カテゴリー「Music Talk」の66件の記事

2019年11月13日 (水)

ワットパクナムの道中にて

かすてら音楽夜話Vol.66

Yam361

<ルート464>OM-E10III/ED14-42mm

オフ会の続きです。うなぎを食べた後どうするかという話になり、Luntaさんお初となるワットパクナム日本別院へ行くことになりました。そう、ワットパクナムに行ってこそ、ヤムの会のスペシャル会員なのですね。もういっちょういっておけば、トンブリーにあるワットパクナム本院に行くことと、タイフェスにブースを出すワットパクナムにもお参りすると、ヤムの会ゴールド会員ですかね。

つーことで、成田市内をスクムビットさんのクルマで疾走します。それでも成田は広いですよ。クルマで片道小1時間ほどかかるもんな。

ま、そんな感じなので、いろんな話が交錯します。千葉県の台風の被害話から、千葉県知事の話まで。

千葉県知事といったらあの人ですね。何かと話題の。前職、衆議院議員、その前、参議院議員。輝かしい経歴です。東京都知事であった猪瀬直樹、舛添要一、小池百合子をもある意味凌駕しているかもしれません。

議員になる前は俳優なんですよ。それではお聴きください。

 

森田健作自身が歌う、「さらば涙と言おう」でございます。いい曲ですね。作詞:阿久悠、作曲:鈴木邦彦。阿久悠さんは「また逢う日まで」でレコード大賞を取りました。一方の鈴木邦彦さんは黛ジュンの「天使の誘惑」でこれまたレコード大賞を受賞しています。いうなれば、ゴールデンコンビです。

オープニングのスティールギター(ハワイアンで使用)とハーモニカが雰囲気出してますね。

この曲はテレビドラマ「おれは男だ!」の主題歌です。当然、主演は県知事で、YouTubeの映像を見てもなんかかっこいいですよね。原作は津雲むつみという人の週刊セブンティーンに掲載された娯楽漫画です。話はそれますが、原作者は15歳で漫画家デビューをし、「おれは男だ!」を描いた当時は19歳であったとのこと。県知事が当時22歳くらいでしたから相当な天才だったのかもしれません。でも、お亡くなりになっています。

で、このドラマ、もともと女子高であった名門校が共学となりましたが、男子生徒はわずかで女子が幅を利かせていた当時の言葉でいえば「ウーマンリブ」の学校でした。そんなところに転校してきたのが県知事演じる「小林弘二」でした。ウーマンリブに対抗すべく小林弘二は剣道部を立ち上げ、ウーマンリブに対抗していくという1話完結の連続ドラマです。これ、やたら再放送してましたので、Cafe de Castellaを見ている人はほぼご存じかと思います。

県知事が主人公であるならば、ヒロインは「吉川くん」こと早瀬久美ですね。脇を固める面々もすごいです。笠智衆に牟田悌三、河原崎長一郎、森川正太、田坂都などなど。石橋正次や志垣太郎もここで有名になったと思いますね。

ここで県知事演じる小林弘二は正義感に厚く、まっすぐな生き方をする好青年として描かれているんですが、最近の県知事の行動やマスコミへの対処はうなぎのようにくねくねしてますね。森田健作、「お前は男か!」といったところ。おあとがよろしいようで。

ちなみに、挿入歌も結構あっていずれも森田健作が歌ってます。

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<本堂>OM-D10III/ED14-42mm

さ、ワットパクナムに到着しました。翌日ロイクラトンだそうで、その準備をしてましたね。中の設備はほとんど変わってませんでしたよ。

ちなみに、午前中にお坊さんが読経して、そのあとお坊さんの食事。それが終わったら参拝者に食事がふるまわれるようです。我々が行った時も、お皿と料理が並べてあったテーブルがありました。次はこれですよ、kimcafeさん。あ、バンコクでご一緒しますか。

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2019年7月29日 (月)

キャセイパシフィック航空

かすてら音楽夜話Vol.65

次の旅も徐々に迫ってまいりました。

もう旅程も発表しちゃいましたし、ついでなんで航空会社も発表しましょうか。キャセイパシフィック航空となります。

キャセイは意外と使っています。初めて利用したのは1998年のことで、ネパールに行くのに、香港までキャセイになりました。この時はまだまだ旅の手配に慣れていませんで、フロンティア旅行、秘境旅行、特殊旅行専門の神田にある某旅行社に依頼しました。Luntaさん、お馴染みのあそこです。

香港からは当時のロイヤルネパール航空(現ネパール航空)乗り継ぎです。で、香港まではJALとキャセイどちらにしますかと問われ、まだ乗ったことのないキャセイにしたんです。キャセイはまだ日本の航空会社には導入されていなかったボーイング777型機を使用していて、新鮮な気分でしたね。

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<キャセイの翼>K-7/DA16-50mm

それからたまに使っています。香港-フィウミチーノ(ローマ)、シャルルドゴール(パリ)-香港、香港-デンパサール往復、香港-クアラルンプール、スワンナプーム-香港などなど。

成田から香港経由でスワンナプーム往復も2回ほど。このルートで一番効率のいい便に乗ると、香港での乗り継ぎが1時間切っている場合が多いです。それでも、香港到着時にバンコク行きの乗客は優先的に出ることができて、キャセイの係員の誘導で素早く乗り継ぐことができるんです。預けた荷物もきっちり出てきます。かなり早朝の便ですが、夕方にはバンコクに着き、おいしいタイ料理の夕食を味わうことが可能ですね。夏だったら日も暮れてませんよ。

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<香港国際空港>K-7/DA16-50mm

結構わかりやすい空港です。とはいえ、ターミナルは3つくらいあるのかな。それこそゲートは100以上ありますね。空港内の飲食店はさすがに香港の味なんですが、いかんせん物価が高いです。

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<雲吞麺>GR DIGITAL

いくらか忘れてしまいましたが、1000円程度するような。ま、街に出ればその半分程度で済むと思いますが。

ちょっと最近はキャセイとご無沙汰だったんですが、一番最後に乗った2015年にはキャセイなのに香港人ではない人民共和国の中国人が多数、乗っていることに気づきました。なんでわざわざと思いますが、この頃、キャセイドラゴン航空(旧香港ドラゴン航空)を傘下に加えたんですね。

キャセイは中国本土に飛んでないのですが、この子会社が中国本土に路線を多数持っていたんです。で、同じアライアンスですから、ちょっとした小金持ちが中国のエアラインではなく、キャセイを使うかという流れになってきたようです。

ちなみにワタクシも香港-クアラルンプールはキャセイドラゴン利用です。

ところで、キャセイパシフィック航空にはテーマ音楽があることをご存じでしょうか。

 

多分聴いたことがあるのでは。Barry White & Love Unlimited Orchestraで「Love's Theme(邦題・愛のテーマ)」でございました。

この曲インストゥルメンタルなんですが、なんとビルボード週間シングルチャートで1位を記録しています。たったの1週でしたが。そのほか自らが歌った「Can't Get Enough Of Your Love, Babe」でも1位を獲得しています(1週のみ)。

「愛のテーマ」なんて、紀行番組でやたらとつかわれてますよね。1位がたった2回だけでも、印税収入すごいでしょうね。今でもどこかで流れているからなぁ。でも、バリー・ホワイトは2003年に腎臓障害でお亡くなりになっています。

さて、昨日、e-ticket、列車のチケット、宿の予約確認書などをようやく印刷しました。一時なぜかプリンターが作動しなくなりましたが、これはちょっと前に交換した無線LANが原因で、前のやつに換えたら認識してくれました。WiFiで印刷できていいんですが、USB接続でいつもできたほうがいいですね。今度手に入れてきましょう。

さて、出発まであと数日。記事は毎日は書かないと思いますが、あといくつかは上げる予定です。

 

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2019年7月26日 (金)

ホリプロとハマショー

かすてら音楽夜話Vol.64

音楽話が止まりません。ま、これはナベプロの話にインスパイアされたもので、こういうものは忘れないうちにどんどん書いていくのがいいでしょう。

ナベプロに対抗するホリプロ。ニューミュージック系が強いなんて書きましたが、当初所属していたザ・スパイダースは独立しリーダーの田辺氏の起こした田辺エージェンシー所属となりました。ですが、井上陽水、RCサクセション、浜田省吾などが所属していました。ま、今は誰も所属していませんが。

Th2

<当時の浜田省吾>

ホリプロも創業者の堀威男が元バンドマンです。このあたりから、渡辺プロよりもバンドをやる人、自ら演奏する人などが多かったのかもしれません。歌謡曲の世界も和田アキ子などがいます。なんと、和田さん、現在もホリプロ所属。義理堅いですね。

実はホリプロも独立問題で恫喝めいたことをやっています。あの、RCサクセションもホリプロ所属だったのですが、担当マネージャーが自ら興した会社(りぼん)にRCごと独立したとき、あからさまな営業妨害に出たようです。やっぱり芸能事務所ってどこも体質が変わらないんでしょうかね。

さて、ホリプロですが積極的な新人発掘事業を展開することで知られています。古くは「スター誕生」から山口百恵を獲得しました。それとは別に「ホリプロタレントスカウトキャラバン」というものを独自に始め、これは現在も続いています。第1回グランプリはあの、榊原郁恵です。

このグランプリ獲得者は外れも多いですが、過去の受賞者で現在も活躍する人はかなり多いですね。ざっと上げると、堀ちえみ、井森美幸、山瀬まみ、戸田菜穂、深田恭子、石原さとみなどなど。深キョンは1996年というからキャリア長いですね。

この、3回目のグランプリ、1978年のことですが、その受賞者に能瀬慶子という人がいます。1回目の榊原郁恵が大成功したものですから、能瀬さんへのプッシュもかなりのものでした。ですが、彼女の弱点は…歌唱力というか、はっきりいって音程が取れないという致命的なものでした。

ちょっとこれをお聴きください。

 

はい、2枚目のシングル「裸足でヤングラブ」でした。

なんと、この曲の作者は浜田省吾なんです。曲ばかりでなく、作詞も担当してます。さすがに編曲は船山基紀ですが。当時の浜田省吾は一部のコアなファンはいたものの、曲をリリースしても今のように絶対に売れるということはありませんでした。

ですが、いい曲を書くということで、1970年代はかなりのホリプロ所属の歌手に曲提供をしています。すなわち、和田アキ子、榊原郁恵、山口百恵などへですね。能瀬さんのデビュー曲「アテンションプリーズ」も提供曲です(作曲のみ)。この不遇な時代の浜田省吾は曲提供で糊口を凌ぐところがあったようです。

「裸足でヤングラブ」もところどころ浜田省吾独特の節回しを感じ取ることができます。ところでハッキリいって音痴気味の能瀬さんに浜田省吾はレコーディングやそれ以前の練習などで同席していたんでしょうかね。「こうやって歌うんだよ、慶子ちゃん」なんてね。それもなかなかシュールな光景ですが。

浜田省吾は提供曲の一部をセルフカバーすることもあるのですが、「裸足でヤングラブ」「アテンションプリーズ」(他に2曲)などは今後絶対にセルフカバーすることはないだろうなあと思います。

ところで、その後の能瀬さんですがシングル4枚、アルバム1枚をリリースし、いずれも売れません。そして、1983年、20歳の時にあっさりと引退、原因は結婚だったようです。

 

せっかくの浜田省吾ですので、「もうひとつの土曜日」でシュールな世界から戻ってきてください。

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2019年7月24日 (水)

総立ちの女王とナベプロ

かすてら音楽夜話Vol.63

この間ジャニーズ事務所の話を書いたところですが、吉本興業でまたもやきな臭い動きが出てきました。

なんちゅうか、芸能界はやっぱりというか古い体質を引きずっていますね。今や芸能界もたくさんの芸能プロダクションが出てきました。その中で音楽業界の老舗といえば「渡辺プロダクション」です。

創業者は渡辺晋。もともとはジャズミュージシャンで、戦後のミュージシャンたちの収入面の不遇さに対抗するために自らプロダクションを経営し、それまで興行師というあいまいな存在な人たちが仕切っていた現場を自分たちで執り行うことで、会社が大きくなってきて、やがては芸能界のドンといわれるまでになってきたのです。

当初から所属していたのはハナ肇とクレージーキャッツ、ドリフターズなどですが、クレージーキャッツをメインに据えた歌謡バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」やクレージー映画のゲスト出演者に当時所属の歌手やタレントを起用していました。

こうなると泣く子も黙る渡辺プロですね。1970年代初期に女性アイドルとして人気を二分していたと思われる小柳ルミ子も天地真理も実はナベプロでしたし、GSではザ・タイガース、ザ・ワイルドワンズもナベプロです。歌謡界では内山田洋とクールファイブ、森進一、およそ考えられるほとんどのタレントがナベプロでした。

ナベプロはタレントに月給制を取り入れたといわれています。当初は目的にかなっていたんでしょうが、人気が出てきても大して給料が上がらず、より良い収入を求めてナベプロから独立しようとしたタレントはしばし、「干された」状態になったそうです。つまり、「(独立した)Aというタレントをお宅のテレビ番組に出演させるならうちの(ナベプロ所属の)タレントは出さない」という一種の脅しです。怖いですねぇ。

そんなナベプロですが社長の渡辺晋が亡くなり、夫人の渡辺美佐子が後を継ぎ、だいぶ丸くなってきたようですが、巨大プロダクションであることには変わりありません。

そんなナベプロで弱かった部門があります。それは、ロック・ポップス系のミュージシャンたちです。当時は「ニューミュージック」と呼ばれました。こちらに強かったのがホリプロで、スパイダースからモップス、井上陽水、RCサクセション、浜田省吾などが所属していました。

ナベプロもそちらを強化しようと、吉川晃司などを発掘しています。そうしたプロジェクトの一員となったのが別府出身の生粋のシンガー、山下久美子です。

 

こちら、山下久美子のデビュー曲、「バスルームから愛をこめて」です。

デビューは1980年。21歳でした。その年の大晦日、ワタクシはバイト帰りにこの曲が含まれるデビューアルバム『バスルームから愛をこめて』を購入しています。アルバムジャケットは山下久美子自身が写っているのですが、なんとも田舎臭い風貌でございました。ま、髪は今からは考えられませんがカーリーヘアというちりちりのパーマ頭で、それがかえって歳を食って見えました。

でも、歌は上手かったですね。

この曲はよくできていますよね。作詞・康珍化、作曲・亀井登志夫。YouTubeの映像はライヴなので直接関係ありませんがアレンジは松任谷正隆です。つまりは女性心理を伝える曲なのに男性が作った曲です。それもすごい。アルバムの中でも「一枚だけのビリー・ジョエル」とか何か引っかかる、当時の言葉でいえば「胸がキュンとなる」、胸キュンです。

この路線で行けばまずまずの歌の上手いシンガーのまま終わったかもしれません。その後、彼女最大のヒット曲「赤道小町 ドキッ」がリリースされます。そして、当時の学園祭に多数呼ばれ、「学園祭の女王」「総立ちの久美子」という呼ばれ方もしました。

この曲のクレジットは作詞・松本隆、作曲・細野晴臣です。このころから職業作家ではなくプロミュージシャンの作る曲へシフトしていったようです。そして、布袋寅泰との結婚。その後は布袋が全面バックアップをし、ロック系の曲が多くなっていきます。山下久美子はたぶん楽器を人前で演奏することはないし、布袋のバックアップがあったにせよせいぜい自作曲は作詞がメインだったと思います。

しかし、布袋が今井美樹に走り、ふたりは離婚します。

YouTubeの映像は2010年のものだとか。デビュー後30年のデビュー曲ですが、味が出てきたと思いませんか。わたしゃ、「赤道小町」なんかよりもこっちのほうがいいと思うけどな。それにしても、久美子さん若いですわ。

2019/07/25夜中のアップでしたので、やや文章がひどかったところを修正しました。

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2019年7月13日 (土)

ジャニーズの闇

かすてら音楽夜話Vol.62

ジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏がお亡くなりになりました。享年87歳ですか。

まあ、亡くなった当初は美談ばかりですね。とはいえ、昔からこの人には怪しい話がついて回ります。

おそらく、ジャニーズ事務所は男性ばかりをスカウトする男性アイドル養成所みたいな感じですね。初めてデビューさせたのがジャニーズです。メンバーには矢吹ジョーの声優であり、「水戸黄門」の助さん、はたまたソロ歌手でもある、あおい輝彦がいました。といっても、レコードデビューが1964年ではるか昔。すでに70歳を超えております。

解散は1968年。その後を追うように登場したのがフォーリーブスです。

 

ジャニーズ事務所はおそらくJASRACなんかよりも、著作権にうるさい事務所です。YouTubeに無断で映像が上げられようものなら、見つけ次第通報が行き、削除の対象となるはずです。

フォーリーブスの「ブルドッグ」がここで残っているということは、すでに解散(1978年)してしまったし、メンバーも二人亡くなっていることと関係するのでしょうか。ともかく、現役のジャニーズタレントの曲はほぼ上げても即効消される運命です。フォーリーブスが残っているのは奇跡に近いです。

この著作権問題ですが、山下達郎の所属する「スマイルカンパニー」と提携関係になってからうるさくなったのかもしれません。スマイルカンパニーの前社長が小杉理宇造氏で、その後ジャニーズエンターテイメントの社長になりました。山下達郎はミュージシャンとして自分の著作権は何としても守る立場ですね。それをジャニーズ事務所のタレントたちにも適用したと。

そのころと相前後して、ジャニーズ事務所のタレントに、職業作曲家ではなくプロミュージシャンたちの曲提供が相次ぎます。やまざきまさよしの「セロリ」、スガシカオの「夜空ノムコウ」(作詞のみ)、吉田拓郎の「全部抱きしめて」などなど。

ま、こういうものは、ジャニーズ事務所に流れるジャニー喜多川氏の独善的な空気に穴を開けるものだったのかもしれません。

話をフォーリーブスに戻します。1988年メンバーだった北公次(YouTubeの映像では右から二人目)がジャニーズというかジャニー喜多川氏の暴露本を出版します。それによるとジャニー喜多川氏の性的志向が北公次に向けられたものであったという内容です。

まあ、それ以前にも雑誌フォーカスやフライデーなどに所属タレントのとんでもない画像が掲載されていたりして、ジャニー喜多川氏の暗黒面は結構有名だったですね。

フォーリーブスもアイドルとして約10年間活動しています。でも、アイドルとしてはそのくらいの期間が当然という空気ですかね。所属タレントが独立することもそんなに珍しくなかったですね。元ジャニーズ事務所所属タレントとしては、郷ひろみ、田原俊彦、近藤真彦などのソロシンガーがいます。

その後、SMAPや嵐が国民的アイドルとなるあたりから空気が変わってきたみたいですね。嵐もKinki Kidsも気づけばデビュー20年以上です。櫻井翔だって37歳だし、Kinkiのふたりは40くらいでしょ。こりゃ、手放したくないですかね。

ジャニーズ事務所、ジャニー喜多川氏が亡きあともこの路線で行くんでしょうかね。ジュニアでバックダンサー、その中から選りすぐってグループ結成と。古典的手法ですが、子供は騙されちゃうからな。

「ブルドッグ」作詞が伊藤アキラ。歌詞が面白いですね。ちなみに「南の島のハメハメハ大王」の作詞もこの人です。

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2019年6月30日 (日)

ステージの陰で

かすてら音楽夜話Vol.61

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<路上ライヴ>KP/DA18-50mm

6月最後となりました。あと、1か月で旅立ちでございます。

とはいえ、ネタ切れ状態は否めず、そういう時に登場するのが音楽話です。

先日のマラコー、トーマスさんをお迎えして懐かしの70年代いや、昭和歌謡をぶちかましましたが、その続きのようなものです。

ちあきなおみという歌手がいます。正式に引退表明はしてないはずですが、ひっそりといつの間にか活動を停止してしまいました。

デビュー曲は「雨に濡れた慕情」。1969年のことです。その後、1970年に「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」という曲がオリコンシングル週刊チャートで連続トップ10入りしました。この年の紅白歌合戦に初出場し、人気歌手の仲間入りをします。

ちあきなおみ、コロッケの物真似(というかデフォルメした形態模写)でも知られていますが、グラマーといっていいスリーサイズの持ち主なんです。連続トップ10入りのこの2曲、「お色気アイドル」みたいな形で扱われてもいます。トーマスさんの「知子のロック」も初期のころは「X+Y=LOVE」をカバーしていたようです。ヴォーカルの知子さんもかなりのグラマーでした。

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<某氏のオンステージ>GR DIGITAL

ちあきなおみは歌唱の他「元祖どっきりカメラ」や「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」などのバラエティー番組にも出演させられるほどで、歌手というよりはやや歳のいったアイドルみたいな感じの立ち位置だったのかもしれません。

それが、1972年にこの曲をリリースします。

ちあきなおみの代表曲かつ最大のヒット曲「喝采」でした。ワタクシがマラコーでトーマスさんとデュエットしたのも「喝采」でございます。YouTubeの映像ではフルコーラスではありませんが。

秋の発売でした。それがじわじわと売り上げを伸ばし、気づいてみれば1972年のレコード大賞を受賞することになります。ちなみにオリコンチャートは1位を獲得していません。最高位2位でした。なぜ1位になれなかったというと、16週間連続1位を獲得したメガヒット、ぴんからトリオの「女のみち」という曲があったからです。

ちあきなおみは国民的歌手、美空ひばりとよく比較されます。美空ひばりが感情をかなり表に出して歌うのに対して、ちあきなおみは感情を抑え淡々と歌う中にその思いがこちらにも伝わるようなところがありますね。

そして、この曲はちあきなおみの実体験に基づいて書かれたともいわれていますが、作詞の吉田旺によれば、自身の体験を元にしたものだそうです。でも、デビュー前のちあきなおみには兄のように慕っていた人物がいて、その人物は実際に亡くなっていたとのことです。偶然が重なった曲ですね。ちあきなおみの思い入れも出ますよね。

作曲は「北酒場」の中村泰士。「喝采」では♪♪♪という三連符が多用されています。サビの部分でいうと、「あれは 三年前 止める アナタ 駅に残し」 (太字着色部分)がそうです。三連符、インパクトが出ますよね。ここに限らず、全面に三連符が用いられています。これを淡々となしてしまうちあきなおみもタダものじゃないです。

「女のみち」には売り上げではかなわなかったものの、その後も多くのシンガーたちにカバーされたのが「喝采」ですね。ま、「女のみち」はカバーしたい曲とはいえませんが。

直接ここで映像を出してしまっても消される可能性があるので、リンクだけ貼っておきます。

JUJU版

JUJUというのは、ジャズ、R&B、ヒップホップ系の女性シンガーですが、守備範囲は広いです。そして、歌も上手いんじゃないでしょうか。NHKで三浦春馬と「世界はほしいモノにあふれてる」という紀行番組にも司会を担当しています。この番組、なかなかいいです。

スガシカオ版

スガシカオは、30歳でシンガーソングライターに転身した元サラリーマンです。ファンク系の曲が多いんですが、1966年生まれですから、「喝采」も自然と歌えるんでしょう。でも、スガシカオっぽくないかな。

エレファントカシマシ版

YouTubeの映像はNHK「Covers」で実際に演奏された音に、アップ元の人物がギター演奏シーンをかぶせたものです。ミヤジも1966年生まれで、なんとキーをちあきなおみと同じに設定してます。子供のころテレビでよく見てちあきなおみへのリスペクトも感じさせる内容ですね。石くんのギターのトレモロもいいなあ。
エレカシは「赤いスイートピー」も番組でカバーしてるんですよ。オリジナルとは別にカバーアルバムも出してほしいと思うのはワタクシだけじゃないのでは。

Kassai

 

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2019年6月24日 (月)

リメイクしてレコード大賞

かすてら音楽夜話Vol.60

先日の土曜日、大久保の「リスちゃん」にてヤムの会が行われました。リスちゃんの話はまた後日アップします。すでにkimcafeさんのところでアップされてますが。

Tomokonorock

<知子のロック>

この時ゲストとして元「知子のロック」の司会兼ベーシストであった「トーマスさん」(右からふたり目)をお呼びしました。もう誰も知らないと思うんですけど、1997年、彼らはCDデビューしまして、渋谷でのライヴに足を運び、ちょびっとばかり知り合いになったんですね。

その後彼らは解散してしまうんですが、facebookにてトーマスさんのお名前を見つけ、ネット上でのやり取りをしていたわけです。で、ヤムの会というと、タイカラオケとセット。その話をトーマスさんに振りますと、是非にということで約20年ぶりの再会となったわけです。

知子のロックはかつてのグループサウンズ風でもあるんですが、ベースになっているのか昭和の時代の歌謡曲です。それらをあちこちに散りばめているのです。で、そういうバンドでしたので、タイカラオケ、マラコーではありますが、トーマスさんがどんな曲で攻めてくるか楽しみだったんです。

で、ワタクシもしょっぱなにうたったのがこれです。

 

尾崎紀世彦、「また逢う日まで」でした。

Wikipedhiaによると、結構下積み長いみたいですね。その後ソロとなります。当時ワタクシもテレビなどで見ていましたが、急に出てきた新人みたいに思えました。トレードマークはもみあげです。YouTubeの映像では髭もありますが、当時はありませんでした。

1971年の曲ですが、当時このようなもみあげを生やす日本人はほぼ皆無でした。でも、エルビス・プレスリーとかトム・ジョーンズなどはもみあげを生やしていたんですね。でも、そんなことを知っている日本人はほぼいませんので、尾崎さんのもみあげは非常にインパクトがありました。

で、新人離れした歌唱力。この曲はあれよあれよという間に、日本レコード大賞と日本歌謡大賞のダブル受賞となります。やっぱり、曲も詞もいいもんな。作詞・阿久悠、作曲・筒美京平(編曲も担当)です。YouTubeの映像では2番のサビを1回で終わらせていますが、シングルでは2回繰り返します。

でも、「また逢う日まで」は実は焼き直しの曲なんですね。こちらもお聴きください。

 

はい。ズー・ニー・ヴー「ひとりの悲しみ」でした。

ズー・ニー・ヴーというのはグループサウンズに属するのでしょうか。わたしゃ、彼らを実際に映像で見たことがないと思います。音だけは聴いたことがあります。最大のヒット曲は「白いサンゴ礁」です。松田聖子じゃありませんよ。

リードヴォーカル、町田義人。彼はその後ソロに転じ、角川映画のテーマソングがかなりヒットしました。

で、この「ひとりの悲しみ」まったく売れません。曲は同じく筒美京平さん。聴けばわかりますね。作詞も阿久悠さんです。この曲を埋もれさせるのがもったいないと考えたディレクターが阿久悠氏に詞を書き直してくれるよう何回も頼み込んで、「また逢う日まで」が出来上がったとのことです。

めでたし、めでたしです。

でも、ズー・ニー・ヴーの「ひとりの悲しみ」結構ワタクシ的には好みです。で、なんと、DAMにありましたよ。「ひとりの悲しみ」。今度はこれ歌っちゃおうかな。マラコーはタイカラオケはパソコンから流しますが、その他の曲はDAMを使ってるんですね。

<追記>
ズー・ニー・ヴーの「ひとりの悲しみ」、引っ張ってきましたが、このブログ上では再生できませんので、そのままYouTubeに飛んでください。聴くことができます。町田義人さん、なかなかソウルフルな声です。こちらも、魅力的ですので。

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2019年6月 3日 (月)

もう一人のピアノマン

かすてら音楽夜話Vol.59

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<駅のピアノ>K-7/DA16-50mm

以前このカテゴリーでビリー・ジョエルを取り上げました。ワタクシのジェネレーションでいうと、自分でピアノを弾いて歌う偉大なアーティストはやっぱりビリー・ジョエルなんです。1977年にアルバム『Stranger』に収録された「Just The Way You Are/素顔のままで」でグラミー賞最優秀楽曲省(Song Of The Year)と最優秀レコード賞(Record Of The Year)をダブル受賞。それからは飛ぶ鳥を落とす勢いで売れました。

日本でいうと、原田真二とかいましたね。

でも、それ以前から現在まで活躍してきた偉大な歌うピアニストがいます。Elton Johnです。なんたって、ワタクシが初めて購入した洋楽のEPシングルは「Crocodile Rock」なんです。当時、どういうわけか近所の電気屋でレコードを販売していました。よく考えると、そこでよくぞ洋楽のシングルを売っていたなと思います。

余談になりますが、「クロコダイル・ロック」はビルボードのシングルチャート1位を獲得していますが、その後この電気屋でRasberriesの「I Wanna Be With You(明日を生きよう)」(ビルボード16位)なんてものまで置いてあったんですから、電気屋の主人、相当な洋楽ファンだったのではないかと。

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<当時の風貌>

で、当時は洋楽を紹介するテレビ番組はほぼありませんでした。すでにビッグな存在のすでに解散してしまったビートルズの映像などはありましたが、エルトン・ジョンの情報はもっぱらラジオでした。楽曲はすごくいいなと思って、レコードを購入したのですが、そこで初めてエルトンの風貌に触れたわけです。

何だこりゃ、ですよ。その後、二度とエルトンのレコードを購入することはなかったんですが、曲は凄いですよね。で、この人、なんか変だなと思ったら両性愛者だったんですね。わかりやすくいうと、両刀遣いです。あの、フレディ・マーキュリーと一緒ですわな。1984年にはドイツ人女性と結婚してます(その後離婚)。そして、2005年には同姓結婚してます。

風貌からすると、若くしてすでに禿げ上がっていますがその後植毛手術し、視力矯正にも成功しているようです。

フレディ・マーキュリーはエイズで死んでしまいましたが、エルトンは元気ですね。でも、友人をだいぶエイズで亡くしているようで、1992年以降、シングルの全収益を自ら設立したエイズ基金に寄付しているそうです。

ビリー・ジョエルが「ピアノマン」なら、エルトン・ジョンは元祖「ロケットマン」です。では、お聴きください。

 

んー、トランプ氏、北の委員長とエルトンをどこかで結び付けているのかもしれません。あるいは、まったく知らないか。ともかく、ビリー・ジョエルよりもビルボード1位獲得曲が多く、音楽性もより深いです。エルトン・ジョンがデビューしたのは1969年ですが、ビリー・ジョエルは1971年。メジャーになったのはもちろんエルトンがずっと先です。でも、二人の歳の差はたったの2年。エルトン・ジョン、1947年生まれ。沢木耕太郎と同い年ですね。ビリー・ジョエル、1949年生まれ。

この二人、長年ジョイントツアーもやっていました。

ちなみに、イギリスではナイトに叙勲されてます。両刀遣いだけど。

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2019年5月16日 (木)

元祖ガールズバンド

かすてら音楽夜話Vol.58

Hs0236

<香港の広告>K-7/DA21mm

いきなりのローラの登場でございます。といっても、あまり本文とは関係ございません。

できたら、香港の女人街の「下着」の画像でもあればよかったんですが、手持ちではありませんでした。ま、下着の画像ならワタクシの洗濯物なんかがありますがあまりにも風情がありません。ともかく、今回は下着がキーワードです。

ガールズバンド、もはや昨今ではジェンダーがどうこういう時代ではありませんが、SHISHAMOとかチャットモンチー(どちらもよく知りません)、古くはプリンセスプリンセス、SHOW-YAあたりが日本では最初に出てきた女性だけのバンドでしょうか。

ただの女性グループなどはアイドル的なものを含め、古くから活躍していますが、女性だけですべての楽器を演奏するバンドは意外に少ないです。

では、元祖とも呼べるバンドはやっぱりアメリカの出身。The Runawaysではないかと思います。1975年に結成され、1979年まで続いたグループです。結成当時平均年齢が16歳とのことですから、全員還暦過ぎてます。アメリカ出身なんですが本国では成功したといえず、どういうわけか日本で売れに売れました。

なぜ?それは衣装が下着だったからではないでしょうか。日本公演も行って、たぶん日本のテレビ番組にも出演したはずです。当時の中高生(男子)たちは、親に隠れてテレビをつけたり、あるいは見たいのに見れなかったりしたのではないでしょうか。

ま、たまたま、YouTubeを検索したら、あったんですよ。公式チャンネルが。では、ご覧ください。

 

ということで、彼女たちの唯一の(日本での)ヒット曲、「Cherry Bomb」でございました。

いやあ、あれですね。ワタクシ、彼女たち全員が下着姿だと思い込んでいたんですね。下着というか、コルセットとガーターベルトだけという衣装はヴォーカルのCherie Currie(シェリー・カリー)だけなんすね。あとは、普通だわ。それにさ、今見ると全然過激でも何でもないですよね。でも、40年以上前はこれでも過激だったんですね。

ま、彼女たちは短命に終わりましたが、その後、The Go-Go's、The Bunglesなどが成功を収めることになります。たぶん、The Runawaysがいなければ、女性だけでロックバンドをやるという人たちは1980年代にあらわれなかったかもしれません。

ただ、彼女たちもその後はある程度成功を収めています。

ヴォーカルのシェリー・カリーはその後ソロに転向し女優としても映画に出演しています。

ギターのLita Ford(リタ・フォード)もソロに転向し、ハードロック・ヘビーメタル系の活動を行いました。ソロですから歌も歌うんですね。YouTubeでは髪の長いほうのギターで中間部でソロを弾いています。

もう一人のギター、Joan Jett(ジョーン・ジェット)が最も成功した人ですね。YouTubeでは髪の短い一番左のポジションの人で、The Runawaysではリズムギター担当です。彼女は男性3人と組んだ、Joan Jett & The BlackHertsで1982年にシングル「I Love Rock 'n Roll」でビルボードの週間シングルチャート1位を獲得しています。

さて、ネタのない日々があと2か月以上続きます。引き続きリクエスト募集してますわ。

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2019年5月 5日 (日)

風貌は変わっても

かすてら音楽夜話Vol.57

Bko3300424

<若き時代>EM10/ED14-42mm

人間若い頃はいいですよね。見かけもいいし、ピチピチしてます。若さには誰も文句はつけられません。

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<年を重ねて>EM10/ED14-42mm

でも、年を重ねていくと味が出てくるものです。人生の機微みたいなものも身に着けて、世の中をうまく渡り歩くすべを知っています。

☆画像はバンコクの庶民の皆さんを登場させました。そのあたりすんませんです。

何がいいたいのかというと、まあ、本日の出来事を聞いてくださいませ。

本日某所に法事に行ったのですね。もうン10年ぶりに会う親戚の皆さんもいたくらいで、その風貌の変化に驚愕したというわけです。でも、名乗られなくても全員わかりましたが。

今の天皇などは生まれた時からテレビカメラがあって、60年近くそのお姿をマスコミに追いかけられ、我々視聴者が見届けているわけです。こういう例は個人として日本初ですよね。

同じく、若い頃からテレビカメラ、もしくはカメラで報道され続けられているのが、芸能関係の人々。人気歌舞伎役者の子供などはこれからそういう運命をたどっていくものと思われます。これに近い存在は実名を出してしまいますが黒柳徹子女史でございます。この人なんかは日本のテレビ史と一体化していて、しかもほぼ毎日テレビに出続けていますから、若い頃と現在を見比べてもすぐにわかりますね。同じような人には財津一郎とか伊東四朗、吉永小百合などがあげられますが、黒柳さんにはかないません。

甲斐よしひろという人がいます。YouTubeから引っ張ってきましたが、公式サイトのものではないので、いつか削除されてしまうかもしれません。1989年のものといいますので、今から30年前の甲斐よしひろです。

いうまでもなく甲斐バンドの甲斐よしひろ。1953年生まれですから36歳くらいの映像ですね。デビューは1974年、21歳の時です。おそらくその時のデータですが、Wikipediaによると、身長165cm、体重48kgとあります。ものすごく痩せていたんですね。ワタクシはその翌年のセカンドシングル「裏切りの街角」を演奏するのをテレビ番組で見た記憶があります。すごく刺々しい感じがしました。

YouTubeの映像ですが、1989年は甲斐バンドが解散している時期で、ソロの映像です。すでにデビューから15年経過していますが、ほっそりしていますね。

甲斐バンドは数回解散と再結成をしていて、解散している間にも甲斐よしひろはソロプロジェクトを継続しています。当時のロック、ニューミュージック系アーティストは極力テレビの歌番組には出ない傾向がありますが、TVKなどの純粋にライヴ映像を流す番組には甲斐バンド、甲斐よしひろのソロプロジェクトは登場していたようです。

先ほどの黒柳徹子ほどじゃありませんが、ぽつぽつテレビで流れていたと。でも、そのソロプロジェクトをやっているあたりから甲斐さん、だんだんとふくよかになってきたんですね。

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最近の甲斐よしひろです。もう顔がパンパン。村上龍かと思ったぜ。最近はサングラス着用が当たり前みたいになってきまして、ちょっぴりおばさんっぽい感じも。

ビジュアルをある程度重視する世界ですから、昔のイメージを維持することも大事ですね。ま、あんなに突き刺さるようだった甲斐さんも今年66歳ですから、しょうがないやね。わたしゃ、10年ぶりにアルバムをリリースした時の浜田省吾の白髪にも衝撃を受けましたが。その他はイメージ変わんないもんな。

スキンヘッドになってしまったビリー・ジョエルとか本当にツルッパゲになってしまったジェームス・テイラーなんかよりいいんじゃね。ホント、外国人の風貌の変化はとんでもないですからね。

そんな甲斐さんですがなんとデビュー45周年です。最近は本業では目立ってないようですが、そのうち活動再開してくれるでしょう。

なんかひどいことを書いてしまったようですが、芸能生活はこういうことも大事ってことで。ファンのヤン水君、ペンタのPさん、すんません。次、マラコー行ったら「安奈」は無理でも「Hero」歌わせていただきます。

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