カテゴリー「02c Laos」の27件の記事

2023年2月17日 (金)

タイ・ラオス友好橋

陸路・海路の国境越え<6>

Mk2119

<RICOH GR1s>

2008年8月。ラオスのウドムサイからノーンキャウ、ルアンパバーン、バンビエンと移動し、首都ビエンチャンにたどり着きました。まあ、当時はのんびりしたところでしたね。

ここには1泊だけし、タイに戻ります。ほぼ半月ぶりとなります。

Mk2139

<PENTAX MZ-3/FA50mm>

当然、友好橋を渡ることになります。では、友好橋までどうやって行くかです。かつての東京都営バスが路線バスとして友好橋まで走っているという情報はありました。塗装はそのままで、ハンドル位置をラオス仕様の左に持ってきたらしいです。おそらく、乗降ドアも右にあるのではないかと思います。でも、結局はその辺にいるトゥクトゥクを利用しました。

料金、85,000キープ。かなりの距離があり、30分ほどかかりました。

当時はスマホもタブレットもありませんので、ネット情報は事前に調べたもののみ。あるいは、ネットカフェで調べるとか。当時から、タイに渡るラオス人はたくさんいたので、ビエンチャンからタイのウドンタニー行きの国際バスもあったことでしょう。

Mk2146

<RICOH GR DIGITAL>

ラオス側のイミグレーションは実に簡単に通過します。スタンプを押してもらうだけですから。橋のたもとに到着して、10分後にはこのバスに乗り込んでいました。

バスは橋を行き来するもので、料金は4,000キープ。ラオスは左ハンドルの国なので、このバスはタイのバスということになります。

橋の上はタイの規則に従い、左側通行になります。中央に線路が見えますが、ノンカイからラオスのタナレーンに向かう国際列車(といってもたったの1駅)がここを通るのです。

この国際列車、当時はまだ営業はしていなかったようです。確実にできていたのならば利用した可能性はあったでしょう。

Stmp14

<PowerShot>

ノンカイ側のタイのイミグレーションには5分で到着です。しかし、こちらはめちゃくちゃ混んでいました。それでも、当時は陸路越境でも30日間の滞在が許されたんですよね。まあ、5日いただけで出国したんですけど。

Mk2168

<MZ-3/FA35mm>

ノンカイも1泊だけでしたが、翌日の夜行バスで移動するので時間は結構取れました。

こちらは、タイ人とラオス人だけが利用できるイミグレーションです。移動はもちろん船です。チェンコーンとフアイサイのメコンに比べて流れは穏やかそうです。

Mk2176

<GR DIGITAL>

その日の夕暮れ。

Mk2190

<GR DIGITAL>

その日の夕食。ビールはビアラオからビアシンに変わりました。そして、何もいわなくてもナムケーンを持ってきます。

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2023年1月29日 (日)

ラオス・雲南を行き来

陸路・海路の国境越え<4>

Mk0713

<RICOH GR DIGITAL>

シリーズ4回目。今回は前回の続きで、ラオスから中国雲南省へと抜けるルートです。目的地はいわゆるシーサンパンナ。景洪(ジンホン)というところです。景洪4泊、モンラー1泊の計5泊6日間の中国滞在でした。

日本人のノービザ滞在はラオスと同じく15日間ですから、その後も延々と中国を旅するわけにはいかず、同じルートでラオスに戻りました。

Mk0711

<GR DIGITAL>

ラオス側の出発点はルアンナムター。ラオス側の出国ポイントはボーテンというところです。1枚目の画像がそうです。

フアイサイからタイでいうロットゥのようなワゴン車でルアンナムターに到着しました。ルアンナムターでは1泊しました。旅行会社で国境を通過し、モンラーという中国側まで行くバスを予約しました。街中でこれと同じIVECO(スペインの自動車メーカー)のバンが止まっていたのですが、案の定同じクルマがやってきました。

ちなみに、ルアンナムターのバスターミナルは郊外にありますが、このバンは旅行会社に止まるので楽ではありました。画像はルアンナムターのバスターミナルで一息入れたところです。赤シャツの男性の後ろがワタクシの席です。

ここからはフランス人カップルとギリシア人のおっさん二人組が乗り込んできました。

Mk0716

<PENTAX MZ-3/FA35mm>

こちらは中国のモンラーのバスターミナルです。国際バスいや、国際班車はここまで。ここから、景洪行きのバスに乗り継ぎます。さすがにシーサンパンナ・タイ族自治州の州都であるためか、バスは頻発していました。

ちなみに、中国側の入国ポイントはここではなく、モーハンというところです。ラオス・中国の国境はボーテンとモーハンの間にある山道に石碑のようなものが立っていて、その山道はいわば緩衝地帯みたいでした。

Mk1016

<GR DIGITAL>

さて、ラオス側、ボーテンの出国ポイントですが、ものすごい数の中国人が通過していきました。ここでの外国人の越境者は例のバスに乗っていた5人だけで、ほとんど我々は後回しでした。まあ、パスポートにスタンプを押すだけですから、それは問題ありません。

ですが、中国側の入国ポイント、モーハンで問題が起こりました。自分はノービザ滞在ができます。

当時、ヨーロッパの人たちは、ビザが必要でした。フランス人カップルは中国ビザを持っていたので問題なし。

ギリシア人のおっさん二人組が止められたのです。彼らはビザを持っておらず、ラオスに戻るよう指示されたのです。ボーテンでの会話では、「我々は世界のどこでもなんとかなってきた。だから、今回も問題ない」と、根拠のない自信を見せていたのですが。

Mk1157

<MZ-3/FA35mm>

彼らは、ボーテンに戻ってまたアライバルビザを作ってもらったのかどうか。まともなイミグレの職員であれば、パスポートを見て「越境不可」と判断するはずですが、やはりラオスも社会主義国で、自分の仕事だけやっていればいいという考えなんでしょうね。

さて、シーサンパンナですが、ほとんど外国人旅行者がいませんでしたが、公安がこちらを警戒することもなく、普通に旅ができました。ただ、ミャンマー国境に近いモンフンというところに足を延ばしたら、公安のパスポートチェックがありました。ちょうどモンフンに向かう時と、戻るときの2回。それだけでしたが。

Mk1176

<MZ-3/FA35mm>

ちょうどこの時、北京オリンピックが開催されたばかりで、ワタクシは景洪の食堂のテレビで開会式を見ました。店員は客そっちのけでテレビに夢中で、強い口調で呼ばないと対応してくれませんでしたが。

そんな時期であったので、ド田舎のシーサンパンナからも警備に公安が導入されていたのかもしれません。

Mk1168

<GR DIGITAL>

シーサンパンナの旅はなかなか面白かったです。

実は1994年にもツアーで訪れているのですが、景洪の発展具合が当時はすさまじいと感じました。ビルが建ち並び、今はもっとすごいことになっているのかも。

少数民族の宝庫のような地域ですが、町並みは完全に漢民族に圧倒されているように感じました。なんといっても、海から遥かに離れた地域だというのに、漢方薬にでもするのか、ヒトデの乾物までもが市場に並ぶのです。

さて、そんな雲南滞在もほぼ終わり、ラオスに戻ります。景洪ではラオス行きの交通手段を見つけられず、モンラーに移動します。モンラーのバスターミナルにはラオスのウドムサイ行きの便があることを表示していましたが、チケット窓口の小姐が「没有」とのたまうので、細切れの交通手段で戻ることにしました。モンラーには1泊いたしました。

Mk1216

<GR DIGITAL>

宿から1kmくらいバックパックを背負って歩き、国境行きのバスターミナルへ。バスはタイのロットゥよりも小さなワゴン車でした。

Mk1219

<MZ-3/FA35mm>

モンラーの街です。なにもなさそうなところですが、建物だけは立派。カジノでもあるんでしょうかね。

特に問題はなかったので、無事出国手続きは済みました。

Mk1221

<GR DIGITAL>

ボーテンにはこのようなもので向かいます。タイでいうサムロー(トゥクトゥク)やシーロー(軽四輪)ですね。幌付きの後部座席に乗りあうクルマです。

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<MZ-3/FA35mm>

緩衝地帯の未舗装路です。来たときは全然問題ありませんでしたが、雲南滞在中は雨続きでぬかるんでいます。バスやトラックは大苦戦でしたが、これらをスイスイとかわす、乗り合いのタクシーが頼もしかったです。

そして、ボーテン。いわないと出してくれないラオス入国カード。なんちゅうイミグレの職員だと思いますが、このルートを通過すのは圧倒的にラオスで商売をするプロとか、中国の団体客なのであらかじめ中国で入国カードは入手済みなんでしょう。

ボーテンからも軽ワゴンと寝台バスに乗り継ぎ、ウドムサイに何とか到着したのでした。

Mk1227

<GR DIGITAL>

一見楽そうに見える寝台バスですが、ウドムサイに向かう途中の峠道があまりにもひどすぎで、とにかく揺れました。

こんなルートに高速鉄道が通ってしまうとは。

Stmp09

<GR DIGITAL>

同じ国境のルートを往復したというのは、香港・上環とマカオ外港くらいですね。普通戻ってきませんよね。

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2022年12月29日 (木)

小舟で越える国境

陸路・海路の国境越え<3>

Mk0614

<メコン>PENTAX MZ-3/FA35mm

今回のルートは、2008年、タイのチェンコンからラオスのフアイサイへと渡るものです。

文字通り、「渡る」のです。つまりは、ほとんど小舟といっていい、エンジン付きのボートでメコンを渡河するものでした。

この日の出発は、チェンラーイ。ここから、バスでチェンコンを目指します。

Mk0570

<チェンコン行きバス>RICOH GR DIGITAL

チェンラーイのバスターミナルから小さなバスに乗り込みました。ノンエアコン、非座席指定。チケットは車掌から購入しました。

当時バックパックを使用していて、これをどうするのかときくと、このようにエンジンカバーの上に置いたらと促されました。紫のザックカバーがかかっているやつです。

ちなみに、ワタクシが旅にキャリーバッグを使用するようになるのは、この翌年からですが、しばらくはこのバックパックも併用してました。

Mk0575

<チェンコン>MZ-3/FA35mm

到着しました。寂しい街です。ここからトゥクトゥクでイミグレーションに向かいます。

当時、タイ語の単語もほとんど覚えてないような状態でしたが、さすがに国境の町です。トゥクトゥクドライバーもこちらの風体を見てどこに行きたいのかすぐに判断できたようです。

Mk0577

<トゥクトゥク>MZ-3/FA35mm

チェンコンのトゥクトゥクはバイクが客用の座席を引っ張るようなタイプです。

Mk0581

<対岸はラオス>MZ-3/FA35mm

たくさんのボートが待機している場所でした。対岸のフアイサイまで1kmほどあるように見えました。

Stmp07

<タイの出入国スタンプ>PowerShot

この時のスタンプです。左が入国スタンプ。どういうことか、プーケットの空港のスタンプなんですが、TGのプーケット経由便でスワンナプームに到着したからです。プーケットースワンナプーム間は国内線扱いでした。

そして、右がチェンコンの出国スタンプです。さすがに越境者が多いためか、スタンプが摩耗して文字が読めません。

Mk0582

<さあ、出発>MZ-3/FA35mm

人数がそろえば出発です。タイ人なのかラオス人なのか、ともかく地元の人が多かったですね。ほとんど、荷物は持ってないんです。せいぜいがビニール袋くらいでしょうか。

なお、メコンのような大河を横切る場合、川の流れがあるので、上流に向かうように舵を切りつつ対岸に向かうことになります。

エンジンの振動もあるのでしょうが、対岸のフアイサイの街が舳先の方向と微妙にずれていて、かなり揺れているように見え、心理的に気持ち悪かったです。

Stmp08

<ラオス出入国スタンプ>PowerShot

ボートの到着したところがフアイサイのイミグレです。入国スタンプは左側です。右はその後に向かったボーテンの出国スタンプです。

この前年くらいに日本のパスポート所有者にはビザが免除されました。ただし、15日間のみで、これは現在も変わっていません。

欧米人にはビザ免除がまだなかったようで、数名のバックパッカーがアライバルビザを取るのに並んでいました。もちろん、日本人も希望すればアライバルビザは取れます。

Mk0626

<ホテルの屋上より>GR DIGITAL

翌日は天気が戻ったようです。とはいえ、雨季だったので、この程度ですが。

ちなみに、このルートですが、2013年に第4タイ・ラオス友好橋ができ、外国人旅行者は船での越境ができなくなりました。

Bi1293

<チェンカーン>PENTAX KP/DA18-50mm

それでもなお、船での越境はタイ人とラオス人に限って可能みたいです。

2017年に訪れたチェンカーンにもイミグレーションがありますが、ここは外国人には解放されてません。

Bi1978

<ノンカーイ>KP/DA18-50mm

最初のタイ・ラオス友好橋のできたノンカーイにも、タイ人とラオス人限定のイミグレーションがあり、ここも船で越境できます。

同様にナコンパノム、ムクダーハンなどもタイ人とラオス人は船を利用できます。

現在のところ、外国人が船での越境ができるブンカン(タイ)・パクサン(ラオス)にも、第5タイ・ラオス友好橋が建設計画中だとか。

さて、これで2022年の記事は終了いたします。年が明けてお会いしましょう。


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2021年11月23日 (火)

ビエンチャンで食したもの

2006年のビエンチャン。

Tl0724

<タートルアン>MZ-3/FA35mm

2006年当時はフィルムを使用しておりました。これを今は亡きフィルムスキャナー(使用中に壊れる)でひとつひとつスキャンして取り込んだ画像です。やたらと時間がかかりました。でも、晴れた日のリバーサル画像は解像度は低いものの、いい感じに仕上がるんですよね。

ビエンチャン散歩中に食べたものを拾い上げていきます。

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<前菜のパテ>IXY digital500

ビエンチャンに到着したのが2006年の元旦でした。宿で夕食を取れるレストランをきくと、ラオス料理かフランス料理か選択を迫られました。

当然ラオス料理とつぶやいたのですが、「あ、ラオスレストランは休みでした」とのことで、フランス料理一択。

ラオスに移住したフランス人シェフのやっている店で、客は当然ながらファランばかりでした。

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<なぜかスパ>IXY digital500

メインにこちらを頼んだのはやはり金額のためです。フレンチのシェフといいながらもパスタもあり。

イタリア以外の諸外国でのパスタは茹ですぎのところが普通ですが、まあまあ行けたような。

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<グラスワイン>IXY digital500

飲み物もこれがせいぜい。グラスの縁ぎりぎりまで注いでくれたというのは親切なんでしょうね。

Le Silapaという店で、10USD払って少しおつりが来たと思います。ちなみに、この時の旅ではまったくラオスの通貨には両替してません。米ドルかタイバーツで払ってキープの釣銭をもらうという三重通貨生活でした。

この店今でもあるかどうか。少なくとも2014-2015版の歩き方には載ってました。

Tl0686

<ミー>IXY digital500

翌日の昼食です。タイでいうならバミーナーム。スープが透明ですがタイと同様調味料をかけていただくとバミーの味になりました。

周華記飯店という中華系の店です。当時はこんな料理でもしっかりとビアラオを頼んでますね。

Tl0825

<まさにうどん>IXY digital500

こちら、遼寧餃子館というところの麺です。牛肉麺なんでしょうかね。もろ、中国人がやっているところです。このスープもまた味が薄くて、調味料を効かせていただきました。

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<茹で餃子>IXY digital500

こちらが本命ですね。これはさすがの味です。この店は今もやっていると思われます。ただし、場所はメコンの近くに移転したみたいです。

この時はまだ中国人の影は薄いものでしたが、明らかに中国からやってきた人が経営している店でした。ただし、簡体字は使っていなかったようです。

この2年後、ルアンナムターに行くと、明らかに簡体字を使ったメニューだけの店ができていて、客は中国人労働者だけというところもありました。ルアンパバーンには中国人宿も登場しておりました。

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2021年11月16日 (火)

実質1日だけのビエンチャン

Tl0675

<ワットホーパケオ>MZ-3/FA35mm

2006年初頭のビエンチャンです。前夜ビエンチャンに到着し、本日が2泊目。翌日昼過ぎの便でバンコクに飛ぶので、残された時間は1日ほどでした。

回ったのは定番の観光コースですね。

ワットホーパケオはタイ語でいうなら「ワットプラケーオ」です。つまりエメラルド寺院。かつてはワットプラケーオに飾られているエメラルド仏をめぐって争奪戦となりました。エメラルド仏もかつてはここに安置されていたのです。

ですが、この緑の仏像をめぐっては結構各地を転々としています。単にラオスとタイとの争いごとだけではないようで。

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<本堂周りの仏像>MZ-3/FA35mm

この寺院は内部にも仏像が数多く展示されていますが、実は撮影禁止でした。

Tl0667

<見せしめ>IXY digital500

当時デジタル一眼レフはありましたが、とてもじゃありませんが一般人が購入できる代物ではないし、撮った画像のバックアップを取ることが難しかったので、カメラが趣味という人でもフィルムを使っておりました。

そのため、撮影禁止が見つかるとこうなるぞという見せしめですね。明らかに左側に転がるパトローネはフジのリバーサル用です。ちなみにこの時代、タラートサオでリバーサルフィルムを売っていました。

ま、そんな風に夢中になっていると周りに人がいません。この寺院は昼休みがありまして、門を閉めてしまうのです。慌てて出口に向かいますが閉められていました。大声で人を呼ぶと開けてくれましたが、もう少し遅かったらここに午後の開門時間まで閉じ込められていたことでしょう。なんともラオスですわ。

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<タートダム>MZ-3/FA35mm

次にパトゥーサイ(アヌサワリー、凱旋門)に向かう途中、ほとんど住宅地というところに突如現れるのがこちら。

黒塔ともいわれますが、周囲に寺院のようなものがなく、遺跡同然です。この周りでは子供たちが遊んでおりました。

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<パトゥーサイ>MZ-3/Sigma20mm

はるばる歩いてきました。世界一有名な凱旋門、パリのそれとはあまり似ていませんが、ランドマークとなっていて凱旋門の周囲がランナバウト(ロータリー)になっているところは同じです。

パリの凱旋門は地上からたどり着くのは至難の業で、地下道を通っていきます。こちらの凱旋門は地下道はありません。信号もないので、車道を横切る必要があります。でも、この交通量なので全然危険なことはありません。

でも、今は相当交通量も増えたんじゃないでしょうか。

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<正面より>MZ-3/FA35mm

たどり着きました。パリの凱旋門よりも高さ半分くらいですかね。

屋上部分にスローガンのようなものが掲げられていますが、ラオスは一応社会主義の体制なんですよね、現在も。まあ、それを感じることはほとんどありませんが。

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<見上げてみた>MZ-3/FA35mm

かなり装飾が細かいです。この凱旋門はラオス内戦の終結とパテトラオの勝利を記念して作られたものだそうで、比較的新しいです。天井部はこんな感じですが、薄汚れた感はあるんです。犬も昼寝していたりしますし。

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<ビエンチャン市街を望む>MZ-3/Sigma20mm

登ってみました。ホントに交通量が少ないです。そして、これ以上に高そうな建造物がありません。見通しがいいですね。

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<タートルアン>MZ-3/FA35mm

パトゥーサイからさらに歩いて到着です。黄金の塔ともいえそうですが。夕刻の光を浴びてまぶしいです。

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<メコンの夕暮れ>MZ-3/Sigma20mm

タートルアンからはトゥクトゥクで戻りました。歩いてもよかったのですが、メコンの岸辺で夕陽を見るためです。

それには間に合い、ついでにビアラオも一緒に味わうことができたのでした。

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2021年10月31日 (日)

ビエンチャンのオールドホテル

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<メコン>MZ-3/FA35mm

ルアンパバーンでトゥクトゥクをチャーターし、メコン沿いにある酒造りの村と洞窟を訪れました。

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<ATR-72>IXY digital500

その足で空港に行き、ビエンチャンへ。

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<Phoxay Hotel>IXY digital500

ビエンチャンのワッタイ国際空港でタクシーに乗ります。今から15年ほど前の話なので、宿は予約しておりません。

この時代、日本でのホテル予約サイトは2つくらいしかなく、Agodaなどのサイトは知られていませんでした…というかまだ存在してなかったのではないでしょうかね。当然、ラオス国内の宿は予約しようがなく、これは日本人に限らずいわゆるファランの人たちも現地で宿を見つけるということだったと思います。

1960年代に生産されたコロナがタクシーでした。料金メーターはなく、運ちゃんの言い値です。行先はガイドブックに載っているところを告げましたが、部屋が空いてませんでした。

では、ということで運ちゃんの知っているホテルへ。「ファソイホテル」とでも読むのでしょうかね。

ちなみに運ちゃんは英語ができなかったです。でも、ソ連へ仕事で行ったことがあるとのことで、ロシア語はできると。そして、旧宗主国の言葉、フランス語は話せるとのことでした。これらは単語の羅列で何とか意思疎通したものです。これで、ビエンチャンを出るときのクルマも頼んだのですから、何とかなるものですね。

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<狭いベッド>IXY digital500

一応、ダブルベッドみたいです。タオルの置き方がラオス流ですね。たたまれたタオルの中に石鹸があるはずです。

でも、ファランのお二人はここで寝るのか。

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<トイレ・シャワールーム>IXY digital500

1日目は問題ありませんでしたが、翌日温水が出ない羽目に。それは従業員が電気を切っていたからでした。

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<給湯器>IXY digital500

このタイプ、今でもバンコクのバジェットホテルやゲストハウスでは普通ですね。まあ、給湯器自体はもっと良くなっているでしょうが。ガスではなく電気でお湯を沸かすやつです。これのスイッチが廊下にあって、切られていたのですね。

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<唯一の調度品>IXY digital500

このような宿でしたが、ルアンパバーンから乗ってきたラオス航空に乗っていたファランも数名いました。

やはり、どこかが満室でここに連れてこられたかと。

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<朝食付き>IXY digital500

トースト2枚とフルーツ。それも、わざわざ皮をむいた柑橘類です。見かけも味も日本のミカンみたいな感じでした。

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<卵料理>IXY digital500

これがなければコンチネンタルの出来損ないですけど。まあまあ助かりました。

今となっては宿泊料金を忘れてますけど、USドルで支払ったのかタイバーツで支払ったのか。1泊10ドルちょっとだったと思います。

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<路上のティップカオ>MZ-3/Sigma20mm

ここを拠点にビエンチャンを観光いたしました。

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2021年8月 1日 (日)

サワナケートの800バーツホテル

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<ビアラオ看板>K-7/FA50mm

2012年の話です。

この日、タイのムクダーハンから国際バス(といってもごく短距離)に乗って、ラオスのサワナケートにやってきました。

この時代、旅行途中の宿は予約しておらず、飛び込みです。

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<Hoong Thip Hotel>K-7/DA21mm

サワナケート市街の中心部に着いたので、安宿感のあるここに飛び込みました。

フロントでの交渉によると800バーツとのこと。ラオスの通貨はキープですが、二重、三重で他国の通貨に依存するところがあって、タイのバーツもほぼ通用します。

事実、ラオス入国しても両替はしてません。当時のプミポン国王の肖像が印刷された1000バーツ札を渡すと、50000キープがつり銭として戻ってきました。

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<部屋>GR DIGITAL

115Aという部屋。階段を上がり2階にあるのですが、旧フランス領にも関わらず階の数え方はイギリス式でした。

全面に張られたタイルのような素材を使った床は清潔感があり涼しげでした。

テレビに大型冷蔵庫がついています。見えてませんがエアコンもあります。木製のタオル掛けもあって少量の洗濯物にはとても便利ですね。それに、部屋が広めです。

タイの地方都市だと1000バーツを切るくらいの価格で割と満足いくような部屋に泊まれますが、ラオスだとこれがさらに2割安いということでしょうか。

ただし、部屋にWiFiがなく、フロント周りのみでした。ブログ更新はそちらに出向いて行いました

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<洗面室>GR DIGITAL

写っていませんが、バスタブもありました。トイレも洋式でノズル付きです。ラオスの蛇口はちゃちなものが割と多くて、水を流しているうちに蛇口そのものの向きが勝手に動いてしまうこともあるのですが、ここではそんなことはありませんでした。

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<朝食付き>GR DIGITAL

朝食が付きます。忘れてしまいましたが、他に4種類くらい選ぶことができました。

中華のスープ麺にしましたが、ラオスではちょっと珍しい。ホテル名に漢字が当てられていたので(どんなものかは忘れました)、もしかすると中国系のホテルである可能性があるため、こういうものも用意されているのかもしれません。

タイではバミーナームとなりますがラオスっぽく野菜がたくさん入っていました。

ここ、その後値段が上がって1泊26USドルとかになってました。建物も新しくなったのかもしれませんが。

また、チェックアウトする際にベッドの下を覗くと、ごく小さなトッケイの干からびた残骸がありました。

サワナケートはメコン以外ほぼ何もないので、もう行くことはなさそうな気もします。それに、もうちょっと安い宿を探すでしょうね。

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2021年1月 6日 (水)

ルアンナムターの中国人

久々の「時を戻そう」シリーズです。

2008年8月、ワタクシはタイからラオスを経由し、中国雲南省のシーサンパンナにタッチして、戻ってくるという旅をしました。バンコクからチェンマイまでは飛行機を使いましたが、あとはすべて陸路(一部ボート)という旅です。

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<ルアンナムターの市場>MZ-3/FA35mm

ルアンナムターというところは市場に行くと、ヘビだの昆虫だのを食材として売っているようなところで、2008年当時としてもまるで開発の手が入ってないようなところでした。

まったく観光的な要素がなく、のんびりとしたラオス人だけの世界に思えました。町を歩き、市場を見てもう終わりみたいな感じです。それでも外国人向けのゲストハウスは数軒ありました。しかし、外国人向けのレストランはほとんどないに等しかったです。

それで苦労したのが夕食です。

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<中華レストラン>PowerShot*イメージです

街中に中国人経営のレストランを見つけました。まあ、いいかと入店しました。店員がお茶を持ってきます。中国そのものの茶葉とお湯が一緒くたになったものです。

茶葉が沈むのを待って、ぬるくなったお茶を飲みます。茶葉はしっかりと歯で受け止めるのです。

メニューが欲しいんですが、いかんせん言葉が通じません。

そのうち、中国人の団体がやってきました。それ以降、相手にされなかったです。

これは、今考えると、ワタクシがその中国人の先乗りのひとりと勝手に思われたようです。このレストランは最初から中国人だけを客にしているということでしょう。

Mk0609

<ビアラオ>GR DIGITAL

しょうがないので、その店を出ました。次に見つけたのは、テントの下で営業しているピンカイ(タイのガイヤーンと同じもの)だけを出す店です。

Bmc0276

<こちらはガイヤーン>PowerShot*イメージです

ピンカイは食べやすく切ってあり、ハーブの山盛りの皿も付いてきました。もちろんこういう店ですから、ビアラオもあります。ただし、あまり冷えてなかったような気がします。冷蔵庫がなかったんでしょう。

しかし、これはこれでなかなか美味しく、言葉は通じませんが酔っ払い同士の阿吽の呼吸みたいなものを感じたものです。

ただし、これでは腹が満ちませんので、またもや近くにあった麺屋で激安の麺を食べ、宿に戻りました。

さて、翌日。これから中国へ移動します。交通手段は中国行きの直行便のバスを見つけました。車内は外国人が3名程度です。あとはすべて中国人でした。

この車内、たばこは吸いまくられ、痰と鼻水の飛び交う世界でした。

なんで、この記事を書くことになったかというと、すでに当時からラオスに中国人が浸透していて、鉄道の建設とか森林伐採、鉱物の仕事などに従事していたのだということに気づいたからですね。

表立ってはわからないことなんですが、中国人は外国にいても中国人専用のレストランを作り、専用の移動手段を持っていたことになります。また、宿舎なども中国人専用のところがあったのだと思います。おそらく、ラオスにいても、ラオスの通貨「キープ」を必要とせず、すべて人民元で用が足りたのでしょう。

たぶん、ミャンマーなどにもこんなところがあるんだろうなと思いますね。スリランカでも中国人を嫌がるような発言をした老人に出会いました。

尖閣諸島に神経を使っても、いつの間にか日本にもこんな感じのコミュニティができているかもしれませんよ。

☆ネタは結構あるんですけど、ちょっと書いてみたくなりました。たまに、焼き直しの記事を書く予定です。

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2020年8月10日 (月)

メコンのほとりで

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<ビアガーデン>MZ-3/FA35mm

ルアンパバーンからビエンチャンに到着した翌日。昼間は観光。結構歩き回りました。初めてや久しぶりの訪問であると、ほぼ全力で観光してました。

今はだいぶ時間もたっていて、たとえ初めてのところでもできるだけのんびりします。観光する分、その街の風景や人物の写真を撮るほうを優先します。

昼間歩き回って、メコンのほとりにやってきました。いったんホテルに戻りましたが、時計を見ると夕陽の時間です。身体に鞭打って河岸に向かいます。幸い、川に近いところです。

ビエンチャンはラオスでは比較的観光資源のあるところですが、もう実質最終日だし、メコンの夕陽を眺めておくのもよかろうと。それに、事前の情報でこのメコンの夕陽を見ることのできる河岸には、ビアラオを飲ませてくれるビアガーデン風のところがあるということもつかんでいました。これは行くしかないでしょ。

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<ビアラオ>IXY DIGITAL500

大瓶を頼みました。当時の価格で8000キープ。氷は入りません。当時は氷を入れなくとも、東南アジアのナンバーワンビールと確信してました。

当時のラオスは首都ビエンチャンといえども、コンビニはなかったと思います。つまりは氷は貴重品です。新鮮な魚はその日川で捕ってきたものでした。海産物など皆無に等しかったです。なので、ラオス人も氷をビールに入れて飲むということはしなかったと思います。

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<夕陽待ち>MZ-3/FA50mm

周囲に観光客はまるでいません。99%ラオス人です。みんな夕陽を待っています。ひとりの人物がスマホを夕陽に向けているように見えますが、この時スマホは当然ありません。せいぜいガラケーを夕陽に向けている程度でしょうか。

なお、ガラケーもタラートサオにショップがあり、非常に驚いたのを記憶してます。でも、普及してなかったです。

Tl0756

<夕陽>MZ-3/FA50mm

川の向こう側はタイです。ノンカイではなく、シーチェンマイという小都市です。

この日の夕陽は期待通りでした。満足です。美味いビールも飲めたし。ではそろそろ、夕食に行きましょうか。

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<エアロビクス>IXY DIGITAL500

河岸の広場でエアロビクスをやってました。すでに暗い時間でしたが、当時のデジカメの性能はこの程度です。ストロボも発光させましたが。

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<カエル料理>IXY DIGITAL500

宿の近くにあった、「ナーンカンバン」というラオス料理の店です。

こちら、カエルの皮の唐揚げです。肉はほとんどついてません。ですが、ビールのつまみにぴったりです。でも、先ほどたっぷり飲んでしまったんですよね。

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<野菜炒め>IXY DIGITAL500

こちらは純粋におかずです。肉の入らない野菜だけの炒め物です。タイよりも量は多いですね。ラオスでは麺ひとつ食べるだけでも、大量の野菜とハーブが付いてきます。

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<カオニャオ>IXY DIGITAL500

今でも、ティップカオという竹で編んだ容器に入れて出てくるんですかね。タイだと決まってラップかビニールの中に入ってますよね。

今なら、このモチ米とおかず1品だけで十分な量です。

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<ミネラルウォーター>IXY DIGITAL500

もう、ビアラオは入らなかったです。総額、38000キープ。10USD渡して、65000キープのお釣りが来ました。

桁が多い通貨ですが、当時は円やドルに対して安値を付けていました。今は1USDでも10000キープ行かないもんな。

理想としてはメコンの河岸にテラス式のレストランがあればいいんですが。でも、雨季には水没する可能性はありますね。先ほどのビアガーデン風のところでも、何か食べることはできたと思います。

でも、伝える言葉を持たないし、メニューも読めません。それに、吹きさらしの照明もないところなので、夕食となるとかなり絶望的な気分になりますよね。今はどうなんでしょうね。

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2019年7月 2日 (火)

いいとこなんだけど物価が高い

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<ワットシェントーン>K-7/DA21mm

ラオスの奥地にありながら、そこは町全体が世界遺産です。

初めて訪ねたのは2005年の暮れでした。ここで年越しをしました。

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<托鉢>K-7/DA21mm

この町では早起きするのが当たり前です。なんたってそこらじゅうで托鉢をやってますから。

初めて訪れたときは飛行機でやってきたにもかかわらず、宿の予約はしてませんでした。そのかわり、空港で宿を斡旋してもらいました。

次に訪れたのは2008年。バスでやってきて、トゥクトゥクに宿を指定し泊まりました。なんかひなびたところでしたね。

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<カオソーイ>GR DIGITAL

チェンマイ当たりの同名の料理とは異なる麺。辛味噌がのっております。でも、それほど辛くないですね。そしてなんか美味い。

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<カオピャック>GR DIGITAL

ま、これはラオス北部に来なくてもあるんですが、トロトロに煮込まれた麺料理。出汁が効いております。からわらにあるおこわを入れるとなお美味し。

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<メコン>K-7/DA21mm

ここ、川の合流点です。向こう側がメコン。手前がカーン川。上流ですから泥水のような感じではありません。といって、透明ではありませんが。

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<朝の露店>K-7/DA21mm

メコンの恵みです。魚ばかりではなく、山の恵みもあります。そして、食用にするネズミや昆虫も売られています。

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<ナイトマーケット>K-7/DA21mm

夕方からは露店が並びます。食べ物はありません。ほとんど土産物。

いいことずくめみたいな感じですが、唯一の欠点は物価が高いことです。2014/2015の年末年始に3度目の訪問をしました。明らかに違うのが物価感覚です。バンコクの倍くらいの感じがします。2008年からの間に、かなりの観光客が訪れるようになりました。

カフェみたいな店がかなり増えてしまい、ラオスの地方都市の物価感覚とはまた違うようになってしまいました。中国人も結構訪れていますね。ちょっと遠出をするにも、タクシーやバスがありませんから、トゥクトゥクのチャーターとか変なところでお金がかかります。まだ、カオサンみたいにはなってないようですけど。

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