チャイナタウンと謎のバトゥ通り
深夜特急の足跡を追うVol.36
<PENTAX K-7/DA21mm>
前の記事の続編ともいえます。
こちら、クアラルンプールのチャイナタウンにあるスリマハマリアマン寺院です。見ればわかりますが、ヒンドゥ寺院です。
<K-7/DA21mm>
写真を撮っているくらいですから、異教徒も気軽に入れるところです。
そのかわり、靴を預ける必要があります。初めて訪れたときは、下足の預け料は必要ありませんでした。次に来たときは必要になりました。
<K-7/DA21mm>
関帝廟は中華街なのでやっぱりあります。先ほどのスリマハマリアマン寺院とは、斜めに向かい合うような位置関係ですね。
<PENTAX KP/DA21mm>
やはり中華街。食には困ることはございません。
さて、そんなクアラルンプールのチャイナタウンですが、あの深夜特急でも主人公は1泊だけ泊っております。
夕方六時にクアラルンプールの中央駅に着いた。
とにかくここは一国の首都なのだ。ペナンの時のように、歩いているうちに宿は見つかるだろう、などと甘く考えるわけにはいかない。私は駅の構内で学生風の若者を呼び止めては、どこが安宿街なのか尋ねた。何人かの話を総合すると、ひとつはチャイナ・タウンに、もうひとつはバトゥ・ロードという通りの周辺にあるようだった。私はクアラルンプールという街をよく知るためにも、どこでも似た印象になってしまうチャイナ・タウンを避け、バトゥ・ロードの安宿をあたってみることにした。
<沢木耕太郎「深夜特急」第五章 娼婦たちと野郎ども マレー半島II より引用>
ここでいう、「クアラルンプールの中央駅」とは現在のKLセントラルではありません。当時はKLセントラル自体が存在せず、現在のクアラルンプール駅のことです。
<KP/FA35mm>
位置関係でいうと、現在のチャイナタウンの入り口に近いLRTパサールスニ駅とクラン川を挟んで向かい合う、白いモスク風の建物がそうです。この建物はかつてはクラシックな駅ホテル(名称、ヘリテージホテル)だったそうで、同じくKTMイポー駅もイポー・マジェスティックというホテルがありました。
<K-7/DA16-50mm>
ありましたというのは、どちらも閉鎖になってしまったからです。
どうも、マレーシアという国はタイと違って古いものを好まず、リノベーションもしないようなところがあるようです。華僑の人たちはそうでもないのでしょうが。
さて、主人公の「私」はバトゥ・ロードを目指しますが、そこでは相手にされず、チャイナタウンに戻ってきて、現存しないと思われるマラヤホテルの近くの宿に落ち着きます。
ワタクシが探しているのはバトゥ・ロードなんです。Google Mapで探してみましたが、ありがちな「Jalan Batu」はシンガポールで見つかりました。クアラルンプールには有名なバトゥ洞窟がありますが、その近くにはJalan Batu Cavesはあります。ですが、クアラルンプール駅周辺にはないのです。その後に名称変更したのならば仕方ないのですが。
教えられた通り、駅前のメイン・ストリートを北へ二十分も歩くと、バトゥ・ロードに出る。
(中略)
チャイナ・タウンはそこから駅に向かって戻るような位置にあった。
<沢木耕太郎「深夜特急」第五章 娼婦たちと野郎ども マレー半島II より引用>
メインストリートを北上とあります。ですが、この道はまっすぐではなく微妙にカーブしています。考えられるのは2通り。そのひとつは駅の西側に出た場合で、中央郵便局を過ぎてキナバル通りかラジャ通りを歩いたと仮定します。すると、マスジット・ジャメとかムルデカスクエアを見たことになりますが、そのような記述はありません。かなり印象的な眺めだと思いますが。
<KP/DA18-50mm>
もうひとつのケースは、駅の東側に出た場合です。そこにはチェンロック通りがあり、微妙に右カーブし、現在のLRTプラザラキヤ駅やプドゥセントラルあたりに出るはずです。
<KP/DA21mm>
プドゥセントラルというのは現在はクアラルンプール近郊へのバスターミナル(マレーシアではバスステーション)ですが、かつてはプドゥラヤという名前のクアラルンプールのメインのバスターミナルでした。
近くにはプドゥ刑務所があり、プドゥセントラルから先は「プドゥ通り(Jalan Pudu)」となり、ホテルもかなりありますね。「Pudu」と「Batu」ときき間違えたのかどうか。
ともかく徒歩20分圏内なのでそこまで到達していないかも。いずれにせよ、LRTマスジット・ジャメ駅からプラザラキヤ駅の間、案外チャイナタウンからちょっと外れたセントラルマーケットあたりだったりして…。
<KP/DA18-50mm>
ま、いずれにせよ、チャイナタウンに落ち着いた主人公。チャイナタウンはどこでも似た印象…と記しておりますが、ここまでで通り過ぎたチャイナタウンはバンコクのヤワラートのみです。香港とマカオを巨大なチャイナタウンといってしまえばそれまでですけど。
その後、主人公はシンガポールで出会った二人組の若者に「宿で困ったら中華街を探せばいい。なぜならそこには安くて安全な宿が必ずあるから…」と諭しております。
<2023/01/19追記>
チャイナタウンのMalaya Hotelですが、facebookで「廃墟ビル」というご指摘がありました。気になったので、ネットで検索すると、TripAdvisorでコメントがついていて、2013年くらいまで営業していたようです。偶然所有していた「地球の歩き方 マレーシア・ブルネイ」2002年版で位置が判明しました。なんと、関帝廟の隣、トゥンHSリー通りとハンルキル通りの交わる角地にあったことがわかりました。
初めてKLを訪れたのは2010年の暮れですが、この時目にしていたとは思います。画像はありません、あしからず。
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