カテゴリー「Music Talk」の84件の記事

2020年7月10日 (金)

旅に出たくなる曲・洋楽編

かすてら音楽夜話Vol.84

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<旅の風景>K-7/DA16-50mm*イメージです

旅に出たくなる曲、第2弾。第1弾はドメスティックということで、日本の楽曲で日本の旅をイメージするものをセレクトいたしました。今回は海外の楽曲(といっても英語圏のものですが)で海外の旅をイメージするものを選びました。

では、行ってみましょう。

1曲目

 

Olivia Newton-John(オリビア・ニュートンジョン)の「Take Me Home, Country Roads」(邦題「故郷へ帰りたい」)でした。

これはかなり古い曲ですが、スタジオジブリのアニメ映画でも主題歌になっていますので、結構幅広い年齢層に知られていると思います。

オリジナルはJohn Denver(ジョン・デンバー)というカントリー歌手が1971年に歌ったものです(ビルボード誌週間シングルチャート2位)。オリビアのカバーは1973年ですが、アメリカでは100位圏外です。

ではなんで、オリビアのカバー版かというと、日本でもこの曲がシングルカットされ、オリコン洋楽チャートでは堂々の1位だったんですね。でも、まだまだ日本での知名度はいまひとつだったんですが、1974~1975年にかけての「I Honestly Love You」(邦題「愛の告白」)と「Have You Never Been Mellow」(邦題「そよ風の誘惑」)のビルボードシングル週間チャート連続1位によって、知られるようになりました。

それによって、日本でもラジオ等で特番が組まれ、この曲も含めて過去のシングルなども紹介されました。テレビなどでもオリビアの顔とか映像が流れるようになったと思います。あのルックスですからこりゃ売れますよ。声もさわやかですし。

個人的にはジョン・デンバーでもいいのですが、ノリがカントリーぽくオリビア版のアカペラコーラスから始まるこちらが好みです。ジョン・デンバーよりもテンポもやや速くて好きですね。

オリビアはその後デュエットを含めて3曲の全米1位を獲得しています。ジョン・デンバーは1997年に自分で操縦したプロペラ機の事故で亡くなってます。

2曲目

 

Electric Light Orchestraの「Last Train To London」(邦題「ロンドン行き最終列車」)でした。

エレクトリックライトオーケストラ(以下ELO)は映像からわかるように、ロックバンドとクラシックの弦楽器を合体させたグループです。あまりないタイプですよね。

日本では後追いみたいな感じですが、上田知華+KARYOBINや葉加瀬太郎のクライズラー&カンパニーなどがありますが、いずれも音大系のクラシック畑の人が始めたグループですね。ELOのリーダー、Jeff Lynn(ジェフ・リン)はマルチプレイヤーではありますが、クラシック系の楽器を演奏する人ではありません。

男性のみのバンドで、ルックスもすっかりおっさんばかりなんですが、アメリカやイギリスはこういう人たちでも、音がしっかりしていればそれなりにヒットするんですね。この曲を含むアルバム『Discovery』はELO最大のヒットとなりました。

この曲には「Last train to London」という、どこかの駅のアナウンスが入っているそうです。でも、ロンドンには「ロンドン駅」はないんですよね。ヴィクトリア駅とかウォータールー駅とかですね。深読みすると地方の人が土地勘のないロンドンに行くようなものでしょうか。それも、窓の外が真っ暗で駅の明かりしか頼るものがないといった不安感があふれた感じですかね。

ちなみに、その後のELOは映画「Xanadu」で前記のオリビアと曲を出しています。

3曲目

 

Linda Ronstadtの「Desperado」(邦題「ならず者」)でした。ちなみに、シングルカットはされてません。

オリジナルはEaglesでドン・ヘンリーとグレン・フライの作品です。イーグルス版では同名タイトルのアルバムに収録されています。これはコンセプトアルバムで、アメリカ開拓時代のギャングがテーマとなったものです。

これをリンダがカバーすることになったのは、もともとイーグルスはリンダのバックバンドとして集められたグループだった関係からでしょう。

この前の記事内のコメントでlastsmileさんが井上陽水の「積み荷のない船」を挙げていらっしゃいましたが、その「劇的紀行・深夜特急」ではオリジナルのテレビ版、第二便の「西へ!ユーラシア編」のラストで、この曲が使われました。場面は大沢たかお扮する沢木耕太郎がイランのどこかでヒッチしたピックアップトラックから放り出されるところです。テヘランへ行くはずが、途中の砂漠のようなところで降ろされてしまったシーンですね。

テレビ版ではLed Zeppelinなども効果的に使われていたのですが、のちのビデオやDVD化にあたり、この曲を含めほとんどが「積み荷のない船」に差し替えられていたんですね。著作権料などの問題もあったんでしょうけどね。でも、イランの砂漠の街道で「Desperado」と「積み荷のない船」では印象が全く違います。

このシーンは音楽と相まってこのドラマで一番の見どころかもしれません。それだけに残念ですが。で、紹介するのもイーグルスのオリジナルではなく、リンダ・ロンシュタットなのであると。

以上、ワタクシの勝手なセレクトですが、いかがだったでしょうか。まだまだあると思いますよ。ご意見もお待ちしております。

予告ですが、日本の楽曲でも海外の旅を連想する曲がいくつかありますので、第三弾やります。また、よろしくです。

今日のナニコレ

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<布マスク>PowerShot

コロナが長引きそうでございます。まだ不織布のマスクのストックはありますが、通販で買ってしまいました。やっぱりこの時期暑苦しいかも。

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2020年7月 6日 (月)

旅に出たくなる曲・ドメスティック編

かすてら音楽夜話Vol.83

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<旅の風景>K-7/DA16-50mm*あくまでもイメージです

先日、lastsmileさんからのご提案がありました。「旅に出たくなる曲」です。いろいろとあるのですが、国内偏と海外編に分けましてご紹介していこうと思います。

こんな時期で実際には近くの他県への日帰りでさえ、眉をひそめられるようなこともあると思いますが、ヴァーチャルでも旅をイメージできたらなと企画いたしました。

今回は国内旅です。

1曲目

 

奥田民生「イージュー★ライダー」(作詞・作曲:奥田民生)でした。

この曲は「東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい…」のテーマソングとしても使用されています。一部歌詞を変えてありますが、ベーシックトラックは同じでしょう。

タイトルに意味はありませんが、アメリカ映画「Easy Rider」をもじったものですかね。この映画は当然ながらロードムービーでバイク(ハーレーダビッドソン)とクルマの違いはあれ、ロードムービー的なイメージの曲ですね。コンピレーションアルバムですが「イージュー★ライダー」も『Car Songs Of The Year』に収録されています。

奥田民生としては「さすらい」という曲もあるのですが、個人的な好みからこちらにしてみました。

クルマで走っていく曲というと、ユーミンの「中央フリーウェイ」もあるんですが、後日ユーミンを取り上げる予定なので、ここでは割愛させてもらいました。

2曲目

 

斉藤和義「メトロに乗って」(作詞・作曲:斉藤和義)でした。

東京メトロのイメージソングですね。登場する女性は武井咲です。1コーラス目の花火のところで、斉藤和義も一瞬出ています。

東京メトロ、ごくまれに乗ることもあるんですが、この曲が流れているのはきいたことがないですね。こういう曲って、制約が多いと思うんですよね。おそらく、東京メトロ側からこことあそこの駅名を入れてくれとかですね。

斉藤和義という人は、レコーディングなどでもすべての楽器を自分で録音していくスタイルです(ほかのミュージシャンを起用することもあります)。いわば、スタジオオタクともいえます。「メトロに乗って」のドキュメンタリーもYouTubeで見たのですが、限られた日数の中で試行錯誤しながら結局作り上げてしまうという。スタジオと自宅との往復くらいで、最近は自作ギターなども作っているという斉藤和義なので、東京在住期間もかなりのものになると思いますが、東京の街にはそれほど詳しくないのではと思います。作詞の苦労もあったでしょう。

この映像なんですが、個人がアップしたものなんですよね。いつか削除されてしまうかもしれない不安も付きまといます。まあ、そうならないことを祈りましょう。ちなみに斉藤和義は栃木県出身で山梨学院大学に進学してます。

電車で近場に行くというのもひとつのショートトリップですかね。猫というフォークグループの「地下鉄に乗って」(作曲は吉田拓郎)という曲もありますが、ワタクシ的にピンとくるのは「メトロに乗って」です。

3曲目

 

草刈正雄「ステーション」(作詞:うさみかつみ 作曲:鈴木邦彦)でした。

1976年の作品ですね。当時草刈さん、23歳です。芸能界入りしたのは資生堂の専属モデルでしたが、のちに俳優に転向。あのルックスですから人気は出ますよね。俳優業と並行してレコードも出していました。

この曲を聴いたのはラジオの深夜放送でしたかね。「おっ、草刈正雄って歌うまいじゃん」なんて思いました。ちなみに編曲は前田憲男。草刈さんのさわやかさと朝のイメージが音で表現されてますね。この映像も個人のアップロードなのでいつまで見ることができることか。

イメージとしては失恋の歌ですか。早朝始発の駅、それも、私鉄ではなくJRもとい、当時の国鉄の地方の小さな駅ですか。ここから電車か列車に乗って遠くのどこかに行くというイメージがワタクシにはあるんですね。ずいぶん後になって、中古レコード屋でこのEPシングルを見つけたはずです。思い入れはありますよ。

現在の草刈正雄というと、戦国武将とかキャリアを積んでリタイヤしたいい味を醸し出すおじさんみたいな役どころが多いですかね。でも、当時はものすごい人気があったみたいで、シングルやアルバムもかなり出しています。そんな中からギルバート・オサリバンの「Alone Again」を日本語でカバーしていたり(これが結構うまい)。YouTubeで探すと出てきますよ。

ということで、旅に出たくなる曲・国内偏でした。浜田省吾「夏の終わり」も入れたかったけどな。YouTubeにないんですよね。しばらくしたら海外編もやります。

★リクエスト募集してます。お気軽にどうぞ。

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2020年7月 1日 (水)

コロナに負けるな・応援ソング3選

かすてら音楽夜話Vol.82

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<ジョージタウン>KP/DA21mm*画像は本文と関係ありません

東京のコロナ感染者、連日の50人越えでございます。

まったく、どうなってるんだと、テレビを見ればコロナに限らずの過熱報道ばかりです。こういうときくらい、前向きに行きましょうということで、個人的に選んだ元気の出る曲を3つほど紹介します。

今回ほぼうんちくはなしで。

では、1曲目。

 

ウルフルズの「ええねん」(作詞作曲:トータス松本)でした。

わたしゃ、関西人ではありませんが、「あまりモヤモヤしたこと、考えるなよ。頭を空っぽにして力を抜いて行こうぜ」という、メッセージが込められているように感じます。

実はメンバーのジョン・B・チョッパー(ベース、これ芸名です)が、一時期ウルフルズを離れていたことがあって、彼のバンド復帰に際して作られたメッセージソングです。(←しっかりうんちく出してます、すいません)プロモーションビデオの内容も、そんな感じになってますね。

2曲目

 

エレファントカシマシの「笑顔の未来へ」(作詞作曲:宮本浩次)でした。

本当は「俺たちの明日」でもよかったんですが、以前取り上げたので、こちらを紹介しました。

普段は男気を前面に打ち出すミヤジですが、当時5歳のモデルとの対比が面白いです。まあ、これはあくまでも演出ですが。あの女の子はすでに17~18歳くらいになっているはずです。

ちなみに、原題は「涙のテロリスト」です。過激なタイトルですが、なんかよくわかりますね。歌詞の一部にも出てきますね。

3曲目。もう、これは誰もが知ってる曲。

 

スガシカオの「Progress」(作詞作曲:スガシカオ)でした。

元々はNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」のテーマソングです。番組ではスガシカオ名義ではなく、kōkua名義です。

スガシカオはファンク系のソロシンガーです。でも、このようなバラードも歌えます。彼のアルバム等でのパフォーマンスはどちらかというと、クールに聴こえるんです。でも、このスタジオライブの映像ではすべてをぶつけているように思います。こういう一面もあるんだなと思いました。

というのも、このライヴは東日本大震災の復興のために配信されたものなんです。ダウンロードされた売り上げの一部が義援金に使われたそうですね。現在の状況も、この曲が応援へのメッセージを変わらず持ち続けていると思いました。

さて、トータス松本、宮本浩次、スガシカオに共通することがひとつだけあります。

それは、全員1966年生まれの同級生ということです。この年代には斉藤和義という人もいるんですが。それはまた後日。

★引き続きリクエスト募集しております。2回目でもOKですよ。

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2020年6月21日 (日)

シモンズ、悪魔やめるんだってよ

かすてら音楽夜話Vol.81

今回はどなたのリクエストでもありませんが。ちょっとこの前、興味深いドキュメンタリー番組をやっていたのでございます。

で、タイトルの「シモンズ」。明治チェルシー「アナタニモ、チェルシー、アゲタイ」で有名な大阪出身の女性フォークデュオ…ではありません。ちなみに、このデュオはアイドルキラーである後藤次利というベース弾きの毒牙に、低音パートの玉井タエさんが引っかかってしまい、解散いたしました。

ちなみにその後、後藤氏は木之内みどり、河合その子とアイドルを妻にとっかえひっかえでございました。ま、現在も某漫才師の片割れが大騒ぎになってますが。この手の男はいつでも出現しますね。特に音楽界。小林武史とか小室哲哉とか。

Genesimonz

余談が長くなりましたが、シモンズとはこの人、Gene Simmons(ジーン・シモンズ)のことです。

もう見たら誰でもわかるでしょ。アメリカのハードロックバンド、KISS(キッス)の顔でもありベーシストのジーン・シモンズです。メイクしているのでわからないでしょうが、1949年生まれですから誕生日が来れば71歳ということになります。

正式結成は1973年ですが、それ以前からバンドは行っていました。今年で47年です。この人の場合、メイクもさることながら、総重量20キロになる衣装と20センチにもなるという超厚底ブーツを身に着け、演奏以外にも火を噴いたり、血を吐いたり、空中に上がるパフォーマンスも行っております。ちなみに、身長は190センチだそうで、ブーツ込みだとすごい身長になります。

 

パフォーマンスはこんな具合です。バンドは40年以上やってますので、メンバーチェンジもありますが、ヴォーカル&ギターのPaul Stanley(ポール・スタンレー)とジーン・シモンズだけがオリジナルメンバーです。リードギターとドラムスはメイクはしているものの、契約メンバーとのことです。

ジーン・シモンズは大変な実業家でもあり、各メンバーのメイク(ペルソナ)は商標登録され、厳重な管理を行っています。そしてバンド関連のグッズ開発なども行い、これらによって、彼らは大変な収益を上げているとのことです。

ですが、一時期白塗りのペルソナをやめたことがありました。

 

結局は再びメイク姿に戻ることになりますが、このことがかえってメイクによる擬人化をより明確にし、各キャラクターを以前よりも具体的に打ち出すことにつながったのではないかと考えます。

KISSというバンドは、楽曲・アルバムがメガヒットしたことはないと思いますが、世界中にツアーに出ていて、しかもファン層が厚いですね。CD聴くだけじゃなく、実際に動く彼らを見たいと思う人はかなりいると思います。やはり彼らはライヴバンドです。

そんな彼らも孫がいるような年齢層になってきています。次の映像をご覧ください。

 

ももクロとのコラボですね。もうデレデレでしょ。

ジーン・シモンズはユダヤ人で母親はドイツでナチの強制収容所に入れられた経験を持っていました。イスラエルからアメリカに移住し、苦労を重ねてここまで来たのですが、まずやったことはユダヤ人の名前から改名し、メイクを施し完全なキャラクターになることだったのでしょうね。そして、信じられるものはお金なんだそうですよ。

20キロの衣装を着けて2時間のパフォーマンスを繰り返すことにもはや限界が来ているとのことで、今年をもってKISSを完全に終わらせるため、ワールドツアーを企画していたのですが、このコロナ騒動で中断してしまったとのことです。

世界最長寿のロックバンド、ローリングストーンズを引き合いに出して、「彼らは20キロの衣装を着けていない。空中も飛ばない」と発言しています。

ジーン・シモンズは限界が来ているとのことですが、だましだましやればあと数年はできるとワタクシは考えています。でも、完全なパフォーマンスを見せるにはここらが潮時と思ったのかもしれません。彼らに比べれば、聖飢魔IIなどちょろいもんです。KISSに倣って、素顔でも活動してほしいものですが。

 

★リクエスト募集しております。お気軽に声をかけてください。

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2020年6月18日 (木)

3人のギタリスト

かすてら音楽夜話Vol.80

三大ロックギタリストってご存じでしょうか。Eric Clapton(エリック・クラプトン)、Jeff Beck(ジェフ・ベック)、Jimmy Page(ジミー・ペイジ)の3人ということになっています。

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<Eric Clapton>

たぶんですが、この3人というように限定したのはおそらく日本のロック雑誌あたりがいい始めたものでしょう。

長いロックの歴史を紐解きますと、チャック・ベリー、レス・ポール、チェット・アトキンスといったギタリストもいるわけで、Rolling Stoneというあちらの雑誌では「Rolling Stoneの選ぶ偉大なギタリスト100人」なんてのを10年おきくらいに独自に選出しています。この3人は上位に来るものの、決してベスト3というわけではありません。

Beck

<Jeff Beck>

では、なぜこの3人なのかというと、3人がイギリスのYardbirds(ヤードバーズ)というバンドにそれぞれ属していたことと、1944~1945年生まれという同世代のイギリス人で、ギターテクがとりわけ優れていたからでしょう。

Page

<Jimmy Page>

ま、ここではジェフ・ベックを取り上げるんですが、ヤードバーズに最初に入ったのは、エリック・クラプトンです。クラプトンの脱退により、ジェフ・ベックが入り、その後、ジミー・ペイジがギターではなくベーシストとして参加します。その後、もう一人いたギタリストとペイジが配置転換になり、ベック&ペイジという強力なラインナップとなります。しかし、ベックがバンドを辞めます。両巨頭ともに立たずといったところでしょうか。ヤードバーズもその後、オリジナルメンバーがとうとういなくなるに至り、残ったペイジが新メンバーを迎え、Led Zeppelin(レッドツェッペリン)を結成することになります。

クラプトンはその後、Cream(クリーム)~Blind Face(ブラインド・フェイス)~Derek & The Dominos(デレク&ザ・ドミノス)と自分主導でバンドを作りますがいずれも短期で終わります。クラプトンはこのバンドでヴォーカルも担当するんですね。デレク&ザ・ドミノスの「Layla」(邦題「いとしのレイラ」)などで知られます。その後、ギターをアコースティックに持ち替えてのアンプラグド・ライブなど話題になりました。実は3人の中で一番若いのですが、見た目落ち着いて見えますね。こういう守備範囲の広さからV9時代の読売ジャイアンツで例えると、長嶋茂雄でしょうかね。あくまでも私見ですが。

さて、ペイジですが何といってもツェッペリンが鮮烈でしょう。間違いなく、ブルースを根底にしたイギリスのハードロックを確立させた功績は唯一無二のものです。その中でRobert Plant(ロバート・プラント)のヴォーカルと並び、インパクトありすぎのギターテクを惜しみなく発揮した人物です。どれだけのギター小僧がペイジを目指していたことか。Charなんか、モロに影響を受けているんじゃないすかね。もういつでもホームランをかっ飛ばす王貞治みたいな存在でしょうか。

さ、お待たせいたしました。おりんぴあさん。

ジェフ・ベックですがヤードバーズ脱退後、自身がリーダーとなるバンド、Jeff Beck Groupを結成します。バンドのヴォーカリストはRod Stewart(ロッド・スチュワート)、ベックはリードギターを担当し、リズムギターにRon Wood(ロン・ウッド)が加入しました。ロッドとロニーは後にFaces(フェイセス)に参加し、ジェフ・ベック・グループは別のメンバーで続けることになりますが、この3人がいた時が全盛期だったでしょうね。

 

いやあ、画質悪いですね。でも、ジェフ・ベック、ロッド・スチュワート、ロン・ウッドが揃ったライヴ映像というものはかなり貴重かと。

結局、ジェフ・ベック・グループも解散してしまい、スリーピースのバンドを組んだ後はひとりで活動していくことになります。

面白いエピソードがありまして。The Rolling Stones(ローリングストーンズ)のMick Taylor(ミック・テイラー)というギタリストが、ストーンズを脱退することになりました。テイラーはリードギターを担当していて、最年少ながらストーンズにはなくてはならない存在でした。そのため、ストーンズは後任のギタリストを探すことになり、ジェフ・ベックも(ストーンズの)アルバム収録中のロッテルダムまで呼び出されたことがありました。

ですが、1晩で帰ってしまったそうです。結局は後任のギタリストはロン・ウッドに決定します。でも、ロン・ウッドはアルバム等のクレジットではメンバーの扱いでしたが、長らく報酬面でも正式メンバー扱いではなかったとか。ベックの入っていたストーンズというものも音的には聴いてみたいですが。

でも、リーダーシップを取っていなければどうしても輝けないベックですから、もしストーンズに入っていたら間違いなくストーンズはすぐに終わっていたでしょう。でも、のちにストーンズの公演にゲストで呼ばれた映像を見つけました。ご覧ください。

 

いやもう、弾きまくりですね、ジェフ・ベック。かつての仲間、ロン・ウッドがいるので、呼吸もぴったりです。その代わり、いつもならば存在感抜群のKeith Richards(キース・リチャーズ)の所在のなさそうなことったら。

ベックはキャリアの中ほどからギターを指で直接弾くようになりました。この映像ではあまりはっきりしませんが、この時もフィンガーピッキングのはずです。

ロックギタリストはほとんどがピックというプラスティック片を使って弾いています。あの印象的なイントロのEagles(イーグルス)の「Hotel California」でさえ、ピックで弾いていますし、クラプトンもペイジもピックで弾いています。

ベックはやはり、「人と違うことをしたい」、「人より目立ちたい」、「主導権を取りたい」人なんだなと思います。ベックをジャイアンツの選手で例えると…んー外様だった金田正一あたりでしょうかね。

え?例えが古いですか。安心してください。ここには若い読者はいませんので。失礼いたしました。

あと、記事のタイトルは沢木耕太郎の「三人の三塁手」という短編にインスパイアされて思いつきました。

★リクエストまだまだ受け付けてます。

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2020年6月14日 (日)

オノヨーコと加藤ミカ

かすてら音楽夜話Vol.79

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<アルバム『黒船』>

今回ははるばるバンコクからNaozoさんのリクエストにお応えして、Sadistick Mika Band(サディスティックミカバンド、以下ミカバンド)を取り上げます。

ミカバンドのデビューは1972年です。初期メンバーは加藤和彦(ヴォーカル&ギター、元フォーククルセダーズ)、つのだ☆ひろ(ドラムス、あの「メリージェーン」の人です)と加藤の妻ミカ(ヴォーカル)でした。

バンド名はPlastic Ono Band(プラスティックオノバンド)にあやかりつけたものです。

Doublefantasy

<John Lennon & Yoko Ono『Double Fantasy』>

プラスティックオノバンドとは、ビートルズ解散前あたりからジョン・レノンが始めたセッション的なバンドで、メンバーはかなり入れ替わってます。

ジョンはヨーコさんにぞっこんでしたから、当然ながらヨーコさんをバンドにフィーチャーしますよね。ヨーコさんもジョンに相当な影響を与えたと思いますので、相当ぶっ飛んだ人物だと思います。ですが、もともとは前衛芸術家なわけで、音楽的な素質のようなものは皆無であったとワタクシはいい切りたいです。

のちに、ジョンの遺作となった『Double Fantasy』を購入しましたが、ヨーコさんのヴォーカル曲はスキップして聴いてました。

一方、加藤ミカですが、なんでも加藤和彦の楽屋に訪ねてきて、「ギターの弾き方を教えてほしい」といったところから交際が始まり、結婚に至ったとのことです。つまり、加藤ミカもど素人そのものなんですよね。でも、このど素人が大化けするんです。

ミカバンドは活動期が3回あります。つまり2回解散しています。

初期のメンバーは前述したとおりですが、つのだ☆ひろがメンバーから抜け、高橋幸宏(ドラム、のちYMO)が入り、ギターに高中正義、ベースに小原礼(尾崎亜美のダンナ)、キーボードに今井裕が入ります。このメンバーでイギリスに渡りアルバム『黒船』をレコーディングします。

第2期は、加藤和彦、高橋幸宏、高中正義、小原礼のラインナップに桐島かれんを迎え、アルバム『天晴』、シングル「Boys & Girls」をリリースします。ただし、ミカバンドではありますが、アルファベット表記はSadistic Mica Bandでした。1989年のことです。

 

この曲はMazda FamiliaのCMでタイアップ曲として使われ、ヒットします。桐島かれん以外のメンバーはすでに大物感が漂ってます。といって、かつて持っていたワクワク感、ぶっ飛び感は消えてますね。ワタクシもアルバム買いましたが、ほとんど内容を覚えてません。

第3期は、桐島かれんが抜け、ヴォーカルには木村カエラが抜擢されました。こちらは比較的最近の2006年のことです。これでキリンビールとのタイアップで使用されたのが、「タイムマシンにお願い」という、1974年のシングルの再収録盤です。

 

この時の映像では奥田民生がゲストでギターで参加してます。木村カエラも比較的飛んでる人だとは思いますが、あとのメンバーがもはや丸みを帯びてしまったような感じがしますね。

では、お待たせしました。第1期のミカバンドの映像です。

 

いやもう、ぶっ飛びすぎでしょ。それにみんなとんがってますね。このメンバーで活動が続いていたら、相当すごいバンドとしてかなりの足跡を残したと思いますが。

加藤ミカ、オノヨーコなんぞ足元にも及びませんよね。よくぞ、素人のお嬢さんがここまで…。

第1期ミカバンドですが、海外レコーディングの『黒船』が良くも悪くも終止符を打ったといえます。『黒船』のプロデューサー、クリス・トーマスとミカがイギリスツアー中に恋愛関係となり、その後加藤和彦と離婚し、ミカバンドも解散するのです。

その後の加藤和彦は作詞家の安井かずみと再婚しますが、安井の死去後、オペラ歌手の中丸三千繪と再々婚したのち、離婚します。2009年に軽井沢のホテルで遺体が発見されました。自殺とみられています。

最後は悲しい結末となりましたが。ミカが去った後もミカバンドの名前にこだわり、とんがったインパクトを与えた人でした。フォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」、北山修とのデュエット「あの素晴らしい愛をもう一度」なども忘れることはできません。

一方のミカさんですが、クリス・トーマスとも別れ、料理研究家や作詞家として活動していました。せめて、第1期のミカバンドが1980年代まで続いていたならば、ものすごいインパクトのあるライヴを経験できたかもしれないですが。かなわぬ夢ですね。

★引き続きリクエスト募集しています。

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2020年6月10日 (水)

30数年ぶりのアンサーソング

かすてら音楽夜話Vol.78

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皆さん、Juicy Fruits(ジューシィ・フルーツ)というバンドをご存じでしょうか。デビューは40年前の1980年、シングル「ジェニーはご機嫌ななめ」(作詞・沖山優司 作曲・近田春夫)でデビューしました。

 

当時はやっていたテクノ歌謡といった感じで、ヴォーカルのイリア(奥野敦子)が裏声で歌う色物っぽいバンドとみられていました。

ワタクシ個人の好みは、「ジェニーはご機嫌ななめ」ではなく、セカンドシングルの「なみだ涙のカフェテラス」(作詞・近田春夫 作曲・柴矢俊彦)なんです(リンク)。この映像は再結成後のもので、イリアとドラムのトシ(高木利夫)だけがオリジナルメンバーです。

他のメンバーはギターの柴矢俊彦とベースの沖山優司です。もともとは近田春夫のバックバンドBEEFが母体となったバンドで、ほとんどの曲を柴矢氏と沖山氏が作曲しています。ちなみに作詞はほとんど近田春夫です。まあ、ほとんどが企画ものっぽいノリで作られていますが、演奏力は高いですね。それに、柴矢氏と沖山氏のコーラスワークもばっちりです。ちなみに柴矢氏はその後「おさかな天国」の作曲を担当しました。沖山氏はスタジオミュージシャンやライヴのサポートメンバーとして現在も活躍中です。

で、こうしたバンドのヴォーカルにありがちなのが、「まずまず歌がうたえりゃいいや」みたいなノリだと思います。でも、イリアはなんと中間部でしっかりとギターソロを聴かせてくれるんですね。

しかも、持っているギターがギブソンのレスポールですよ。これ、ものすごく重いんだそうですが、イリアは淡々と弾きこなしてしまうって、何気にすごくないですか?

その、「なみだ涙のカフェテラス」のカップリングで両A面としてリリースされたのがこちらです。

 

「恋はベンチシート」(作詞・近田春夫 作曲・沖山優司)でした。

わかりますかね。ベンチシート。当時もほぼタクシーやトラックくらいしか採用されてなかったと思いますが。シフトレバーが足元になく、ステアリングコラムに付いていて、シートが左右で分割されてないタイプですね。つまりはドライバーと助手席の人の距離を近くできるってやつです。それ以降何が起こるかは野暮なことは申しますまい。

これ、TVK(テレビ神奈川)のファイティング80の映像で蒲田にある日本電子工学院のホールで収録されたものです。このホール、今でもあるんですかね、トーマスさん?

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<グランタクシー>MZ-3/FA28-105mm

余談になりますが、モロッコではグランタクシーという乗り物があり、大型のメルセデスなどを使っていたものの、前席はベンチシートではございません。でも、その助手席側に大人2名を乗せるんですね。これはキツイです。ちなみに後席には大人4名です。これ、ベンチシートだったらなと思いますね。

その後のジューシィ・フルーツは近田春夫のサポートを離れ、迷走時代に突入します。コンセプトがずれてきたんですね。サザンの桑田佳祐のサポートを受けた時期もありましたが、1984年に解散します。

時は流れ、2009年にオリジナルメンバーの半分でJuicy Halfとして始動し、2013年にJuicy Fruitsに戻ります。ギターとベースは新メンバーですが、まったくの素人ではなく、キャリアを積み上げてきた人たちですね。そして、2018年には34年ぶりのオリジナルアルバムを発売しますが、その中の1曲が「恋はベンチシート」への自らのアンサーソングになっていますので、お聴きください。

 

「ハイブリッドその後」でした。作詞はイリアですが、作曲はオリジナルメンバー、柴矢俊彦です。

こういう遊び心のあるバンドは好きですね。コミックバンド(例えばビジーフォー)なんかもそうなんですが、こうしたバンドはしっかりした演奏力があってのものです。ただふざけているだけじゃ、ダメなんです。「知子のロック」もそうした一面のあるしっかりしたバンドでしたねぇ(遠い目)。

★引き続きリクエスト、お待ちしています。

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2020年6月 3日 (水)

天才少年歌手が満を持してのソロデビュー

かすてら音楽夜話Vol.77

皆さん、少年や少女のシンガーというとどのような人を思い浮かべるでしょうか。最近でしたら「崖の上のポニョ」の大橋のぞみ。古くは「黒ネコのタンゴ」の皆川おさむとかですかね。芦田愛菜もそうかな。海外でいうと、Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)がいまだに現役です。

ま、スティーヴィーは別格として、たいていは児童合唱団の出身だったりします。彼らに立ちふさがるのは「声変わり」という壁でして、シンガーとしてはたいていは青年期になる前に消え去ることになりますね。芦田愛菜は生き残ってますが、もはや歌手とはいえないでしょう。

Miyaji

本日取り上げるのはエレファントカシマシのヴォーカル、宮本浩次(みやもと・ひろじ、通称ミヤジ)です。画像はNHKのポップジャム出演時のもので、20年くらい前のものです。1966年生まれですから、誕生日が来れば54歳。

なんと、ミヤジは小学生当時にNHK児童合唱団に所属していて、10歳の時にレコードデビューを果たしているんです。しかもそれが、10万枚のヒットを記録したんです。

その曲は「はじめての僕デス」。「みんなのうた」で放送され、その後は競作され、あの加藤茶のヴァージョンもあります。リンクをつけておきましたので、聴いてみてください。皆川おさむとか問題になりませんから。

余談ですが、皆川おさむはひばり児童合唱団に所属していて、叔母がひばり児童合唱団の代表でした。そのデビューはある程度コネみたいなものもあったんじゃないでしょうか。ミヤジの場合、まったくコネはなく、歌唱センスなどからの大抜擢だったんじゃないでしょうか。

時は流れ、1988年、大学生のままエレファントカシマシでデビューします。紆余曲折はありましたが、現在まで活躍中です。

2018年、椎名林檎とのデュエット「獣ゆく細道」でソロデビューします。その後、東京スカパラダイスオーケストラの「明日以外すべて燃やせ」のヴォーカルに起用されます。そして、2019年、53歳にしてソロシングルを発売します。2020年、アルバム『宮本、独歩』をリリース。これまでも、プロモーションを行ってきましたが、コロナ騒ぎでソロツアーが延期ということになってしまいました。それだけは残念ですが。ワタクシもアルバムを手に入れたいんですが、タワレコなどが閉まってしまい、手に入れておりません。Amazonで入手可能ですが、やっぱり直接手に取りたいです。

 

こちら、デビュー曲ではありませんが、月桂冠のCMでも流れているので、聴いた方も多いのではないでしょうか。

ミヤジはエレファントカシマシの活動に100%全力を尽くしてきましたが、ソロ活動を決意するのは2012年に感音性難聴を患ってからといいます。左耳がきこえなくなり(その後手術で回復)、湘南の海で左耳を海風に当てているのが癒しになったと語っています(「NHK SONGS」)。そうしているうちに、「もうそろそろいいんじゃないか」という思いが沸き起こってきたといいます。

それからだいぶ時間は立ってしまいましたが、エレファントカシマシデビュー30周年などのイベントもありましたからね。

エレファントカシマシでのヴォーカルでは、だいぶ喉に負担のかかるような歌い方をしていました。楽曲(ほとんどを自身で作詞・作曲)が歌うとなるとかなり難しいというものもあります。これはバンドということを考え、あえて、そうしているのだと思います。作詞ということを考えますと、意外にもエレファントカシマシのミヤジの言葉はごく普通の日本語です。英語のフレーズなど皆無に等しいです。ま、ライヴなどでは「楽しんでくれ、エビバデ!」とか叫んでますけどね。

でも、ソロ作品の言葉では英語のフレーズも結構多用されてます。聴くとかなりわかりやすく、ストレートにミヤジの思いが伝わってくるような気になりますね。

 

これだけのキャリアがある人がソロになると、ターゲットを大衆寄りにべったりということがあります。そのいい例が谷村新司や堀内孝雄ですかね。でも、そこまで迎合せず、自分の立ち位置を維持したまま、わかりやすいソロ曲を作っていくというのは、桑田佳祐、奥田民生あたりに通じるものがあるのではと思います。

個人的にはソロ活動は今年いっぱいで、来年からはエレファントカシマシに戻ってきてほしいのですが、ソロとしての大きな可能性を見せてくれました。

今後も末永くロック歌手として頑張っていただきたいです。

最後におまけです。NHKの「うたコン」での「雨上がりの夜空に」(RCサクセション)のカバーです。これは天国の忌野清志郎も喜んでいると思いますよ。奥田民生、トータス松本、斉藤和義などのカーリングシトーンズのメンバーも大喜びでした。

宮本浩次、その未来にハレルヤ!

★引き続きリクエスト受け付けてます。洋楽もアリですよ。

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2020年5月25日 (月)

日本のポップス界のプリンスはビートルズ愛に満ちていた

かすてら音楽夜話Vol.76

どうもです。今回は「しょうたく」さんのリクエストにお応えして、杉真理(すぎ・まさみち)を取り上げます。

1973年、島根県から上京した女子学生は慶應義塾大学に入学し、軽音楽サークル、リアルマッコイズに加入しました。1学年上の上級生は「ピープル」というバンドを結成し、翌年のヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に出場することになります。ピープルには彼女も参加することになります。

この、島根県から上京した女子学生は竹内まりやであり、ピープルのリーダーが杉真理でした。

Sugi

余談ですが、この時期の慶応の人材が凄いです。下川裕治に蔵前仁一、さらにはB級グルメの巨匠までいたんですから。

杉真理はその後大学を中退し、「Mari & Red Stripes」をいうバンドを率いてレコードデビューします。ここには竹内まりやも参加していました。このバンドは不発に終わり、杉真理も急性髄膜炎で療養生活を送り、短いブランクを作った後、1980年にCBSソニーに移籍しソロとして再デビューします。竹内まりやは1978年にソロデビューしてますので、見事に後輩に差をつけられたことになりますね。

当時、杉真理はほとんどメディアには登場せずワタクシが名前を知るようになったのは、新聞のテレビ・ラジオ欄あたりだったかと思います。絶対女性だと思ってましたね。誰でも「すぎ・まり」だと思うじゃありませんか。

で、杉真理の曲や声が耳に入ってくるようになったのは日産自動車とのタイアップ曲、「Catch Your Way」が頻繁に流れたからですね。

名前と顔が一致するようになったのは1982年の大瀧詠一の企画、「Niagara Triangle」に参加し、『Niagara Triangle Vol.2』というアルバムを出すようになってからでしょうか。ちなみに、このアルバムはグループとしての曲は「A面で恋をして」だけで、あとは個人の作品が収録されたコンピレーションです。参加しているのは御大である大滝詠一、佐野元春、杉真理です。

当初は杉真理ではなく、五十嵐浩晃(シングル「ペガサスの朝」などがヒット)ではないかともいわれていました。トライアングルですので3人で組むことが前提ですが、佐野元春はともかく、杉真理は第3の男ですかね。とはいえ、大瀧詠一のお眼鏡にかなったということは、磨かれていない原石みたいなものです。才能のない人とは組むはずがありません。

ちなみに、その前にも『Niagara Triangle Vol.1』というアルバムを出していて、ここでは山下達郎と伊藤銀次(笑っていいとものテーマソング「Uki Uki Watching」の作者。初期のウルフルズをプロデュース。イカ天審査員。)と組んでいました。ここで組んだ4人とも現在も生き残ってます。

 

ナイアガラトライアングルの活動と並行し、「バカンスはいつも雨(レイン)」がグリコのCMに使われます。

Horichiemi

出演するのは堀ちえみですから、全国区ですね。でも、杉真理の出演はありませんので、「あれを歌っているのは誰?」みたいになります。「バカンスはいつも雨」は杉真理最大のヒットでしょう。

CMでは歌詞を変えてあるショートヴァージョンですね。ロングヴァージョンはこちら

聴いてもらえばわかると思いますが、ソロの杉真理はロックではなく、さりとて歌謡曲でもなく、当時も半分死語になりつつあったニューミュージックでもなく、「ポップス」という言葉に集約されるのではないでしょうか。杉真理のあだ名は「杉さま」「杉ちゃま」です。シティポップスの殿下、プリンスといったところが似合う人ですね。

とはいえ、彼の根底にあるのはビートルズなんです。『Niagara Triangle Vol.2』収録のこの曲をお聞きください。

 

杉真理、「Noboby」でした。見事にビートルズへの愛があふれた作品ですね。ちなみに、バックコーラスは佐野元春で、本当にジョンとポールが日本語で歌っているような感覚になります。佐野のパワフルなコーラスが効いてますね。

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その後現在までも杉真理はソロシンガーとしてキャリアを継続していますが、彼はたくさんの人たちとコラボレーションをとるのが好きなんです。

BOX(杉真理、松尾清憲、小室和之、田上正和)、Piccadilly Circus(杉真理、松尾清憲、伊豆田洋之、風祭東、橋本哲)、須藤薫&杉真理などなど。

 

BOXの「What's Time~Temptetion Girl」のメドレーでした。ビートルズの影響を受けつつも見事にオリジナル感を出してますよね。ビートルズのフレーズを取り入れず、マージービート風の音を再現する。ちなみに、ベースの小室和之はポール・マッカートニーが使用するヘフナーの左右対称形のものを使っています。

また、後のPiccadilly Circusでは左利きのベーシスト(ポール・マッカートニーが左利き)、風祭東が参加してます。

杉真理の参加するコラボはこれだけではないのですが、自分のやりたいことをとことん進めていく人なんでしょうね。

そして、これも杉真理作品です。「ウイスキーが、お好きでしょ」(作詞:田口俊、作曲:杉真理)を聴きつつ、お別れしましょう。

 

こちら、浜崎貴司(元Flying Kids)版でした。Victor公式なので、削除されません。

杉さん、現在NHK FMで「ディスカバー・ビートルズ」をいう番組をやってます。聴き逃しても「らじる★らじる」で1週間以内なら再生できますよ。

★リクエスト募集中です。

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2020年5月22日 (金)

Artisan-音の職人

かすてら音楽夜話Vol.75

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<パリのとある教会>K-7/DA16-50mm

本日はスクムビットさんのリクエストにお応えして、山下達郎を取り上げます。

Songs

山下達郎はなんとワタクシの大学の先輩にあたりますが、入学3か月で中退して1973年にSugar Babe(シュガーベイブ)というグループでデビューしました。フォークロック系のグループで、大貫妙子も在籍していました。

たった1枚のアルバム『Songs』(1975年)は、大瀧詠一(プロデュースや作曲時の名前。アーティスト名義は「大滝詠一」)のナイアガラレーベルから発売されましたが、まったく売れません。大瀧詠一自身も1980年のアルバム『A Long Vacation』や、シングル「君は天然色」の大ヒットで知られますが、それまではかなり趣味的な曲作りを行い、ナイアガラレーベルもほとんどが大瀧自身の嗜好に合ったような人たちで占められ、ほとんど売り上げを気にしない太っ腹なところがありました。

山下達郎はそのデビュー前に自分のやりたいことを『Add Some Music To Your Day』という自主制作盤で表現していました。これが、伊藤銀次経由で大瀧のもとに伝わり、レコードデビューにこぎつけたといえます。

とはいえ、このバンドでは活動困難になり、レコードデビューからわずか1年余りで解散します。

ただ、知る人ぞ知るバンドとして、その後のバラエティ「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマとして、「Down Town」(作詞:伊藤銀次、作曲:山下達郎)をepoがカバーしてます。ご存じの人も多いでしょう。リンク1

シュガーベイブ解散後、達郎はソロに転じますが、アルバムの質は高かったもののこれまた売れません。とはいえ、オリコンの週間アルバムチャート100位以内には入っていたので、コアなファンはいたはずです。その間にプロデュース、エンジニアリング、楽曲提供等の楽曲制作力を高め、「愛を描いてーLet's Kiss The Sun」(1979年)がJALの沖縄キャンペーンのタイアップにつながります。

そして、1980年「Ride On Time」が日立マクセルのCMとタイアップし、達郎自身も出演しました。これがオリコンシングル週間チャート3位となり、一般的に認知されたと思います。同曲収録のアルバム『Ride On Time』もオリコンアルバム週間チャート1位に輝きました。

Tatsuro

1982年には竹内まりやと結婚します。いやあ、当時はこのニュースにショックでしたね。山下達郎の風貌ですが、ロン毛にルックスもいまひとつ。相手の父親は大社(現出雲市)町長で、アメリカに交換留学もしたほどの才媛かつ出雲大社前の老舗旅館のお嬢様なんですよ。

でも、当時所属レコード会社が一緒で、楽曲提供からアレンジ、バックミュージシャンとしての起用などから達郎の音楽的才能に惹かれたものだったらしいです。

Christmaseve

この後もコンスタントにアルバム制作を続けていましたが、再び注目されるようになったのはシングル「クリスマス・イヴ」がJR東海のキャンペーンとタイアップされるようになってですね。リンク2

「クリスマス・イヴ」は1983年のアルバム『Merodies』からのシングルカットですが、JR東海のキャンペーンは1989年です。もともと、クリスマスシーズンにはひっそりと「クリスマス・イヴ」のシングルを再発していたのですが、この年ついにオリコンシングル週間チャートで1位を獲得します。

山下達郎はRCAからアルファムーンに所属レコード会社を移籍しています。デビューした当時はCDは存在せず、アナログ録音のLPやEPでした。これをさかのぼり、アナログをデジタル化したり、それでも満足せず、CDとして発売したものも含めデジタルリマスターし、再発するという作業に没頭するようになります。RCA時代のものも手掛けています。こうなると、完璧さを求めていく「音の職人」とでもいうような存在なんですね。

達郎自身の作品だけでなく妻の竹内まりやのアルバムもデジタルリマスターまでしてのけるのですから、こだわりは人一倍です。そのため、自身のアルバム制作はどんどん少なくなっていくのです。『Artisan』から『Cozy』までが7年の空白。次の『Sonorite』も7年。次の『Ray Of Hope』も6年。そして、2011年以来ニューアルバムは発売されていません。とはいえ、シングルやタイアップもあるので、忘れたころにアルバムがリリースされる可能性はありますね。

Kinkikids

山下達郎の楽曲提供はかなりあるのですが、最も有名なのがKinKi Kidsに提供した「硝子の少年」(作詞:松本隆、作曲:山下達郎)でしょうかね。ちなみに達郎はスマイルカンパニーという事務所に所属していますが、元社長が小杉理宇造という人物で、その後ジャニーズエンターテイメントの社長に就任しています。つまりは関係が深いのです。

この「硝子の少年」ですが、ジャニー喜多川氏に相当プレッシャーをかけられたそうです。つまりはチャート1位を取れと。でも、見事に1位を獲得します。個人的な意見ですが、ジャニーズのタレントの中でKinKi Kidsはかなり音楽的な才能があると思っています。歌もうまく、「Love Love愛してる」などで、一流ミュージシャンたちにもまれ、ギター演奏や楽曲も作ることができるようになったんですね。SMAPや嵐にはないものを持ってます。

そんなキンキとの比較ですが、達郎がセルフカバーしたものと聴き比べてください。これは腐っても達郎です。リンク3

山下達郎のライヴに数回行ったことがあります。ライヴの掟みたいなものがあるんですよ。すなわち、オープニングから客は席を立ちあがらない。ラストくらいではさすがに総立ちになるんですが、サンデーソングブックなどで繰り返し本人から自身の音楽を良い環境で聴いてほしいというあらわれですね。同時に曲に合わせて客が歌うことも控えます。これまた上記の理由のひとつです。

また、MCもすごく達者で時には30分近く喋るんです。これまた、曲の制作過程や曲の背後にあるものを説明しようということのあらわれですね。とにかく音に妥協のない達郎らしさがここにあると思います。

そして、達郎は自身の著作権に対して断固たる姿勢を取っています。YouTubeには公式チャンネルはありません(竹内まりやも同様です)。いわば、一個人がアップしたものは違法アップロードで著作権違反となるため、見つけられ次第削除になるんです。これは、音楽で生活している人にとって至極当たり前のことです。ま、このブログとしては残念なんですけど。そのため、今回リンクを貼っておきながらブログ記事に乗せていないのはすべて個人がアップしたものなんですよ。その点、ご了承ください。

それでも、ワーナーの公式チャンネルで唯一山下達郎の楽曲がアップされていたのを発見しました。それを聴きつつ、本日の締めとさせていただきましょう。

 

引き続きリクエストお待ちしています。

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