カテゴリー「Midnight Express」の34件の記事

2019年10月24日 (木)

沢木さんご宿泊、BPサミラービーチホテル、謎に迫る

深夜特急の足跡を追うVol.34

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<BP Samila Beach Hotel & Resort>KP/DA18-50mm

一応、沢木耕太郎氏の「深夜特急」とテレビドラマ「劇的紀行・深夜特急」の追っかけみたいなことをやっております。

当然ながら、沢木氏がソンクラーで泊ったとされるのがここですね。深夜特急の中では「サミラーホテル」という名前になっていますが、同じでしょう。サミラービーチにあるホテルはここだけで、「白亜の殿堂」のように見えたとのことですので、間違いありません。99%合っていると思います。

ということで、今回1泊だけしてみました。

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<魚の部屋番号>KP/DA18-50mm

ハジャイからロットゥとモタサイで到着しました。一応、タイでは高級に分類されるホテルだと思います。BPというグループ名が冠されています。ハジャイにあと2軒BPグループのホテルがあるようです。もう1か所どこかにあったようですが、メモを控え忘れました。ま、グループといってもホテル事業はそれほど大きくないようです。その他の関連会社についてはよくわかりません。

ここが肝心なんですが、高級に分類と書きましたが、それは地方レベルであって、ホーチミンのマジェスティックやジョージタウンのイースタン&オリエンタルほどの値段はしません。ぶっちゃけ、1泊5200円ちょっとでした。もしかしてAgodaのポイントを使用したかもしれませんが、まあ、大したことはありません。

それでも、一応高級ですから、かなり早い時間にやってきてすぐさま部屋を用意してくれました。しかもですよ、予約ではマウンテンビュー(カオタンクワンが見える)だったんですが、シービューにアップグレードしてくれました。このあたりの対応は柔軟で好感が持てます。

今回のホテルレビューはまるで欠点がないので、部屋の様子は画像で紹介しますけれども、一味違った持論を展開したいと思います。

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<客室、広いです>PowerShot

深夜特急は若き頃の沢木氏がデリーからロンドンまでを乗り合いバスで旅するという実体験に基づいて書かれています。その前段階でエアインディアの途中寄港地である、香港とバンコクに立ち寄り、バンコクからは陸路でシンガポールまで行くということも取り上げられています。この、ソンクラーはチュムポーンから乗った列車で腕に入れ墨のある男性から「ソンクラーはいいぞ」といわれてやってきた記述があります。

こういうところで勘違いしてしまうのが、深夜特急はノンフィクションですべて実体験に基づき書かれていると思ってしまうことです。7割くらいはそうかもしれないんですが、ワタクシも長年深夜特急を研究してきましたので、ちょっとした疑問が生まれたんですね。

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<客室、ベッド側から>PowerShot

ここでいい切ってしまいましょう、深夜特急は実体験を基にした小説であると。

沢木氏はその時海外に出たのが3回目です。最初は柳済斗vsカシアス内藤のボクシング東洋ミドル級タイトルマッチを取材するため韓国に行き、2度目は磯崎新氏のインタビューのためハワイに行っただけ。純粋初めてではなかったですけど、いきなり香港でベンツの君に勝手に案内されて重慶マンションに長逗留したり、チュムポーンで同乗してきた若者に案内されたホテルが怪しげだったり、極めつけはペナンの同樂旅社ですね。

こうも偶然にいくら当時のアジアとはいえ、そのような曖昧宿ばかりにたどり着かないのではないかというのが疑問の一つです。

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<冷蔵庫、瓶のミネラルウォーターのみフリー>PowerShot

ヒントはシンガポールでお世話になる現地駐在員です。沢木氏は旅に出るまで、TBSを母体とする「情報調査」という月刊誌をベースに活動していました。そのTBSのネットワークを駆使というか、香港、バンコク、クアラルンプールなどの特派員の連絡先くらいは控えてきたことと思います。その情報を基に、重慶マンションや曖昧宿にもぐりこんだのではないかというのが、ワタクシの推測です。

同樂旅社についていえば、ペナンのフェリー乗り場から徒歩で1時間近く歩かねばたどり着きません。その間に沢木氏が満足しそうな安宿はかなり存在したはずです。

で、このホテルに戻りますと、ハジャイで列車を降りて乗り合いタクシーで乗りあったおばさんの話でやってきたことになっています。ホテルの外観でかなり悩み、フロントで値段をきいて一瞬やめようかと思ったとありますが、フロント階に降りてきた日本人の現地駐在員に「このホテルはどうですか?」などときいて、結局は泊まることになるんです。

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<当然バスタブです、別にシャワーも設置されてました>PowerShot

現地駐在員、またしても偶然のようですが、TBSの特派員なのではないかと考えます。つまり、バンコクあたりでも連絡は取っていたと思いますが、ひとつ慰労も兼ねてソンクラーで落ち合おうという話があったのではないかと。

ソンクラーですが、別にホテルはここだけじゃありません。現在のロットゥ乗り場からすぐのところに、安そうなホテルやゲストハウスもあります。わざわざ、「サミラーホテル」をまるで狙ってきたようにも思えます。

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<洗面セット>PowerShot

沢木氏は「若き実力者たち」の印税をそっくり持って旅に出たといわれています。当時のこのホテルの値段がいくらかわかりませんが、1泊だけなら、問題ないでしょうし、TBSがらみでいえば、高度成長期の海外で働くサラリーマンのことですから、宿泊費、滞在費も出してくれていた可能性はありますね。

偶然といえば、インドの当時カルカッタに到着し、さてホテルはどうしようというときに、エアインディアのディレイで乗り継ぎに失敗したバングラデシュ行きの青年に用意されたオベロイホテルにただで泊ってしまうというのも、できすぎでしょうか。

また、テヘランで磯崎新夫妻が泊まっていたホテルの名前がわからず、ホテルリストからかたっぱしに電話して居所を見つけるというのも、かなりすごいことです。

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<バルコニー>PowerShot

まあ、深夜特急の中では実際に訪れていない場所については想像で書いていないので、半分はルポルタージュ的に記述を起こしていると思いますが、要は新聞の連載小説ですから、読者を惹きつける何かインパクトのあることも必要だったのだと思います。

ワタクシ的にはこれからも、沢木氏が深夜特急やその後の関連作品等で訪れた場所については今後も探っていこうと思ってます。内容が半分フィクションであっても、彼が足跡を残したことには違いないのですから。

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<ウェルカムフルーツ>PowerShot

ホテル紹介にちょっと戻ります。

このフルーツはチェックイン後、昼食を食べに行き、カオタンクワンに行き戻ってきたら置いてありました。タイでリンゴというのも、なかなかすごくないですか?

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<朝食券>PowerShot

全室朝食付きです。1室2名なので、券は2枚です。ここでのワタクシの名前はAGODAという人らしい。

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<ホテルレストラン>PowerShot

ごく普通のビュフェです。

その例の駐在員夫妻とこのレストランで会話したことになっています。このホテルにはほかにレストランがないので、ここで間違いないでしょう。夕食はここでと考えていたんです。ですが、なにかの祝いの宴に使用されていて、夕食はあきらめました。

2011年の元旦にここでとんびさんと食事してますから、まあいいかと。

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<朝食の一部>PowerShot

あとは、コーヒーとジュース、ごく普通のビュフェの内容を取って食べました。警察の制服やポロシャツ(背中にどこかのポリスと書いてある)を着た人が多かったです。

沢木氏がソンクラーで残した足跡はホテルくらいで、あとはサミラービーチで泳いだとあります。ちなみに、ビーチで海に入っている人はふたりしかいませんでした。街の観光もしてませんね。

今回ちょっと変わったアプローチでしたが、いかがだったでしょう。

今日のコンタイ

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<祈る>KP/DA18-50mm

カオタンクワンにて。そういや、ソンクラーやハジャイではモスクを見ませんでしたね。どこかにあると思うんですけどね。

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2019年9月16日 (月)

バトゥフェリンギで残り香を探す

深夜特急の足跡を追うVol.33

2019年8月4日(日)~6日(火)

今回の旅で1年半ほど前に訪れているペナンに立ち寄ったのは、ちょっと美味しいものを食べたいということもありますが、沢木耕太郎の「深夜特急」およびテレビドラマ「劇的紀行・深夜特急」に登場するわずかなものを探りに来たともいえます。

沢木さんの同樂旅社については取材してしまいました(ドラマにも登場)。今回はテレビドラマのほうを探ってみました。

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<ジョージタウンの消防署>PowerShot

簡単にドラマの設定を解説します。原作とはかなり違っています。

大沢たかお演じる沢木耕太郎はバタワースに列車で到着し、フェリーに乗ってペナンに上陸。宿探しをします。ここ、チュリア通りで老人のトライショー引きに声を掛けられ、同樂旅社に向かうことになります。その老人に声を掛けられたのが、この消防署の脇でした。

この消防署も現役ですが、100年くらいの歴史があるみたいです。近年外壁を塗りなおしたような感じがします。このあたり、ジョージタウンもよく考えているなと思います。

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<Rapid Penangのバス>PowerShot

同樂旅社では宿のお姉さんに声を掛けられるものの、その女性に同樂旅社のバーで「お金がないならバトゥフェリンギに行きなさい。海はお金がいらないから」とアドバイスされ、バトゥフェリンギに向かうことになります。

そういうわけでワタクシもコムタからバスで向かいました。片道2.7リンギ。おつりは相変わらず出ません。

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<某ゲストハウス>PowerShot

バトゥフェリンギでは今はなき「アーベンゲストハウス」に泊まる設定です。ゲストハウスの主人が日本人俳優の三田村周三(日本語を話すマレー人役)、その息子のケンちゃん(ペナンの藤竜也)ことJames Tan氏。ケンちゃんは日本語堪能で本物のビーチボーイだったと思われます。

アーベンゲストハウスはこのあたりの区画整理でなくなってしまいました。そのほかの宿はまだあるので、何とも残念です。映像ではアーベンゲストハウスは2階建てで2階にはバルコニーが付いていました。大沢たかおの部屋は1階の一番端でした。画像のゲストハウスが何となくアーベンゲストハウスに似ているんですが、入口付近はビーチに面していたので、もっと奥のほうでしょう。そのあたりはまるで建物がなくなっていました。

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<ケンちゃんと食事をしたレストラン?>PowerShot

大沢たかおとケンちゃんが食事をする場面があります。テラスのある席で、通りに面しています。ちょうどゲストハウス街から出てくるあたりにレストランが数軒並んでいます。その中でテラス席のある店はここだけ。店を覗き込んだ日本人観光客の夫妻と会話するシーンもあります。

ここで食事でもと思いましたが、結構高いので止めました。テレビドラマとはいえ、予算はかなり使っていたようです。香港編では今も活躍するキャシー・チャウ(麗儀役)やイーソン・チャン(張くん役)を使ってますからね。

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<日よけ>PowerShot

バトゥフェリンギでは「ビーチボーイに遊ばれた女」そめやゆきこと出会います。この日よけの下会話があります。この日よけはビーチにわずかしかありません。

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<フードコート>KP/DA18-50mm

そめやゆきこが働いていて、夜はカラオケを歌うフードコートが登場します。ゲストハウス街に近いところはここだけです。ステージが確認できます。

映像では「Golden Fenix」という名前でしたが、その看板はありませんでした。

何とも苦しいこじつけのような探索はこれで終了です。75%程度は合っていると思いますが。

何しろ、テレビドラマからも23年が経過しているんですね。テレビドラマのほうが映像もあるので、探しやすいんですが。沢木さんの「深夜特急」も40年以上が経過してしまいました。こちらもさらに、発見が難しくなりつつあります。

今日のマレー人

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<元ビーチボーイ>KP/DA50-200mm

バトゥフェリンギでマリンスポーツの各種斡旋を行うような人でしょうか。これで、日本語がペラペラだったら、立派なビーチボーイですね。

2013年に訪れた時、ビーチボーイと思しき人に「ビーチはこっちですよ」と日本語で話しかけられました。このあと、昼食をとったらそこの主人が日本語で値段を伝えましたからね。結構、日本語を話すマレー人はいると思われます。

でも、ここを訪れる日本人が激減しているでしょうね。そのうち中国語を話すビーチボーイも登場するかもしれません。

ちなみに、ビーチボーイは日本人女性と仲良くなっていろいろおいしい思いをしている人たちですね。日本人と結婚している人もいるそうで。

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2019年2月26日 (火)

ハワイの沢木氏

深夜特急の足跡を追うVol.32 番外編

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<ある種の史跡>KP/DA21mm

ホノルル4日目。最終日です。この日は2日目に雨で中断となった「ホノルル史跡巡り」の続きを行いました。

カラカウアアヴェニューを進んでいくと、不意にサーフボードの並んだ路地が現れました。ちょっと気になって進んでいくと、ビーチになります。そうです。そこがワイキキビーチなのでした。

ま、徒歩でやってこられるとしても、アラモアナホテルから水着のままで歩いてくるのは常識外の行動となります。

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<モアナ・サーフライダー>PowerShot

ま、それはともかく、そのビーチの背後にいかにもコロニアル様式のホテルがありました。なんか気になってガイドブックを開くと、現在はMoana Surfrider,A Westin Resorts & Spaという長ったらしい名前です。

1泊ツインで340ドルから。スイートで1350ドルからという、とんでも超高級ホテルですね。

ですが、このホテル一番上のプレートに記されている通り、1901年開業、ハワイで最も長い歴史を持つホテルなんです。当時の名前はMoana Hotel。

その名に記憶がありました。

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<中庭のバニヤンツリー>KP/DA21mm

あの沢木耕太郎氏が若き頃泊ったことがあるんです。

沢木さんはまだ「若き実力者たち」を出版する前の無名時代、とある研究会に参加することになります。そこで、当時は新進気鋭の建築家、磯崎新氏と知り合うことになります。

 そんな風にして二年ほどが過ぎた。
 あるとき、磯崎氏がハワイ大学で集中講義をすることになった。すると、今村氏は、私にこんな提案をしてきた。一緒にハワイに行かないか。一週間ほどハワイに滞在し、一日数時間だけ磯崎氏と対話する。それをテープレコーダーに録音しておき、資産家に聞かせる。要するに、磯崎氏の建築に対するイメージの引き出し役を務めないかというのだ。(中略)

 あまり期待はしてなかったが、そのハワイでの日々は信じられないほど楽しかった。泊ったホテルはモアナというコロニアル風のホテルであり、低層の木造建物のたたずまいが魅力的だった。そのホテルの一室で、午後の二、三時間雑談をすると、あとは何もすることはない。砂浜に出て泳ぐか、部屋で昼寝をしているか。そして、夜になると、磯崎夫妻や今村氏たちと食事に行く。帰りには、涼しい夜風を浴びながら、みんなで土産物屋を冷かしたり、ゲームセンターで遊んだりする。
(沢木耕太郎「旅する力 深夜特急ノート」より引用)

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<ホテル内部>PowerShot

深夜特急の旅に出る2年くらいまえのことでしょうか。と推定すると、1972年あたり。創業当時はこの前の通りを路面電車が通っている写真が残っています。

2枚目の写真は旧モアナホテルと形状は同じものですが、すでに木造建築ではなくなっています。ウェスティングループと手を組んでからは、隣接する建物を買収しそちらはかなり高層のビルとなっています。

正面のフロントから入ると、コロニアル様式が残されています。

沢木さん、さりげなく書いていますが、その当時でもここは格式あるすごいホテルだったのではないでしょうか。まあ、連れていかれたも同然で、自分のお金はほとんど使ってないのですけど。

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<バニヤンコートヤード>KP/DA21mm

この中庭でラジオ番組「ハワイ・コールズ」が放送されました。1935年から1972年ごろまでだそうです。この番組は世界中で流されたそうです。もしかしたら、沢木さんが滞在していた時にも番組があったかもしれません。

沢木さんは夕食の席でサラダのドレッシングを何にするかきかれ、フレンチドレッシングと答えたものの相手に通じず、磯崎夫人の宮脇愛子氏から「Have」を使って訪ねるといいとのアドバイスを受けます。すると、相手が理解してくれたと。

この「Have」を操りながら、香港からロンドンまで旅をしたともいっています。

しかし、わずか24、25歳くらいでこんなところに泊まれてしまう。このあたりは「深夜特急」に何回も出てくる偶然ではないんですが、なんとラッキーな星のもとに生まれた人だなあと感じますね。

つうことで、ワタクシも偶然ながら沢木氏の足跡をハワイで見つけました。その後の沢木氏はハワイ、それもホノルルあたりが大好きになり、アパートなどを借りて普通の生活を楽しんでいた時もあったそうです。

世界で一番好きな場所ともいってますね。

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2018年5月27日 (日)

ハジャイとソンクラー

深夜特急の足跡を追うVol.31

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<ハジャイ駅>K-7/DA21mm

今から8年ほどのことです。ペナンからハジャイに到着しました。この時はバンコクまで行く予定で列車で行ければなどと思っていたんです。結局無理だったんですが、ここで日本人に声をかけられました。

その後一緒に遅い昼食をとり別れましたが。沢木氏はチュムポーンから列車でハジャイにやってきていました。ですが、車内で腕に刺青のある男性からソンクラーの話をききそのままソンクラーへと行ってしまいました。

なら、自分も行くかというのが沢木ファンの心情であります。ちなみに、ここでとんびさんとオフし、とんびさんも同行です。

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<ロットゥ>GR DIGITAL

泊っていたホテルでソンクラーのことをききました。向かいの横断歩道を渡ったところあたりにバスが来るとのことです。バスは緑とのことでしたが、やって来たのはロットゥです。歩道で客待ちしていたモタサイのドライバーに「ソンクラー?」ときくと、そうだと頷きます。

このロットゥでは料金徴収にザルが回ってきました。いくらかわからないのでどうするかと迷っていると、周囲の乗客が30バーツと教えてくれました。

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<ソンクラーに到着>K-7/DA21mm

ここから少々歩いてサミラービーチに出ます。

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<サミラービーチ>K-7/DA21mm

タイで初の海です。白砂がまぶしいです。海水浴客はあまりいなくて、わずかにタイ人が着衣で海に入っているくらいです。ここで沢木氏は久しぶりに海の水を存分に味わったとあります。

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<廃船>K-7/DA21mm

ビーチの先ではタイ人が貝殻を集めていました。おそらく、貝殻でアクセサリーでも作って売るのでしょう。

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<BPサミラービーチホテル>K-7/DA21mm

海岸沿いにある唯一のホテルです。ここに、沢木氏は宿泊したはずです。「はず」というのは「サミラーホテル」と名前が変わっているからです。でも、ビーチにあるホテルはここだけ。しかも「白亜」と形容していることからここで間違いないでしょう。

沢木氏は「若き実力者たち」の印税をそっくり持って旅に出ました。金がないといいつつも、いざというときの資金はあったはずです。ここで泊まるか迷っていると、日本人の宿泊客に出会い、泊まることにしたのです。

その晩、ソンクラーの街に出て、安くあげようとしたようですが、再び日本人の宿泊客に出会い、ここのレストランで食事をすることにしました。

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<ホテルレストラン>GR DIGITAL

料金不明ながらここで食事することにしました。沢木ファンなら必須ですね。

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<シーフード>GR DIGITAL

どういうことか、もう1品はヤムタレーでした。炒めているかサラダのままかという違いで、中身の具はほぼ変わりません。当時もっとタイ料理の知識があればと悔やまれます。

このレストランで、沢木氏は日本人宿泊客の夫婦と意気投合し、遅くまで話し込んだようです。それでも、沢木氏はすぐチェックアウトし、ハジャイからマレーシア国境行きの列車に乗り込んだのですね。

ま、我々ができるのはここまででした。

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<緑バス>K-7/DA21mm

相当なおんぼろバスです。帰りはロットゥが見つけられなかったので、バスにしました。料金20バーツ。10バーツ安いのはノンエアコンということが関係しているのかも。

バスの降車場からは自分のホテルが見えたので、道に迷うことはありませんでした。

☆この記事は「沢木耕太郎の足跡を追うその2~サミラー・ホテル」を再構築しました。kimcafeさんが明日、ソンクラーに行くそうで。カブトガニの屋台もありますよ。

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2018年3月10日 (土)

同樂旅社に潜入してみる

深夜特急の足跡を追うVol.30

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<Kafe Golde Apple>KP/DA21mm

 さらに歩いていくと、かなり安そうな旅館が見つかった。同楽旅社、とあるからには華僑が経営する宿なのだろうが、どこか当たり前の旅社とは異なる奇妙な雰囲気が漂っている。それは広い前庭の奥に建っているということもあったが、なにより一階がバーになっているということが大きかった。
(沢木耕太郎「深夜特急」娼婦たちと野郎どもから引用)

もう何度も書いていますが、沢木耕太郎氏はペナンで同楽旅社という宿に長期滞在しました。2013年に訪れた時、ここを何とか探し当てたかったのですが、無理でした。「深夜特急」の中で、ジョージタウンのフェリー乗り場から、ここにたどり着くまでの記述から推測したところでは、チュリア通りとシントラ通りあたりの周辺なのではと勝手に思っていたのですね。

その後ネット検索すると、Tune Hotelの向かいに名前を変えて今もあるということでしたので、またしてもペナンに行く動機のひとつとなったのです。

うーん、ここか。

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<裏側>KP/DA21mm

ともあれ、現在は宿としての営業はすでに終わっていますので、とりあえず周囲を観察します。

入口側の外壁は塗りなおされていましたが、脇はこんな感じです。

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<一部トタン外壁>KP/DA21mm

1996年放送の「劇的紀行・深夜特急」でも、ここが舞台になっていまして、その時の外壁の色は白でした。

沢木氏は2階の「通りに面した部屋」に泊まったとあります。部屋にいると前庭にいた若者が沢木氏を呼ぶという記述がありますので、1枚目の画像のアーチの上にある部屋を使用していたようです。

部屋にはシャワーもトイレもなく、共同のものを使っていたようです。劇的紀行・深夜特急でもこのトタンの部分から突き出たところが水場のようになっていましたので、ここにマンデールーム(浴室)とトイレがあったのでしょう。

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<タイガー小瓶>i Phone5c

宿がラングーン通りにあったものでしたから、この前は何度も通りました。

夕刻を過ぎると前庭は真っ暗です。暗い中女性の話し声も聞こえます。ご存知の通り、沢木氏の時代の同楽旅社はバーと宿という形態ではあったものの、実態は娼館でした。

その後、宿は廃業になりバーとしてのみ生き残って来たようです。でも、実態は変わらないみたいですね。

まあ、眺めているだけではしょうがないので、寝釈迦寺院の帰りに立ち寄ってみました。ビールの小瓶が17リンギットです。フードコートの倍の価格です。

 
内部は真っ暗でして、どちらにせよあやしげなので、カメラはバッグにしまってスマホだけを頼りにしばらく滞在しました。
 
すると、撮影に気づいた女性が近寄ってきて、やんわりと注意します。ここで働いているのはベトナム女性が多いとのことです。ここらで退散しますか。
 
女性たちと意気投合すれば、2階に行けるはずです。第3の旅でペナンを訪れるはずのkimcafeさんにあとはお任せしましょう。カラオケもあるみたいですよ!

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2018年1月10日 (水)

チュラロンコン大学のフードコート

深夜特急の足跡を追うVol.29

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<チュラロンコン大学>KP/DA18-50mm

バンコクに舞い戻りました。バンコクには4泊することになります。前半のバンコクではタマサート大学に行ったので、チュラロンコン大学に行くことにします。

深夜特急の中で、沢木耕太郎氏はシープラヤー通りのタイ人向け旅社に泊まりしばしば、チュラロンコン大学の学生食堂で食事をしたという記述がみられます。

宿のあるプロンポンからサヤームに出ます。サヤームスクエアを抜けると校舎が見えてきます。2015年の年頭、やはりチュラ大の学生食堂に向かったことがあります。その時はあまりにも学生食堂にこだわりすぎて、大学の中ほどにある門から入り込もうとしましたが、ほぼすべての門が閉まっていてミッション・インポシブルだったのです。

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<フードコート>KP/DA18-50mm

門を入り、すぐに購買部のようなところにたどり着きました。なんか普段着の人たちが買い物をしています。学生向けのはずですが、ほかで買うよりちょっと安いからか、いろいろな人が利用しています。

そこを抜け階段を降りるとすぐにフードコートにたどり着きました。ここも一般人であふれかえっています。購買部もフードコートもいってみれば業者が入っていますから、たくさん売れれば細かいことはいわないですね。マイペンライでございます。

まだ、朝食を食べたばかりなので構内を歩き回ります。

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<健康器具>KP/DA18-50mm

ここも一般人が使っています。まあ、大学生は授業もあるでしょうから、まるで姿が見えません。

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<学生>KP/DA50-200mm

おお、やっと学生がいました。ここは普通に木製のテーブルと椅子が置いてあるスペースです。大学生になっても、基本、白シャツと黒のパンツかスカートですから、高校生くらいにしか見えませんね。

でも、この人たちはタイの最難関大学に入る頭脳があるのですね。また、そこまでたどり着くには相当な投資が必要なわけで、この人たちは良家のお坊ちゃんやお嬢さんでもあるわけです。

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<掲示板?>KP/DA50-200mm

こういうものもありました。何気に英語で書かれていますよ。

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<マンゴージュース>i Phone5c

フードコートに戻りますが、まだ腹がすかないので、カップに果物を入れたものを直接ミキサーにかける店でジュースにしてもらいました。20バーツと確かに安いです。

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<食事中>KP/DA18-50mm

そのうち授業が終わったのでしょうか、学生たちが繰り出してきます。

それにしても、エリートは辛いですね。夏でも、長袖のシャツです。女子は半袖ブラウスなのでちょっとは楽かもしれません。

沢木氏はここで食事をしていると、隣の学生に話しかけられたそうです。当時起こっていた民主化要求デモの影響でしょうか、反日的な批判をされたようです。沢木氏がドンムアン空港で100円玉と1バーツ硬貨を交換したキャン君も大学生でしたが、ほとんど英語は話せなかったようです。タイ語ができない沢木氏に英語で政治の話をする。やはりエリートですね。

当時の民主化要求デモはチュラロンコン大学の学生やタマサート大学の学生が、権力と戦い、それを迎え撃ったのが職業学校の学生だったようです。

これを現代に置き換えてみると、どうでしょう。いわゆる赤シャツ派と黄シャツ派のことです。おそらく、この学生たちは持っている利権を維持する黄色い方に加担するでしょう。

今日のコンタイ

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<モタサイ信号待ち>KP/DA18-50mm

ちょっとわかりにくいと思いますが、これは歩道橋の真下なんです。停止線より少し前に出た状態。つまり、普通の位置で信号待ちをすると太陽がまともに当たって暑いですよね。

少しでも涼しいところで信号待ちをするという、タイ人ならではの思考の一つです。

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2017年8月31日 (木)

タマサート大学に潜入

深夜特急の足跡を追うVol.28

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<チャオプラヤー川>KP/DA18-50mm

バンコク3日目のことです。当初はパックローン市場に行くつもりでしたが、チャオプラヤー・エクスプレスボートが通常ならば停船するはずの船着き場に止まらず、ター・チャーンというところで降りることになりました。

オレンジ船なんですが、明らかにオレンジ船の運行ルートと異なり、ター・チャーンの前は対岸のワット・アルンに止まりました。通常であれば、ワット・ポー近くのター・ティアンというところのはずです。

この理由はおそらく、プミポン前国王の弔問と関係しているようです。ター・チャーンはワット・プラケーオと王宮に近いです。ター・チャーンで降りると黒服の人たちでごった返していました。

さて、どうするか。ラッキーなことに少し歩いたところにタマサート大学があるのです。ここで、「劇的紀行・深夜特急'96」のロケをしていました。それは、大沢たかおが学食で食事をするというシーンですがほんの一瞬です。

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<タマサート大学>KP/DA18-50mm

原作では沢木耕太郎氏はタマサート大学ではなくライバルのチュラロンコーン大学で学生に混じりよく食事をしたという記述があります。

沢木氏はシープラヤー通りのタイ人向けの旅社らしきところに長逗留していました。一方、大沢たかおらはカオサンがベースでしたので、学生に混じって食事をするシーンは近くのタマサート大学が都合がよったと考えられます。

いくら20年以上前のタイでも撮影には許可がいるでしょうが、割と簡単にできたのではないかと思います。あるいは、無許可でビデオをまわした可能性もあります。それくらいあっけなく大学に入り込めるのは当時も今も同じです。

マハラートの門から入ると、整然としたキャンパスが続きます。さらに奥の方に行くと、東屋やベンチも現れます。外の空気に触れながら自習をすることもできます。もちろん学生が多いのですが、近所のオッサンなども涼を取っていたりします。

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<吹き抜けの一角>KP/DA18-50mm

吹き抜けのような一角にテーブルと椅子が並ぶところに出ました。ここで自習や談笑する学生もいます。数名は食事をしています。食事を提供するようなところはありませんが、ありませんが、食べ物の匂いが漂ってきます。

大沢たかおもこんなテーブルで食事をしていました。

さらに歩くと、食堂らしきところに出ました。

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<フードコート>KP/DA18-50mm

おお、これです。学生食堂には違いありませんが、画像の右側にはいくつかの店があり、ここで口頭注文してセルフでテーブルに運び食べることができます。では、ワタクシも。

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<バミーナーム>GR DIGITAL

無難にバミーの全部のせにしてみました。30バーツと格安です。国立大学に通う学生向けなのでこの値段ですかね。でも、タマサート大学は超エリート校で、金持ちでないとここまで辿り着けないです。

こういう値段でもあることから、ワタクシのように明らかに学生でない人間もここで食事をしています。…というか、誰も気にしません。

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<拡大>GR DIGITAL

フードコートなので、テーブルには麺用の調味料4種は置いてありません。店の近くに用意されていますので、写真を撮る段階で唐辛子なども投入されたあとです。

具は、魚肉のルークチンと、豚肉のルークチン。かまぼこ風の魚のつみれ、おこし風の米の加工品、モヤシなどの野菜です。豚肉のルークチンは挽き肉を固めたような感じで、粗挽きのルークチンといった感じです。値段の割りに具だくさんで、割と美味かったです。

でも、量は少ないですね。

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<フードコートに集う人々>i Phone5c

もちろん学生はいますが、よく見ると黒服の人が多いです。タイの大学生は上は白のワイシャツと校章入りのネクタイ、下は黒のスラックスと決まっています。女子は白のブラウスとなり下は黒のスカートで、校章入りのベルトを巻きます。

学生が私服で大学に来ても授業を受けられないくらい、この制服は徹底しています。従って上下黒服は一般人で、王宮に弔問に行く人たちですね。

その他普段着の人もいます。タマサート大学の「学生向け食堂」には違いありませんが、近所の人にとっては便利なフードコートですね。

それから、「劇的紀行・深夜特急」の映像を見ると、大沢たかおが食事をしているのは木製のテーブルでした。先ほどの吹き抜けのところですね。大々的にロケをすると面倒なので、吹き抜けのところにスタッフと俳優を待機させ、フードコートから食事を運んで撮影したのかもしれません。

今日のコンタイ

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<チャオプラヤー・エクスプレスボートの料金係>KP/DA18-50mm

数年前はオレンジ色のポロシャツでしたが、また制服が変更になったようです。制服が変更になっても、小銭の入った金属の筒を鳴らしながら人々の間を回るので、すぐにわかりますね。

ちなみにサートーンの乗り場では事前にチケットを売るようになりましたが、船内ではこの人の検札を受ける必要があります。チケットといってもバスのやつと同じです。金属の筒を開いてチケットに切れ目を入れます。これまたバスと同じです。

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2017年7月20日 (木)

香港の沢木氏ダイジェスト

深夜特急の足跡を追うVol.27

ますますネタがなくなってきました。枯渇の一歩手前です。

古い写真でひとつひねり出しました。

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<ロールスロイス>K-7/DA21mm

香港はその面積の割りにロールスロイスなど、希少な超高級車が頻繁に目撃できるところです。人口比にして台数がかなり多いらしいです。それだけ破格の金持ちがたくさんいるかららしいですが、中国が介入してきてその構図は変化が出てきましたかね。

余談です。やはり超高級車を製造するイタリアですが、街中でフェラーリ、ランボルギーニ、マセラッティなどほとんど見かけることはありません。

で、こういうクルマが止まっているところは、泣く子も黙るペニンシュラなんです。

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<ペニンシュラ>K-7/FA50mm

何たってホテルという名称がつきません。「The Peninsula」。ただそれだけです。不遜すぎます。

シンガポールのラッフルズもペナンのイースタン&オリエンタルもホーチミンのマジェスティックも「ホテル」が付くんですよ。「ホテル」が付かなくとも、バンコクのマンダリン・オリエンタルなんかは複数の言葉で名称が成り立ってます。同じようなところはバンコクのスコータイだけかも。「The」も付きませんね。

さて、ここで沢木氏はレセプションに近づき香港の地図をもらいました。一応、「フリー?ただ?」ときいたところが旅の第一歩である香港ともいえましょう。

1年以上もの長旅に出るのに、ガイドブックがありません。あるのはアジアやヨーロッパの地図が数枚。ま、考えてみれば、当時のガイドブックは使い物にならないし、それも全部用意するとなると、とんでもない荷物になりますから、至極当然ですね。

さて、ここはロビーでアフタヌーンティを頂くことができます。ワタクシも不遜にも頂いたことがあるのです。凄く前だったので、値段は忘れました。今なら数千円単位するんじゃないでしょうか。もったいない。

そのロビーにいると、オーケストラがバロック音楽などを流します。CDなどの効果音ではなく、ロビー上部にあるテラスのようなところで実際に楽器を持った人たちが演奏をしているのです。アフタヌーンティを頂くところからは見えませんが、ある角度からは手の動きなどがわずかに見て取れます。

いやー、なんて不遜なところなんでしょう。泊まってみたいけど、絶対泊まらないでしょう。

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<YMCA>K-7/DA21mm

こちらは、そのペニンシュラの隣にあるYMCAです。重慶マンションに1泊した沢木氏はここで1泊の値段をきき、どうしようかと思っていると、欧米系のバックパッカーから部屋をシェアしないかと提案されます。

でも、結局は泊まることはありませんでした。

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<YMCAのレセプション>K-7/DA21mm

YMCAと名乗りながらも、相当なホテルです。おそらく世界各地にあるYMCAの中でも最も高額なのではないかと思います。

YMCAはかつて油麻地にもありました。そちらの方がこの尖沙咀のYMCAより安く、手軽に利用できました。ワタクシも2度ほど利用したことがあります。でも、そちらはYMCAであることをやめて、普通のホテルに変わり名称も変更されています。

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<路上で文字を書く人>K-7/DA21mm

重慶マンションのあたりには、路上にチョークで美しい文字を書く物乞いがいたそうです。

ここは香港島の巨大歩道橋の一角です。もちろん直接文字を書いてしまったら、排除されてしまう可能性があり、この人はシートの上で文字を書いています。

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<廟街>K-7/FA50mm

沢木氏はここに偶然入り込み、入り浸ることになります。大沢たかおもロケをしていました。沢木氏の時代は香港のガイドブックには「危険なので行くべきではない」などと書いてあったそうです。

まあ、まともに取材していない証拠ですね。当時は健在であった九龍城の方が無法地帯で黒社会の人たちが跋扈していたはず。

沢木氏はおそらく1ヶ月以上香港に滞在していたようですが、新界方面には行かなかったようです。

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<アバディーン>K-7/DA21mm

そのかわり、香港島の香港仔に行き、水上生活者の子供たちと遊んだりしました。今は再開発され、面影もありません。

26歳でしたから、毎日が発見、毎日が驚きだったんでしょうね。

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2016年12月23日 (金)

エムバーに行ってみた

深夜特急の足跡を追うVol.26 番外編

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<ホテルマジェスティック>GR DIGITAL

いよいよ旅レポ最終回です。

沢木耕太郎氏はマジェスティックの屋上にあるバーをよく訪れていました。ということで、ワタクシも潜入いたします。

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<エムバー>GR DIGITAL

 ホテルの部屋に戻り、シャワーを浴びてから、屋上のテラスに出た。そこは屋根のあるバー・カウンターとオープン・エアーの部分に分かれており、オープン・エアーのステージではラテンのバンドによる生演奏が行われていた。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

沢木さんが毎日のように訪れたのは、「ブリーズスカイバー」でした。そちらは旧館にあり、上がってみるとレストランっぽい感じでした。すでに予約客でいっぱいで、あまり気軽に利用できそうになく、もうひとつある新館のエムバーに行ってみました。

 席は前日と同じくオープン・エアーのサイゴン河を見下ろせるところに坐った。何を呑もうかと考えていると、ボーイが持ってきてくれたメニューの中に「ミス・サイゴン」という名のカクテルがあるのが眼に留まった。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

場所は異なるのですが、雰囲気はとても似ています。ワタクシもサイゴン川が見下ろせるところに座りました。

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<サイゴン川>i Phone5c

高めの椅子に丸いテーブルです。後ろからは日本語が聞こえます。こうしたところで酒を飲む、いいですね。値段とかはあまり気にしないようにしました。おそらく東京のバーで飲むよりは安いかと。

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<ミスサイゴン>GR DIGITAL

頼んだのはミスサイゴンです。皮付きのピーナッツ付きです。

 出てきたミス・サイゴンは、スピリッツにライムを絞り込み、甘みを加えるために何らかのリキュールを数滴たらしたものだった。しかし、そのリキュールが何なのかは、私の粗雑な舌では識別できなかった。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

そう、ワタクシもわかりませんでした。しかしそんなことはどうでもいいじゃありませんか。夜風に吹かれ、気分はいいです。

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<ジャックダニエル>GR DIGITAL

2杯目はバーボンを頂きます。これまたいいですね。

合計380,000ドンです。でも、サイン払いですよ。一回これやってみたかったんですよね。

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<ホー・チ・ミン・は何思う>GR DIGITAL

長々とレポートしてきたインドシナ横断旅もこれで終了です。まだまだあるんですが、いつの日かまた披露していきたいと思います。

それにしても、ベトナムの発展、ホー・チ・ミンは想像できていたでしょうか。いや、ベトナムだけでなく、カンボジアも凄いことになっています。タイはこのあと国王崩御でまた展開が変わりそうですね。

御拝読ありがとうございました。このあと間をおくことなく、台湾南部の現地レポを開始予定です。こちらもよろしくです。

今日のベトナム人

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<達筆>K-7/DA50-200mm

今やベトナムはアルファベットと記号による表記になっていますが、その昔は中国の支配ということもあり、漢字を使用していました。また、チュノムという漢字を組み合わせた独特の文字を使用していた時代もありました。

ま、おそらく中国系の老人、えらく達筆です。ハノイの文廟にて。

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2016年12月15日 (木)

Hotel Majestic Saigon

深夜特急の足跡を追うVol.25 番外編

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<憧れのドンコイ通り1番地>K-7/DA50-200mm

サイゴンで最後に泊まったのはここでした。通常宿の予約ははじめの方から埋めていくんですが、今回ばかりはここが最初です。

それはなぜってもうおわかりでしょうが、沢木耕太郎氏が泊まったからです。

 しかし、外観はさほど立派なものではなかったが、中に入るとロビーはクラシックな雰囲気で満たされていた。天井からはシャンデリアが下がり、木製の自動ピアノがショパンを演奏している。レセプションにいる女性はアオザイを着ており、柔らかい物腰でチェックインの手続きをしてくれた。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

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<レセプション>GR DIGITAL

わたしゃ、1泊9000円ちょっとなので思い切って予約しました。あ、でもAgodaのポイントもつけてですから、もうちょっと高いかもしれません。

そう、外観はあまり冴えない感じです。ペニンシュラやラッフルズよりは威圧感が少ないですね。でも、中は割といい感じです。チェックインすると、手続きをしてくれたアオザイ女性がそのまま部屋に案内してくれました。

タクシーを降り、キャリーバッグを持ってはいるのですが、すぐにベルボーイが荷物をキープします。荷物はあとから届けられました。

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<例のピアノ>GR DIGITAL

ショパンはかかっていなかったような。

パッケージツアーを使っていたときには格のあるホテルにも泊まった経験はあります。でも、格があって歴史もあるクラシックホテルにはあまり経験がありません。もちろん、個人旅行をするようになってからは、コストパフォーマンス重視ですから、せいぜいバンコクのセンターポイントくらいです。それも割安な時間帯を狙ってですね。

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<ベッド>GR DIGITAL

案内された部屋は2階でした(日本式に数えるなら3階)。開業は1925年とE&Oとかペニンシュラ、ラッフルズよりは新しいですね。

でも、ベトナム戦争時代は各国のジャーナリストたちが宿泊し、歴史をかいま見たホテルですから、ペナン、シンガポール、香港の英国系コロニアルホテルよりも意味があるところかもしれません。

ここには旧館と新館があるのですが、旧館でした。沢木さんも旧館だったそうです。

扉を開けると、エントランスの小部屋があり、それと区切られたかたちでベッドルームがある。そこには木製の大きな机が据え付けられており、布張りのソファーとテーブルもセットされている。テーブルの上には籠に入った果物とミネラル・ウォーターがのっていてマネージャーからの手紙が差し込まれている。床も木でできているが、歩くとギシギシというようなことはなく、きれいに磨き上げられている。
(沢木耕太郎「一号線を北上せよ~ヴェトナム街道編」より引用)

んー、残念ながら「エントランスの小部屋」はなかったです。やっぱりマジェスティックで一番グレードの低い部屋ですね。それでも満足です。

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<フルーツ>GR DIGITAL

ランブータンとバナナは食べました。ま、昼食替わりということで。マネージャーからの手紙はありませんでしたね。そのかわりなんでしょうか、テレビをつけるとメッセージが流れました。これに取って代わっているんでしょうかね。

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<浴室>GR DIGITAL

広いです。この旅で初めてバスタブに湯を溜めてゆっくりと浸かりました。

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<ネーム入り>GR DIGITAL

これは土産になりますね。ミネラルウォーターはここにありました。トイレは当然シャワートイレです。

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<金の蛇口>GR DIGITAL

決して嫌味じゃないセンスです。洗面台も同様です。

Cv2900

<クッキーと蘭>GR DIGITAL

ブンダウマムトムを食べて戻ると、ベッドメイキングされていて、こんなものが置いてありました。

沢木さんはサイゴン川に面したリバーサイドの部屋で、バルコニーが付いていたそうです。わたしゃ、プール側の部屋でバルコニーはありません。窓を開けるといきなり廊下で、ずっとカーテンをしていました。ま、ケチったから仕方ありません。

部屋にはもちろんWiFiがあります。というか、全館WiFi。大きな声ではいえませんが、パスワードがかかっていません。たぶんないと思いますが、WiFiのない宿に泊まった場合、マジェスティックのロビーに入り込めば、ネットにつながります。

Cv2950

<プール>K-7/DA50-200mm

小さなプールです。ホテルの内側にあります。プールサイドにいても景色は見えず客室ばかりが見えることになります。ここにもバーがあるそうです。

朝食は「なし」にしました。食べたい場合はプラス20ドルだとか。予約段階で朝食付きにしてもよかったかな。でも、ローカル朝食の誘惑に負けました。単なるケチともいいますが。

今回客室まわりを紹介しましたが、続編もあります。

今日のベトナム人

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<マスク屋の姉さん>GR DIGITAL

ベンタイン市場の中で衣類専門の店です。かなり面白い柄のマスクを見つけたので購入したついでに撮らせてもらいました。

こうしてみると、ベトナム人はスリム系が多いですね。

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