりドメスティックなイメージで、テレビに出てくる演歌歌手やアイドルと何ら変わりないとも思われていたかもしれません。ですが、それまでの彼女の全シングルは、彼女が作曲しているのですね。

また、後述するふたりよりも年少でありながら、抜群の歌唱力、貫禄などからとてもそうは見えません。

「唇よ、熱く君を語れ」は船山氏がいい仕事をしていて、ドメスティックさを消し去り、都会的なアレンジを行ってます。

さて、この曲のCMヴァージョンを見つけましたので、お聴きください。

 

CMというと、15秒なり30秒なりの長短はありますが、それなりの長さに合わせたテイクが曲にも要求されます。こちらでは原曲よりもややスローテンポで、当然ながら「♪唇よ~」のフレーズを持ってきます。

モデルはおわかりかと思いますが、松原千明ですね。石田純一の元夫人です。ちなみに松原千明はこのCMが芸能界のデビューであったそうで。

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<庄野真代>

 

こちら、庄野真代の「Hey Lady 優しくなれるかい」(作詞作曲:庄野真代 編曲:瀬尾一三)でした。リリース日は1980年2月1日。オリコンチャートでは6位を記録しています。

こちらも、ポーラのフェアレイジという口紅のCMに使用されました。

彼女は今回取り上げる3人の中では最もデビューが早かったです。当然ながら詩も曲も自分で作るシンガーソングライターでありながら、ユーミンの「中央フリーウェイ」をカバーしてシングルにしたり、思いっきり職業作曲家の筒美京平作品、「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」もスマッシュヒットし、渡辺真知子と同じくテレビに出るなど、ニューミュージックの掟とは一線を画していた人でした。

3人の中では一番年長で、大人の雰囲気を漂わせていた人でした。と、いうのもすでに「飛んでイスタンブール」の時点で職業作曲家の小泉まさみ氏と結婚していたということが大きいのかもしれません。

それにしても、彼女の自作曲、突き抜けた感じでいいですね。実はこの時点でワタクシは4枚目のアルバム『ルフラン』を購入していて、彼女の自作曲である「風の街角」「はんもっく」「ルフラン」などが適当な脱力感があり彼女の独特な世界があるなと思っていたのですね。

でも、「Hey Lady 優しくなれるかい」はこれまでにない力強さがあります。やはり、大きなスポンサーがつくと強いプレッシャーがかかるものですが、それをいい意味で力にして、これまでの作風と違う佳曲ができたのでしょうね。

こちらも、CMヴァージョンがありました。

 

これまた、15秒のヴァージョン。起用されたタレントは不明です。この曲はサビが冒頭から展開されるので、原曲が使用されているみたいです。

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<竹内まりや>

1980年2月5日にリリースされたのが竹内まりやが歌う「不思議なピーチパイ」(作詞:安井和美 作曲:加藤和彦 編曲:加藤和彦・清水信之)です。

YouTubeにはこの曲は上がっておりません。というのも、著作権にシビアな山下達郎率いるスマイルカンパニーが関係してますから、一瞬YouTube上に現れたとしても、違法アップロードですので、見つけられ次第削除される運命にあるのですね。

さて、こちらはオリコン3位を記録しております。この曲は資生堂ベネフィークのやはり口紅のCMに使われました。

竹内まりやといいますと、現在では山下達郎プロデュース、同じく達郎のアレンジで本人自作の曲をリリースすれば、本人がほぼメディアに登場しないにもかかわらずメガヒットしてしまう、スーパーな存在であります。

ですが、1980年の時点で本人が曲作りに関わったシングルはありませんでした。せいぜいアルバム中2曲くらいが自作であり、あとは外部発注であることが多かったです。まあ、当時は曲作りに没頭するタイプではなかったといえましょう。

しかし、彼女はデビュー曲からタイアップ(伊勢丹)が付き、セカンドシングルもタイアップ(キリンレモン)に恵まれます。3枚目のシングルがタイアップのない「September」だったのですが、前の2曲よりも上位(39位)の売り上げを記録し、「不思議なピーチパイ」でメジャーになっていくことができました。

ただし、彼女も当時はテレビに出演しており、なんと芸能人運動会に出て走り高跳びに参加したらしいです。当時の生歌にも興味があるところですが、芸能人運動会の竹内まりやも見てみたいものですが。

さて、「不思議なピーチパイ」の加藤・安井夫妻の曲ですが、デビュー曲の「戻っておいで・私の時間」以来の付き合いです。その縁もあってか、松山猛の作詞した曲などもアルバムには入っていました。しかし、彼らとの縁もここまでで、以降のシングル、アルバム曲とも組むことはありませんでした。

当時の竹内まりやのスタンスですが、現在のように山下達郎が全面的に関わったスキのない作品ではないものの、「September」と「不思議なピーチパイ」を含むアルバム『Love Songs』、ロス録音の『Miss M』、独身時代最後のアルバム『Portrait』はなかなかにいいです。

そして、この「ピーチパイ」という言葉はコピーライターがCMのイメージにつけたもので、それがタイトルとなったおそらく初めての例ですね。この傾向はその後、ますます強まっていくことになるのですが。

さて、「不思議なピーチパイ」のフルヴァージョンは無理でしたが、CMヴァージョンをお聴きください。

 

以前、30秒のCMをまりやさんのところで取り上げたので、今度は15秒ヴァージョンです。

ちなみにモデルはメアリー岩本と名乗っていましたが、その後改名してマリアンと名乗った方ですね。

さて、この3つのCMはオリコンの順位で行くとほぼ同じようなもので、引き分けということになりますかね。ちなみに、年間チャートでは「唇よ、熱く君を語れ」が24位、「不思議なピーチパイ」が30位、「Hey Lady 優しくなれるかい」が51位でした。ちなみに、「不思議なピーチパイ」が収録された『Love Songs』はアルバムチャートで1位でしたので、最も聴かれた曲ということになりますかね。資生堂という大企業の力とも関係しそうですけど。

また、「Hey Lady 優しくなれるかい」のポーラ化粧品ですが資生堂とカネボウのように季節ごとにやりあっていたわけではないようです。むしろ、割って入ろうとしたのはコーセーのほうですかね。

また、ノエビアは外国の曲などをイメージソングに取り入れておりました。

ちなみに、渡辺真知子、庄野真代、竹内まりやがCMで競合したことから下の名前から取って「3M」と呼ばれたそうで。

プーさんよくきいてね

 

桑田佳祐、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎による、チャリティソングです。

同級生5人で、どうしてもメンバーの豪華さについ目が向いてしまうのですけど、なんでこの時期にこういう曲が発表されたのかということに目を向けてほしいですね。

本来であるならば、Neil Young(ニール・ヤング)とかBruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)など世界的に影響力のある人たちが声を上げてほしいのですけど。でも、そのうち彼らあるいは他の人たちが声を上げるかもしれません。

 
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2022年5月11日 (水)

資生堂 VS カネボウ 1978年夏

かすてら音楽夜話Vol.147

1970年代後半から1980年代前半あたりの話です。当時の女性は成人したら化粧をする…少なくとも就職し世の中に出たら化粧をするのが当たり前みたいな考えが世の中を支配していたように思います。

そして、当時の化粧品メーカーは、資生堂とカネボウが競い合っていました。その販売促進のため、それぞれがキャンペーンソングを依頼し、さらに販促が過熱していったのでした。それも、春夏秋冬と徹底していてその季節向けにキャンペーンソングをリリースしあうという具合でした。

ちなみに、第三のメーカー、コーセー化粧品もキャンペーンソングは出していたようですが、さすがに資生堂とカネボウの競争には追随できなかったようです。

さて、今回取り上げるのは1978年夏のキャンペーンソングです。

資生堂

 

矢沢永吉の「時間よ止まれ」(作詞:山川啓介 作曲:矢沢永吉)でした。

こちら、資生堂アクエア・ビューティケイクというファンデーションのCMに使用されておりました。ちなみに、前年夏の同製品はダウンタウンブギウギバンドの「サクセス」(作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)でしたが、メガヒットには結び付きませんでした。

「時間よ止まれ」は6月12日、19日、26日と3週連続の1位を獲得しています。永ちゃんにとっても初めての1位です。ついに「成りあがった」のですね。

このキャンペーンソングですが、のちには起用されればヒット間違いなしとまでいわれました。しかし、それは「時間よ止まれ」から始まったように思います。

ちなみに、「サクセス」はダウンタウンブギウギバンドのイメージ(「スモーキンブギ」の青少年の喫煙とか、ツナギにリーゼントというスタイル)がよくないという意見もあったそうです。であるならば、元キャロルの永ちゃんのイメージも同じようなものでしょうが、当時のソニーのプロデューサーであった酒井政利氏が山川啓介氏に作詞を依頼し、永ちゃんのマネージャーがそこに乗って、このタイアップが実現したとのこと。曲自体はキャロルの面影はまるでないし、世の中でもまさか矢沢永吉がこのような曲を書くような認識はなかったと思います。

ただ、当の永ちゃんは引き受けるに際して「この曲は一生歌わない」というものだったそうです。また、当時の風潮として永ちゃんもテレビには出ないとしていたのですが、今やBOSSやらモルツやらCMには出まくってますし、「時間よ止まれ」も自分の代表曲であると思うようになりりました。

カネボウ

 

サーカスの「Mr.サマータイム」(作詞:Pierre Dolanoe 作曲:Michel Fugain 編曲:前田憲男 日本語詞:竜真知子)でした。

こちらはカネボウのサンケーキというやはりファンデーションのタイアップです。資生堂との真向対決ですね。どちらもファンデーションながら、夏の太陽の下でも日に焼けないというコンセプトも同じです。

「Mr.サマータイム」はフレンチポップスをそのまま持ってきたものですが、ほとんど新人でこれが2作目のシングルとなるサーカスに歌わせました。当時のサーカスは兄弟と従妹からなる男女4人組でアルファレコード期待の新人グループでした。やはり、親族でグループ、特にコーラスワークを売りとするグループには相性がぴったりというところでしょうか。

こちら、「時間よ止まれ」と入れ替わるようにして7月3日付のオリコンシングルチャート1位を獲得しています。この1978年はあのピンクレディが全盛で、タイアップとはいえ新人グループが割って入ったというのは1週のみとはいえやはりすごいこと。

資生堂もカネボウもどちらも成功というものでした。

こちらのCMには服部まこ(現在は服部真湖、よみは同じ)というタレントを起用しております。この映像が出てこなかったんだな。ちなみに、前年1977年のサンケーキのCMにはあの夏目雅子を起用し、女性用の製品ながらも男どもの目をくぎ付けにしたものです。そちらの曲は「OH! クッキーフェイス」という外タレが歌っております。しかし、曲はそれほど売れませんでした。

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<夏のイメージです>

ちなみに、「時間よ止まれ」の資生堂アクエア・ビューティケイクのCM映像、見つけたので貼っときます。

 

こちら、5人のモデルが登場しますが、アップになった最後のモデルは堀川まゆみといいまして、その後も女優業のほか作詞・作曲もこなすマルチタレントぶりを発揮した人です。

その妹が麗美になります。

この2曲が売れに売れたもので、資生堂やカネボウのタイアップに選ばれれば、ヒットするという法則みたいなものができてしまったんですね。しかし、依頼された作家陣は大いなるプレッシャーにさらされたことでしょうね。もちろん、ヒットしなかった曲もあるんですけど。

資生堂は世界的メーカーになりましたが、カネボウは解体されてクラシエになったのではと思っていたら、ちゃんと「カネボウ化粧品」として生き残っていたのでした。カネボウグループで唯一「カネボウ」を名乗る企業だそうです。

この企画、ちょっと続けたいと思います。

プーさん追い込まれてる?

対独戦勝記念日だったとか。それにしてもしつこいですね。これ以上やると国が破滅しちゃいますぜ。

 

曲はRCサクセションの「明日なき世界」、カバーです。

反原発を歌い原子力発電事業を展開していた東芝というレコード会社からリリースできなくなった『Covers』というアルバムに収録されています。アルバムは元の所属のキティレコードから発売され、アルバムはRC唯一のオリコン1位を獲得している作品です。

このあたりから忌野清志郎は社会問題を歌にするようになりましたね。

★今回の記事がよかったらイイネを。コメント、ご意見、リクエストなどよろしくお願いします。


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2022年4月20日 (水)

控えめな「ファラン」

かすてら音楽夜話Vol.146

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<パタヤのファラン>KP/DA50-200mm

音楽話でファランとは…。

タイでいう「ファラン」とはヨーロッパ系の欧米人を指す言葉ですね。アフリカ系の欧米人は「ファラン・ダム」と呼ばれるそうですが、あまりきいたことはないです。まあ、便利な言葉ですね。

画像のようにいわゆるファランはパタヤなんかで金にものをいわせてファランになびく女子をはべらせていたりします。あるいはカオサンなどで周囲への配慮もなく飲んで(あるいはラリって)騒ぐという、イメージ的にはよくないですね。

ある時、わたしゃBTSに乗っていたんですが、日本の満員電車には程遠い混み具合(それでもバンコクでは混んでると思われる)の車両で、ひとりのこわもて風ファラン男性(あまり女性はファランとはいわれないような気もします)が、タイ人を怒鳴りつけているシーンに遭遇したことがあります。

こういう態度を取るのは国力の差なのか経済力の差なのか。ま、高度成長期に日本人も金に任せてアジア諸国で狼藉三昧だった人もいるようですけどね。

さて、本題です。音楽界でもミュージシャンは尊大な態度を取る人は少なくないのですが、今回取り上げる二人はその真逆。

では、ひとり目。

 

Gilbert O'Sullivan(ギルバート・オサリバン)の「Alone Again(Naturally)」でした。

1946年にアイルランドで生まれ、育ちはイギリス。この曲は1972年にリリースされビルボードのシングルチャートで4週連続1位を獲得し、その後いったん陥落するものの、再び返り咲いて2週連続の1位となり、合計6週1位となり、1972年の年間チャートでも1位となった曲です。

ギルバート・オサリバンは本名ではなく、ヴィクトリア朝時代に劇作家と作曲家のコンビがギルバート&サリバンであることから付けたもので、本名はレイモンド・エドワード・オサリバンといいます。

「Alone Again(Naturally)」の内容は、自殺が出てきたり、両親の死別なども出てくる内省的なもので、およそポップスシーンにはありえないような内容なんですが、やはりメロディラインが秀逸だったので、メガヒットに結び付いたのでしょう。

映像はおそらくテレビ収録のライヴです。音源的にはかなりオリジナルに近いのですが、ギルバート・オサリバンは曲間にアドリブを入れていますし、原曲にかなり忠実な演奏なのであると致しましょうか。

続くシングルは「Clair」で、ややもするとロリコン趣味なところもあるのですが、こちらもビルボード2位を記録します。

個人的に気に入っているのはその次の1973年のシングル。

 

「Get Down」でした。こちらは、ビルボード7位を記録しています。

歌詞の「Get Down」は「おすわり」、「Dog」を彼女に例えています。でも、アメリカでは「Get Down」も「Dog」も性的あるいは侮蔑的なスラングとして用いられていることを、ギルバート・オサリバンは知らなかったとのことです。

でも、そんなことは関係なくまじめにピアノを弾き歌うギルバート・オサリバンの受けはよかったのではと思います。

ギルバート・オサリバンは日本受けするタイプで、来生たかおというフォロワーもいます。

また、「Alone Again(Naturally)」は、草刈正雄九重佑三子(元祖コメットさん)のカバーも存在します。どういうわけか、九重さんのカバーは1971年リリースとギルバート・オサリバンよりも早いんですよね。

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アメリカ代表、しかも女性はこちら、Karla Bonoff。

彼女のソロデビューは1977年のセルフタイトルアルバム、『Karla Bonoff』です。1951年生まれのため、デビューはかなり遅めといえますが、Bryndle(ブリンドル)というグループを組んでいました。そのメンバーは結構すごいメンツだったのでしたが、デビューシングルをリリース後、レコード会社とそりが合わず、解散してしまいます。

その後、ブリンドルのリーダーでもあったKenny Edwards(ケニー・エドワーズ)の仲介で、カーラ・ボノフらブリンドルのメンバーがLinda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)のバックのメンバーに起用され、カーラの曲もリンダのアルバムに採用されることになります。

ちなみに、ケニー・エドワーズはリンダがかつて組んでいたStone Poneysのリーダー的存在でした。

 

1979年のセカンドアルバム『Restless Night』(邦題「ささやく夜」)のオープニングナンバー「Trouble Again」(邦題「涙に染めて」)でした。

このアルバムからは「When You Walk In The Room」という曲が唯一シングルカットされているのですが、おそらく「Trouble Again」の方がよく知られていますね。アルバム自体はビルボードのアルバムチャートで31位と、それほど売れたわけではありません。

ですが、このアルバムはタイトルとは真逆の名曲ぞろいで、カーラのしっとりとした声が聴く人を優しく包み込む内容です。リンダ・ロンシュタットもそうなんですが、アルトの声はアルファ波を誘導するそうで、カーラ・ボノフはリンダよりもアルファ波を出すような気もしますね。

なお、同タイプの人にはカレン・カーペンターなどを上げたいですね。

 

まるで商売っ気のないカーラ・ボノフですが、1984年の映画「Footloose」のサウンドトラックに参加しています。こちらは「Somebody's Eyes」ですが、作者はカーラではありません。

その後のカーラはブリンドルを1990年に再結成し、スタジオアルバム2枚をリリースしました。しかし、エドワーズもアンドリュー・ゴールドも亡くなり、現在は活動停止状態です。

という出しゃばらないファランのお話でした。どう考えてもギルバート・オサリバンなどドラッグとは無縁ですよね。もちろん、カーラ・ボノフも。

ロシアのプーさん

しつこいですよね。中村逸郎氏が説明しているように、ロシア人の価値観とプーさんの価値観はやっぱり違うんだろうね。

 

佐野元春の「Shame-君を汚したのは誰」でした。

★リクエスト、ご意見、コメントお待ちしております。記事が気に入りましたら、イイネをくださいませ。

 
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2022年3月31日 (木)

日本のRAP事始め

かすてら音楽夜話Vol.145

ヒップホップ・カルチャーはニューヨークが発祥ともいわれます。それを象徴するものはクラブ、DJ、ブレイクダンスなどがありますが、クラブでDJもしくはMCが音楽にのせて韻を含ませつつ、喋るようにリズムと同調するようなものをラップといいます。

今でこそ、日本でもたくさんのラッパーが活躍するようになりましたが、残念ながら日本に導入された初期のラップは、ヒップホップ文化とはあまり関係ないところから始まったのです。

 

つうことで、1981年の山田邦子、「邦子のかわい子ぶりっこ(バスガイド篇)」(作詞:山田邦子 作編曲:渡辺直樹)でした。

半分がネタで半分がラップ。おそらくこれが、日本の音楽史で音源として初めて登場した、日本人による日本語のラップではないかと思います。

当然ながら、80年代初期、日本にはヒップホップなどもまるで出現しておらず、ストリートのカルチャーといえば、竹の子族でしたかね。なお、山田邦子は素人参加の物真似番組からフジテレビの「笑ってる場合ですよ!」のコーナーに抜擢され人気に火が付いたという時期で、ネタをもとについにレコードデビューしてしまったのですね。

ちなみに、作曲の渡辺直樹氏はSPECTRUMのベーシストであり、この時期ちょうどSUPECTRUMが解散したあたりですね。それ以前も渡辺プロ所属のシンガーたちのバックを担当していたり、スタジオミュージシャンとしても活躍していて、そのベースプレイには定評がありました。その後もAB'sに参加しております。

その関係もあるのか、バックのブラスはもしかしたら新田一郎が関係するHorn Spectrumあたりである可能性も考えられます。山田邦子はともかく、バックの演奏力はかなりレベルが高いです。山田と絡む男性の声はビートきよしです。このあたりは、当時山田の所属していた太田プロの関係もあるでしょう。

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1983年5月、それまで地道にライヴ活動をやっていて、人気も絶頂に達するかと思われていた佐野元春が突然渡米します。

ニューヨークでアパート生活をし、現地のカルチャーに触れていくというもので、元春の現地報告はNHK FMの「Motoharu Radio Show」で本人のDJによって毎週伝えられました。そして、1年後に帰国。

次にリリースしたアルバム『Visitors』が衝撃の内容でした。

 

1984年リリースのアルバム『Visitors』収録の「Come Shining」(作詞作曲:佐野元春)でした。

なんと、ニューヨーク生活でヒップホップカルチャーを見事に吸収し、アルバム収録曲8曲中、「Complication Shakedown」、「Wild On The Street」、「Come Shiing」、「New Age」と4曲もがラップなのでした。

この方向転換ともとれるスタイルの変更に、デビュー以来の元春ファンの一部は確実に離れていったと思われます。ですが、このアルバム『Visitors』はオリコンアルバムチャートで2週連続1位を獲得。年間チャートでも24位を記録しました。

新しいスタイルの佐野元春の誕生ともいえます。とはいえ、もともと佐野元春の楽曲は「アンジェリーナ」にせよ、「Someday」にせよ、メロディに極端な抑揚が少ないのが特徴でもあります。

そして、早い段階からポエトリーリーディングなどにも取り組み、どうしたら短いメロディの合間にできるだけ多くの言葉を詰め込めるかということを試行錯誤してきた人でもあります。

そうしたことから、言葉をビートに乗せていくという取り組みがやりやすかったのではないでしょうか。

ちなみに、映像は1984年から1985年にかけての「Visitors Tour」でのものですが、打ち込みも使わず、DJも不在でスクラッチなどを利用せず、すべての音をバックバンドのThe Heartlandとともに、演奏するというレベルの高いものです。余談になりますが、1984年という段階で、元春の着こなし、シャツの裾を出しているとか、襟足にウィッグをつけているなど革命的であったと思います。あの時代、ジーンズでもベルトの位置がかなり高く、Tシャツ愛用者であっても決してシャツの裾を出すことはなく、いかに足を長く見せるかというような時代でしたから。

次のアルバム『Cafe Bohemia』では従来の佐野元春に少し回帰していますが、「Indivisualists」、「99 Blues」ではさらにヒップホップ色を強めた作品も収録しました。

日本のミュージシャンではおそらく初めてきっちりとしたヒップホップまたはラップを我々に伝えた功労者であると断言したいです。

さて、この直後の1984年11月に吉幾三が「俺ら東京さ行ぐだ」をリリースします。こちらも、日本語ラップの元祖ともいえますかね。こちら、作詞作曲が吉幾三本人、そして千昌夫プロデュースという組み合わせというのが、想像を超越してますね。

吉幾三も長らくヒットに恵まれず、アメリカのラップ音楽に着目してこれが生まれたそうで。

それでは最後に最も気に入っている元春のラップを。

 

「Wild On The Street」(作詞作曲:佐野元春 編曲:佐野元春)でした。公式のものではないので削除されてしまうかもしれませんが。

なお、バックのコーラスはアフリカ系アメリカ人女性で「Jungle People」というフレーズを歌ってもらうのにものすごくディスカッションしたそうです。

<まだやってるよ>

ロシアによるウクライナへの戦争です。

 

Billy Joelの「Goodnight Saigon」でした。

もちろん、ベトナム戦争を扱った曲です。ビリーによると、「あの曲は究極の反戦歌。隣のやつが死んでいく若者の地獄を歌った」(wikiより)とあります。

ロシアのヤングも無意味に死んでいくんですよね。もちろん、ウクライナ側も。

毎日伝えられる映像、一部はフェイクであるともいわれますが、ウクライナに仕掛けてきたのはあの独裁者であって、ゼレンスキーではないことだけははっきりしていますよね。

★今回の更新、めちゃくちゃ遅れました。来月の半ばくらいまでは面倒なことを抱えておりますので、下手すると週1くらいの更新になるかもしれません…ということだけお知らせしておきます。リクエスト、ご意見もお待ちしております。

 
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2022年3月10日 (木)

贅沢なバックコーラス

かすてら音楽夜話Vol.144

 

いきなりの「All You Need Is Love」(邦題「愛こそはすべて」)でございます。

The Beatles(ビートルズ)の1967年のシングルで英米両国で1位に輝いております。この曲は「Our World」という全世界に衛星中継された番組で放送された楽曲です。番組は日本でも放送されたそうで、司会は宮田輝だったとのことです。当然、見ておりません。(YouTubeの映像も当時のものがアップされていましたが、どうやらバグがあるようで、自分のPC環境では再生できませんでした。)

曲のおおもとは、その時のAbby Road Studioでライヴ収録されたものですが(一部のバックトラックは事前録音し収録時にそれを流していた)、のちにリードヴォーカルのJohn Lennon(ジョン・レノン)のパートを録り直したものと差し替えられてリリースされました。

そのライヴ中継ですが、バッキングヴォーカルのメンバーが豪華なんですね。

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<Mick Jagger>

Mick Jagger(ミック・ジャガー、The Rolling Stones)、Keith Richard(キース・リチャード、The Rolling Stones、当時の表記)、Eric Clapton(エリック・クラプトン、Cream)、Marianne Faithfull(マリアンヌ・フェイスフル、シンガー、女優、ミックの当時の交際相手)、Patty Boid(パティ・ボイド、当時のGeorge Harrison夫人)、Keith Moon(キース・ムーン、The Whoのドラマー)、Graham Nash(グラハム・ナッシュ、The Hollies)などが参加してました(所属はいずれも当時)。

今回のタイトル、「贅沢なバックコーラス」なんですが、確かに豪華なメンバーを揃えたものといえます。しかし、なんとも緩い60年代ともいえます。そのためのギャラが発生したかどうか、いずれも友情出演だったような気もしますが。

さて、ここまでは前振りです。

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<Carly Simon>

Carly Simon(カーリー・サイモン)というアメリカのシンガーがおります。1945年生まれで、ニューヨーク出身。1964年に姉とSimon Sistersを結成し、1971年にソロデビューしました。翌年のグラミー賞で最優秀新人賞を獲得しています。

彼女、サイモン&シュスターという大手出版社の創業者の家庭に生まれたバリバリのお嬢さんなんです。テイストは違いますが、アメリカ版ユーミンとでもいいましょうか。

翌年の1972年にリリースした3枚目のアルバム『No Secrets』(ビルボード1位)から、本題に入ります。画像はそのアルバムジャケットをデジカメで撮ったものなんですが、胸のあたりに注目していただきたい。当時のワタクシの周辺では、小学生ながらに洋楽を好むガキどもがおりまして、普段はT.RexにイカれていたNというやつがこのジャケットを話題にしたのですね。「あれ、見た?」なんてね。

つまりはノーブラやないかい。つうことなんですが、後年、あちらのブラには突起のついたものもあるということを知った次第でございます。さて、真相はいかに?

 

アルバム『No Secrets』からの最初のシングル、「You're So Vain」(邦題「うつろな愛」、作詞作曲:カーリー・サイモン)でした。アルバムでは3曲目に収録され、1973年1月に3週連続のビルボード1位を獲得した曲です。

YouTubeの映像は動かない音声のみ(オリジナル)のものでしたが、こちらのバックコーラスがミック・ジャガーなんです。ミックの登場は2コーラス目からで、聴けばすぐにわかりますね。「All You Need Is Love」は豪華メンバーでしたが、コーラス部分にまるで癖がなく、だったらあのメンバーは単にビジュアルのために集められたのかとも思ってしまいます。

実はミックに関してのクレジットはどこにも見当たりません。それもなぜかはわからないんですが。アルバム自体はクレジット関係はきちんとしています。

この曲の男性のコーラスは当初はHarry Nilson(ニルソン)だったといいます。曲の収録中にたまたまミックからプロデューサーに電話がかかってきたそうで、その時に依頼したともいわれています。そして、ミックのコーラスが収録されたのですが、当初のニルソンは自ら降りたとのことですね。

ま、これだけ存在感のある声を聴かされれば誰もが納得ですわな。日本で例えれば、佐野元春の「The Vanity Factory」におけるジュリーのコーラスみたいなものですかね。

さらにもうひとつ。

 

アルバム『No Secrets』の9曲目、「Night Owl」でした。こちら、のちに夫となるJames Taylor(ジェームス・テイラー)の作品です。

こちらにはコーラスでPaul McCartney(ポール・マッカートニー)と妻のLindaが参加しています。でも、ミックほどの存在感はありませんね。ちなみに、ポールとリンダはWingsで活動中でしたね。

ちなみに、ジェームス・テイラーとはのちに離婚。インタビューでは初めて出会った時のことをかなり大胆な際どい発言をしております。内容は『No Secrets』の日本盤の解説に書かれております。

Linda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)にも、「Tumbling Dice」(1978年)というストーンズのカバーがあるんですが、こちらはミックはまったく関わってませんでした。だがしかし、リンダとミックは当時関係が噂されてましたが。

<おまけ>
ウクライナ侵攻に反対ということで、しばらくかすてら音楽夜話で、「反戦メッセージ」性のある曲を取り上げていこうと思います。

 

Joan Jett(ジョーン・ジェット)姐さんの、「Have You Ever Seen The Rain」。1990年のシングルで、バックバンドのThe Blackhearts(全員男性)を従えてのパフォーマンスです。

元歌はCreedence Clearwater Revival(CCR)ですので、カバーですね。雨を当時のベトナム戦争での米軍の空爆(ナパーム弾)に例えたものといわれていましたが、作者のCCRのJohn Fogerty(ジョン・フォガティ)は否定してます。

とはいえ、世の中では反戦歌として認識されてますね。CCRヴァージョンは取り上げてますので、こちらで。Rod Stewart(ロッド・スチュワート)やBonnie Tyler(ボニー・タイラー)もカバーしている名曲。

★ご意見やリクエスト募集中です。是非ともコメントくださいませ。

 
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2022年2月23日 (水)

どてらい男

かすてら音楽夜話Vol.143

本日は歌謡界の御三家のおひとり、西郷輝彦氏を悼みまして急遽記事にいたします。

西郷さんというとどうしても取り上げられるのが「星のフラメンコ」(作詞作曲:浜口庫之助)ですよね。

この曲は西郷さんがスペインで鑑賞したフラメンコに感銘を受けて、浜口氏の自宅でその経験を話したところ、西郷氏の新曲としてフラメンコのリズムを取り入れることになったそうです。

ま、正式のフラメンコはカンテ(歌)が中心だそうですが、西郷氏の見たフラメンコはいわゆる観光用でギター演奏もダンサーもいるものだったでしょうが。

とはいえ、1960年代以降の日本人が感じるフラメンコ像はこの曲に集約されているのかもしれないです。もっとも、フラメンコの興行は夜もかなり遅い時間に始まり、シエスタも取らずに観光するような人(特に日本人)ばかりでしたので、最も盛り上がる時間帯に日本人のツアー客は集団で舟を漕いでいるという事態に陥っていることが多かったですね。いちお、ワタクシもグラナダで見に行きました。

さて、西郷氏ですがデビュー当時はクラウンレコードの期待の大型新人であるわけで、2か月に1枚というシングルのリリースでした。デビュー曲の「君だけを」、4枚目のシングル「十七才のこの胸に」で第6回日本レコード大賞新人賞を都はるみとともに受賞しております。ですが、「御三家」の橋幸夫が2度のレコード大賞を受賞しているのと比べるとメガヒットにやや弱さがあるかもしれませんね。ま、橋さんの場合は西郷さんがデビューするまでにすでにシングルを46枚もリリースしているんですけどね。ちなみに1年早いデビューのもうひとりの御三家、舟木一夫は7枚のリリースでした。

その後、西郷さんの代名詞ともいえる「星のフラメンコ」はなんと26枚目のシングルなのでした。ま、その前に「星娘」というスマッシュヒットもありましたが。

さて、いつもならばYouTubeで「星のフラメンコ」…となるわけですが、それじゃ面白くないわけで、ややひねったものを見つけてきました。以前紹介した「ローリングストーンズは来なかった」も秀逸なんですけどね。

 

西郷輝彦で「メキシコ娘」(作詞作曲:浜口庫之助 編曲:小杉仁三)でした。1967年5月1日リリースの35枚目のシングル「願い星叶い星」のB面曲となります。

なんで、メキシコなの?となりますよね。実は同日発売の橋幸夫「恋のメキシカンロック」という曲がありまして、なんと橋さん、これを主題歌にして映画出演までするという人気ぶりでした。

翌1968年はメキシコオリンピックが開かれるということで、日本でもにわかにメキシコブームが起こったようです。オリンピック前の1968年4月にはハナ肇とクレージーキャッツ主演の映画「クレージーメキシコ大作戦」が封切りになってますし。ま、西郷さんのメキシコはB面ということで控えめだったのですけどね。

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<メキシコ>*イメージです

ですが、この次のシングルでもメキシコを持ってくるんですね。

 

1967年7月1日リリースの36枚目のシングル「この雨の中を」のB面、「悲しいソンブレロ」(作詞作曲:米山正夫 編曲:小杉仁三)でした。

作者が異なるんで、リズムはともかく言葉などがラテンとはかけ離れている感じはしますね。

ええ、もちろん、このあたりは西郷さんの格別なファンでもなければ知りえないことですけど、今は便利な時代で有名人ほど調べられるという。

さて、順調にシングルをリリースしていた西郷さんですが1973年にドラマ主演(「どてらい男」)を果たします。そのちょっと前からシングルのリリース間隔も年間4枚くらいに減ってきてはいたのですがね。

この年偶然かどうか、例の「ローリングストーンズは来なかった」を66枚目のシングルとして発売していますが、その直前のシングルが「俺たちの明日」というどこかできいたことのあるタイトルです。そして、この曲のアレンジャーがボブ佐久間という人で、大沢たかお主演の「劇的紀行・深夜特急」の音楽を担当した人なんですね。まあ、大いなる偶然なんすけどね。

追悼ついでに。

 

松鶴家千とせさんもお亡くなりになりました。この曲、左とん平「ヘイユウブルース」よりも売れているんですよね。ジャジーでブルースしてますよね。ジャズシンガー志望だったそうで。言葉は若干東北訛りが入るんですけどね。それがまたいい。一時代を築いた人でした。わっかるかな、わかんねぇだろうな。イェー!昔、中古で探して買いましたよ。

ともかく、お二人に合掌。

★リクエスト、ご意見、コメントをお待ちしております。

 
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